土岐明調査報告書
その夜、明は小谷署で執拗な事情聴取を受けた。南條が脇に陪席し、明が容疑者に仕立て上げられそうになると勘所で脇から補足説明をして助けてくれた。実際、小谷署の刑事の尋問は最初から明を容疑者として決め付けているようなやりかただった。南條の助言で、申し開きはなんとかできたが、小谷署員は容疑者として、明の拘留を強く求めた。南條は身元保証人として「逃亡のおそれはない」と大声で怒鳴った。居場所を明らかにし許可のあるまで県内を出ないことを条件に強引に明を小谷署から連れ出した。小谷署員も情報をもたらしたのがそもそも南條であったことから南條の要求をしぶしぶのんだ。翌朝も尋問を続けることを約束し、日付の変わる直前で事情聴取はひとまず打ち切られた。全員が疲労困憊していた。小谷署の尋問室の外の薄ら寒い廊下で亜衣子が辛抱強く待っていた。明の顔を見ると泣き出しそうになった。明はどう接していいのか分からなかった。背後で南條が言った。「俺はドクター林のメールをチェックする」小谷署の刑事と話をつけていたようで「南条さん、こちら」と言う声が廊下の奥の部屋から聞こえてきた。
「ちょっと、待っててくれ」と言い残して南條は薄暗い廊下の奥の部屋に消えた。
「待っててくれて、ありがとう」と亜衣子に言うのが明にとっては精一杯だった。明と亜衣子は黙って長椅子に腰掛けていた。時々顔を見合わせては、疲れ切った笑みを交わした。明は亜衣子に何をどう説明しようかと懸命に考えていた。しかし気が動転していて考えが分散するばかりで一向にまとまらなかった。負い目のような気まずさもあった。亜衣子が質問してくれれば答えようかと思ったが亜衣子は寒々とした廊下の一点を見つめたまま茫然として何も話さない。十数分して廊下の奥の部屋から南條がプリントアウトしたメールを持って出てきた。「あのおっさん、よっぽど暇と見える。今日一日で、十通もメールを送ってよこした」そのメールを明に渡した。「車の中で読んでみろ」と言われて明はそれを亜衣子に渡した。「僕、だめなんです。車の中で文字を読むと気分が悪くなるんで。むかむかして」
先に歩きながら南條が言った。「そうか、じゃ宿についてからこれまでのドクター林のメールをまとめて説明してやろう」
小谷署から開放されたのは深夜だった。三人で、再び小谷温泉に引き返すことにした。小谷署の当直が温泉宿に電話を入れてくれた。レンタカーは証拠物件として小谷署内で保管することになった。途中、永山奈津子を投擲しようとした現場を軽自動車で通り過ぎたが何事もなかったかのように綺麗に片付いていた。助手席の明は肩を落として、南條の軽自動車の動きに揺られながら、前を向いたまま後部座席の亜衣子に勇気を出して訊ねた。「どうしてここにきたの?」
「だって刑事さんがどうしても一緒に来てくれって言うから」
「昨日の、こと?」と言う明のため息混じりの言葉は疲れきっていた。
「ううん、けさ、いきなり。でも、あなたのことは、前から聞いていたの。土岐のばかは、変なことになっているって。それで、引越しのとき千住に押しかけたんだけど、あなた、何も言わなかったし。刑事さんが大げさに言っているだけなのかと思っていたの」
「一緒に来て何をしていたの?」と明は気力を搾り出すようにして聞く。
「ずっと、携帯電話のGPSで、あなたの現在位置を確認しながら、追いかけてきたの。いうなれば、携帯電話助手ということかしら」
「でも、よく研究所を抜けられたね」
「ちゃんと事情を説明して。刑事さんにも口ぞえをしてもらって。それに深野所長は男と女をけしかけるのが好きみたい。あの資料室には所長が仲人をした人が三人もいるのよ。それに私の仕事なんか雑用ばっかりだし。受付のおじさんにおねがいすれば用の足りることばかり。なんか長年の夢が叶ったみたいで今日は一日中わくわくしていたのよ。あなたはとっても大変だったみたいだけど」と言いながら亜衣子はバックミラーの中で明と目線を交わし、一人だけ嬉しそうな思いを押し殺していた。明は永山奈津子の死のショックからまだ抜けきれずにいた。茫然とした精神状態が持続していて、思考がほぼ停止し、放心状態に近かった。
小谷署から小谷温泉まで三十分もかからなかった。三人は三軒あるうちで一番ひなびた旅館に泊まった。南條が一番安い旅館の紹介を小谷署員にお願いしたら予約してくれた旅館だった。全館こげ茶の古い板塀で、真っ暗なバス通りから玄関前までの道が舗装されていなかった。玄関先には埃だらけの白熱灯が数匹の羽虫を集めていた。旅館は木造の三階建てで、天井が低く、せまい廊下が少し傾いていた。入道のような旅館の主人に誘導されて、三人は歩くと軋む階段を上ってすぐの二階の部屋に通された。廊下の障子を開けると、次の間がなく、いきなり畳が少しささくれだった八畳敷きの部屋になっていた。早速、三人は吹き抜けで、天井は高いものの、狭く薄暗い風呂に入った。男女の浴槽は別だったが、天井は一緒だった。風呂から上がると南條が旅館の主人に無理に夜食を作ってもらった。三人は八畳の方の部屋で遅い夕食を囲んだ。簡単な料理が電気コタツの上に並べられた。夜食の準備が整う間、南條は林からのメールのプリントアウトを読みふけっていた。ときどき、目の焦点が合わなくなるようで、メールを遠ざけたり、近づけたりしている。南條が読みにくさを感じていたのは、部屋の薄暗さもあった。百ワットの電球が1個ついているだけだった。宿の亭主が最後に、ビール1本と地酒の燗酒を持ってきた。南條は亭主が栓を抜くのももどかしく、ビール会社のネーム入りのコップに三人分のビールを注いだ。「まだ生きてるか」と南條が乾杯コールをした後のビールを飲みながら明をからかった。
「大丈夫のようです」と明も力なく笑いながら、ビールを飲んだ。
「だいたい、お前は人間が甘いのだ。人を信じるのは悪いことではないが、相手による。犯罪者の言うことは疑わなければいけない。千三つというだろう。のこりの九百九十七は嘘だということだ。お前のメールを受取って、主治医と言うわけではねえが、知り合いの警察医に電話で聞いたら、頭に火薬を埋め込んで、遠隔操作で爆破させる話など聞いたことはないそうだ。カテーテルを使って胆石や血栓や腎臓結石を破壊する技術は確立しているそうだが、遠隔操作はまだ確立されていないそうだ。技術的には不可能でないから、やろうと思えはやれるそうだが、そうやらなければならない必要性が全くないという話だ。町の写真屋やTDLの職員にそんなものの造れるはずもない。これは俺の意見だ」
「それじゃ、僕の後頭部にはなにが入ってるんですか。なんか違和感があるんですけど」「大方、美容整形で使うシリコンの破片でも埋め込んだんだろう。そのままでも、どうということはねえだろうが気になるようなら時期を見て取ってもらえ。医者を紹介してやる」 そこに風呂上りで頬を桃色に上気させた浴衣姿の亜衣子が洗い髪で話しに加わってきた。「へーっ、そうだったの。そんな深刻なことだって、知らなかったわ。いたずらした猫にでも引っかかれて絆創膏を貼っているのかと思ってた。どこまで、どじな人なのかって」「あんたは知らねえだろうけど、こいつは永山奈津子という犯罪者にのぼせあがっていたんだ。魂を抜かれたみたいに。だいたい、女を見てくれだけでほれた、はれたなどと判断するのは、まだまだ子供の証拠だ。もうすぐ、三十路になろうってえのに情けねえ話だ」「でも私も男の人を収入や肩書きや背の高さだけで判断するところがあるから土岐さんといい勝負かもね」と亜衣子が悄然としている明にウインクした。明は気の抜けたような薄ら笑いを返した。
「まあ、おれも四十代までは女に対してギンギラギンだったから、ひとのことは言えねえが。連絡はまだないが、いまごろ長田尊広は逮捕されて尋問されているか、逮捕状が間に合わなければ墨田署に任意同行を求められて、事情聴取を受けているだろう。あいつの誤算は、この世の中、カネが人生で一番大切だと思っている人間ばかりではないということを知らなかったことだろう。確かに署内謹慎を破れば、懲戒免職の可能性はある。そうなれば、退職金はパーだ。と言っても、ノンキャリの退職金はたいした金額ではないが。だいたい、俺が、カネが人生で一番大切だという人間であれば、とっくに警部か警視に昇進し、副署長ぐらいに成り上がっていたかも知れねえ。俺はやりたい放題のことをやってきた。休職に追い込まれたこともあったし、減俸も数知れずだ。出世のためにとか、カネのために、というのが大きれえな人間だ。署長や上司には、年中シカトされてきた。まあでも異端だな。おれみてえな刑事は他にいなかったな。まあ、それに今回の謹慎も言った方も真剣ではなかった。形式的だ。事情を話したら、刑事部長も簡単に目をつぶってくれた。ただ謹慎処分がなければ、永山奈津子は助けられた。部長と署長を説得するのに、それぞれ小1時間ずつかかった。それがなければ永山整形クリニックに朝駆けしていたところだった。本当に、永山奈津子は可哀相なことをした」と語りながら、南條はコップのビールを空にして、テーブルの上に伏せて置いた。それからぐいのみで手酌で地酒を呑み始めようとした。明は自分の前のお銚子の首を持って、南條のぐいのみに熱燗を注いだ。南條はうれしそうに溢れそうになる地酒に目を注いだ。
「で、長田の容疑はなんですか?」と言う明の質問には、依然として生気がなかった。「とりあえず死体遺棄でしょっ引くように言ったが、永山奈津子の殺害と死体遺棄教唆、少女連続殺人と保険金殺人。とりあえずそれだけかな。あと死体遺棄教唆の方だが、こっちはお前さんのためには立件しない方がいいだろう。検事さんになんとかとりなすよ」と言いながら南條はとっくりを持って明と亜衣子のそれぞれのぐいのみに地酒を注いだ。「明日にでも永山整形クリニックを家宅捜索すれば、少女の死体の写真やデジタルビデオが何枚も出てくるだろう。新しい写真やビデオは長田が撮ったものだが、古い写真は多分永山奈津子の父親が撮ったものだ。恐らく一番古いのは、日暮里にいた頃、永山高志が自宅の医院で撮ったものだろう。多分、そういう趣味があったんだろう。担ぎ込まれた少女の死体を検死する際に写真に撮って治療中の少女の盗撮と一緒に大阪の天王寺にある通天閣近辺のビニ本ショップに持ち込んで売りさばいた。東京では売らなかったらしい。近場だと足がつくと思ったんだろう。でもいいカネになったらしい。趣味と実益を兼ねるというやつだ。丁度その頃、大阪万国博覧会が開かれていた。七千万人近くの入場者の中に、ジェイソン・ノイマンがいた。アナハイムに住み、ディズニーランドに勤務していたアメリカ人だ。やつの住所の3411には何か意味があるのかも知れねえ。児童ポルノのマニアだった。やつは、大阪で東洋人の少女に関するいかがわしい写真を捜し求めた。西海岸の東洋系アメリカ人の需要があったようだ。そこで永山奈津子の父親が撮った写真と出くわしたわけだ。ジェイソン・ノイマンはもっと写真が欲しいので、新しい写真が入ったらアナハイムの自宅に郵送して欲しいとショップの店長にもちかけた。その店長が長田尊広の父親の隆で、やくざの舎弟だった。問題は写真の郵送方法と決済方法だ。写真を国際郵便で送って、検閲に引っかかると足がつく。そこで、ジェイソン・ノイマンはスイス系銀行の支店間国際航空輸送サービスを利用した。これは匿名が可能だ。外資系銀行でしかも航空乗務員が輸送する業務郵便だから検閲されるリスクはほとんどない。ついでに、決済もこの銀行を利用することにした。画像の方は暗号をかけて、いまではインターネットで交換しているようだ。IDとパスワードがないと、暗号が解けないようになっている。スイス系銀行の日本支店は東京の大手町にしかない。例のあの銀行だ。長田尊広の父親と永山奈津子の父親はこの銀行のセイフティ・デポジットを法人契約で利用し、写真と現金を交互に入れて決済した。ジェイソン・ノイマンは、マフィアともつながりを持っている。裏切りは絶対に許されない。取引を停止することは死を意味する。長田尊広の父親の死後、尊広は犯罪を相続した。永山奈津子は父親の犯罪を知って米国留学という名目で西海岸に逃避したが、そこでジェイムズ・ノイマンの知るところとなる。多分、奈津子の父親の差し金だろう。いや、長田尊広がノイマンにちっくったのかも知れねえ。アメリカから帰国してすぐに、TDLに就職したが、それは奈津子の本意ではなかったのかも知れねえ」と言う南條の話を聞きながら、明は感心していた。いままで、明は南條のことをぐうたらな刑事のようなイメージで捉えていた。大阪府警の小関刑事とアナハイムの林とコンタクトをとっていることは聞いていたが、いったいいつ、これだけの情報を入手したのか不思議に思えた。南條の手元にある林からのメールに全て書かれているのかも知れない。
「かりに3411がこの組織の何かの符牒だったとすると、日本の住所を同じ3411にするとすると、3丁目4番11号か、3丁目41番1号になる。34丁目というのは、多分ないだろうから、このふたつの組合せしかないことになる。つまり3丁目だけに」と明が一人ごとのように言った。
「確かにそうだが、アナグラムで3、4、1、1、さえ入っていればいいというのであれば、くみあわせは無数にある。町名も五万とある。しかも、舞浜もユニバーサルシティーも新開地で、ほとんど人の住んでいなかった場所だ。永山整形クリニックは一丁目四十一番三号だったし、長田フォトスタジオは十一丁目四番三号だった。住所を指定して土地を入手するのは、それほど難しくはなかったのだろう」と南條は酒の肴のイカの刺身を口に運びながら答え、そのアナグラムで見たことのある住居表示がまだあるような気がした。「そのアナグラムってなんですか」と亜衣子が眠そうな目で聞いた。まだありそうな住居居表示を思い出そうとしていた南條の記憶の糸が亜衣子への答えで切れた。
「まあ、一種の言葉遊びだが、一番長いのがいろは歌かな。ええと、色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山けふ越えて浅き夢見じえひもせず、で『ん』がへえってねえが、五十音を並べ替えてちゃんと歌にしてある。もうひとつは明治時代になってできたやつで、鳥啼く声す夢覚ませ見よ明け渡る東を空色栄えて沖つ辺に帆船群れゐぬもやの中、でこっちの歌には『ひんがし』に『ん』がしっかりへえっている」
「へーっ」と亜衣子が心底感心したような声を出した。
「ところで都営住宅の事件はどうなっているんですか?」と今度は明が南條に聞いた。「長田は中三の平野慶子に援助交際を申し込んでいた。毎晩しつこく誘い出しの電話を掛け続けた。あの土曜日の深夜、やっと慶子が都営住宅の8階の回廊に出てきたので、長田が非常階段におびき出し、慶子を抱えて投げ落とした。その一部始終を多分永山奈津子がデジタルビデオ赤外線カメラで撮影していた」
「そのとき、慶子が長田の胸のバッジにしがみついたので、それが取れて、地上の植え込みに落ち、現場検証のときに発見されたと考えるのが自然かしら」と推理する亜衣子の半分閉じかけた瞳に宿の白熱灯のフィラメントの輝きが点になって映っている。
「あのバッジはアナハイムの林博治によれば、ジェイソン・ノイマンが作った秘密クラブの会員証だから、面識のない会員に会うときは必要になる。長田尊広と永山奈津子は慶子の一件まで面識がなかったと思っていたが、去年の女子高生の事件で合わなかったというのも不自然だ。二人の父親が三十年ほどの付き合いがあって、それまで面識がなかったとも考えにくい。いずれにしても、この種の盗撮をやっている奴らは忍耐強い。決定的なショットを撮るまで何時間も何日も待ち続ける。だから、高値で売却できるということでもある。以上は俺の当初の推理だが、長田がなぜバッジをつけていたのか、うまく説明できない。いまは、平野夫婦と水野夫婦の関与を疑っている。水野は明石で会社の金に手を出し、多額の借金を背負って、妻の実家に逃げてきた。問題は、娘が死んだとき、保険金が下りていることだ。このことが当時あまり問題にならなかったのは、金額が1千万円で、多額ではなかったことだ。平野慶子の場合も保険がかけられている。こちらは二千万円だ。これも多額とは言えない。しかし、平野鉄工所は左前で、こっちも水野同様高利の借金がある。二千万あれば当座はしのげる。高利のヤミ金でやくざとつながり、そのやくざは少女ポルノで長田とつながっている。身内の誘導があれば完全犯罪はそれほど困難ではない。永山奈津子は、少なくとも今回の中三少女の事件については主犯ではないだろう」
「むしろ、奈津子がバッジを意図的に現場に投げ捨てた可能性もあるんじゃないかしら」と亜衣子はバッジの推理に固執している。
「奈津子は父親の死後、去年の春ごろ、足を洗うことを考えていた。それで、長田と対立し、殺されることになった。この推理が当たっているかどうかはいずれ長田の自白で分かるだろう」と南條は亜衣子の推理を無視する。
「でも舞浜駅に僕を迎えに来たとき長田はなんで例のバッジをつけていたんですかね。もう、奈津子とは面識があるはずだから、あえてつける必要はなかったんじゃないですか」「普段つけたり、はずしたりしていなかったからじゃないかしら。それで、洋服につけっぱなしにしていた。どうせ、意味の分かる人間は、一人もいない、と思っていたんじゃないかしら?あるいは、奈津子が長田の知らない間に意図的につけたのかも知れないわ」と亜衣子はバッジと奈津子の話題に興味を示す。
「ということは奈津子はそのバッジを僕に見せようとしたのかな?だけど、僕がそのパッジのことを知っていることを奈津子が知るはずがないでしょう。僕の行動を逐一知るようになったのは、僕が盗聴器付きの携帯をもたされるようになったあとのことだから。つまり僕がはじめて奈津子にあってからのことだから」と明は自問自答する。
「それから、町屋の斎場で見た長田のバッジだけど、なんとなく携帯電話の添付ファイルで見たのと、少し違うような気がするの」
「違うって、どう?」と明が亜衣子を問い詰める。
「私、視力2・0で、遠視には自信があるんだけど。とっても良く似てはいるんだけど、ちょっと、違う、ようなのよ」
「どう違うの?」と明が更に問い詰める。
「どうって、ほら、ハンドバッグや旅行カバンのブランドの模様やエンブレムがあるでしょ。あんなののできそこないの偽物というような感じなの」
「そのへんは、長田の自白を待つしかないだろう」と南條はその話題を避けようとした。「長田が慶子の町屋の葬儀の受付にいたってえのは、死亡保険の請求の確認と、多分、保険金の一部の受取を香典で先取りしに来たのかも知れねえな。聞けばわかることだが」
「それから、去年の夏の隅田川の溺死体の第一発見者が長田だったと言ってましたよね。あれどうもおかしな感じなんですが、長田はなんであの女子高生が隅田川に転落したあと、すぐに逃げなかったんでしょうか?」と明は話題を変えた。
「殺すことだけが目的ではなかったんだ。その状況をデジタルビデオに納めて愛好者に高値で売りつけるのも目的だった。だから長田はその状況をデジタルビデオで撮影しなければならなかった。それに女の子が桜橋から転落したという通報が110番にあった。それで花火会場をパトロールしていた巡査の携帯に連絡が入り、その巡査が桜橋からあたりを見回したら墨田区側の川岸でうごめいているホームレスを発見し女子高生の死体があったんで、その場で身柄を押さえて職務質問したというわけだ」と南條は確認するように言う。
「でも、溺死する状況をデジタルビデオに撮るということであれば、橋の上から突き落としたら撮りづらいんじゃないかしら?通報したのは誰なんですか?」と亜衣子が聞いた。「女の声だったというんだが、誰だかは知らねえ。多分、その記録が残っているだろうから、確認してみよう」と言いながら、南條は携帯電話で早速、墨田署の当直に電話した。「夜分恐れ入ります。ちょっとお手数で恐縮だけど昨年の隅田川の花火大会の日、浅草の女子高生が桜橋から転落して溺死したんだが、そのとき110番に通報があったんだが、その音声が残っているかどうかセンターに聞いてもらえないかな。もし残っていれば、その音声を転送してくれ。よろしく」と南條は携帯電話を耳にあてたまま幾度も頭を下げた。
「その二人の関係はどうなっていたんですか?奈津子は長田に殺されたんですか」と亜衣子が食事を終えて、はだけた浴衣の襟元を合わせるように隠しながら会話に加わってきた。
「それも長田の自白を待つしかねえが、いまんとこ奈津子を殺害したのは状況からして、どう考えても長田以外にはいねえ」とぐい飲みを舌先でなめるようにして南條が言う。
「あれ扼殺ですよね。喉にはっきりした親指のあとが2箇所あったから。多分馬乗りになって全体重で喉を押すようにして絞め殺したんですね。でも、動機はなんですか?」と亜衣子が明のほうを見ながら聞いた。
「多分内輪もめじゃないかな。あのクリニックで何回か二人が言い争うのを聞いたから。たしか奈津子が『もう、やめたい』というようなことを言っていたのを聞いたんです」と明が言うと、南條は思わず膝を叩いた。
「もし、あの二人の仲が、うまく行っていなかったとすれば、全ての謎が解けるな」
「でも、長田という人が尋問で、殺したのは土岐さんだと言うことはないのかしら。だって舞浜のクリニックには永山という人の他には、土岐さんと長田しかいなかったんでしょ」と亜衣子が話を明にふってきた。「もう一人、なんとなく足りなさそうなちっちゃな男の子がいたけど。そういえば、あの男の子はどうなるんだろう。でも、かりに僕が奈津子を殺したとして、その動機は?」と明が少し気色ばんで亜衣子を見据えた。「よくある痴情のもつれ。土岐さんの片思いから。永山奈津子がちっともふりむいてくれないので」と亜衣子が明をからかった。
「いや、そういう言い方は、言っている人間の悋気でもあるんじゃないか?」と南條が亜衣子を逆にからかって話を元に戻した。亜衣子は少し頬を膨らませた。
「長田の父親は肝硬変から肝がんになって、十数年前に死んでるんで、大阪の方は長田が、かみさんと二人三脚で児童ポルノを撮影し国内ではなくアメリカのジェイムズ・ノイマンに送り続けていたのだろう。大阪府警の小関刑事の話によれば長田の母親は小学校の教諭だったがやくざの情婦になり下がった。かなりのやり手だったらしい。奈津子の父親は昨年春になくなっているのでその後東京の方の撮影は奈津子が長田に依頼していたようだ。奈津子の父親が生きている頃は奈津子が情報を提供し、父親が誘拐し、クリニックで撮影していたのだろう。TDL内で捻挫とか骨折があったときは奈津子が永山整形クリニックを患者に紹介していたようだ。大阪の方は実行と撮影は長田尊広が受け持った。女の子の誘拐は、かみさんが実行したのだろう。かみさんと母親は、明朝、大阪で任意同行で事情聴取を受けるはずだ。この俺の推理を検証するために、俺はあすそっちに行く予定だ」
「そのジェイソン・ノイマンの自宅で永山奈津子は何をしていたんですか」と明が聞いた。
「ジェイソンの自宅じゃない。息子のジェイムズの自宅だ。ジェイソンは心筋梗塞でとっくに死んでいる。林がジェイソンを解剖したときの情報を送ってきた。ジェイムズはそこで商品情報の交換をしていたようだ。十年以上前からインターネットで画像交換をしていたようだが、年に一度は秘密会員相互間で情報交換をしていたようだ。それに、パリとホンコンのマーケットが拡大して、それなりに取引も大掛かりになった。直接出会ってお互いの希望を聞いたり、支払条件の交渉をしたり。駆け引きもある。原則は物々交換のようだったが、タイミングや金額がなかなか折り合わないので、差額はスイス系の銀行を経由して現金決済ということになっていたようだ。一般顧客に対しては、出所が分からないように、なんカ国ものいくつものサーバーを経由してサーバーだけ置いてあるペーパー・カンパニーのタックス・ヘイブンも経由して、永山高志や長田隆の初期の時代とは様変わりで、日常的にはインターネットを活用していたようではあるが」
「じゃあ、あそこで、なんの変哲もない普通の住宅で、パワーポイントでそんなものを見ていたんですか。アナハイムでは、夜目遠目で、よく見えなかったけど」と明が言う。「俺は現場にいたわけじゃないから知らん。この情報はロス市警経由でもたらされたものだ。林のメールにある情報だ。林の知り合いの検視官からロス市警におれからの情報がもたらされて、ジェイムズ・ノイマンが少女誘拐の容疑で尋問を受けているそうだ。どうも、ジェイムズ・ノイマンは以前から当局に眼をつけられていたようだ。ろくに証拠はないはずだが、アメリカの捜査の事情は良く知らん。ロス市警から警視庁にけさ、永山奈津子の照会があって、緊急の事情聴取の要請になったわけだ。その奈津子はけさTDLに出社していなかった。自宅にもいなかった。だから、寝袋の中は十中八九、奈津子だと読んでいた。その奈津子は長田に殺された。いずれそのうち、自白調書を取る段階で、事件全体の整合性を考えなければならんので、最終的には永山奈津子と長田尊広は少女殺害に関しては共犯ということになるだろう。しかし、大阪関連の事案は長田がかかわっていた可能性が高いが、東京関連の事案は奈津子がどの程度かかわっていたかは、彼女の父親が昨年死んでいるので、今のところ全く藪の中だ。東京の当事者が二人ともいなくなってしまった。長田が罪を軽くするために二人に目一杯罪をなすりつける可能性もある」
「でも何だって車のナンバープレートまで3411で合わせなければならないんだろう」と明が思い出したように言う。
「アナハイムのジェイムズ・ノイマンの自宅での会合に集まった車か。かつて、ジェイソン・ノイマンはお互いに顔を見せないことで、一網打尽の摘発を逃れようと考えたようだ。アメリカは司法取引があるから、捕まったやつは簡単に自白して、刑を軽くしようとする。顔も名前も分からなければ、自白のしようがない。ただ、会員であるという証拠が必要なので、ナンバープレートとバッジにしたということだろう。バッジの記号はなんでも良かったが、Jはジェイソン、または、ジェイムズで、Nはノイマンの頭文字だ。ただ、林からのメール情報だと、ジェイムズ・ノイマンは普段は、あの3411の住所には、住んでいないようだ。あそこは自宅ではないのだ。固定電話も、あの住所にはない。電話は夫婦とも、携帯電話だけだ。しかし3411あての郵便物だけはとりにくるようだが」
「そうは言っても逆に、ナンバープレートの番号で一網打尽になるんじゃないですか?」と明が食い下がった。
「でも車は全部盗難届けが出ていて廃車扱いになっている。尊広と奈津子の車はそうなっていなかったが。いずれにしても、犯罪者は最初から捕まることは想定していない。どんなに緻密な犯罪でもかならず楽観的な想定をしているところがある。そこから犯罪が露見するというのがいつものパターンだ」と言いながら南條が傍らを見ると亜衣子が産毛の逆立っているうなじをむき出しにしてうなだれて居眠りを始めた。軽い寝息が聞こえる。
「そろそろ寝ますか」と言いながら、明が亜衣子のなだらかな肩を揺すった。亜衣子はびっくりしたように目を開け、一瞬どこにいるのか分からないような目の焦点の合わない表情をした。思い出したように「土岐さんはどんな罪になるんですか」と寝ぼけたような目で南條に聞いた。「一応、調書は取られると思うが今回の事件の解明のそもそものきっかけを作った功績が大きいから立件せず、ということだろう。情状酌量、てえことだ。所詮、法律を作ったのも人間だし、法律を運用するのも人間だ。運用次第で、良くもなるし、悪くもなる。だから、絶対大丈夫という確約はできないが」
「きっと大丈夫よ。良かったわね、土岐さん」と亜衣子が寝ぼけまなこで秋波を送ったが、明は重要なことを思い出したように南條に質した。「あのう、永山奈津子の子供の父親は誰なんですか?長田ではないようですが」
「それは本人しか知らないとは思うが、噂では父親らしいという話もある。近親相姦だ。周囲の話では奈津子は父親に溺愛されていた。いわば犯罪一家だから、秘密漏洩のため奈津子は結婚もできなかったのだろう。母親が早くになくなったのも、その心労だったんじゃないかな。調書に必要な情報になれば、DNA鑑定をしなければならないだろう。ただ、父親のDNAは、取れないかも知れねえな」
「どうでもいいけど、もう寝ません?」と亜衣子は永山奈津子にまだ関心を持っている明に不快感をあらわにした。白い太腿の内側が一瞬はだけた。
「私、この部屋で寝ていいかしら?」と媚びるように浴衣がはだけそうな膝を崩す。
「隣にもうひと部屋とってあるよ」と明が亜衣子の不意の不機嫌さを無視して言う。
「だってこの旅館の部屋は廊下からいきなり障子戸で、しかも鍵がないじゃない。それに隣の部屋だって襖一枚でしょ。三人一緒に寝た方が安全だと思うの」
「それも、そうだ」と南條が高笑いをしながら言った。明は南條の推理にまだすっきりしないものを感じていた。事件全体が深い霧にまだ覆われているような気がした。
その夜、三人は同じ部屋に湿っぽい煎餅布団を電気コタツを中心にして並べた。明と亜衣子が並んで、南條はその二人の頭の先に横たわった。南條の鼾が凄まじかったが、若い二人は疲労困憊していて、気にならなかった。隣り合った明と亜衣子はコタツの中で手を繋いだまま寝入った。
翌朝、三人が目覚めたのは南條の携帯電話の着信音だった。固定電話に良く似た呼び出し音が早く起きろとばかりに鳴り続けた。南條は目を閉じたまま枕元をまさぐったが携帯電話は鳴りやまなかった。仕方なく、しょぼしょぼした目を開けて探すと枕の下にあった。
「はい、南條」とやっと南條が受信した。
「こちら隅田署の斉藤です。昨日の深夜から、舞浜署と合同で永山整形クリニックのガサ入れをしていたんですが、その長田尊広の件ですが、行方不明だったんですが、けさほど、舞浜港のバースからBMWが引き上げられ、中から長田尊広と永山奈津子の息子の信夫が発見されました。死因はまだ確定していませんが、初見ではどうも溺死のようです」
「なにィ!」と南條は一瞬絶句した。「そうか、分かった。それで、死亡推定時刻は」
「それも初見ですが、多分真夜中の一時ごろから午前三時ごろではないかと思います」
「けさも、こっちの小谷署で昨夜の事情聴取の続きがあるんで、それを片付けたら土岐明は、そっちに帰らせる。舞浜署だな」と言いながら、南條は明の寝顔を見た。
「ええ。本部は舞浜署に設置されましたから。それから、昨夜依頼された、昨年夏の110番通報者の音声の件ですが、いま、入手しました」
「110番の通報者の音声?添付ファイルでメールしてくれ」
「それから、鑑識からの連絡ですが、平野慶子の検体から、インフルエンザのウイルスも、風邪の細菌も発見されなかったということです」
「ん?ということは仮病だったということか。保険金詐欺の状況証拠になるな」という携帯のやりとりを聞きながら明が薄っすらと目を覚ました。
「なんかあったんですか?」と上半身だけ起こし、よれよれの浴衣の胸をはだけたまま足元を茫然と見ている南條に聞いた。
「長田のBMWが舞浜の海から引き上げられたそうだ。中から長田が溺死体で発見されたそうだ。男の子も一緒だ」
「えっ!自殺ですか?無理心中ですか?」
「まだ分からん。でも状況からして多分そうだろう。生きていたとしても事件が発覚してしまえばいずれ死刑は免れない。これで全てが、闇の中に葬られた。残るのは、大阪で事情聴取を受けている長田の母親とかみさんだが、一体、何を、どれだけ知っているのか」
そこでスッピンの亜衣子が目を覚ました。はだけてあらわになっていた足元を掛け布団を引き寄せて慌てて隠した。明は眼の端でその艶かしい様子を少し興奮気味に見ていた。
「おはようございます。何かあったんですか?」と亜衣子はまだ横になったままで、沈鬱な面持ちの二人に明るく問いかけた。普段から薄化粧のせいか、スッピンの顔を平気でさらしている。瞬きを繰り返す目の焦点が合っていない。
「うん。長田が死んだ」と明が答えた。そこで南條の携帯電話のメール着信音が鳴った。「来たな。どれどれ」と言いながら、南條は添付ファイルを開き、携帯電話を耳にあてた。「ん?この声は、どこかで聞いたことがあるな。あまり、鮮明ではないが。どうだ、聞いてみるか?」と南條は自分の携帯電話を明に差し出した。明はそれを受取って、もう一度音声を再生させて耳にあてた。
「あっ!これは奈津子です、間違いなく。通報したのは、やっぱり奈津子だったんですね」
「ということは奈津子は女子高生の溺死を事前に防ごうとしたか、あるいは、長田の逮捕を望んでいたということだ」
「でも、長田が逮捕されたら、自分も容疑を掛けられるでしょ。それに、長田の逮捕を望んでいたのであれば、女子高生が転落したという通報ではなくて、長田が犯人だ、という通報じゃないですか?」と言いながら、目を半分閉じて、明は両手で頭を掻いている。「警察が嗅ぎ付けたように見せかけて長田を警戒させ、できればそれ以降の犯行を断念させるのが目的だったのか。かりに逮捕されたとしても長田が奈津子のことは自白しないと期待していたか、あるいは自白したとしても自分は実行犯ではないからその程度の有罪は覚悟していたのか。でも息子がいるからな。これまでのことは長田に脅されていたと自供するか。それで執行猶予を狙うか。父親の犯行を幇助したことについては証拠もないことだし、シラをきるか。あくまでも、主犯は長田にして、自分は強迫されていたと主張する」
「そうすると、都営住宅に落ちていたバッジは、奈津子がわざと落としたものなのかも。そのバッジを長田につけさせて、土岐さんにわざとみせるようにした」と亜衣子がねぼけ声で言いながら、大きなあくびを繰り返して、指で髪の毛を梳いている。
「そう言えば、初めて長田に会ったとき、彼女は自分の車の調子がよくないから、運転手を頼んだ、と言ってましたが、あれは、わざわざ例のバッジをつけさせて、僕に見せるためだったのかも知れないですね。だけど、前にも言ったと思うんですが、僕が南條刑事からあのバッジの情報を得ていたということを彼女はどうして知ったんでしょうか?」
「そうか、そうであれば、その推理は成立しないな」と南條は亜衣子の存在が眼中にないかのように明と話し込んだ。
「それに都営住宅に落ちていたバッジですが裏のねじ止め部分が欠けていましたよね。あの壊れ方からすると、ねじり取られた感じがするんですが」
そこに無視されていた亜衣子が掛け布団の上に正座し居住まいを正して割り込んできた。「慶子が突き落とされる瞬間に長田の襟穴のバッジにしがみついて、そのとき壊れたか、奈津子が8階の非常階段から投げ捨てて地面に落ちた時に破損したとも考えられない?」
「鑑識の結果が出れば、いずれはっきりするだろう」と南條はその話を興味なさそうに打ち切った。そう言われて亜衣子は腕組みをして、ささくれ立った畳に目を落とした。
「鑑識は何をやっているんですか。もう随分時間がたつんじゃないですか?」と明が浴衣を脱いで、上半身を着替えながら南條を責め立てた。
「鑑識にお願いしたときは事件化していなかった。署内での俺の立場が軽いんで鑑識も後回しにしたようだ。一昨日せっついといたから今頃必死になってやっているところだろうと思うが要はどこで作ったかが分かれば糸口になる。焼き物だから何とかつきとめられるだろうとは思うんだが」と南條が嘆息した。そこに朝食が運ばれてきた。宿の主人は隣の部屋に料理を並べ始めた。三人の布団はまだ敷いたままだ。布団をそのままにして三人は隣の部屋に移動した。石油ストーブに火がついていたが輻射熱の当たらない体の面はぞくぞくしていた。朝食をとろうした南條が大阪府警の小関刑事から携帯電話に連絡を受けた。
「長田尊広の母親と女房に任意同行を求めました。長田尊広の永山奈津子の死体遺棄容疑の件で、自宅のがさ入れをやります。昼ごろまでに来られて、立ち会ってもらえませんか」という小関の要請だった。その要請に快諾の返事をして、朝食の膳に向かい直すと、再び墨田署から連絡があった。「モルヒネ?どの程度の?よし、分かった。俺はこれから大阪に向かうんで、舞浜の方はよろしく」と答えて箸を止めて考え込む南條に明が質問した。
「モルヒネがどうかしたんですか?」
「長田はあまり海水を飲んでいなかった。簡易検査で体内からモルヒネが検出された」
「海水をあまり飲んでいなかったというのはどういうことですか?」
「BMWで海に飛び込む前に既に虫の息だったということだ」
「じゃあ長田も殺されたということですか?」と亜衣子がごはん茶碗を持ったまま食欲のなさそうな顔をして浴衣の腰を少し浮かせた。
「いやあ、まだ分からん。いきも絶え絶えで、BMWのアクセルを海に向かってふかしたのか、それとも誰かにほとんど殺されかけた状態で、BMWもろとも海に落とされたのか、もう少し詳しい情報が追ってあるだろう」と言い終えると、南條は味噌汁に入れたご飯をかき込んで朝食を切り上げた。そのまま洗面もせず、ひげもそらずに朝一番の村営バスに飛び乗った。明と亜衣子の二人には「小谷署に寄ってみなさんによろしくと伝えてくれ。俺はこれから大阪府警に行く。俺の軽は二人で墨田署まで乗って来てくれ」と言い残した。
南條はゆったりと走るバスにいらいらしながら韮崎で降り、特急あずさで塩尻まで行き、そこで『L特急しなの』に乗り換えて、名古屋から大阪府警の小関刑事に電話を入れた。長田尊広の母親と女房の事情聴取は午後からになるとのことだった。ついでに、小谷署にも電話を入れてみた。明の事情聴取は終わり、永山奈津子の死因は頸部圧迫による窒息死とのことだった。最後に、舞浜署に永山整形クリニックのガサ入れの状況を聞いてみた。「南條だけど、ガサ入れのほうはどう?画像はでてきた?」舞浜署の高橋警部補が答えた。「南條さんですか?どうも、ないようですね。パソコンは火をつけたようで焦げています。ただ二階の永山奈津子の部屋から変なバッジが出てきました。墨田署の斉藤さんの話だと、この間の都営住宅の女子中学生の転落現場の近くに落ちていたのと同じものじゃないかということなんですが、写メールで送りますんで確認して下さい」
「多分、こんにゃくかはんぺんが三枚つきささったおでんみたいなやつだろう」
「ちょっと違うような気がしないでもないですが、そんなような感じです」
「ちょっと違うってのはどういうことだ」
「三枚というか、筋の入った大き目のはんぺん一枚と、小さめのはんぺん一枚のような」「まあいい、土左衛門の長田の着衣に同じものがなかったかどうか、調べてもらえるかな」「分かりました。確認します。少々お時間下さい。それではまた後ほどお電話しますので」
電話を終えると南條は名古屋から新幹線で大阪に向かった。大阪府警に着いたのは二時過ぎだった。新大阪駅のホームで高橋から送られてきた写メールを開けてみた。南條が鑑識に回したバッジに良く似ていたが上の二枚のはんぺんが合体しているような形状だった。できそこないということか、と南條はつぶやいた。そのとき、東京からの連絡があった。南條が出ると、舞浜署の高橋警部補が、先刻の南條の依頼に答えた。
「先程の長田の着衣の件ですが衿穴にがさ入れで出てきたのと同じようなバッジがありました。ただ密着していてはずせないんです。とりあえず、そのままにしておきました」
「それから現金は出てこなかったかな。スイス系銀行の帯封のあるやつなんだけど」
「いまのところ、そういう報告は上がって来ていません」
「そうか、ありがとう。明朝、そっちらにうかがうんで、そのときはよろしく」と携帯電話を切ると、南條は小関に署内電話で連絡を取って取調室に向かった。
浪江は還暦をとうに越えていたが老婆には見えなかった。浅黒い地肌を隠すように白いファンデーションを分厚く塗っていた。若い頃の端正な美貌を彷彿とさせていた。尋問室にはいった途端、一目で南條は素人ではないと直感した。机からはみ出すように足を組んでいた。腕組みをして憮然とした表情で入ってきた南條を見上げた。アイボリーのニットジャケットの袖から覗いている手首は筋張っていて二の腕に力を入れれば力瘤ができそうな感じだった。小関は壁に立て掛けてあったパイプ椅子を開いて自分と浪江の間に置いた。
「今度はあんたかい。入れ替わり、立ち代り、ご苦労なこった」と浪江はかたわらの小関刑事を見ながら南條をあごで斜にしゃくりあげながら、低い声でふてぶてしく言った。部屋の中央の小さな灰白色の事務机を3人で囲むような形になった。
「いい加減で、帰してもらいたいもんだ。人権蹂躙もはなはだしいね。弁護士を呼ぶよ」 昔、取調べをした浅草のやくざの姉御もこんなような態度だったことを南條は思い出した。顔をまじまじと見つめながら誰かに似ていると思った。くっきりとした二重で、大きい瞳。長田とは親子だから、似ているのは当たり前だが、遠い昔によく見かけた顔、そうだ、一円札の二宮尊徳だと南條は思った。南條の二宮尊徳のイメージは篤農ではなく吝嗇だった。肖像画を用いていたのが高額紙幣ではなく最低額紙幣の一円札だったからかも知れない。
「息子さんが亡くなったというのに態々ご足労です。聞きたいことを言ってもらえればすぐ終わります」と南條は高圧的でもなく下手に出るでもなく中立的な態度で浪江に接した。
「何を言わせたいんだい。いい加減にしないと、損害賠償を請求するよ」とふて腐れる浪江の言葉に関西訛りはなかった。
「まあ、まあ、訴訟や対立はお互いになんの得にもならない。戦争と同じだ。聞きたいのは息子の長田尊広のやっていたことだ」
「やっていたこと?ただの写真屋」と浪江は吐き捨てるように言う。
「それは分かっている。裏稼業の方だ」
「裏も表もありゃしないよ」と浪江はいらだたしそうに言う。南條が相対した犯罪者は大半が警察に出頭してくると観念する。自白しなくても、態度は観念していると分かるのが多かった。しかし、中には少数だが、徹底的にシラをきる者もいる。証拠を目前に突き出してまでしても、知らぬ存ぜぬを貫く者がいる。いよいよ追い詰められても最後は他人のせいにする。親が悪い、社会が悪い、他人が悪いと言い張る。自分は常に正しい、自分のやったことは必然だ、誰だって自分と同じ境遇にあれば同じことをする、社会がそれをたまたま犯罪だと決め付けると主張する。浪江はその数少ないタイプだと南條は見立てた。
「永山奈津子は知ってるね?」
「永山?知らないね、そんな女」
「じゃ尊広はなんで死んだんだ」
「そんなことは知らないね。こっちが聞きたいくらいだ」
小関が同情を求めるように南條の顔を見た。確かに大変なばばあだ、一筋縄では吐きそうにないなと思いながら南條は小関にうなずいて見せた。
「これは尊広の預金通帳の写しだ。あっちこっちの銀行の残高を寄せ集めると五八〇〇万になる。あんな場末の客もろくに来ないような写真館でこんな大金がどうして稼げるんだ」と小関が尋問を続けた。
「さあね。確かに、個人客はほとんど来なかったけど、卒業アルバムだ、証明書用だと言って、あっちこちの学校や企業にカメラ背負って、しょっちゅう出入りしていたからね」「そんなもんで、こんなに稼げるか。学校関係であれ、企業関係であれ、きょうび銀行振込みが普通だ。尊広の入金はいつもATMで、しかも常に現金だ。それも数十万単位だ」
猫が悪さをしたときに、問い詰めた感じもこんな風だと南條は思った。相手がそれを悪事と認識していれば、問い詰めることによって、落とすこともできるが、相手にその認識がなければ問い詰める側が空回りするだけだった。罪を追求する刑事とその罪を懺悔する容疑者という構図が調書を取る段階だが、その段階にはほど遠いように南條には思えた。「画像はでてきたの?」と南條が小関に聞いた。
「多分パソコンにデジタル画像がメモリされていたはずなんですが、そのパソコンが風呂場で灯油を掛けられて燃やされていて」
「舞浜と同じか。でも、ということはあったということだ。なんとか復元できないのかな」
「消したメモリなら簡単に復元できるそうですが、燃やしたものは駄目だそうです」と小関が言い訳のように南條に言った。南條は「あんたが燃やしたんだろう」と浪江に迫った。
「知らないね」と浪江がしらばくれると、小関は「近くの住民が昨日の夜、風呂場の窓に炎の影を見たと言っているぞ」と南條に加勢した。
「知らないね。そういうことを言うのなら証拠を持ってきな。かりに燃やしたとしても自分の物を燃やして何が悪い」
長田尊広が燃やせと指示したのならば、母親に累が及ばないようにしたのだろう。ということは、尊広は母親をそう思っていたということか?いや、それとも自分の犯罪の全貌を墓場へ持って行こうとしたのか?とすると長田は自殺したのか?と南條は考えた。南條に浪江を追及する証拠は何もなかった。押収物の中に追及する材料になりそうな物があるかも知れないが、まだ何も見ていなかった。
「こっちの方は、今日のところはここまでだが」と言いながら南條は小関を見た。小関も「おばはんよ、ご苦労さん。きょうのところはここまでや」と言いながら南條の顔を見た。
「日当は出んのか」と捨て台詞を残して浪江が取調室を出て行ったのを見届けると南條は
「夕方まで、押収物を調べさせてもらえますか?それによって、明日のことを考えます。いずれにしても新幹線の最終を予約してもらえますか?とにかく、このヤマは自腹でやっているんで、お願いします」と小関に東京に帰ることを伝えた。小関は「一般車の指定がなかったらグリーン車でよろしおまっか?」と南條の承諾をうかがった。
「指定がなければ自由席でいいです。乗れればなんでも。それから、長田浪江の張り込みですが、なんの動きもないとは思いますが、今晩、貼り付けられるヒトはいますか?」
「若いのがいるんで、そいつを貼り付けまひょ」と言いながら、小関は押収物を保管している倉庫に南條を案内した。小関は倉庫の入口近くのダンボール箱を指差した。
「たったひと箱ですか?」
「パソコンは燃えとるんで、一応、科捜研の方に預けてありま。まあ見れば分かると思いますが古い写真ばかりで。この部屋からは出さんといて、そこの机で調べてもらえまっか」と小関は倉庫から出て行こうとした。それを南條が呼び止めた。
「長田の女房の事情聴取はどうでしたか。あとで調書を見せてもらえますか?」
「ああ、よろしおま。コピーをとっときますよってに」と小関が出て行ったあと、南條は作業机の上に、ダンボール箱の中身を広げた。まず、机の上に小さな蛍光スタンドがあったので、そのスイッチを入れた。一点ずつ詳細に見て行った。USBフラッシュメモリーが十本、デジタルカメラ用のSDメモリーカードが二十枚ほど、メモリサイズは128MBから、256MB,512MB,1ギガ、2ギガなど、様々だった。あとはアルバムが五冊、スナップ写真は様々なサイズのものが数え切れないほどあった。南條は作業机のパソコンのスイッチを入れ、USBフラッシュメモリーの中身から順に写真を一枚ずつ、丹念に見て行った。百枚ほどのスナップ写真は、浪江が言った通り、小学校、中学校、高等学校、大学の卒業記念アルバム用の集合写真や、身分証明書用の個人写真がほとんどだった。社会人を撮影したものとしてはUSJの従業員の証明書用の個人写真がある程度だった。スナップ写真も同様で、プリンター印刷で不鮮明なものや、印刷位置のずれたものなど、印刷ミスらしいものが大半だった。用心深いやつだ、証拠は一点も残さなかったかと南條はバラのスナップ写真に一枚一枚目を通しながら、深い疲労感に襲われた。空腹と寒気を感じ始めた頃、アルバムの点検が残った。古そうなものから順に一冊ずつ見ることにした。最初の黒地のアルバムには、長田浪江とやくざの舎弟らしい男を中心とした写真がセピア色に変色して黒いコーナーの中に納まっていた。何かの記念写真らしいものを見ると、修正のせいもあるだろうが、二人とも美男美女に写っていた。この男が長田尊広の父親の隆だろうと南條は推測した。どの写真も、日本経済が高度経済成長を謳歌していた時代を背景として、香港、台湾、ハワイ、アメリカ西海岸などの海外旅行や国内温泉旅行やスキー等の行楽の際に一眼レフカメラで撮ったものらしかった。さすがにプロの写真屋らしく、いずれのスナップ写真もそれなりに構図を配慮しているように見えた。撮っているのが亭主のせいか、家族三人が納まっている写真はあまりなかった。中に一枚だけ、浪江と他の写真とは違う中年の男が満開の桜の木の下に笑顔で座り、尊広が二人の間に中腰ではさまれている写真があった。尊広は四、五歳くらいで、まぶしそうにベレー帽をかぶり、左手に丸いせんべい、右手にラムネを持っていた。中年の男は長田隆ではなかった。同じベレー帽をかぶった尊広が一人で映っている写真もあった。背景に大きな広告看板があり、映画女優がジョッキにビールを注いでいる。尊広がビールジョッキの取っ手を持っているように見える構図だった。その看板の背後に上野動物園の高い柵があった。ということは、この桜は上野の桜か、と南條はその写真を抜き取ってポケットにしまった。他のアルバムは尊広の成長に合わせて撮ったもので、小中高の学校、写真専門学校時代の尊広が様々なシチュエーションで写真に納まっていた。最新のアルバムは尊広の結婚式で始まり、誰かの盛大な葬式で終わっていた。仰々しい葬式で、献花の名札から組関係者のように思えた。
長田尊広にも、それなりの人生があったということだ、と呟やきながら南條はポケットに忍ばせた写真を除き、全ての押収物をダンボール箱に戻した。そこに小関が入ってきた。「新幹線の座席指定取れました。東京行きの最終で、九時二十分発でおま。それから、これが長田尊広の母親の浪江と女房の規子の調書です。今夜はこのへんで切り上げて、串かつでもどうでっか。今夜は梅地下でなく、ちょっとレベル上げて、日本橋へ行きまひょか」
「そうしますか」と南條も店じまいすることにした。
谷町線で谷町四丁目から谷町九丁目まで行き、千日前線に乗り換え次の日本橋で降りた。ペンシルビルの地下一階のこじゃれた串かつ屋に小関が予約を入れていた。二十人程一杯になる濃紺のカウンターの奥に二人で腰掛けた。近くで見ると小関は異様な程長い顔をしていた。目がギョロ目で眉が太く、唇も分厚く、じっと見ると暑苦しい顔をしていた。
「長田浪江は元々東京で小学校の先生をしていたようです。規子から聞いたんですけど」「それで関西訛りがないのか。調書はまだ目を通していないんで。で、東京のどこで?」「日暮里とか」と聞いて南條は串かつの串を口蓋に突き刺しそうになった。「先日、行ってきたばかりだ。そうか、旧姓か。それで気付かなかったのか。コピーをとったあの名簿に浪江という名前があったのかも知れない。東京に帰ったら確認しよう」
「その頃、一九六〇年代に、長田尊広のてて親の長田隆は既に、こちらのやくざのチンピラの一員になっとって。まだ、使いぱしりやったけど、関東進出組に抜擢されて、勢力拡大の任を担って東京へ出張った。そこで、長田隆と東京で義兄弟になった男の紹介で浪江を見初めて、どっちも部落出身で、気性が合ったようで、東京で内縁関係になった。それが浪江の小学校にばれて、浪江は居づらくなったようで」
「関西には部落出身のやくざが多いとは聞いてたが浪江がムラの出という情報はどこで」「暴対用で餌付けしてもぐらせている協力者からの情報でおま。その確認はまだとれておまへん。で、長田隆は東京でのしのぎが思うようにいかず、東京進出は時期尚早やゆうことで、万博の頃に、大阪に舞い戻った。浪江は万博でテキ屋の手伝いをしていたようで、一、二年ぶらぶらやっとったようやけど、どうゆうわけか、こちらの小学校の教員になって、隆が企業舎弟のようなものになって、通天閣付近でビニ本屋と写真屋を開業し、裏で児童ポルノを販売し、かなり財をなしたようでおま。不思議なことに、浪江は定年まで、企業舎弟の妻であることがばれずに、あるいは、ばれてはいたが教育委員会がびびって解雇しなかったのか、最近退職して年金生活にはいった。そのころ既に隆は肝硬変から肝癌になって、食道静脈瘤破裂で死んでいて、それから尊広と規子の三人だけで生活し、USJ開園と同時に現在の住所に引っ越し、規子はUSJの出入りの清掃会社の掃除婦に雇われた。地回りのやくざがねじ込んだのかも知れまへんな。規子の父親も組関係者で。尊広は、どこの親分とも杯こそ交わしてはおまへんが、隆が関係をもっていたやくざと取引関係を継続しておって。ざっとこんなところでおま。尊広の犯罪を証明するような物証はいまんとこ、なんもありまへん。まだ、まだ、さきが長くなりそうでんな」と小関は突き出した顎をしゃくりあげながら大阪弁と標準語を無秩序に混ぜて話し続けた。「あしたどうしまっか?事件の起きたのは、東京なんで、こちとらも別の事案があるんで、南條はんに浪江の件は引き継いで貰えれば、ほんま、ありがたいんです。でも、先日うかがったように、少女の連続偽装殺人が事件化すれば、話は別ですが。いまんとこ、なんも出てこんので。なんか出て来たら、そんときは、いくらでも、協力させてもらいますが」
小関の話を聞きながら南條は事情聴取のコピーに改めて目を通していたが、目を引くような情報は、長田浪江が日暮里の小学校の教諭であったことを除けば他に何もなかった。「いやあ、今回は本当にお世話になりました。感謝いたしております。東京の方も気になるんで、今夜は帰らせてもらいます。それにしても、浪江は息子が溺死したというのに、悲嘆にくれている様子がぜんぜん、まるでなかったですね。さずが、その筋の女というか」「いあや、尊広は長田隆と同じで家庭内暴力の絶えない男で、浪江も規子も生傷が絶えなかったそうです。二人とも幾度も家出を繰り返し、その都度、隆も尊広も侘びを入れて、もとの鞘におさまると言うパターンで。それに嫁も姑も、二人とも面子からか、行政に保護を求めんかった。まあ、民事不介入ということで、こちらも、ほっといたようです」
「戸籍では浪江が尊広の母になっていて、隆は尊広が生まれてから籍がはいってますね」
「これも密偵からの情報で、尊広は隆の子どもでは、なかったかも知れんちゅうことで。そのせいか尊広は幼児の頃から隆から酷いいじめにあっていて、体中、痣やタバコの焼けどのあとがあるっちゅう話です。それもあって、どうしょうもないワルになったと」
「そうだったんですか。すると、かりに尊広が隆の子でないとすると、実の父親は誰です?」「隆が関東に出っぱったときの義兄弟ではないか、という噂です」
「その義兄弟というのは誰ですか。名前分かりますか?」
「いやそれが、関東の部落出身者らしいっちゅうことしか情報がありません。浪江は当然知っているはずですが、父親は隆に間違いないっちゅうて最後まで吐きませんでした」
日本橋の串かつは梅地下と比べると、店の造りが瀟洒である分、具の大きさが小ぶりで上品だった。南條は梅地下のほうが、野趣があってうまいような気がした。それに、食べ放題の生野菜スティックのないのも、南條は不満だった。店のインテリアが淡いブルーに統一されていて、それなりに凝っている分、串かつの値段も高いことが予想された。南條は新幹線の最終の時間を確認し、満腹になる前にその店を切り上げることにした。小関にはいろいろと無理なお願いをしていたので、形式的な固辞はあったが、その店の食事代は南條が払った。南條の財布には新幹線代だけがかろうじて残った。小関とはその店の前で別れ、南條は地下鉄で新大阪に向かった。新大阪に着くと、新幹線のホームから明に送り届けた携帯電話に掛けてみた。十秒ほどして明が出た。
「お前、今日から泊まる所がないだろう」
「ええ。午前中の小谷署の事情聴取を終えて、能美さんに身元引き受けをお願いして、夕方前に舞浜の永山整形クリニックの私物を取りに行ったんですが、中に入れてもらえなくって、肝心の現金八十万円は証拠品で押収されてしまいまして、衣類は引き取れたんですが、手元には八万円足らずしかありません。おまけに、舞浜署でまた事情聴取を受けて。能美さんにまた身元引き受けをお願いして、たった今ここについたところです」
「なんだ、そんだけの持ち合わせがあるのか。それじゃ、今夜は勝手にしてもいいが、とりあえず、浅草ビューホテルに部屋をとってやっから今夜はそこに泊まれ。目が覚めたら、電話をくれ」と言い終えたところに新幹線列車が入線して来た。
翌朝、南條は8時前に墨田署に出署した。しなければならないことが、山ほどあった。刑事部の部屋の自分の机のファイルから、荒川区役所でコピーした古い小学校の教職員名簿を探し出して浪江の名前を探した。『野田浪江』の名前は、タイプ印刷の印字で、永山信子と同じ小学校にあった。日暮里の小学校近くの古本屋と看板屋で聞き込んだ情報と一致した。つぎに、パソコンを立ち上げ、メールをチェックした。目当ては、アナハイムの林博治からのeメールだった。関係のない迷惑メールを消し去ったあと、うっかり消去しそうになったメールのなかに林からの昨日付けのメールがあった。開けて読んだ。
@南條警部殿。大変ご無沙汰いたしております。日本人がこちらで容疑の対象となった保険金殺人は結局証拠不十分で無罪になりましたが、私は今でも有罪を信じています。殺害された女性の遺体はなんとか発見され、かなり白骨化した状態で、私が解剖したものの、マフィアに殺人を依嘱したようで、殺害時、容疑者本人は日本にいたというアリバイもあり、有罪にできなかったことは残念でした。欲求不満の状態が今でも続いております。日本ではどうであるか知りませんが、この国では有罪・無罪は弁護士の腕次第で決まります。有罪が濃厚であれば、司法取引で真実がかなり明らかになることもありますが、そうでない限り、真実は常に闇の中です。アメリカでは殺人のような重要犯罪には時効がないので、私は今でも折に触れ手がかりを探しています。ところで、先日のお問い合わせの件ですが、ジェイムズ・ノイマンは幼女ポルノと幼女誘拐殺人容疑で現在、ロス市警とFBIが内偵していて、いずれ逮捕されるだろうという内部情報を得ました。メンバーの一人が極秘に事情聴取を受けているようで、司法取引で、秘密を少しずつ暴露しているようです。先日土岐さんと入手した3411という廃車の登録ナンバーが鍵になって芋づる式に関係者が逮捕されそうです。3411はこの組織のパスワードになっていて、しかし、実際のパスワードは3789らしいのです。つまり、バカラ・ゲームのポイントのように、最初ひいたカードが3、次に引いたカードが4だと、ポイントは7、実際のゲームでは、7あると3枚目は引かないのですが、かりに引いたとして、1が来ればポイントは8、その次も1であればポイントは9で最強となります。メンバーは、インターネットが普及する以前は住所も名前も明かさずに、銀行の貸し金庫を使って、画像と現金を交換していたようです。例えば、ある町の銀行の貸し金庫をその町のメンバーが法人契約で、2名共同で借ります。もう一名は、画像の利用者で、主にポルノショップの経営者が多い。現在では、メンバーは自ら作成した画像を元締めであるジェイムズ・ノイマンに暗号メールで送信します。ノイマンはあるメンバーから来た画像をその他のメンバー全員に配信します。各メンバーは暗号解読ソフトを用いて、画像を解読し、適当な媒体にメモリーして、最終利用者に提供します。ここで重要なことは、メンバー間の取引はバーターだということです。つまりメンバー間では、現金の授受は基本的にないのです。画像を提供しないメンバーはノイマンからの配信を受けられません。画像を提供したメンバーは、ノイマンがその価値を認めれば、他のメンバーがノイマンに提供した画像を全て受信することができます。メンバーが何人いるのか不明ですが、先日の集会には十数名いたようです。その中に、日本人女性もいたので、先日ロス市警かFBIを通じて、警察庁に照会が行ったものと思われます。その日本人女性は脱会を申し出たらしいという未確認情報を得ています。ノイマン宅で年一回行われる会合は、品評会のようなもので、各メンバーの画像をお互いに評価します。陵辱殺人の状況の映像が最も評価が高いそうです。そこで、メンバーが提供した画像に投票で順位をつけ、低い評価の画像提供者から高い評価の画像提供者へ後日決済金が支払われます。ところで、メソポタミア文字のバッジは会員証のようなもので、3411の登録ナンバーは入会手続きか、メンバー登録のようなもののようです。番地が3411であるのはノイマンとアメリカ以外のメンバーだけで、それが入会の条件だそうです。例えば、アパートメントなら、3階の411号室とか、34階の11号室とか。住所を特定して、監視する目的があったのではないかと思われます。つまり、存在していることが組織にとって不都合になった場合は、抹殺するのが目的であろうと、ロス市警は推理しています。いずれにしてもマフィアの影がちらついているので、事件全体はかなり大規模なものになると考えられます。南條刑事は、この3月末に定年退職とうかがっています。退職後も、ご活躍されることを祈念しております。林博治@
メールを読み終えて『番地が3411であるのは、ノイマンとアメリカ以外のメンバーだけ』という箇所の意味が理解できなかった。長田の住所は十一丁目四番三号だし、永山クリニックの住所は一町目四十一番三号だった。数字は同じものが入っているが違うと考え始めたところで明から電話があった。
「起きたか。これから、舞浜署に行くんで、拾ってやっから、朝飯を済ませて、ホテルのラウンジで待っていてくれ」と言い終えると南條はホワイトボードの自分の名前のところに舞浜署と殴り書き、刑事部の部屋をあとにした。玄関で後輩の警部補の斉藤元に会った。
「例の水野栄子の保険金の行き先と、平野慶子の保険金の支払い状況の確認を頼む」
「今取り掛かっている事案の合間にやっときますが、これから舞浜で?大変ですね」
「馬鹿言え。何が大変だ。これが俺の商売だ」
「いや、でも、水野栄子と平野慶子と舞浜の事案の関係が良く分からないのですが」
「いま忙しいんで、今夜にでも、ゆっくり説明すっから」と言い捨てて、南條は墨田署裏の駐車場から赤い軽自動車に乗って、浅草ビューホテルに向かった。十分ほどで着いた。浅草ビューホテルの前に明の姿は見えなかった。南條は、国際通りの反対側に車を止めると横断歩道を渡った。ホテルロビーに入ろうとしたところで明が出てきた。明は黒いショルダーバッグを肩から提げていた。それが、いまのところの全財産だった。
「お前は今日から、俺の定年の日まで、俺の私設助手だ。給与は出せないが、食事と交通費は面倒見っから、ついてきてくれ」
「小谷署や舞浜署からもまた呼び出されるかも知れないので、その節はよろしく」
「とりあえず、これから舞浜署だ。こっちから行ってやれば面倒はないだろう」
二人は、南條の赤い軽自動車で舞浜署に向かった。三十分ほどで、舞浜署についた。担当の刑事は高橋と言った。骨太の痩身で三十前後のリーゼントの刑事だった。舞浜署には既に、永山奈津子の死体遺棄と長田尊広の水死についての小谷署との合同捜査本部が設置されていた。墨田署長からの申し入れがあり、両事件の中心的な人物であると誰もが認めていた南條はメンバーからはずされていた。そこで、高橋が陪席を求めてきた。陪席の場合、意見を求められれば発言できるが、そうでなければ黙っていなければならない。南條は高橋に捜査会議の資料の提供のみを求め、陪席を断った。
「会議に出てもらえないですかね」と高橋は南條に哀訴した。
「老兵は死なず。去るのみだ。未練がましいんでここにいる。聞きたいことがあればなんでも答える。いまさら口を挟んでもしょうがない。あんたらのやりたいようにやってくれ」「そうですか。それじゃ、本部長にそのように伝えます」と高橋は未練ありげに言って、小さく会釈して会議室に去った。南條と明は舞浜署の一階玄関脇のベンチで捜査会議の終了を待った。南條は軽いいびきをかいて居眠りを始めた。明は手持ち無沙汰をまぎらわすために、携帯電話でゲームに熱中した。十時を回った頃、高橋が南條の前に現れた。「申しわけない。南條さんを会議に入れるなという墨田署長の意図がよくわからないです」「いいの、いいの。本来なら署内謹慎の身分だからこうして外出を黙認してくれただけでありがたい。署長も個人的にはメンバーにねじ込みたかったようだが彼も立場があるからね。若いワリにはよくできた御仁だ。キャリアの星だよ」
「これが捜査資料で。南條さんのコピーをもらってきました。何かご意見をいただければ」
永山奈津子とその子の信夫と長田尊広の司法解剖の結果が報告書になっていた。高橋は報告書をめくりながら、南條に説明した。明はそのかたわらで傍聴していた。
「永山奈津子は頸部圧迫による窒息死です。これは、小谷署からの報告です。殺害方法は、両手による頸部圧迫で、頸部に鬱血の痕があります。いわゆる扼死です。ほかに、顔に暗紫色の鬱血、鼻と口から出血、唇のチアノーゼ、以上より、死因を扼死と断定しています」と言いながら、高橋は写真を取り出した。白皙の喉元に半径4センチと3センチほどの暗褐色の鬱血があった。写真で見て右側、奈津子の首の左側の鬱血のほうが少し大きかった。「永山奈津子には死斑が観察されています。体表の両面に見られるので、死後、死体が動かされていることが確認されます。死斑退色が見られないので、角膜の混濁の程度、直腸温度から、発見した時点では死後十五時間以上と推定されます。全身に死後硬直が見られることからも、死亡推定時刻は当日の午前一時ごろから午前六時ごろ、となっています」
高橋の説明を聞きながら、きょとんとしている明を見やって南條が解説した。
「死斑は血流が止まることで重力に従って体の下にできる。死体を動かさなければ下になっている方にだけ死斑ができる。死後十時間以上経過すると血液が次第に凝結してくる。だから凝結する前であれば指で押すと死斑の色が薄くなる。これを死斑退色と言うんだ。永山奈津子の場合は死斑が体表の上と下に見られたので、死後、動かされているということだ。まあ、お前が運んだんだから言うまでもないが。おっと、これは秘密だったな」と言いながら、南條は高橋の顔をうかがっている。高橋はわざと知らん振りをしている。
「死後硬直は、筋肉の硬直で起こるんだ。個人差がかなりあるんで、これだけで死亡推定時刻を断定することはできないが、まあ一般的に死後二、三時間で徐々に始まり、六、七時間で全身に広がる。ピークは、死後十五時間足らずかな。ただし、殺人の場合は、もう少しピークが早くて、半日程度が目安だ。目の角膜は、死後水分補給がなくなるんで、次第に白濁する。眼圧が低下し、半日を経過すると、混濁が顕著になって、徐々に瞳孔が見えなくなる。死亡推定時刻で、一番精度の高いのは直腸温度だが、これも外気の温度によって異なるんで、外気の温度が分からないと、精度も落ちることになる」
「あの、いいですか」と明が遠慮がちに口を挟んだ。南條の解説が止むのを待っていた。「奈津子を殺害したのは長田だと思います。喉の鬱血を見ると、右側の方が大きいでしょ。長田は右利きだから、間違いないと思います。長田はタバコに火をつけるとき、いつも右手でライターを持っていましたから」
「右利きは五万といる。それだけじゃ、長田が永山奈津子殺害の真犯人とは言えねえな」とたしなめるように南條が言う。「それにこれは左利きの特徴だ。馬乗りになって首を絞めるとき、特に永山奈津子のように細い首の場合は、親指がクロスするのが自然だ。親指をクロスさせないと、肘がまっすぐに伸びないんで、力が入れにくい。お前の言うように、右手の親指で、永山奈津子の喉の左側を押さえつけると、手首が折れて、上からのしかかったときに、体重が指先にのりにくい。そういうやり方は、どう考えても不自然だ。ちょっと、やってごらん」と言われて、明は首を絞めるまねをした。確かに、上からのしかかって体重を指先に預ける場合、親指をクロスさせた方が、力を入れやすい。指圧するように、右手の親指を相手の左側の喉もとに押し付けると、手首が折れて体重を乗せづらい。
「なるほど。すると、永山奈津子の首を絞めたのは左利きの人間でしかも、長田尊広ではないということですか」と明は幾度もうなずいた。
「でも、ちょっと気になることがあるんですよね」と高橋が話題に参加してきた。
「絞殺死体の写真はいくつか見ているんですけど、喉の鬱血は大体、顎の下が一般的なんですよね」と言われて南條も同調した。
「そう言われりゃそうだ。馬乗りになって力一杯首を絞めれば両手は自然と顎の下に行く。この写真だと、首の真ん中あたりになってるな」と言いながら南條は首をひねっている。
「両手首にも鬱血がありました」と高橋は同じサイズの写真をみせた。青白い手首に汚れた腕輪のような鬱血が見られた。南條が口を開いた。「ということは、一人が永山奈津子の両手首を抑え、もう一人が馬乗りになって正面から首を絞めたということか」それを聞いて高橋が遠慮がちに言う。「その可能性もありますが、最初両手首を押さえ込んで格闘し害者が疲労困憊して力尽きて抵抗力がなくなってから害者の両手を両足で押さえつけて、喉を絞めたとも考えられます。害者の爪をチェックしてみたんですが加害者の物と思われる皮膚の断片は見つかりませんでした。長田尊広の爪からも永山奈津子の皮膚の一部とおもわれるような断片は発見されませんでした。これはあくまでも見た目ということですが。まあ、爪を立てなければ、皮膚の断片がなくても、それは、それで辻褄は合うんですが」
「ということはDNA鑑定に回されている検体はいまんとこ、ひとつもないということ?」
「いまのところそうです。永山奈津子が性的暴行を受けたという所見もありませんでした。二人の司法解剖はかなり時間を掛けてやってみたようです。永山信夫は簡単だったようですが。この男の子は溺死です。かなり海水を飲んでいました。鼻と口からきのこの形をした泡が観察されています。それに対して長田尊広はあまり海水を飲んでいなかったようです。また、体内からモルヒネが検出されました。推定量は0・5グラムで致死量です」
「でも、海水を多少飲んでいるんでしょ」と南條が確認した。
「多分致死量のモルヒネを打ってから車に乗り虫の息になってから海に突っ込んだようで。致死量と言ってもモルヒネは少量であれば鎮痛剤ですから個人差はありますが打ってから数分から数時間後に死に至るようです。それからモルヒネの注射痕が両腕にありました」
「モルヒネを麻薬として自分で打ったのなら両腕に打つことはないだろう。とういうことは長田は殺害された。もう一人いたんだ。最初に長田ともう一人の犯人が永山奈津子を殺害し、そのあとで、長田がモルヒネで殺害された。したがって、そのもう一人の犯人は三人殺したことになる。その犯人は、虫の息になった長田尊広をBMWに乗せ、港から転落させた」と南條は呻くように話しながら、明の顔を見た。一瞬、二人は目を見合わせた。
「土岐君、一昨日の夜、奈津子と尊広以外の人間が永山整形クリニックにいなかったか」
「いたかもしれませんが、全く気付きませんでした。だいたい永山奈津子が殺害されたことすら、全く気付かなかったんですから」と明が言うと高橋の目に険が走った。
「害者の家に同居していたというのはあなたですか?昨日誰かが事情聴取したとか言ってましたが」と言う高橋の声に突き刺さるような棘があった。
「ごめん。紹介が遅れた。この青年は俺の助手で土岐明というんだ。この事件の内偵をずっとお願いしていたんだ。あんたにはまだ詳しく言ってなかったが今回の事件は奈津子と尊広の死だけにはとどまらない。まだ捜査中だが大量連続殺人事件に発展する可能性がある。土岐君は完全犯罪になりかけていたその事件を発掘し、その端緒を開いた、いわば功労者だ。奈津子と尊広の死も、土岐君に追い詰められた結果と言えないこともない」
「しかし、害者と同居していたとなれば、重要参考人じゃないですか」と高橋が気色ばむ。「今言ったことは、昨日の夕方、担当の刑事さんにここで全部お話しました。南條警部補が身元保証人になってくれたのでとりあえずいまこうしているわけです」と明は弁解するように話したがどうもそう言わなければならない自分に納得がいかなかった。高橋はすぐに話題を変えた。「そろそろ長田尊広の母親とかみさんが新幹線で遺体引き取りに来るようです。南條さんは昨日大阪府警の小関さんと二人の事情聴取に立ち会ったんですよね」
「母親の方だけ途中から立ち会ったけど、かみさんの方は取り調べ調書を読んだだけで」「そうですか、昨日ファックスで送られてきたので、ざっと目を通しましたが、こちらでも、少し聞きたいことがあるので、隣の部屋で見ていてもらえますか?何か聴きたいことがあったら内線でお願いします」と高橋は南條に懇願するように言う。
「鏡の裏で?」
「ええ。事件をずっと追い続けていて核心を突く尋問があれば内線で。番号は14です」
「いいでしょう。で、この青年も隣の鏡の裏の部屋に置いといてもいいですか?」
「それは、構いませんが」
三人は二階の取調室の隣の部屋に移動し、浪江と規子の到着を待つことにした。その部屋は3畳ほどの細長い部屋だった。廊下から見ると、掃除道具でも入っていそうな隠し部屋だった。机がなく、折りたたみの椅子があるだけで、隣の取調室がガラス越しに見えた。
「このガラスはマジックミラーで向こうからは鏡になっています」と高橋が言う。南條はそれを聞いていない。「長田の母親とかみさんはどうやってくるんです?」
「覆面パトカーで東京駅まで迎えに行ってます。現在のところ、一応、遺族という扱いなので。それに長田尊広の遺体確認をまだしてもらっていないので」
ずっと影の薄かった明がそこで質問した。「遺族の承諾なしに解剖していいんですか」
南條が明と高橋の目線の間に顔を入れ、つまらない質問をするなとばかりに、それに答えた。「事件性のある場合は、司法解剖をするんで、遺族の承諾は要らない」
高橋が南條の大きな顔を少しよけて明を見た。「多分、東京駅には既に着いた時間なので今頃は病院の霊安室で、解剖の終わった遺体の確認をしている頃だと思います」
「永山奈津子の遺体も同じ病院ですか?」と明が聞いた。明の中では奈津子はまだ死体になっていなかった。生々しいときめきの思い出が心の中に渦巻いていた。
「いえ、彼女の方は遺体を引き取ってくれる遺族をまだあたっているところです。母方の兄弟も父方の兄弟も、皆亡くなられていて。そうすると従兄妹になるわけですが日頃から交流が全くなかったみたいで引き取ろうという人がいません。男の子もいるので面倒です」
「そうするとどうなるんですか」と明は心配そうに聞いた。
「両親のお墓のあるお寺にお願いして、荼毘に付してもらうしかないだろうと思います。火葬の費用は警察で出すことになります。いずれにしても、明日には火葬することになると思います。こういうのって、坊さん、いやがるんですよね。カネにならないし、といって断ることもできないし、喜んで、ねんごろに弔うのが、坊さんのあるべき姿だと思うんですが、いまどきの坊さんは宗教家ではなくって、みんな、職業としてやってますからね」
そのとき隣の部屋のドアを開ける音がして若い刑事に連れられて浪江と規子が入ってきた。マジックミラーになっていて向こうからは見えないと分かってはいても、視線が合うとどっきとする。高橋が南條に軽く会釈して、その部屋を出て行き、隣の取調室に入った。
「遠い所、ご足労です」と高橋が最初に口を開いた。部屋の隅の机で、若い刑事が壁に向かってメモを用意している。長田浪江はいきなりタバコを取り出し、右手でライターの火をつけた。長田規子はきょろきょろと部屋を見渡し、鏡を凝視した。南條と明は規子に見られているような感覚に襲われた。
「午後にでも火葬にということだったのでご希望通り町屋の火葬場を午後一時に予約しておきました。お坊さんは要らないということだったので、導師をお願いしていませんが」
「坊さんね、あんな者はいらない」と言いながら浪江は鼻から煙を吐き出した。
「遺体を確認して、何か気になることはありましたか?奥さん、いかがです?」
規子はオレンジのトルコ生地のフラワーアートジャケットにオリーブのドレープパンツで、落ち着かない様子だ。薄ねず色の鉄格子のあるすりガラスの窓をながめている。
「特に何も」と初めて口を聞いた。それを見て、南條が小声で明に話しかけた。
「あのかみさん、亭主が死んだというのに悲嘆にくれている風情が全くないな。母親もそうだが。表情も泣いたような跡もないし。目元も腫れぼったくなくてすっきりしているし」明も小さい声で南條に語りかけた。「なんで昨日遺体を引取りに来なかったんですかね」
「多分、連絡が行ったのが昨日の午前中だったんで、どうせ東京に来るなら、ついでに、火葬も済ませようということで。火葬場は今日しか予約が取れなかった、ということかな。遺体を大阪まで運んで火葬にするとなると、それなりに大変だが、骨にしちまえば、新幹線で帰れるし、カネも、たいして掛からん」
「ふうん。そういうことなんですかね。一人の人間が死んだというのに。それも身内の」「その人間と死ぬまでにどういう接し方をしてきたかということだ。人様々だ。死に方も様々だ。あの二人を見ていると、長田尊広は既に、とうの昔から二人の心の中には、いなかったような感じだ。重荷が取れたというか。せいせいしたというか。厄介払いができたというか。二人ともそんなすっきりした顔してる」
高橋の二人に対する聴取は続いている。「奥さんかお母さんかどちらでもいいんですが、旦那はいつごろこちらに来たんですか?」
一瞬、嫁と姑がお互いを見合って、浪江が答えた。「去年の夏あたりから、ときどき」
「用件はなんですか?」
「さあ?」
「さあって。知らないということですか?」
少し沈黙があって、今度は規子が答えた。「浮気していたんです」
「誰と?」
「永山奈津子と」
「じゃ旦那は浮気のためだけに、ときどき大阪から東京まで来ていたということですか?」
高橋の言い方には、それを信じていない、というニュアンスがある。
「そうです」
「ということはあの男の子は旦那と永山奈津子の間にできたということですか?そうなら、あの男の子はお孫さんということになりますね」と言いながら高橋は浪江の顔を見据えた。
「そう思うならDNA鑑定でもしてみたら」と言いながら浪江は灰皿に灰を落とす。
「3人の検体は保管してあるので捜査状況によってそうすることもあろうかと思います」
隣の部屋で話をそこまで聞いていた南條は内線で取調室に電話を入れた。
「はい、取調室」と出たのは、部屋の隅でメモを取っている若い刑事だった。
「ちょっと、高橋刑事を出してもらえますか。南條といいます」ガラス越しに、若い刑事が高橋に受話器をあげるのが見える。高橋は椅子を引いて、座ったままで受話器を受取った。マジックミラーに背を向けている。
「南條です。ちょっと、麦茶か何かをそちらに差し入れてもいいですか」
「お茶なら、ここにもありますが」
「そうですか。ちょっと、気になることがあるので、お二人さんに、お茶を出してもらえますか。そのとき、茶碗は二人の体の丁度まんなかに出してもらえますか?」
「ちょうど?」と高橋は復唱しかけてやめた。二人にきかれてはまずい情報であることを察知したからだ。南條も、しっと言いかけたが、やめた。
「わかりました。そうします」と言って、高橋は若い刑事に受話器を返しながら、
「そのポットにお湯、はいっているかな」と若い刑事の机の上にあるポットを指差した。「さあ」と言いながらその刑事はポットを持ち上げて、ゆする。
「はいっているようです」と小林が答えるのを待って高橋は「申しわけないが、お茶を三ついれてくれるかな。君も飲みたきゃ、四つだ」
小林はお盆の上に茶碗を四つ並べ、急須にお茶葉を入れ、ポットのお湯を注いだ。暫くして急須のお茶を四つの茶碗に注いだ。一つの茶碗を自分の机の上に置き、残りの三つの茶碗をお盆に乗せたまま高橋の傍らに運んだ。お盆から茶碗をおろそうとしたとき高橋がそれを制した。高橋は二つの茶碗を二人の女の体の正面に置いた。机が一人用なので浪江と規子は机の面から少しはみ出して座っていた。高橋の動作を見ながら南條が明に語りかけた。「長田浪江は多分右利きだ。さっき右手でライターに火をつけた。だからタバコを持っていなければ、体の正面の茶碗を右手で取るはずだ」と言われて明は、二人の女の手元を注視した。南條の言った通り、浪江は右手でタバコを揉み消し、その右手で茶碗をとって、左手を添えて、お茶を飲んだ。規子は左手で茶碗を取った。そのとき、南條の右手が、明の背中を強くたたいた。「永山奈津子の首を絞めたのは規子だ。規子の親指の形と奈津子の喉元の鬱血の形状が多分一致するはずだ。あとは、動機だ」
「浮気ですか」
「そうかも知れん。既に、語るに落ちてはいるがな。ろくに愛してはいなくても、浮気されると憎悪がつのる。女のコケンというやつかな」
高橋はお茶を啜りながら取調べを続ける。「お二人は永山奈津子と面識はないんですか」
「ありません」と規子が二人を代表するように否定した。
「では、ご主人の浮気はどうして分かったんですか?」
「あの人は、トイレで用を足すのと同じで、毎晩でも女がいないと眠れないタチなんです。でも商売女は大嫌いなので頻繁に外泊すれば、浮気以外にはないんです。あとは勘です」
「じゃあ、その浮気の相手がなんで永山奈津子と分かるんです?」
「だって、一緒に生活していたんでしょ」
「じゃ、そのことは知っていたんですか?」
「ええ、なんとなく」
「それはおかしい。さっき、永山奈津子とは面識がないと言ったでしょ。面識がないのに、旦那が永山奈津子と同棲していたと、なんで分かるんですか?」
「それは大阪の刑事さんに言われて、そうじゃないかと」と規子は言葉に詰まり、浪江の顔を見る。浪江は疲れからか項垂れている。ふて腐れているようにも見える。灰皿のタバコが消えきらずに煙を上げている。高橋も小林もひと仕事終えたように肩を落とし、沈黙を守った。隣の部屋の南條と明も固唾を呑んで、浪江の口元を凝視した。浪江は2本目のタバコを口にくわえた。右手でライターで火をつける。
「それじゃ、一昨々日と一昨日はどちらにいましたか」という高橋の問いに二人はまた憮然として顔を見合わせる。高橋が問い直す。「それじゃ、お姑さんの方から」
「私は毎日朝から晩まで一日中一人でテレビを見ているんで、一昨々日も、一昨日も夜の十時ごろには、ベッドに入って、枕もとのテレビを見ながら眠ったと思うけど」
「そうですか、で、奥さんの方は?」
「私は一昨日も昨日も遅番で、昼ごろから夜の九時までUSJにいました。終業が九時なので、それから作業着を私服に着替えて、自宅に帰ったのは多分、十時近かったと思います。いつもの時間です。それから、お風呂に入って、軽く夜食を食べて、寝たのは、多分、十二時近かったと思います。いつも見ている夜のニュースが、終わったころだったんで」
「お姑さんが寝ていることは確認しましたか?」
「帰ったとき玄関でただいまといって、二階のお母さんの部屋からテレビの音が聞こえたので、もう休んだんだろうと思って、昨日も一昨日も、夜は顔を直接合わせていません」
「お姑さんの方は、奥さんが帰宅したのを確認しましたか?」
「ええ、『ただいま』というのを、ベッドの中で聞きました」そこで南條が小さく唸った。「待てよ。長田規子のアリバイが成立すれば奈津子の首を絞めたのは誰だ?長田尊広が殺害されているとすれば誰が殺したんだ?浪江か」と自問自答しながら南條はその小部屋を出て廊下で携帯電話で大阪の小関を呼び出した。「南條です。昨日はお世話になりました。長田規子の調書にもあったんですが一昨々日と一昨日のアリバイの裏は取れてんですか」
「長田規子ですね。午前中にあの嫁の裏はとってあります。長田規子の方は両日とも遅番で、正午から午後九時まで出勤しています。出勤簿で確認し、上司と同僚の証言を得ています。姑の方は誰とも接触していないようで、アリバイの裏は全く取れていません」と言う小関の声の背後に交通の雑音が入る。どうやら出先のようだ。そこに明が迷子のようにきょろきょろしながら小部屋から出てきた。
「そろそろ、終わるみたいですよ」と言われて南條は携帯電話を切りながら、隠れることを考えた。とっさに思いついたのは、廊下の突き当たりの男子トイレだった。
「ちょっと、トイレに行こう」明もちょうど用を足そうと思っていたので、南條の提案に従った。トイレに入ると南條は取調室の高橋を携帯電話で呼び出した。
「いま同じフロアの男子トイレにいるんですが、そこのお二人さんのこれからの予定は?」
「とりあえず一旦終わることにしました。これから証言の裏を取るんですが二人とも遺族と言う立場なんで病院に寄って遺体を引き取ってそのまま、火葬場に連れて行く予定です。火葬場はこの地元でなくって、町屋を希望しているんで、どこかで昼を食べて、二時までにはワンボックスカーで、町屋に行く予定です。なんか、その近くに親戚がいるようです」
「長田尊広の親戚?」
「まあ、そうでもあるんでしょうが、長田浪江のいとこのようです」
その会話を聞きながら、明は小用をたしていた。彼の頭の中では、様々な人間のタイム・スケジュールが錯綜し、混乱の極みにあった。明は「奈津子の首を絞めたのはどっちなんですかね」と隣にやってきた南條に話しかけた。
「これから調べよう。我々は先回りして町屋の火葬場に行って駅前でメシでも食おう」
町屋まで、1時間足らずを要した。明と南條は、火葬場の駐車場に軽自動車を停め、町屋の都電の駅の近くの中華料理店で昼食をとることにした。店は四人掛けのテーブルが四つあるだけで客は二人だけだった。南條が六百円のタンメンを注文すると明もそれにのった。南條の財布の中身に気を遣って明は千円の定食を注文できなかった。注文した後南條はiモードで検索を始めた。明はその画面に興味があったが我慢した。何を調べたのか南条から説明があるだろうと思った。南條のiモード検索は二、三分で終わった。
「タンメンは塩味だから、その店のスープの味が一番良く分かる」と言いながら南條は駅前で受取ったサラ金のポケットティッシュから広告の紙を取り出し、メモを書き始めた。
「奈津子が扼殺されたのは一昨日の午前一時から午前六時ごろの間だ。浪江と尊広の二人が殺害したとすれば浪江にはアリバイがないから時間的には問題がない。しかし浪江には動機がない。動機があるとすれば規子だが、前の日の午後九時にUSJの仕事を終えて、新大阪発の東京行きの最終の新幹線に乗車するのは無理だ。今調べたら新大阪発は九時二十分だ。夜行バスという手があるが、これも今調べたが、東京着が午前七時すぎだ。それから舞浜にタクシーを飛ばすとしても8時近くになる。ついてすぐ殺害というわけにはいかないだろうから殺害可能時刻は8時過ぎとなる。しかし検死の死亡推定時刻は午前一時から六時の間だ。まあ、直腸温度による推定は、外気温度で誤差が出てくるので、一、二時間は誤差の範囲内ではあるが」と言いながら、南條は店の壁に貼られているメニューに目をやった。つられて、明も見るともなしに、メニューが書き込まれている壁の模造紙に目をとめた。しろうとっぽいマジックの縦書きで、二十ぐらいのメニューが並んでいた。
「それに規子はその日も昼から遅番の仕事をしているんですよね。奈津子を殺してとんぼ返りで昼からUSJの仕事に就く。できないこともないだろうけど僕が起きたのが午前九時過ぎだから、随分と危ない橋を渡っていることになりますね。僕の部屋は外から鍵が掛けられるけどその日は掛かっていなかったし。夜行バスでなくて車だったらどうでしょう」
「車なら、大阪東京間は飛ばせば五、六時間か。夜9時に仕事を終えて、その足で、車で名神、東名を乗り継げば、午前三時か四時には東京に着くな。まあ、多少、ゆとりをもってみても、午前五時には永山整形クリニックに着くな。それなら、犯行に一時間掛けても午前六時過ぎには、東京を出発できるか。しかし、車はBMWしかないし、そのBMWは長田尊広が東京へ乗っていっているから。レンタカーか。そうかNシステムでチェックするか」そう言うと南條は墨田署の斉藤に携帯電話を掛けた。なかなかでない。やっとでた。
「申しわけないが、永山奈津子が扼殺された日の東名高速の上りのNシステムで、長田規子が通っていないか、チェックしてもらえないかな」
「車種と登録ナンバーは、分かっているんですか?」と斉藤はなんとなく迷惑そうだ。
「それが分からない。レンタカーだとは思うんだが」
「そうすると、顔写真で照合するしかないですね。顔写真だと精度が落ちるので、見落とす可能性が大ですが、やってみましょう。で、顔写真はどこで入手すればいいですか?」「大阪府警の小関さんから添付ファイルで入手してくれ。USJから入手しているはずだ」
「分かりました。その写真とレンタカー登録ナンバーの『わ』と『れ』で検索してみます」
「すまない。東京に一番近い地点のNシステムで時間は午前一時から午前七時ごろまでで」「帽子をかぶって眼鏡を掛けてマスクでもしてたらお手上げなので期待しないで下さい」
「わかっている。さきに予防線をはるな」と答えて携帯電話を切ったものの、南條の顔色はさえない。斉藤の言う通りだからだ。南條は思い直して大阪府警の小関に電話をかけた。
「あ、南條です。たびたびすいません。お手数で申しわけないんですが、永山奈津子が殺害された前日の夜、長田規子がレンタカーを借りていないかどうか調べてもらえますか?」
「レンタカーは免許証提示で、偽名は使えないから1時間程度で分かるでっしゃろ」
「お願いします。それから、墨田署の斉藤という者が、長田規子の顔写真をお願いする電話を掛けてくると思うんで、そっちのほうも、よろしくお願いします」と携帯電話を耳に押し当てて、幾度も米つきバッタのように頭を下げているところに、タンメンが運ばれてきた。不ぞろいにカットされた野菜が麺の上にばら撒かれていた。鮮度の悪そうなしなびた野菜でスーパーの野菜ゴミを煮込んだような印象だった。南條が最初にスープを飲んだ。
「薄いな。出汁の味がしない。野菜の煮汁という感じだ。まだ昼だから、朝作ったスープがなくなるとは考えられない。ということは、昨日の残りのスープに水を混ぜたんだな」「まあ、六百円だから、こんなもんでしょう」と明は厨房から首を出している店主を気にしながらそう南條をなだめた。時折、都電の発着する音が響く。南條はまずそうに顔を顰めながら食べ続け、スープを全て飲み込んだ。
「野菜スープに麺が混じっているというのも悪くないな」と言いながら千円札と百円玉2枚をテーブルの上に置いた。明がスープをほとんど残しているのを見て「お前は欠食の経験がないな。飽食の世代か。俺はガキの頃、食い物を残すと親に殴られたもんだ。どんなにまずいものでも一粒でも一滴でも残すということができない。おかげで見ろ、メタボリックシンドロームだ」と言いながら南條はぽっこり突き出た下腹を手のひらで叩いて店を出た。都電の線路端にはさわやかな春のきざしが漂っていた。尾竹橋方面に続く商店街に人通りは殆どなく、駅前のパチンコ店にも客の自転車が十数台あるだけだった。片側一車線の道路を行きかう自動車も商用車ばかりで惰性で走っているような感じで、どこか覇気が感じられなかった。二人は尾竹橋通りを路地へ右折して、軽自動車を駐車させた町屋の火葬場に向かった。
「恐らく、何千、何万という遺族や関係者がこの道を歩いたはずだ。いや、何十万、何百万かな。そういう人たちの悲痛な足取りでこの道路は踏み締められている。足の裏の方から、やるせない情念が湧き上がってくるようだ」と言われて、明はアスファルトの道路を見回したが、そういう情念の気配すら見当たらなかった。「そうですか。僕にはただの道路に見えますが」
「まあお前はまだ若いからな。生きてゆくということは知り合った多くの人々の死に目に立会い続けるということだ。人の死が自分の生の節目を刻んでゆく。思い出を共有すべき人が、思い出を語り合うべき人が、一人また一人と死んでゆく。それが生きるということだ。失恋や離婚は死に等しい。もう同じ心で会えなくなるんだから。だから悲しい」
南條の愚痴めいた話が終わる頃、火葬場に着いた。受付で長田尊広の火葬を確認した。
「お前は、数日ではあったが、長田と同じ屋根の下で生活したんだから、線香の一本でもあげても罰は当たらない。結婚式は招待されなければ、行ってはいけないが、葬式や火葬は突然のことだから、押し掛けて行っても構わない」
「でも、香典袋の持ち合わせがないんですが。それに、平服だし」
「まあ、骨を拾うだけだからいいだろう」
そう言いながら、南條は『長田家』と書かれた狭い待合室に入った。まだ、誰も来ていなかった。高橋刑事は長田浪江と規子の嫁姑と警察のワンボックスカーで尊広の棺とともに司法解剖を行った病院から、そろそろやって来る時間になっていた。南條は高橋に確認の電話を入れようとして止めた。運転しているかも知れなかったからだ。明は所在がないので、テーブルの上においてある茶器で、お茶を淹れて飲んだ。出がらしのようなまずいお茶だった。二杯目のお茶を飲もうとしたとき南條の携帯電話が鳴った。
「はい、南條です。そうですか、着きましたか。わかりました。すぐそちらに向かいます」
告別室での導師の読経が省略されて、いきなり火葬が始まることになった。南條と明が大理石の敷き詰められた炉前ホールに辿り着くと、火葬炉の扉の前に、高橋と長田浪江と規子が喪服に着替えて、既に来ていた。洗いざらしの白いワイシャツと黒いネクタイを締めた隠坊が、白い手袋の両手を動かして、なにやら能書きを垂れていた。話し終えると「はい、故人との、最後のお別れです。長田尊広さまの、お顔を見て、あげて下さい」と言いながら、台車の上の棺の小窓を開く。首から下げた真珠のネックレスをたらして、のぞき込んだのは、長田浪江と規子の二人だけだった。てかてかで、つんつるてんの喪服に身を包んだ高橋は両手を前に結んで、かたわらに神妙に立っていた。明と南條は高橋から少しはなれて、居心地の悪そうに立っていた。規子がその二人を不審そうに一瞥したので、高橋が二人を紹介しようとしたが、南條が手を横に振った。隠坊が台車を炉の中に入れ、炉の扉を閉めた。それと同時に、隠坊の誘導で全員が待合室に引き上げた。炉前ホールを出た上り階段の脇で、高橋が前に出て南條と明を浪江と規子に紹介した。
「すいません、紹介が遅れましたがこちら墨田署の南條刑事です。この若い方は助手の」と言い澱んだところを南條が卒なく引き継いだ。
「浪江さんとは、大阪府警でお会いしましたね。この助手は土岐明と言いまして、永山整形クリニックで数日間、尊広さんと生活を共にした男です。見ず知らずの他人ではないので、お骨を拾わさせてあげて下さい」
待合室に入ったときテーブルの上に飲みかけの湯飲みが二つ出ているのを黒いパンプスを脱ぎながら規子は怪訝な目付きで見た。それを察知した明はテーブルに腰掛けながら、それを自分と南條の前に置きなおした。それを南條がおやっというような顔でみている。「海水につかっていて、少し水を飲んでいるので、多少余分に時間が掛かると思います。病死した老人の場合、元々水分が少ない上に、最後に水分を取れない状態があって、臨終となると、一番早く焼きあがるようです」と高橋が沈黙をにごした。
「葬式もそうですが火葬場もあまり来たくはない所です」と南條がポツリと言った。ならなんで来たと浪江が言いたげに、野球帽を脱いだ南條のまばらな頭髪を見上げたとき、いまにも倒れそうな小柄な老人が杖をつくのもやっとという様子でひっそりと待合室に入室して来た。すぐ、倒れこむようにして椅子に腰掛けた。
「中田さん」と浪江が若やいだ声を上げた。土気色の死相の出ているような老人だった。腰が折れ背中が少し曲がり、そうでなくても高くない身長が子どもぐらいの高さに見えた。
「中田、と言います。長田浪江さんのいとこにあたります。故人の尊広君とは、ほとんど、面識らしい、面識がないんですが、たまたま、町屋に、住んでいるもんで、今日は故人にお別れするというよりも、浪江さんに会って、慰めるために、老骨に鞭打って来ました」としわがれてかすれて、かろうじて聞き取れるような声で言った。浪江が三人を紹介した。「向かって一番右の方が、舞浜署の高橋刑事さん、その隣の方が、墨田署の南條刑事さん、一番左端の若い人が、南條刑事さんの助手の土岐さん。嫁の規子は知っていましたよね」「なんと皆さん、警察の方ですか。まあ、あまり、お世話にはなりたくないもんですが」と肩で息をするようにして言う。その間、規子が甲斐甲斐しく全員にお茶を淹れていた。お茶を淹れ終えたところでポットのお湯がなくなった。規子の茶碗だけカラになっている。「あのう、失礼ですが、中田さんと浪江さんとは、どういうおいとこ関係なんですか?」と高橋が弔問客のとむらいの目ではなく、刑事の嫌疑の眼で聞いた。それに浪江が答えた。「私の母の姉の長男になります」
「お住まいは、ずっとこの近くで、町屋なんですか?」と今度は南條が思案顔で質問した。「ええ、戦後からずっと町屋です。本革の鞄を作っていたんですが、ビニールや合成革や模造品にとって代わられて、もう、ずいぶん前に仕事がなくなって、いまはほそぼそと、修理専門で、年金で、かつかつの生活をしています」と中田はすだれのように垂れ下がった白く長い眉毛の下から、南條をちらりと見上げた。
「永山奈津子、という人をご存知ですか?」と南條が聞くと、中田の窪んだ目が泳いだ。ちらりと浪江と視線を合わせた。
「いいえ。どういう人ですか?」
「長田尊広に殺害されたと思われるんですが、その息子の男の子ともども、遺体の引き取り手がいないんです」
「そうすると、どうなるんですか?」と中田は首を上げて、痩身を少し前に乗り出した。それに呼応するかのように、南條が猿面冠者のような中田の顔をじっと見ながら答えた。「彼女の両親の墓が谷中にあるんでそこに入れることになろうかと。火葬費用は警察が出さざるを得ないんで。行旅の場合は大手の葬儀屋がボランティアで無償で葬儀一切をやってくれるんですが、兎に角安くあげて。警察もこのところ予算の締め付けがきついもんで」
「長田尊広さんがなくなったとき、二、三歳の男の子も一緒でして、その男の子が永山奈津子さんの息子さんで。その子も一緒に、葬られることになります」と高橋が言い足した。
「なんと、母子で殺されたんですか。おまけに、二人とも引き取り手がなくって、日本の人情も地に落ちたもんですね。で、そのお寺はもう引き受けると決まっているんですか」と中田は少し声を詰まらせたように言った。声がかすれ、多分タバコの吸いすぎで声が出にくいので、十分な肺活量がなく、震えた声が、明にはそう聞こえたのかも知れない。
「お寺は多分、谷中の情光寺だったと思います」と高橋が答えた。ひとしきり続いた会話が途絶えるのを待って無声音で明が南條に聞いた。
「さっき、言ってた、コウリョってなんですか?」
南條もそれに応えて小声で話したが、有声音だったので、待合室の全員の耳に届いた。「行旅とは、元々旅行するというような意味合いだが、葬儀屋は、死者に弔意を表して、行き倒れをそう言うんだ。対象はホームレスが多いな。ホームレスの連中も、かつての仲間であっても、カネの掛かることとなると、知らん振りをするからな」
それを受けて明も有声音で話すことにした。「でも、ボランティアで葬儀をやってくれるなんて、その葬儀屋見上げたもんですね」
「どうかな。東証一部上場の大手の葬儀屋だ。元々戦前の関西出身だが各地の小さな葬儀屋をM&Aで吸収合併してこの業界には珍しく全国展開を経営戦略にしている。仕出屋や花屋も傘下に納めている。そんな営利法人が、ただでボランティアをやるわけがない」
「でも、無償で葬儀をやるんじゃないんですか?」
「まあ、IRでそれを謳っているがな。『葬儀屋は公益法人だ』とうそぶいていやがる。そのボランティアは警察からの有償の葬儀案件の情報提供と交換ということが暗黙の条件になっている。ハイエナみたいなやつだ。まあ、持ちつ持たれつだ」
春近い午後の陽が、グラスファイバーの障子越しに待合室にこぼれていた。中田のぼそぼその銀髪が木漏れ日に鈍くきらめいていた。明は所在無く、薄いお茶ばかり舐めるようにして呑んでいた。南條は浪江と規子と中田がどっちの手で茶碗を持って飲むか、注意深く確認していた。浪江と中田は右手で飲んでいた。規子は手持ち無沙汰を紛らわすように左手でカラの湯飲みを持っていた。火葬場の中年女性の事務員が、お湯の入ったポットを持って来た。規子がそれを受取ってカラになったポットを事務員に手渡した。さっそく、お湯を急須に入れて、全員の湯飲み茶碗にお茶を注ぎ足した。ゆったりと時間が流れた。
午後三時を過ぎた頃、南條の携帯が鳴った。南條は取り急ぎ受信すると立ち上がって待合室を出た。その部屋の者皆が耳をそばだてていた。電話は墨田署の斉藤刑事からだった。
「長田規子の顔写真とレンタカーの『わ』と『れ』で、Nシステムを検索してみたんですが、該当車両は、検出されませんでした。時間をもう少し広げてみますか」
「どうせ、パソコンで検索するんだから造作もないことだろうが、まあ、あんたも手持ちの事案があることだろうから、ひとまず、いいことにしよう」
「そうですか。また何かあったら、ご連絡下さい。あっ、それから例のバッジ、さっき鑑識のほうの結果が出たようですが、この携帯に連絡させますか?」
「そう。そうねがう」と南條が言うと切れた。
最近、署員が南條に対して優しくなったことが、南條にはつらく感じる。優しくなった理由は南條の定年が近くなったからだ。自分に対して掛けられる哀れみが南條にとってはたまらなく居心地が悪い。そこに、高橋が待合室から出てきた。「何か、連絡ですか」
一瞬、話すべきかどうか、南條は躊躇したが「墨田署の斉藤というのに、規子が、レンタカーで奈津子殺害の夜、大阪から来なかったかどうか、Nシステムでチェックしてもらった結果です。一応、奈津子の死亡推定時刻に間に合う時間帯でチェックしてもらったんですが、該当車両なし、とのことでした」
「それなら、規子は運転免許持っていないんですよ。浪江の方は免許を持っているんですが、いや正確に言うと持っていたんですが、数年前に更新しなかったんで無免許状態です」
「それじゃ、浪江が規子を乗せて、レンタカーできた、ということですか?」
「いや、レンタカー会社は免許証がないと貸さないんで、それはないでしょう」
「多少多めに料金を払って、レンタカー会社に眼をつむってもらうという手は?」
「どうですかね。サラ金と同じで免許証が身分証明になるんで。かりに、浪江が期限の切れた免許証を持っていたとしても、そこに記載されている住所に住んでいるという保証がないから、レンタカー会社は貸さないでしょう。乗り逃げされたら、えらい損失ですから」 高橋が次を言いかけたとき、南條が思い出したように叫んだ。「しまった。大阪府警の小関さんに断りの電話を入れないと」と南條は小関に依頼した件を思い出して慌てて小関に断りの電話を掛けた。小関は出なかった。南條は留守番電話にメッセージを入れた。そこに隠坊がやってきた。南條と高橋に軽く会釈すると二人に入室の許可を得るような仕草で頭を下げながら待合室のドアを開け、二人が入室すると、遺族の浪江と規子に話しかけた。
「お待たせしました。大分、水分が多かったようで、幾分時間が掛かりましたが、ようやくお骨になりました。骨上げをしますので、収骨室の方へ、移動願います」
全員が隠坊の後について収骨室に向かった。収骨室は正方形の白い小部屋だった。ステンレスの台の上に脱色したような乳白色の骨がばらばらに散らばっていた。それを見て明が南條に耳打ちした。「なんか大の大人にしては、ずいぶん少ないような気がしますが」
「カネ目のものは選り出しているからな。それに骨壷に入りそうもない骨は捨てている」「えっ、そんなことしていいんですか?」
「いいも何も金歯なんかは隠坊の副収入になる」
それが耳に聞こえたのか、隠坊はひときわ大きな声で「それではお焼香をお願いします」と全員に言い渡した。浪江と規子が先を譲り合っている。喪主は名義上は規子になっていたが物腰は誰が見ても浪江が実質的な喪主だった。
「故人に近しいご遺族から順にお願いします」と隠坊がしめやかに囁いた。それでも浪江と規子は先を譲り合った。しびれをきらして隠坊が規子を指名した。「喪主さまからお願いします」そう言われて規子が焼香台の前に足を進めた。ばらばらの焼骨を前に小さく頭を下げるとそそくさと焼香を済ませた。同じような仕草で浪江が続いた。その後に中田、高橋が焼香し、南條、明と続いた。焼香が終わると隠坊は白い壷に焼骨を納め、その壷を更に白木の箱に入れその箱を白布で包んだ。それを規子が受け取り全員が収骨室を出た。
南條が浪江と規子の後から薄曇りの駐車場に出たところで、携帯電話に着信があった。「鑑識ですが南條さんの携帯ですか?例のバッジの結果が出たんですが、今いいですか」
「ああ、渡辺さんだね」
「あの焼き物の土は粘性質の高い土でシルトと粘土の含有割合が40%程度ありました」「その、シルトってなんだ?」
「あ、失礼。シルトは砂と粘土の間の大きさの粒の土を言います。で、含有割合から洪積層だと思われます。ということは、この辺の土で焼かれたもの、ということで」
「その辺に焼き物の窯があったかな?」
「一番近いところだと今戸焼があります。近くに待乳山聖天がありなすよね。あの待乳山は昔、真、土、山と書いてたんですよ。砂の多い浅草近辺の沖積層と違って本当の土だからそう書いたんじゃないですかね。今は平らに見えますが多少こんもりとはしています」
そのとき長田浪江と規子の嫁姑は駐車場でタクシーを拾い、骨壷を抱えて去って行った。それを中田が皺だらけの両手で杖にしがみき、その上に顎をのせるようにして見送った。規子と浪江は遠ざかる車内から、南條に軽く会釈した。渡邊の報告は続いている。
「でも、5年くらい前に、最後の窯が閉じられているんですよね。しかし、お預かりしたバッジは、焼き具合から、どうも最近焼かれたもののようで」
「じゃ、どこで焼いたんだ」
「趣味の陶芸で電子レンジみたいな窯がありますから、あの大きさならどこでも焼けます」
「結論は、どこで焼いたか分からんということか」とはき捨てるように言いながら、南條は携帯電話を切ると「あの中田老人はどこへ行った」とすごい剣幕で明に聞いた。明は薄曇の空をぼんやりと口を開けて眺めていた。「町屋駅の方に歩いていきましたが」
「あの老人、どこかで見たことがあるんだ」
「ビデオアイコに頼めば一発なんですけどね」と言う明を無視して、南條はしばし考え込んだ。両手をポケットに突っ込んで動かない。
「そうだ」と叫んで、南條は大阪府警の資料室で警察手帳に挟み込んだ写真を取り出した。若い浪江と子どもの尊広ともう一人の中年の男が映っている。顔の皮膚はたるみ、髪は白髪になっているが、造作と輪郭は中田そのものに見えた。その写真を明にも見せた。
「この中年男は多分、あの中田老人だろう」
明はその写真を受取って、凝視した。「そう言われて見ればそう見えますが、そう言われてみなければ」と言う明を尻目に、そのスナップ写真を明の手から引き抜くと南條は町屋駅に向かって足早に歩き始めた。「あの足なら簡単に追いつけるだろう。尾行だ」と南條は明がついて来るのを確認すると、小走りになった。。南條の足は還暦を過ぎているとは思えないほど速い。明もついて行くのがやっとだった。尾竹橋通りの手前で中田老人の背中を捕らえた。南條は二十メートルほどの間隔を保つように歩度をゆるめた。老人は杖をつきながら尾竹橋通りを渡ると、都電の踏切を背に尾竹橋方向に歩き始めた。晩秋のような陽光がアーケードにさえぎられて、老人の姿が日陰にとけて行く。南條は信号の変わり目に尾竹橋通りを渡り、明は黄色になってから横断歩道を越えた。老人は商店街を五十メートルほど行くと左に曲がった。曲がった途端に南條が走り出した。明もそれに続いた。老人が入った路地は幅2メートルもないような私道だった。すれ違うのがやっとで、途中アパートの二階に上る鉄の階段があり、横にならないと通り抜けできなかった。老人は突き当たりのトタン葺きの小屋のような平屋に入って行った。入り口にすすけたペンキの『カバン修理』という看板が見える。南條がその民家の手前十メートルほどのところで立ち止まった。明もそこで南條と並んだ。南條は胸で大きく呼吸をしている。
「あすこが自宅か。ひどいあばらやだな」
「年金でかつかつの生活をしているとか言ってましたね。あの老人、何かあるんですか?」
「俺の勘だ。どうもくさい。ただの老人には見えない。長田浪江とはただの従兄妹関係には見えなかった。あの写真が証拠だ。長田尊広とはほとんど面識がないというのは嘘だ」
「そうですか。僕にはひなびて小柄な、やさしそうな、ただの老人に見えましたけど」
「お前の感想なんか聞いちゃいねえ。俺の勘は四十年の刑事人生で研ぎ澄まされた勘だ」と苛立たしげに言う南條の後ろに、通行人が近づいてきた。中年の女だった。南條は早速警察手帳を出して、その女の足を止めた。「ちょっとお聞きしたいことがあるんですが。あの突き当りの家の老人をご存知ですか?」
「中田さんですか。最近見かけませんけど。ガンで尾竹橋病院に入院してるようです」
「えっ!でも、ついさっき見かけましたけどね。あの突き当りの家に入っていきましたよ」「あの家は、カバン修理の作業場みたいで、お宅は別にあるようですよ。だって、あのお宅、ひと部屋しかなくって、玄関から裏口へ通り抜けができるんですよ」
「しまった!」と言うなり南條はその平屋に小走りに駆け寄り、玄関のガラス戸から内部をのぞきこんだ。明も同じようにのぞきこんだが、内側で引かれたカーテンの隙間から見える6畳ほどの部屋には誰もいなかった。その6畳の奥に水回りの部屋があるようで、裏口のすりガラスの戸がかろうじて見えた。
「裏に回ろう」と言いながら、南條はその路地を出て、尾竹橋通りを尾竹橋方向に歩き、五十メートルほど行った小さな交差点を左折し、更に五十メートルほど行って、車一台がかろうじて通り抜けられそうな路地を左折した。角に一時停止の交通標識が立っていたので、車の出入りがあるのが分かった。そこから五十メートルほど行くと先刻のトタン板の民家の裏手に出た。裏口から狭い路地を挟んで1メートルほどの高さのグレーの金網に囲まれた駐車場があり、砂利の上に月極の利用者のネームプレートが立てかけてあった。その中に『中田』と書かれた駐車スペースがあり、車はなかった。
「中田老人が裏口から抜け出して、この駐車場から、車で逃走したということですか?」と明が南條に恐る恐る聞いた。
「尾行されていたのに気づいたんですかね」
「かりに気づいたとしても、逃走した理由が分からん」
「本当にガンなんですかね?スタスタではないけれど、ひょこひょことは歩いてましたけどね」と言う明の言うことを南條は全く聞いていなかった。
「このすぐ近くだから、尾竹橋病院に行ってみよう」
それから二人は尾竹橋通りを尾竹橋方向に歩いた。尾竹橋を渡って、尾竹橋病院についたのは、四時ごろだった。南條は受付ですぐ警察手帳を見せた。受付には小太りの看護師がふっくらとした頬を赤くして座っていた。入口を入ったときは、また病気の老人かというような目付きで南條と明を見ていたが、南條の警察手帳を見てしゃきっとした。
「入院患者についてちょっと尋ねたいんだか。駅前で鞄を作っている中田という老人で、ガン患者らしいんだけど、いま入院してますか?今日ちょっと外出したみたいなんだけど」「男性ですか?」
「そう、年は七十代か、それより上か」
「少々お待ち下さい」と言って看護師は入院病棟のナースステーションに内線をかけた。
「中田さんという男性入院患者なんですけど、今日、外出してますか?」
暫くナースステーションとやり取りがあった。電話口の向こうの看護師が一方的に話しているようで受付の看護師は聞き役になっていた。その看護師が内線の受話器を置いて南條に語りかけた。「中田さんは自宅療養でこちらには入院しておられませんとのことです」
「ガンが全快したということですか?」
看護師は少し言うのをためらっているようだった。南條の鋭い眼光に見つめられると、少しためらって、おびえるように小声で話し出した。「本当はお身内の方以外にはお話できないんですけど、ちょっと体力的に手術ができないそうで老人性で進行もそれほど早くないらしいので、ご本人のご希望もあって、ご自宅の方で療養することになったそうです」
「自宅でターミナルケアということですか」という南條の言葉に看護師はあたりを見回してうなずくでもなく、何も返答しなかった。
「ご自宅はどこかわかりますか」という南條の質問に看護師はためらいの表情を見せた。「令状はないけど、自宅の住所を教えることはプライバシーの侵害にはならんでしょう。どのみち、調べればわかることだし、あなたから聞いたとはぜったいに言いませんから」という南條の説得で、看護師は背後のカルテルファイルから、該当ファイルを取り出し、病院のメモ用紙に住所を書き移した。『台東区橋場一丁目一の三十四』と書かれていた。「ありがとうございます」と言う南條の声に一と三と四と言う明の声がかぶっていた。
病院を出ると南條はすぐにタクシーを捕まえた。千住桜木経由で日光街道に出て千住大橋を渡り南千住で山谷通りへ左折し、涙橋で明治通りに左折し、白鬚橋の手前を右折した。「この辺、一度、能美さんと歩いて来たことがありますよ」と言う明の声に南條は全く反応しなかった。そこからワンブロック行ったところで、南條はタクシーを止めた。
「この辺だ。浅草署時代にはよく歩いたところだ」
明が先に出た。南條は領収書をもらっている。明は住所表示のプレートを探し始めた。一丁目一の三四のブロックは黒塀に囲まれていた。
「あっ、この間の黒塀だ」
「やっぱりここか。末期ガンじゃもう逃げる気力もないだろう」と南條は感慨深げに、黒い格子戸の玄関の前に立った。中井という表札がかかっていた。玄関右の郵便受けの上にあるインターホーンを押すと、年老いた女の声がした。
「突然すいません。つかぬことをうかがいますがこちらに中田さんはおられるでしょうか」と問う南條の声がインターホンに吸い込まれてから少し間があった。
「すいません。どちらさまでしょうか」と訪問者の意図をさぐるような声がした。
「墨田署の南條と申します。こちらで療養されている中田さんにちょっとうかがいたいことがありまして」と南條は外連味のない声で言う。また、しばらく間があった。
「昼過ぎから外出していましてまもなく帰宅すると思うんですが」と落ち着いた声がする。
「それでは出直します」と言ってから南條は腕組みをして、黒塀の中をうかがおうとした。
「いるかも知れねえな。踏み込むには礼状がいるし、だが嘘をついているとも思えねえし」「逃亡の懼れはないんですかね」と明が俯いている南條の顔を覗きこむように言った。
「まあ空振りかも知らんが情光寺に行ってみるか」と言いながら南條は通りに出てタクシーをさがした。タクシーの溜まり場になっているような格安のガソリンスタンドがあり、そこから出てきた個人タクシーを拾って、言問通りに出た。
十五分ほどで谷中の情光寺に着いた。山門は民家程度の大きさで、それほど大きな寺には見えなかった。境内に小さな幼稚園があり、園児たちは全員帰ったあとで、ブランコが時折吹く風に震えるように微かに揺れていた。砂利敷きの駐車場を通って、本堂の脇の庫裏の入口から南條が声をかけた。「すいません。どなたかおられますか?」
南條がもう一度声を掛けようとしたとき庫裏の奥の薄暗がりから剃髪したばかりの蒼い頭をした作務衣の若い僧が出てきた。手に梵字を書き込んだばかりの卒塔婆を持っている。
「墨田署の南條といいますが、行旅の仏さんについて舞浜署から何か連絡がありましたか?」と言いながら、南條は無意識のうちに内ポケットから警察手帳をのぞかせていた。「ええ、明日、火葬にするので導師をお願いしたいという依頼がありました」
「それと関連して、中田という人がこちらに見えませんでしたか」
「ええ、見えました」
「どんな用だった分かりますか」
「喜捨とお布施をされて、行旅の霊を手厚く弔って欲しい、とのことでした」
「一万一千円ぐらいですか?」
「いえ、もう少しありました」
「じゃあ、十一万円ほどですか?」
「いえ、もう少しあったかと」
「じゃあ、百十三万四千円ですか?」
「ええ、まあたしかそのくらいでした」
「どうも、お忙しいところ、失礼しました」と言いながらお辞儀をする南條のかたわらで「どうか、ねんごろに弔って下さい」と明も頭を深々と下げた。
境内の外に出てから「中田老人も覚悟を決めて後始末を始めたようだな。まあ、一段落ついたら、お参りに来るか。はかないもんだ。あんな美人が骨だけになっちまうなんて」と南條が明の肩に腕を回した。その腕を振り解きながら「まだ骨になっていないですよ。あした火葬場に行ってもいいですかね」と未練ありげに明は言って、南條の顔を見た。
「俺は行くつもりはないが、行くんだったら、舞浜署に場所と時間を聞いといてやろう」と言いながら言問通りに出て南條はまたタクシーを拾った。「もう、あそこに帰っているだろう。行き違いだったな。自首を促すか。しかし、自首をしたところで死刑は確定だし、大体裁判の結審までもつかどうか。舞浜署か墨田署の若い連中に逮捕させてやるか。俺はもう定年だし、ここで得点を稼いでもなんの意味もない。署長賞は間違いないだろうが。中田本人も、もう覚悟しているだろう」といつになく南條はしんみりした話し振りだった。タクシーが言問橋方面に動き始めて明は南條に聞いた。「さっきのお布施の金額ですが、なんで、百十三万四千円なんですか?」
「七福神の七不思議だ」そう言われて明は七福神の賽銭の金額を思い出した。
「あっ、千百三十四円」
「一丁目一番三十四号だ。あの家は七福神のど真ん中にある」
「一丁目一番三十四に住んでるからお布施も百十三万四千円ってどういう意味ですかね」
「おれにもようわからん。聞いてみよう」と南條は中田が犯人であるかのように言った。
戻るタクシーの中で南條が携帯電話でメールを打ち始めた。タクシーが揺れるせいか、不器用なせいか南條は思うように打ち込めない。漢字への変換を幾度も失敗したり、親指での文字入力を頻繁に間違ったりした。明は誰に何お前ルしているのか気になったが、あからさまに画面をのぞき込むことはやめた。知って欲しいことなら南條が説明すると思ったからだ。分かれたとは言え南條には妻子がある。子どもへのメールならプライバシーの範疇だ。明は好奇心を押さえ込んだ。反対の立場であれば、明は不快に思うからだ。
十五分ほどで先刻の黒塀の屋敷に着いた。南條は気だるそうにインターホーンを押した。「先ほどうかがった墨田署の南條です。中田さんも先ほどお帰りになったかと思いますが」といつになく丁寧な話し方だった。
「どうぞ、お入り下さい。お待ちしておりました」という返答からしばらくして、格子戸の奥のヒノキの扉が開いた。髪をひっつめに結い上げた和服の小柄な初老の婦人が立っていた。利休鼠に白く淡い雪華紋様をあしらった和服に先導されて、南條と明は格子戸をすべらし、敷地内に踏み込み、その扉の中に入った。玄関は三畳間ほどの広さがあった。年輪の鮮やかなケヤキの一枚板があがりがまちに横たわっていた。そこから一間ほどもある廊下が奥の間に続いていた。ムートンのスリッパが用意され、廊下伝いに右手奥の客間に通された。十二畳ほどの広さがあった。一面に緋毛氈が敷き詰められていた。部屋の奥の大きなガラス窓の近くに電動ベッドが置かれ、床の間を背にして町屋の斎場で会った老人がその上にガウンを羽織ったまま横たわっていた。床の間にはヒスイ色の人頭ほどの大きさの岩石、金泥をあしらった観音像、朱泥を塗った恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁才天・福禄寿・寿老人・布袋の七福神の陶器像、青磁の香炉などが雑然と置かれていた。朦朧体の山水の水墨画の掛け軸が、二本掛けられていた。南條にも明にも、どれほどの価値のあるものなのか、本物か偽物かも分からなかった。
「先刻、町屋の斎場でお会いした墨田署の南條です。この若者は助手の土岐と言います」「そうだったね。まあ、膝を崩して、そこに座ってくれ。何をしに来たかはだいたい分かっているが、さきにそっちの用件から聞こうか」
ベッドの手前の紫檀の卓を囲むように銘仙判の座布団が二枚並べられていた。その上に胡坐をかきながら南條が尋問をはじめた。「まず、永山奈津子の殺害からお願いします」
「あの子は尊広に殺される運命にあった」
「どうしてですか?」
「あの子の父親が死んでから、いやいややっていた仕事をやめたいと言い出した」
「その仕事とはなんですか?」
「児童ポルノの被写体探しだ。撮影は一昨年までは父親がやっていた。父親が死んで、去年から尊広が大阪から出張してくるようになった」
「その仕事をやめたいというだけで抹殺の対象になったんですか」
「尊広が全く取り合わなかったんでアメリカに行ってジェイムズ・ノイマンに直訴したのがまずかった。ノイマンから尊広に奈津子抹殺の指令が出た」
「奈津子はそのことを全く知らなかったんですか?なんで逃走しなかったんです?」と明が思わず口を挟んでしまった。
「奈津子は親の犯罪に手を貸したことを悔いていた。それに尊広とできていた。男の子ができてから尊広とは母親の違う兄妹だと知った。父親の永田高志が死ぬ間際に告白したんだろう。そのせいか子どもの信夫には知的障害と脳腫瘍があった。脳腫瘍は延髄の近くにあって手術できないとの医者の見立てだ。信夫はどっちにしてももうすぐ死ぬ運命だった」
「尊広と奈津子の父親はだれですか?」と言う南條の問いにしばらく沈黙があった。
「二人は俺の子だと思う。奈津子は間違いなく俺の娘だが尊広は多分としか言えない。浪江自身は分からないと言っている。DNA鑑定でもすればすぐ分かることだが血液型だけでも分かる。俺はB型だ。浪江と隆はどっちもA型のはずだからB型の尊広が二人の間に生まれるわけがない。浪江がおれか隆か、どっちの子か分からないと言っているのは、隆の子だと思い込みたいからだろう。浪江が俺と隆以外の男と関係をもたなかったとすれば、隆は間違いなく俺の子だ。奈津子が東京にいて、隆が大阪だから二人ができるとは想定もしていなかった。奈津子が子どもの頃、伯父ということにして日暮里の永山整形医院によく会いに行った。あの子のほうもおれによく会いに来た。寝物語に、伴性遺伝の作り話をしたが、子どもの頃は本気で信じているようだった。いずればれることだが、半信半疑の間は、少なくとも時間稼ぎにはなっただろうと思う。尊広は九歳ぐらい年上だ。俺と従兄妹関係にある母親の浪江は、俺が関西のチンピラとくっつけた。もっとも隆はどこの親分とも盃を交わしていないから、企業舎弟のようなもんだとは言っていたが」
「ということは、長田隆と義兄弟だったというのは、あんたのことか?」と南條が聞いた。「そうだ。俺はやくざではなかったが、部落出身というよしみで、長田隆と義兄弟になった。同和問題の裏会合で関西に行ったときは必ず会った。隆は酒癖が悪く、酔うとかならず浪江に暴力を振るった。隆と東京で一緒になって間もない頃、ビール瓶で頭を割られた浪江が俺の家に逃げてきた。ひと月ばかりかくまったが、尊広ができたとすればそのときだ。隆がうろついているので、勤務先の小学校にも行けなくなって、そのとき浪江は日暮里の小学校の教員をやめた。結局、隆が侘びを入れてきて、金輪際暴力は振るわない旨、一筆入れさせて、浪江に言い聞かせて復縁させた。それから、二人は東京にいづらくなって大阪に行った。万博の始まる二年くらい前だったかな。ときどき、様子見に関西に行った折には、尊広にあって、こいつにも、寝物語でネアンデルタール人の作り話をしたが、尊広はそらんじるまでに信じ込んでいた。しかし、尊広は俺の性悪の部分だけを受け継いだ。同じB型だからかも知れん。大阪万博で児童ポルノを始めた浪江の亭主の跡目を継いで、学生の頃から暴力団とつるんで売上を拡大させたのはこいつだ。尊広は高校を卒業するとすぐ永山整形クリニックに出入りし、悪行の輪を広げて行った。尊広と奈津子の母親は二人ともここの部落の出身だ。教育委員会を脅して、同和政策で小学校の教員にねじ込んだが、部落出身であることが、それとなく噂になって、いつまでも結婚できなかった。同情がいつしか愛情になった。浪江は二十二で尊広を大阪で生み、その九年後に信子は奈津子を産んだ。信子にはたんまりと持参金をつけて嫁がせたのだが、亭主の高志はロリコンで幼女趣味があり、信子の体には全く興味を持たなかった。信子がおれに泣きついてきたときに、奈津子ができたようだ。奈津子の兄弟はついにできなかった。浪江のことで、関西の部落開放同盟の関係者に相談したら、向こうの小学校の教員に採用された。今はどうだか知らないが、部落解放運動は人的にやくざと一部結びついていた。差別された挙句、行き場所がなくなって組に拾われた者が多い。差別する社会を逆恨みして自らやくざになった者も多い。日清戦争以後、台湾と朝鮮が植民地になってからは第三国人も部落民と同じように差別された。差別で苦しんでいた部落民も第三国人を差別した」
「あんたもやくざのようなもんか」と南條がぽつりと聞いた。
「いや、俺はやくざとは一線を画していた。内地では仕事がなかったので満蒙開拓青少年義勇軍に応募して満州に行った。当時はひとの移動がなかったから、住んでいる場所で差別された。この土地から逃げ出したいというのが子どもの頃からの願望だった。外地に行けば差別はないだろうと勝手に想像していた。実際、外見だけでは分からないのだから。それにソ連軍や国民党軍や共産党軍という共通の敵があれば、かりに出身がばれたとしても、差別されることはないだろうと思った。満蒙開拓青少年義勇軍の募集が始まったのは、たしか昭和十三ごろからだった。数え十六歳以上が応募条件だったんで、十五歳の誕生日の来るのが待ち遠しかった。数え十六になってすぐ応募した。五族協和という謳い文句に差別のない社会を思い描いた。王道楽土という名に貧困からの脱出の夢を描いた。全ての費用が支給されるというのも魅力的だった。国防色の国民服と共和帽が支給されて、満州国の現地の訓練所に渡ったのは昭和二十年の五月だった。内地の話では、食料も豊富で、開拓民として必要な勉強も無料でできると言うことだったが、とんでもなかった。食事は高粱ばかりで、味噌汁は太平洋汁という塩汁だった。その訓練所でも差別された。軍事教練では敵役をやらされ、仲間からぼこぼこにされた。食料がなくなって、地元の中国人の農家からおればかりが食料を盗まされた。日本の敗戦を知った中国人が真っ先におれを殺しにやってきたもんだ。損なことは率先してやらされるという差別が、敗戦以降の逃避行でも続いた。それでも共通の敵の存在がおれを義勇軍にとどまらせた。しかし、まず最初に満人の殺しをやらされた。生き延びるために、帰還するために何人殺したか分からない。そういう損な役回りをこなさないと、日本にも帰れなかった。義勇軍から脱走するのも地獄、とどまるのも地獄だった。そのうち、他人との情の交流という感覚が麻痺してきた。それはいまでも続いている。義勇軍でも部落出身ということで差別され、いやなことはなんでもやらされたから、そうなったのか。両親がいとこ同士という血の濃さのせいでそうなったのか、分からない。帰還してからも差別は続いた。かろうじて職を得ても、部落出身と分かると、すぐにクビになった。その繰り返しがいつまでもつづいた。そういう仲間を集めて、愚連隊を自然発生的に結成した。愚連隊はやくざとは違う。伝統もしきたりも義理も任侠も何もない。やくざとは一線を画していたというか、やくざからはまともな団体とみなされず相手にされなかった。利害が対立すると抗争になった。こっちは組織も何もないから多勢に無勢で勝ち目はなかった。それに嫌気をさして、盃を交わして組に入る者がかなりいた。俺は次第に一匹狼になって行った。食うや食わずの生活が何年も続いた。おやじがやっていた鞄づくりを引き継いで、かろうじて生きてはいたが、かつかつだった。もうとっくに時効だが、はじめて保険金殺人をやったのは朝鮮戦争の後の不況時だ。昭和二十五年から二十八年までの朝鮮特需が、停戦とともに剥がれ落ちて、にわか工場が倒産に追い込まれた。部落出身の仲間に不渡り手形の始末を頼まれたが、こっちも金がない。たまたま郵便局の簡易保険に入っていた娘がいた。僅かな保険金だが、急場はしのげる。その娘が性悪で年中補導され、傷害事件も起こし、男をかなづちで叩いて賠償金を請求されることもあった。その娘を隅田川に落とし、事故死に見せかけた。あの頃の警察には明らかな事件以外はまともに捜査しようとしない風潮があった。実際科学捜査なんぞない時代で、迷宮入りになる事件や、誤認逮捕やでっち上げ逮捕や自白の強要の多い時代だった。保険金請求では部落出身であることが逆に好都合だったようだ。郵便局の連中はかかわりを持ちたくないということで、さっさと保険金を出した。その娘が性悪だったのも、差別が原因で、家庭生活も乱れていたし、あの環境で健全な子どもが育つとしたら奇跡に違いない。とはいえ、昭和二十年代はその一件だけだ。次は、昭和三十二年から三十三年にかけてのなべ底不況のときだ。手口は全く同じで、警察も死んだのが部落民だと、ろくに調べもせずに事故死扱いにした。これを事件化すると捜査費用も掛かるし、人手もいるし、被害者が部落民の場合、事件を解決しても警察署内の評価は高くない。それにあの当時は、科学捜査も幼稚で未解決の難事件を警察はたくさん抱えていた。そればかりかいろんな問題を引き起こす部落民が一人でも減るのは治安対策上歓迎といった姿勢すら見られた」と中田老人はとつとつと語り続けた。
「俺がまだ、ガキの頃の話だが、そういうことはあったかも知れない。警察は得点主義だから、評価の低い事案は、誰もやりたがらない。いまでもその風潮はなくなっていない」と南條が、客間のガラス窓からこぎれいに清掃された庭を眺めながらつぶやいた。中田老人は腹のあたりに丸まっていたタオルケットを胸に引き上げて、肩で大きく息をついた。「べつに広報活動をしたわけではないが、不況のたびに、俺のところに相談に来る部落出身者が絶えなかった。愚連隊時代の俺の武勇伝がマレーのハリマオみたいに、尾ひれがついて流布していたようだ。実際、満州で幾人も殺してきたから、暴力に残忍さがあり、おれを恐れていたやくざ連中がいたことも事実だ。昭和三十年代末の証券不況のときもそうだった。そのうちやくざも同じようなことをはじめた。ただし、やつらは金だけが目的でかたぎも対象にした。俺は部落関係者だけに限定した。部落出身者の場合、一般人と恋愛しても、部落出身と分かると必ず破談になるので、部落民同士で結婚することが多い。もう何百年もそうしたことが続いているんで、血がかなり濃くなっている。従兄妹同士で結婚すると、かなり高い割合で何らかの障害を持った子どもが生まれてくる。そういう子どもは二重の意味で差別される。貧困も加わるから三重の差別を受けるわけだ。性格はそれほど悪くない子どもでも、親も行く末を案じるのは無理もない。三重の差別を背負って生きてゆくのがその子の本当の幸せかどうか。それに倒産の危機が絡めば、保険金殺人の引き金が引きやすくなるというもんだ。事故死や自殺に見せかけた保険金殺人のノウハウは蓄積されたが、おれ自身はおおっぴらにやるつもりはなかった。おおっぴらにやれば、いずれ発覚する。必要最小限度であれば、関係者は沈黙を守り、発覚するおそれはない。おれだってこの程度の蓄財ならば、税務署からも警察からも怪しまれることはない。問題が大きくなり始めたのは、昭和四十五年の大阪万博以降だ。信子の亭主の永山高志が観光目的で夏の大阪万博に行き、ついでに大阪で児童ポルノを探した。そこで、天王寺の通天閣下のポルノショップで、浪江の夫の隆と出会ったわけだ。信子と浪江は同じ部落出身で、信子は浪江を妹のようにかわいがっていた。短期間ではあったが、同じ小学校で先生もやっていたし、信子の亭主と浪江の亭主が出会うのは必然であったのかも知れない。いずれにしても、隆が東京に来たとき、信子は永山と既に結婚していたから、隆と永山は浪江を通じて面識があったはずだ。永山が天王寺の隆のビニ本の店に行ったとき、そこに児童ポルノはなかった。自分は持っているという話から、信子の亭主の高志が写真を提供することになった。大阪と東京ならばれることはないと踏んだのだろう。浪江の夫は店頭に出すことはせず、それらしい客があると高値で売りつけていた。その中にジェイムズ・ノイマンがいたわけだ。ノイマンは万博の雑踏を見て、開園の一九五五年以来ディズニーランドで蓄積してきた幼女誘拐のノウハウが使えるとふんだ。そこで、ノイマンはそのノウハウの無償提供と継続的な取引を長田隆に申し出てきた。条件はアメリカの児童ポルノとの物々交換と住居表示が3411であること。それだけだった。住居表示の3411の意味が良く分からなかったが裏切りと逃走を防止するのが目的と知ったのは随分あとのことだった。確かに貴金属ならともかく不動産を背負って逃亡することはできない。一種の踏み絵でもあったようだ。田舎の方に行けば3411という住居表示がないことはなかったが、山の中だったり田んぼの中だったりした。そんな都合のいい物件が都会にあるわけがない。かりにあったとしても信子の亭主にも浪江の亭主にも金がない。そこでとりあえず、信子の亭主は本籍だけを日暮里の同じ町内の三丁目四十一番1号に変えた。そのコピーをノイマンに郵送した。それから英語のからっきしできない浪江の亭主ではなく、医師免許も持つ信子の亭主が窓口になって取引が始まった。現住所と本籍の違いなんぞ、アメリカ人には分かるまいということだったが、取引が始まって、ノイマンの手紙が本籍地に届き、郵便局の機転で、開封されることなく信子の亭主の手元に届いた。郵便局も国際郵便の場合は、国外に返送するのも面倒なので、多少住所表記に誤りがあっても、なんとか宛名の人間に届ける努力をしていたようだ。手紙には虚偽のあった場合は抹殺するとあって、亭主は慌てた。そこで俺のところに相談にやって来た。こっちは信子と奈津子を押し付けた借りがあるので何とかしてやりたいと思った。しかし、おれも日常的には細々と鞄作りをしているしがない職人だ。そんな都合のいい土地を買ってやろうとしたってカネがない。資金の目処のつかないまま、オッズも予想も何も見ずに3411をひっくり返して、中央競馬の第11レース馬番3番4番の馬券を浅草の場外馬券売り場でなんとなく買ってみた。そんな買い方をする人間は少ないから、万馬券になった。賞金を頭金にして土地を探した。地図で七福神を結ぶと、そのど真ん中にこの土地があった。俺はこの土地を気に入ったが、一丁目一番三十四号だ。ノイマンが条件付けている3411にはならない。そのとき、永山高志が英語表記では、逆になって、34―1―1になると言い出した。『だから、この土地を買って、しばらくの間、郵便受けを貸して欲しい』と言ってきた。他にもいろいろ物件はあったが、番地が気に入った。1丁目1の34は、『いい御世』と読める。それに英語表記だと、34の1の1になる。永山高志は『英語表記なら、ノイマンの要求に合致するから、ここを連絡先にさせてくれ』と再度言ってきた。舞浜に一丁目四十一番3号の土地を買い求めたのはそれからずっとあとのことで、東京ディズニーランドが開園した頃だ。『英語表記だと、3―41―1になる』と永山高志は悦に入っていた。同じように、尊広がUSJの近くに土地を求めたのは、十一丁目四番三号だ。これも、英語表記だと、3―4―11になる。しかし、郵便局の話だと、3―4―11を逆に、11―4―3と表記しても名前で確認して届くそうだ。永山高志が日暮里の本籍地を住所だと偽ってノイマンに手紙で伝えたときもそうだったが、最近聞いた話だが国際郵便の場合は、返送するほうが手間隙がかかるので、番地が多少間違っていても集配係が名前だけで探し出すそうだ」
そこまで話して中田老人は大きく肩で息を吸い込んだ。体のきつそうな様子が、呼吸音だけで伝わってきた。話をするだけでも、かなり消耗していることが顔色から読み取れた。「おれ自身はついに結婚はしなかった。若い頃は女が俺の形相を怖がって寄り付かなかった。いま末期ガンの俺の面倒見てくれているのは浅草で売れない芸者をやっていた優子と言う女だ。俺の運転手もやってくれている。この土地を手に入れたとき七福神にお礼の賽銭を入れた。万馬券が当たらなければこの土地はそのとき手に入っていなかった。昭和四十六年ごろの話だ。大阪万博が終わり、いざなぎ景気が終わった年の暮れだ」
「それで千百三十四円か」と南條がぽつりと聞いた。
「そうだ。七福神には多くの部落民の願いが込められている。おれたちにはあまりにも神頼みでなければならない絶望的なことが多すぎた。だから、感謝の意味を込めた。それにこの家は、ちょうど七福神のど真ん中にある」
「でも昭和四十六年頃にはもう一円札とか十円札はなくなっていたんじゃないですか?」と明が南條から聞いた話を思い出しながら言った。
「札ばかりで千百四十三円を賽銭にしたというような噂をおれも誰からか聞いたことがあるが、どこかの宮司か、禰宜が面白おかしく捏造したんだろう。部落民差別だってそうだ。おんなじ人間だ。差別される理由は何もない。差別の理由は、全てゆえのない捏造だ。学校のいじめも同じようなもんだろう。ゆえのない差別は、間違いなく社会に歪みをもたらす。俺は受けた差別に対する復讐ばかりを考えて生きてきた。だが、好景気のたびに、このムラから外に出て行く若者が増え、部落は自然消滅して行った。そういう状況で、ことさら部落解放運動を叫ぶのは、寝た子を覚ますようなもんだ、という風潮が次第に強くなってきて、運動そのものが尻つぼみになって来た。部落の入口に同和問題の解決を訴える馬鹿でかい看板を掲げていたが、それも知らないうちに撤去された。解放運動が実を結んだわけではないが、地方の部落問題はいまどうなっているのか知らないが、高度経済成長による激しい人の移動がこのあたりの部落の存在を知らないうちに雲散霧消させた。部落差別は俺の代で終わりだ」と言って中田老人は大きくため息をついた。そこに先刻の和服の初老の女がお茶を持って入室してきた。光線の加減で庭に面した大きなガラス戸からの光を受けると皺が消え四十前後の年増女にも見える。紫檀の卓の上に二つ、ベッドの脇のサイドテーブルにひとつ、今戸焼きの湯飲みを置いて、無言のまま、愛想笑いを浮かべながら音もなく出て行った。
「この湯飲みはこの家のそこの庭の小さな窯で焼いたものだ。20センチ程度の電気炉だ。でも千度近くの熱が出る。アメリカ留学から帰ってきた奈津子が、七宝をやるんで炉が欲しいと言うんで、買ってやった。むかしは、この近辺に六つぐらい今戸焼きの窯があったがいまは皆無だ。元々それほどいい土じゃないから、この程度のものしかできない」と言いながら、老人は湯飲みを目の高さに掲げ、ゆっくりと回転させながら眺めている。
「それじゃ、逆三角形が三つ繋がったようなバッジはここで焼いたのか」と南條が聞いた。
「そうだ。長田隆が肝臓癌で死んで尊広の代になってから保険金殺人にも手を広げてきた。保険金殺人は児童ポルノと違って、頻繁にはできないが、一件あたりの実入りが大きい。やくざとのつながりもできて、小金も入るようになった。永山高志が去年の春、心筋梗塞で倒れ、病院に入院して1週間後に死んだとき、尊広が『関東のやくざとの取引を広げざるを得なくなるので、やくざの代紋のようなものを作りたい』と言ってきた。『やくざじゃないから、代紋なんか要らないだろう』と言ったが『やくざと付き合う上で、代紋がないと格好がつかない』と言うので奈津子にデザインを考えさせた。中と田をくっつけて田の一番上の棒と中の一番上の棒を大きくすると三角形が二つくっついたような形になった。縦の棒はドラキュラ伯爵の串刺しを連想させるから取ることにした。一番上の縦棒だけ短く残した。下の三角形には横棒が1本残った。逆さから見ようによっちゃ逆三角形が三つ重なっているように見えるかも知れない。代紋を金泥で塗って焼いたが、素人であまりできがよくなかったから、なおさらそう見えたのかも知れない。奈津子はこの家に来て、そこの庭の小さな窯で焼いていた。失敗作ばかりで、まともにできたものは少なかった。この家に来て、年中いろんなものを焼いていたから、その中にあんたの言うような逆三角形が三つ重なったようなものがあったのかも知れない」と言いながら老人は庭を眺める。
「逆三角形三つはジェイソン・ノイマンが使っていた会員バッジだが」と南條は中田老人におうかがいを立てるようにして情報を提供した。
「そんなのがアメリカで使われていたのか。知らなかった。俺はてっきり奈津子の失敗作だとばかり思っていたが、それじゃ、ついでにそれも焼いていたのかな。それともアメリカ留学中にノイマンのエンブレムを見て中田の代紋はそれを真似たのかも知れないな。奈津子は小さい頃、信子の亭主にいたずらされたようで、それがトラウマになっていたようで、休みになるとこの家によくやってきて夕飯を食べて帰って行った。泊まることもあった。奈津子自身も幼児の頃に写真を随分撮られたようだ。永山高志も自分のこどもでないから、それができたのかも知れない。あるいは信子の不倫に対する復讐であったのかも知れない。奈津子は身代わりにされた」
「信子はそれを知っていて、なんで、奈津子をかばわなかったのか?」と南條が聞いた。「よくわからん。信子はそれなりに永山を愛していたようだ。信子を永山にくっつけたのはおれだ。永山は医師試験に合格した、いわばムラの希望の星でもあった。それがどういうわけか、三十すぎても結婚しない。なかば俺が脅すような形で、信子の親に持参金をつけさせて永山と結婚させた。永山はその金で医院を開いた。結婚して十年ぐらいたって、『永山が自分をかまってくれない』と言って、俺のところに相談に来たが、そのときに奈津子を身ごもったようだ。それについては後年、『欲しかったのは永山の子で、あんたの子ではなかった』と言っていた。そういう意味ではおれに対する恨みから奈津子を永山のなすがままにしていたのかも知れない。俺が奈津子を溺愛するのが面白くなかったのかも知れない。奈津子は中学を卒業すると犯罪集団から逃走するように『アメリカに留学したい』と言ってきたので、金を出してやった。俺のいい加減な伴性遺伝の作り話も、小学生の頃までは信じて疑わなかったが、中学生になって、そのころ奈津子は大嘘だと理解したようだった。しかし、カリフォルニアに留学したもんだから、知らないうちにノイマンと親しくなってしまったようだ。奈津子に目をつけていた尊広がノイマンに洩らしたのかも知れないし、信子の亭主の永山高志がノイマンに保護者の役割を要請したのかも知れない。奈津子もたった一人のアメリカ生活で心細かったから簡単にノイマンの餌食になったようだ。奈津子はノイマンによって知らないうちにアメリカのハイスクールで未成年者誘拐の片棒を担がされていたのかも知れない。自分の幼児の頃の写真がアメリカ中に出回っているのを知ったときはショックだっただろう。あの子は本当にかわいかったから、オリエンタル・エンジェルという通称で児童ポルノの定番になっていたそうだ。大学を卒業すると、アメリカから逃げるようにして、すぐ日本に帰ってきた。結局奈津子に安住の地はなかったということだ。自宅から近いということもあったし、両親の勧めもあったし、学歴を生かせるということもあって東京ディズニーランドに就職してしまった。逃げて行ったアメリカでもそうだったし、もう、このしがらみからは逃れられないと観念したのかも知れない。その頃、信子が子宮ガンで死んだ。俺の目には、けして美人ではなかったが、いい女だった。顔の輪郭が女物の下駄のような感じで、左目に大きな泣き僕ろがあった。性格になんとも言えない色気があった。その信子が死に際に自分が部落の血を引いていると言ったことが奈津子にとっては相当なショックであったのかも知れない。しかし、それ以上にショックだったのは、永山高志が去年臨終のベッドの上で、奈津子と尊広の父親がおれであることを告白したことだろう。それで奈津子はわが子の信夫がなぜ多くの障害を持って生まれてきたのかを悟ったのだろう。奈津子は好きな男はいるが、結婚はできないと言っていた。自分が部落の血を引いていることや、両親の犯罪や、自分の幼児期の裸体の写真が全米中に出回っていることが、いつばれるかということを気にしながらでは、恋愛も、ましてや結婚など、できないとおれにあてつけがましく言っていた」
「そんな奈津子を、どうやって扼殺したんだ」と南條が尋問口調で聞いた。
「奈津子は尊広に殺されることを覚悟していた。だからあの夜ここに来た。おれに頼んで来たんだ。でも俺は見ての通り棺桶に片足を突っ込んだ病人だ。手を下したのは尊広だ」
「だが扼殺犯は左利きだ。奈津子の喉に残った親指の痕は左手の親指の方が大きかった」と言いながら南條は自分の両手で自分の首を絞める仕草をした。
「そんなことは知らない。尊広もさすがに奈津子の顔を見ながら首を絞めるのはしのびなかったんで奈津子の体に馬乗りにならないで奈津子の顔を足の間に挟んで締めた。そのとき奈津子は『抵抗できないように手を押さえてくれ』とおれに哀願してきた。全く抵抗しなかった。全く抵抗しなかったのは奈津子をこよなく愛していたおれに対する復讐であったのかも知れない。その夜連れて来た信夫は他愛なく眠っていたので一日ここで預った」
「いま言った奈津子の復讐というのは、いったい、どういう意味だ」と南條がつっこんだ。「奈津子は俺が溺愛していたことを肌で知っていた。しかし、奈津子が送った不幸な人生のほとんど全ての原因はおれにある。成長するにつれ、少しずつ知って行った。奈津子にとって、どんなことでも聞き入れてくれる優しい伯父さんが、自分の不幸の全ての原因だと知ったとき、その思いをどう解消すればいいか、考えたのだろう。そのおれに対する復讐で、一番おれにこたえるのは、奈津子の死だ。奈津子は自殺したようなもんだ」
そこで明がおそるおそる一人ごとのように口を挟んだ。「それで鬱血した指のあとが、彼女の顎の下でなくって、鎖骨の上の方にあったんですね」
そう言う明の顔を南條がじろりと見据えた。「それはどういう意味だ?」
南條の眼光に明の心臓を射抜くような鋭利さがあった。
「だって舞浜署の高橋刑事も言ってましたが、普通、体の上にまたがって首を絞めるとき顎の下に親指と人差し指のVの字を押し込むでしょ。力一杯締め付けても、ポイントがずれないから首を絞めやすい。だけど、彼女の首の指の跡は顎の下じゃなかった。だから、絞殺犯は左利きじゃなくて、右利きということになるでしょう」と言う明の顔から中田老人へ、南條は視線を移した。「尊広はどうやって殺したんだ」
「奈津子が死んだその夜、浪江に電話した。いずれ奈津子の死が発覚した後のことを考える必要があった。浪江は『尊広を始末してくれ』と言ってきた。『責任をとってくれ』とも言っていた。その日の夕方、大阪の浪江から、尊広が自宅で常用していたモルヒネが宅急便で送られてきた。おれに尊広を殺させたいという考えは、浪江の俺と尊広に対する復讐の意味なのだろう。浪江もおれに隆と結婚させられて、家庭内暴力でひどいめにあったはずだ。隆の稼ぎがよかったから別れなかったものの、決して幸せな結婚生活ではなかったはずだ。おまけに酒乱と家庭内暴力は隆から、保険金殺人の犯罪はおれから、それぞれ尊広が受け継いで、隆の義兄弟でもあったおれに対する恨みは相当なものだったんだと思う。大阪に行って尊広に会ったとき、俺の目の前で尊広が隆に二、三メートルほど吹っ飛ぶほど、殴られたのを幾度か見たことがある。一度は尊広が浪江と話しながら食事をしていたときだ。隆はいきなり箸の頭で尊広の頭を思いっきり殴った。『食事中は口をきくな』と怒鳴った。もう一度は、尊広が隆の言いつけに対して反抗的な態度をとり、ほっぺたを膨らませたときだ。このときは隆が平手で思いっきり尊広のほっぺたを叩いた。尊広はすっ飛んで、唐紙が破れた。こうして子どものときに受けた暴力がもとで、尊広自身も家庭内暴力を振るうようになったんだと思う。夜、優子に運転させて、舞浜のクリニックに再び行ってみると、尊広は泥酔していた。尊広は奈津子を愛していたが、奈津子はその愛を受け入れなかった。義理の兄妹だから当然と言えば当然だ。興奮状態の尊広に注射を多めに打ち、前後不覚になってから車に押し込んだ。重かったが、老骨に鞭打ち、ここに住んでる優子に手伝ってもらって渾身の力を込めて、車に乗せた。さらにモルヒネを打った。あとはエンジンを掛けて車ごと海に落とした。注射を打つくらいならおれにもできる。信夫を一緒にしたのは奈津子の遺言だった。信夫は言わば不義の子だ。奈津子がいなくなれば、どのみち生きてはいけないだろう。俺は一家心中の手助けをしたことになる。俺が言うのもなんだが、尊広は心底、性悪だった。司直の手にゆだねることも考えたが、悪行の責任をとらせなければいけないという思いの方が強かった。浪江にお願いされたこともある。それに司直の手にゆだねると事件が大きくなるおそれがあった。時効の過ぎたものも間近のものもある。事件には関係したが部落出身でいまは足を洗って平和な生活を一般人と築いている多くの者もいる。その身内で一般の男と結婚している娘もいる。全てが尊広の口を通じて明らかになれば、いまはひっそりと幸せに暮らしている連中も事情聴取の対象になって、知られないで済むことを知られることになるだろう。犯罪は犯罪だが、全ての犯罪を刑法通りに一律に摘発して欲しくはない。だから、全てを知っている尊広を始末した。おれもかりに病身のまま尋問を受けたとしても、何もしゃべるつもりもない。全ては俺と尊広と奈津子で背負って消えて行く。浪江も多少のことは知っているはずだが、あの女は絶対に口を割らない。自分にとって少しでも不利になるようなことは金輪際やらない女だ。妙なもんだが、その点は俺はあの女を信用している。俺の血にまつわるこの隠微な話は、俺と奈津子と尊広が墓場に持ってい行く」
「それと孫の信夫も」と明がかろうじて聞き取れるかすれ声で言った。言ってみて喉がからからであることに気づいて目の前の湯飲みに手を伸ばした。その声が聞こえなかったのか中田老人は無視して「尊広の死が報道されたんで奴と関係のあったやくざはあれから証拠の隠滅に奔走しているはずだ」といい終えて外の庭まで聞こえるような溜息をついた。「尊広も隆にそうとういじめられたらしい。赤ん坊の頃から殴られていたようだ。体中にタバコの火を押し付けられた火傷の跡があった。小学生の頃には友達に刺青のできそこないだと言って自慢していた。それを見ていじましく思ったもんだ。会うたびに小遣いを与えてまともに成長するようにと願ったが、俺と浪江の血を引いていたのであればそれは叶わない願いでもあった。と言うか尊広は隆の実子でないことを薄々知るようになって隆と浪江とおれに対する復讐のつもりで、とてつもないワルになって行ったのかも知れない」
南條は座布団をはずしかけて「最後にひとつ」と人差し指を立てた。「車のナンバープレートの3411はどういう意味だ?」
中田老人は天井を隅から隅まで見渡すようにして言った。「よく知らんが、永山高志が去年死んだとき、奈津子がノイマンに舞浜の方はやめたいと言い出したようだ。ノイマンはやめることはできないので、継続の意思表示として車のナンバープレートを3411とするようにとの指示があったようだ。ナンバープレートを入手するまでの間、尊広が知り合いの板金屋に頼んで偽造したようだ。その写真を撮って、ノイマンに送ったらしい。そのとき、尊広はノイマンにいずれ時が来たら奈津子を始末するように指示されたようだ。俺の目には、尊広はそうしないですむように、それなりに努力していたようには見えた。尊広は最後まで、奈津子が自分の腹違いの妹であることを知らなかったのかも知れない。奈津子が尊広に言ったとは思えない」
どこからかまな板で何かを刻む包丁の音が聞こえてきた。早く帰れという催促なのか、それともごくありふれた日常の一こまなのかと考えながら南條は「俺は担当刑事じゃないんで、同じことを、舞浜署か、墨田署の担当の刑事に話してくれ。通報は今日でもいいか?」と少しよろめいて立ち上がりながら言った。
「いや、今日はもう疲れた。逃げも隠れもしない。今日は休ませてくれ。身辺整理もせにゃならんし。どのようなもんであれ、ゆえのない差別のある限り、犯罪に限らず、なんらかの不幸はなくならないもんだ」と中田老人は息苦しそうに言葉をしぼり出した。
南條と明はそこで客間を出た。廊下に鰹出汁の匂いが漂っていた。気配を察して和服の女が廊下を隔てた向かい側の部屋から出て来た。白足袋のつま先を滑らせるようにして蹴出しを翻らせて先に玄関に向かった。玄関先で跪くと奥襟を覗かせて象牙の靴べらを南條に両手で差し出した。南條の汚れきっていたモカシン靴が新品のように磨かれていた。
「とりあえず、安禄山へ行くか」と南條は黒塀の外に出て肩を落として元気なく言った。いつになく疲れきった様子だった。
「墨田署でなくていいんですか」と明は気を利かせたつもりで言った。
「墨田署へ行けば、中田老人のことを言わざるを得ない。いまさら職務怠慢を非難されることをおそれもしないが逃亡のおそれがないから夕方過ぎでもいいだろう。斉藤に電話で通報しよう。朝駆けの準備をさせてやろう」と言う南條に腑に落ちないものを明は感じていた。いくら本人が逃亡しないと言ったって、署に連絡しなくていいもんだろうか?もし夜逃げでもしたらどうするんだろう?退職金を減額されるんじゃないか?自殺しないとも限らない、自殺したら全ては藪の中になるんじゃないか?早く身柄を確保した方がいいんじゃないか?後になって、すぐ通報しなかったことを責められはしないだろうか?中田老人に対して温情的に過ぎないか?犯罪は犯罪だ、なんで中田老人を温情的に扱わなければならないんだろう?と考えながら明は歩いた。
春まだきの風が桜の花のつぼみの間を縫って明の頬をつめたく撫ぜた。町のたたずまいの色彩が少しずつ色めいて来たように見える。南條は両手をポケットに突っ込み、肩をがっくりと落とし、少し前かがみになって歩いている。「しかし、差別のない社会なんかありうるのかな。警部補と警部の差別がなければ組織は成り立たない。男と女の差別がなければ家族は成り立たない」と南條がぽつりと言った。
「中田老人はゆえのない差別って、言ってましたよね」と明はうつむき加減に自分のつま先を見つめて歩きながら言った。
「どんな差別にだって、それなりの理由があるもんだ、良し悪しは別として。セクハラだって嫌いな男がやるからセクハラになるんだ。女の方が男を好きと嫌いで差別している。嫌われた方はゆえのない差別と思うんじゃないか?部落差別は社会的な差別だが、人の差別は人が人である限り、なくならんだろう。差別が犯罪のひとつの温床となっているというのなら、犯罪はなくならんということだろう。それに、いつもそうだが、おれたちは犯罪のほんの一部分しか見ていない。裁判になれば検事が冒頭陳述でそれらしい作文で犯罪の全貌を描き出すが、あれだってごく一部分だ。犯罪は犯罪者が、おのれの全存在をかけて犯すものだ。所詮今回の事件だって、おれたちは、ほとんど何も知っちゃいないんだ」「でも」と明は蒸し返すようにして言った。「例のバッジがなぜ慶子の転落した現場に落ちていたのか、まだ良く分からないですね」と言いながら待乳地山聖天の石塀を右手でなでながら歩いていた。そのうち南條の気配が傍らにないことに気づいた。明の視界から不意に消えた。振り返ると南條は二、三メートル後ろの歩道でうつむいて立ち止まっていた。明と視線が合うと突然、まだ陽だまりのうっすらと残っている歩道の上でがくりと膝を折って両手を膝の上において土下座した。「すまない。お前を騙していた」とニューヨーク・ヤンキースの野球帽のつばが歩道に触れるほど深く頭を下げた。その姿に明は唖然とした。普段、明に対して高圧的に接している南條からは想像もできない行為だった。まだ、何かを話しているようだったが、南條の声は歩道に吸い込まれて、明には聞き取れなかった。明はどう反応していいか分からずに二、三歩、南條に歩み寄った。南條は明の足元が見える程度に顔を上げた。「許してくれとは言わねえが禁じ手を使ってしまったおのれが恥ずかしい」と言う南條のかたわらに明はしゃがみこんで「どういうことですか?ただでさえ汚いズボンが汚れますよ」と明は耳元で囁くように言った。明が立ち上がるのに合わせて南條もやっと立ち上がった。力なくズボンの裾についた歩道の白い埃をはたいている。「実はあのバッジは、中田老人の裏庭で俺が拾ったものだ」と聞いて明は「いつごろですか?」と聞いていた。
「去年の4月の中ごろだったか。時期的には永山高志が死んですぐの頃だろう。桜の散り始めた頃だ。俺は勤務時間が終わると墨田署から安禄山まで白鬚橋を渡っていつもこの通りを歩いていた。日課のようなものになっていた。そのつど、あの黒塀の家が気になった。なんか臭うんだな。しょっちゅうではないが、いかにもやーさんといった風体の男があの家に入っていくのを見たことがあるし、一度見かけたことのある女主人も、どう見ても素人には見えなかった。その日、何の気なしにあの家の裏手に回り、細い路地を這入ると、裏庭の垣根から内部が垣間見えた。人通りがほとんどないんで安心してのぞき見ることができた。裏庭は二〇坪ほどの広さで、垣根のすぐそばに小さなほこらのようなものが立っていた。大きさはほこら程度だが、上にあずまやのような杉皮でふいた屋根があったが、それ自体には屋根がなかった。多分電気炉だろうと今日分かった。真後ろに近寄ると輻射熱があった。しゃがみこんで、庭に目を凝らしていると、あの和室の縁側から若い女が木のサンダルを履いて出てきた。庭の芝生は、春もまだ浅かったので虎斑模様だった。部屋の灯りが逆光になって顔は見えなかったが、多分奈津子だったんだろう。右手に料理用のイチゴ模様の薄手のグローブをつけていた。俺はとっさに、輻射熱を放つ小さな建造物の裏手に隠れた。垣根の遮蔽があるとは言え、和室の照明がまともに当たっていた。向こうからは丸見えだ。実際、和室の照明が垣根越しに路地に鹿の子まだらに漏れていた。小さな取っ手を開く音がして、四、五分の間、奈津子がしゃがみこんで、ごそごそと作業をしているような音がした。パタンと小さな扉を閉じる音がして、木のサンダルが縁側に戻って行く音がした。縁側のガラス戸が開いて閉じる音を確認して、裏庭を見ると、生垣のすぐ奥にあのバッジが落ちていた。ほかにも、かけらが随分あったが、ちょっと手が届かなかった。腕を生垣にねじ込んで拾ったあと、どこかの代紋だとすぐ思った。翌日から、暴対の資料でやくざの代紋を当たってみたが、同じものはなかった。ほかにもいろいろ当たってみたが、何のバッジかさっぱり見当がつかなかった。暴対の連中に見てもらったが、見たことがないと言う。そうこうしているうちに、今年になって慶子の転落死があった。そのとき半年位前の水野栄子の溺死を思い出した。中田老人の黒塀は、二つの事件現場の丁度中間にある。そこでピンと来た。これは何か関連性があるかも知れない。実際、慶子の事件の前に不審な男がいて、その男がきらりとしたバッジのようなものをつけていたようだという目撃証言もあった。それは多分長田尊広に違いないのだが。だから、慶子の事件に便乗して、例のバッジを鑑識に調べさせることにした。だめで元々だ。そうであれば、証拠品らしく、同僚の刑事もいるので、慶子の母親に、心当たりを聞かなきゃならない。聞いてみたらピンポンだ。目が『見た』と語っていた。慶子の母親は保険金殺人の相談で、長田尊広と打ち合わせしたときに、多分、あのバッジを見ていたのだ。ただし、尊広のバッジは中田組のにわか造りの代紋だ。慶子の母親は、黒地に金泥文字だから、同じものと見誤ったが、デザインがちょっと違う。俺が先日、鑑識に回したのは、奈津子がノイマン邸に入るために焼いた逆三角形が三つ串刺しになったメソポタミアの楔文字だった」
「ノイマン邸にはいる会員バッジなら奈津子の父親が持っていたんじゃないんですか?」「多分、持っていたのだろうが、奈津子は父親が死んだとき、この犯罪と縁を切ろうとして処分したんじゃないのかな。処分した後で、ロサンゼルスのホスピタリティ・コンベンションに行ったついでに、ジェイムズ・ノイマンと会うために、今戸焼きでこさえたんだろう。どう考えたって、会員バッジを焼き物で作るなんてえことは、ありえねえ話だ」
「そうか、それで分かった」と明は左手の平を右の拳骨で打った。
「何がわかったんだ」
「これは、細かいことなんで、言ってなかったことですが、奈津子がアナハイムでノイマンの家に入るときに、玄関先でもめたんです。奈津子は胸のバッジを見せたんでしょうけど、それでは中に入れてもらえずに、仮装用のバタフライめがねを取って素顔を見せたらば、家の中に入れてもらえたんです。そのとき、グーフィーの着ぐるみを着て、玄関にいたのは、多分ジェームズ・ノイマンだったんだ。だから、奈津子がバタフライめがねをはずした瞬間に彼女だと分かったんだ。いわば、顔パスで奈津子はあの家に入れたんだ」
「オリエンタル・エンジェルだとでも名乗ったのかな」
「さあ、それは分かりませんが。父親の高志と去年、最後に来たときの面識があったのかも知れないですね。でも、奈津子がこさえた焼き物のバッジをなんでもっと早く鑑識に調べさせなかったんですか?そうしておけば、ひょっとして慶子も奈津子も死なないですんだかも知れないじゃないですか」と明は大きく手を振り上げて詰問口調で言った。
「それに尊広もな。お前は、墨田署での俺の立場を知らない。俺は、組織にとってだけしか意味のないことは徹底して無視してきた。俺が警察官になったころ、1960年代の高度経済成長期から1970年代の低成長期への節目の頃だったが、警部は二十人に一人もいなかった。警部補だって1割もいなかったんだ。7割が巡査だったんだ。ということは、昇任試験を受けたところで、その程度しかポストはなかった、ということだ。俺が警察官になった頃から、70年安保も終わり、学生運動も下火になり、いろんな意味で社会が安定化して、誰が考えたのか知らんが、組織を引き締めるという意味合いで、昇任試験の受験が奨励され始めた。部下の受験率の高いことが、上司の人事考課のひとつになったもんだから、やたら『昇任試験を受けろ』と尻を叩くようになった。とは言え、合格率が従前通りだと、受験者のモチベーションが上がらないから、巡査三割、巡査部長三割、警部補三割、あとの一割が警部と警視という人事構成になった。いわば、人事のピラミッドがバベルの塔になったんだ。お偉いさんを増やしたって、お偉いさんの仕事が増えるわけじゃない。そこでお偉いさんは自らの存在価値を高めるために部下を管理し、締め付けるようになった。その結果生まれたのが、なんたらかんたら願い、なんたらかんたら届け、なんたらかんたら日報の書類の山だ。俺は、徹底して意味のない書類は提出しなかった。その結果、俺は厄介者だ。定年間際ということもあるが、署内の誰も俺の言うことなんか聞いちゃくれない。組織をうとんじる者は、組織からもうとんじられる。身から出たさびと言えばそれまでだが」と南條は寂しそうに肩を落とした。明のイメージある南條の口の悪い威勢の良さは影を潜めていた。ひょっとしたら歴史に残るかも知れない大事件の解決の糸口を探し当てたというのに南條の表情に晴れがましさはなかった。謝罪しても謝罪しきれないというような憂鬱な気分が眉間のあたりに漂っていた。最後に腹の奥底から搾り出すようにして言った。「お前、島崎藤村の破戒を読んだことがあるか?」
唐突な質問だったので明は速答できなかった。一瞬意味を考えたが思いつかなかった。南條の質問の意図を探るようにして答えた。「ええ、中学か高校のときの国語の読書感想文の夏休みか冬休みの課題図書だったんで」
「俺は、瀬川丑松だ」と言った後、南條は明の反応を横目でうかがった。明は足をとめた。その足に釘を刺すように南條が言い放った。「われは、穢多なりだ」
思わず明は南條の顔をまじまじと見た。何の気負いも何の悲壮感も感じられなかった。しかしいつになく清明な表情に見えた。明は何も言えなくなっていた。ただ黙って歩き出した。南條刑事は何で告白したんだろう?この辺りの部落出身であれば中田老人を知っていたはずだ、知っていたという様子はなかった、とすると関西か?しかし関西の部落出身にしては関西なまりが微塵もない、とすると信州か?警察組織に対する反骨精神も出自に原因があるのか?離婚した原因もその辺にあるのか?それとも持って生まれた性格なのか?警察組織を疎んじる反骨的な行動はそうした境遇に対する復讐なのか?中田老人に対する温情は同じ境遇を相哀れむということなのか?と思ったが南條に何も聞こうとはしなかった。明自身に部落出身者に対する差別意識は全くないし、かりにそうであったとしても差別しようとは思わなかった。明が差別すべきと思うのは差別する側の人間たちだった。いい論文が書けないということで学会で差別されていると感じている。優れた論文を書けないという理由だけで全人格を否定されているような被差別意識が明にはあった。