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歌う紫水晶亭の人々  作者: Bcar
閑古鳥の鳴く冒険者宿に集う人々
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07:ビースト狂想曲(後編)

 翌日。綺麗になった衣服を身に着けたミアさんはすっかり元通りだった。元気なことには変わりないが、妙なテンションではない。


「すごいニャ、ルツァ! 新品みたいにピカピカニャ!」

「ふふ、ありがとうございます」


 食事はオムレツとグリーンサラダ。それについさっき届けてもらったバターロール。

 今日は紅茶の気分らしいモーナさん、相変わらずカフェオレを頼むハナさん、ミアさんは水でいいらしい。

 動物の口なのに器用にグラスの水を飲むものだなぁ、と眺めている間にも、私の作業は終わらない。


「モーナさん、ダニエルさんって人に会いに行くんですよね? その人の居場所知ってるんです?」


 モーナさんはオムレツを切り取ろうとスプーンを持ったところだった。


「あぁ、ダニエルか。居場所もなにも、顔見知りじゃ。今日は聖地マーカへ向かう」

「あ、じゃあ近くですね」


 私は調理をしながら、ミアさんに訊ねる。


「そういえば、ミアさん、昨日のカルパッチョにも入ってましたけど、玉ねぎって平気なんです?」


 犬だか猫だか忘れたけど、玉ねぎが毒だと聞いた覚えがある。ミアさんはけろっとした顔で答えた。


「言ったニャ。ミア、好き嫌いないニャ。……ビーストだから心配してくれてるかニャ?」

「ええ、まぁ」

「平気だニャ。キウイとかミントは食べると、ふわふわすることはあるけど、人間と食べるものは同じと思っていいニャ。玉ねぎもにんにくも、たまごもチョコも、全部食べられるニャ」

「良かった」


 私はこの間と同じく包みをカウンターに置く。今日はみっつだ。


「わ、今日もお弁当ですか?」


 ハナさんが嬉しそうな声を上げた。


「はい、今日は近い場所なのでサバサンドにしました。昨日のヒラメのおまけに貰ったんだって、アマリアさんが言ってました」

「サバとは、魚のか。鯖のサンドイッチとは、珍しいのう。そういえば先日のオベントウも美味かったのう、感謝する」


 モーナさんのポシェットにみっつ、包みが吸い込まれる。やはり中は四次元的なアレなのだろうか。


「うん、干し肉っていうから硬いのかと思ったけど、パンの湿気を吸って程よく柔らかくなってて、美味しかったです」

「良かったぁ」


 私が安堵したように笑うと、ハナさんは不思議そうにしていた。


「……飲食店ですから、美味しいものを提供できて当然と言うかと思ってました。ルツァさん、不思議な人ですね」

「……まぁ、そうですけど。オクタが差別をとっばらったって言っても、やっぱり褐色肌の人間が料理したものなんて食べたくない、って人もいなくはないですから」

「でもご両親の頃からこの宿やってるんですよね?」

「あぁ、私孤児なんです。五才より前の記憶はあやふやで。その頃に両親に拾われて。なので、両親の肌は色白でしたよ」

「そう……だったんですか」


 聞いてはいけないことを聞いたようにハナさんの表情が曇る。逆にミアさんは両手で私の手を握ってきた。ぷにぷにの肉球とふわふわの被毛の感覚。


「ルツァ、ダニーと似た境遇だったニャ? でも気にすることはないニャ。ルツァはご飯も美味しく作れて、洗濯も上手で、お掃除もすごい、人を幸せにする魔法使いみたいな人ニャ。ルツァの悪口言うヤツがいたら、ミアが切り裂いてやるニャ!」

「う、嬉しいですけど、暴力沙汰はやめてくださいね?」


 ミアさんの指に隠された爪を想像して少し血の気が引いた。そういえば職業は狩人だって言ってたっけ。


 早々と出ていった三人を見送ると、アマリアさんが下りてきて、お昼も近くなってきた頃にヴィジーさんも下りてきた。

 二人にも食事を提供する。ヴィジーさんが食後の紅茶を注文したのは正午の鐘も鳴った後だった。

 周囲を見渡し、アマリアさんが訊ねてきた。


「そういえば、かしまし三人組は?」

「朝早くに出たよ。モーナさん、まんまるスライムに乗っかって行ったし、徒歩と馬車かなんかなんじゃない? 聖地の人に会いに行くって言ってたし」

「聖地……って、マーカ? 確かに近いけど、あんな宗教都市にいる人なんて、その人僧侶かなにか?」

「えー……? ミアさんの探し人だから狼のビーストだって言ってたし、ビーストの僧侶なんて相当目立ちそうだけど……」


 黙って紅茶を楽しんでいたヴィジーさんが口を開いた。


「……マーカが聖地と呼ばれるようになった所以も知らんのか。彼の地はオクタが現れる以前からレフトナの心臓と呼ばれた場所。つまり、オクタ教ではなく、レフトナ教の方が力が強い。未だに聖地と呼ばれるままなのは、オクタがレフトナの代弁者であり、つまりオクタを産んだのがレフトナであるという説が強いからだ。オクタ教の聖典にも『オクタはマーカで命を落とした』、とある。故に聖地とされておることくらい、知っているであろう? それを考えれば、レフトナ教徒の多いビーストの信徒が多いのも不思議ではないであろうに。あぁ、これだから浅学な人間風情とブラウニー風情は困る。脳みそぽんぽこぽんのお馬鹿さんたちめ」


 呆れたように鼻を鳴らしながら首を振るもんだから、そのオペラマスクの向こう側の目もこちらを蔑んでいることは容易に想像できた。しかし、言われたことは確かに知らなかったのでぐうの音も出ない。それでも私は仮にもオクタ教の信者である。


「オクタが天に帰られた場所だってことは知ってますぅー! その前の話なんてオクタの聖典には書いてなかったですぅー!」


 私の反論は一笑に付され、標的はアマリアさんに向かった。立ち上がり白手袋で包まれた指で差し、言い放つ。


「まぁ、人間であるルツァはそうであろうとも。だが、レフトナ教の信者の多い妖精族のそちらのブラウニーさんはどうだ?」

「私そんなに信心深くないもーん」


 しかし、アマリアさんは相手にする気もないのか受け流す。


「ちっ、つまらん女どもめ。しかしこの宿も女ばかりで居心地が悪くなったものだ。まぁ? この私の美しさに気が付かない程度の女子供、物の数にもしてはおらんが?」


 明らかに馬鹿にしたようにやれやれと首を振る。

 それがカチンときたのか、アマリアさんが椅子からじろりとヴィジーさんを睨む。


「なんだとこの素っ頓狂エルフ」

「あぁん? 文句あるのか、仕事のできないお手伝い妖精さんが」


 あー、ケンカが始まりそう。……だけど、なんだかこの感覚、懐かしい気がしてきた……。


 と思ったらドアベルが鳴る。


「ただいまニャー!」


 大声でミアさんが飛び込んできた。


「おかえりなさい、ミアさん。ダニエルさんには会えましたか?」

「うん! それにそれだけじゃないニャ!」

「それだけじゃない?」


 ぽよんぽよん、というスライムの跳ねる音。カツカツというブーツの音。そして、ぺたぺたという……サンダル? のような音。


 ハナさんとモーナさんに挟まれるようにやってきたのは、背の高い男の人だった。

 エルフにしては少しだけ小柄なヴィジーさんが見上げるくらい、背が高い。

 鮮やかな森の葉のようなグリーンの髪の右のもみあげだけ長く伸ばし、不思議な飾りを付けている。ルビーのように赤い目、その下を縁取るように涙袋に入れられた入れ墨。ピアスだらけの耳、朱色で染められた前開きのパーカーの下は異種族的な鳥の羽のネックレス以外何も身につけていない。藍色のダボついたジーンズにコルクソールのサンダルを履いた、オクタ時代の衣服に身を包んだその男性は……端的に言えば。


「い、イケメンだ」

「いけめん?」


 アマリアさんが鸚鵡返しに言う。ああ、こちらでは死語も死語だった。ともかく、とんでもない男前だ。彫りの深い顔立ちではあるが、濃すぎることもなく。俳優さんでもこんなにカッコイイ人はそうそういない。あと、あの、開けたお洋服から見え隠れする筋肉が、大変目に毒でございます。


「ふぅん、ここを拠点にしてんのか。悪くねぇ宿だな」


 少し気怠げな声がまた色気がある。

 まさか。この人が? いや、でも。


「ミア、紹介するニャ。ミアの兄ちゃんの、ダニー……ダニエルだニャ!」

「どうもー。ダニーでーす」


 ひらひらと『ダニエル』さんが手を振ってくる。しかしその指にも肉球は見当たらない。リングピアスだらけの耳だって、人間と同じ丸い耳だ。

 あれ、ダニエルさんって狼のビーストじゃなかったっけ?

 私が混乱していると、右のもみあげに付けられた飾りを見たアマリアさんがぴんと背筋を伸ばした。

 ヴィジーさんもこころなしか緊張しているように見える。うん? どういう事だ?


「しゅ、守護獣様!?」

「まさかこんな場所でお目にかかるとは。光栄の極まり」


 ……しゅごじゅうさま、とは?

 教会の学校の歴史の授業を思い出す。

 先生は確か、こう言っていた。


「オクタ様が現れる前は、このレフトナは戦乱が耐えない世界でした。ですから、レフトナは自分の代弁者たる天の守護者様を選ぶ前に、己を守るための獣を選びました。『白い虎』、『青い竜』、『漆黒の陸亀』、『緋色の鷹』。これを守護獣様と呼びます。これらのビーストは今も姿を変えてレフトナ様を守ってらっしゃるのです。本来であればそのビーストでは生まれるはずのない毛色のビーストが、守護獣様の生まれ変わりとされ、聖地マーカで暮らしています……」


 ええと、つまり。ダニエルさんがビーストで、マーカで暮らしているのは。

 『守護獣』様だから?


「守護獣様……? え……でも、人間……にしか、見えないんですけど」


 言われて、ダニエルと名乗った男性はあぁ、とつぶやき、自分の姿を見る。


「人間の格好の方が楽でよ、こんな格好してんだ。尻尾を気にすることもねぇし。……本当の姿、見たいかい? 姐さん」


 にっ、と笑うとざわざわと彼の髪が逆立つ。少し日焼けをしていた肌に緑色の被毛が現れ、鼻先は伸び、目も獣らしい黒目がちなものに変わっていく。

 あっという間に、男性は緑色の被毛に真紅の眼をした狼のビーストに変わっていた。耳にはピアスがじゃらじゃら光り、頬の毛だけ少し長く、髪飾りはそこに移動していた。

挿絵(By みてみん)

「信じてもらえたかい、姐さん。守護獣になると不便がある代わりに色々お得な特典があってな。この元々の半人半獣のビーストの姿の他に、完全な獣の姿、各々の守護獣の原素の姿、人間の姿が貰えるんだよ。ちょっと修行はいるけどな。……って、聞いてるか、姐さん?」

「一般人には、まぁ衝撃的なことだと思うよ、ダニエル。私だって驚いたんだから……」


 遠くで、ダニエルさんとハナさんの声が聞こえる。そのまま、私は意識を手放した。


……。


 気がついたら、酒場スペースの端のソファで寝かされていた。すぐそばに、人間の姿のダニエルさんが座っている。


「おう、姐さん。目が覚めたか」

「あ、あれ!? ダニエルさん!?」

「はい、ダニエルさんですよ。驚かせて悪かったなァ」

「い、いえ。私こそ、急に気を失ってしまって……ダニエルさんがここまで運んでくれたんですか?」

「いや、あのヴィジーとかいう仮面のエルフだ。あんたが倒れかかった瞬間カウンターの中に飛び込んであんたを支えてここまで運んでたよ。おっと、これはヴィジーに口止めされてたか」


 心底おかしそうにダニエルさんは笑うと、目尻に沿うように入れられた赤い入れ墨も少し歪む。

 私がそこをじっと見ているのに気がついたのか、ダニエルさんは入れ墨を撫でた。


「気になるか? これは人間の姿の時にだけ見えるんだ。レフトナの所有物だっていう刻印だとよ。くだらねえよな。守護獣の証もこうして付けてんのにな」


 そう言ってダニエルさんはもみあげの髪飾りもいじる。そうか、アマリアさんとヴィジーさんはこれを見て、彼が守護獣だと察したのか。


「そのネックレスも……守護獣の印ですか?」


 これ? といった風にダニエルさんが首から下げた見慣れない羽飾りを指差すので、私は頷いた。


「これはオレの両親……あぁ、元のな、ミアの両親じゃない。ともかく、親が作ってくれたもんなんだ。ビーストは成人の印にエミューの羽の首飾りを親からもらう風習があってな。……オレが生まれてすぐにこいつをもらったのは、親がオレを見た瞬間に自分たちが長生きできねぇって悟ったからだろうな」


 ……深く。立ち入って聞いてはいけない話な気がした。

 普通のビーストの夫婦から生まれた、通常ではありえない毛色のビースト。緑色の狼なんて聞いたこともない。

 ご両親がどうやって彼を育てようとしたか、想像に難くない。そして、きっと、もしかしたら……。

 ……きっとこの人は、レフトナ教の暗部の当事者なのだろう。

 なので、別の話をする。


「あの。皆は、どこに?」

「うちの女衆は俺の歓迎会するんだっつって、買い出し。先輩のアマリアは仕事。ヴィジーも急患が出たっつって出ていった。で、倒れた女一人置いていけねえってんで、オレは留守番」

「そ、そうですか」


 ダニエルさんはタバコを吸っていた。

 ……守護獣って聖職者なんじゃないっけ。タバコとかお酒とかいいのかな。

 ダニエルさんはそんなことを考えている私のことを読み取るように、タバコの灰を灰皿に落としながら笑う。


「これか? いいんだよ、オレ、不良守護獣さんだから。真面目にやってる気なんてねーもん。でも、この御方はオレたち守護獣が生きてるだけで満足なんだとよ」


 そう言ってサンダルのソールでカンカンと床を蹴る。

 レフトナ……大地を蹴っているのだろう。

 そう考えるとなかなか不敬な人だ。


「ダニエルさんは読心術が使えるんですか?」

「まさか。ババアじゃあるまいし、そんな真似できねぇよ。でもあんたの考えてることくらいなら解るぜ? あんた解りやすいからな」

「そうですか?」

「あぁ、このオレの仮初の姿に見惚れてるのも、解る。へへ、惚れんなよ。火傷するぜ?」


 真っ赤な瞳が私を捉える。一瞬心臓が跳ねた。


「……可愛いな、あんた」


 そう言って、ダニエルさんが顔を寄せてくる。頭がクラクラするのは、強いタバコの香りのせいか、ダニエルさんの抗えない魅力のせいか。


 唇が触れる直前。

 ジャガイモがダニエルさんの頭に直撃した。


「いって……何すんだ、このババア!」

「誰彼構わず盛るなというたであろうが、この色情魔が! せっかくハナが自由をくれてやったのに、少しは恩義を感じんか!」

「あぁ、悪かった悪かった。ジョークだ、ジョーク。だから睨むな、ミアも。可愛い顔が台無しだぞ」

「ダニー、駄目ニャ! ヴィジーに手を出しちゃ駄目って釘刺されてたニャ!? 約束は守らなきゃ!」

「うんうん、そうだったそうだった。悪かったって」


 ダニエルさんはミアさんやモーナさん、ハナさんの元へ向かい、必死に言い訳をしている。

 心臓がドキドキ言っている。

 お、男の人に正面から言い寄られたのなんて生まれてはじめてだ。

 顔面に血が集中したみたいに熱い。顔、赤くなってないかな。

 ともかくダニエルさん……不良というのは本当らしい。不良というか、女ったらしだ。ろくでもない。


 夕食作りはハナさんとミアさんが手伝ってくれた。

 ポテトサラダと、昔は鶏肉が好きだったとミアさんが言っていたので、鶏の唐揚げ。

 ……ううむ、ご飯が欲しくなるな。でももちもちのお米ってこっちじゃあまり手に入らないんだよなぁ。売っててもパラパラのばっかりだ。こっちの方じゃ水だけで炊いて食べる人もあまりいないし。……ハナさんなら喜ぶかなぁ?


 ぼんやり考え事をしながら手を動かす。ふと見ると、ダニエルさんはテーブル席でなにか難しそうな話をモーナさんとしていた。

 ……でも、モーナさん、おばあちゃんみたいな話し方はするけど、小さい子なのに、どうして皆ババアだとか、モーナ婆ちゃんだなんて呼ぶんだろう。


 食事は美味しい美味しいと食べてもらえた。ダニエルさんは喉を鳴らしてエールを飲み干す。

 ダニエルさんはお酒に合うものならなんでも好きらしい。

 ミアさんにお酒美味しいの? と聞かれていたが、別に、と答えていた。ミアさんにはお酒を飲んでもらいたくない様子だ。

 ……二人の話を聞いていると、ダニエルさんにとってのミアさんはやはり可愛い妹で、ミアさんにとってのダニエルさんも大好きなお兄ちゃんなのには変わりないらしい。


 また新しい定住客さんが増えた。

 ……色々と油断のならない、ビーストさんだけど。

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