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歌う紫水晶亭の人々  作者: Bcar
閑古鳥の鳴く冒険者宿に集う人々
7/32

06:ビースト狂想曲(前編)

 ドタバタの新しいお客さんの来訪と簡単なパーティーが終わり、今は皆自室に戻った。私はひとり、食事の片付けをしている。

 ヒラメのカルパッチョは綺麗に食べてもらえた。メインの鶏肉のソテーもご満足していただけたらしい。明日は何を作ろうかな、とぼんやり考えていた時だった。


「ミギャー!!」


 悲鳴にも似た絶叫が宿を揺らした。驚いて大皿を落として割ってしまった。そんなに高いものじゃないから良かったけど、何事だ!?

 私がわたわたと声の方へと向かうと、そこは共用浴室だった。個別シャワー室かららしい。女風呂だったので躊躇なく覗き込むと、素っ裸になってずぶ濡れになったミアさんがシャワー室の奥で縮こまっていた。鎧を外して軽装になり、腕まくりをしてシャワーヘッドを持ったハナさんと目が合う。

挿絵(By みてみん)

「は、ハナさん? 何事です?」

「あ、えっと、ミア、生まれてから一度もちゃんとしたお風呂入ったこと無いって聞いて、シャワー手伝ってあげようと思ったら……」


 ハナさんも困惑している様子だ。まさかここまでの反応があるとは思っていなかったのだろう。

 ミアさんはぷるぷると震えながら言う。


「だって、ミアの故郷じゃ皆砂のお風呂だったニャ……お湯かぶるなんて、おかしいニャ。それに毛も乾かないニャ」


 言われて、確かに人間サイズの猫がいたとして、ドライヤーを駆使しても乾かすのは時間がかかりそうだ、と私も思った。


「乾かすのはモーナが魔術でなんとかしてくれるって言ってたでしょ? それに、ダニエルさんに会う前に体を綺麗にしたいって言ったのはミアじゃない」

「そ、そうだけど……えくちッ」


 ミアさんは体が冷え始めているのか、小さくくしゃみをした。


「急にかけてびっくりさせたのは謝るよ。だから、ほら、お湯あったかいよ。手だけでも触ってみよ?」

「うう……」


 ミアさんはおそるおそるシャワーヘッドからゆるゆるあふれるお湯に手をかざす。その親指の先の肉球に赤いインクがついている。文字が書けない、というのでサインの代わりに拇印をもらったことを思い出した。


「……あったかいニャ」

「でしょ? 私も頑張って早く済ませるようにするから、ミアも頑張ろ。ダニエルさんに綺麗になったの見てもらお? ほら、風邪引いちゃうから」

「が、頑張る……ニャ」


 苦手であろうシャワーを耐えるくらいに、その『ダニエル』さんとやらはミアさんにとって大きい存在らしい。

 泡立つハーブ配合のシャンプーはミアさんのお気に召したらしい。わしわしと自分でも体をこすり、泡まみれになってけらけらと笑っていた。


 私は少し安心してキッチンへと戻り、割れたお皿を片付ける。片付けが終わり、洗い物が終わる頃にハナさんが首を鳴らしながら下りてきた。


「あ、お疲れ様です、ハナさん。ミアさん、大丈夫でした?」

「ありがとうございます、ルツァさん。お騒がせしてすみません。ミアは、お湯が危なくないって解ってからは平気みたいでした」

「それは良かった。今はどうしてるんです?」

「モーナに乾かしてもらってます。温風の風魔術で」


 つまり、ドライヤー中、と。ハナさんの手にはミアさんが着ていた衣服というにも粗末な布が握られていた。


「あの、これ今から洗濯して、明日までに乾きます?」


 言われて、ミアさんの服……服? を受け取る。

 何かの獣の革を限界まで鞣したらしいそれはペラペラで、触り心地はすこし絹のように思えた。これはビーストの技術だろうか。しかしこの薄さなら、一晩干せば十分乾くだろう。そういえば下着が見当たらないが……。


「下着はないんですか?」

「あ、ビーストは下着を履く習慣はあまりないんだそうです。下履きみたいなのはつけてますけど、えっと、なんて言えばいいのか。こう、尻尾が出るようにスリットの入った、ふんどしみたいな」

「ふんどし」

「あ、ええと、紐のついた布で、腰に紐を巻きつけて、大事な部分を隠すみたいにしてつけるというか」


 私がふんどしがわからないと思ったのか、ハナさんはあわあわと説明を始める。


「あ、平気です、わかりますよ」


 私がおぼつかないハナさんの解説を遮ると、ハナさんはほっとしたように笑い出した。


「……そうですよね。オクタの時代にも詳しかったら、知ってますよね」

「ええ、まぁ、そうですね、うん」


 適当に話を合わせる。すみません。オクタの生まれた島国にふんどしという文化があったかどうかもよくわかっていません。

 それはともかく。


「ミアさん、よっぽど『ダニエル』って人に会いたいんですね」

「私が話しちゃっていいのかな……。兄妹きょうだいみたいに育ったんだって、言ってました。ダニエルさんは狼のビーストだけど、えっと、色々あったそうで、孤児になっちゃったらしくて。それで当時は子供がいなかったミアのご両親が育てたんですって。むしろダニエルさんがいたから、ミアのご両親はお若いのに結婚したんだって聞きました。よくわからないんですけど、事情があって、ミアが小さい頃にダニエルさんはこっちの方に移住したんだとか?」

「はぁー……人生色々ですねぇ」


 ハナさんはくすくす笑いながら言う。


「ミア、『ダニーは兄ちゃんだ』って言ってましたけど、きっと初恋の人でもあったんじゃないかって思うんですよね。だって、あんなに身なりに気を使って、頑張ってるんですもん」

「あー……なるほど?」


 生まれてすぐに触れ合う他人が兄弟だって、なんだかどこかで聞いた記憶がある。もしも本当に兄妹のような関係で血がつながっていないのなら、恋心が生まれても不思議じゃない。

 それにしても、狼と猫、というのは不思議な気がするが、元の世界でだって犬好きの猫も、猫好きの犬もいることを考えれば、まぁ、結婚どうこうはともかく、人間と同じ知能があれば、恋くらいするだろう。

 世の中には実際の血の繋がりがあっても恋をすることもあるらしいし。自分にはいつだって兄弟がいないからよくわからないけど。


 話をしているとぺたぺたと寝間着を着たミアさんが下りてきた。毛はツヤツヤになり、ハーブシャンプーのいい香りがここまで届いてくる気がした。


「ハナ! ルツァ! ミア綺麗になったかニャ!?」


 くるくる回るとシンプルなワンピース型の寝間着がふわふわと揺れる。もしかして初めて着る服に興奮しているのかもしれない。


「うん、綺麗。可愛くなったよ、ミア」

「綺麗になりましたよ、ミアさん」


 ハナさんが言うので私も続けて言う。ミアさんは照れくさそうに笑っていた。それにしてもミアさんのテンションがおかしい。なんだこれ。お酒でも飲んだみたいな感じがする。

 バタバタと同じく寝間着を着たモーナさんが下りてきた。


「ルツァ! この宿で使っているシャンプーの話じゃが……!」

「はい? アレルギーにも配慮した、薬屋さんに配合してもらったものですが……」

「ここ! 見よ!」


 使用したハーブの名前が書いてある。今使っているのは清涼感のあるミントの香りが含まれているものだったと思うが……。

 モーナさんの指差すボトルにはやはりペパーミント、小さくと書かれている。


「えっと?」

「ミアはミントに反応する体質じゃ! 洗いたての頃はさほど強く香らなんだで気がつかんかったが、毛を温風で乾かし、自分の体から始終ミントの香りがしておる今は酔っ払っているも同然じゃ……」


 けらけらと笑うミアさんを見て、私は慌てて頭を下げる。


「も、申し訳ありません! 今後はお客様の体質にも配慮したアメニティを用意しておきますので……!」


 モーナさんは手をひらひらと振り、首を横に振る。


「あぁ、いいんじゃ、ルツァ。お主を責めておる訳ではない。こちらも確認不足であったし、まさかミアがキャットニップやマタタビのようなものだけではなくミントにも反応するのは想定外じゃった。じゃが、今後はミア用にミントやそれらのものが混ざっておらんものも用意してもらえると助かる」

「は、はい。そうします」

「うむ、では儂はミアに眠りの魔術を施してこよう。ほれ、ミア、お主の部屋に行くぞ」


 足取りのふわふわしたミアさんの腕を引いて、モーナさんが部屋に向かう。


「んん、モーナ婆ちゃん、まだまだ眠くないニャー! もっと遊ぶニャー!」

「いいから寝るんじゃ!」


 モーナさんが叱り飛ばし、ミアさんはしぶしぶ引っ張られて部屋へ向かっていった。


「……私もお風呂入ってこよ」

「あ、はい。行ってらっしゃい。じゃあ私はこれ洗濯しておきますね」

「ありがとう、ルツァさん」


 腕まくりをし、洗濯板を取り出し、衣服用洗剤を取り出し……念の為、成分表を見た。うん、マタタビ科の植物も、ハッカ関係も入ってない。

 明日好きな男性の会うのだから、なるべく丁寧に洗わなきゃ。


 こうしてその日は終わっていった。

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