05:新しいお客さんは猫でした
ハナさんとモーナさんが旅立って二日。
部屋は毎日整えているし、いつ帰ってきても大丈夫。
……けど。
「ハナさんたち帰ってこないねぇ」
「心配しなくてもいいんじゃない? あのハナちゃんって子はよくわかんないけど、少なくともモーナちゃんって子は熟練みたいだ……し……」
アマリアさんとヴィジーさんは暇に任せてカードゲームをしている。仲が悪いのに一緒には遊ぶのだから、よくわからない関係だなぁ、と思っていたが、聞けば来月のうちの宿賃を賭けているのだとか。
「うむ、モーナとは確か、あのちびっこか。確かに魔力は豊富であったな。賢者と讃えられてもおかしくないレベルであった……な、っと」
「ん~……。どうしよコレ……いや、何いってんのヴィジー。賢者なんて、封印の地に居られるサラ様くらいしか呼ばれるのを許されてないじゃない……こっちだ!」
「だから、それに匹敵するレベルだと言う話……お、上がりだ、来月の宿賃、頼んだぞミス・アマリア。フハハハハ!」
「だー!! あと一枚だったのに!」
カードゲームはヴィジーさんの勝ちだったらしい。
まぁ、そんな事いいながらもヴィジーさん、自分で払うんだろうけど。
この一時だけ、敗者を屈服させればそれで満足するのがこの変人エルフの嫌なところだ。
そもそもカードゲームなんて、顔をオペラマスクで覆っているヴィジーさんの方が有利だろうに、どうしてアマリアさんは勝負を受けてしまったのだろう。それ程までに暇だったのだろうか。
「はいはい、おふたりさん、そろそろ晩ごはんの買い出しに行くけど、リクエストは?」
「なんでもいい……安いやつ……お金ない……」
「投げやりになんないの、アマリアさん」
「食事か。魚がいい。ヒラメのカルパッチョが食べたい」
「今はヒラメは高いから却下」
「ちっ、ケチんぼルツァめ。ならば、なんでもいい」
「なるべく期待には答えるけど……」
その瞬間に、キン、と頭の奥で何かが鳴るような感覚がした。
偏頭痛? いや、痛みじゃないな。 でも、なんだろう、この痺れるような感覚……。
「……ァ、ルツァ。聞こえるか」
頭の奥から、あの幼い女の子の……モーナさんの声がする。周囲を見渡しても、当然私と、いつもの顔なじみしかいない。
「今から戻る。定住客がひとり増えた。部屋を一室整えておいてもらえるか?」
頭の奥のモーナさんの声。耳を塞いだって聞こえてくる。なんだこれ。気持ち悪い……。私の異変を察したのか、モーナさんの声が少し和らいだ。
「あぁ、すまぬ。念話魔術は初めてであったか。慣れぬだろう。今我々はまだ土の大地にいる。すぐに戻るのでな。側にあのエルフがいたら治癒してもらえ。ではな」
ふ、と何かが抜けるように頭に居座っていたモーナさんの声が抜けていく。
私が思わず蹲ると、アマリアさんとヴィジーさんが駆け寄ってきた。
「大丈夫、ルツァさん? 何があったの?」
「大丈夫……今……頭にモーナさんの声がして……びっくりしただけ」
「ふむ、念話魔術か。あれは慣れぬうちは違和感が強いからな。水でも飲むか?」
「平気。今水飲むと吐いちゃいそうだし……」
すー、はー、と少しだけ呼吸を整える。そしてスカートの埃を払いながら立ち上がった。
「定住客さんが増えるから、部屋整えといて、って。十一部屋、抑えられてるから、一応全部掃除はしてるけど、シーツは変えなきゃね」
「あ、じゃあ買い物は代わりに私が行くよ」
「本当? ありがとうアマリアさん。じゃあ買い物メモ作るね」
私がメモ帳を一枚千切り、そこに買ってほしいものを書き入れる。ヴィジーさんはそれをじっと見つめていた。
「な、何、ヴィジーさん?」
「少し黙れ。あとじっとしていろ」
そう言ってヴィジーさんは白い手袋で包まれたほっそりとした指を私の額に当ててきた。私は驚きと戸惑いで動けない。
「水の精霊、風の精霊。告げよ目覚めの声、雪解けの時は来たり」
つま先から脳にかけて、体の中を風が駆け抜けていく感覚がした。それがつむじからすう、と抜けていくのと同時に、頭の奇妙な痛みが治まる。
「……ヴィジーさん、今の」
「フン、シケた顔をしていたのでな、一番簡単な癒やしの術を施した。根治治療にはならんが痛みは引く程度の子供だましの魔術だ。強い治癒魔術を使って自然治癒力が落ちたら元も子もないからな! だが慣れぬ魔術の残滓による痛みはなくなっただろう。こんな優秀な癒し手に癒してもらったのだ、有り難く思えばいいと思うよ!」
そう言ってつん、とそっぽを向いてしまった。
心配してくれた、のだろうか。尖った長耳の先が少し色づいている。照れているのだろう。
「うん、ありがとう、ヴィジーさん」
私は買い物メモに少し書き足し、お金と一緒にアマリアさんに渡した。アマリアさんは買い物メモを見ると私の顔を見上げる。
「……ルツァさん、これ」
「領収書、貰ってきてくださいね、アマリアさん」
「……わかった」
アマリアさんが宿を出ていくのを見送り、カードを片付けるヴィジーさんを横目に、私は洗いたてのシーツをベッドにかける為に階段を登る。
新しい定住客さんのお部屋に入る。真ん中の部屋なので、空調用のダクトしかない。その代わりに、と青空の綺麗な絵画を掛けてある。
高名な画家のもの、なんてものじゃない。昔この宿に出入りしていた冒険者さんの趣味が絵画で、宿賃代わりに置いていったうちの一枚だ。けれど、十分上手だと思う。両親が一ヶ月の宿賃代わりに受け取っていたのも納得の出来だ。
古いシーツを引き剥がし、真新しいシーツを広げ、ベッドの四隅に畳み込む。掛け布団も同様に。
部屋を見渡し、埃ひとつない事を確認してから古いシーツを抱えて一階へ下りた。裏手に周り、明日の洗濯物籠に押し込み、宿の中に戻るとしばらくしてわいわいした声が近づいてきた。
「ただいま戻ったぞー、ルツァ」
「おかえりなさい、ハナさん、モーナさん……?」
ハナさんが入り口でなにやらドタバタしている。手を引いて屋内に連れてきたおそらく『新しい定住客』さんを見て、思わず目を見開いた。
茶トラの、猫だ。直立して、大きさが人間と変わらないことを除けば、普通の猫だ。
大きな三角の耳は頭の天辺、猫らしく大きなアーモンド型の瞳は銅色。少し尖った鼻先は黒く濡れ、口周りには白いひげが興味深そうに揺れている。胸と腰周りにだけ、何かの獣の革を鞣したような衣服……と言えるのかもわからない何かを身に着けている。
頭だけではなく、しなやかな四肢も腹部も被毛に覆われ、明るいオレンジに近い茶色の毛に濃い茶色の縞模様がついている。長く伸びた尻尾も同様に。
ビーストのお客さんだ。びっくりした。ええと、ええとと脳内のマニュアルをめくる。両親はビーストのお客さんにどう接していたっけ。たしかその人はお風呂は好きじゃなくて、砂浴が好きで、うちにそんな施設はないから、だから砂浴ができる公共浴場に行ってもらってた……。
「ふわー! ここが今日からミアの家ニャ!? とーちゃんやかーちゃんやリズから離れて暮らすの、初めてニャー!」
……なんだか絵に描いたようなテンプレ猫っ娘な喋り方をする子だな……。思わず肩の力が抜けた。
「ほら、ミア、ご挨拶して」
ハナがそう促すと、ミア、と言うらしいその猫型ビーストさんは佇まいを直し、ぺこりとお辞儀をした。
「は! えっと、今日から土の……」
何かを言いかけた瞬間、まんまるスライムに乗っかっていたモーナさんの拳がミアさんの頭を叩いた。
「何か言ったかの、ミアよ?」
じろりとモーナさんがミアさんを睨むと、ミアさんは思い出したようにぷるぷると首を横に振る。
「土の、じゃなくて、えっと、土の大地から来た、ミアと言いますニャ! 十三才ですニャ! カンガルーの肉が好きですニャ! お世話になります、ニャ!」
「あ、はい。ここの主人です。ルツァ、と呼んでください」
「ルツァかニャ! ミアはミアだニャ! えっと、変な喋り方かもしれないですけど、お気にならずだニャ!」
私が混乱していると、ハナさんがそっと補足をするように言った。
「ミアはご両親でも見分けがつかないくらいそっくりな妹さんがいて、それで区別をつける為にこんな喋り方をしてるんだそうです」
その言葉で、なんとなく納得した。親でも見分けがつかないとは、それは相当そっくりなのだろう。
「でもダニーだけは見分けられたニャ! ハナ、モーナ婆、早くダニー探しに行くニャー!」
「時差、というものがあるのじゃ、ミアよ。こちらではこれから夜になる。何のために早朝に出たと思っておる?」
「ニャ!? ミアたちさっき起きたばっかりだニャよ!?」
「睡眠魔術をかけてやる。夕食を食べたらさっさと寝るんじゃぞ、ミア。ダニエルの所には明日連れて行ってやる」
「ニャー……」
ミアさんは残念そうにしょんぼりと耳を下げてしまう。どうも、話を聞く限り、ミアさんは『ダニー』と呼ばれている人を見つけるためにハナさんのパーティに入ったらしい。
「おほん、ではこちらも自己紹介せねばならないだろう、そうだろう、我こそは高潔たる森の精霊であり、究極の癒し手である……」
「こちら、エルフ族のヴィジーさんです。変な人なので森を追い出されて、ご覧の通りうるさいので色んな宿を出禁になって、今はうちに定住してます。あ、ヴィジーさんの部屋は一番奥の角部屋にしてるので、騒音問題は無いと思います」
「ルツァ!! 何故!! 私の素晴らしい自己紹介をぶった切るの!」
「長いから」
「酷いわ。ヴィジー泣いちゃう」
淡々と会話をする私とヴィジーさんをキョロキョロと見て、ミアさんはすんすんと鼻を動かし、ヴィジーさんの方へ近寄る。
「な、なんですか、ビーストの娘よ。ミアとか言ったか」
「うん、ミアだニャ」
ミアさんはにぱっと笑うとヴィジーさんの仮面の向こうを見透かすようにこつん、と頭をぶつける。
「ヴィジー、いい人だニャ。ミアにはわかるニャ」
「ほらー! ルツァよ! 初対面の娘でも私の素晴らしさを理解……待って、なんて? いい人?」
「ルツァが具合悪いの、治してあげたニャ? いい人だニャ」
再びヴィジーさんの耳が真っ赤になる。
「なっ、あっ、なお、治してなんかないですー! ルツァ! 私は食事まで部屋にいる!!」
ぷんすこ怒って階段をだんだん踏み鳴らしながら登っていってしまった。ミアさんは不思議そうな顔をしている。
「……ミア、なんか悪いこと言ったかニャ?」
「あれは図星を刺されて照れておるだけじゃろうて」
「そういう人には見えないんだけど……」
ハナさん一行はテーブルに座ってひそひそと話をしている。……こんな感じで、他の宿にも居にくくなって出ていったんだろうなぁ、ヴィジーさん。めんどくさい人だ。
そうこうしている間にアマリアさんが帰ってきた。
「おおっと、びっくりした。ただいま、ルツァさん。そのビーストちゃんが新人さん?」
「お使いありがと、アマリアさん」
私はアマリアさんから荷物を受け取り、おつりと領収書もしっかり受け取る。うん、ガメるような人じゃないのは解ってるけど、帳簿につけなきゃいけないから、一応ね。
「ニャ、ブラウニーさんかニャ! 初めて見たニャー」
「あはは、私もビーストさんは初めて会ったよ」
お決まりの冒険者同士の挨拶を聞きながら私は買い物袋の中から一番大きな紙の包みを取り出し、開く。新鮮そうなヒラメだ。これならヴィジーさんも喜んでくれるだろう。
先に野菜を切り、それからヒラメにとりかかる。
金属でできたタワシでごしごしと鱗を取り、水で洗い流し、頭と内臓を取り除き、再び洗う。
まずは刺し身にしないといけないので、綺麗になった身を五枚おろしにする。
真ん中に切れ目を入れ、背びれに切れ目を入れ、尻尾の方から切り開き……。
私が手早く捌いていく姿をミアさんが不思議そうに眺めていた。
「ふあー。お魚が形を変えていくニャ。ミアの故郷ではどんなお魚も焼くか煮るかしかしなかったから、不思議だニャー」
「一応ミアさんのおもてなし料理でもありますから、喜んでくれたらいいんですけど」
「ミア、好き嫌いないニャ! どんなご飯か楽しみだニャ!」
二人で笑いながらドレッシングを混ぜて、野菜を乗せた刺し身にかける。
さて、渾身のヒラメのカルパッチョ。ヴィジーさんを唸らせたら、それを治癒のお礼だということにしてもらおう。