04:伝説の飲み物
朝、いつもどおり掃除をしているとカツカツと足音がふたつ。そちらを見ると、新しいお客さんのモーナさんとハナさんが降りてきていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「おお、ルツァ、だったか。突然押しかけたのに立派な食事と寝室を提供してくれて、感謝しておる」
そういうモーナさんはいつものピンクのワンピースに赤いケープ、水色の髪は黄色いボンボン付きの髪飾りでちょんまげ頭にして、ケープと同じ材質らしい、頭全体を包み込んでしまいそうに大きなベレー帽を被っている。
「うん、てっきり大部屋かと思ったら個室で、びっくりしました」
ハナさんは焦げ茶のボブに少し寝癖がついていた。よほど熟睡してくれたのだろうか。いかにも冒険者といった膝まで届きそうなクロースに白いタイツ、革の胸当てに腰のベルトには片手剣をぶら下げていた。
「冒険者だからこそプライベートは大事、っていうのが両親……前の店長の言い分でしたから。もうお出かけですか?」
不安そうにハナさんがモーナさんを見下ろす。その位置からじゃ表情を見るどころか帽子の天辺しか見えないだろうに。しかし視線に気がついたのか、モーナさんがふぅ、とため息と共に語りだした。
「うむ、今日の目的地は土の大地じゃ。転移魔術を使うが、もしかしたら今晩は帰れんかもしれん」
「土の大地……って、ここのほとんど裏側じゃないですか!」
土の大地は元の世界で言えばオーストラリア大陸にあたる。しかし、私達の世界とは違い、土の大地は半獣半人の種族、ビーストたちの暮らす土地だ。都市部には人間もわずかに暮らしているが、その大地の各地に点在する集落はほとんどビーストのものなのだ、と教会の学校で習った記憶がある。
「ハナ、お主がパーティリーダーなのじゃから、こういう事はしっかり把握してもらわねば困るぞ」
「だ、だってぇ……」
「だってもそってもない!」
びしゃりとハナさん叱り飛ばすモーナさんは幼い姿なのにまるで姑のようだと思ってしまった。
いや、そんなことはどうだっていい。
「おふたり、お急ぎですか? いくら転移魔術で移動するとはいっても、土の大地なんて、風の大地ほどじゃないにせよ、ほとんど砂漠なんですから、体力気力がないと倒れちゃいますよ」
「ふむ、要約すると?」
「ちゃんと朝ごはんを食べていってください!」
そして私はキッチンに向かう。クロワッサンがあったな。そうだ。
私はささっと朝食の支度をする傍ら、キッチンナイフを取り出し、クロワッサンに切れ込みを入れる。乾燥肉とチーズを挟んで、簡単クロワッサンサンドイッチの完成。それを新聞紙でくるんで、食事と一緒に持っていった。
この世界の新聞は魔術で印字されているのだから、インクが滲むこともない。魔術とはつくづく便利なものだ。
「おお、ベーコンエッグだ……。えっと、こっちの包みは?」
「えっと、お昼に食べてください。中身はともかく、クロワッサンがきっと足が早いので、直射日光は避けて持っていってくださいね。早めに食べてください」
「ふむ、『オベントウ』というやつか。オクタの持ち込んだものと似たようなものを作るんじゃな、お主は」
「へへ……」
まさかオクタと同じ世界、同じ時代から来た転生者だなんて言えやしない。
言ったところで信じてももらえないだろう。
それにしてもモーナさん、オクタを随分親しみを込めて呼ぶんだな。大昔の神話の時代の人なのに、知り合いみたいな口ぶりだ。
「飲み物はどうします?」
「儂はコーヒーを頂こう。砂糖もミルクもいらんぞ」
「はい、モーナさんコーヒー……ブラックなんておませさんですねぇ。ハナさんはどうします? 紅茶もありますよ?」
「わ、私も、コーヒー。えっと、でも、あの……ええっと」
もじもじとクロースをベルトで締め、スカートの様になっている部分をいじりながら、おずおずと言う。
「カフェオレ、って、わかりますか……?」
「……かふぇおれ」
この世界では、コーヒーに少量ミルクを入れる文化はあるが、たっぷりミルクを入れて飲むような人はあまり見ない。つまり、カフェオレという概念がない。
カフェオレ、という言葉も、二十年ぶりくらいに聞いたし、口に出して言った。しかし存在はもちろん知っている。
「わ、わかんないですよね! ごめんなさい。コーヒーと、ミルク少し、ください」
「あ、大丈夫です。任せてください」
「え?」
モーナさんにはいつものコーヒーカップにブラックコーヒー。
ハナさんには、普段はあまり使わない、夜に徹夜仕事を持ち帰った人に使う、たっぷり量の入るマグカップを戸棚の奥から引っ張り出してよく洗い、熱々のコーヒーと温めたミルクを同じ量注ぐ。
「はい、どうぞ。……これで、あってますよね?」
私が差し出すと、ハナさんは目を丸くしてそれを見つめていた。
モーナさんが感嘆の声を上げる。
「ルツァ、お主何者じゃ? オクタの時代の飲み物をこうも簡単に再現するとは」
「あー……私、敬虔なオクタ教の信者で、ちょっと調べてて、知ってたんです」
「それはそれは……勉強熱心なことじゃのう。衣服はまだ好んで着る者も多いが、食事はそうもいかん。その時代の食の流行りものまで把握しとるとは」
言いながらモーナさんはコーヒーを飲む。
笑ってごまかすが、もちろん嘘だ。元の世界の飲み物だから知っていただけだ。
ハナさんはマグを両手で包み、ふうふうと息をかけながら飲み進めていた。
ハナさんのどんぐりみたいなまんまるの目から、涙が溢れ、頬を伝う。
「ハナさん!?」
私が驚きの声を上げると、ハナさんはごしごしと目をこする。
「ごめんなさい。びっくりして。カフェオレ、オクタ……様の時代の飲み物で、ええと、……飲んでみたくて、えっと、とにかく、美味しくて」
「はぁ……」
よくわからないが、ハナさんもオクタ教の信者ということだろうか。
昨日のあの真っ赤な髪の『蜘蛛』のコークさんが言うように、彼女が生粋の西方人で、オクタの生まれた土地で育ったのなら、それもそうなのかもしれない。
そうこうしていると長いブラウンの髪をポニーテールに纏めながら、アマリアさんが降りてきた。
「おはよー、ルツァさん。その人たちが言ってた新入りさん?」
「あ、うん。ハナさん、モーナさん、こちら先住客のアマリアさんです。アマリアさん、こちら大きい方がハナさん、小さい方がモーナさんです」
私がざっくりと大変失礼な説明をする。
しかし怒ることもなく、モーナさんは自分と同じくらいの背丈のアマリアさんに小さく会釈する。ハナさんも顔をぱんぱんと叩き、それに倣うように会釈をした。
「あらあら、ご丁寧に。アマリアです。見ての通りのブラウニー。これでも三十四才。人間で言うと二十くらいかな。盗賊やってるんで、ご用命があれば誘ってください」
「ブラウニーの女性が滞在しておる、とは聞いておったよ。儂はモーナ。こんな口ぶりじゃが、生を受けてからはまだ十しか経っておらんよ。一応、魔術を心得ておる。よろしく頼む」
「わ、私、ハナです。えっと、十六才で、まだまだ新人です。よろしくおねがいします」
冒険者同士のはじめまして、ってこんな感じだったかなぁ。両親が死んでから見るのがご無沙汰だったので、なんだかむずむずしてしまう。
アマリアさんはハナさんの席の飲み物が気になったのか、不思議そうに見つめている。
「ルツァさん、新人さんに何出してんの? 飲み物? これ? ミルクティーみたいな色してるけど、香りが紅茶じゃない……コーヒー?」
ハナさんは慌てたように席に戻り、隠すようにカフェオレを一気に飲み干した。
……そんなに後ろめたい飲み物だっただろうか、カフェオレって。こっちに来てからの知識ではよくわからない。しかし私はついさっきモーナさんから聞きかじった知識を総動員して説明する。
うう、こんな小さい女の子より知識が劣っているなんて、情けない。でも私一般人だもの。仕方ない仕方ない。
「えーっと、オクタの時代にちょっとだけ流行ってた飲み物で、カフェオレっていうの。コーヒーとミルクをほとんど同じ量で割る飲み物だよ」
「へー? なんか甘そう」
「うむ、甘いぞ。じゃからオクタの周辺でも『コーヒーは苦くて当然』と言う者が多かったもんで、当時でも淘汰された、ほとんど伝承上の飲み物じゃ。オクタも初めは好んで飲んでおったが、徐々に飲まなくなった……らしいのぅ」
「モーナちゃんも詳しいんだ?」
「ふふ、まぁの! これでも優秀な魔術師じゃ!」
ない胸を張るモーナさんは少し鼻高々に見えた。
そして私の作ったクロワッサンサンドの包みを持つと、小さなポシェットに詰めてしまう。財布ひとつしか入らなさそうな大きさなのに、中は案外大きいのだろうか? 魔法道具ならそういうものもある気がした。
「ルツァ、朝食をありがとう。ほら、ハナよ、行くぞ」
「わ、待ってモーナ! ルツァさん、行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい」
私は手を振ってふたりを見送り、出ていくのを確認してから皿とカップを片付け始める。
「ルツァさん、手伝う?」
「平気平気。今日の朝ごはん、ベーコンエッグなんだけど、いいかな? 他に食べたいものある?」
「それでいいよー。毎朝マメだねぇ、宿によっては食事なしのところも多いのに」
「美味しい食事と美味しいお酒が歌う紫水晶亭の売りですから!」
「はは、そっか」
のんびりとしたアマリアさんの笑い声と同時に、いつもと変わらない朝の風景が戻ってくる。
まさかカフェオレ程度であんなに感動されるなんて思いもしなかった。けど、オクタ教の伝説上の飲み物なら、それもそうなのかもしれない。
もう少ししたらヴィジーさんも下りてくるだろう。
ヴィジーさんにカフェオレを出したらどんな顔をするだろう、と考えて……
あの人はそもそも紅茶党だから飲みもしないな、と思い直した。