03:突然の来客
午後を過ぎ、日が東へと傾き始めた頃だった。
「今日も客は来なんだな、可哀想なルツァよ」
「色んな冒険者宿出禁になって、やむなくココに定住してる偏屈癒し手エルフさんに言われたくないんですけど」
ヴィジーさんは優雅に紅茶を飲みながら細い足を組み直す。私の嫌味など聞こえていないようだ。
「何を言うか。我は選んでこの歌う紫水晶亭に定住しているのだぞ? いつもシーツは清潔で、先代の残したレシピの食事は美味く、シャワーは個室がある。素晴らしい宿だ。ルツァの親御さんは素晴らしい宝を残してくれたと誇れ」
「そりゃ、そこは自慢ですけどね……。でもお客さんがいないんじゃ……」
ちりりん、とドアベルが鳴る。アマリアさんが帰ってきたのかな? と思ったが、違ったようだ。
革の軽鎧を着た明らかに新人と思われる焦げ茶色のボブカットの少女がキョロキョロと黒い瞳を不安そうに揺らしながら中を見渡す。それを押しのけるように巨大なまんまるスライムに乗っかった水色の髪のふんわりとしたショートカットを覆い隠すような大きなベレー帽に、長い前髪だけボンボン付きの髪飾りでちょんまげに結い上げたという独特のヘアスタイルをした赤いケープとふわふわのピンクのワンピースの女の子がぽよんぽよんと近づいてくる。まんまるスライムはこの子の乗り物らしい。
女の子は愛らしい見た目に反して尊大な口調で私に訊ねる。
「失礼。そなたがここの主人か?」
「えぇ、まぁ……?」
「客はこの者ひとりだけか?」
「もうひとり、定住してる人はいますけど、今は仕事中です。……あの、お泊りですか?」
「重畳。誰に何を聞かれても知らぬ存ぜぬで通してくれ。ハナ。こっちじゃ」
そう言うと、ちょんまげの女の子は入り口でおろおろしていた新人さんをちょいちょいと手招きする。
ハナ、と呼ばれた新人さんは慌てて駆け寄る。ちょんまげの女の子はずずいとカウンターの奥に入り込むと、乗っかっていたまんまるスライムを小さくする。
おお、こんなに小さいのに魔術が使えるのか、この子。見た感じ十才くらいだろうか?
一方、ハナというらしい新人さんはぜはぜはと息を切らしていた。十五才か、十六才くらいだろうか? どうやら相当走ったらしい。カウンターの裏側で小さく縮こまるように座り込む。カチャン、と片手剣が床に当たる音がした。
ちょんまげ頭の魔術師の少女は小さくなったまんまるスライムを手に乗せて、口元に指を立てた。静かに、のサインだ。
私は困惑してヴィジーさんに目を向ける。ヴィジーさんはすまし顔で紅茶を楽しんでいる。まるで何もなかったかのようだ。
やがて、再びドアベルが鳴った。
驚いて顔を上げると、そこにはオクタ時代の服を着た、おそらく新人さんと同世代と思わしき年齢の女の子が立っていた。
くわえタバコに、サングラス。純白の中折れ帽に、揃いの白い男物のスーツ。前を開けたジャケットから見えるのは青いハイネックのシャツに黒いネクタイ。極めつけに黒手袋というその姿は、元いた世界でもこの年頃の女の子がする服装ではない。肌は私と同様に褐色で、帽子からはみ出る外ハネのボブは真っ赤な髪。サングラスをずらすと、大きな水色の瞳が周囲を見渡す。
……突飛な姿だが、すごい美人さんだ。モデルさんかと思うくらいだ。
彼女はタバコを口から外し、ふうと息を吐くと煙が空に解ける。タバコはそのまま胸ポケットに入れた携帯灰皿に捨てられた。そこは真面目なのか。
カツカツと革靴を鳴らしこちらに近づくと私の後ろに並んだ酒瓶の並んだ棚を見渡す。にい、と笑う。
「いい品揃えだね、おねーさん」
「は、はぁ。どうも……。お食事ですか?」
「うんにゃ、ちょっと人探し。あたしと同じ年頃で、茶髪で黒目の西方人と、水色のちょんまげしたピンクの目のちびっこ、見かけてない?」
「え、えっと」
足元のお客さんと特徴がばっちりと合致する。ちらりと一瞬視線を下げかけた、その時だった。ヴィジーさんが口を開く。
「いや、若者よ。この店の酒の豊富さは素晴らしいであろう? ここの女店主は酒しか趣味がなくてな。各地の銘酒を集めてはその棚に並べているのだよ。だが如何せん値段が可愛らしくなくてな。我もさほど酒に強くなく、もうひとりの固定客は貧乏人で、閑古鳥の鳴くこの店では飲む者もいないのだよ。可哀想じゃなーい? 思わなくなーい?」
オペラマスクをしたまま、茶化したように笑うヴィジーさんを、ちらりと真紅の髪の少女は見る。構うことなくヴィジーさんは言葉を紡ぐ。
「それにしても、麗しの赤髪の君よ、随分良い身なりをしているな? オクタ時代の服の仕立て屋も少ないと言うのに、その生地は火の大地中腹部でしか織られていないものではないか?」
「へぇ、分かる人には分かるんだね。エルフのおにーさん。あんたの服も高そうだ」
「ふはははは、そりゃあそうとも! この我、ヴィスジオラギア・セルボシュインスはこの宿一番の癒し手だ。高給取りぞ? 敬え敬え」
「はは、長い名前。なんて呼ばれてるのさ、おにーさん」
「ヴィジーと呼ぶ者が多いな」
「そ、ヴィジーくんか」
女の子は気を許したようにへらりと笑う。
「……おねーさん。そこのブランデー、七十年物のやつ。ストレートでもらえる?」
「は、はい」
女の子はカウンターに座る。これで彼女の視界からカウンターの中が見えることはなくなった。
しかし、このお酒を選ぶとは。これ一本で二十五万ゴールドはすっ飛ぶ高級品なのに。
……いや、ちょっと待て。この子タバコ吸ってたけど、未成年じゃないのか? お酒出すのまずくないか?
「あ、あのー、お客様。未成年の方にお酒の提供はちょっと」
「あぁ、いいのいいの。あたし『蜘蛛』だから。法律なんて関係ないってねー?」
蜘蛛。その言葉に血の気が引いた。
それは、あるギルドに属している者が名乗る構成員の呼び名。私が瓶を持ったままどきどきしていると、ケラケラとヴィジーさんが笑い出した。
「ははははは! 随分と変わった風体をしていると思ったが、『蜘蛛』ときたか! 闇ギルド『闇の担い手』の構成員様であらせられたか! これはこれは失礼致した」
「へへへ、そんな偉いもんじゃないって、ヴィジーくん」
女の子は照れたように笑う。手袋の上からつけられた左手の中指に光る刻印の入った指輪は、間違いなく異形の蜘蛛の刻印がされていた。『闇の担い手』の印だ。
なんでも無いように話し続けるヴィジーさんのオペラマスクの奥の金色の目がこちらに向く。話をしている間に酒を用意しろ、ということだろう。
確かに聖地マーカの神殿お墨付きである『なんでも屋』の闇ギルド員さんなら法治外だから、お酒だって提供できる。
「それで、赤髪の蜘蛛の君。人探しかな?」
「ああ、うん。別に殺してこいって言われた訳じゃないんだけどねぇ、傷つけてもいいから捕らえて来いって、うちのボス直々のおたっし、て奴。殺していいなら楽なんだけどなぁ」
琥珀色のお酒の入ったグラスを差し出すと、彼女はすんと鼻を動かす。
「あぁ、いい香りだね。保存状態も良好だ。おねーさん、本当にお酒好きなんだねぇ」
「あ、ありがとうございます」
素直に礼を言うと、なにか含んだような笑いを浮かべ、舐めるように飲みだし、舌の上で転がし、風味を楽しみ、味わう。
お酒をテイスティングする飲み方だ。しかし、同時にすいすいと飲み干してしまった。結構キツイお酒なのに、顔色ひとつ変えずけろりとしている。
この子となら楽しいお酒が飲めるかもしれない。ぼんやりとそんな事を思ってしまった。私が酒好きなのも事実なのだ。
「ん、ごちでした。こんなところで、こんないいお酒飲めるとは思わなかったよ。おいくら?」
「そ、そうですか? えっと、グラス一杯ですから、三千ゴールドです」
「このレベルならそのくらいするよねぇ。今度はプライベートで来れたらいいね。あ、これ渡しとく」
差し出されたのは料金と、黒い名刺。
そこには『闇の担い手 準級構成員 コーク』と書かれていた。
「コーク、さん?」
私がそう読み上げると、にっこりと微笑み頷くと、「おねーさんの名前は?」と訊いてくる。
「あ、ルツァです。ルツァ・アメジストと言います」
「アメジスト。なるほど、それで『紫水晶』亭ね。じゃ……ルツァちゃん、『足元のお客さん』によろしく言っといて。ばいばい」
そう言ってひらひらと手を振って出ていってしまった。黒い革手袋が東日に照らされている。
「あの……いっちゃいましたけど」
私がカウンターの下のふたりに声をかけると、小さな女の子が苦々しげにつぶやいた。
「気がついておるのに見逃しよった。相変わらず食えん奴じゃ」
「た、たすかった、の?」
「今日のところは、な。コークめ、元々遊んでおったな」
「遊びで何度も撃たれたらたまったものじゃないよ!?」
「じゃが、当てておらんだろう。あの娘の狙撃の腕ならば、お主の心臓にも、脳髄にも、風穴をあけることなど造作もない」
「ひえ……」
「あのぉ、お客さん?」
私の声で我に返ったのか、新人冒険者さんと幼いが熟練らしい冒険者さんは身なりを整え、立ち上がった。
「いや、店主。非常に助かった。ついでに願いを聞き届けてくれんか」
「はい、なんでしょう?」
「儂とこの娘をこの宿の定住客にしてもらえんか」
「は、は?」
「宿賃ならば一月分、前払いできるぞ。百万ゴールドあれば、ふたり分で足りるか?」
女の子はポシェットを弄ると札束を取り出し、ぱらぱらと数えだす。
「いや、それだけあれば十分過ぎるんですけど、え、定住って本気で言ってます!? あの、さっきのコークさん? もまた来るかもしれないんですよ」
「そうだよ、モーナ! 移動した方が安全だって!」
私と新人さんに挟まれ、女の子はむくれたように言う。
「そうは言うがな、ハナ! 拠点は必要であろう? 城を失った今、どこで寝起きするつもりなんじゃ! 聞けばこの宿は閑古鳥が鳴いているそうじゃろう? うってつけではないか!」
「そう……だけど……。い、いや、閑古鳥は失礼だよ!」
いや、事実ですから別に気にしてませんが、お嬢さん。
「それにコークの事なら心配いらん。命を取るつもりはないとわかったんじゃ、いくらでも交渉の余地はある。それに考えもあるしの」
ハナ、と呼ばれている女の子は言葉を失う。
モーナと呼ばれた水色ちょんまげちゃんが綺麗な桃色の瞳でにこりと笑う。
「定住客はふたりだけ、と言っておったな? 金も十分過ぎる、と。ならば、定住部屋、そうさの、儂とこのハナの分も含めて十一部屋、抑えておいてもらえんか」
「じゅういちへや!?」
「儂等は少々訳ありでな。毎夜帰る訳ではないのじゃが、良いか?」
可愛らしい女の子に小首をかしげられては、ノーと言う訳にはいかなかった。
「……やっ、宿帳に記帳をお願いします……!」
私が宿帳を差し出すと、モーナ、とさらさらと書き入れる。ものすごい達筆だ。何者なんだこの子。
「あれ、モーナ。フルネームじゃなくていいの?」
新人さんの疑問には私が答えた。
「あ、誰か認識できればいいので、ファーストネームだけでいいですよ。そこのエルフさんもフルネームなんて誰も覚えていませんし」
「聞き捨てならんぞー、聞こえているぞー、ルツァくぅん!」
ブーイングを上げるヴィジーさんをスルーして私がそう言うと、うむ、とモーナさんが頷いた。
「冒険者になる者は訳ありも多い。偽名を使う者も少なくない。その宿でどう呼ばれたいか書けば十分じゃ。そうじゃろう、店主」
「そうですよ。えっと、ハナさん」
「はぁ……あれ、私まだ記帳してないですよ、店長さん」
「はは、呼びやすい名前なので、聞いてる間に覚えちゃいました」
西方から来たらしい新人さんは、おずおずとハナ、と書き入れる。そうだ。彼女の顔立ちは何故か馴染み深い。日本人の、ごく普通の女の子の顔立ちをしていた。花さんかな。それとも華さん? どっちにしても、素朴で可愛らしい名前だ。
「じゃ、お部屋掃除してくるので、少し酒場スペースで待っててください」
「うむ、世話になるぞ、店主」
「よろしくおねがいします、店長さん」
「はい、モーナさん、ハナさん。あ、私のことは気楽にルツァって呼んでくださいね!」
言いながら、私は掃除用具入れを漁る。おっと、シーツも洗いたての新品に取り替えなければ。
……急に新しいお客さんが増えてしまった。しかもこれから更に増える予定があるとな。
水色ちょんまげ頭のモーナさんと、茶色のボブのハナさん。しっかり覚えなければ。
わたわたと仕事を始める私を、愉快そうにヴィジーさんが見つめている。
「急に忙しくなったな、ルツァ店長よ」
「……いや、でも訳ありって言ってましたし、いつまで滞在してくださるか……」
「せいぜい長いことを願え、はっはっは」
「嫌味しか言えないんですか、その口は……!」
私が掃除道具一式を持ってえっちらと階段を登る姿を、ヴィジーさんはけらけらと笑いながら見ていた。
……コークさんに詰め寄られた時、助けてくれたなんて思ってやらないんだから。