13:歌う紫水晶亭の人々
夜になっても、皆帰ってこない。私は忙しく仕事をすることで、不安を吹き飛ばしていた。しかし、ドアベルの音に顔を上げ、違う顔だと落胆することを何度繰り返したかわからない。
また、涼やかなドアベルの音がする。
どうせ違うだろう、と顔を上げる。
そこには。
「……ただいま、ルツァ」
ボロボロの、ドロドロになった、ハナさんが立っていた。
「あ、あ。……ハナさん。おかえりなさい……!」
感極まって抱きつこうとする私の首根っこを、ヴィジーさんが摘んで引き止めた。
「な、なにすんの、ヴィジーさん!」
「相手はボロボロのよれよれの疲れ切った冒険者だぞ、馬鹿者が。少しは気を使わんか。あぁ、さすがの賢者も魔力も使い果たしたか。仕方ない、この! この名医たる我、ヴィスジオラギアが直々に! 治療を施してやろう! 感謝せよ!」
「いいから早く治してやんなよ、変人エルフ」
「うるさい、お手伝い妖精! お手伝い妖精なら貴様も手伝え! ルツァ、湯を沸かせ!」
「あ、はいはい!」
慌てて店を閉店にし、それからはバタバタの大騒ぎだった。
特にひどい怪我をしていたのはマウロさんだった。背中に大きな裂傷ができている。ヴィジーさんの手荒い治療にも泣き言ひとつ言わず、黙って耐えていた。
「このくらい、僧兵の修行時代のしごきに比べれば、些細なことです」
そうは言っていたが、顔をしかめている。ヴィジーさん、外傷には麻酔しないもんなぁ……。
幸いなことに毒や麻痺のような症状が出ている人はいなかった。ミアさんが少し混乱していたが、私の入れたハーブティーを飲むと落ち着いたようだ。
「ニャー、助かったニャー……、魔王、意味のわかんない攻撃いっぱいするから、大変だったニャ」
「そうなんですか……」
「そうなんですよ、もう、魔王ったら大きな竜に变化して! 相手は竜だから火傷も治療できなくて! 交代交代に応急処置を繰り返しながら戦ったんですよ!」
「……それで、魔王は倒せたんですか?」
興奮したように言うゾフィーさんやミアさんの代わりに、私の問いにはナナアールさんが答えてくれた。
「死んだわ、あの男は。とどめを刺したのはモーナ婆よ。……最期までモーナのことを呼んでたわ」
「モーナさんが……」
想像して、胸が潰れそうになる。
かつて愛した男性を殺さなきゃいけない。
まだ愛している女性に殺されなきゃいけない。
けれど、当のモーナさんはケロッと言い放つ。
「フン、邪道に落ちた男には転生も生ぬるい。意識を持ったまま、レフトナの奥底のマグマで永遠に燃え続けるのがお似合いじゃ」
……そ、そんな倒し方をしたのか。少し魔王エイブが不憫に思えてきた。しかし、ハナさんがそっと耳打ちしてくれた。
「嘘だよ、ルツァ。モーナはちゃんとエイブの呼吸が止まったのを確認してから、マグマに落としたんだ。……転生をレフトナに委ねたんだって」
「……つまり、エイブさんが次に生まれ変わるとしたら」
「レフトナがエイブを許した時。その時は流石のエイブも、記憶もなにもかも無くなってるだろうって」
「そうですか……」
少しほっとした。
ふと顔を見上げると、そこには少しバツの悪そうな顔をしたダニエルさんが立っていた。らしくない、どこかの国の貴族みたいな服を着ている。ダニエルさんはポケットから小さな革袋を取り出し、言った。
「この宿の庭に、この土を埋めても構わないか?」
「この土は……」
「ロゼだよ」
そう言って、らしくない、悲しげな顔でダニエルさんは笑う。
「……こいつに愛情を植え付ける為に、オレの最後の恋を捧げちまったよ。……もう、誰も愛せねえな」
「ダニエルさん……」
しかし、クリスさんが茶々を入れる。
「フン、愛と性欲は別物だって言ってた癖に」
「うるせぇなぁ、ふられんぼのガキが」
「ふ、フラレてない! コークは僕が大人になるのを待っててくれるって……!」
「いや、別に言ってないなー」
コークさんがそう言いながら、リボルバーのシリンダーをくるくる回して、ダニエルさんのこめかみに突きつけた。
「さて、このリボルバーは全部で六発。込めた弾は五発。ダニー、言い残したことはある?」
「いや?」
「そう」
そう言うと、本当にコークさんは引き金を引いた。私やゾフィーさんは思わず目を閉じる。
しかし。
カチッ
撃鉄が下りても、弾は発射されなかった。
「ちぇ、また殺しそこねたなぁ」
ほっとしたようにゾフィーさんがコークさんに駆け寄る。
「そんなコト言ってコークさん、本当は弾薬なんて入れて……」
コークさんが弾倉を外し、拳銃を振る。ばらばらと五発、弾が落ちてきた。
「なんか言った? ゾフィー?」
「いえ……」
顔面が蒼白になり、ゾフィーさんがコークさんからそっと離れた。
「じゃ、今度はおれの番だねー」
ギリギリと弓を引き絞るレティリックさんにダニエルさんは両手を上げた。
「バカ、バカ、レティ! お前のは普通に怪我するから!」
「安心してー、トリカブトの毒もたっぷり塗ってあるから、すぐ死ねるよー」
「死ぬ! 普通に死ぬから!」
バタバタとダニエルさんが逃げ回る。
「少しは静かにしなさいよ、もう! マウロ大怪我してるのよ!」
窘めるように言うナナアールさんはまるで学級委員長のようだ。しかし、薄く笑みを浮かべ、オリバーさんがナナアールさんの肩を叩く。
「いいじゃないか、ハナ一行らしくて」
「もう……。モーナ婆、オクタの時もこんな感じだったの?」
「いやー、もう少し大人しかった気がするのぅ……」
走り回るうちに、ダニエルさんはカウンターをひょいと飛び越え、私を盾にする。諦めたようにレティリックさんが弓を下げた。
「おいコラ、ダニエル。ルツァを盾にするな」
「いやー、姐さんがいて助かったぜ」
ヴィジーさんが不満げに言うが、ダニエルさんはどこ吹く風。
「そういえばルツァ、今日の晩ごはんは?」
ハナさんがカウンターから身を乗り出してキッチンにいる私に言う。
「鮭のクリームシチュー。うちの宿の名物だよ!」
ハナ一行は結局、モーナさんの神殿が建つまでうちの宿に滞在していた。もちろん、守護者だということは内緒のままで。
魔王がいなくなった後の世界はすっかり平穏を取り戻し、暴れるゴブリンたちも、オーガたちも少なくなった。
そして、私は。
「ゔぃ、ヴィジー?」
「なんだ、ルツァ」
「わ、私ね、す、好きな人ができたの」
「ほ、ほーう? 貴様にもようやく春が来たか。相手は誰だ」
「え、えっとね……」
神殿が直った後も、時々ハナさんや守護者の皆が閉店間際にお忍びでやってくる。
いろいろあって評判の上がった歌う紫水晶亭は今ではこの街の看板みたいになっていて、守護者様御用達だとかなんとか言われてるけれど、食事のお客さんばかりで、定住しているお客さんは相変わらず少ない。
そりゃそうか。
「いだだだ! センセー、もっと丁寧に治療してくれよぉ!」
「やかましい。毒蜘蛛なんかに刺されおって、肉をえぐられないだけマシと思え」
「女将さん、あの一角どうにかなんないの……?」
「はは、すみません。別棟に医療所ができるまで辛抱してください、これサービスしますから。……ヴィジーさん! 丁寧に治療してあげなよ!」
「我、悪くない!」
「ヴィジーさんが悪い! ヤブ医者呼ばわりされても知らないんだからね!」
「なんだと、この鬼嫁!」
「誰が鬼か、このトンチキエルフ!」
風の大地の生まれの褐色肌の女主人が経営する、……その旦那さんのエルフが運営してるちょっと過激だけど治療が確実な医療所を併設した冒険者宿に停泊したいなんて変なお客さん、そうそういやしないんだから。
でも、この宿に来たいって人は増えていくと思う。
だって、なんてたって、あの世界を守った守護者様たちが拠点にしてたんだから。
守護者様たちのご尊顔が描かれたポスターは、うちの宿にしか置かれていない。




