12:願いのお弁当箱
私にダニエルさんの真意はわからない。
でも、私はあの人が何の考えもなく裏切るような人には思えなかった。
最後に振る舞ったあの鮭のシチュー、自分は親不孝者だという言葉。
全部、何かを悟った上での行動にしか思えなかった。
……それでも、ハナさんの模造品が出来上がるなんて想像もしてなかったけど。
『ロゼ』と名乗った、あのゴーレム。
魔王の秘密兵器。
スペックもほとんどハナさん……『天の守護者』と変わらないらしい。
私には天の守護者がどれほどすごいものなのかはわからないけれど、レフトナの言葉を聞けるということは、神様に最も近い存在だということだ。
……今、この世界で神として扱われているオクタがそもそも初代なのだから、当たり前なのかもしれないけれど。
私は思い切ってモーナさんの自室のドアを叩く。モーナさんが寝間着姿で出てきて、私の顔を見て何か悟ったのか、部屋へ入れてくれた。
「何か話がある、という顔じゃな、ルツァ」
「……はい。あなたたちが不在の間……アダムさんが、また来ました。ハナさんの遺伝子……頭髪は、その時に奪われたのだと思います。迂闊でした。申し訳ありません……」
私の話を聞いて、モーナさんは鼻で笑う。
「まぁ、そんなところであろう、とは思っておった。じゃが、お主の話は謝罪だけではあるまい?」
「はい。私もロゼを見ました。ハナさんの模造品……すごくそっくりでした。でも、感情を感じなかった、というのが正直な感想です。あの人……アダムさんを魔王エイブと看破したのはヴィジーさんですけど、その時魔王は言ったんです。サラを引き渡せ、と」
それを聞き、声を殺してモーナさんは笑う。私が不気味に感じていると、モーナさんは厭らしく笑みを浮かべたままで言う。
「まったく、どこまでもしつこい男じゃな。で、お主はその理由を聞きに来たのか?」
「はい。……私は、モーナさん……サラ様だけはずっと水の守護者で、替えがないからかとも思ったんですが、少し違った気もしたんです。なんだろう……その時だけ、執着みたいな、そんな感じの喋り方をした気がして」
モーナさんは腕を組む。顔には笑みを湛えたまま。そして言った。
「あぁ、そうであろう。あの男……エイブ……いや、『エイブラハム』は、儂がオクタと旅をしていた頃、恋仲であった男じゃ。しつこいストーカーであろう?」
「こ、恋仲……って、付き合ってたんですか?」
私が驚きのあまりに前のめりになるのを、モーナさんは手で押し返し、言葉を続ける。
「昔の話じゃ。じゃが、エイブラハムは未だ儂を諦めておらんようじゃな。もちろん水の守護者に替えがないことも要因であろうが……現に、ロゼという天の守護者の代替品が作れるほどの高位の術者であるのに、儂の替えを作ろうとせんのがその証拠じゃ」
……そうか。陰の水の守護者の『サラ』が欲しかったら、『ロゼ』のように作ればいいだけなのに、モーナさん本人を欲しがるのは、ゴーレムには感情がないからか。
心のない人形に興味はない。それは『サラ』の見た目をしていても『サラ』ではない。だから、サラさん本人であるモーナさんが欲しいのか。
「それで……モーナさんは、どうしたいんです? ……エイブを、えっと、エイブラハムさんを、まだ……?」
モーナさんは手をひらひら振って苦虫を噛み潰したような顔になる。
「気持ちの悪い冗談は勘弁してもらえんか? 気持ちなぞ、オクタを裏切ったあの瞬間に消え失せた。儂がヤツの見張りを買って出たのはヤツを制御できなんだ負い目もあるが、儂が近くにおればエイブは迂闊な行動を取らんからと判断したからで、気持ちなぞ微塵も残っておらん」
「そ、そうですか」
マシンガンのように捲し立てられ、私は少し怯む。だが、モーナさんはまだ言葉を続ける。
「しかし、状況は切羽詰まっておる。儂以外の代替の守護者が選定される前に、エイブの息の根を止めねばならん。急がねばならん。もう二度とこんなことが起きんように、確実にあの男を殺す」
「二度と……」
モーナさんは手のひらをこちらに向けると、指を折りながら説明してくれた。
「今、ヤツの手元には天の守護者の代替品である『ロゼ』、土の守護者本人である『ダニエル』、そして陽の守護者に選定される可能性の高いエイブ本人がおる。じゃから、早めに手を……」
そこまで言って、モーナさんの言葉が止まった。
「……モーナさん?」
モーナさんは人差し指を立てる。静かに、のジェスチャーだと判断し、私は慌てて口をつぐむ。
「……馬鹿者が」
しばらく黙っていたが、そう言ってモーナさんは頭を抱えた。
「モーナさん? な、何が……」
「ダニエルからの念話じゃ。あの男、スパイのつもりで潜り込んだらしい。ロゼの脆弱性を見つけたと言っておった」
脆弱性、って、コンピューターか何かみたいだな。まぁ、『ロゼ』がロボットのようなものなら、それが一番適切な言葉なのかもしれない。
「ロゼの? えっと……ゴーレムを倒すって、えっと……何か文字を削るんでしたっけ?」
なんだったか忘れたけど。しかし、モーナさんは興味深そうに私を見つめてくる。
「初耳じゃの。詳しく聞こうか」
「えっと、ゴーレムの体って、確かどこかに文字が刻まれてるんです。えっと、生きる? だったかな? みたいな意味の文字の一文字を削ると、死っていう意味になって、形を保てなくなる……って、これロゼの対抗方法になるんですか?」
「いや、ならんな。ロゼはそういう仕組では動いておらん」
喋らせるだけ喋らせて、なんだこの人。まぁいいか……。
「で、ロゼの脆弱性ってなんですか?」
「『感情』じゃと。愛を知れば、ロゼは天の守護者の模倣品ではなく、『ロゼ』という名のただのゴーレムになるだろう、とあの男は言っておった。……まぁ、女を口説くのが日課のようなあの男にならば、容易いことじゃろうな」
私は思わず手のひらで口を覆う。
……そんな。まさか。ダニエルさんは。
「……その為に、ダニエルさんは、裏切ったフリをした?」
「……『やっと自分の最後の恋を捧げるに相応しいヤツが見つかったんだ』、じゃと」
「ダニエルさん……」
彼の気持ちを想いながらも、夜はふける。ハナさんは明日には魔王の根城であるシオの峰へ向かうのだと、そう言っていた。
私には祈ることしか出来なかった。……どうか、皆が無事に戻りますように、と。
お弁当を用意しよう。シオの峰はこちらでいうエベレスト。世界最高峰の山。……雪山に行くんだから、チョコレート、キャンディ、ビスケット。日持ちのしそうなものをとにかく用意した。最後に紅茶のパックを用意して、箱に詰める。
……本当は箱に詰める必要なんてない。綺麗なバンダナで包む必要もない。でも、これは私の『祈り』だ。
翌朝、私は皆に全てを告白した。エイブのこと、ロゼのこと。
誰も私を責めなかった。それか逆に辛かったけれど……仕方がないことだ。
旅支度をするハナさんに、恐る恐るそれを渡す。
「ハナさん。お弁当です。……多分、最後の」
「最後の?」
「ハナさんが勝つにせよ、負けるにせよ、もうこの宿から旅立つことはないでしょうから……でも、持って帰ってきてください。からっぽのお弁当箱を、私に洗わせてください。……私のことは、許さなくていいから……ダニエルさんは許してあげてください」
「……ルツァ」
私とハナさんは自然と抱き合う。こんな小さな体に、世界の命運がかかっている。でも、彼女にはちゃんと仲間がいる。彼女が集めた、か細い縁から選ばれた、ここにいる九人の男女、そして敵地で潜む、男性。
「許すとか許さないじゃないよ、ルツァ。ルツァはなにも知らなかったんだから。……気にしなくていい。私、絶対勝つから。勝って、お弁当箱、絶対持って帰ってくる。……ダニエルも、取り返してみせる。ね、ミア、ゾフィーさん」
ハナさんが振り返ると、ミアさんもゾフィーさんも大きく頷いた。……ダニエルさん、女泣かせだなぁ。悪い人だ、本当に。
ハナさんがお弁当箱を大事そうに受け取り、私達は目を合わせる。
「『いってらっしゃい』」
「『いってきます』」
おまじないのように、私とハナさんは言葉を交わす。モーナさんの転移術で、風に消えるように皆旅立った。
戻ってきてね、ハナさん。モーナさん。ミアさん。コークさん。ゾフィーさん、ナナアールさん。クリスさん、オリバーさん、マウロさん、レティリックさん。それに……ダニエルさん。
私は祈る。何に祈っているんだろう。きっと、この大地に。神様である、レフトナに。
だって、オクタは、少し人を懐柔するのがうまいだけの、ただの男の子だったに違いないから。
「心配するな、ルツァ。あの者たちなら、必ず無事に帰ってくる」
「そうだよ、ルツァ。ほら、早くしなきゃ、モーニングを食べに来るお客さんたち来ちゃうよ?」
「……そうだね」
ヴィジーさんとアマリアさんに言われ、私は宿の中に戻る。……私は、私にできることをやらないといけない。普段どおりの仕事をすることが、そうだった。