11:『ロゼ』
明日は最後の要を修復に行くのだ、とハナさんは事前に言っていた。指名されたメンバーは、火の守護者のコークさんとマウロさん、そして、ダニエルさん。
今度の敵は厄介らしく、攻撃に特化したメンバーで行くらしい。
夜、ダニエルさんがカウンターに座る。
「お酒ですか、ダニエルさん?」
ダニエルさんは笑う。
「いや、小腹が空いたんでな。姐さんの得意料理が食いたいなと思ったんだ」
「得意……? ここの名物の鮭のシチューのことでしょうか?」
「あぁ、それそれ」
「わかりました。少し待っててください」
私が手早く鮭を処理し、ホワイトソースを作るのをダニエルさんはじっと見ていた。
なんだか気まずくなってきて、私は手を動かしながらダニエルさんに語りかける。
「でも、どうしてシチューなんですか? お酒飲むなら、あまり合わない気が……あ、でも白ワインとかなら……」
「酒はいいよ。言ったろ、オレの好物じゃなくて、姐さんの得意な料理が食いたかったんだよ」
「なんでまた?」
「そういう気分だったんだよ。いいだろ、『オフクロ』?」
「や、やめてくださいよー、私ダニエルさんみたいに大きい子産んだ覚えないですよ?」
「ハナには『自分を母親と思え』って言ったんだろ? それに姐さん、精神年齢的には五十過ぎてんだろ、確か? 俺くらいの年の子がいてもおかしくねえだろ」
「……それを言われるとぐうの音も出ませんけども……でも、男性経験もないのに」
「させてやろうか?」
「結構です!」
「はは、そうだよな。そこはヴィジーに譲るか」
軽口を叩いている間に、もうシチューは煮込むだけになっていた。蓋をした鍋からコトコトとルゥが煮える音が響く。
「あぁ、いい香りだな」
「そうですか?」
「……オレは幸せ者だな。オフクロと思える人が三人もいる」
「だから、私は……!」
「でも、全員を悲しませる。……とんだ親不孝者だよ」
寂しげなダニエルさんは、ヘビースモーカーなのに煙草の一本も吸わずに、ただシチューが出来上がるのを待っていた。私が器に盛ったシチューを差し出すと、嬉しそうに匙を持ち、ほくほくと食べ始める。
……悲しませる?
一人目のお母さんは、きっとダニエルさんを産んだ、本当のお母さん。
二人目のお母さんは、ダニエルさんを育ててくれたミアさんのお母さんのことだろう。
もしも三人目を私とするならば、私を悲しませるとは、どういう意味なのだろう。
思いを馳せていると、カランとスプーンが器に当たる音がした。
「ごちそうさん、姐さん。美味かったよ」
「はい、お粗末まさまです」
「……ハナに教わったんだよな。ご馳走様も」
「そう……でしたね」
「ま、いいか。じゃ、寝るわ。おやすみ」
「もう、食べてすぐ寝たら体に悪い……!」
「はは、だから言ったろ、『親不孝者』だって。オフクロの言うことなんか聞いてやんねーよ」
ケラケラと笑うダニエルさん。そのまま部屋へ上がっていってしまった。私は洗い物をしながら、本当に息子を持ったような気分になり……同時に、不安になった。
……私を悲しませる、とは……どういう意味なのだろう?
翌朝、旅立ったハナさんたちと、各々仕事に向かった皆を見送り、モーニングとランチの間の時間、再びアダムさんが訪れた。
しかし、ひとりではない。隣に、よく見慣れた女の子が立っている。
「……ハナさん?」
焦げ茶のボブ、真っ黒の瞳。瓜二つと言っていい程に似ている。
しかし、伏せた瞼は目に影を落とし、表情は読み取れない。服はいつもの鎧やクロースではなく、真っ黒な喪服にも見える、ゴシックロリータと言った方がしっくりくるドレスを纏っていた。
横に立つアダムさんは彼女の肩を抱き、言う。
「おや、私の妹が誰かに似ていましたか?」
「あ、え? アダムさんの妹さん?」
「ええ、ロゼと言います。さぁ、ロゼ、ご挨拶しなさい?」
「……ロゼ、です。……曲芸が、できます」
「曲芸……」
私が言うと、ロゼさんは人形が壊れたように、がくんと首を手元に落とした。一瞬のことでぎょっとしたが、そういう手品があるのは知っていた。
「す、すごいですね、ロゼさん」
私がぱちぱちと拍手を送ると、ロゼさんは何事もなかったかのように首を元の位置に戻す。アダムさんが自慢げに言った。
「興行を行う、私の優秀なパートナーですよ」
「なるほど……」
「なんだなんだ、騒々しいぞ、ルツァ」
カツカツと靴音を鳴らして、ヴィジーさんが下りてくる。あぁ、彼はまだ部屋で眠っていたんだっけ。そんな事を考えていると、ヴィジーさんがロゼさんを見て足を早め、素早く私の近くに立ち、胸元に潜ませていたメスをロゼさんに突きつけた。
「ヴィ、ヴィジーさん?」
「こいつの近くに寄るな、ルツァ。……話には聞いていたぞ、貴様が道化師アダムか。……命のない者をそばに置き、何を企んでいる?」
険しい声色のヴィジーさんを見て、アダムさんはニコニコと笑っている。
「ロゼに命がない? ……あぁ、エルフさんは魔術も使えるお医者様ですか。これは失態。ロゼがあまりに良い出来なのでこちらでも試させてもらおうと思いましたが、迂闊でしたね」
「な、何を言って……」
アダムさんは決して笑顔を崩さない。それが酷く不気味だった。
「天の守護者と同じ時より来た渡り人さん。私が目覚めた事によるイレギュラーな存在。さして驚異には思っていませんでしたが、これ程優秀な冒険者を抱えているのならば手は出せませんね」
アダムさんの周囲に炎が舞う。寄り添うようにロゼさんがアダムさんに抱かれる。
「ロゼのオリジナルが帰ってきたらお伝え下さい。この世界を滅ぼされたくなくば、サラをこちらに渡しなさい、と」
その言葉を最後に、炎はかき消え、その場には焦げ跡ひとつ残ってはいなかった。
「あ、あれ……? 今、燃えてたのに」
「……なるほど。火の守護者。初代の火の守護者か、あれが」
「初代の火の……って、え」
それは、つまり。
オクタの裏切り者の初代の火の守護者。
魔王エイブ。アダムさんが。魔王? じゃあ、横にいたハナさんそっくりの女の子は?
私の疑問は口に出されることもなく、それを察したのか、ヴィジーさんが説明してくれた。
「横にいた人形は、魔王の使いであろう。ハナの遺伝子を奪い、そっくりに作り上げた、天の守護者の紛い物。ゴーレムだ。だから、あれには生体反応が感じられなかった。だが、レフトナを騙すには十分過ぎる出来だ。おそらく、魔王はあの人形を使って、レフトナを奪うつもりなのだろう。仮初であろうと『天の守護者』が自らの手に入れば、他の守護者を選定することも不可能ではない。何故サラ……モーナだけは指名したのかはわからんが……」
「は、ハナさんの遺伝子……なんて、どうやって奪っ……」
そこまで言って、思い出した。
つい先日、アダムさんがパンケーキを注文した時。アダムさんの手に摘まれていた髪の毛は焦げ茶色。……私が、ハナさんを思わず抱きしめた時に、おそらくついたハナさんの髪の毛。
「あ……ああ」
私は腰が抜けて崩れ落ちる。
「ルツァ!?」
「私のせいだ……私の……。ああ、私がもっとちゃんと、モーナさんの話を聞いていれば……」
『アダム』が何者か、ちゃんと知っていれば、あんな迂闊な行動、取らなかったのに。モーナさんと『アダム』に何らかの関係があることは想像できていたのに。なんでそこまで考えが至らなかったんだ。
ガタガタと震える私を、ヴィジーさんが抱きしめる。
「考えすぎるな、ルツァ。お前はただの冒険者宿の主人だ。この世界の命運を握る戦いなんて、関係のない存在だ。巻き込んだのはモーナだろう。お前にはなんの責任もない。ただ、来た客を接客していただけだろう?」
言い聞かせるような、ヴィジーさんの言葉。甘いテノール。らしくない、優しい声色。
私は自分を支えてくれるヴィジーさんの腕を抱きしめる。そうでもしないと、自分が崩れてしまいそうだった。
……その日の夜。
帰ってきたのは、ギルドに行っていた他の皆と、そして要を修復に向かっていたハナさん、コークさん、マウロさん。
……ダニエルさんの姿は、ない。
「は、ハナさん? ダニエルさんは……?」
私が恐る恐る訪ねると、ハナさんが答える前にモーナさんが舌打ちをした。
「あの男……! 寝返ったか」
ハナさんはふらふらとしていて、それをマウロさんが支えるように椅子に座らせる。
ダニエルさんが裏切った。
何に?
決まっているだろう。ハナさんの敵。
『魔王エイブ』に、だ。
「ハナ様……ハナ様、しっかりなさってください。あれは所詮紛い物です。真の天の守護者は、間違いなく、ハナ様なのですから」
「……でも……要の修復は、あの娘でも……ロゼでも、できてたよ」
「それは守護獣であるダニエルが手を貸したから……!」
声を荒げるマウロさんを見て、コークさんは舌打ちをして素早く自室に戻り、弾薬を補充し、宿を出ようとする。それをレティリックさんが遮った。
「コーク、どこへ行くの?」
「決まってる。シオの峰。魔王の根城」
「ひとりじゃ、危ないよー」
「魔王は殺さない。殺すのはダニエルだ。ダニエルは元々あたしの獲物だ。ダニエルを殺す。火の要では仕留めそこねた。あたしの失態だ」
「ダメだよー。裏切った守護者を殺すのは、代々シルバ家の役目だよー。おれが殺しに行くから、コークは宿にいてー?」
「ハッ、転移魔術も使えない、ただの射手が、どうやってここからシオの峰に行くってのさ?」
「どちらにせよ、今日は無理だよー。コークだって要に力を吸い取られて、まともに戦えないでしょー?」
「守護者である前に、あたしはプロの暗殺者だ。銃があれば神でも殺せる! どけ、レティ!」
「暗殺者なら、わかるでしょー? 今動けば、自分がどうなるかくらい」
レティリックさんに言い含められ、コークさんは拳ごと拳銃をカウンターに叩きつけた。
「……ダニエルさん」
静かな宿の中、ひとりゾフィーさんがすすり泣く。ハナさんは泣く気力もないようだった。そのそばに、ハナさんを抱きしめるように支えるマウロさんがいる。
「ハナ様、大丈夫です。マウロは、……俺は何があっても、ハナ様のおそばにいますから。……ですから」
急転直下のように、希望が絶望に変わった夜だった。
私はすっと立ち上がる。
「ルツァ?」
怪訝そうに私を見るのはアマリアさん。私は無理やり笑顔を作る。
「……気持ちが落ち込むのは、お腹が空いているからです! 皆さん、ご飯にしましょう! 今日は、皆さんが食べたいものを作ります! なんでも注文してください!」
こんなの、ただの空元気だ。
でも、それでも出さなきゃ、この空気は変わらない。
エイブをこの宿に入ることを許したのも、ロゼが生まれたのも、ダニエルさんがここにいないのも、全部、悪いのは自分だ。わかっている。だからこそ、なんとしても皆に元気になってもらわないと。
「ふむ、なんでもいいのか。ではオマール海老のムースと、そら豆のポタージュ、メインは舌平目のムニエル、デザートにティラミスを頂こう」
「ヴィジーさんのメニューはめんどくさいから却下!」
「なんでもいいって言ったのに! ルツァのうそつき!」
「……ふふ」
私とヴィジーさんのやりとりに、小さく、クリスさんが笑う。そこから伝播していくように、クスクス笑い声が広がっていく。
落ち込んでいる場合ではないのだ。私は冒険者宿の主人なのだ。こういう時こそ、いつものように振る舞わないといけないんだ。
ふと、ダニエルさんから聞いた言葉が蘇る。
『とんだ親不孝者だ』
……大丈夫。ダニエルさんは賢い人だ。だから、きっと、これも何か考えがあってのことなのだ。
「マウロさん、ハナさん、何が食べたいですか? 食欲がなかったら、せめて温かい飲み物だけでも飲んでください」
私がふたりに歩み寄り、顔を覗き込んでそう言う。
ハナさんはぽつりと言う。
「……カフェオレが、飲みたい」
「店主、私もハナ様と同じものを」
「……わかりました!」
ハナさんは少しでも元気を出さなきゃいけない。要の修復は終わった。
あとは、あのろくでもない道化師を……。
『魔王エイブ』を、倒すだけなのだから。
その手助けになるなら、私にできることならなんだってする。
またタピオカミルクティーを作ったっていい。クレープだって焼くし、ハナさんが望むなら、フレンチのフルコースだって、日本の懐石料理だって用意しよう。
……それが今できる、罪滅ぼしにも似た、私の役目なのだから。