09:薬草のスープ
魔法使い街の裏、地下に掘られた薄暗く、色々な香りがごちゃごちゃと混ざった不思議な空間。その最奥でケープを羽織り、顔を隠したお婆さんがいる。
「おや、紫水晶の」
「こんばんは」
私がぺこりと礼をすると、お婆さんはガタガタと棚を漁りだす。
「いつものでいいのかい?」
「あ、いや、それだけじゃなくて、他にも……ちょっと調合してほしいものがあって」
「ほう? 誰か病人でも出たか?」
「そうじゃないんですけど」
私は彼女にひそひそと耳打ちをする。お婆さんは不思議そうな顔をした。
「……あまり聞き馴染みのない調合じゃな。火の大地の中部辺りでは使うかもしれんが……」
「ええ、……まぁ」
私は遠い目をして思い返す。それはほんの数時間前の話だ。
「ヴィスジオラギア様! ようやく見つけましたわ!」
突然ドアを開けられて、ヴィジーさんがびくっと肩を震わせる。なんだなんだとハナ一行も視線を向ける。
「ミス・アレキサンドラ……しつこいな、貴様も」
「当然ですわ。妾とヴィスジオラギア様は純血のエルフの血を残すという大変な使命がございますもの」
「ふん、我は純血のエルフなどに興味はない。霧の森に少ないだけで、他の森にはわんさといるではないか。見よ、この宿だけでも純血のエルフがふたりもいる」
そう言ってヴィジーさんは手を広げる。手の先にはレティリックさんやナナアールさんがきょとんとしていた。
ヴィジーさんの婚約者……ええと、名前なんて言ったっけ。リジュ……リジュなんとか……もうリズさんでいいか。リズさんがナナアールさんとレティリックさんを見渡し、フンと鼻で笑う。
「確かに純血のエルフですわね。あなた達は恋仲ですの?」
「ちがうよー。おれ、恋人いたことないよー」
「あなたには関係ないわね。私が誰に惹かれようと口出しされたくないわ」
各々あしらうふたりに、リズさんが歯噛みする。そしてびしっとオリバーさんを指差した。
「だからって、あのような汚らわしい混血児ばかりの森になっては、霧の森はおしまいですわ! さぁ、ヴィスジオラギア様、森に帰りましょう!」
その言葉にカチンと来た。この人はお客さんじゃないんだから少しぐらいはいいだろう。
私はカウンターを出てオリバーさんを指差す彼女の腕を掴んだ。
「な、なんですの?」
少し怯えた声色になったリズさんに私は少し深呼吸をして言う。
「あなたが何者かは知りません。ですが、混血児……何と何のハーフだろうと、誰にも蔑まれることはありません。オリバーさんのご両親だって、きっと愛し合ったからオリバーさんが生まれたんです。たとえ妖精族で虐げられてても、ここは私の宿です。オリバーさんは私のお客様です。私のお客様を蔑むような発言は聞き捨てなりません。ヴィジーさんも同じです。ヴィジーさんにだって選ぶ自由があっていい。ここは自由を求める者が集う宿なんですから」
「ルツァ……」
涙声のオリバーさん。私を茶化すようにヒュウ、とダニエルさんが口笛を吹く。同時にモーナさんにぱちんと頭を叩かれていたが。
「な、なんですの、ただの冒険者宿の経営者のくせに!」
「えぇ、私はただの冒険者宿の経営者です。冒険者の皆さんのお腹を満たし、安らげる寝室を用意するのが仕事です。それにかけては誰にも負けない自信があります。あなたには何が出来るんですか? こんなひらひらしたドレスで、こんなに長い爪で、メイドに命令して入れてもらったお茶を飲むことしかできないでしょう? それともヴィジーさんとの子供を育てるのが仕事だとでも言いますか? こんなに爪を伸ばして、赤ちゃんを抱き上げて傷つけないんですか? それともそれすら乳母に任せるおつもりですか?」
立て板に水といったばかりにまくしたてる私を、皆呆然と見ていた。こめかみに青筋を立てたリズさんが反論する。
「つまりあなたは、妾がヴィスジオラギア様の妻にふさわしくないと言いたいのですか?」
「ヴィジーさんだけじゃないですよ。決められた結婚に従うだけで、あなたを選ぶような男の人なんていないと言っているだけで」
「この女ッ……!」
リズさんの平手打ちが飛んできた。爪の先で頬の傷がつく。ひりつく頬をさすると、少し血が滲んでいた。それを確認して、私は笑う。
「……ほら、かすっただけで、傷がついた。こんなことで、子供を叱ったり、抱き上げたり、できるんですか?」
「ぐっ……!」
リズさんの言葉が詰まる。それを見ていたモーナさんがこほんと咳払いをして話に割って入ってくる。
「水掛け論もいい加減にせんか。つまり、ヴィジーの婚約者殿……名はなんといったか?」
「リジュヴィスオ・アレキサンドラですわ」
「うむ、ではリズ殿とお呼びしよう。リズ殿は自分がヴィジー殿に相応しい婚約者と証明したい。ルツァはヴィジー殿の意見を尊重したい……つまり、冒険者宿で自由に生きてもらいたい。ならば簡単じゃ。決着を一発で決めれば良い」
「決着ですって? なんですの、この小娘は」
事情を知らないリズさんがそう言うが、構わずモーナさんが言った。
「男衆、妻として相応しいスキルはなんだと思う? 美貌か? 床の上手さか?」
「なッ……」
マウロさんが顔を真っ赤にする。クリスさんも何か言いたげだが、言葉が出ないようだった。しかしダニエルさんだけが飄々と答えた。
「俺なら『安らぎ』だと思うね。そりゃ、夜の方も上々ならそれに越したこたぁねぇが、そんなもんは男がリードしてやるもんだ。なら、帰って安心できる場所を作れるかどうかが女の腕の見せ所だろうさ。もちろん、男でも同じ。まぁ、これは専業に限った話だがな。家を守るなら男でも女でも、使命は同じだと思うね」
モーナさんはうんうんと頷きながら話を総括する。
「つまりそれが『安らぎ』か。なるほど。ならばそれにかけては日々我々の生活を支えてくれておるルツァに軍配が上がるであろうな……じゃが、それでは不公平じゃ。リズ殿、なんなら自信がある? このルツァを越えるスキルが、あるか?」
「そりゃ……この美貌と……えっと……健康ですわ! エルフは植物の知識に長けていますもの。健康的な料理を作れますわ!」
ふむ、とモーナさんが頷く。
「では、この街の者に聞こう。妻にするにはどちらが相応しいか。美貌、そして料理。それで判定をしてもらおうではないか」
「ちょ、ちょっと、モーナさん!? 勝手に何を……」
「イタリの街杯、お嫁さんにしたいのはどっち? 勝負、開幕じゃ!」
……そんな勝手な。私は呆然とする。私なんて喪女の極みなのに。私をお嫁さんにしたいなんて人、いる訳ないのに……。
「料理勝負ならばルツァの方が有利じゃろう。作る料理はリズ殿が指定するがいい」
モーナさんにそう言われて、リズさんは少し後退る。しかし、こう言い放った。
「……薬草! 薬草を五種以上使ったスープで勝負いたしましょう!」
「よかろう。ルツァ、反論は?」
「え、いや、その前にモーナさん、私、そんな勝負……」
断ろうとした私にモーナさんが言った。
「これで評判が上がれば歌う紫水晶亭の客も増えるじゃろうなぁ? 美人女将の経営する、美味い料理の出る宿として」
そう言われては、私は断るに断れない。
私が美人かは置いといて、お客さんが増えるなら。
「う……受けて立ちます!」
こうして突発的にお祭り騒ぎになってしまった。
美貌のエルフの女性と、冒険者宿の女将の料理勝負。モーナさんがあっという間にチラシを作ってしまい、ミアさんがそれを配り歩く。娯楽の少ないこの街では、それは十分すぎるイベントだった。
「……っていっても、薬草を五種……何使えばいいの……」
私がレシピに悩んでいると、ナナアールさんが軽く言った。
「やだ、あなたいつも薬草使って料理してるじゃない」
「薬草なんて使ってませんよ? そりゃ、手に入りにくい香辛料やハーブは魔術のお店で取り寄せてますけど……」
「それよ、ルツァ。香辛料やハーブ。エルフはそれを総じて『薬草』と称しているわ」
「でも……五種ですよ!? 何を作れば……」
「……簡単だよ、ルツァ。確かだけど、あの料理なら簡単に五種類以上の『薬草』を使って作れる。私は香辛料からの作り方知らないけど……ルツァなら作れるんじゃない?」
口を出したのは、意外なことにハナさんだった。
「ハナさん? な、なんですか、それは?」
「日本人の国民食。インドから来て、イギリスからやってきた、スパイシーなスープっぽい料理、ありません?」
にこにこと笑うハナさんは言ってのけた。
「私も久しぶりに、カレー、食べたいなぁ」
……そんな経緯があり、今私はこうして魔術師のお店にやってきている。
「馬芹に、蕃椒に、鬱金に、香菜の実。そして大蒜、に生姜……で、調合してもらいたいのが、馬芹、と小荳蒄と、黒胡椒と、丁字と、桂皮と、月桂樹か。……ふむ、こんなものでどうじゃ」
魔術士のお婆さんが調合してくれた粉を少し舐める。うん、馴染みのある、あの味だ。少し辛味が少ない気がするけど、あまり辛くするつもりもないからこれで十分だろう。
「ありがとうございます、お婆さん!」
「かまわんが、その粉は何に使うんじゃ?」
「この粉ですか? ……ガラムマサラは、カレーの大事なスパイスですよ!」
「……その粉は、がらむまさら、というのかい?」
「お婆さんも、よかったら来てください。ちょっとした催し物があるんです。そこで出す料理に使うんです」
「あぁ、街が騒がしいと思ったら……。そうかい。しかし儂はこの薄暗い場所が好きでね。遠慮しておくよ」
お婆さんに見送られ、私は調達したハーブや香辛料を抱えて店へと戻る。早く下ごしらえをしないと。
店に戻り、食料庫から鶏肉と玉ねぎとトマトとプレーンヨーグルトを取り出す。
湯剥きしたトマトはざく切り、鶏肉はフォークで穴をあけて味を染みやすくしてから一口サイズに。塩と、すりおろした大蒜とヨーグルトを大きなボウルに入れてよく揉み込む。そしたらよく冷えた食料庫に置いて、しばし放置。
粉末にしてもらった馬芹、鬱金、香菜の実、蕃椒、調合してもらったガラムマサラを混ぜて、下準備は万全だ。
……後は、会場で料理すればいい。
モーナさんやオリバーさんがはりきって用意してくれた垂れ幕つきの会場の真ん中には簡易的な料理場が作られている。うーん、キャンプみたいだ。ここでうまく作れるだろうか。ていっても作るのカレーだしな。いや、不安に思ってる暇はない。私はいつもの服装で会場に立つ。横を見ると自信満々といったようにリズさんが腕を組んで立っていた。
……正直、綺麗さで勝てる気はしない。
でも、料理なら大丈夫。……大丈夫な、はずだ。
老人から子供まで、男性陣で賑わう会場の真ん中にハナさんが立つ。
「皆さん、今日は集まってくださってありがとうございます! 今日はどちらをお嫁さんにしたいか決める……なんて名題をしていますが、気にせず、美味しいお料理を楽しんでください! 美味しかったほうに、……つまりは、まぁ、こちらのエルフさんと、風の大地のお姉さん、お嫁さんにしたいと思った方に票を入れてくださればいいです! では、調理を開始してください!」
リズさんはもたもたと葉っぱをちぎったり、恐る恐る包丁を扱っている。
……あれは、ローズマリー、ローリエ、それにパクチー……じゃなくて、コリアンダー、チコリと……それにジンジャーだろうか? なるほど、五種だ。しかし、味の想像ができない……。レンズ豆とキャベツを使うようだけど、塩も砂糖もない。味がするのだろうか?
と、考える前に自分も手を動かさないと。
大きな鍋にバターをごろりと入れて、よく溶かす。みじん切りにした玉ねぎとすりおろしたジンジャーとガーリックを入れて、よく炒める。混ぜておいたスパイス類を入れて、更に炒める。ふわり、と香りが立つ。食欲をそそるカレーの香りだ。
香りが立ったら刻んだ湯剥きトマトを入れて煮詰めるように混ぜながら様子を見る。
「あっちのお姉ちゃんのお鍋、不思議な匂いがするー」
自分を指差す、子供の声が聞こえた。うう、やはりこの場所で馴染みが薄いカレーは失敗だっただろうか。
けれど。ハーブにそんなに詳しくない私は、これに勝負を賭けるしかないのだ。
ヨーグルトに漬け込んだ鶏肉をつけ汁ごと入れて、よく混ぜて煮詰める。塩と砂糖を入れて、鶏肉が焦げないように、慎重に混ぜる。
最後に生クリームを入れて、火を弱くして煮込み、塩で味を整え……小皿にスープを入れて味見。
「……よし!」
調理終了の鐘が鳴ったのは、そのすぐ後だった。
「では、好きな方からスープを受け取ってくださーい」
ハナさんの号令で審査をしてくれる男性陣がぞろぞろと動き出す。そのほとんどはリズさんの方に向かっていた。
……うう、やはりダメか。カレーなんだし、ご飯も用意してあるのになぁ。
リズさんのスープを飲み、男性たちは顔を見合わせる。
「……どう思う?」
「いやぁ……なんつーか、葉っぱの味しかしねえっていうか……生姜の香りは強いんだけど、あとこの草があんまり……」
「……うーん、微妙だなぁ……」
スープを飲み終わった男性たちがこちらに歩いてくる。私は木の器にわたわたとライスを入れて、カレーをかける。
「ど、どうぞ!」
「なんだこりゃ、米と食うのか?」
「粥……とも違うな。ミルク粥にしちゃ、香りが違う……色もなんか黄色いし」
「でも肉が入ってんのはいいなぁ」
口々にいいながらスプーンで口に運ぶ。
「ん、辛い? ……けど、結構うまいぞ、これ」
「ん、結構癖になるな」
「肉がほろほろで美味え。トマトの酸味もいいなー。なんか、体が熱くなる」
結果は……明らかだった。私の方に男性陣がどんどん並ぶ。おかわりを要求してくる人もいた。
結局、リズさんのスープはほとんど残り、私のカレーはからっぽになった。
「……納得いきませんわ!」
激高したのはリズさんだ。
「私は薬草を使った料理、と指定しましたのよ! そちらのスープのどこに薬草の要素がありまして!?」
……確かに、見た目にはこちらに薬草要素はない。薬草を使った証拠を出せ、と言われても、ない。
しかし、顔を真っ赤にして喚くリズさんを窘めたのは、両方の料理を腹に入れたヴィジーさんだ。
「リズの料理はエルフの伝統的な薬草スープ。抗酸化作用、食欲増進、体を温め、毒素を排出する、伝統的な病人食。ルツァが作ったのは、味を重視した料理。しかし同様に抗酸化作用、食欲増進、疲労緩和、消毒作用、血行促進効果……とまぁ、様々な効能のある薬草がきちんと使われている。黄色いのはターメリック、辛みはペッパー類だろう。ハーブの余計な薬臭さはジンジャーやオニオン、ガーリックが消し、ヨーグルトやトマトで味わいを出し、生クリームで子供でも食べやすいまろやかさを出し、鶏肉が入っていて食べごたえもある。……まぁ、年相応の男が選ぶならば、ルツァの料理だな。ライスがついているというのも大きいだろう……が」
「ヴィスジオラギア様……?」
「我は久々に故郷の味が楽しめたぞ、ミス・アレキサンドラ。礼を言う」
……あのヴィジーさんが、素直にお礼を言うなんて。リズさんの瞳に期待の色が宿る。
しかし、腕を組んでヴィジーさんは言い放った。
「まぁ、それはそれとして我もルツァに票を入れるがな。やはり味はルツァが圧勝だ」
「ヴィスジオラギア様ァ!?」
「ヴィジーさん……」
期待させといてそれはないんじゃないかなぁ、ヴィジーさん……。私が呆れていると、ヴィジーさんが崩れ落ちるリズさんの手を取り、言う。
「それに、我にはもう心に決めている。……我は『ルツァ』を選ぶ。すまないな、リジュヴィスオ」
「……ヴィスジオラギア様……。そう、ですの……」
マウロさんがほう、と息をつく。オリバーさんがぼそりと言った。
「……こんな大衆の面前で、なかなか情熱的な告白だな」
ヴィジーさんの言葉の意味を理解していないのは私だけのようだった。
……何を皆言っているんだろう。ヴィジーさんは結婚したいとかは別にして、自由の為に私に票を入れているのではないのだろうか?
「リズさん、なんか絵に描いたような『悪役令嬢』って感じでしたねぇ」
リズさんが豪奢な馬車で霧の森へ帰った後で、ぽつりとハナさんが呟いた。
「あぁー……そういえば? ああいうのが悪役令嬢っていうんですねぇ」
私が片付けをしながらハナさんにそう答えていると、モーナさんが小突いてきた。
「しかしルツァ、このような場で盛大に告白されたのう」
「告白? ……誰が、誰にですか?」
そう言うと、私は何故か盛大なため息をつかれたのだ。




