08:運命を切り開け
閉店の時間になってもヴィジーさんは出てこない。その日の夕食をお腹に詰め終わり、まったりしていたハナさんたちがヴィジーさんがいないことを疑問に思ったのか、何があったのか聞いてきたので、ざっくり説明した。
「へぇ、彼に婚約者……エルフにしては珍しいのね」
「そうなんですか、ナナアールさん?」
私が思わず聞くと、小さく頷いた。
「そうね。クイーンのような特別な存在ならともかく、普通のエルフって自由恋愛っていうか、いつの間にか自然と……って感じで婚姻することが多いから。……そういえば、彼の森、どこって言ってたっけ?」
「えっと……霧の森です。水の大地の」
それを聞いてなるほど、と納得したようにナナアールさんが頷いた。
「霧の森は混血児が多いから、純血のエルフを守りたいのかもしれないわね。だから、純血種のエルフには特殊な家名が与えられて、貴族のように扱われるって噂を聞いたことがあるわ」
さすがはナナアールさん。妖精族のクイーンの側近だったこともあり、よく知っている。そうか、エルフに特殊な家名が与えられるのは稀なのか。
……貴族のような扱い。なんだかそう言われるとヴィジーさんの振る舞いも納得できる気がした。
「ヴィジーの家名ってなんだったかしら? 聞いた覚えもある気がするけど忘れちゃったわ」
「えっと……えっと、確か……セル……セル……なんでしたっけ?」
「セルボシュインス、だニャ。ナナ、ルツァ」
ミアさんがひょこっと顔を出し、告げる。あぁ、そうだった。ヴィスジオラギア・セルボシュインス。長い名前。あのエルフの女性も長い名前だったなぁ。これが霧の森の純血のエルフの風習だろうか。
「そうそう、セルボシュインス。古い言葉よね。確かオクタの時代より前のエルフの言葉」
「へぇ……どういう意味なんですか?」
「さぁ? 私も古代エルフ語に精通してる訳じゃないから……」
私たちが首をひねっていると、モーナさんが助け舟を出してくれた。
「『恵みを与える水』、じゃ。セルボが水、インスが恵み。シュが接続語で、繋げると水の恵み。この頃のエルフの言葉は単純じゃ。つまり、現代語に意訳すると恵みを与える水、となる」
「へー……なんかヴィジーっぽくないニャ」
「あえて言うなら『痛みを与えることを許される』かしらね」
「あはは」
ナナアールさんたちとそんな軽口を叩いていると。
「聞こえたぞ……」
のそり、と階段の手すりを這いずるようにヴィジーさんが顔を出す。
周囲をキョロキョロ見渡し、小さく呼吸を整えて、しゃんと立ち上がり服の皺を伸ばすように叩くとカツカツといつものように下りてきた。
「あの女はどうした、ルツァ?」
あの女。つまりヴィジーさんを追ってきた人だろう。しかし仮にも婚約者に向かってあの女て。
「えーと……『こんな貧乏宿、妾にふさわしくない』とかなんとか言って、高級な観光宿に行っちゃった」
「まぁ、そんなところだろうな」
フンと鼻で笑い、カウンターの隅に座る。
「夕食はまだ食べられるか、ルツァ」
「あ。えっと、おかずが無いんだけど……スープが残ってるのと……あとは朝食のパンしか残って……あ、ヴィジーさん、甘いもの平気だったよね?」
「む? 平気だが」
「少し待っててください!」
私は卵と牛乳を食料庫から取り出し、ボウルに入れてかき混ぜる。少し砂糖を入れて、できた卵液に朝の余りのバケットを切り、浸す。
「? それはフレンチトーストか?」
「それだけじゃないですー。いいから見ててくださいって!」
液が染みるようにしばらく置いておく間にハムとチーズとトマトを薄く切る。
ついでとばかりにサラダも用意。味がいつもと違うと指摘されたドレッシングは作り直す。オリーブオイル、ビネガー、塩、レモン。よく混ぜ、ちゃんと味見も忘れずに。それをレタスと玉葱と茹でたコーンを散らした簡単なサラダにかけて差し出す。
「はい、こちら前菜です、と」
「うむ、よきにはからえ」
いつもの調子のヴィジーさんに少し笑みが溢れるが、あくまでも冷静に。
卵液の染みた薄めに切ったバケット二枚をバターを溶かしたフライパンで焼く。じゅわじゅわという音に、なんだなんだとハナ一行が集まってくる。
「いいですねー、ひとりだけ特別料理! って感じがします!」
「べ、別に特別料理って訳じゃないですよ、ゾフィーさん? 余り物で作ってるだけですからね?」
「しかし、パンがこんなに薄いと食べごたえがないんじゃないか、ルツァ?」
不安げに言うオリバーさんに、私はにっこり笑い、両面を焼いたフレンチトーストにハムとチーズとトマトを乗せ、その上にさらにフレンチトーストを乗せる。少しだけフライ返しで押し焼き、完成。ナイフを入れると少し溶けたチーズが顔を出す。
「はい、お待たせしましたー」
「ほほう、フレンチトーストのサンドイッチか」
モーナさんが感心したように言う。
「これなら古いパンでも問題なく美味しく食べられますからね!」
私は胸を張るが、ヴィジーさんの反応が心配だった。ナイフで丁寧に切り分け、口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼し、ごくんと飲み込むのをハラハラしながら見守った。
「ふむ。フレンチトーストの甘さと、中の具の塩っけが引き立て合い、なかなか美味だと思うぞ、ルツァ」
「本当? よかった!」
ほっとする私を見て、ヴィジーさんの口角が上がる。……笑ってる?
「……どうかしたの、ヴィジーさん?」
「いや、この宿を選ばなかったあの女はやはり見る目がないと思っただけだ」
「……はぁ?」
「見た目ばかりにこだわり、本質を見ようともしない。下らない。我は我の選んだ道を生きる」
そう言い、大きく切ったフレンチトーストサンドを口いっぱいに頬張る。
「……はーん? つまり、ヴィジーは結婚したくなくて冒険者になったのか?」
あの短い言葉から、ダニエルさんが導き出した答えは意外なものだった。だが、ヴィジーさんは首を横にも縦にも振らない。フレンチトーストを食べ終わり、コンソメスープを飲み、やっと一息ついたとばかりに腹をさすりながらぽつりと一言だけ言った。
「我は親の引いたレールは歩まないと決めた。それだけだ」
……それは、つまり。
ヴィジーさんは望まない結婚を子供の頃から強いられていて、反発して森を出た、ということだろうか。
その為に医学を学び、水の大地を飛び出して、この火の大地にやってきて、あの雨の日にこの宿の扉を叩いた。
「そこで『運命の女』に出会う訳だ。ドラマチックで情熱的だねぇ、ヴィジーくん?」
ニヤニヤと笑い、ぽんと肩に置かれたダニエルさんの手を払いながらヴィジーさんは言う。
「運命という言葉を口にするか、守護獣を強いられている貴様が? 運命は自分で切り開くものだと、お前ならば言うと思ったのだが、とんだ見当違いだったな。風呂に入って我は寝る。ではな」
そう言って立ち上がるヴィジーさんを、笑みを湛えたままダニエルさんは見つめていた。
「……何を言ってんだか、あのエルフも。当たり前だろ、ヴィジー。運命なんて自分で選ぶものだからな。……そうじゃなきゃ、生きるのがつまらねぇじゃねえか」
そう言い、不敵な笑みのままのダニエルさん。
私がその言葉の真意を知るのは、もう少し先の話だ。