07:青天の霹靂
「ただいま、皆の衆! この超絶優秀な天才医師の白銀の貴公子、ヴィスジオラギア・セルボシュインスただいま帰還ってねー! ほらほら、ルツァくん、おつかれのお紅ティーを今すぐ入れてくれてもバチは当たらないと思うよ! なんといってもこの我は」
「ヴィジーうるさい!」
「なんだと、このちびすけ!」
いつものやり取り。なのに私は落ち着かない。ヴィジーさんを好きだと自覚してしまってから、ヴィジーさんとまともに目を合わせられない。いや、仮面の奥なんだから合ってるかどうかもわかんないんだけど。
「どうした、ルツァ。目を白黒させて。体調でも悪いのか? 今なら無料で診てやらなくもないぞ?」
ヴィジーさんの手袋に包まれたほっそりとした指が伸びてきて、私は慌てて飛び退いた。
「だっ、大丈夫! 紅茶、すぐ! 用意するから!」
「ルツァ……」
それを見ていたアマリアさんが密やかにため息をつく。あまりに露骨に避けてしまったことを呆れているのだろうか。ヴィジーさんは手を伸ばしたまま固まっている。
「……えぇー……流石にちょっと傷つくぞ、ルツァ……」
「そっとしといてやんな、ヴィジー。女にだって色々あるんだから」
「そうか……そういうものかもしれんな……」
席につくヴィジーさんを横目に私はヴィジーさんのカップを温める。ティーポットの中では熱いお湯で茶葉を踊らせ、ヴィジーさんの為のお茶を作る。
『ヴィジーさん』の、為の。
私は顔が火照りそうになり、乱暴にカップのお湯を捨てて、自分の煩悩を捨てる。
ええい、余計なことを考えるな、ルツァ・アメジスト! 私は冒険者宿の店主! ヴィジーさんはお客様! それだけ!
「おまたせ、ヴィジーさん」
何事もなかったかのように、にっこりと微笑み、カップとポットを差し出すと、それはそれで気味が悪かったのか、ヴィジーさんの顔が若干引きつっていた。
「……アマリアよ、ルツァは一体何があったのだ。ここ数日こんな感じで怖いのだが」
「だから女には色々あるんだって。お医者なら察しな」
「しかし、今までここまで露骨に態度に出ることはなかったぞ……」
言いつつもヴィジーさんはカップに注いだ紅茶を優雅に飲む。
私はそれを横目で見ながら密かに思う。
あぁ、指、長いな。綺麗だな。足もすらっとしてて、スタイルがいいな。エルフって長髪の人が多いけど、ヴィジーさんはどうして短くしてるんだろう。長髪のヴィジーさんも見てみたいけど、あの綿毛みたいにふわふわの髪もチャームポイントなんだから狡いよな。
そこまで考え、はたと我に返る。
何を余計なことを考えているんだ、私は!
仕事をしろ、仕事を!
ここのところそんな感じで仕事をしているものだから、若干うわの空で作った昼食のサラダのドレッシングは、少し味が濃いと言われてしまい、私はただただ平謝り。ああ、もう、ダメだな、私は。
元の世界で生きてた頃、好きな人ができても、なんやかんやで告白できずに三十五年彼氏なし。当然告白されたこともない。
こっちの世界で自我が芽生えて二十年、彼氏どころじゃなくて男っ気もまるでなし。
恋愛経験値なんてないなんてもんじゃない。すっからかんだ。
しかも今の思慕の相手は変人エルフときたもんだ。
なんて茨道。きっとこの恋だって成就するものじゃないんだろうな。ヴィジーさんは冒険者なんだから、いつかこの街を離れることもあるだろう。
……そういえば、ヴィジーさんはどうしてこの街に来たんだっけ。
……ああ、そうだ。私がこの宿を継いで、間もなかった頃。
雪になるんじゃないかというくらいに冷たい雨の降る早朝だった。
小さい頃から手伝いはしていたけど、ひとりで回すのにまだてんてこ舞いだったキッチンで朝ごはんの準備をしていた。
乱暴にドアが叩かれた。パンの配達だろうか、と思ってドアを開けたら、レインコートを羽織ったヴィジーさんが立っていたんだ。
「失礼。歌う紫水晶亭という冒険者宿というのはここか」
「え、えぇ……、はい」
両親が亡くなり、固定のお客様が次々と去り、明日食べるパンにも困るかもしれないと思っていた時に転がり込んできたのが、この純白のエルフだった。その頃から白いスーツとレースタイ、そしてオペラマスクをつけていた。
「ここならば人目につかぬだろう、とギルドに紹介された。少々人に追われておってな。海を挟んだこの場所にまでは来んと思うが、ここで厄介になりたい。この我が選んでやったのだ、感謝するといいよ」
「は、はぁ。では、宿帳に記帳を……」
「……ふむ、名前を記入する欄が短いな。これでは我のフルネームが入らんではないか」
「あ、呼ばれたい名前を書いてもらえればいいですよ」
「……ふむ」
白いエルフさんは少し考え、ヴィジー、と記入した。
「ヴィジーさん、ですね。飲み物を飲んで待っていてください。お部屋、用意します。ラッキーですね。今は角部屋が空いてていいですよ」
「ハッハッハ、店主、それは運良く、ではなく、この宿に客がいないから、であろう? だから我はこの宿を紹介されたのだ」
「……とにかく、待っててください。飲み物は紅茶がいいですか? それともコーヒー?」
「紅茶を頂こう」
初めて彼に振る舞ったのは、何の変哲もない紅茶だった。けれど、茶葉の缶を蓋を開け、丁寧にお茶を入れる私を興味深そうに見つめていた。
「本格的だな。ふふ、気に入ったぞ、店主よ。我に相応しいではないか。貴様の名を覚えてやろう」
「私の名前ですか? ルツァです。ルツァ・アメジスト」
「なるほど、アメジスト。それで紫水晶という屋号な訳か。ギルドで聞けばお主は二代目だそうだな?」
「え、ええ。両親は流行病で亡くなって」
「そうであったか。……もう少し早く来ておれば、我が治癒し、救えたかもしれんな」
「お医者様なんですね」
「そうとも、このヴィスジオラギア、優秀な知識と技術を併せ持つ、水の大陸一の癒し手と自負している!」
「はぁ、そうですか」
初対面から、ヴィジーさんはこんな調子で、変な人だなぁ、という印象だった。
だから目が離せなくなってしまったのかもしれないけれど。
そんなことをぼんやり考えていると、カラカラと馬車の車輪が宿の前で止まる音がした。
……今日は、ハナさん一行は休暇と言って、皆出払っている。モーナさんにお客様だろうか。しかし、ガタッと立ち上がったのはヴィジーさんだった。
「ヴィ、ヴィジーさん? どうしたの?」
「もしもエルフの女が来て、麗しい白髪のエルフがいるかと訊ねても、知らんと答えろ。いいな、ルツァ」
「は?」
そう言うとヴィジーさんはカツカツと早足で自室へ戻っていってしまった。私とアマリアさんが呆気に取られていると、涼やかなドアベルの音がした。
そちらを振り向く。知らない人だ。お客様だ。いらっしゃいませって言わないと。しかし言葉が出てこない。
腰をコルセットで締め付け、嫋やかな、と形容していいのかもわからないが、優美なドレスを纏った金色の髪の美しい女性のエルフだ。冒険者にはとても見えないが……なんだろう?
その女性はカツカツをヒールを鳴らし、こちらに歩み寄ってくる。
そして、こう言い放った。
「失礼。こちらに銀の髪をした麗しいエルフの男性はいらっしゃるかしら」
……うちにいるエルフの男性は、真っ白けの髪の変なエルフと、若草色の髪をした、やっぱり少し変わったエルフのお兄さんだけだ。
「いや……ちょっと心当たりないですけど」
女性は残ったカップの紅茶に気がつくと、すんと鼻を動かす。
「まだ温かい。……そう遠くには行ってらっしゃらないわ」
「あのぅ……?」
私が口を開こうとする前に、彼女はこう言い放った。
「ヴィスジオラギア様! ヴィスジオラギア様! いらっしゃるのでしょう!? 貴方の婚約者であるこの妾、リジュヴィスオ・アレキサンドラが来てさしあげましたわよ! さぁ、共に霧の森へ帰りましょう!」
「婚約者ァ!?」
アマリアさんの驚きの声以上に、私は驚愕で声が出ない。
……ヴィジーさんに、私の好きになった人に、婚約者がいたなんて。