05:亜人の成人男性たちの語らい
月も高く、時間は午後十時。一般のお客様は皆帰るべき場所へ帰って行き、開店中の看板をひっくり返してカーテンを締め、ドアにも鍵をかける。
酒場フロアではダニエルさんとオリバーさんがお酒を酌み交わし、ヴィジーさんもカウンターで何やら読書をしていた。
「みなさーん、そろそろお開きにしてくださーい」
「そう言うなよ姐さん、これ、飲み終わるまではいいだろ?」
そう言ってダニエルさんは安いワインの瓶を掲げる。中身は残り三分の一といったところか。
「しょうがないですねー……じゃあ飲み終わるまでですよー?」
「ありがとう、ルツァ」
オリバーさんにまで言われてしまっては仕方がない。私は明日の朝の仕込みをしながら待つことにした。
オリバーさんたちの座る席にサービスにナッツを出し、カウンターに引っ込む。
「おい、ヴィジー。お前も混ざれよ」
ダニエルさんがヴィジーさんに声をかける。
「ふん、ダニエルよ、この我がそんな粗悪なワインを飲むとでも思うのか?」
「別に飲めとは言ってねえだろ? ひとりで読書するなら部屋でもできるじゃねえか。せっかく成人した亜人がこんなに揃ってんだ。ちょっとは交流を深めようぜ」
言われてみれば、ヴィジーさんも成人はしているんだっけ。レティリックさんは人間で言えば十七くらいって聞いたし……。エルフ、ビースト、ハーフだけど、ドワーフ。こんなに揃うのも確かに珍しいのかも。
「お話混ぜてもらったら? ヴィジーさん。お友達増えるかもよ?」
私がヴィジーさんにそう言うと、ヴィジーさんは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「我に友達いないみたいに言わないでもらえますー? 我は友とする者を選んでるだけですー!」
「その結果がぼっちなのでは……」
「ぼっちじゃないですー! よーし、ダニエル、オリバー、この我が同席してやろうじゃないか! 有難がればいいと思うよ!」
そう言ってヴィジーさんはカツカツとダニエルさんたちのいるテーブル席に向かった。
どっかと席に座るヴィジーさんをケラケラと笑ってダニエルさんが迎え、オリバーさんさんも少し笑っているように見えた。
「ヴィジーは酒を飲めないんだろ?」
「……まぁ、強くはない」
「じゃあ水か茶でも……」
「結構だ。で、我と何を語り合いたい?」
「いや、オリバーと少し話してたんだよ。オレ、つくづくナナとそーいう仲にならなくてよかったなぁ、ってよ」
「なんだ、くだらん。色恋の話か」
ヴィジーさんが腕を組み鼻で笑う。しかし、オリバーさんが真面目な顔で言った。
「色恋で済めばまだ生易しい。……もしも、もしも、だ。ダニエルとナナアールがそういう関係になり、婚姻をしていたとしたら、俺の義理の父親はダニエルになっていたという話だ」
それを聞き、ヴィジーさんがぴくりと反応した。
「……待った。どういう経緯でそういうコトになる?」
オリバーさんは辿々しく説明をした。
「俺は孤児だ。エルフやドワーフ、それにブラウニーなどの妖精族の孤児がどういう扱いを受けるかは、お前ならわかるだろう?」
「ふむ、戸籍上は妖精族のクイーンの養子になり、育てられるのが通例だな。だが、お前は違った。混血だからか?」
「あぁ。だから、俺はクイーンの護衛をしていたナナアールの養子になった。母と慕っていた女性が、どんどん外見の年齢が自分と近づいていくのは不思議な気分だった。だから、俺は見た目が彼女と同じくらいの齢になった頃に独り立ちし、クイーンの森を守る森番になった」
「まぁ、オレはその後にナナと知り合ってるんだから、正確に言やぁ、こいつを育てるってことはありえねえんだけどな。でも、年上の義理の息子ができなくて良かった、って話をしてたんだよ」
「ふむ、なかなかややこしい関係だな、貴様たちは」
「だから、ダニエルを求めた彼女は、母としての役目を終え、愛に飢えてたんじゃないか、と話をしていたんだ。ヴィジーならどうする、自分が育てた子より年下の女を恋愛対象として見られるか?」
オリバーさんの問いに、ヴィジーさんは腕を組み、少し唸る。考え……出した答えは。
「我は子育てをしたことはない。だが、異種の女に情愛を持ったことがない……と言えば、嘘になる。妖精族の中でもエルフは少し特殊だ。寿命も群を抜いて長く、種族としてはおそらく、人間よりも植物の方が近い。だが、植物も他の植物と種子を成すことがあるように、別種の生き物と交配することも可能ならば、そこに脳という器官がある以上、情が存在するのも否定はできないだけだ。エルフと植物に違うところは、おそらく感情の機微があることだろう。エルフにだって愛はある。それを恋と呼ぶ者もいれば、親子へのものだと言う者もいるだろう。友人へのものという者もいるだろう。だが、そうだな……。異性……まぁ、或いは同性であっても、そこに『ときめき』のようなものを感じれば、おそらくそれを恋愛と呼ぶようになるだけだと、我は思う。だから、おそらく、ナナアールは感じてしまったのだろう。ダニエルに、ときめきを」
エルフならではの恋愛観を語るヴィジーさんの声色はあくまでも真面目で、ダニエルさんもオリバーさんも茶化すことはなかった。
「……案外詩人だな、ヴィジー」
オリバーさんが感嘆の声を上げる。
しかし即座にヴィジーさんが反論した。
「我は詩を詠んだつもりはないのだが?」
「いや、考え方がロマンチストだなと思ったよ、オレも」
オリバーさんにバカにされたとでも思ったのか、むくれるヴィジーさんにダニエルさんがそう告げるとヴィジーさんが声を荒げた。
「うるさい! 我、もう帰る!」
「まぁまぁ」
立ち上がろうとするヴィジーさんの腕をダニエルさんが引っ張り、それを防ぐ。
「けど、そうか。『ときめき』ねぇ……。そんなもの、もう随分感じたことねぇな」
「『ときめ』ければ、ダニエルの最後の恋が始まるのだろう、きっと」
「はは、どうだかねぇ」
オリバーさんの言葉に苦笑しながらダニエルさんは空になったふたつのグラスにワインを注ぐ。瓶は空っぽになり、グラスに残ったワインだけになった。
「ちなみに、オリバーは『ときめき』を感じたことはあるのか?」
「……ない、とは言わない」
「ハッ、まさか相手は養母とでも言うのではあるまいな?」
ヴィジーさんの軽口に、オリバーさんは苦笑いで答える。
「まさか。仮にも育ててくれた存在に、そんな思いを抱ける訳がないだろう……。だが、もっと……いや、なんでもない」
「……まぁ、これ以上は突っ込まねえよ、オリバーについては。それより……」
ダニエルさんはワインを飲みながら何かを察したようにくるくると指を回す。ダニエルさんの指はヴィジーさんに向いた。
「ヴィジーの方が気になるね、オレは」
「は? 我?」
ヴィジーさんが素っ頓狂な声を上げる。
「『異種の女に情愛を感じたことがないと言えば嘘になる』、……だっけか? それは現在進行だったりするんじゃねぇの? オレが来るまで、あんた、この宿で唯一の男だったよな。アマリアか……もしくは、そこにいる姐さんか?」
遠目に見ていてもわかるくらいに、ヴィジーさんの耳が真っ赤に染まる。
「お、図星」
「我、帰る!」
「……ダニエル、あまりからかうな」
ヴィジーさんは一段とばしに階段をだんだん音を立てながら上がっていく。その途中、一瞬こちらを見て……すぐに目を逸らした。な、何だ?
「ちなみに、どっちだと思う、オリバー?」
「どっちだってヴィジーの勝手だろう」
「そりゃそうだ」
ワインを飲み干したふたりはグラスを私に返しに来てくれて、長居して悪かったな、と言って自室に戻っていった。
「……そっか、ヴィジーさん、好きな人いるのか……」
もしかしたら。
そんな訳あるはずないじゃないか。
……だから、きっと。
「アマリアさんのこと、好きだったのか……」
あの喧嘩腰の口調は、好きだから。
素直じゃないヴィジーさんのことを考えれば納得もできる気がした。
ちくり。
胸に痛みが走る。……なんだこれ。なんでもやもやするんだろう。
……記憶の底にある、気持ちの昂り。
嘘でしょ。そんな。私、嘘だ。
ヴィジーさんを好きなんて、そんなこと、あるわけないじゃないか。
でも、この心のもやもやは、確かに前世でも感じたことのある気持ち。
……そんな訳、ない。忘れよう。
洗い場にワイングラスを浸す。カィン、と水の中でグラスが当たる音が静かなキッチンに響き渡った。




