03:少年の恋、蜘蛛の独り言
今日は皆お休みだ、とモーナさんが言った。
各々武器を手入れに向かったり、あるいは更に自分を磨くために冒険者ギルドで依頼を受けたり。
天気は上々、絶好の洗濯日和。皆が装備の中に着込んでいるインナーやなにやらを回収して一気に洗うには最高の太陽が西から登る。
洗い終わってやれやれと物干し場にもなっている中庭に向かうと、そこにはコークさんとクリスさんが立っていた。
私は慌てて身を隠す。
「コーク。僕……俺、えっと」
これは。もしかして。もしかしなくても。
告白の現場を目撃しているのでは。
私は高鳴る心臓を必死でこらえながら、クリスさんの言葉を待つ。
「……俺、コークが好きだ。……コークがそばにいてくれるなら、なんだって出来る気がする。だから、……だから、俺と付き合ってくれ!」
言った! ……コークさんはなんと答えるのだろう。私は様子を伺いながらも洗濯籠が落ちないように持ち直す。
コークさんはタバコを咥え、オイルライターで火を点ける。深く煙を吸い込み、深く吐き出した。
「……あのさぁ、クリスくん。自分が何言ってんのか、意味わかってる?」
「も、もちろんだ! だから……」
「クリスくんは聖職者。あたしは汚い這いずる『蜘蛛』。そりゃ、教会さんから人殺しも認められてるけど、それは黒の担い手が少なくないお金を教会に渡してるから、ってコトくらい、ボンボンのキミでも知ってるでしょうに」
紫煙が立つタバコの火をじっと見つめながらコークさんは言い聞かすように言う。
「そりゃ……でも……、コークには関係ないことだろ? コークは仕事だからやってるだけで」
「そう。『仕事』。やらなきゃ殺されるのが『蜘蛛』だからね。益虫にならない蜘蛛はだたの虫だ。あたしは不真面目だから適当にやってるけど。クリスくんを抱きしめるには、この手は血で汚れすぎてる。怪我した時に抱きとめることくらいしか、出来やしない」
再び、タバコを口にする。空気の代わりのように、その煙を肺に貯める。クッとコークさんの喉から押し殺したような笑い声が漏れた。
「……なんて言ってやるほど、あたしが優しくないこと、わかってるよね? クリスくん」
厭らしく笑うコークさんは火の点いたタバコをクリスさんに向けると、じりじりと近寄る。壁際に追い詰められたクリスさんの綺麗な頬の真横を熱を帯びた毒がかすめ、ジュウ、と音を立てて消えた。壁に焦げ跡が残る。クリスさんの肌は火傷ひとつ負っていない。
「あたしはクリスくんを好きじゃない。……他の誰も、好きになったりしない。あたしの本当の名前を知ってる『人間』は、この世界ではどこにもいない。……この世界に生きてる人間は、ね。いいかい、クリスくん。恋愛ゴッコがしたいなら、他を探しな。……この面倒な任務の終わった、その後にね」
コークさんは冷えた声で吸い殻をさらに押し付ける。吸い殻がぐしゃりと潰れ、手を下ろして吸い殻を転がす。クリスさんは怯えた表情で、涙を湛え、こちらに向かって走り去った。
私は呆然としてしまった。籠も落としてしまった。……コークさんがクリスさんを振るのは想像できていた。できていたけど……。
「ルツァちゃん、見てるでしょ。出ておいで」
コークさんの声で我に返った。そろそろと籠を持ち、物干し場に向かうと、コークさんが焦げ跡の出来た壁を指で擦っている。
「ごめん、ルツァちゃん。壁焦がしちゃった」
「いや、それは平気ですけど……コークさん、良かったんですか? ……クリスさんのこと、別に嫌いじゃなかったですよね?」
コークさんは乾いた笑いで答えた。
「まぁね。でも、それを言ったらあたしは博愛主義者になっちゃうよ。皆、同じくらい好きだからね。好きだけど、あたしにとっては、皆、恋愛の対象にはならない。それだけ」
「……それは、ダニエルさんと同じような理由ですか? 本気の恋は……っていう」
コークさんは首をひねる。
「……ちょっと違うかなぁ。あたしは抱こうと思えば男でも女でも、年寄でも子供でも抱けるし、抱かせてやれる。でも、そこに愛とか、恋とか、そういう感情なんて乗っからない。……乗っかったことがない。だからクリスくんの想いには応えられない。あたしを抱きたいっていうなら抱かせてやるけどね。それは感情のない、だたの性行為。それだけ」
……それは、私の世界でいうところの無性愛者に近いのだろうか。でも、性行為はできるというのならば、それも少し違う気がする……なんと言うのだろう。両性愛者だけど、恋愛感情がない? 性欲はあるが感情がない?
私が難しい顔をしているのに気がついたのか、コークさんは複雑そうな顔をして髪をいじり、私の持っていた籠を取り上げた。
「手伝うよ」
「あ……」
「手伝わせて?」
「あ、はい……。ありがとう、ございます」
コークさんは慣れた手付きでさっさと洗濯物の皺を伸ばしながら干していく。私は籠から洗濯物を取り出すだけの係になってしまっていた。
「ルツァちゃん偉いねぇ。こんなにいっぱいの洗濯物、いっつもひとりでやってるんでしょ?」
「そうですかね……? 仕事ですし、嫌いじゃないので苦だと思ったことはないですけど」
「ルツァちゃんは『今』好きなことが仕事だから、か」
コークさんの手が少し止まる。しかし再び作業を再開した。
「ルツァちゃん、これ独り言ね」
「あ、はい」
「昔々……っていっても、二十年も経ってないけど。そこそこお金持ちの商人の家がありました。しかし、その家はある日ゴブリンに襲われました。辛うじて生まれたばかりの女の子が生き残りました」
クリスさんが法衣の下に着ている、白いつなぎを干しながらコークさんの『独り言』は続く。
「ゴブリンたちは生まれたばかりの女の子も食べようとしましたが、ゴブリンのリーダーが少し育ててから食べよう、という提案をし、女の子はゴブリンたちの巣で育てられることになりました。名前は庭に咲いていた百合の花から、リリーと名付けられました。リリーちゃんは人間の子育てなんてしたことのないゴブリンたちの元でしたが、無垢な赤子に情の湧いたゴブリンたちに食べられることもなく、元気に健やかに育ちました」
……その話は。
口に出しかけて、やめた。
コークさんの『独り言』を、黙って聞く。
「ある時、ゴブリン討伐依頼で黒の担い手のエージェントたちが現れました。ゴブリンに育てられていたリリーちゃんは、友達で育ての親でもあるゴブリンたちをかばいました。そのおかげでゴブリンたちは生き延びました。リリーちゃんは黒の担い手たちに捕まり、連れられ、今度は構成員として育てられることになりました。自分の出生のことを聞かれて、闇ギルドから貰った新しい名前は薬にも毒にもなる麻薬の名前でした。そして別になりたくもない立派な殺し屋に育ったリリーちゃんは今洗濯物を干しています。めでたしめでたし」
シーツの向こう側、くすくすと笑うコークさんの影が見える。
「……って聞いたら、ルツァちゃんはどこまで信じる?」
「わ、私は……」
「あはは、黒の担い手は嘘つきが多いよ。ゴブリンに育てられた子供なんて居ると思う? こういうのは話し半分に聞かなきゃー」
そして、ん、と手を伸ばしてくる。次の洗濯物を、という意味なのだろう。私はまた籠から洗濯物を取り出す。
「あ、あたしの『本当の名前』、秘密ね?」
「は、はぁ」
「聞き分けのいい子は、おねーさん好きだよ。ふふ、生きてる人で本名知ってる人、できちゃったなぁ」
「いやいや、コークさん、私の方がだいぶ年上ですからね?」
「はは、そうだった。……じゃあ年上のお姉さんにお願い。後でクリスくんにフォロー入れてあげて。多分初めての失恋で泣いてるかもしれない」
コークさんの軽口は、いつも少しだけ本気が混ざっている。そう思い、私はただ頷いた。それを見て、コークさんは優しく微笑む。
……薬にも、毒にもなる名前。そういえば、あの美しい百合にも毒があったっけ。
……ああ、コカインも、百合も、彼女に相応しい名前だ。
その笑顔を見て、なんとなく、そう思った。
洗濯物を干し終わり、コークさんは散歩してくる、と街に向かった。洗濯物籠を仕舞うために宿に戻る。日光の少ししか差さない薄暗い屋内、鼻を啜る声が聞こえた。
私は何も言わずにカーテンを開けて回る。宿がぼんやり明るくなる。クリスさんは眩む目を細めた。
「……クリスさん、私、休憩にホットミルク飲もうと思うんですけど、一緒に飲みませんか?」
私がそう言うとクリスさんはきょとんとしていた。
鍋に入れた牛乳を沸騰する直前で火から下ろし、カップに注いで蜂蜜を混ぜる。
カップをふたつ持ち、カウンターに座っていたクリスさんの横に座った。
「こうしてお客さんと肩を並べるの、初めてかもしれません」
「……あ、じゃあ僕、部屋に……」
「ああ、待って。クリスさんに私の話を聞いてほしいんですよ」
私はクリスさんの袖を引き、引き止める。
カップに入れたホットミルクを木の匙でくるくる回しながら、少し口に含む。ほんのりした甘みと、ミルクの暖かさが胃を包む。
「……私、好きな人に好きだって言う勇気もないまま、前の人生を終えてるんですよねぇ」
「……だから?」
「うん、だから、ちゃんと言えるクリスさんは勇気があるなー、って思ったんです」
「……店長さん、慰めるの、下手だね」
「……はは、こういう話もあんまりしたことなくて」
照れ笑いをする私に、クリスさんも少しだけ笑い、ホットミルクを飲む。
「……美味しい」
「良かった。ご飯や飲み物が美味しいって思えるなら、きっとまだ平気です。心がボロボロになると、なんにも味がしなくなりますから。でも、生きなきゃいけないから食べなきゃいけない。これ、結構な苦痛ですよ?」
クリスさんは不思議そうな顔をする。
「店長さんは……そんなボロボロになったことがあるの?」
「ありますよー。前世ですけどね。毎日朝早くにぎゅうぎゅうの人混みに揉まれながら仕事に行って、やりたくもない仕事を必死にやって、やってもやっても次々に仕事は押し寄せて、毎日日付が変わるかどうか、って時間に帰れたらいい方で、自炊する気力もなくて、休日出勤もしょっちゅうでしたし、そりゃ心も壊れますよ。ご飯だって味がしなくなります」
「……えぇ……?」
引きつるクリスさんの顔がおかしかった。私は笑いながらまたミルクを飲む。
「あ、今は充実してますよ。仕事はそりゃ大変ですけど、嫌な仕事じゃないですし。お客さんはいい人ばっかりですし。一見さんで『肌の黒い人間の作った飯なんか』って言う人も、まぁ……たまにはいますけど……あの世界で、狭い会社で、同じ肌の色、同じ目の色の人の間でギスギスしてた頃より、ずっと気楽ですよ」
クリスさんはなんともいえないため息をついて、ぼそりと呟く。
「店長さん……よくわかんないですけど、大変だったんですね」
「んー……私の生きてた世界の流行歌で、こんな歌詞の曲があったんですよ。『敗者のレッテル胸に隠して また強いふりして生きるしかないや』って。あの世界では、皆そんな風に生きてたんじゃないかな……って。だから、レフトナは……あの世界で生まれたオクタの整えたこの世界は、こんなに優しいんじゃないかって。ほら、クリスさん、ミルクが冷めますよ」
私に指摘されてクリスさんは慌ててカップのミルクを飲み干す。
ホットミルクのおかげか、私のどうでもいい苦労話のおかげがはわからないけれど、少しは気が紛れただろうか。クリスさんの顔色に笑みと赤みが戻ってきた。
「……店長さん、いい人だね」
「そうですか?」
「うん。慰めるの下手だし、お客さんに自分の愚痴聞かせるような人だけど」
「あ、ごめんなさい」
「でも、『いい人』ですよ」
私は苦笑いをする。何度そんな言葉で男の人に恋心をなかったことにされたもんだか。けれどそんな感情には蓋をして。
「クリスさんも、もう少し心が大人になったら、色々見えてくるものもありますよ」
「本当に?」
曇るクリスさんの頭を抱え、金の髪をわしゃわしゃ撫でる。
「わ、わ、て、店長さん?」
「そうですよー。だってクリスさんなんて、私の世界ではまだ『義務教育』も終わってないお子様ですよ」
「ギムキョーイク……?」
「コークさんはクリスさんより色んなものを見て育った……んだと思います。あんな仕事をしてるんですし。だから、クリスさんより経験が多い、クリスさんより少し大人なんです。コークさんはクリスさんにもっと色んなものを見てもらいたいんじゃないかな……って思いますよ。この旅がそれに繋がるかもしれませんし」
「そうかな……」
「そうですよ!」
私の励ましがこの少年の失恋の傷を癒せただろうか。
……わからない。わからないけれど……クリスさんは少なくとも、少し元気を取り戻したようだった。




