12:餅は餅屋
ハナさん、モーナさん、ダニエルさん、クリスさんが改めて旅立って三日経とうとしている。今日も変わらず日は暮れる。東へ沈んでいく太陽は周囲をオレンジ色に染めている。私は外の看板に書かれた本日のオススメメニューをディナー用に書き換え、ドアを開けようとした。
「……ん?」
ドアがなんだか引っかかる感じがする。……築二十年近く経つんだから、まぁあちこちガタも来るだろうけどさぁ。無理矢理押しても引いても少しスキマができるだけでうんともすんとも言わない。まいった……。入れない。
私が外でバタバタしていると、内側からドアがガチャリと開いた。ドアベルが鳴り、顔を出したのはヴィジーさんだ。
「なーにをひとりでドタバタしておる」
「良かったぁ、助かったよヴィジーさん。ドアの建てつけが悪くなってて、うんともすんとも言わなくなっちゃってたんだ」
「中からは軽く開いたぞ? しかし、それでは迂闊に閉めることもままならんな。どうするんだ、ルツァよ?」
「明日大工さん呼ぶとして、今晩は酒樽でドア引っ掛けて開けっ放しにしとくしかな……」
脳に、キンとした痛み。この痛みには覚えがある。モーナさんの念話魔術だ。
「ルツァよ、聞こえるか? 新たなメンバーが見つかった。部屋を一室、頼む」
「わ、わかりました、モーナさん」
「念話魔術はまだ慣れぬか?」
「や、平気です。じゃあすぐ戻るんですね?」
「うむ。夕食を楽しみにしておるぞ」
脳から、声が消える。ヴィジーさんは私の様子を訝しげに見ていたが、すぐに気がついたように声に出す。
「モーナの念話か。痛みは残っているか?」
「ん……違和感はあるけど、平気。ヴィジーさん心配してくれた?」
「しっ、してないしー!? 勘違いしないでよね!」
つんとそっぽ向く彼の耳は赤い。心配してくれたのか。わかりやすいなぁ、もう。
新しい部屋を整え、キッチンに立つ。ハナさんの家からの仕送りのおかげで、キッチン用品はオクタの島国でしか使わないようなものが増えた。中でも異彩を放つのは一升炊き出来る土鍋と普通の土鍋、それに鰹節を削る為の箱のついたカンナだろうか。
今、この宿は「オクタの愛した料理を食べられる宿」として、オクタ教の人の間でちょっと評判になっている。つまり、少しだが収入が増えた。ありがたいことだ。
それを作るのが風の大地で生まれたと思われる風貌の私なのだから、意外性もあるのかもしれない。
ともかく、今日のご飯は。
「久しぶりにクリームシチューを作るかー」
鍋に溶かしたバター。小麦粉を入れて、焦げないように炒める。粘りがなくなったら火から外し、温めた牛乳を少しずつ入れて伸ばしていき、ベシャメルソースの完成。
今日は鶏肉のシチューにしよう、と鶏肉の胸肉を用意した。野菜をざくざく切っていき、一口大に切った鶏胸肉をバターで炒め、色がついたくらいで野菜を投入。油が全体に馴染んだら、水とブイヨンとハーブ類を入れて一煮立ち。根菜に火が通ってきたなというところでアクを取り、ベシャメルソースを入れてしばし煮込む。最後に塩と胡椒で味を整えて完成。
といった時に、ハナさんたちが帰ってきた。
「おかえりなさー……い?」
最後尾、しずしずと入ってきたのは、少し背の低い……百六十センチないくらいだろうか? の四十才くらいの男性だ。それだけなら背の低い普通の男の人だけど、耳が少し尖っている。それに、浅黒い肌。黒い髪と、銀の目。左目は縦に傷が走り、隻眼になっている。それにどこか自信なさげに見えた。……まるで、こちらに来る前の、自分のように。
「ええと、こちらの方が新人さん?」
私がそう言うと、ハナさんが小さく頷いた。
「彼はオリバー。金の大地のエルフの森の森番をしてたんだって。木こりをしながら」
「はぁ、木こりさん」
ただの木こりが目を潰されるだろうか。私が不思議に思っていると、ダニエルさんがオリバーさんの肩をがっしと掴み、笑って言う。
「オリバーはドワーフなんだ。それも、カーチャンが人間のハーフドワーフ。で、どこにも属せずに隠居みたいな暮らしをしてたんだと」
さらさらと言うダニエルさんを見て、クリスさんが慌てて静止する。
「ば、馬鹿! 人のプライベートをそんなベラベラしゃべるヤツがあるか!」
「別に隠すことでもねーだろ? なぁ、オリバー?」
「……あぁ。心配してくれて、ありがとう、クリス殿。……大丈夫だ。迫害されることには慣れている」
オリバーさんは顔色も変えずに頷いた。そ、そういうものなのかなぁ?
けれど、少なくとも。
「この宿には、オリバーさんを迫害しようなんて人はいませんから、安心してください。ね?」
私がそう言うと、オリバーさんが驚いたように顔を上げる。それを見て、ダニエルさんがにっと笑って言う。
「な、言ったろ? オリバー」
「……けれど、いいのだろうか……俺なんかが」
「なんか、じゃないよ、オリバー。私がオリバーがいたら頼りになるって思ったの!」
ハナさんがそう言って励ます。そういえばモーナさんが言ってたっけ。ハナ一行に入れるのはハナさんと縁が深い人だけだって。オリバーさんもそうなのだろう。
ふと、オリバーさんが開きっぱなしのドアを見た。
「……店主、これは、この店の意向で開けっ放しにしているのか? まだ暖かいが、夜になれば冷えるぞ?」
「あー、ちょっと建てつけ悪くて。内側からは開くんですけど、外からは開かないので、急遽」
それを聞くとオリバーさんはドアをじっと見つめる。酒樽をおもむろにずらし、二度、三度とドアを動かし、様子を見ている。
「……この程度なら、俺でも直せる。店主、大工道具はあるか? 金槌と……あとできれば蝶番の替えが欲しい」
「あると思いますけど……え、直してくれるんですか?」
「……迷惑、だろうか」
オリバーさんは少し俯いてしまう。私は慌てて撤回し、納屋から大工道具を取り出し、渡した。
「お願いします、オリバーさん!」
「……あぁ。……ダニエル、手伝ってくれるか」
「おお、いいぞ」
夕方の歌う紫水晶亭に槌の振るう音が響く。外されたドアをダニエルさんが支えている。オリバーさんは真剣な目で修理に集中している。
酒場スペースに降りてきたアマリアさん、ミアさん、コークさんもそれを興味深そうに見つめていた。
「餅は餅屋、ってオクタの残した古い言葉にあるけど、ホントだね。私じゃあそこまで大規模な修理はできないもん」
「ねぇ。さすがドワーフって感じ。あたしもなんでも屋、って言ったって掃除くらいしかできないもんなー」
「コークちゃんの言う掃除って世間のゴミって意味じゃないの?」
「まー、そんな感じ? あ、そうなるとダニーも社会のゴミになるのか?」
「ニャハハ、コカの話はいつもぶっそーだニャー」
エールを飲むアマリアさんとコークさん、水を飲むミアさんが笑いながらそう言い合うと、ヴィジーさんが割り込んできた。
「コークは社会の掃除が出来る、命を奪うことを教会に認められた存在であろう? あぁ、それに比べてこっちのブラウニーはどうだろう。盗賊としても中途半端、女としても中途半端、一体何ができるというのかねぇ?」
「うるっさいなぁ、ヤブ医者エルフ」
「ヴィジーくん、アマリア割と凄いんだよ。一流の鍵師が作った魔法鍵、簡単に解いちゃうんだから。ヴィジーくんの腕はよくわかんないけど」
コークさんがフォローを入れるとヴィジーさんが涙目になって訴えた。
「コーク! 我にも! 我にもフォローミー! フォローミープリーズエターナル!」
「そんなコト言われても、あたしヴィジーくんの仕事っぷりは見てないからなぁ。まぁ怪我人病人いなくて何よりじゃん」
「そうだニャ、ヴィジー。お医者さんが暇なのはいいことニャ!」
「ちぇっ」
そんな話をしている間にも着々と修理は進んでいく。今は外した扉を再び取り付けているところだ。蝶番に機械油を注し、オリバーさんがドアの様子をチェックする。閉め、開ける、外からも、同様に。ドアベルが涼しい音を立てて軽く開く。
「……店主、直ったぞ」
「わぁ、ありがとうございます!」
大工道具を返され、私はそれを納屋に仕舞いに行く。戻ると、鮮やかな修理を称賛され、困惑しているオリバーさんがいた。
「さぁさぁ、オリバーさんもお疲れ様でした! 皆さん、ご飯にしましょう!」
私がパンパンと手を叩くと、皆思い思いの席に座る。
私がシチューと切り分けたバゲットを席に置いて回る。オリバーさんの前にシチュー皿を置いた時、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
オリバーさんはうちの宿の扉も直してくれたのに、私はこの程度の料理しか振る舞うことができない。
「今日はサラダはなしです、シチューに野菜がたっぷり入っていますから。……オリバーさん、ただの家庭料理でごめんなさい。もっとごちそうにすれば良かったですね。あ、修理のお礼にワインをご馳走しますよ!」
「……いや、人の手料理なんて久しぶりだ。それだけでもご馳走だ。ありがとう、店主」
「ルツァ、でいいですよ、オリバーさん」
「ルツァ……。ルツァ、か。神話の時代、オクタの選定した金の守護者の女の名だな。いい名だ」
「……ありがとう、ございます?」
オリバーさんは、何故かその時初めて、少しだけ微笑んだ。