11:嗚呼望郷の朝食よ
「本日のパーティメンバーを発表する。ハナ。ダニエル。クリス。そして儂じゃ。良いな?」
「へーい」
「わかった」
「えっと……リーダー命令です! ダニエルとクリスは喧嘩しないこと!」
「へいへい」
「フン」
ハナ一行が少し剣呑とした空気のまま出ていき、残されたのはミアさんとコークさんの女性ふたり。私は朝食で使われた食器を洗っていた。
「パンやパスタもいいんですけど、時々はお米も食べたいですよねぇ」
私が何気なく言うと、コークさんが不思議そうな顔をする。
「お米? パエリアとかあるじゃん」
「そういう炊き込みご飯じゃなくて、真っ白いお米ですよ、コークさん。ホカホカの白ご飯……お味噌汁……お漬物……。はぁ……」
「オクタの島の食べ物かぁ。ルツァちゃん、そんなにオクタ教に熱心だっけ?」
そう言ってコークさんはオイルライターでタバコの火を着ける。ミアさんは首を傾げていた。
「オクタの島の料理、そんなに違うニャ?」
「料理自体は珍しいモノじゃないんだよ。お米を普通に水で炊くだけだから。ただ、材料が手に入りにくいんだわ。オクタの生まれた島のお米とか、調味料、こっちじゃあまり売ってないからね。やっぱり故郷の味は違うってヤツなんじゃない?」
コークさんはサングラスを掛け直しながらそう言う。
そうなのだ。確かにこの土地でもお米は多くはないけど、栽培している。けれど、慣れ親しんだあのねっとりとした甘いお米ではないのだ。
味噌も醤油も、ここではなかなか手に入らない。あぁ……二十年以上食べていない、故郷の味。食べたい。食べたい。けれど、風の大地生まれ、火の大地育ちということになっている自分があまり水の大地の、それも辺境の島国の食べ物を恋しがるのもおかしいと思って我慢していた。だけど、昨夜ぽつりとハナさんが言ったのだ。
「この宿の食事も美味しいけど、やっぱり白いご飯が食べたいなぁ」
その一言は私の望郷の念を呼び起こすには十分過ぎた。私だって白いご飯が食べたい!
日本食が食べたい!! でも材料がないのだ! 特にお米が違うのだ!!
「じゃあ、モーナ婆ちゃんに頼んでハナの故郷から送ってもらえばいいニャ?」
けろっとした顔でミアさんが言う。目からうろことはこのことか。いや、しかし、お客様にそんなことを頼む訳には……!
「い、いや、ダメですよ、ミアさん。お客様にそんなこと、頼めません」
「ハナも食べたがってるって言えば、ラクショーだと思うニャ? でも、ルツァが料理できるニャ?」
「……炊飯はお鍋でもできますし、お味噌汁も材料があれば作れますけど…… あ、でも出汁……」
「ダシ?」
「ええと、ブイヨンみたいな、色々なものの大元になるスープです。昆布とか、煮干しとか、鰹節……ええーと、海藻や魚の乾物みたいなもので取るんですよ」
「へー……それこそオクタの島じゃないと手に入らなさそう……」
ぷかぷかと煙を吐き出しながら言うコークさんに、私も肩を落とす。……そういえば。
「皆さん、里帰りとかしないんですか?」
「あー。あたしは元々里なんてないし、いいんだけど。他の皆は難しいんだよねぇ」
「はぁ……?」
「だから、なおさらニャ! ルツァが料理できるなら、モーナ婆ちゃんにハナの故郷に行ってもらって、材料調達してもらうニャ!」
その日は日帰りで帰ってきたハナ一行、シャワーに向かったハナさんを見送り、ミアさんがモーナさんを引き止め、耳打ちした。モーナさんは少し難しい顔をしていたが、うん、と頷く。そして自室に戻り、なにやら持って来るとそれを私に渡してきた。
「モーナさん、なんですかコレ?」
「次元の穴、という魔法道具じゃ。人間は無理じゃが、道具や食い物程度のモノならば転送できる。一方通行じゃがな。これを食料庫に置いておけ。虫や鼠を避ける害避けの魔術は定期的に施しておるのじゃろう?」
「はぁ、そりゃ、まぁ、飲食店ですし……」
それは休眠している小さなまんまるスライムに見えた。だが、生き物という感覚はない。モーナさんが普段乗っているような魔法生物なのだろうか。言われたとおりに冷気の魔術の込められた魔法結晶でひんやりとした食料庫に置いた。
「うむ、ご苦労。これで翌朝まで待てば良い。フフ、儂の魔術、見せてみせよう」
そう言ってモーナさんは胸を張る。
私はなにがなんだかわからずに、疑問符を抱えたまま自室に戻り、その日は就寝した。
翌朝。
大きく伸びをして、顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、普段着の上にエプロンを締める。疑心暗鬼になりながらも、朝食の準備の為に食料庫を開けた。ヒヤリとした冷気を浴び、野菜や保存食の並ぶ棚の向こう、設置したまんまるスライムの前に……米俵と、大根の漬物、それに海苔や煮干しや鰹節、昆布などの乾物が置かれていた。瓶に入れられた醤油、日本酒、そして、壺。
「……は?」
呆然としていたが、慌てて米俵に飛びつく。慣れぬ手付きでわたわたと縄を解き、蓋になっている部分を開けると、麻の袋に包まれて、白い、丸い粒のお米が姿を現した。
「……日本のお米だ」
壺の蓋を開けると、中には味噌が入っている。懐かしい、少し香ばしい大豆の匂い。少しだけスプーンですくい、口に運ぶ。塩辛い。けれど、馴染み深い、日本の味噌だ。
どこから?
まんまるスライムの形をした次元の穴だろう。
一体誰が?
それだけがわからない。
「おお、無事に届いたようじゃな」
混乱したまま振り返ると、まだ寝癖のついたモーナさんが寝間着姿のままで腕を組んで立っていた。
「モーナさん、これ、どういう……?」
「帰れぬ我が子を想う両親から、とだけ言っておこうか。では、朝食を楽しみにしておるぞ」
そう言って飄々と立ち去ってしまう。
……わからない。わからないけど、とにかく、これで日本食が作れる!!
私は白米をザルに入れ、井戸から組み上げられる流水でそれを丁寧に洗う。鍋に洗った米と水を張り、蓋をして火をかけた。
煮干しの頭とワタを取り、昆布と一緒に水に浸す。
お米が吹いてきた頃にお米を炊いていた鍋の火を弱め、昆布と煮干しを浸していた水を沸かし、沸騰する前に昆布を取り出し、少し沸かして、煮干しを取り出し、合わせ出汁の完成。具材は少し考え、下茹でしたほうれん草にした。お味噌を溶くと、ふわりと懐かしい匂いがキッチンを包む。海苔を炙り、たまたま食料庫にあったニシンの燻製を焼き、大根の漬物……ええい、面倒くさい。もう沢庵と言う。沢庵をさくさくと薄切りにし、完成。
「……できた」
炊けたご飯の甘い香り。味噌汁の芳醇な香り。香ばしい海苔と、ニシンの香り。薄く切られた、沢庵。懐かしい、故郷のご飯の香りだ。
お箸はない。だからスープマグに注がれた味噌汁と白ご飯が並ぶという、少し不思議な風貌だが許してもらおう。
香りにつられてか、真っ先に降りてきたのはハナさんだった。
「……嘘」
テーブルに並ぶ、モーナさんが食材を用意してくれて、私が記憶の端っこから必死に再現した日本食。
ハナさんはテーブルに飛びつくと、ちらちらとこちらを見る。
「えっと……全員揃ってから、食べますか?」
「み、皆起こしてくる!」
わたわたとハナさんが二階へ上がり、しばらくするとハナ一行の皆が寝間着姿のままでハナさんに押し出されるように下りてくる。
「……これが、ハナの故郷の朝ごはん?」
興味深そうにコークさんが言う。
「ニャ、なんかお豆さんの匂いがいっぱいするニャ」
鼻をすんすんさせているミアさん。
「オクタ様もこれを食べたのか……!」
目を輝かせるクリスさん。
「はー、こんなもんまで作れるのか。やるなぁ姐さん」
素直に感心しているダニエルさん。
口々に感想を述べるハナ一行だ。
「ほら、食べよう!」
そう言ってスプーンを手にするハナさん。嬉しそうなその姿を見て、皆食べたくないとは言えない空気になっていた。私はほかほかのご飯と味噌汁を皆の前に置いて回る。スープマグの中の味噌汁に口をつけようとしていたダニエルさんをハナさんが止めた。
「ダニエル、食べる前に、こう言うんだよ。『いただきます』って」
「……誰に?」
「作ってくれたルツァさんと、材料を獲ったり作ったりしてくれた農家さんや漁師さんみたいな職人さん、それに食材になった命たちにだよ!」
「感謝の『いただきます』、か。ふ、オクタの祖国らしいのぅ」
モーナさんは何故か懐かしげにそう呟いた。
「はい、皆。『いただきます』!」
ハナさんが手を合わせてそう言うと、ハナ一行もそれを真似て口々にいただきます、と口にし、スプーンとフォークで食べ進めていく。私は口に合うだろうかとどきどきしながら見守っていた。
「なんか塩っ辛い食べ物が多いニャね」
「でも、その辛さがいいな。炊いただけの米が美味いなんて初めて思ったぜ」
「あぁ……オクタ様の故郷の食事なんてありがたい……」
「燻製ニシンも焼いただけなのに美味しいねぇ。お酒にも合いそう」
「朝っぱらから何を言うんじゃ、コーク」
「ふふ、……美味しいね。ありがとう、ルツァさん。すごく美味しい」
皆しっかり完食してくれた。そして、ハナさんが「ごちそうさまでした」と口にすると、皆続くようにごちそうさまでした、と言う。なんだかお母さんにでもなった気分だ。
カツカツと仮面に手袋で完全装備状態のヴィジーさんが下りてくる。
「なんだなんだ、今日の朝食は妙なモノだな」
「ハナさんの故郷のご飯を再現したんです! 文句言う人には食べさせませんよ!」
「食べないとは言ってない!」
ヴィジーさんも、その後起きてきたアマリアさんも、しっかり完食してくれた。そして、ハナさんに教えられ、言う。
「ごちそうさまでした」と。
「よぉし、今日こそ、仲間集め、頑張るぞー!」
笑顔でいっぱいになったハナさんを見て、私も安堵の笑みを零す。
そして、今日はアマリアさんを誘って骨董市に行って、日本食に使えそうな茶碗と汁椀を見繕ってこようと心に決めた。
「さすがに箸はないと思うし、ハナさん以外使えないだろうなぁ」
「ルツァ、何、ハシって」
「えーと……西方で使われてるスプーンやフォークみたいな食器で、食べ物を掴むものだよ」
三十組の茶碗と汁椀を抱え、苦笑いをする私に、手伝ってくれるアマリアさんは怪訝そうな表情を返す。
……しかし、箸もしっかり見つかって、皆使えないだろうなぁと思いながらも三十膳程買うのだった。