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あれから時間も進み、私は会場の端の方にひっそりと身を隠すように立っていた。
元々こういう場が好きではなかったというのもあったが、妹やお母様たちと並んで真ん中を歩くのが好きになれず、早々に抜け出してはこうして端っこを陣取ることにしているのだ。
幸い、妹であるマリーは仲の良い友人を連れながら、率先して挨拶回りに行ってしまうし、お母様もそこまで強要する気も無い――諦められているのかもしれないが――ので、そこまで強く言われないのが救いだった。
しかし、さすがは公爵令嬢という立場、というべきか。会場の端に隠れるようにして立っていても、たくさんの人が色々と声をかけてくることは避けられなかった。
たくさんの人が私の顔を見つけてはすぐに挨拶に来ていた。
「それでは、ルナ嬢。またお会いしましょう」
「ええ、また」
挨拶に来ていた人と一通り顔合わせを終え、私は一人、ため込んでいた息をはきだした。
舞踏会が始まる前からひっきりなしに人が来るものだから、どうしても気疲れしてしまうのは避けられない。
「息が詰まりそうだわ、やっぱり帰っておけばよかったかも」
こんなことを言っているのがお母様が叔母様に見つかれば、それこそ日が落ちるまで説教されてしまうだろう。そんなことを思いながら苦笑していると、窓の外の景色が暗くなっていることに気が付いた。
そろそろ始まるだろうかと思っていると、誰かが私の方――否、人込みを避けて端っこに歩いてくるのが見えた。
おそらく服装と体のシルエットからして女性、だろうか。人の中を切り分けるようにして近寄ってくるのが見えてしまって、やけに目立っているのが印象的だったのだ。
じっとその人物を観察していると、そしてすぐ近くのテーブルに場所を取り、ひっそりと人ごみの後ろの方に着くのが見えて、首をかしげてしまう。
私と同じように絡まれるのを避けて来た人だろうか。
それにしては人が集まっているところで動きを止めてしまったようにも見えて、動向が不自然に見えたのだ。
誰か確認しようとして、ホールの方が盛り上がる声が聞こえてきた。
「見て、殿下がいらっしゃったわ」
人が多い方からそんな言葉が聞こえてきて、私は自然と階段がある正面の方へと視線を向ける。すると、階段の上に金髪の柔和な微笑みを浮かべる美男子が立っていた。
金色の髪を綺麗に整え、この日のために準備したのであろう服装を着こなしている彼は、この国王子様の一人で、最も美しいのではないか、と言われている人でもあった。
今日の服装は、燕尾服に近いが金や宝石があしらわれたアクセサリーで飾り付けられ、業かな作りになっていて、本来ならば悪目立ちしてしまいそうだったのだが、彼の所作の一つ一つが優美で、完成されていたため、輝きを増して美しさを放っていた。
「格好いい……。きっと私達と何もかも違うのよ」
自分ではない、誰かの声が聞こえた。
その通りだと思う。
私とは違い、産まれた時からそのように育てられたのだろう。今の私がどれだけ努力をしたところで、きっと彼のような所作を身に着けることはできないだろう。
これほど綺麗な所作を見せられてしまうと、いかに自分の一挙手一投足が付け焼刃の物だったのかと思い知らされてしまいそうだった。
ほんの少しの憧れと、圧倒的な場違い感に襲われ目を細めてしまう。
他の人が、彼に憧れを抱くのも無理はない。そう思えるほど、美しかった。
誰かを探しているのだろうか。会場内に入った殿下が会場内をゆっくりと見渡しているのが見えた。
元々お目当てのお姫様でも探しているのだろう。
そう安心して眺めていると、私の方を見て不自然にピタリと止まるのが見えて、緊張で心臓が跳ね上がった。
綺麗な、宝石のように輝いている青い瞳をしていた。磨いたサファイアのような色をしていて、濁りがない瞳がじっとこちらを見つめていて、どちらかというと恐怖に近い感情を覚えてしまう。
何かあった、というわけでもないのに心臓が鼓動をうって動揺する。
――違う、彼じゃない。
なにがどう違うという確証も。そもそも何と比べて違うのかすらも判断ができないのに、私は殿下に対してそう思ってしまっていた。
そう思うのと同時に肩の古傷がズキリと痛んだ。
慌てて左手で確認して、何ともないことを確認する。
傷が開いてしまっている……、わけではない。そもそも傷はずいぶん前に完治しているはずで、今はもう痕しか残っていないはずだ。
殿下はというと、そのまま私の方をじっと見つめて、下りてくるのが見えてしまった。
思い過ごしだ。そう思いたくて周りの視線を探すと、どうあがいても視線は自分の方へと集中してしまっていて、もはや自分以外の何物でもないと言っているような物だった。
考えてみればそれもそのはずで、彼が視線を向けているのは、私が見てもわかってしまうほど、部屋の端の方を向いている。そのせいで殿下の視線が自分の所にしか向いていないのが、もはや明白になってしまっていた。
つまり、端の方に隠れるようにして立っていた自分以外にありえないのだ。
助けを求めようとマリーが居たはずの方を見たが、彼女は人ごみの中に紛れ込んでしまっていて、もはやどこにいるのかすらもわからなかった。
そうしている間にも一歩、また一歩と彼が階段を下りながら近づいてきてしまうのが見えて、後じさりしてしまいたい自分が居るのを抑えられずにいた。
しかし、この場で動いてしまうのは不敬にも値する。そうなってしまえば、家に戻るどころの騒ぎではなくなってしまう。
このまま、ここに立っていていいのだろうか。
と――、
「殿下! 突然申し訳ありません!」
突然、にわかに湧きだっていたホールの人たちが静まり返ったかと思うと、何人かの人たちが声を上げたほうに顔を向け始めるのが視界の端に映った。
彼らの視線につられてそちらを見ると、声を上げたのはどうやら先ほど端の方へと身を滑り込ませていた人だったようで、手を大きく広げてお辞儀をすると言った大げさな所作で人々の目を集めていた。
――いったい何事だろうか。
私はどこか遠くを見るような気持ちで見つめていると、突然その人が私の方を指示したのが見えた。
「こちらに居るルナ嬢には、殿下への反逆の兆しがあると判明しております」
「は………え?」
困惑の声が聞こえて、誰の声かと思って周りを見渡すがそこには誰もおらず、口元を抑えて、初めてその声が自分の声だということを理解した。
あまりのことに頭が真っ白になってしまい、反応が出来ずにいると、つらつらと容疑と思われる内容が報告されて行くのが聞こえくる。
いつの間にか宰相殿まで顔を出してきて、舞踏会は観衆の多い裁判所にでもなってしまったかのような雰囲気に包まれていた。
どんどんと険しくなっていく宰相殿の顔を見ながら、私は声も出せずにその光景を見つめていくことしかできずにいた。
私は、あそこで声を上げるべきだったんだろうか。
遅まきながら、そう思った。