第六節「真実と告白」
鼻先に、独特な薬品の匂いが漂って来ていた。
気が付くと、私は程よい温かさが体を包んでいて、私はゆっくりと目を開けた。
目を開けた先には屋敷の天井が広がっていて、見覚えのない板の木目が目に入って来て、ここが割り振られた自室ではない、と教えてくれていた。
「ん……、ここは?」
「ようやく目が覚めましたか」
声に驚いて飛び起きる。声のしたほうを見ると、部屋の隅にある机でメリッサがいつも通り、何か書き仕事をしている背中が見えた。
ハッとして自分がどこにいるのかを確認しようと、周囲を見渡すと、間違いなく報告に来るメリッサの私室で、整頓された部屋中だった。
どうして、私はこの部屋に寝かされていたのだろう。そう思っていると、メリッサが書き仕事を止め、こちらに体を向けるのが見えた。
「おはようございます、ルナ。体の方がいかがですか?」
「……? 大丈夫、です」
「そうですか。今はもうそろそろ午後の仕事も終わるころ合いです。だいぶ寝込んでいましたが、何があったかは覚えていますか?」
そう言われて、何があったのかを思い出す。
たしか、倉庫に閉じ込められて、出られなくなったのをジャンに助けてもらったことも。一歩間違えば、命を落としていたかもしれないと思い出し、ついで犯人がカレンだとばれてしまったのかと考えついて、さっと血の気が引き、そして彼に助けられたことを思い出して頬が一瞬で熱くなった。
体温調節が大忙しだ。
「その様子なら大丈夫でしょう。どうして小屋の中に閉じ込められて居たのか、覚えていますか?」
「ど、どうして閉じ込められて居たか、ですか?」
「ええ、聞いておかなければいけないので。答えられますか?」
メリッサの質問に、心臓が飛び跳ねた。
私の答えでカレンのこの先の待遇が決まってしまう。カレンと仲直りするためには犯人だとばれて、彼女がこの屋敷を出されてしまうのだけは何としても避けなければいけない。
どう答えればカレンが犯人とばれないか逡巡してしまい、時間を使わせてしまう。
「い、いえ。何も覚えていません」
結局、私の口から出たのは何も言わない事だった。
「……いいでしょう。何か聞きたいことは?」
「え?」
思っていた以上に追及が無かったので、肩透かしを食らってしまった。私の答えに気分を害したのか、メリッサは苛立たし気に首を振るのが見えた。
「え? ではありません。聞きたいことは、と聞いたのです」
「追及、しないのね」
「してほしいですか?」
「い、いえ。あまりしてほしくは……」
「なら、これ以上聞かないほうが利口ですよ。あなたがどういうつもりかは知りませんが、この家では目に余ることがあったら、まず報告する。それ以外はできる限り黙認するというのが決まりです。覚えておきなさい」
「は、はい」
「それに、昨日あなたの木札を届けに来たのが誰かなんて言うまでもないでしょう。ただ報告を正しく行うためだけの木札ではありませんので」
あまりに的確に真実を把握しているので、私の疑問がいかに浅はかだったのかを思い知らされてしまう。
たしかにメリッサの言う通り、木札が誰に届けられたかを考えれば、聞くまでもない事柄だった。何も言えずに黙ってしまっていると、メリッサはため息をついた。
「それで、聞きたいことは?」
「ああ、えっと、どうしてここ――メリッサの部屋へ?」
「他のメイドの寝室を占拠するわけにもいかないので私の部屋にお連れしました。それに、肩の傷もできるだけ隠したいでしょう。安心しなさい、私以外は部屋に入らないように言いつけてあります。運んだのは旦那様ですが、治療の際は旦那様も近づけてはいません」
「あ、ええ……。ありがとう」
聞きたかったことをすべて答えられてしまったので、私はそう答えるしかなくなっていた。
メリッサの言葉を聞きながら、右肩の調子を確認する。
患部の周囲に手を触れて見ると、包帯らしきものがまかれていて、先ほどの薬品の匂いがしたのはこの傷を手当てをしてくれたからだったらしい。傷自体は古い傷が開いただけなので、そこまで大事にはならず、多少の血が流れた程度でふさがってくれているようだった。
傷口を確認し終えてメリッサの仕事ぶりに感心してしまう。メリッサはいったい何種類の仕事ができるのだろう。パーラーにハウス、ヒーラーまでこなせるとなると、もうできないことはほとんどなさそうだった。
スズランといい、メイドは何でもできてしまうものなのだろうか。
呆然としてしまっていると、メリッサが書き仕事をしていたのを思い出した。
目が覚めたのならば、すぐにでも仕事に向かう方が良いのだろうが、何をするべきだろうか。
とりあえず、目の前に居る責任者に聞くことにした。
「あの、質問の続きなのだけど、お仕事は?」
「自分の仕事の事なら心配なさらずに。今日は旦那様のおかげであなたの仕事はお休みです」
「お休み……?」
「ええ。旦那さまには感謝してください。旦那様は昨日からまた寝室に引きこもられてしまったので、あなたに割り振る仕事が無くなってしまいましたので」
先ほどまで仕事一辺倒と言った態度だったメリッサが急に愚痴のような言葉を言い始めたので、すこしおかしくなってしまう。
よほどジャンに引きこもられるのが癪なようだった。
メリッサの反応に笑ってしまいそうになりながら、引きこもってしまった当人の事を思い出す。
寒い寒い小屋の中へ助けに来てくれた、あの人の姿を。
あの姿は間違いなく、私の記憶の中にある少年と同じ面影を持っていた。名前までなら一緒なことも多々あるだろうが、それがウィルカニスというのであれば、もはや間違えようはないだろう。
思い出せたことで心の中が温かくなって、あの舞踏会の火の様に、ついつい昔を思い出してしまう。
「ねえ、メリッサ。メリッサは昔から旦那様――ジャンに仕えていたのよね?」
「……ええ、子供のころから。それこそお生まれになったころから、旦那様の御屋敷で働いています」
「よかったわ。それなら、今のジャンは懐かしくならない?」
「懐かしい、とは?」
「何かあったら引きこもってしまうなんて、昔のジャンに戻ったみたいじゃない? 辺境伯としての威厳なんてあったものじゃないわ、メリッサ」
私がそう言うと、メリッサの動きが一瞬固まり、何か迷うような顔を見せてから目を閉じた。
「……覚えて、いらっしゃるのですか?」
「ふふ、ついさっき思い出したわ。懐かしいわね。もう何年前かしら」
「十年以上前ですよ、ルナお嬢様。私がまだ旦那様の御付きになる前の事です」
「メリッサもやっぱりそのころを知っているのね? だからまた引き籠ったなんて言ったんだわ」
「ええ。亜人だから迫害される。それもあってあの方は部屋からほとんど出ませんでしたから。それこそ、ルナ様。あなたに外に連れ出されるまではほとんど出なかったでしょう。まあ、あなたが居るのに再発されたのには少し驚かされましたが」
メリッサが鼻で笑いながらそう言っているのが面白くてくすくすと笑ってしまう。
「でも……、やっぱりそうなのね」
「やっぱりとは?」
「メリッサの反応だと、二人とも私が公爵家の娘だってことと、昔の関係を知ってて私を受け入れてくれたってこと」
珍しくメリッサがやってしまったという風に額に手を当てた。しかし、観念したように椅子をベッドの隣に引っ張って来ると、そこに背筋をしっかりと伸ばしながら腰を下ろした。
「もう少し、お転婆で素直な方と思っていましたよ、ルナ」
「ふふ、女はいくらでも成長すると思うの」
思惑通りに行ったことが嬉しくてついそう言ってしまう。メリッサもやられたと思ってくれたのか苦笑気味に笑いを見せてくれた。
「そうですね……。あなたも旦那様も本当によく成長なされた」
「……引きこもってるのは、やっぱり私のせい?」
私がそう聞くと、メリッサは何と言ったらいいのだろう。形容し難い、何とも言えない上々で何か言葉にするのを躊躇していた。
しかし、黙っているわけにはいかないとも思ったのだろう。すぐ数度頷くと言葉を紡ぎ始めた。
「ええ。あなたが戻ってこないと報告された旦那様はまるであの時――あなたの追放を知った時のような慌て方でしたよ」
「あはは……。やっぱりそれも知っていたのね」
「ええ、ここは国内ですよ。それに辺境伯ともなれば、知らず通す、というわけにはいかないでしょう。しかし、ルナ様が追放されると聞いたとき、旦那様があなたを探すと言った時には少々異常に見えました。こうして無事あなたが見つかって何よりです」
「そう、ほんの少し嬉しいけど、申し訳ないわ」
「それで。ルナお嬢様」
「今は……。せめて、このお屋敷でメイドをしているうちは、そう呼ばないで頂戴。できるだけ隠しておきたいのあなたに怒られたのがまだ少し心に効いてるから……」
「その節は誠に申し訳ありません。旦那さまには、なんとしてもお引止めしろと言われていたもので……」
「大丈夫。いまさらだけど、今まで通りメイドとして接して頂戴」
「では、そのように――ちなみに、あなたは過去を知っていたことを確かめて、どうなさるおつもりで?」
「ん、それを伝えて、彼と昔の様にお話ししたい、じゃ駄目かしら」
「はあ……。あなたは、本当に」
スズランにも何度もされたようなため息のつき方をメリッサはしていた。
それがどんな意味でさせてしまっているのかはわからないけれど、よくない事だけは確かだった。
「あなたは……旦那様のことを、好いている。そう思ってもよろしいと」
「そ、それは重要な事なの?」
「とても重要です。とても」
言葉通り、真剣な表情で言葉を選んでいるメリッサに、つばを飲み込んでしまいそうになりながら私も慎重に言葉を選ぶ。
「ん、そう、ね。好きか嫌いか、どちらかで言えば間違いなく好きだわ」
「それは、親友として、幼馴染としてでしょうか。それとも――」
メリッサは、そこで口ごもってしまった。彼女でも口ごもってしまうことがあるのだなと、場違いにもそう思うと同時に、口にしていいか迷うほどのことなのだということに察しがついてしまう。
「ねえ、メリッサ。もし……。もし、私が男女の仲で。と言ったら?」
私が意を決してそう口にすると、メリッサは嬉しいとも、悲しいとも。何とでも取れる表情の百面相をして、困ったように私の顔を覗き込んだ。
「……分かっているのですか? 今のあなたはメイドで、あの人は辺境伯。相応に身分のあるお方ですよ。仮にあなたの思いがうまくいったとして、必ずしもあなたが望むようなことになるとは限りません。それでも、あなたは旦那様と仲良くなりたい。そう思うのですか?」
昔の遊んでいた時と同じではない。そう語るメリッサの表情は真剣そのものだった。
私個人からすれば、昔の様にお茶のテーブルを囲む存在になれるのなら、それはとても素敵なことだと思う。
けど、もう一歩。私が彼に昔の事を思い出したと伝えれば、そうなることも難しいかもしれない。メリッサは暗にそう忠告してくれているのだ。
今の関係のまま。ただのメイドと、ご主人様の関係を維持する。そういう考え方も、昨日まではきっとあったのだろう。メリッサは最初からそのつもりで私を雇うことにそこまで反対しなかったのだろう。
けれど、偶然とはいえジャンは昔の様に接してくれて、カレンはそれを見て行動を起こしてしまった。もう、今回の事が起きてしまった時点で、メリッサの言っている主従関係の存続は難しいと言える。
「メリッサ。あなたの言ってること、考えなかったわけじゃないの」
「なら……」
「でも、今回は私が進まないと。ジャンも、今回の犯人も。元の場所にすら戻れなくなるわ、メリッサ」
「…………。分かりました。あなたが決意しているのなら、わざわざ私が口にするまでもないでしょう」
メリッサはそう言うと、席を立って椅子を元に戻して、そのままドアの方へと向かっていってしまう。
「どこに行くの?」
「決まってるでしょう。あなたの仕事はお休みですが、私の仕事はありますので。あなたは倒れたばかりなんです。できれば今日中はできれば安静にしなさい」
それもそうだった。安静にと言われたので、ベッドにそのまま倒れ込み、ぼうっとしそうになっていると、まだカレンに対してやらなければいけないことを思い出して、飛び起きた。
そのまま出て行ってしまいそうだったメリッサを引き留めると、渋い顔をして私の方を見た。
「まだなにか?」
「ごめんなさい、メリッサ。お休みなら、お願いしたいことがあったの」
「お願いしたいこと?」
「そう、メリッサなら時間と場所の調整ができると思って」
「できますが……。聞くだけ聞きましょう」
「空いた時間でいいの。厨房を貸してほしかったの。あと、コックにも手伝ってほしくて。数時間だけでいいの」
「コックも、ということは料理をお出しになると?」
「ええ、どうしても。カレンに日ごろのお礼をしたくて」
考えるように口元に手をやると、二度三度と頷いてくれる。
「いいでしょう。今回の事で危険な目に合わせたのは間違いありませんし、厨房を貸すのは構いませんが……料理を作るのはルナ、あなたですか?」
心底意外だ、という顔をされてしまった。
それもそうなのかもしれない。
元々、私は貴族の生まれで、こうしてここで働くだけでも彼女にとっては驚くべきことなのだ。それが、こうして自分で料理を作ってみたいと申し出れば、彼女のような反応になるかもしれない。
しかし、そんな彼女の驚きにこたえるために私は人差し指を口元に当てた。
「ふふ、知ってるかしら。私ってとっても新しいことが好きなのよ、メリッサ」




