5‐2
私は掃き掃除をするための道具を持って外への通路を歩いていた。
結局、あの後もカレンを見つけることはできず、私は裏庭の掃き掃除をするために、厨房とは別の裏口を使って裏庭に出る扉の前に立っていた。
外に出るための扉を開けると、肌寒い空気があたりに流れ込んできて、自然と体が震えてしまう。
「あ、寒……」
掃除道具を持っていたため、腕をさすりはできなかったが、体が少し縮こまるように感じる。
そして、これから掃除するための裏庭に視線を移した。
裏庭の景色はほとんど森に近い、と言った方が分かりやすいだろうか。どちらかと言えば、私が捨てられたあの道の付近のような雰囲気が漂っていて、少し怖いという印象が一番だった。
草木に囲まれてこそいるが、屋敷の入り口にあったのと同じ塀が敷居の境目として設置されていて、こちらからも外に出られるように鉄製の門扉があるのが見えた。敷地内には倉庫と思わしき木製の小屋が立てられていて、その近くには目立つ赤いレンガが一か所を囲むように積まれていて、灰と思わしきものがこびりついていた。おそらくあれが物を燃やす場所なのだろうと見当付ける。
こちらの裏口は裏庭に出る人以外通ることもなく、裏庭の担当もごみを処理する焼却担当以外はあまり出てこないため、子供がかくれんぼをするにはもってこいのスポットだった。
観察をそこそこにして、私は早々に館の外に出ることにした。このままでは館の中に冷たい空気が入ってしまって、他の人に寒い思いをさせることになってしまう。
外に出て扉を閉めると、人気が無いのも相まって、寒い空気がより一層寒くなったように感じた。
空を見上げると、どこか薄暗い空が広がっていて、今にも雪が降りだしてしまいそうなほど、雲に覆われていた。
そういえば、そろそろ雪も降りだしてしまう季節だろうか。私がこの屋敷に来た頃はまだ温かったから油断して薄着にしていたかもしれない。
肌が出てしまっている袖口をさすりながら、掃き掃除をするための箒を握りなおした。
「ん、動いていた方が寒さもまぎれるわよね」
もう一度周囲を見回して、綺麗にするにはどこを掃けばいいのかを考える。
この館は森の中なので、一か所に掃いても風はほとんど吹いてこない。なら、焼却場所を中心にして、人が通るであろう道を最後にきれいにしようと結論付けて、カレンに教えられたとおりにゆっくりと丁寧に開始した。
掃き掃除をしながら、綺麗になっていくところを眺めていくと、自分が考えながらでも掃除ができるようになっているのが少しうれしくなる。
一月前、私はまだ貴族として公爵の娘として育っていた。今経験しているのは、貴族の暮らしをしていたら、絶対に経験することのない、それこそメイドたちにとっては雲の上の生活をしていたのだ。働いてくれていた彼女たちの思いを知れたのは嬉しくもあるし、これほど大変だったのかと、メイドたちには苦労を掛けてしまっていたのだという自覚が、日に日に増していく。もちろん、貴族のメイドもいるのだが、私は経験してこなかったので、いい勉強になっているのは間違いない。
最初こそ、身分の低いメイドの仕事を貴族の私でもちゃんと出来るか不安で仕方がなかったけれど、慣れてきてしまうとこういう生活も楽しくはある。
貴族だった時は動かすこともほとんどなかった腕をせっせと動かしながら、昔の事を思い出す。そして、家族の事を思い出して苦笑してしまう。
――放り出されたのがマリーたちじゃなくて、本当に良かったわ。
家でのマリーは、私よりも貴族らしくしていて、身分の低いメイドたちに対しても相応の態度しかとらなかった。彼女がもしこの生活をすれば、一日で投げ出してしまうかもしれない。
厳格なお父様や、教育にうるさかったお母様や年下の弟も言うまでもない。
一番楽天家の自分がこうして放り出されるだけで済んだのは僥倖だ。
家族のことを思い出しながら掃除をしていると、あっという間に木製の小屋の近くまで掃き掃除が終わってしまった。
時間を確認するために空を見上げてみると、日が真上に来る頃だろうか。メリッサが戻ってこいと言っていた時間まで、私は黙々と掃除を続けていたようだった。
そろそろ一度部屋に戻ろうか、そう考えていると館の方から誰かの足音が聞こえてきて、首を傾げた。
――誰、かしら。他のメイドの仕事はないはずだし、ジャンがここに来るわけがないわ。それなら、メリッサ?
誰が来たのかと屋敷の方へと振り返ってみると、振り返ると同時に裏口の扉が開くのが見えて、徐々に開いていく扉の影から、灰色の髪をした背の小さなエプロンドレスを身に着けた少女が立っているのが見えた。
この屋敷に特徴的なグレーの髪は一人しかいない。それに私は、今朝からずっと彼女を探していたのだから、見間違えるはずがなかった。
「カレン!」
彼女の方から姿を見せてくれたので、ほっと胸をなでおろしてそう声をかける。
しかし、声をかけても彼女は返事を返してはくれず、無言のままずんずんとこちらに向かってくるではないか。
何事かと向かってくるカレンを見続けていると、カレンは目の前で立ち止まった。
「カレン、何か用事?」
私がそう声をかけると、カレンは何か思いつめたようにじっと私の事を見つめていた。
すぐに彼女の様子がおかしいことに気が付いた。普段の彼女なら少しツンツンとした表情を見せながらも、私の掃き方がなっていないとか、服装のチェックが甘いと言葉にしてくれるはずだった。
今日のカレンはただ何も言わず、ただじっと私の方を見つめていた。
「か、カレン。どうしたの? 体調が悪いのならメリッサに言って休みに……」
もしかして、体調が悪いのだろうか。そう思って彼女の額に手を伸ばした。すると、彼女の額に手が届きそうになったあたりで、私の手から顔を背けるようにして払いのけられてしまう。
伸ばした手が払いのけられてしまって、行き場のない手を戻せずにいると、カレンは周りの景色を確認するように見回して、ため息をつきながら口を開いた。
「仕事、ほとんど終わってるわね」
「え、ええ。ちゃんとカレンが教えてくれた通りにしたわ。通る道と見えない場所もちゃんと掃いて綺麗に。カレンの方は?」
「ええ、ここに来るわ前に終わらせたわ」
「良かったわ。一人で行っちゃうからどうしたのかと思っていたの」
「はっ、どうしたのか、ですって」
カレンはそう言うと、イライラしているのか、首元から髪を後ろに流す動作をすると、きっと私の事を見上げてきた。
見たことのないカレンの攻撃的な視線に尻込みしてしまう。
「ねえ、カレン。昨日、なにしてたの」
「昨日? 昨日はカレンと仕事をしていたじゃない」
「違うわ。昨日の夜。あなたが水を置きに行った後の事よ」
カレンがどれの事を言いたいのか分からず、戸惑ってしまう。
私が水を置きに行った後と言えばカレンが寝てしまった後のはずだ。あの後は、報告をするためにメリッサのもとへ向かったし、誰かが悪戯をしたのでなければ、ちゃんと水は厨房の所に置いてきたはずだ。
もしなにかあったとすれば、ジャンと少し話をしたくらいだろうか。
しかし、それがカレンの今の態度と関係あるとは思えなかった。
「別に、何も……。水を置いた後はお仕事の事ならメリッサに報告をして済ませてそのまま部屋に戻ったわ」
私がそう答えると、カレンは顔を伏せて再びため息をついた。彼女の質問の意図が分からずに困惑してしまっていると、「本当に?」と質問を続けてきた。
明らかにいつもと違う態度のカレンに、私は危険な気配を感じざるを得なかった。今の彼女はとても危うい、そう感じてしまうのだ。
なんとか話題をそらそうと、時間がお昼になっていたのを思い出して、彼女に手を差し出す。
「そ、そうだわカレン。そろそろ日も真上に来てしまうし、みんなが居るサーヴァントルームに行った方が――」
私が彼女を連れてみんなの所へ行こうとすると、差し出した私の手をカレンにぐっと握られて止められてしまう。
体が小さいからだろうか。腕に伝わってくるのは、体温の高い彼女の手の感触だった。
カラン、と足元に箒の柄が倒れる音が聞こえてきて、私は知らない間に箒を手放してしまっていることに気がついた。
「……して」
「え?」
「どうして!」
彼女の慟哭にびくっと体が震え、体が言うことを聞かなくなってしまう。
私よりも背が小さいはずの彼女に腕をつかまれているだけなのに、一向に振りほどくことが出来なくて、心の中に焦りと恐怖が沸き上がって来る。
「ねえ、ルナ。私、知ってるの」
「知ってる、ってなんのこと?」
「ルナ。あんたが夜な夜な一人で部屋を抜け出して、旦那様に会いに――密会してるって知ってるんだから」
「み、密会?」
カレンが思っても見なかった言葉を口にしたので、私は思わず彼女の言葉をオウム返しにしてしまっていた。
――な、なにを言ってる居るの、この子は。
突然、そんないわれのないことを言われても私は困惑しかできることが無かった。
ここに来てからの一月で、カレンがジャンの事を慕っているのも知っていたし、自分が彼女に迷惑をかけてしまっているのも事実だったけれど、どうしてそんなことになってしまったのか全く理解できずにいた。
そもそも、夜中にジャンに出会ったのはあれが初めてだし、ジャンは誰にだって親しく接してくれている。昨日、会っていたのが密会というにしても、彼の対応はいつもの偶然出会った時と何も変わっていない。
だから、何もおかしくはないはずで、彼女がこんな行動をとる理由にはならないはずだった。
しかし、カレンはなおも私の腕を離さずに言葉を続けた。
「そうでしょ! わざわざ私が眠った後の夜中に部屋を抜け出して、厨房で旦那様と密会するなんて、どういう事!」
「ご、誤解だわカレン! だってあの時は――」
「うるさい! あの時、私は見たんだから! 旦那様があんたを抱きしめてるのを! それの何が違うっていうの!」
抱きしめていたと言われて、ようやくカレンがどれの事を指して密会と言っていたのかを理解した。
カレンはきっと、ジャンが私を抱き寄せて警戒をしていた時のことを言っていたのだ。たしかにあの時は何も考えていなかったが、他人から見れば、私がジャンに抱きしめられていると誤解を抱いても仕方のない光景だったはずだ。
我ながら遅すぎる理解に頭が痛くなりそうだが、今はそれどころではなかった。彼女の誤解を解く方を最優先しなければ、きっとよくないことが起こってしまう。
「違うの、カレン。聞いて!」
「私はずっとあの人の傍に居て! ずっと見てきたのに! 知りもしないアンタがいきなり現れて、そんなことになってるのよ! ねえ、ルナ!」
背中に強い衝撃とともにガタン、という何かを何かにたたきつけたような音がして、私の背中に鈍い痛みが走った。硬い感触が背中に伝わってきて、それがカレンによって小屋の壁に押し付けられたからだと、数秒遅れて脳に情報が伝達する。
目の前には、激高する友人の顔があった。
「ずっと旦那様を見てきたけど、あんなにうれしそうな顔、見せたことなんてなかったのに。あんたが来て、旦那様はずっと嬉しそうで、それがすごくうれしいはずなのに、なんてこんなに今までよりずっと悲しいのよ!」
「カレン、痛いわ。離して」
「なんで! なんであんたなんかをずっと見てるのよ!」
「っ、あ!」
背中を壁に叩きつけられたと思ったら、今度は思い切り引っ張られて、体勢を崩してしまう。
そう思っていたら、また思い切り突き飛ばされて、気が付いたときには当りは暗くなっていて、後ろから木製の扉を閉める音が聞こえてきた。
音が聞こえてきて、慌ててあたりを見回す。壁の隙間から入ってくる光以外に中をテラス光は無く、まともに中を見回すことさえできなさそうだった。どうやら、先ほど立っていた倉庫の中に無理やり押し込められてしまったらしい。
そうこうしているうちに、倉庫のドアの閂が落とされてしまうような音が聞こえてきて、このままではいけないと急いで立ちあがるために腕に力を籠めると、右肩に激痛が走った。
あまりに突然痛みに襲われたせいで、右肩に力を入れることが出来ず、自分の体を支えられずにそのまま倒れてしまう。
痛みを我慢しながら振り返ると、ドアと思われる場所にはほとんど暗闇が広がっていて、奥からカレンのくぐもった声が聞こえてきた。
「あんたなんか、来なければよかった」
「開けて、カレン! あなたは勘違いをしてるの!」
慌ててドアに駆けよってそう声をかけると、歩き出すような足音と、彼女の足音が不自然に止まったのが聞こえてきた。思い直して戻ってきてくれるのかと思ったけれど、そのまま走り去る靴の音は屋敷の方へと向かっていってしまった。
「カレン、どうして……」
彼女に言葉が届かなかったことが悔しくて、開かないドアを前にしてこぶしを握ってしまっていることに気が付いた。
仲の良いと思っていた私の話を聞いてくれなかったこともショックだったし、彼女が誤解したままになってしまうのかと思うと、それが悔しくて仕方がなかった。
カレンは私がここにきて、初めてで来たお友達なのだ。貴族の身分をはく奪されて、何もわからない私に色々を教えてくれた先輩で、優しい私の友人。
そんな友人に誤解されたまま終わってしまうのがここまで悔しいと感じるなんて考えもしなかった。
カレンの勘違いを、解いてあげなきゃ。
そう決意して、私は小屋の中を見渡した。
この小屋はやはり倉庫だったようで、少し動けば何かに当たり、自分が倒れた時になにも落ちてこなかったのが奇跡なんじゃないかと思えるほど、物があふれかえっていた。
かすかに入ってくる外の光を利用して、一つ一つを手に取って何かないかと探ってみる。
倉庫の中にあるのは掃除道具や、水桶。農具の類と言った物ばかりで、とてもではないが、目の前の扉を何とかできそうなものはどこにもなかった。
そうなると、外の人たちに気が付いてもらうほかない。
しかし――、
「どうしましょう。ここの掃除当番は一週間に一回だし、臨時なんて期待できないし……」
仮に仕事が回って来たとしても、これまで一日以上閉じ込められてしまったことなんてなかったため、私の体力が残っているか分からなかった。
それに期待をするのは危険すぎる。
なにか、なにかないかと考えて、仕事の報告用にある木札があることを思いついた。あれはこういう時のためにメリッサが隠し事を追えたかのチェックのために作ってあったはずだ。
「そ、そうだわ。木札が届かなければメリッサが気が付いてくれるはず」
消灯前の時間になっても、メリッサのもとへ木札が届かなければ、何かあったとメリッサが屋敷の中を見てくれるはずだ。
そう考えついて、エプロンドレスのポケットをまさぐってみる。しかし、底が浅いはずのポケットには木札どころか木片も入っている感触はしなかった。
「うそ、どうして……」
慌ててエプロンのポケット以外に手をやって確認する。
服の袖、胸元からスカートの裾に至るまで、端から端まで全て順番に触れ、何度も何度も自分の確認不足だと言い聞かせて探し回った。
しかし、期待していた感触はついぞ自分の服の中で見つけることはできなかった。
どこかでなくしてしまったのかと思ったが、小屋の前でカレンが不自然に立ち止まっていたことを思い出して顔から血の気が引いて行くのが分かった。
もしかしたら、倒された時にポケットから落ちてそれを見つけたカレンが持って行ってしまったのかも知れない。
もしそうだとすれば、誰かが私が居なくなっていることに気が付くのは絶望的だった。
あの状態のカレンがもって行ってしまったのだとすれば、万が一にも素直に報告をするとは思えない。
ならばと、もう一度暗く閉ざされてしまった小屋の地面を汚れるのも構わずに指先で何かが落ちていないかと確認していく。必死に木でできた床をまさぐって探したが、指にささくれが刺さったかのような痛みを覚えて手を引いたら、もう自分がどこを探しているのか分からなくなってしまった。
自分のやれることがないと分からされて、足から力が抜けてしまい、胸のあたりで溜まっていた息をはきだす。
私はまた、あの森の時の様に途方に暮れるしかなくなっていた。




