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14/21

4‐3


 厨房の中は月明りと廊下のかすかな光しか入っておらず、薄暗闇に包まれていた。

 いつもなら準備に忙しいコックやコックメイドたちが準備をしているのだが、さすがにこの時間になると、早い朝に備えて自室に戻っているらしい。

 静かな厨房に足を踏み入れて、どこに水桶をおこうかと部屋の中を見渡した。

 使用人が使うサーヴァントルームに隣室している厨房は、屋敷の旦那様がいる方向だけでなく外に出るための出入り口が反対側にあるので、そこと窓から月明りが部屋の中に差し込んでいた。中央には調理台に使われる木製のテーブルがあり、壁際には水場やかまどが設置されている。

 暫し考え、外への出口付近に置くことにした。ここには靴の泥を落とすための布巾もあるから、足元を確認するので見つからずに倒してしまうということは無いはずだ。

 部屋全体を明るくするためにテーブルの上に燭台を置いて、できるだけ見やすい位置に水桶を置いた。


「これでよし、と。次は――」

「ルナ?」

「ひゃあっ!」


 後ろから急に聞こえてきた声に、思わず悲鳴のような声が喉から飛び出してしまっていた。

 声がした方向に振り向くと、厨房の入り口のドア枠にジャンが頭をもたげて私の方を見ているのが見えた。


「ごめん、怯えさせたかな」

「じゃ、ジャン……。あっ」


 自分が旦那様ではなく彼の名前を口にしてしまってからハッとして口元をふさいだ。

 しかし、彼は苦笑すると「いいよ」と口を開きながら、近くまで歩いてくる。


「呼びにくいのなら、普通に呼んでくれたっていい。君が呼び慣れてないのは知ってるから」

「ふふ、気持ちだけもらっておきます、旦那様。メリッサにも言われたけど、それでばれてしまったらなんの意味もないから」

「そうか、なら君の弛まぬ努力を尊重することにするよ。現にルナは良い仕事をしてくれているし、好きに呼んでくれて構わないよ」

「はい。そうさせもらいます。えっと、それでなんですけど、旦那様はどうしてこんな夜中にこちらへ?」

「ちょっと眠れなくてね。部屋をこそ利と抜け出して館の中を冒険してたのさ」

「ふふ、旦那様なのに?」

「そう、旦那様なのに。そんなにおかしいかい?」

「そんなことないわ! でも、どうして冒険なんてしてるの?」

「……昔、ずっと昔にそういう生活に憧れてたんだ。冒険家っていうとちょっと大げさだけど。それでも見たことのない世界を見るのが好きになるきっかけがあったんだ。それからちょっとした冒険は僕の日課になってる」


 ちょっとした冒険、と語る彼の表情は、今朝の彼とは違い、どこかきらきらとした、わくわくしている少年のような瞳のようにも見えた。

 童心に帰ったかのような彼の表情に、お転婆だった自分の幼いころを思い出して、懐かしくなってしまった。


「素敵な日課だと思いますわ」

「はは、メリッサには夜な夜な出て行くのはやめろって言われてるけどね」

「夜な夜ななの?」

「うん。夜は眠れないことが多いからね」

「そう、なの?」


 眠れないと聞いて、純粋に体調が心配になってしまい、彼の顔色を窺ってしまう。とても綺麗な血の通った色をしていて、体調が悪いようには見えなかった。

 私が顔色を窺ったことに気が付いたのか、彼は「ああ、ごめん」と付け足す。


「ここ一月はまだ眠れるんだ。今日起きてきたのは偶然だから、気にしないでくれ」

「本当? それならよかったわ」

「ん、心配してくれるのはありがたいことだけど、ルナが心配することではないと思うよ」

「ううん、心配しない方がおかしいと思うの。だって、あなたは……」


 私がそう言うと、ずいっと、何かを期待するかのようなまなざしで私の事を見つめてくる。


「僕は?」

「……助けてくれた、命の恩人だもの。心配になったっておかしいことじゃないと思うわ」

「命の恩人、か。そうだね」


 私の答えは彼の期待に答えられなかったのか、そんな風につぶやいた声が耳に残ってしまう。

 どこか悲しそうでいて、寂しそうな色が含まれている、そんな声だった。

 しかし、彼のその声は、ここ一月ほどは頻繁に聞いていたような気がするのに、なぜか今日は心に深く突き刺さった。

 彼の表情をもう一度見る。

 窓から入って来る月明りと、テーブルの上に置いているキャンドルの明かりが彼の顔を照らしていて、寂しそう、ということ以外は分からなかった。けれど、いつも私が見ていたぴんと立った耳ではなく、しょんぼりとした印象を受ける耳が見えて、彼は本当に寂しくなっているのではないだろうか。

 ウィルカニスの特徴でもある、狼の耳。人間とは少し違う、彼の色々な感情の表し方を見ていると、なぜか懐かしさを覚えてしまう。

 寂しそうにしている彼の顔で、何かを思い出せそうだったのだ。

 私が思い出しそうになっているのは、いつの記憶なのだろうか。本来であれば忘れることなど無いような、そんな記憶が――。


「っ――」


 思い出そうとした瞬間、頭痛がするのと同時に昔の傷を負った肩がひどく痛んだのだ。熱した鉄の杭を肩にそのまま打ち込まれたかのような痛みが肩全体に伝って、顔をしかめてしまいそうになった。

 目の前に居る彼にばれてしまわないように、必死に耐える。

 涙が出てきてしまいそうなほど耐えて、自分の行動に頭の中で首を傾げた。

 どうして、私は彼に知られたくないと思ったのだろう。

 仕事の上司、のような間柄だったからだろうか。なんとなく、彼に知られてはいけない。そんな気がしたのだ。


「……ナ……ルナ?」


 痛みに耐えていてぼうっとしてしまっていただろうか。目の前には困ったようにこちらを見てくるジャンの顔があって、何度か私の名前を呼んでくれていたようだった。


「っ、ええ、なに?」

「大丈夫かい? ぼうっとしてたみたいだけれど」

「ごめんなさい、大丈夫。仕事の疲れでちょっとぼーっとしちゃっただけだから」

「ん……ちょっと待ってて」


 彼はそう言うと、近くの調味料や皿などが置かれている棚のほうまで行くと、上にある壺を手に取って調理台の上に置いた。

 中から輪切りにスライスされた楕円形の果物だろうか。を壺の中から取り出すと、私の方に差し出してくれる。


「疲れがたまっているのなら、これを食べて見るといいよ」

「これは……?」

「森にできる、雪リンゴの亜種みたいな果物。それを干して砂糖をまぶした物なんだ。コックのアイデアでね。寒いこの地方なら保存がきくからこうして取ってある」


 彼の説明を聞きながら、恐る恐る手に取ってみた。

 大きさは……、それほど大きいものではなく、それこそ私の掌に収まってしまいそうなほどの大きさだった。思っていたよりも硬い感触がして、果物というよりも凍った雪を触ってるのに近い感触だった。

 口に入れてもいいものかと躊躇していると彼に笑顔で促されてしまったので、ほんの少し口に含んでみる。

 甘い、砂糖だけとは思えないほどの甘さが口の中に広がって、体の奥底から元気が沸き上がってくるようなふんわりとした気分になった。

 全て口に含んでみると、サクサクとしたとても面白い食感がする。昔、お茶と一緒にいただくクッキーと呼ばれる焼き菓子に似ていると言った方が分かりやすかもしれない。


「すごい、こんなものが……」

「元気は出た?」


 とても嬉しそうに、彼はそう言った。

 先ほどの寂しそうな表情から一転、純粋無垢な子供のような笑顔で私の方をじっと見ていて、それこそ尻尾が目に入れば尻尾を振っているのかもしれない。

 それがすごくかわいいと感じてしまう。

 頭と肩の痛みは、確かに気にならない程度に落ち着いてくれていた。


「うん、そうね。ありがとう、ございます」


 また名前を呼んでしまいそうになって言葉がつっかえた。

 そして、自分の食べさせてもらったものが砂糖を使っていると言われたのを思い出した。

 保存のきく砂糖を使っている、ということはそれなりに貴重な物なのではないだろうか。

 砂糖自体はこの国が大きいおかげでそれほど特別貴重なものではないとはいえ、手に入れるには反対側へと足を運ぶ必要がある。高くは無いにしても入手には相応の伝手が必要ではないのか。


「これ、私が食べてよかった物……?」

「あはっ、そうだね。うん、本当はあんまりよくないね」

「そんな! ねえ、ジャン。返せって言われても出せるものなんて何もないわ」


 そもそもこの場所にだって着の身着のままでたどり着いたに等しいのだ。出せと言われても、今のように働いて返すしか渡すものはない。


「そうだね、君がそんなに払いたいっていうのなら請求した方が雇い主らしいかな?」

「ちょ、ジャン、それはひどいわ!」

「ふっ冗談だよ。さすがにそんなひどいことは言わない。砂糖は伝手がちゃんとあるし、コックの願いで、必要なら発注できるようにしてある。それに、名前をまた呼んでる」

「あっ……」

「はは、ごめんごめん。これで動揺させれば君に名前を呼んでもらえるってわかった」

「あっ……、もう! 意地悪だわ、メリッサに言いつけてしまおうかしら」

「それは困る」


 むっとしたまま彼を見つめると、ジャンが少したじろぐのが分かった。彼自身、女性に近づかれることに、それほどなれてなかったのか、困ったように笑うのが見える。それが先ほどまでの態度と妙に違って、なんだかおかしくなってしまう。

 彼も私が笑ってしまったことに気が付いたのか、すぐにふっと表情を崩した。


「でも、良かった。君の元気が戻ったようで。やっとの思いで一大事をはねのけた感覚だ」

「ふふ、そんな大変な事じゃないと思うわ」

「いや、僕にとっては一大事だよ。だってお気に入りのメイドだ。君の元気は僕の元気になってくれる」

「はいはい、お世辞として受け取っておきますわ、旦那様」


 彼のお世辞を聞き流しながら、ふと自分が食べたあの果物の味を思い出す。

 甘い、疲れが解けていくような甘さで、もしかしたら、先ほどカレンと私の部屋で考えていたことに使えるかもしれない。

 そうなれば、黙って使うわけにもいかないし、伝手がジャンの物だと考えれば、彼に許可を取る必要もあるだろう。

 ちょうど彼は目の前に居るし、今のうちに確認を取ってしまおう。


「ねえジャン、聞きたいことが――」


 ある。

 そう言おうとすると、急に視界がぶれた。

 何が起きたか分からずにいると、すぐ目の前に先ほどまでジャンが来ていたはずの服と思われる布地が広がっていた。混乱していると彼に抱きしめられるような感覚が背中に回され、視界と鼻先が彼の匂いに包まれてしまって、さらに混乱が広がった。

 抵抗しようとすると、頭上から「しっ、黙って」というひそめた声が降ってきて、抵抗するのをやめてしまった。

 いったい、何が起きたというのか。

 彼の腕の隙間から、扉の方をじっと見つめる彼の顔が見えた。どこかおっとりしているようにも感じられた瞳が扉の奥をしっかりと見据えてる様は、普段とのギャップで余計に真剣さを感じてしまい、少しだけ。ほんの少しだけ見惚れてしまう。

 鼻先を動かすそぶりを見せて、ふっと気が抜けたように表情を和らげるのが見えた。


「いや、気のせいだった。何でもないよ」


 真剣だった彼の表情が和らいだおかげで、自分がいったいどんな状況に居るのかが脳にぶり返してきた。冷静になった頭で、彼の体温が肌で感じれるほど近くにあるのを感じてしまうと、ここに居るのが何だか恐れ多いような、そんな気分になって彼の胸を押し返す。

「そ、その、なんでもないのだったら、できれば離してほしいな、なんて」

「え、ああ。ごめん」

 慌てたように彼が距離をとってくれて私はようやく動けるようになった。

 内心、心臓が飛び出るほど驚いてしまっていたが、何とか平静を装った。表情はいつもの通りに振る舞えていただろうか。


 ――振舞う? 振舞うってなんで……。


 普段通りに振舞う必要はあったのだろうか。

 そういえば、昼間も助けてもらった時に緊張してしまったのはなぜなのだろう。自分の感情に、自分で首をかしげる。


「それで、聞きたい事って?」

「え?」

「ほら、聞きたいことがあるって言ってたから。何のことだろうと思ってさ」

「……ああ、そう。ジャン、実は――」


 私が考えていたことを話すと、ジャンは快く承諾してくれた。

 そして、私は仕事が終わったことをメリッサに報告して、別の用事を済ませてから戻ると、カレンはまだベッドの中で眠っていたので、私はそっとキャンドルの火を消してから、私も床に就くことにした。

 明日が楽しみだった。



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