第四節「サーヴァント・ルナ」
私がジャンに拾われてから、どれほどの日数が立っただろうか。。
あの後、私に割り当てられた部屋は、カレンという名の先輩メイドがいる部屋だった。
入って奥には日の光を入れるための窓――森の中なのでほとんど入ってこないけれど――、があり、部屋の右側には小さいベッドと備え付けのチェストが二セット。左側にはたくさんの私物や荷物が置かれた鏡台兼机と、その横には着替えが淹れられているタンスが置かれていた、
そんな部屋の中、私はまだ少しだけ眠い瞼をこすりながら、ゆっくりとタンスの前へと移動した。
時間を見るために窓の外に視線を移すと、日が昇り始めていて、そろそろ屋敷の中も騒がしくなってくるころ合い、と言ったところだろうか。
貴族の時には朝食をとっていた時間だったのだが、サーヴァント――いわゆる召使や執事と言った職業の人たちは、旦那様が食事を終えた後に食事をする決まりになっている。なので、ジャンが朝食をとっている間に、ジャンの私室の掃除をするのが今日の私と同室の先輩であるカレンの仕事だった。
そろそろ、仕事の時間だろうか。
「服はこれでよかったかしら」
タンスの中から、自分の分の服を取り出して、鏡を前に私は自分の姿を見返した。
汚れが目立たない黒いワンピースに、こちらはしっかりと選択された白いエプロンドレス。私のためにとジャンとメリッサが用意してくれた服だった。
「ルナ、旦那様のお部屋の掃除に行くわよ」
ゆっくりと着替えをしていると、同室のメイドのカレンの声が聞こえた。今日は旦那様、ジャンの部屋の掃除を任されている日なので、カレンがやけに気合を入れているのだ。
かくいう私も、初めて担当する仕事なので緊張していた。
「あ、うん。今行くわ」
慌てて服に袖を通し、髪をまとめて廊下に出ると、すぐ近くに背の小さな、灰色の髪を纏めた少女――カレンが待っていてくれるのが見えた。待っていてくれたカレンに声をかける。
「お待たせ。行きましょ」
「あ、待ちなさい、ルナ」
「え?」
そのまま部屋に向かおうとすると、カレンに呼び止められてしまった。
なんだろうと思っていると、カレンが目の前に回ってきて、胸元に手を伸ばしてきた。しかし、背の小さなカレンには思っていたところに手が届かなかったのかお腹を叩かれてしまった。
「ちょっと、ルナ。あんた背が高いんだから屈みなさい」
「あ、うん。ごめんなさい」
背は高くないのだが、確かにこのままではカレンの目的には手が届かないようだった。なので、言われたとおりに屈むと、カレンが胸元のボタンを外す感触がして少し慌てる。
「か、カレン?」
「ボタン、掛け違えてるの。ちょっと待ちなさい」
彼女の手の隙間から自分の首元を確認すると、確かにボタンがいくつか掛け違っていて、カレンはすぐに直して「これでよし」と言って離れた。
「ありがとう、カレン」
「当然よ、旦那様のメイドとして、恥ずかしい姿をさせるわけにはいかないもの」
カレンはそう言って胸を張った。
彼女の反応はいちいち子供っぽい印象を受けてしまうが、ちゃんと年上だし、何よりも困っている私の世話を焼いてくれることも多いので、私が妹になった気分になってしまう。
「ルナ? ほら、行くわよ」
「あ、待ってカレン」
ぼうっと考え事をしてしまっていると、カレンが服の袖を引っ張って扇動されてしまった。
慌ててカレンの後に続いて、今日掃除するはずの旦那様の部屋へと向かう。
その前にメリッサの部屋によって、彼女から仕事を受けるという証拠の木札を受け取るのを忘れないようにする。
「カレン、掃除道具を持ってくるわね」
「あ、待ってルナ。私も行くわ。旦那様を一目見ておきたいの」
「ふふ、じゃあ一緒に行きましょう」
途中、食堂を覗いて、旦那様であるジャンが朝食をとっていることを確認するのを忘れないようにする。これを忘れると、着替えの場面に遭遇してしまったり、突然ばったり出てくるところに鉢合わせてしまったりするからだ。
ジャンが食事をとっていることを確認してから、掃除用具入れから必要な道具を取ってきたり、替えのシーツと掃除道具を二人で分担しながら彼の部屋へと向かった。
一応ノックしてから扉を開けると、部屋の中は私達のメイドの部屋とは全く違う作りの室内が広がっていた。
どちらかと言えば、私が貴族だった時の部屋に近いだろうか。替えのシーツや着替えを入れるタンスに、人の身長ほどある大きな窓。その向こうにはバルコニーがあり、庭の様子を見ることが出来るようだった。ほとんど中央には私の部屋と同じようにベッドが置かれていた。ただ、ベッドはほんの少し狭く、集めのカーテンが取り付けられたベッドで、外から中が見えにくい仕様になっているらしい。
先ほど起きてきたらしく、ベッドの布は少しずれていて、そのままにしているのが見えた。
部屋の中を観察していると、こつんとカレンに腕を叩かれてしまった。
「ませがき」
「え? ……え?」
「うわ、まじか。いやなんでも。ベッドの方を任せるわ。やり方は……、昨日散々教えたから覚えてるわよね?」
「ん、分かったわ。自分のベッドにしわができるくらい練習したもの、大丈夫」
そう言うと、カレンはうんうんと頷いて棚と窓の拭き掃除の方へと向かった。本来なら私がそちらをやるべきかとも思ったが、彼女がやると言ったのなら、こちらを先に終わらせなければ怒られてしまう。
そういえば、と思い出す。もしかしたら、彼女は自分の肩に何かしらの傷があると気が付いて、こっちを回してくれたのかもしれないと、ふと思った。
なにか確証があるというわけではなかったのだが、それこそ彼女の背では届かない場所は私がやるべきだし、ベッドのシーツだって、彼女が昨日急に練習しておくようにと言ったことだ。
私自身は無意識だったけれど、腕を上げる動作がしにくいことに気が付いていて、それで気をまわしてくれたのかもしれない。
カレンの気の回し方はすごい勉強になる。何かしらの形でお返しをしたいくらいだった。
そう考えながらもベッドのシーツを直し終え、カレンの掃除を手伝っていると、ふと、私の視線の先に、窓からの光を受けている棚が目に入った。
その棚はとても大きなカリン材の棚で、妙に奥行きがある棚だった。それ自体に特別な所は何もなかったのだが、やけに奥行きがあるのが気になってしまったのだ。
「ねえ、カレン。あの奥の棚はなに?」
「え? ああ、その棚は旦那様が本家から持ち込まれた棚で、それなりの価値のある物もあるらしいから、中を傷つけないように表面だけを乾拭きするって決まってるの」
「へえ……」
カレンに説明されて、もう一度棚に視線を向けた。
ここ一月で私の感覚はおかしいということは身に染みて分かってはいるつもりなのだが、それを踏まえても貴族の家では一般的に使われている材質の家具で、カレンが言うようにそれなりの価値がある物、とは思えなかった。
しかし、一時気になり始めてしまうと、確かめるまでは気になってしまうのが人間の性、という物。家にいたとき書物でそう言う言葉を読んだことがある。
「……カレン、布は余ってる?」
「え? ああ、棚を拭くのね。うん、余ってるわ。持ってきた桶のふちにかけてあるから、そっちを使って」
「ありがとう」
彼女に教えてもらった通り、足元に置いてあった桶から布を取るとタンスの方に近寄って行った。
近寄ってみても、奥行きがある以外は普通の棚で、埃が特別積もっているわけでもなければ、最近よく使うと言った様子も見られないごく普通の棚でしかなかった。
上の段に入っている物を見ても、それほど価値があると思えるものはないのだが、いかんせん、見慣れているものも複数あるために、真実が余計にわからなくなりそうなので、中の物の価値で考えるのはやめた。
他に気になると言えば見ることのできない下の段だけだったのだが……。
表面を乾拭きだけすると言った手前、カレンに中を開けたことがばれてしまうと、カレンに怒られてしまいそうだ。なので、カレンにばれないようこっそりと下の段を開けてみることにした。
左右にスライドする二枚の戸のうち、片方に手をかける。
職人の腕がいいのか、建付けは良いらしく、音もなくするすると開いてくれた。
中を覗き込んでみると、材質は外見と変わらず、日蔭だからか、少し茶色がかった色をしていた。不思議なことに中の段が作られておらず、その分大の大人が二人ほど入れる隙間が空いていて、白い布地が使われたクッションらしきものが入っているのが見えた。
このクッションのような物はなんだろう。そう思って手を伸ばし――、
「調子はどうかな、二人とも」
ドアが開く音と、その奥から雇い主であるジャンの声が聞こえてきた。
この棚はジャンの部屋にある棚で、なにか特別な事がしてある棚なのは間違いがなかった。カレンに見つかるのならまだ秘密にすればいいが、彼に見つかってしまったら怒られるどころでは済まなくなるかもしれない。
彼にばれないように慌てて音がしないよう注意しながら戸を閉める。閉め終わると同時に、カレンが「だ、旦那様!」と声を上げた。
彼女の声に合わせて顔を上げると、確かにそこにはジャンの姿があって、まるで監視していたかのようなタイミングでそこに立っていた。
カレンが緊張した面持ちで私の横に来てから礼をしたので、私もそれに倣って礼をした。
「旦那様! お食事はもうよろしいのですか?」
「ああ、もう大丈夫。二人とも、この部屋の掃除はどこまで進んだのか聞いてもいいかい?」
「あ、はい。ベッドのシーツの取り換えと、掃き掃除。それと棚の乾拭きもそろそろ終えるところなので、私達の仕事はすぐに終わると思います」
いつ頭を上げてよいのかとタイミングを計りかねていると、今までにないくらいにカレンがはきはきと答えるのが横目で見えて、本当に旦那様の事を慕っているんだなと感心してしまう。メイドとはこうあるべきなのかもしれない。
そして、彼が部屋の中を見回すようにして頷いた。
「うん、よくできてる。この部屋はもういいよ、カレン。それに、ルナ。掃除してくれてありがとう。いつも口にはしていないけれど、感謝はしているよ」
「そ、そんな! もったいないお言葉です」
カレンが嬉しそうに答え、再び礼をする。
この後はどうしたらいいんだろうと思っていると、肘をこつんと叩かれ、そちらを見ればカレンが私の服の袖を引っ張って、廊下の方を指していた。
どうやら下がってもいい、という事らしい。
彼女がそのまま廊下に向かうのが見えて、慌ててついて行こうとすると、足に何かが引っかかって視界が床の方へと回転するのが見えた。
体制を持ちなおすために片足を踏み込もうとすると、固い感触が腕と頬全体にぶつかり、人肌の温かさがが伝わって来た。どうやら、誰かが間に入ってくれてバランスを崩さずに済んだらしい。
「大丈夫か?」
頭の上から気にかけるような声が聞こえてきて、つられて上を見ると、カレンではなく、ジャンの顔が見えた。
数舜だけ遅れて、ようやく私はジャンに倒れ掛かった体を支えてもらったのだと気が付いて、自分のドジが恥ずかしくなったのか、頬が熱くなって動揺してしまう。
「ジャ――だ、旦那様。ごめんなさい」
動揺しすぎたせいだろうか。危うく、私は彼を名前で呼んでしまいそうになっていた。
一か月前から、彼の従者になるのだとメリッサにさんざん旦那様と呼ぶようにと言われていたのに、そんな努力が一瞬で吹き飛んでしまいそうだった。
「うん、気をつけてね」
「は、はい……」
普段ならそんな緊張なんてしないはずなのに、今日ばかりは胸中のドキドキが止まりそうになかった。落ち着こうと原因を考えようとすると、どうして自分がそんな気持ちになるのか分からずに混乱は増すばかりだった。
この先は、なんて言葉にすればいいのだろうか。いや、違う。彼には普通にお礼を言えばいいだけのはずだ。
それこそ普通にお礼を言えばいいだけなのに、いざ口に出そうとすると、謝罪の言葉しか口をついて出てきてしまいそうになるのを必死に抑えるのが精いっぱいだった。
「どうかした?」
耳元に、彼の声が聞こえてきて、背筋にゾクリとしたものが走った。
声を掛けられた。ただ、それだけでまた気恥ずかしくなってしまい、気が付いたら、抱きかかえられてしまっていた腕を払いのけ、突き放すように彼から離れてしまっていた。
すぐに自分のしてしまったことに気が付いて彼の方を見たが、驚いたような顔と普段の優しい顔の間に寂しそうな色が浮かんだように見えて、言葉がさらに詰まってしまった。
「あ、あの。旦那様。その……。す、すいません。次の仕事に行ってい参ります」
「うん、行ってらっしゃい」
とっさに出た言葉は、次にやるべき仕事に向かうという言葉だった。
軽く会釈をしてから彼の横を通り抜けて、廊下に出ると、カレンは向かい側の壁の近くに立って、不機嫌そうな顔をしているのが見えた。
「ご、ごめんなさい、カレン。行きましょう」
「ええ」
私はカレンと一緒に次の仕事へ向かうことにした。
なぜドキドキしてしまったのかは、まだわからなかった。




