3‐2
温かい紅茶が目の前に出されていた。
場所は先ほどの館の一室。私の私室と比べてしまえばずいぶんと狭い一室で、装飾のされた椅子に彫刻の施されているテーブルがあるだけで、来客に対応する部屋、と言ったところだろうか。
お茶を出してくれたのは彼の椅子の後ろに控えている背の高い茶髪のメイドで、私をこの部屋に案内する際に“メリッサ”と呼んでいたので、それが彼女の名前なのだろう。
私の前にお茶が出されるのを待ってから、彼は口を開いた。
「自己紹介が遅れたね。僕はジャン=ジャック。気軽にジャンとでも、ジャックとでも。一応ここでこの屋敷の主人という立場に立たせてもらってる」
彼はそう言うのを聞いて、思わず耳を疑った。
ちゃんとした身なりを整えている服装からしてそれなりに身分がある人だとは思っていたのだが、館の主人と聞いて驚いてしまう。
ぼうっとしてしまっていると「君は?」と聞かれてしまう。慌てて立ちあがり、ドレスの裾を持った。
「申し遅れました。私はこう……じゃなかった。ただのルナと言います」
一連の動作と、公爵家の娘という言葉を言おうとしてから、しまったと思った。
これでは自分がやんごとなき身分だったと言っているような物だった。お母様と叔母様のしつけの賜物である。
身分を明かすかも考えたのだけれど、明かしてしまうよりも黙っていた方がお互いに都合がいいかもしれないと、直感的に思ったので黙って置いた。
「そうか。丁寧にありがとう、ルナ。座って」
座ることを促されたので、「失礼します」と断ってから椅子に腰を下ろす。
自然と彼の正面に座るような形になり、椅子に座るとちょうど彼の全身が目に入ってくる。
浅めに座った椅子と背中の隙間からは、もふもふとした尻尾が出ていて、耳は彼の呼吸に反応するように動いていた。
両手だって、人よりは爪が鋭かったりしているように見えたが、間違いなくそれは生物のそれで、私の手足と変わらないように見えた。
それどころか、昔どこかで見たような気さえする風貌で出会った時にも感じた懐かしさを再び感じてしまった。
それに、彼の手の動きは作り物にしてはいささか生物の色を灯しすぎていた。
私がそれらをじっと見つめていると、彼はぽつりと「恐いだろ」と言った。
「……え?」
自分に言われたと思わずに反応が遅れてしまっていると、彼は苦笑した。
「亜人なんて、恐いだろって。いくら亜人に寛容な国と言っても人間の国で亜人はまだ珍しいし、君が怖いのなら僕は――」
「ま、待って。そんなこと思ってないの。そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて?」
「その、なんだか懐かしい気がして。ついつい可愛いなって思ってしまって」
「は?」
「え? いえ、だから。可愛いな、と」
私がそう言うと、目の前の二人の時間が止まったかのように静止してしまった。
――何かいけないことを言ったかしら?
必死に失言をしたかどうかを考えていると、ジャンは噴き出すのを抑えるかのように口元を抑えた。
「あはっ、あはは。そっか、可愛いだって。参った」
笑いが抑えられなかったのか、彼は突然子供の様に笑い出した。彼の後ろのメイドは安心したかのように息をはきだしているのも見えて頭が混乱する。
彼らの反応を見るに明らかに何か警戒していて、自分が素っ頓狂なことを言っているのだけは確かだ。
しかし、それは何かまでは察することはできない。
――も、もしかして男性の方に可愛いは失礼だったかしら。
よくよく考えてみれば、殿方はピシっとしているものだとお母様には聞いていたし、仮にそうでなかったとしても、面と向かって言うのは何かが違う気がしたが、後の祭りでしかないので黙っていることにした。
涙が出るほど笑ったのか、彼は目元をぬぐうしぐさを見せると「失礼」とただしてから座りなおすのが見えた。
「ごめん、君が何を言うのか警戒してたんだ。可愛いって言われるのは想定外だったけど、怖がられてないのなら久しぶりに外に出たかいがあるよ」
「久しぶりに?」
「ああ。ほら、僕はこの見た目だから」
「亜人の、狼さん、ってこと?」
「そうそう。だから父上にもあまり外に出るなと言われてしまっていてね。僕自身もあまり人付き合いが得意な方じゃないから、こうして国境の森の中に館を構えてるんだ。実際の人付き合いは、ほとんど執事かそこのハウスキーパー件パーラーのメリッサにお願いをしている」
彼がそう言って背後に居る茶髪で眼鏡をかけたメイドを名乗らせた。
顔を見ると、厳しそう、という表現がぴったりとあてはまる女性で、ピシっとした背筋は家の教育係の叔母を思い出すほどだった。目が悪くなってしまっていたのか、眼鏡をかけた奥の灰色の瞳は眉間にしわが寄ってしまっていた。
メリッサと呼ばれた彼女は慣れた手つきでスカートの端をつまみ、頭を下げると「メリッサです」と名乗ったので、やはり彼女はメリッサという名前であっていたようだ。
二人様子をうかがってみても、おかしい様子はない。本当に彼が亜人であるのはもう疑いようがないし、メリッサもまたジャンが主人と認めている様子がみてとれた。
それはもう疑いようのない事実であると認めざるを得ないし、なにより疑うにしても証拠になる物などどこにもない。
ならばと、今まで見たことがなかった亜人の事が気になってしまう。
確かに見た通り、彼の尻尾や耳は彼の一部なのだろうということはわかるのだが、動物と同じように柔らかかったり、ゴワゴワとしていたりするのだろうか。
視線がまた、彼の尻尾の方に吸い寄せられる。
「ねえ、ジャン」
「ん?」
「あなたがどういう亜人かって聞いてもいい? その、例えば何の動物か、って言えばいいのかしら。答えられないのならそれでもいいのだけど……」
「あはっ、君はやっぱり好奇心が強いね」
「やっぱり?」
「こちらの話だよ、ルナ。えっと、どういう亜人かって話だけど、一応狼系の亜人、という事らしい。交流のある亜人達にワーウルフとかウィルカニスって呼ぶと聞いた」
「ウィルカニス……。ん、その尻尾は自分で動かせるのかしら?」
「もちろん。自分の体の一部だから、耳も尻尾も自分の意志で動かせる。普通の人は分からないらしいけど、感情に左右されて動くこともある。手足も人間のそれとはちがうんだけど、さすがに服で隠すことにしてる」
彼はそう言って椅子の隙間から見えている尻尾の先を左右に揺らしてくれた。
「本当に自分の体の一部なのね……。ねえ、触っちゃ駄目かしら? その動物って昔から好きで、触ってみたくて……」
私がそう言うと、彼がこわばった笑顔を浮かべると「すまない」と言われてしまう。
「興味があるのは理解するけど、我慢してくれると嬉しい。あんまり、尻尾と耳にはいい思い出は少なくてね」
「そう……」
いくら興味があるとはいえ、悪い思い出があるというのであれば無理強いすることはできない。あの整った毛並みに触れられないのはそれは少し残念だった。
視線を上げると、またメリッサの視線が突き刺さっていることに気が付いて、自分は又何か失敗をしてしまったかという気分になってしまった。
正直、亜人という者に対してどう触れていいのかわからないというのもあるので、失敗しているのかもしれない。
しかし、彼自体は気にした風もなくお茶を飲むと、カップをテーブルの上に戻した。
「もういいかい?」
「え? ええ、ありがとう、ジャン。おかげで知りたいことが知れたわ」
「疑問に答えられたようでよかった。それじゃあ、その代わりと言っては何だけど、そろそろ本題に入っても大丈夫かな?」
そういえば、この館に連れてこられたのは詳しいことはあとで聞くと言われていたからだったというの思い出した。
助けてもらって文句は言えない立場ではあるので、「ご随意に」と答える。
「じゃあ、ルナ。どうしてあの場所に手を縛られて座り込んでいたのかの理由を聞いても?」
「そ、それは……」
いきなり答えられない質問が来てしまって、どうしようかと頭を悩ませる。
本当のことを言えば助けてくれるかもしれないが、事が事である。王子様の暗殺を謀ったとなっては、国内の領地に住んでいる彼の耳に、噂が届いていても不思議ではない。
仮に、その噂を知らなかったとして、権力を使ってその後に何かあった場合、何も知らない彼を巻き込んでしまうの可能性が高い。それは本意ではなかった。
それこそ舞踏会の時の様に、もう何もせずに誰かを巻き込んでしまうのが嫌なのだ。
そうならないためにも、真実をできるだけぼかして答えるほかない。
「ん、ただ行く当てがなくてあそこでああしていた、としか」
「そうか。ちゃんとは答えられないみたいだね」
「ごめんなさい。あなたが助けてくれたことには感謝しているし、幸運が巡って来たのは精霊様の御恵みだと思うわ。でも、何をどう言ったらいいのか」
「そうか。じゃあこうしようか。メリッサ」
彼はそう言って、紅茶をテーブルに戻すと真剣な表情で手を組んで膝の上に手を置くと、メリッサが彼の前に一枚の羊皮紙の巻物をそっと置いた。
「ここに僕の書簡がある。一応国境近くの町に信頼における人物もいるから、僕のサインもあるから、相応に対応してくれる。君が望めば、働く場所だって探してくれるだろう。――事情を話してくれたらこれを渡せる。そう言ったらどうかな」
自信満々に見えるように話す彼に、益々、彼という人物が分からなくなってしまう。
国外への通行手形の発行ができるということは相応の身分でしかありえないはずだ。それどころか、職の融通まで利くという。
至れり尽くせり、という言葉はまさにこの時のためにあるのかもしれない。
しかし、私は静かに首を振った。
「助けてくれるのは……それこそ、猫とリャーディの手を借りるほど欲しいの。でも、事情を話すことが条件なら私はその条件をのむことはできないの」
「教えてもらえないと、僕は君を助けることが出来ない、としてもかい?」
「ふふ、それは残念だけど、私はただのルナ。それ以外の何物でもありませんわ」
「なるほど。君の黙っているという意志は固いと思っていいのかな?」
「意見を曲げない程度には、固いつもり」
「それでは、これからどうなさるおつもりで?」
「メリッサ」
今まで沈黙を貫いていたメリッサが突然口を開いた。突然声を掛けられたことで驚いて固まっていると、ジャンが片手を上げて制しているのが目に入った。
「たかがメイドの出過ぎた真似をお許しください。しかし、申し訳ありませんが、彼女の身なりを見るに、町に出てまともに働けるとは思えません。それどころか……」
その先はさすがに彼女も口にするべきではないと思ったのか口を噤んだ。
痛い所をつかれてしまったが、まったくもって彼女の言う通りだった。これからの事を考えれば、彼の申し出を受ける方がいいに決まっている。
メリッサはこれからどうするのかと聞いていた。ならば、それにこたえなければいけない。必死に頭を働かせてこれからの事を考える。
「これから……。町へ行ってそれから――」
「それから? 旦那様との幸運を蹴って置いて、まさか都合よく助けてくれる人が居るとでも? それとも食べ物や衣類が天から降ってくるのを待つおつもりですか?」
厳しいようにも聞こえる彼女の言葉は、森で途方に暮れていた時にも考えていた“自分が何をできるか”と言う問いに対する答えだった。
今の私に、何かができるわけではない。それどころか着の身着のままで町へ行けば、何も知らない私なんかは弄ばれるのが席の山だろう。
要するに、私の見通しが甘い、と暗に言われているのだ。
彼女の言いたいことを理解すると、胸が苦しくなって、吐いた息がそのまま体の中を全て出してしまいそうな不快感に襲われる。今こうしているだけでも彼らの厚意に甘えているのは分かっているのだが、彼らを巻き込むわけにもいかないというジレンマに襲われてしまう。
いつの間にかかみしめていたのか。奥歯の根元が痛くなっていた。
私が答えられずにいると、誰かが小さくため息を吐いた。
「メリッサ、僕は脅迫しろとは言っていないよ」
「……そうですね。申し訳ありません」
メリッサが頭を下げて一歩下がるのが見えた。これ以上言うつもりはない、という意思表示だろう。メリッサが下がるのを確認したようにジャンがこちらに申し訳なさそうな顔をするのも見えた。
「悪いね、こういっても信じてもらえるかは分からないけど、脅すつもりはなかったんだ。私の家の無礼を許してほしい」
「あはは……。いえ、彼女の言うことは正しいので」
自分で言っていて、乾いた笑いしか出てこなかった。
早くここから出て、町の方へ行ってしまいたい。そうすれば、彼女の言う通り、現実に直面してすぐに現実を理解できるかもしれない。
そんなネガティブな思考に支配されかかっていると、ジャンがかすかにうなずくのが視界に入った。
「それじゃあ、ルナ。君は国境近くの森でただ行く当てもなく座り込んでしまっていた流浪人で、僕は君を偶然拾った。お互いにそう言う認識であることには違いないかな?」
「……? ええ。そういう事になる、のかしら」
いまいち確認の意味が分からずに首を傾げた。
彼の思惑がいまいち把握できていないでいると、彼は立ちあがって羊皮紙をメリッサに渡し、突然「決めた」と口を開いた。
「メリッサ。彼女さえ良ければ、僕の傍仕えに任命したい」
突然、彼はそんなことを言い出した。
さすがにそれはまずいと向こうも感じたのだろう。さすがに黙る意思を見せていたメリッサも「旦那様?」とたしなめるのが見えた。
「いいじゃないか。拾ったのは僕だ。それに、どうせ彼女は行く当てがなさそうだし、僕は彼女を気に入った。メリッサも聞いただろ、彼女は亜人に対してはそこまで強い偏見はない」
「ええ、まあ」
メリッサがこちらに視線を向けるのが見えて、背中にソファーの背があたる感触がした。
どうやら、彼女の勢いに押されて、思わず身を引こうとしてしまっていたらしい。
「で、でも傍仕えって何をすれば……」
「簡単さ。身の回りの世話、要は短い間でもいいからメイドの仕事を手伝ってみないか? もちろん、衣食住はこちらで保証する。もし君が追われている身だというのなら、この仕事は身分を隠すのにもうってつけだ、そうだろ? メリッサ」
「……まあ、否定はしませんが」
「ほら。ルナは事情を話したくない。けれど、その様子だとどこかに行くわけにもいかない。僕も困っている君をただで放り出すのは気が引ける。ちょうどいい提案だと思うんだけど」
「メイド……」
彼の突拍子のない提案は、身寄りのない私にはとても幸運で、魅力的な提案に思えた。
なによりも、貴族の時には意識していなかったとはいえ。メイドの仕事は事態は近くで見る機会は他の仕事に比べるまでもなく多い。それに、スズランも楽しいと言って傍に仕えてくれていたことを考えれば、悪くない話なのかもしれない。
「否定意見も無いみたいだね。それじゃあ、よろしくルナ。僕はいつも私室か書斎にいるから、要があったらそっちにおいで」
彼はそう言って去ろうとするのを、慌てて止めた。
「ま、待ってジャン。本当にあなたはそれでいいの?」
「というと?」
「置いてもらう私が言うのもおかしい話だけれど、もし、その……追っ手から逃げていて、それで捕まったしまったら、ただじゃすまなくなってしまうかもしれないのに……」
「ああ、その事か。それは今更に近いよ。メリッサ、彼女を連れて行ってあげてくれ」
「旦那様がそうおっしゃるのであれば」
今更に近い、彼はそう言うとドアを閉めようとして、
「ああ、そうだ」
途中で振り返った。
「メリッサ、彼女の仕事は明日からでいい。今日はサーヴァントルームの案内と、仕事の内容を教えてやってくれ。いつも通りちょくちょく見に行くから、できるだけ組んだ予定も報告してくれ」
「仰せのままに」
そう言い残して、彼は出て行ってしまった。
呆気に取られていると、隣から大きなため息が聞こえてきた。
そちらを見ると、やはりメリッサが頭痛を抑えるように額に手を当てていた。




