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ふと意識が浮上した。重くのしかかった瞼を無理にこじ開け辺りを確認する。無造作に伸びた髪の毛が視界を遮り乱暴に払うが、見えるのは同じような暗闇だった。今は何時だろうか、昼だろうか、夜だろうか。晴れているのか雨が降っているのか、それすら分からない。辛うじて見えるのは、この部屋がとても無機質な造りだということだ。年季が入っているのか汚れの目立つコンクリートの壁に、何をどうしたのかは定かではないが所々磨り減った床。今自分が横たえるベッド。ベッドと言っても、寝心地なんて全く考慮されてはいない。スノコの上に寝ている気分だ、とその四畳ほどの部屋の住人雪緒は思う。
ここに来たのはいつ頃だっただろうか。何度か蒸し暑い夜や凍えるような寒さを経験している気はする。その気はするのだが、この場所は時間すらろくに分からないのだ。いや、知る方法はあるにはあるが知る必要がない、と言ったところか。
時々この部屋の外にいる者が訪ねて来ては、そっとその日の食事を置いて去る。それも、わざわざ部屋の中に入ることはせずに外からそれ専用の受け渡し口に放り込むだけなのだ。その他にコミュニケーションなるものは取ることが出来ない。そんな事も数日後には慣れきった習慣へと早変わりしてしまった。
こんな閉鎖された暮らしになったきっかけは勿論覚えている。
◇◇◇
あれは雪緒が15歳の誕生日を迎えた翌日の事だった。昨晩の両親からのサプライズプレゼントに胸を踊らせ、トトッと軽快なステップを踏みながら自分の部屋を後にする。そのまま滑稽な踊りを見に纏いスルリとリビングへ入った。
「おはよう。もう朝ごはん出来てるの?いい匂い!」
ふふっと口元に笑みを浮かべ、雪緒はいつも家族が食事をするリビングテーブルへと腰掛ける。挨拶が返ってこないのはいつもの事だった。いつもの定位置であるリモコンを手に取り、テレビの電源を入れる。
『○○市△△中学校の生徒が立て続けに行方不明になっている事件で警察は――』最近の朝は大体このニュースから始まる。行方不明者は既に二桁に上り、依然として手がかりは掴めていないようだった。矢継ぎに紡がれる画面の向こうの女性。その向こう側に河原の捜索を進める警察の姿も見受けられた。
「大変そうだね。警察も。まぁ僕は2年前から引きこもってるし関係ないけど」
近場に乱雑に放置されたフォークを片手に雪緒は他人事の様に呟いた。次々とフォークを刺しては口に運ぶ。もきゅもきゅと中々噛みきれない食べ物に四苦八苦していると、僅かに外が騒がしいことに気付く。カーテン越しに複数人の人影が見えた。ふんっと鼻で一つ息を出し、手に取ったフォークと皿を流し台へと置いた。
「……役に立たないマスコミだなぁ……」
雪緒は一人そうこぼして些か人数の多い訪問者の元へと出向いていった。ゆるっとした足の裏が嫌に気持ち悪かったのを覚えている。
◇◇◇
それからは川の流れに逆らわずにどんぶらことここまでやって来た。ここへと連れて来られた時に独居房だの何だの言っていた気がするが、雪緒にはどーでもいい事であった。自分のやった事は客観視すれば十分に凶悪な事だと思う。しかし、未だにこうして生かされている。
「まだやるべき事があるのかな」
ポツリと小さく呟いた筈だが、誰も何も言わない、物音すらないこの狭い空間には変に響いて自分の耳に返って来た。喉の声帯が久しぶりの活動に驚き、キュッと締まるのがわかった。それを機に身体中がビクッと動いた気がするが、それもすぐに収まった。
「どこでもいいから続きがしたいなぁ……」
何かを意図して言ったわけではない。ただただ無意識に紡がれた言葉だった。ふと、いつの間にか再び閉じていた瞼の向こうで、何か光が漏れ出ている事に気付いた。
「――なんっ……!?」
薄めに瞼を開こうとし、しかしあまりの光量にそれは叶わなかった。咄嗟に体を動かそうとし、しかしそれすらも叶わない事に気付く。ああ死ぬのだろうかと抗う気力すらも抜け落ち、その流れに身を預ける様に脱力した。
『20××年、○○市で起きた連続殺人犯が昨夜忽然と姿を消した事件で――』
翌日は朝からこのニュースの話題で持ちきりであった。
お読みいただきありがとうございます。短いですけどキリがいいのでこれで1話。
たぶん次からはもう少し長めに書くと思います。