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生き返った男に関する記録(非公式)

作者: くらきしい

 その男(分類・人間)は、人体凍結技術によって保存されていた肉体のうち、最後の一体である。男は約千年前に死亡したと推定される。


 人間は生き返りを望み、その実験を私たちは引き継いだ。実験は繰り返され、この度、初めて人間の生き返りに成功した。これは、私、彼の観察及び世話係として製作された機械番号217による記録である。私は彼と過ごした後、上位ロボットに「故障」の判断を下されたため、この記録は非公式なものである。



 1日目、目覚めた男性はその表情を何度も変更した。人間は感情表現の一つとして表情を変化させると伝えられている。しかし、私たちは人間の表情を正確に把握することができない。また、人間は多くの欲望を持っており、私たちは人間の残した「叶わなかった欲望」を引き継ぎ、その研究をするために製作されたと伝わっている。生きた人間の絶滅後も、製作物は研究のために更なる製作物を生み出し、実験を繰り返してきた。


 上位ロボットは男に現状を説明した。既に人間は絶滅したこと。男が死亡しておよそ千年が経過したこと。そして、男の寿命は十日間であるということを。


 上位ロボットは男に問いかけた。


「十日後、肉体の延命を希望するか。ただし、思考、意思疎通の維持は非常に困難である」


「十日後、死亡した後に再び肉体の凍結保存を希望するか。ただし、再度生き返らせることは非常に困難である」


 男は一分程沈黙した後、「どちらも希望しない。死んだら、火葬して土に埋めるなり、海に撒くなりして欲しい」と回答した。上位ロボットは男の希望に了承した。


 男には、病室を模した個室を与えた。白を基調とした殺風景な部屋だ。その部屋で、男はベッドに寝転んだまま天井を見上げていた。私は男に夕食をお持ちした。事前に夕食の希望を男に尋ねたところ、「食べやすいもの」を望まれたため、献立は「煮込みうどん」と呼ばれるものを選択、調理した。


 人間の平均的な生活は記録として残されており、私はそれに基づいて「生き返った人間の観察と世話」をするために製作された。人間が実際に生き返ったのは今回が最初で最後であり、私の仕事もこれが最初で最後である。


 男は夕食を食べると、静かに「美味しい」と言った。



 2日目、男は「この世界のことを教えてほしい」と言った。私が「『世界』という言葉の定義を設定してください」と返答すると、男はほんの少し頬を持ち上げて、目を細くして、肩を震わせた。「もしや、笑っていらっしゃるのですか?」と問いかけると、男は「そうだ」と答えた。私は初めて人間の「笑顔」を目にした。


 3日目、男は私の名前を訊いた。識別番号をお答えすると、男――彼は私を「ニイナ」と呼んだ。私が「あなたや人間について教えてください」と問うと、彼は沢山のことを話してくれた。人間の生活に関するデータは大変貴重なものである。私は漏れがないように彼の言葉を記録し、保存した。



 4日目、彼が外に出たがったので、私は上位ロボットに許可を頂いた。私もこの建物の外に出たのは初めてだった。建物の周りは整備され、花壇にはパンジーやチューリップなどが咲いていた。これは、「常に整った環境で生活したい」という人間の欲望によるものだと伝わっている。その一方で、建物を囲う植木の向こう側はコンクリートのひび割れから雑草が生い茂っていたり、壊れた「何か」が放置されていたりした。


「ずいぶんと変わったものだな。私が生きていたころと似ているが、全然似ていない」と彼は呟いた。


「お、蒲公英が多いな。私の好きな花だ」


 道端にかがんだ彼は、地の割れ目から茎を伸ばす蒲公英の綿毛に息を吹きかけた。二、三度、息を吹きかけると綿毛の一部は青い空へ舞い上がり、一部は道路を這うように飛んで行った。


「あなたは、何故死ぬことを選んだのですか? 少しでも可能性があるのなら、生き続けることを望む。それが人間というものではないのですか?」


私の言葉に、彼は勢いよく振り返った。目を丸くして、私をじっと見つめてくる。


「どうかされましたか?」


 彼はふっと笑った。


「いや、ニイナは『何故』という質問はしないのだと思っていたから、少し驚いた」


 彼に言われ、私は過去のデータを遡る。確かに、『何故』という質問をしたのはこれが初めてであった。


「そうですね。おっしゃる通りです。私も少し……人間的に言えば、驚きました」


 一日の大半を彼と過ごしているうちに、私は一つの疑問を覚えた。死とは、人間にとって最も恐ろしいものであり、本能的に避けようとするものだと伝わっている。ところが、彼は延命を望まず、肉体の再度凍結保存も望まず、死に怯える素振りすら見せない。


「そうだなぁ」


 彼は緩慢な動作で立ち上がると、空を仰いだ。


「あの時、もう一度この世界で目を覚まして――――。あぁ、世界というのは今ニイナや私が存在するこの場所、この状況のことかな。現在の地球、と捉えてくれればいい。で、生き返って喜ぶ間もなく死の宣告を受けた。この世界には機械しか残っていなくて、私はね、その時……」


 言葉がほんの少しの間、途切れた。


「こんな世界なら、死んでいたかった。そう思ったよ」


 死んでいたかった。


 つまり、生き返ったことを後悔したということだろうか。


 後悔しているのなら、殺して差し上げるべきだろうか。人間の欲望を叶えるのが、私たちの役目であったはずだから。


「君が言う通り、私は再び死ぬことを選んだ。最初はすぐにでも死んでしまいたいと思った」


 彼が私を見る。その顔は笑っていた。


「だけど、最初の日にニイナが持って来たご飯がとても美味しかった。以前、生きていたときには、私はいつも多忙な生活を送っていて、食事を美味しいと感じる余裕もないまま死んでしまった。勿体ないことをしたね。それで、私は『死んでいたかった』と思っているけれど、生き返ったことを後悔はしていない。生きていた頃より、ずっと生きている気がするからね。ご飯も美味しいし、ニイナと話すのも楽しい」


 後半、彼の言葉はほとんど理解できなかった。しかし、生き返ったことを後悔していないこと、私の料理を好ましく思っていることはわかった。


「それでは、また美味しいご飯を作ります」


「よろしく頼むよ、ニイナ」



 5日目、私はいつもと同じく彼の世話をしていた。

食事を運び、掃除をして、彼が好きだと言った蒲公英を一輪、花瓶に挿して部屋に飾る。すると、彼は私を見て微笑んだ。いや、泣いているようでもあった。「ニイナはまるで人間みたいだ」とかすれた声で言った。私には何故彼がそう思ったのかわからない。



 6日目、彼の命も残り半分という頃。今日の彼はいつもより静かに過ごしていた。食欲が無いと告げ、食事をほとんど口にしない。


「せっかく、ニイナが作ってくれたのに。ごめんな」


 それだけを。たった一言、私に告げた。


 どうして。


 どうして。


 どうして、あなたは私をそんな目で見るのですか。



 7日目、彼が倒れた。心臓が一瞬止まりかけたが持ち直した。だが、彼は目覚めない。まだ7日目だというのに。私は少し変な気分がしたが、これが何なのかわからない。


 気分。そんな不確定要素が私に存在するはずは無いというのに。

 


8日目、彼は眠ったままだ。私は看病をした。それが私の仕事だから。ふと、彼の手を握ろうとして、私は伸ばしかけた腕を止めた。硬く冷えたこの作り物の手では、彼の手を温めることすらできないのだった。私は初めて、自分が不自由なのだと知った。



 9日目、彼が目を覚ました。彼は私を見て、どういうわけか私の頭部を撫でて微笑んだ。私はまた、今度は本当に変な気分がした。これが、人間が持つという「感情」なのだろうか。プログラムを間違って破壊してしまいそうだ。気をつけなければ。



 10日目、雨が降っていた。彼がその雨を見たいと言ったので、窓越しに一緒に見た。雨音は静かであったが、小さな雨粒は激しく窓を叩きつけて滑り落ちていった。もう、外出許可は出せないと上位ロボットに言われていた。

 彼は昨日より元気そうで、私が夕食をお持ちすると、いつものように「美味しい」と言った。だが、ほとんど食べることができなかった。

 ベッドの上で布団に埋もれる彼の頬は青白く、彼がもうすぐ死んでしまうことがわかった。

 彼の瞳がゆっくりと閉じていく――――。


「死なないでください!」


 叫んだ声が自分のものだと、咄嗟に気づけなかった。


 嫌だ、死なないで!

 

 私の中を流れる電流がビリビリと嫌な音を立てた。一瞬、カメラ越しの映像―――視界に横線が数本はしった。


 最期に、彼の唇が「ニイナ」と動いたように見えた。




 以上が、彼についての記録である。

 私の名前はニイナ。地球で最後の人間と触れ合い、心を知った唯一の機械人形である。

 先日、私の処分が決定した。解剖の後、廃棄されるということだ。

 人間の存在しない世界で、人間の欲望を叶える研究をし続けることに意味などない。だから、私はこれで良かったのだと思う。

叶うなら、もっと彼とともに生きてみたかった。


 せめて、彼との記録をここに書き残しておく。






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