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6話

 その日は、妙に胸がざわつく日だった。そわそわとして、落ち着かない。どうしてだろう? と首を傾げても何も分からなかった。ただ漠然とした不安が、胸中に渦巻くのみ。

 だけど、それはしばらくして明らかとなる。




 闇が次第に勢力を伸ばす頃。エレイナはアーシェラと共に王宮の門へと向かっていた。アーシェラとはあの泣いてしまった日以来、若干親しくなった気がする。それほど気負わず話せるようになり、今日のように二人で帰ることもしばしばあった。……と言っても、アーシェラは馬車で、エレイナは歩きだから、それほど長い距離を一緒にするわけではないけれど。

 いつものように話しながら一緒に王宮の門を出たところで、エレイナが立ち止まった。


「エレイナ?」


 訝しんだアーシェラが尋ねると、エレイナは胸元を握りしめて、不安げに瞳を揺らしながら言った。


「父様が……」


 父がいない。そのことに、朝から感じていた不安がますます大きくなる。

 揺れるエレイナの瞳を見て、アーシェラはからりと笑った。


「そんなに心配しなくても。きっと、仕事が長引いているんでしょう。だけどここで持つにしても、あんまり遅くなると危険よね……。途中まで馬車で送るわ」

「あ、アーシェラ様。そんなにしていただかなくても……」

「いいの。私がしたいのだから。ね?」


 そう言われると頷くしかなくて。アーシェラは衛兵にエレイナの父が来たらエレイナは先に帰ったと伝えるようお願いをして、エレイナを馬車に乗せた。

 懐かしい馬車の感覚は、胸のうちに膨らむ不安によってあまり気にならない。馬車に乗っている間、エレイナはずっと視線をあちらこちらに向けたり、座り直したりしていた。


 平民街近くになると馬車から降り、アーシェラに礼を告げる。アーシェラの心の底からの笑みに安堵しながら、エレイナはゆっくりと宿へ向かった。もしかしたら、今この瞬間にも父がエレイナの名前を呼んでくれるかもしれないから。そんな希望を抱きながら歩いていたが、結局何事もなく宿へとついてしまった。

 キシ、キシ、と床を鳴らしながら、エレイナは部屋のある二階へ。宿の中は静かで、いつもと違う。普段ならこの時間は母が夕食を用意して待っていて、いい香りが漂っているはずで……。


 嫌な予感を胸に、エレイナは部屋の扉を開けた。彼女を待っていたのは、空っぽの部屋。父どころか母もいない。――それだけならまだ、仕事が長引いているんだと、母は父に夕食を届けに行ったんだと思い込めたけれど、無理だった。父と母の荷物はなく、残っているのは日用品とエレイナの私物だけ。

 ――いや、一つだけ増えているものがあった。机の上に置かれた手紙。エレイナは恐る恐る、それを手に取った。


 荷物を床に起き、硬いベッドの上に座る。手紙を読もうとしたけれど、指先が震えているためになかなか封を切ることができない。

 エレイナは一旦手紙を太ももの上に置き、深呼吸をする。そして、震えが治まった一瞬のうちに手紙を開いた。


『エレイナへ

 きっと君は部屋に戻って驚いているだろうね。まずは謝るよ。ごめん。勝手なことをしている自覚は父様にもある。それでも、これが君のためだと思うから、僕たちはこういう行動をさせていただくよ。

 エレイナ。君はたとえ清掃員でも、立派な王宮勤めだ。稼ぎはやっと雇用契約を結べた僕よりも断然高い。父様と母様は君のお金で暮らしているようなものだ。

 だからこそ、申し訳ないんだ。僕たちがいなければ、君はこの宿を離れて、もっと良い部屋を借りることができる。僕らが、君を縛り付けてしまっている。だから母様と相談して、君と離れて暮らすと決めたんだ。実はかなり良い給金で雇ってくれるところが見つかったんだ。けれどそれは地方の仕事でね。とある飲食店なんだけど、地方の村に出店するから、文字を書けたり計算ができる人を探していたらしいよ。

 本当にごめん。けれど、僕たちは後悔はないよ。

 王都で幸せに。

 父様より


 エレイナへ

 旦那様が長く書いたから、私は簡潔にさせていただくわね。

 事情は旦那様の書いた通りよ。私たちは私たちで、王都を離れて幸せを見つけるわ。家事だってもう御手おての物だし、心配はいらないわ。

 だから、貴女は貴女だけの幸せを見つけて。

 愛してるわ。

 母様より』


 ぽた、と一滴の水が手紙に落ち、シミを作る。その量は次第に増えていき、エレイナは慌てて手紙をベッドの上に置くと、顔を覆った。


「ど、して……っ!」


『君のため』、『申し訳ない』。手紙の断片が、ぐるぐると頭の中で渦巻く。そんなふうに、私は思わせてしまったのですか。追い詰めてしまったのですか。ただ、王宮図書館で働きたくて、本に触れたくて。そんな個人的な欲望が、巡り巡って父様と母様を傷つけて。私は……。


「と、さま……かぁ、さま……っ!」


 私はただ、三人で一緒に居たかっただけなのに。どうして、こうなってしまったのでしょう?

 そう思いながら、夜がふけてもずっと、エレイナは肩を震わせ続けた。



△▼△



 それからエレイナはよく失敗するようになった。早く帰っても両親のことを思い出しては夜遅くまで泣いてしまい、そのまま泣き疲れて寝る。そのせいで朝は遅刻し、仕事中も眠たそうにしている。そんな日々。

 明らかにおかしいエレイナの様子に、皆が彼女に尋ねた。何かあったの? 良かったら力になるよ。けれどエレイナは首を振って話すのを拒むばかり。

 エレイナは誰にも両親がいなくなったことを告げなかった。まだ、認められなくて。話してしまえば、それは認めてしまうことと同じだから。


 アーシェラは何か察しているようだった。彼女はあの日、エレイナの父が迎えに来なかったことを知っている。翌日のエレイナの様子も合わせ、彼女はうっすらと察していた。

 だけどそんな彼女にも、エレイナは何も伝えなかった。歪な笑顔を浮かべて、拒む。傷つくアーシェラなどお構いなしに。


 変わってしまった日々。薄氷の上の日常。そんな生活は、ある日唐突に終わりを迎えた。



 ふと、図書館が騒がしくなる。空気が震え、何かが起こったという事実が波及する。

 エレイナも首を捻りながら入り口の方を見た。そこには五人ほどの騎士がいて、こちらへ向かって歩いてくる。ガシャガシャという鎧のぶつかる音が静謐な空間を壊す。

 騎士たちはエレイナの前で立ち止まった。


「エレイナ・カールレン元子爵令嬢だな」

「はい、そうですが……」


 エレイナが頷くと、一番偉そうな騎士がはん、と鼻を鳴らした。馬鹿にしたような態度に、一瞬ここが王宮図書館で、今が仕事中だということを忘れてしまいそうになる。衝動に任せてしまいそうな心を抑え、ゆっくりと深呼吸をして、騎士を見上げた。


「それで、なんの御用でしょう?」

「おまえに殺人の容疑がかかっている」


 空間が揺れた。騎士の言葉は瞬く間に広がり、皆が口々に噂話をする。

 殺人。エレイナは心の中で繰り返した。人殺し。


「……誰を、殺した容疑でしょうか?」


 エレイナがそう尋ねると、騎士は侮蔑の瞳を向けた。


「あくまでしらを切る気か。――この、親殺し」


 世界から音が消えた。親殺し。……親。耳にこだまする言葉に、エレイナは泣きたくなる。つまり――父様と母様が、死んだ。

 どうして。エレイナの唇が震える。ねぇ、どうして……!


「連れて行くぞ」


 両腕を乱暴に掴まれ、歩かせられる。アーシェラの声が聞こえたような気がしたけれど、はっきりとはしない。ただ、認めたくなくて。両親が共に目の前から消えただけでなく、この世からもいなくなってしまったなんて、認めたくなくて。

 ――滲んだ視界に、懐かしい金色が映りこんだ。

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