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風邪ひいちゃった

 この村は鬱蒼とした森の中にある。

 正確には、森を切り開いた小さな空間にある。森の中に雨なんか降らないと思っていたけれど、そんなことはなくて、やっぱり雨が降ることもあるらしい。

 しとしととした雨が降り注いでいる。

 ジャングルのスコールみたいなものか。

 夏の蒸気がわずかにヒンヤリと冷めていくのを感じる。

 湿気が多くなるのかなと思ったら、そんなでもなく、建物の中から見ているだけでも、突き刺すような冷たい雨のように思えた。

 まるで、夏という季節が切り取られてしまったみたい。

 それか、世界が雨という薄い膜に覆われてしまったみたい。

 周りの雑音もすべて、雨のなかに溶かされてしまって、ゆっくりと消えていく。

 そういう、遠くにあるような音が気持ちよくもある。


『雨だヒャッハー! 生き返るわぁぁっ!』


 そんなしっとりとした雰囲気を味わっていたかったけれど、小学五年生くらいの子どもたちにとってみれば、雨の情緒なんてどうでもいいことらしい。

 スライムみたいな半透明の男の子がやたらとハイテンションで帰っていった。

 べつにその子だけじゃない。

 みんな雨の中を猛ダッシュで帰っていってる。

 素直にすごいな……。

 おじさんはそんなテンションにはなれないよ。

 いや――、もしかすると体力というか身体のつくりが違うのかなと思ったりもする。

 みんな心の根っこは人間と変わらないと思うけれども。

 人間と同じく泣いたり笑ったり、かわいらしいけれども。

 学校に通ってる子たちは、、例外なく人間ではない異形の者たちだ。

 だからというわけではないけれど、雨が降ったとき、誰もかれもが雨の中をダッシュで帰る様を見たのはびっくりした。

 というか、そうか――。

 傘という概念がないのかな。

 いやそんなわけなかろう……。と思うのだが、もしかすると雨自体が珍しいのかもしれないな。

 それと、わたしが勝手に夏だと思っていた今の季節は、この先もずっと続くのかもしれない。

 まだ一ヶ月くらいしかこの世界に滞在していないし、わからないんだ。

「みーず」

 厚いガラスから空を見つめ、わたしはわかる単語を呟く。

 言うなれば、空水といったところか。

『さあ。ナイ。帰るですよ』

 同居人のミニーは既に帰る気満々だ。

 雨に濡れるのって猫なら嫌がるんじゃないのかな。

 そう思って、じっと観察するけれど、別段気にしていない。

『ん。どうしたですか? もしかして……雨に濡れるのいやなんですか?』

「あめ……」


 わたしは雨を覚える。


 そして考える。


 雨は嫌いじゃないけれど――。


 でも濡れるのは嫌だな。


 でも、濡れるという言葉をわたしは知らない。

 しかたない。

 雨が嫌いなわけではないけれど、あえて、そう評価してしまおう。


「ナイ。雨。好きじゃない」

『えー、そうなんですか? でもどうするです。いつまでたっても帰れませんよ』


 ミニーは若干不満顔。

 雨、好きだったのかな。

 そうだとすると、悪いことをした。

 いくら天候のこととはいえ、小学生が自分の好きなものを嫌いと言われるのは、あまり良いことではないから。

 なんだか、雨の落ち着いた雰囲気の中にいると、すごくアンニュイな感じ。

 にゅいにゅい……。


『んー。じれったいです。でも無理強いはしたくないです』

『なにやってるんですか?』


 む。

 話しかけてきたのは、超がつくほどの美人ちゃん。

 エルフっ娘のキアだ。

 この子は、人間のことがあまり好きではないみたいで、わたしも当然人間なので、好かれてはいなかったように思うんだけれども、最近では普通に話すくらいには仲がよくなったかな。

 ミニーはわたしをかばってくれていたこともあって、キアとも対立していたみたいだけど、なんだかんだ喧嘩するほど仲がいいの法則で、仲がよくなっているように感じる。


『キア。聞いてください。ナイが雨がいやだからって帰りたくないって言ってるです』

『雨が嫌い? 慈愛の雨が? やはり人間は……』

『あー、はいはい。そういうネガティブ思想はいいです。ともかく、窓際でなんだかトロンとした目で雨を見つめていて、それはそれでかわいいんですが、困るのですよ』

『確かにいつにもましてボーっとしてますね。ナイ?』

「ん? はい?」


 直接的にキアから話しかけられたのは久しぶりだ。

 わたしは即座に答えますよ。


『あなたは雨が嫌いなのですか?』

「ナイ。雨……嫌いじゃない」

『え、さっきといってることが違うですよ』


 ミニーが驚いているようだが、さっきと違うことをわたしが言ってるからだろう。

 けれど、本心としては、そうなんだ。

 雨は嫌いじゃないよ。

 でも、土砂降りのなか、はしゃいで帰るのは、なんというか大人的に違うかなと思ったりもするんです。

 それに、その……傘の情緒ってあるじゃないですか。

 わかりますかね。

 相合傘とは言わないまでも、清らかな心身を傘で覆い、ゆるやかなスピードで帰る少女達。

 そんなシチュエーションに憧れているんです。

 それなのに、ここの子たちはワイルドすぎるよ。

 みんな濡れ透けだけど、ぜんぜんうれしくないよっ!

 あ、でもキアぐらいかわいければ、も、文句はないですけどっ。


『ふぅん。もしかして、ナイは濡れるのが嫌なんじゃないですか?』

『え? そうなんですか?』


 ミニーが何か聞いてきている。

 キアのあとの言葉のあとに、確認の意味で何かを聞いてるようだ。

 しかし、なんだろうな。

 ボディランゲージで確認してみるか。

 わたしは、スカートの裾をつまんだ。

 今日のスカートは太ももがかなり見えちゃってるくらいミニのスカートなので、この行為は若干恥ずかしかったりするんですが、やむをえないのです。 

 あ、上の服をつまんでもよかったかもしれません。


「雨……水……ヤダ」

『ほら。濡れるのがいやって言ってるようですよ』

『たしかにそうみたいですね。じゃあ、わたしの刀で水をはじきながら帰りますか』


 ミニーがブンブンと刀を振り回して、まるで扇風機みたいに手元が見えなくなる。

 なるほど、これで雨を吹き飛ばしていこうということですか。

 まるで、相合傘ならぬ、相合刀。

 なんともすごい技術ですが、ミニーは強いですけどあくまで十歳くらいの女の子。

 そこまでしてもらうのも気が引けます。


『そんなことをする必要ないでしょう。ほら――守護の盾よ、あらゆる厄災から我を守りたまえ』


 キアがなにやらごにょごにょと呟いた。

 少しだけ知ってる単語もあったみたいだけど、

 手を上に掲げると、出現したのは、ドーム状のシールドだ。

 ああ、そっか。

 たしかにわざわざ傘なんて作る必要ないんだ。

 この世界の人たちは大なり小なり魔法が使える。わざわざ雨に備えて傘なんて用意する必要ないし、もしかすると、本当に濡れるのが嫌なら、そうやってシールドを出しながら帰ってるのかもしれない。

 そして、今のわたしはすごい魔法が使える幼女。

 小学五年生くらいの女の子の身体を、幼女というのはまちがいだろうと強く思うのですが、神様曰く、そういうふうな評価なのでしかたない。

 ともかく、「守れ」


 手を上に突き出して、わたしもシールドを出せました。

 これで濡れずに済むようです。


「キア。ありがとっ」

「ふん。わたしは自分が濡れるのが嫌だから、そのために守護の盾を出しただけです。あなたに教えるためにあえて唱えたかのような捉えられると憤死してしまいますから、くれぐれも誤解なきようお願いいたします」

「ありがと。ありがと」


 なんだか、ほほえまー。

 それにしても、この身体になってから、初めての雨である。

 雨の一粒もあたってはいないけれど、シールドにあたって弾ける音が、なんとなくフワフワな感覚を引き起こさせる。小学生の身体だからこそ感じる特有のものなのか。

 それとも雨自体にそういった幻覚要素があるのかはわからない。

 ともかくフワフワしているんです。

 世界がフワフワ。


『さぁ。帰りますか』

「はいっ」


 ☆


 おうちに帰ると、クインに抱きついて、「ただいま」をします。

 もう恥ずかしくもないですし慣れました。

 それに、クインに抱きつくと、たとえようもない安心感が心の底から湧いてきて、一日一回はこれをしないと、逆に落ち着かないんです。


『おかえりなさい。ナイ』

「ふぁーい」

『ん? ナイ。あなた……もしかして、風邪引いてない?』

「んー?」


 なんだかクインがすごく焦った顔になってますが、なんでしょうか?

 あ、額のところの髪の毛をかきあげられて、クインの優しげな手がピタっと吸いつきました。

 この動作。

 んゆ……。そっか。そっか。

 なんとなくわかっちゃいたんだけど、そういうことか。

 わたし、もしかして風邪ひいてるのかなと思ってたんです。

 悪寒がするほどではないですし、なんとなくけだるいなってくらいなんですけど。

 アンニュイな気分になってるだけだと思ってました。


『大変。熱があるじゃない』

『え、ナイ。病気ですかっ!?』

『ええ……。とりあえずお部屋に運びましょう』


 ひょいっとお姫様抱っこされて、そのまま寝室に運ばれました。

 もちろん、恥ずかしさとかもありますけれど、そんなことより徐々に身体がだるくてなんにも抵抗できない感じです。


 それにしても、たかが風邪だと思うのに、クインの焦りっぷりがすごいな。


 ☆


 寝室。

 クインはあたふたとしながら、いろいろと用意をしてくれた。

 わたしはみのむしのように毛布に包まれています。

 なんだかちょっと暑いくらいなんですが、冷やしたらダメみたいです。

 頭寒足熱は風邪の基本ではあるんですれども、ちょっとおおげさですね。

『ナイ。大丈夫っ。なにかしてほしいことはない?』

 クインが瞳をうるませながら、わたしの胸のあたりにぎゅ―っとしてくる。

 うーん。

 なんだろう。

 すごく大切にされている気がする。

『クイン。ちょっとあなたおおげさよ。落ち着きなさいな』

 クインの後ろから現れたのは、アニーだ。

 クインのたぶん一番の友達で、ミニーの母親にあたる人物。

 もちろん、猫耳。

 アニーはクインになにやら言っているようだけど、たぶん落ち着けって言ってるんだろうな。

 少し呆れた様子だから。

「けふっ」

『ほらっ。アニー。見て。いまナイが咳したわっ!』

『咳くらいするわよ。風邪なんだから。ともかく、クインがそんなにべったりしてたら、ナイが休めないでしょ。ゆったり落ち着かせてあげなさいな』

『でもっ。こんなに苦しそうなのよ』

『いや、あなたが抱きついて押しつぶしてるせいじゃないかしら』

『そうだ。風邪薬を。風邪薬を買ってこなくちゃ』

『人間用の風邪薬があるかどうかはわからないでしょ。私が代わりに買ってくるから、あなたはナイの様子を見てあげなさいな』

『うん。あ、ありがとう』

 なんだか、クインがかわいく感じる。

 わたしが風邪ひいちゃって、ぼーっとしているせいかな。

 アニーはなにやらクインに話をして、外に出て行ったみたい。

 クインは後ろ髪をひかれるような顔をして、それから、ようやく出て行った。

 去り際に五回くらいはバイバイしたな。


 それにしても、風邪か。

 この世界に来る前には風邪をひいても無理やり仕事をしていたせいか、こうやってゆっくり身体を休めるというのがなんだか久しぶりな感じがする。

 周囲は雨の音しかしなくて……。

 少しだけ寂しい。

 そんなこんなで、みのむし状態でうんうん唸っていたら、今度はミニーがドアのところで、こっそり覗いていた。

 その少し控えめな様子、とてもかわいいよ。

 おいでおいでをすると、ミニーはやってきた。

『大丈夫ですか。ナイ』

「大丈夫」

 そうしたら、ぎゅーってまたもや抱きつかれた。

 うーむ。

 どうして誰もかれも抱きついてくるのだろう。

 けれど、当然いやな感覚ではないので、されるがままだ。

 あ、でもこのままここにいたら、ミニーに風邪がうつっちゃうかもしれないな。

「ミニー。外行って」

『え。ここにいたらダメなんですか?』

「ダメ……」

『ダメなんですか?』


 いや。なんで涙目になってるの。

 さすがに心苦しくなってくる。

 わたしは咳をする動作をして、それから同じ台詞を繰り返した。

「外行って」

『ああ、移しちゃダメとか思ってるんですか? ナイは優しいですね』

「ヤサシィーン?」

『そう。優しい』

 なんのことやらわからなかったが、いつものようにミニーにも頭をなでられた。

 それからしばし、一人の時間。


 それにしても、小学校のときに風邪ひいたとき。

 一日が長かったな。

 少しワクワク感もあって、教育番組を見ちゃったりして。

 身体はだるいんだけど、精神的にはイキイキしてた。

 もちろん、程度問題はあるけどね。

 さすがにインフルエンザみたいな重病だと、そんな気持ちにはならなかったよ。

 今はそうでもなくて、つまりただの風邪のひきかけ。

 クインがおおげさなだけで、いたって普通レベルだ。

 でも、少しだけ不安を感じたりもする。

 ああ……早く治らないかな。

 やっぱり、みんなに心配させっぱなしというのも心苦しいよ。

 自分の無力さを感じる。

 なんというか、本当に女の子になっちゃったんだなぁという感想。

 そう、無力。

 無力。

 治さないと……。

 はやく……。

 って、あれ?

 もしかしてですけど、わたしって無駄な時間過ごしてません?

 だって、わたしってすごい魔法が使える幼女なんじゃ。

「な、治れ?」

 そのときのわたしはすごいアホ面をかましていたと思う。

 半信半疑だったんですけれど、『治れ』の呪文で、一瞬で快癒。

 けだるい感じは吹き飛びましたよ。

 やべえ。これが神言シニフィエ

 この世界の、言葉にまつわる魔法の力だ。

 ふぅ。じゃあ、さっさとみんなに会いにいきますかね。

 よいしょっと。


『あ、ナイ。起きたらだめよ。ちゃんと安静にしてなくちゃダメ』


 ちょうどそんな折。

 クインが部屋の中に入ってきた。

 そしてすごい勢いで、まわれ右状態。

 あっというまに部屋の中に押し返された。


「ナイ、大丈夫。治った」

『ダメ。風邪はひきかけが一番大事なの。わかったわね』

「ナイ、治った! 治ったよ!」

「だーめ」

 

 ダメらしかった。

 わたしは、宇宙人のように連行され、再びみのむしのように毛布に包まれてしまいました。

 ついでに、完全に治っているにもかかわらず、濡れタオルをおでこに置かれて、もう指一本動かせません。

『そうだ。リンゴをすりおろしてきたのよ。食べる?』

「んー」

 なんだか仮病をつかってるみたいで、申し訳ないんだけど。

 どうやらすりおろしたリンゴを食べさせてくれるみたい。

 スプーンですくって――。

『あーん』

「あーん」

 もうこうなってしまえば、しかたない。

 クインを説得するのは無理かもしれない。

 でも、いまだかつてないほど暖かな気持ちに満たされるのを感じる。

 もうね。平凡でとるにたらないわたしは、こうべをたれるしかないんだ。

「クイン……好き」

「うん。ちゃんと治しなさいね」

「はい」


 胸の奥からこみあげてくるのは、奇妙なことに寂しさだ。

 クインはすぐに目の前にいるのに。

 わたしの指の隙間から、何もかもがすりぬけていくようで、この暖かさもいつかはなくなってしまうのかもしれない、そういうふうに感じてしまう。そういうふうに思ってしまう。

 それが大人になるということかもしれない。

 わたし幼女ですけど。

 心は大人ですから。

 わたしはそのまま静かに目を閉じて眠りに落ちた。

大人は愛を感じて逆に寂しくなるんだよ。知ってた?

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