表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

もじもじしちゃう

 と、トイレ。

 いきなりおなかが痛くなっちゃいまして、とりあえずトイレにかけこみました。

 そして、ロダンの考える人みたいな格好で、考えることひとしきり。

 かの有名な武田信玄は、トイレタイムにいろいろな策謀をめぐらしたそうです。


 わたしも、策謀とはいかないまでも、いろいろと考えいたすところがあるのですよ。


 今回思うところは、この世界の文字。

 文字です。

 言葉ではなく文字。

 つまり、日本語でいうところの、ひらがなとかカタカナとか漢字とかのそれ。

 書かれてある言葉である。

 

 もうずいぶん昔のことなんで覚えてないんだけどさ。

 ひらがなとかを覚えているのってたぶん三歳から五歳くらいのときだよね。

 言葉を爆発的に話し出す時期だ。

 文字もその助けになってるのかもしれないな……。

 懐かしさを覚えながら考えます。

 もしかすると言葉を覚えるうえで、文字も結構重要なんじゃないかな。

 つまり、文字を覚えることで自分の心のなかの言葉を育てる感覚があるというか。

 発声の練習の際に、視覚的な情報もいっしょにおこなうと覚えやすいんじゃないだろうか。

 それに、この世界の識字率がどの程度のものかわからないけど、どんな世界であれ、文字くらい書けないとお仕事にならないって感じがするし、ともかく文字ですよ。文字。


 ああ、もう。

 もじもじしちゃう!


 というわけで、文字を覚えるんだ。


 ☆


 そんな決意を抱いたまではよかったが……。

 しかし、文字を覚えるというのはいったいどういう過程をたどるんだろう。

 まず、わたしの知っている知識では、文字というのは大きくふたつに大別される。

 表音文字と表意文字だ。

 表音文字っていうのはアルファベットやひらがな、かたかな等。

 一音一字の文字のことを指す。

 表意文字は、漢字のように、ひとつの文字がひとつの意味を内包している文字のことだ。

 言うまでもないが、難易度が高いのは後者。

 表意文字というのは、めちゃくちゃ難しい。というのも、意味内容を理解するには、ある程度文化基盤を共有していなきゃダメで、そういう基盤が異なる世界だと、どこまで通用するのかわからないからだ。

 例えばの話。

 メールのマークとか電話のマークとかも表意文字であるんだけど、そういうメールや電話がないところで、その文字を見せたところで、その意味内容が伝わることはない。

 そのズレがどこまでのものかわからないと、意味内容を把握するのが難しいってことだ。

 もっとも、この世界はたぶんわたしが元いた世界からすれば、少しだけ時代が遅れている。

 ということは、文化的に前世が今世を含んでいるといえるので、ズレはさほどないかもしれないなと思ったりもする。

 例えばね。

 わたしの元いた日本では『空』という漢字があったけれど。

 あれは、どう見ても飛んでる鳥が羽を広げてる様子だと思うんだ。


 元は穴倉とかいう説が一般的らしいけどね。

 でも穴倉が空という漢字の成り立ちというよりは、鳥が羽を広げる様を見上げたんだよっていうほどがアーティフィシャルだと思うけどな。

 つまり、ロマンだよ。ロマン。


 あと『白』という漢字は頭蓋骨らしい。

 これは納得できるな。

 漢字というのは象徴を切り取ったものだけど、できるだけ固定化された、恒常的な、つまり永久不変の白ということを求めた場合、頭蓋の白というのがわかりやすい。

 あの髑髏を横からみた感じだと思うのだけど、どうだろう。


 ええ、まあそういうふうに、基本的に漢字みたいな象徴を元にしたものは、わたしでも見たらなんとなく理解できると思うんですよ。たとえ異世界でも、人が住んでいて、人が観察している以上は、ほとんどいっしょの結果になるかなと思ってます。


 表音のほうは、ひとつひとつ覚えていけばいいかなと思います。


 さて……この世界の文字はいったいどちらなのだろう。


『あ、ナイが教科書見てうんうん唸ってるです』


 なにやらわたしにわからない言葉で言ってくるのは、おなじみミニーである。

 興味深そうにわたしを観察しているようだが、いまはわたしは本の虫なのだ。

 ミニーにかまってるひまはないのです。

『そもそもお話もできないのに、文字わかるですか?』

「ミニー。しー」

 唇に手をあてて、沈黙のコマンド。

 人間に限らず、高音を発すると相手に伝わりやすい。

 つまり、こういった動作はかなりの確率で全世界共通だ。

 人間というものの工学的な要素に基づくアクションだからね。

『しかたないですね。わかったですよ。なにかわからないことがあったら聞いたらいいです。このミニーさんが教えてあげるですよ!』

 無い胸に手をあてて、ドヤ顔でふんぞりかえるミニー。

 わたしに任せなさいというようなことを言ってるようだ。

 まったく、かわいいやつめ。

「ありがとっ。ありがとミニー」

 とりあえずお礼を言っておく。

 そんなわけで、再度解読にとりかかる。

 教科書はかなり高度なことが書かれているようだが……。

 推定、「こくご」と思われる教科書を見てみる。

 一ページに書かれてあるのは、おそらく百文字程度。

 小学生向けらしくそれなりにでかい文字だ。

 わたしがいまざっと考えているのは、頻出文字というやつである。

 英語でいったら『E』みたいな、何度もでてくる文字があったら、たぶん表音文字の可能性が高い。ちなみに日本語のように漢字とひらがなが混じってるというようなこともあるかもしれないが、そういうちゃんぽん語の場合、まず、文字の成り立ちからして、かなり異なるので、きっと気づけると思う。

 見たところ、そういう象形は一致しているようだ。

 つまり、ちゃんぽんではない。

 そして、みつけましたよ。

 実に一ページ百文字くらいあるなかで、十八回も使われていた文字をみつけました。

 これは間違いない。

 表音だ!


「ひょーん!」


 両手を伸ばして、わたしはこの発見を伝えますよ!

 世紀の大発見です。

 もちろん、わたしの中だけですけど。


『ひょーん?』

「ひょーおん!!」

『なんですか。ひょーおんって? 穴の中から飛び出るモグラの真似ですか?』

 ミニーが怪訝な顔をしているが、わたしは興奮しっぱなしである。

 この世界の文字は表音文字。

 まちがいない。

 これなら、勉強もはかどるに違いない!


 ☆


 そんなわけありませんでした。

 かの有名な杉田玄白先生は、ターヘルアナトミアを解読したときに、文字をじーっと見つめて、何時間も何十時間も見つめて、ようやく単語のひとつを理解しちゃったりしたわけですが、言語チートがない凡人のわたしには無理に決まってました。

 ただ、文字の音くらい教えてほしいです。


 というわけで、ミニー。君に決めた。


「ミニー。教えて」

『お、なんですか。ミニー先生に何を教えてほしいですか』

「ん」

 差し出すのは、当然教科書である。

『きょ、教科書ですか。ぼ、ボクはちょっとだけ、ちょーっとだけ人間の国にいた期間が長かったせいか、そういう、戦闘に関係ないのは苦手といいますか……』

 あれ?

 なんだかダメみたいですね。

「ナイ。わかった」

 だったら、クインに聞こう。

 クインだったら、教えてくれるに違いない。

 わたしは自分の部屋から出て、居間に向かう。

 クインはソファに座って、編み物をしていた。

「あら。ナイ。どうしたの?」

「クイン。クイン!」

『はいはい。落ち着きなさいな。そうだ。これ、被ってみる?』

「ふぁー?」

 なんか被せられちゃった。

 どうやら、帽子のよう。

 しかも、ミニーと同じような猫耳つきの網帽子だ。

 少し触ってみると柔らかい。いい感じ。

 夏なので、ちょっと暑い感じもするけれど……。あみあみなので、風通しはよさそう。

 気に入りましたよ。

『ん。かわいいわ』

「あ……ありがと」

 かわいいの意味を既に覚えているわたしとしましてはですね。

 その言葉は少しだけ心に刺さるものがあるのです。

 でもクインの言葉なら、受け入れたいなってところもあるので、やっぱりしょうがないかなとか考えちゃいます。

 ひしっ。

 抱きついて恥ずかしさ回避。


『それで、どうしたの?』

「クイン。教えて」

『ん。教科書? でも、それは……』


 クインが困ってる。

 わたしはなんとなく予想がついていた。

 教科書の内容のことだと勘違いしたんだろう。

 違うんです。違うんです。

 そうじゃなくて、わたしが欲しい知識は文字そのもの。

 この文字なんです。

 教科書を指差してみてもやっぱりダメ。


『ミニーちゃん。ナイが何を教えてほしいかわかるかしら』

『えーっと……モグラの真似をしてたです』

『え?』

『ひょおーんってしてたです』

 ミニーが両の手を空にかかげて、なにやら言ってる。

 って、これさっきのわたしだ。

 違う。違います。

 それは違うんです。

 ますます困惑気味になるクインとミニー。

 わたしはあたふたしてしまう。

 そうだ。

 こういうときは、模写すればいいんだ。

 画用紙にとりあえず見つけた一文字。この世界の『E』を書きこむ。

 お願い気づいて!


『ああ、なるほど……文字を教えてほしいのね』

「はい!」

 どうやらわかってもらえたらしい。

 右手を上げて、大きく肯定する。

『でも、ナイにはまだ早いんじゃないかしら』

 頬に手を当てて、なにやら思案顔。

 ダメなんですか?

「ナイ。ダメぇ?」

『ダメじゃないのよ。ただ、まだ早いんじゃないかしら』

 がんばりますから。がんばりますからぁ!

「クイン~~っ!」

『そうね。じゃあ、始めましょうか!」

「はい!」


 ☆


 わたし、腕の中に一枚の画用紙を抱いてます。

 つぶれないように、やさしく。

 でも、落とさないようにしっかりと。

『よかったですね』

「はい」

 ミニーが笑いかけてくる。

 わたしもにっこりしましたよ。

 ふぁー。

 なんだか幸せな気分なんです。

 幸せ気分が満載で、ふわふわ浮いてる気分なんです。

 べつに本当に飛んでいるわけではないけれど、うれしすぎて頬がにやけちゃう。

 この画用紙が宝ものなんです。

 なんの経済的価値もないけれど。

 たぶん誰かに売ろうとしても一円もしないだろうけれど。

 キラキラしてるんです。


 あれから、クインは文字を教えてくれました。

 全部で三十くらいある文字を覚えるのに一時間くらいかかってしまった。

 クインには何度も聞きなおしてしまったし、彼女の時間を奪ってしまって申し訳ないことをしてしまったと思う。でも、わたしがひとつの文字を覚えるたびに、クインもわがことのようにうれしがってくれた。

 わたし、そのことがとてもうれしかったんです。


 そして、


 不器用だけど、不器用なりに、がんばって文字を覚えて、ひとつの言葉をつづりました。

 その最初の言葉。

 なんの変哲もない文字なのに、わたしの特別。


 この画用紙は絶対に捨てません。


 そこに書かれているのは、わたしの名前。

 わたしがわたしである証。

一番さいしょに自分の名前を書いたときの気持ち。その感動をどれだけの人が覚えているのだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ