これなーに は これなーに
番外編です。
本当は完結を未完結にして続けたらいいんでしょうけど、完結は完結なので、
こっちに別シリーズとします。思いついたらどんどんつけたしていく感じでいかがでしょうか。
唐突に気づいてしまった。
うわっ……、わたしの語彙力、低すぎ……?
思わず、口のあたりに手を当てて、戦慄してしまう。
わたし、この異世界に転生してから、早一ヶ月も経とうとしているのに、覚えた単語が百にも満たないとか、少なすぎませんかねぇ。
軽く状況整理すると、わたしは一ヶ月ほど前、この世界に神様の力で転移してきました。
言葉が通じない世界で困りました。以上。
まあ、なんか言葉の力で、魔法が発動するみたいですけど、そんなのはどうでもよくて、わたしが好きな人たちと十全にコミュニケーションがとれないのがツライ。
もっとお話したいと切に願う次第です。
「ううむ」
と、とりあえず落ち着け。
まだ慌てる時間じゃない。
わたしの場合、スロースタートなんて当然じゃないか。
自分ができる人間と勘違いするな。
今、ちょっとがんばる。
明日じゃなければ、大丈夫。
ちなみに、明日がんばるの明日は絶対に訪れない。これ豆な。
そんなわけで、わたしは単語力を重点的にあげようと決めた。
決めた……。
しかし、どうやって単語を増やせばいいのだろう。
『さっきから、しかめっつらしてどうしたです?』
傍らから声をかけてきたのは、ミニー。
猫耳の美少女で、なぜか着物スカートを着ている。
いちおう、この家では居候という形になるのかな。
まあ、わたしも厳密にはここの家に住まわせてもらっているのだけれども、わたしの場合は、たぶんこの家の子になっちゃってると思う。
その点は非常にありがたい。
ともかく、ミニーが何か言っているのは確かなのだが、肝心のその意味がわからないのだ。
この世界に来てから、いくつかの単語は覚えたものの、圧倒的に単語力が足りないのです。
困りました。
「ナイ……わからない」
『ん? 何がわからないですか?』
「……」
『んー。困りましたですね。わからないの対象がわからないから困ってるわけですか』
「ミニー」
『ん。なーに?』
「ミニー。かわいい」
『お、おふ。いきなり唐突すぎるです。でも、わかりました。ナイ、わからないことをごまかそうとしてるですね。ボクの目はごまかせないですよ』
「ナイはミニー好き」
『このごろ、ナイの悪女力が高まりつつあるように感じるです』
しかたないよ。
ぺったんこ座りしてるミニーの足が、どうにもすべすべしてそうで、かわいいんだもん。
わたし、足フェチじゃないですけど。
しかし、まあなんとなくわかったよ。
わたしが現状をブレイクスルーできない理由。
それはたったひとつの単語に集約される。
"この単語"を知らないばかりに、わたしの言語習得が遅れているに違いない。
『これなーに』
これだ。
これさえわかってしまえば、わたしはすべての単語を制圧できる。
まるで爆撃機で絨毯爆撃するかのごとく……。
圧倒的な制圧力をもって、知らない単語を……駆逐してやる。ひとつ残らず駆逐してやる。
☆
そんなわけで考えました。
いったいどうすれば、『これなーに』に値する言葉を教えてもらえるのか。
ふっふっふ。
そんなのカンタンだ。
わたしは既にそのやり方を知っている。
「ふぃへ。ふぃへへへ」
あー。なんというの。
あれだよ。あれあれ。
例のさぁ……。
わかるでしょ。
いわゆる"前世知識チート"っていうのかな。
この意図に気づいたら、みんな驚くかもしれない。
わたし、天才扱いされちゃうかも。
わたし、またやっちゃいました? 的な。
いやあ、照れます。照れます。
『なんかいきなり照れ顔になったナイもかわいいです』
「か、かわいくない」
『否定しなくてもいいですよ。ナイはめちゃくちゃプリティですよ』
「むっ」
小学五年生くらいの女の子にぎゅ―っとされる事案発生。
言ってませんでしたが、わたしも今こそ小学五年生の身体ですが、元はおっさんでした。
ですので、その点を指摘されましたら、非常に犯罪性が暴かれることになるかと思います。
ええ。
まあそれはそれとして、『これなーに』を知る方法ですが、実にカンタンです。
まず、適当な画用紙を用意します。
幸いにしてこの家はおそらくかなり裕福なので、画用紙くらいすぐに見つかりました。
そして、クレヨン。
これも同じく見つかりました。
一応、今いるのはわたしの部屋にあたる場所ですし、そこで見つかったものですから、わたしが自由にしてもいいでしょう。
そんなわけで、この画用紙に、めちゃくちゃにぐちゃぐちゃに、のっちょりのっちょり、むっちゃりむっちゃり書きなぐります。
まるでどろんこ遊びをクレヨンでしているみたいで爽快です。
色だっていろいろ。
さまざまな色をくみあわせも考えることなく、勢いだけで塗りまくりました。
できあがったのは当然、なんとも形容しがたいカオスな絵。
見ようによってはカラフルな毬藻のように見えるだろうし、できそこないの牛のようにも見えるし、南国にもしかしたら存在するかもしれないちょうちょに見えるかもしれない。
「はい。ミニー」
そして、それをミニーに見せる。
つまり、そういうことだ。
こんなわけのわからないものを見せられたら、相手はこう言うしかない。
『これなーに』って。
もちろん、元ネタが存在する。
確かどこかの民俗学者さんが、まったく言葉の通じない人たちのところにいって、最初に行ったのが、このぐちゃぐちゃ画伯法である。
最初に『これなーに』を知るのに、こんなに適した手段はない。
さあ。
ミニーよ。
これが前世知識チートだ。
『あ。クロウマですね』
「"くろうま?"」
『そうです。"クロウマ"ですよ』
わたしは悟った。
「これなーに」=『クロウマ』である。
つまり、わたしはこれから、ことあるごとに『クロウマ』といえばよいのだ。
そうすれば、みんなわたしに教えてくれるだろう。
なんだろう。この発明。
この画期的なっ。天才的な発想っ。
わたしがしたわけじゃないけど。
天才的すぎるっ。
名前忘れちゃったけど、民俗学者しゃま、しゅごいっ。
さすみんっ!
つまり、客観的に見て、わたしもすごいのでは。
やばい。
ほめて。
ほめてミニーちゃん!
『ナイも変なもの知ってるですねー』
「あ、あれ?」
なんか微妙な反応なんだけど。
おっかしーな。
この場面。こんなやり方で『これなーに』を取得しちゃうなんて、すごい。
なんて天才なのって褒められる場面なんじゃ……。
あ、そうか。
ミニーはそこまで気づかなかったんだ。
単純にわたしがむちゃくちゃな絵を描きたかっただけと思ってるのかもしれない。
だとすれば、しょうがないな。
うん。ぜんぜんしょうがない。
こんな汎用性の高い言葉なんて、いつだって使えるし、すぐにわかってくれるさ。
さーて、まずは"何"を調べよう。
ふひひ。
☆
お昼ご飯の時間になった。
わたしの保護者にあたる素敵な女性、クインがわたしの隣に座る。
そして、ミニーのお母さんアニーもいっしょに食事をとることになる。
クインは、簡単に言えば犬人間って感じ。
サイズはかなり大きくて、小学五年生くらいはあるわたしがまるで幼稚園児くらいの大きさだ。
アニーはまあ普通かな。ミニーがそうであるようにアニーも猫耳をしている。
さて、そんなお食事の場面。
まずは、出された食事。シチュー。明らかにシチュー。
この異世界の文明力はなかなかに高く、たぶん中世レベルではない。明らかに近世に近い感覚がする。
いまだに、銃とか大砲とかの気配はしないけれど、それは魔法があるせいかもしれないな。
ともかく、シチューである。
なんの変哲もないシチューであるが、わたしはこれが何か知らなかったのだ。
いま、わたしは知る。
こいつをまずは駆逐してやるっ!
「"クロウマ"。これ"クロウマ"」
ガタっ。
ガタガタっ。
いきなり、立ち上がる面々。
な、なんですか。いったい!?
「ね、ねえ。いま"クロウマ"って言わなかった?」とアニー。
その顔には焦り顔が浮かんでいる。
「え、ええ……。そんなふうに聞こえたんだけど」とクイン。
その顔には困惑が浮かんでいる。
というか、犬顔なんで、あまり判別つかないんだけどね。
いつもの優しげな声に困惑の声色が混ざっているんで、そう思う。
「そういえば、さっきも"クロウマ"描いてたです。まさかナイって……』
ミニーもなにか蒼ざめた顔をしていた。
どういう状況なんでしょうね。これ……。
なんか忘年会の一発芸を無理やりやらされて、しかたなくアニソンを歌ったら思いっきりどん引きされてしまって、どうしようもなくなってしまったような、そんな空気だ。
なんなの。
これなーにって聞くのが、そんなに悪いことだったの。
涙目なんですけど。
わたし、ものすごく涙目なんですけどっ。
泣いちゃってもいいよね。だって、女の子だもん。
「クイン……」
『あ、ああ、よしよし。どうしたの。ナイが変なこと言うから心配しちゃったじゃない』
『あの、つかぬことを聞くけどいいかしら』
『なに、アニー?』
『このシチューの中、まさかとは思うけど、クロウマ入れてないわよね』
『入れるわけないじゃない。というか、私、あなたといっしょに料理つくったわよね』
『そういえば、そうだったわ……。じゃあなんで、いきなりこれをクロウマとか言っちゃったのかしら』
『ナイ、さっきクロウマ描いてたですよ』
みんなして、"これなーに"を連発している。
どうしてこうなった!?
どうしてこうなった!?
わけわかんないです。
本当もうどうして、普通にこれなーにって聞いているだけなのに、こんなに混乱しているんだ。
シチューさめちゃうよ。
☆
答え合わせという名の後日談。
わたしは森の中に来ていた。
もちろんミニーもいっしょ。
この森の中には魔物が住んでいて危険だからね。
超がつくほど強いミニーがいっしょなら安心って寸法だ。
ああ、それにしても空気がおいしい。
なんて晴れ晴れしい気分なんだろう。
"クロウマ"に出会わなければもっとすがすがしい気分だったろうな。
そいつは――。
画用紙に、めちゃくちゃにぐちゃぐちゃに、のっちょりのっちょり、むっちゃりむっちゃり、無秩序にさまざまな色を塗りたくったような色をしていて、ぐちょんと輪郭が揺れて、基本は毬藻みたいな形をしているんだけど、常にそうではなく、もうよくわからないカオスな物体だった。
いや、生き物だった。
グバァという大きな音を立てて、そいつ――クロウマが息を吐く。
カラフルなんです。
色がいろいろ。
とてもきつい。
こんな落ち着いたパステルカラーで彩られた世界に、突如鮮烈の原色そのままのそいつが、ぐちょ、ぐちょっといいながら、細かい手足を生やしたりしながら近づいてくる様は、もうなんというか、ホラーとしか言いようがない。
「ほーら。ナイが好きな"クロウマ"ですよ。最近はとんと会わないから、てっきり絶滅してたと思ってたです」
ミニーが刀でクロウマを指差しながら、何か言っている。
ええ、もうわかりました。
わたし、わかりましたからぁ。
絵の具のような体液をまきちらしながら、徐々に近づいてくるそいつ。
もう恐怖でしかない。
わたしは、この世界の魔法。神言を唱える。
「た、たおれて」
『ぐっヴぁああおぇぇええあああ』
いやあぁぁぁぁ!
丸いカタマリが横向きになっただけだよ。
これ倒れたといわないよっ。
『ナイは怖がりですねえ。クロウマはほとんど戦闘力はないですよ。ギルドランクでもDランクのそこらの村娘でも倒せるくらい弱いですから。ただ単に日光に当たったくらいで死んじゃったりする儚い生物です』
『ぐぼぼぼぼぼぼっぼおっぼぼぼぼぼば』
なんだろう。
誰かがどこかで溺れているようなそんな声を出している。
「き、斬るぅ」
『ぎょばばばばばぁあっぁぁぁぁ』
『ああ……、あんまり物理攻撃は効かないようです。神言でも斬属性はあまり効かないですから。燃やしたりするほうが楽ですよ』
「斬る。斬る。斬るぅ」
べちゃ。
べちゃちゃって感じで、体液が撒き散らされてるんですけど。
やだ。
穢されちゃう。
『あれ? ナイはクロウマのことが好きだったんじゃ?』
「ナイ。クロウマ……好きじゃないっ!」
『えー? あんなに夢中になってクロウマ描いてたですが、違ったんですか?』
「嫌い嫌い。ミニー。斬って! クロウマ斬って!」
もう恥も外聞もない。
わたしはミニーに抱きついて頼んだ。
この気持ち悪い生物をぶったぎってくださいと。
ミニーさんお願いします。
なんでもしますから。
『しかたないですねぇ。まあ、斬撃に強いっていっても、程度があるです。ボクみたいに音を切り裂くように斬ればっと……』
サク。
まるでバターでも斬るように簡単にクロウマは切断されたのでした。
めでたし。めでたし。
☆
だめだ。
そんなんじゃだめだ。
だめなんだよ。
わたしはリベンジをしていた。言うまでもない。これなーにリベンジだ。
あんなむちゃくちゃな生物がいるなんて知らなかったんだからしょうがない。
だから、今度こそ。そう、今度こそという気持ちだ。
もう少し幾何学的ならどうだろう。
こう、こんな感じ。
うーん。我ながらすばらしい。
線形が素敵なカオスアトラクタを形成している。
ああ、美しい。
こんな芸術性のある線を描けたなんて、わたしの才能は計り知れないな。
この人間的な角度。
直角と微妙な曲線で構成された生物なんて、絶対にありえないだろう。
絶対に。
絶対にだ!
「あ、ミカンウマですね。ナイって絵がうまいですね。すごいすごい」
ミニーになでられている。
そして褒められている。
けれど、どうしてだろう。
とても嫌な予感がするんですが……。
わたしがミカンウマについて知ったのは三日後のことだ。
とっても綺麗なカオスアトラクタだったよ……。
結論。
異世界で、こんなものはありえないだろうと思って絵を描いてみせても
『これなーに』
が得られるとは限らない。
そういうわけで、またさようなら。
追記。
開始十秒で誤字を発見。
誤字を駆逐してやる。ひとつ残らず。うわああああああっ。