二十三話〜約束〜
*1*
サエは一人、崩壊する世界に取り残されていた。
大樹の崩れる音、大地の割れる音、そして人々が逃げ惑い、死に絶える時の声がサエを包み込む様に襲っていた。
その恐怖にサエはしゃがみ込み、小さな体を更に小さくさせていた。
「怖いよ…怖いよ…。賢治…怖いよ…。」
サエは囁く様な小さな声で、この恐怖と戦っていた。そしてサエの目の包帯からは、涙が滲み溢れ出ていた。
しばらくすると、自分の事を呼ぶ小さな声が聞こえたが、周囲の轟音のせいでよく聞こえ無かった。
だが、それは次第と大きくなり、サエの耳にはっきりと聞こえて来た。
「サエ!サエっ!」
その聞き覚えのある、そしてその声を聞きたいと望んでいたサエは、一気に体温が上がっていくのを感じ、その声の主の名前を出した。
「…賢治?賢治なの?」
「よかった…サエ!」
サエはハッとして顔を上げる。
「サエ、大丈夫か?俺が来たから、もう安心して良いからな。」
サエはいつもと何か違うと感じていた。そう、自分の影の中に賢治を感じないのだ。だが、サエの頭にフワッと優しい感触がしたのをきっかけに、サエは声を上げた。
「賢治…!賢治が来てくれたの…?」
「あぁ、サエ。遅くなってごめんな。一人で恐かったろ。でも、良く頑張った。えらいぞ、サエ。」
賢治はそう言うと、サエの真っ白な髪の頭を優しく撫でてあげた。
サエは賢治の胸へと飛びつく様に抱きついた。そしてその温かい賢治の胸に顔を埋め、何度も何度も叩いた。
「バカ賢治!ずっとずっとずっと一人で待ってたんだから!バカバカ…ばかぁ…。」
サエは賢治の胸の中で喚く様に泣いていた。どんな能力を持っていても、やはり小さな女の子に変わりは無かったのだ。
「ははっ。ごめんな、サエ。もう、一人にしないからな。だからそんなに泣くなよ。」
サエは賢治の胸に顔を埋めたまま、小さく囁いた。
「泣いてないもん…。」
賢治がサエの事を優しく抱きしめたその時、賢治の体に先程とは全く違う衝撃が走り、そして吐血した。
「うっ…う…。ハァ…ハァ…。」
その異変に気付き、サエは賢治の胸から顔を上げ、見えな目で賢治を心配そうに見つめた。
「…賢治?どうしたの…大丈夫?」
賢治は向こうの世界で、強くサエの事をイメージした。そして、そのイメージと自らの持つ能力を無意識のうちに最大限に引き出し、実体としてサエのいる世界に現れた。
だが、その弱った身体には負担が大き過ぎたのだ。今や大樹が崩壊し、大樹からのエネルギーを借りれない賢治の身体は、時間を追うごとに弱っていった。
「大丈夫だよ、サエ。ちょっと埃を吸い込んだだけだ。」
賢治はサエに感づかれない様、自分の身体に鞭を打って気丈に振る舞った。
「さっ、ここは危ないから少し移動するよ?」
そして賢治はサエをおぶってやり、崩壊する世界を歩いた。サエの小さな手が、賢治の肩をギュっと握っていた。
「賢治、ありがとね。」
*2*
賢治とサエは、まるでこの世の終わりとも言える世界の中を、ゆっくりと歩いている。所々瓦礫や亀裂があり、それを避けて歩く。
だが、弱りながらもサエをおぶった賢治の体は既に限界を迎えていた。
賢治の膝が、ガクッと折れた。サエは突然の事に声を上げる。
「きゃっ!け、賢治…大丈夫?アタシ、重い…?」
「ちょっと…重いかな。」
こんな時にも関わらず、賢治はサエを安心させる為にいつもの様に振る舞う。
「な、なによ!そんな事女の子にハッキリ言わないでよ!ばかっ!」
「ごめんごめん、嘘だよ。でもちょっと休ませてくれ。もう足がクタクタでね。」
賢治はおぶったサエをゆっくりと下ろし、二人で座り込んだ。そしておもむろにサエに問いかけた。
「なぁ、サエ。その…嫌だったら良いんだけど、一度ちゃんと顔を見せてくれないかな?」
サエは一瞬ドキッとしたが、小さく頷いてくれた。
「まぁ、いいよ…。でも笑わないでよね?」
ちょっとて照れながらそう言うと、サエは目の包帯をスルスルと解き始めた。その包帯は、サエの涙で湿っていて少し重かった。
「こ、これでいい?なんか恥ずかしいよ…ばか。」
そのサエの瞳は、透き通る様な淡いイエローをしていた。
そして賢治は、サエの真っ白で綺麗な顔を見て優しく微笑んだ。
「俺の思った通りだ。やっぱりサエは、かわいいな。」
サエはその一言にビクッと背筋を伸ばし、真っ白だった綺麗な顔を真っ赤に染めた。
「な…なっ…何よ急にっ!ばかばかばかっ…!」
サエと賢治は、崩れ行く世界の中で一時の幸せを感じていた。
「はははっ!照れてる照れてるっ。」
「も、もう知らないから!…でも、笑わないでくれて、ありがと。」
そして賢治はまた立ち上がり、サエをおぶって歩き出そうとした…その時。あの気配を感じて立ち止まった。
低く落ち着いた声は、賢治の神経を突き刺すように刺激した。
「賢治か…。よくその体でこちらへ来れたな。」
エイジはヨロヨロとこちらへ歩いてきた。エイジも既に力を使い果していたので、足つきが覚束なかった。
「賢治…もしかして、アイツなの?」
サエは不安に駆られて、更にきつく賢治の肩を握った。
そしてエイジは、サエの存在に気付き、その容姿から自らに染み付いた憎悪を滲ませた。
「…ん?その髪の色…そしてその目…。まだ生きていたのか。あの女の…。」
賢治とサエは、エイジからただならぬ憎悪を感じた。
賢治はすぐさまサエを下ろし、軽く頭を撫でながらサエに言った。
「サエ、ごめんな。とりあえず今、君を向こうの世界に送る。いいね?」
「どうして…?賢治は…?」
サエは狼狽えた。何かを感じたのだ。それは恐怖や危機では無く、最も恐れる”別れ”の予感だった。
「やだよ…賢治も一緒がいいよ…。」
淡いイエローの瞳から、大粒の涙が流れる。賢治はそれを優しく拭ってあげた。
「いい子だから、な?サエ。」
賢治は向こうの世界にいる二人に意識を集中して、話しかけた。
ーー土岐田、エミさん。聞こえてるか?
土岐田とエミは、すぐさま反応した。
「賢治か!?今何処にいる?何があった!?」
「賢治くん…。」
ーー詳しい説明は後だ、時間が無い。今すぐサエをそっちに送る。小さな女の子だ。
「お、送る?なんの事だよ?」
ーーいいから聞けっ!頼む…。
「賢治…あぁ、わかった。で、何をすればいいんだ?」
ーー悪いな、土岐田。サエを、サエを匿ってくれ。
「わかった。それなら早くしろ!お前も来るんだよな?」
ーーすまない、今はサエだけだ。俺はまだ、やる事がある。頼んだぞ、土岐田。エミさん。
そう言い終わると、賢治はサエの頭に手を置いて、持てる力を全て使い、サエのイメージを向こうの世界に投影した。
「賢治…賢治も来て…お願い…。」
賢治はニッコリと笑って、サエに言った。
「後で必ず行くよ。だから向こうで待っててくれ。俺が戻ったら、一緒にオムライス食べような。約束したもんな、サエ。」
サエは賢治の優しさに、涙が止まらなかった。
「うん…うん…。やくそくね…。絶対だよ、賢治…。」
「あぁ、約束だ。」
そう言うと、賢治はグッと力を入れ、サエを送り出した。
*3*
土岐田とエミのいる場所に、ぼんやりと影が現れ、そこにスッと小さな女の子が現れた。
サエは意識を失っていたが、大きなダメージは無かった様だ。
「しっかりして!サエちゃん!サエちゃん!」
エミはサエを抱きかかえ、治癒のイメージを送った。
そして、ゆっくりとサエの目が開いてあの淡いイエローの瞳が露わになった。
「うっ…賢治…賢治…。」
「サエちゃん!大丈夫?今良くしてあげるからね!」
エミは更に治癒のイメージをサエに送り続けた。そしてサエは完全に意識を取り戻す事が出来た。
「こ、ここは?……えっ?ど、どうして…?」
サエはゆっくり起き上がり、自分の両手の平を見つめていた。
「ア…アタシの…手?アタシの…服?何で…どうして、見えるの…。」
サエの視力が回復していた。これはエミの治癒の力では無く、サエ自身がこちらの世界に実体として来た為、大樹エネルギーによる代償の掟が自然と破棄された為であった。
「これ…これが…アタシ?」
サエはゆっくり顔を上げ、土岐田とエミの姿をその目で見た。その目は大きく見開き、初めての自分の目で見る世界に驚きと感動を覚えていた。
「アタシ、見えるよ…!目が見えるの!」
土岐田とエミは、サエの様子から”もう大丈夫だ”と一旦落ち着きを取り戻した。
「サエちゃん、賢治は…賢治はどうした?何処にいて、何をしている?」
土岐田は少し強くサエに問いかけた。サエは、下を向き小さく言った。
「また、アイツが来たの…賢治のお父さんが。それで、賢治はアタシの事を逃がす為に…うっ…うっ…。」
サエはすぐに賢治の事を思い出し、また涙を流し始めた。
「サ、サエちゃん。大丈夫だよ、ね?賢治くん、絶対に戻ってくるから…な、泣かないで…お願い。サエちゃん…。」
エミは賢治と同じように、優しくサエを抱きしめた。
そしてその時、更に大きな地響きがした。土岐田達のすぐ目の前のビルが崩壊し、大きな地割れが起き、ビルはその割れ目へと吸い込まれて行った。
「賢治…早く戻って来てくれ…。」
土岐田は賢治を案じ、祈る事しか出来無かった。
そして振り返り、サエを見つめる。
サエの小さな手と真っ白なワンピースが、賢治の血で赤黒い大きなシミを作っていた。
*4*
賢治は朦朧とする意識を奮い立たせ、またゆっくりと立ち上がった。
「まだそんな力を残しているのか。だが、それもここで終わりだ。」
エイジが今にも息絶えそうな賢治を見て、更に非情な言葉を放つ。
「先ほどの小娘、あの女の直系の子孫だな。まぁ、ここで小娘を殺さ無くても、こっちの世界でお前を殺せば、どの道あの小娘は死ぬ。つまり、向こうに送ったお前の力は無駄だったのだ。」
賢治は息を荒げながらエイジを睨みつける。
「黙れ…。」
エイジはゆっくりと賢治の元へ歩み寄る。その途中、大樹の破片を片手で拾い上げ、鋭く尖った先端を賢治に向けた。
「どうだ?もう動けないだろう。このままこの世界にお前を置いていけば、崩壊とともに死ねるだろう。だが、そうはいかない。お前達は強い力を持っている。よって、ここでお前の命を絶つ。」
そう言うとエイジは、片手で尖った大樹の破片を持って、賢治の目の前に歩いて来た。
「残念だったな。賢治。」
その時、大樹の破片が勢い良く、そして迷いなく賢治の体を貫いた。




