7.隠された想い
考えた。考えた。必死になって考えた。
自分にとって、一番大事なことって何なのか。
それは本当だったんだ。
「病気……って?」
突然現れた単語に、カガは目を丸くしています。
「千尋君は、重い病気にかかっていた。日本にいた頃から。――いえ、むしろ? それが外国に渡ったきっかけですね」
「……」
いずみが桜に向かって訊きますが、桜は俯いたままです。一方のカガは突然の展開についていけません。
「病気って……。え、だって、外国に渡ったのは千尋の父親が行ってたからで……」
「いや、多分、千尋君が病気でなかったら、外国に行くこともなく、お父さんは単身赴任を続けていたと思う。たまたま千尋君が渡ることになった先にお父さんがいたってことだね。――なんとまあ、哀しい偶然だね。誰にとっても」
「千尋君は、運が良かったと仰っていましたわ。そういう子なんです」
桜がいずみの長い話を遮ります。桜色の着物を着こなす白髪のその女性――そう見えるだけですが――の表情はとても穏やかな表情でした。
いずみが頷き、「ずっと千尋君は話をしていた。貴女相手に、人間相手には話せないことを」
その言葉にカガも悟ります。「ああ、だからベンチも……」
見えないことに悔しがる依頼主。見えないことに感謝する依頼主。相反する思いのようで、でも、その根本は同じ。カガもいずみの相棒として、今まで沢山、そういった依頼主を見てきました。
「千尋もそうだったのか……」
依頼主の中には使われていた頃、人間の愚痴の聞き役になっていたものも多く、水車堂に訪れる大きな理由の一つでした。
――つまり、千尋も。
「千尋も、桜に本当のことを……」
モノの表情も言葉も分からない人間たちは、誰にも言えないことをモノ相手に明かします。
――自分にだけ明かされる持ち主の「本音」。その立場に喜びを感じながらも、それだけでしかない自分に悔しいものを感じるのです。
「いつも、私相手に千尋君は話していきました。ご自分の悪くなっていく病気のこと。そのことでお母さんに迷惑をかけてしまっていること。もう学校にもいけなくなったことも」
「よくそれでピアノ教室になんか通ってたな」
カガが口を挟むと、桜は悲しそうに頷き、「それもやっとだったみたいです」
「我が儘を押し通したと仰っていましたわ。病気のことを教室の皆さんには隠そうとなさっていましたわ」
「だから、教室の前後はベンチに座っていたんだね。貴女に愚痴を聞いてもらうのもだけど、多分もう歩けなかったんだ。お母さんが車で迎えに来てたっていうのもそれが理由。出かけるためって誤魔化しながら」
「ええ……。特に、千春ちゃんには知られたくなかったのです。だから必死に元気な「フリ」を続けていましたわ。教室の先生にもご協力していただいて」
「さすがに、大人は知ってたんだね……。教室を移るどころじゃなかったんだ」
「千尋君にとっては、ピアノ教室に通い続けることが一番大切なことだったのです」
「たとえ、学校に行けなくなってもか……。大人はその意志を酌んでいた訳か」
いずみと桜の話す、明らかになっていく千尋の真実を理解していくカガが呟きます。
必死だったのでしょう。悪くなっていく自分の身体。それに伴い、行けなくなった学校。満足に歩くことも出来ず、一人で出来ることが無くなっていく中、未だ幼い少年に残された、ただ一つの希望。
「ピアノ教室に通うことだけが、その時の千尋君の生き甲斐だったんだね。――他の何を犠牲にしても」
「ええ。もちろん平気だった訳ではございません。沢山の罪悪感がいつもあの子の中には。ただでさえ、母子家庭でしたのに、沢山迷惑をかけてしまっていると、再三仰っていましたわ。お母さんご本人には話せないでしょうから」
「そうやって、お母さんや先生、千春さんには言えないことをずっと千尋君は、貴女にいってたんだねえ。――それがしばらくは続いた」
「――ところが?」カガが促します。もう、その続きは大方予想出来ていましたが。
「それすらも病魔は奪った」
「……」
「千尋君は、沢山迷われた。迷われた末の決断でございました。その上で、千春ちゃんに会われたのでございます」
いずみが頷き、「それが、あの約束を交わした理由」
限界が近づき、それでも抗い続けた千尋。ピアノ教室だけは必死で頑張って。ところが、それすらも支障が出る。千尋にとって、病気を知られることが、何よりも避けたいことだった。
病気とピアノ。苦渋の選択だった。
それでも、未練が残らなかった訳ではなかった。
いずみと桜、二人の交互に話すシーンが長いですね。っていうか、どっちがどっちかは判りますよね。三人?しか居ないし。最後の部分は因みにカガの考えたことだったりします。そういえば、ラストで二人出したいですね。