5.それぞれの約束《ねがい》
ずっと待っていた。
巡り来るいつか、君に逢う日を。そんな日が来ることを。
――たとえ、無理だと解っていても。
「ほら、行きましょう!」
「でも……」
何度、このやり取りを繰り返したことでしょう。――電車の中では流石にしませんでしたが。
先陣を切って歩くいずみさんの後ろを、千春はため息混じりに、躊躇いながらついて行きます。
――ああ、もう! こういう時に限って、カガ君は逆らってくれない。
少々、犬に八つ当たりしますが、この真っ黒な飼い犬は、ただ飼い主、いずみさんに引かれて歩いているだけです。人間だったら、ため息ぐらいついてくれているかしら。――ただの飼い犬とは思えない、この賢い犬に妙に、幻想を抱いてしまいます。
「もうそろそろですか、その公園?」
「ええ……。――いえ、ですから! その公園はもう無いんです!」
――これも、何度言ったやら。でも、いずみさんは聞いてくれません。妙なところで頑固らしいいずみさんの迫力?に圧され、一応、思い出の公園の場所を案内しています。お世話になり、恩を感じていますから、迂闊に断れないのです。
いえ、思い出の公園の「あった」場所、と言った方が良いでしょう。
千尋との約束から数年経った、ある年。公園は無くなり、駐車場になりました。その話を人伝に聞いた時、千春は、思いました。
――もう、本当に約束が叶えられることは無くなってしまった。と。
あの桜の木も、公園と同じ運命を辿りました。桜を愛した少年、千尋が去ったのと同じように。同じ場所に行ったとしても、桜の木の下に彼がいることは、もう二度とありません。
あの約束の日から数年。全く便りも無く、千春の側から連絡も取れず、いつしか思い出すことも減っていった少年。そんな中での知らせは、まるで本当に終わったような感じが千春にはしました。
――もう、全て消えてしまった。
その後、引っ越しをしたこともあり、その場所に足が向くことも無くなり、こうして行くこと自体が久し振りでした。
――あ、桜の花びら……。
千春の目に、ふと、花びらが一枚だけ映りました。その花びらを何となく目で追っていると――
「ほら、着きましたよ! 「ここ」で合ってますよね」
「え?」
やっと足を止め、顔を上げると――
――満開の桜。
「――って! ここじゃないですよ!」
「え、違う?」いずみさんはきょとんとしています。「でも、ここ、公園じゃないですか」
「でも…ここ……じゃない……」今にも消え入りそうな声で必死に否定します。――だって、そんな筈ない。
「でも」まるで”でも”の大安売りです。「でも、話してくれた通りですよ。小さな公園。その中央にそびえ立つ一本の大きな桜の木。古ぼけたベンチがあって、そして――」
ふと、言葉を区切って、公園を見渡すいずみさん。それにつられるようにして、千春も同じように眺めます。ですが、もう訳が判りません。
在る筈のない公園。在る筈のない桜の木。そして、居る筈のない――
そう、きっと、ここはただ近くにあるだけの公園。消えてしまった全てが甦る筈がない。だから、ただ似ているだけの、人――。
気付くと、千春は歩き出していました。カサッと桜の花びらでいっぱいになった地面が音を立てます。その音に、桜の木の前に立っていた青年が振り向きます。未だ若いその人は、千春と同じように驚いた顔をして、そして――ただ一言、呟きました。「はるちゃん……?」
「ち……ひろ君……?」
千尋です。成長し、立派な青年になっていますが、子供の頃の面影がどこかしら残っています。
――逢えた。ね。
「え?」その時、静かな所なのに、聞き逃してしまうくらい微かな声が聞こえました。思わず千春が振り向くと、カガを抱えた笑顔のいずみさんがいました。「ごめんね、もう引っ越すの」
「ええ!」初耳です。
「今日のためにいただけだから。私たちのここでの仕事はもう終わり。次の所にまた行かなくちゃ」と、立ち去ろうとします。
「いずみさん!」
千春が慌てて叫ぶといずみさんが一瞬振り返り笑顔を見せます。「これにて終了!」そう叫んだ瞬間、凄い風が起き、桜が舞い散ります。あまりの突風に目を閉じ、次に開くと、もうそこに誰もいませんでした。
「いずみさん……、カガ君……?」「何が起こったの?」
本当に……。そう呟こうとして、後ろを振り返ります。千尋が不思議そうな顔でこちらを見ています。そうです。千尋が居たんです。すると突然、千春が千尋の両肩を掴みます。
「!?」
千尋がびっくりして、俯く千春の両腕を逆に掴もうとします。「はるちゃん……?」
「消えないよね……?」
「え?」やっと顔を上げた千春は涙目でこちらを見ています。
「はるちゃ……」
「ひろくんは消えないよね……?」
千尋がハッとした表情になります。「うん」それしか言いません。それしか言えません。
――まるで、全てが夢のようで。全てが消えてしまいそうで。
「いずみさんとカガ君みたいに……。桜みたいに……」
「うん」
――もう、大丈夫。
消えることはない。ちゃんと残るから。それぞれの想いは。それぞれの胸の中に。
そのために私たちはいるから。
どこからか、いずみさんのそんな声が聞こえたような気がしました。
約束に関する話を書いていて、掲載日を遅らせる作者。わざとじゃありません。わっはっはっは。わー、千尋君より酷い。いや、一緒にするな、と抗議が来そう。まあ、気長に待っていて下さい、次回、最終話を。
絶対に終わらせる。といって、これも破ったりしてね。千尋君、本当ごめんなさい。