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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
聚散十春の誕生日
69/70

第五章

 ゆっくりと目を開けば、目の前には久しぶりな気がするあたしにとっての現実があった。

 青い空を貫く背の高い建物。空を飛ぶ車。異能力を利用した便利施設。

 あたしにとっては常識であり、無ければ不便とさえ思う日常の景色。

 ようやく帰ってきた時間。彼の……遠野(とおの)(かなめ)の高校生時代で起きた時空間事件を終えた後。西暦で言えば2017年から、2075年への未来への帰還。一体何日ぶりだろうか。

 約半世紀の時を越えたその先に、寂しさと安堵が綯い交ぜになった溜息が零れた。


「…………帰ってきたぁ……」

「疲れたか?」

「んー……どうだろう」


 隣から父親である透目(とうもく)が尋ねてくる。

 答えは、自分のことながら曖昧だ。一つの感情で今の自分を言い表せない。楽しくて、嬉しくて、寂しくて、安心して、疲れていて。この高揚感とも悲愴感とも取れる面持ちを簡単に言い表すことが出来るならして欲しい。

 けれども確かに感じていることは、あたしが今帰ってきたということ。


「……簡単な報告は私がしておこう。先に帰って構わないぞ」

「うん、ありがと、お父さん」


 気を遣ってくれたのだろう。本当ならば報告はより深く関わったあたしがするべき仕事だ。しかしそれはあの過去でして起きた事を事細かに思い出しつつ調書にする作業で、時間と集中力がなければ難しい事。もし今から報告をしようと思えば、ほぼ確実に22時を回る。

 色々な規定の関係上、18歳未満であるあたしは就業時間に制限がある。『Para Dogs(パラドッグス)』にはそれ以外にあたしを縛る幾つかの決め事が存在するが、それらを反故にすることは許されない。それは秩序を守る為であり、異能力を守る為であり、何よりあたし自身を守る為だと前にお爺ちゃんが言っていた。

 幾ら異能力を持ち、それが頼られているのだとしてもあたしはまだ子供だ。大人の言うことは聞いておくに限る。それに、お爺ちゃんに嫌われたくない……と言うのは数少ないあたしの願望だろうか。

 『Para Dogs』の建物に向かって歩いてく父親の背中を眺めていた視線を、そのまま『Para Dogs』と言う建物へ向ける。

 この組織の局長……最も上位に位置する人間として今日もどこかで忙しく働いているだろうあたしのお爺ちゃん。あたしの拠り所であり、あたしが間違いにも恋をしてしまった過去の彼の、未来の姿。

 と、そんな事を考えて脳裏を過ぎった彼の顔にやりきれない思いを募らせながら家に向けて歩き出す。

 今日は……お母さんのいる方の家に帰ろうかな。

 色々な話を今回の事で聞いて、家族と言うものが少しだけ恋しくなった。それだけの理由だ。

 足を出せばもう止まらない歩みが懐かしささえ覚える見慣れた景色を進んでいく。

 この辺りの建物は殆どが異能力に関係する会社のものだ。あたしも仕事の関係上訪れたことがあるところばかり。とは言えやはり子供のあたしだ。周りの視線などは想像通り。普段はあまり考えないし、特に今回の時空間事件では彼や彼女が近くに居たからいつも以上に考える機会も少なかった問題。

 子供のあたしは、あたしがあたしである事を自覚して振舞わなければいけない。異能力なんて、特別な力ではない。だからこそ周りはあたしを特別扱いする。その隠し切れない視線から逃げるように、今では他の会社へ行く事は避けている。そうしたいとお爺ちゃんに言ったら、便宜を図ってくれた。そのことには感謝をしている。それくらいにあたしは特別で、特別を望んでいないのだ。

 だからあの過去の時間は、嬉しかった。彼が……お兄ちゃんがお兄ちゃんで、あたしの事を妹だと言ってくれて。彼女が……異能力と言う繋がりを越えて友人だと言ってくれて。

 あたしがあたしのまま……『時空間移動(タイムトラベル)』と言う力を持つ明日見(あすみ)未来(みく)ではなく、ただの女の子としていられたから。ただそれが嬉しかったのだ。

 持たざる者が持つ者に憧れたり嫉妬するのを悪いとは思わない。ただあたしをみてくれなかったから、拗ねていた。それだけの事だ。みんな、あたしに期待をしすぎなのだ。あたしが天才なのではない。みんなが馬鹿なのだ。……そう叫ぶ事が出来たらどれだけ楽だろうか。

 けれど叫ばなくとも、そういられたあの過去が大好きなのだ。そしてそれは、あたしが居場所だと思える彼の目の前でも同じこと。

 異能力ではなく、ただ明日見未来を見てくれる彼。演技などしなくても肯定してくれる、あたしのお爺ちゃん。

 ……別に言いたい人は言えばいい。言ってしまえばただのお爺ちゃん子だ。けれどだからって何が悪いのだろう。あたしは何も悪くない。

 そんな風に自己嫌悪と承認欲求を綯い交ぜにした胸の内を、それから落とした溜息で体の外に吐き出す。

 考えたところで仕方の無いこと。無意味な事はシャットアウト。今を生きて目の前に縋るだけだ。時空間を旅する兎でも、今を生きている事に変わりは無いのだから。

 意味さえ分からない結論を道端に捨てれば、やがて辿り着いていた家。あたしにしてみれば実家と言う事になる子供の頃に生まれ育った家だ。

 感じる懐かしさは、お兄ちゃんのいた時代のあの家に馴染んでしまったからだろうか。染まりやすいというか何と言うか……どうやらあたしは移動先の時代に自分を適応させる事に関しては得意分野らしいのだ。これまでの時空間事件の解決でもその時代に合わせた振る舞いはそれほど苦ではなかった。その点は順応能力の高いお兄ちゃん譲りだろうか。

 けれど弊害なのか、長くいればいるほどに自分がその時代の人物だとより深く騙し込んでしまうのだ。だから時空間事件が長引いた後に終わるたび、今感じているように懐かしさと……そして僅かの違和感を覚えるのだ。

 特に今回はあたしの経験至上最も長くこの時代を離れた上、久しぶりの実家への帰宅。もしかすると後にも先にもこれほどに違和感を感じる帰宅は無いかもしれない。


「…………、ただいまー」


 思わず少しだけ躊躇って、それから挨拶と共に玄関扉を開く。身構えた感覚より少し重く感じたのは気持ちの問題だろう。しかし、直ぐには出迎えの返事が無かった。玄関の鍵が開いていたから母親がいる筈だが、二階にでもいるのだろうか。

 だったら親孝行と称してサプライズの一つでもするべきだろうかと脳裏を過ぎった頃、靴を脱いで上がった廊下の向こうから慌てた様子の女性がこちらへ歩いてきた


「未来……?」

「うん、ただいま、お母さん」

「なによっ、帰るなら連絡くらいしなさいなっ」

「ごめん。少し驚かせたくて」

「もうっ」


 おどけて答えれば、目の前の彼女は呆れたように笑う。仕草にボブカットの黒髪がさらりと揺れた。

 目の前の女性があたしのお母さん、明日見優菜(ゆうな)だ。黒髪に黒い瞳。何処からどう見ても日本人の……異能力を宿さない一般人。

 そしてお兄ちゃん……お爺ちゃんとお婆ちゃんの子供。つまりは要さんと由緒(ゆお)さんの一人娘だ。

 お兄ちゃんがそこまで至っていたかは分からない。話題にして詮索されると面倒だったから彼の前で話には挙げなったが……多分気付いてはいただろう。

 結婚の際、入籍には基本的に苗字は父方に統一される。これはお兄ちゃんのいた時代でも、そしてあたしの生きるここでも同じだ。

 あたしの苗字が明日見で、お兄ちゃんの苗字が遠野。由緒さんが去渡(さわたり)で、どちらにせよ関連性は無い。ならばあたしの苗字は外からやってきたもので、遠野の苗字が受け継がれていないと言う事は、遠野が母方、明日見が父方と考えるのが普通だ。

 また、幾ら『Para Dogs』の局長だからと言って、日本の伝統芸能や由緒ある血筋のように必ず家系を残さなければいけないと言う決まりもない。だから婿養子をする必然性もなくて……結果世間一般と同じく、父方の籍に彼女が入っただけの事だ。

 これらを冷静に考えれば、あたしのお母さんが二人の子供だというのは推理にもならない答え合わせだ。

 そんな彼女は、あたしやお婆ちゃんと違い異能力を持たない。異能力の発現に遺伝が関係ない事は既に常識だ。

 あたしとお母さんにはその隔たりが存在する。だからあたしは少しだけ疎外感や孤独を感じていて。父親である透目も彼の持つ異能力の制限による記憶の欠如や性差などから甘え辛さもあって。結果異能力の理解者としてまず第一に由緒さんが来る……筈だったのだ。

 けれど彼女もあたしと同じ時空間跳躍の異能力を持つ者として忙しい身で、そんな彼女に変わって優しく接してくれたのが『Para Dogs』で基本座って事務仕事をしているお爺ちゃん……要さんだったのだ。

 言ってしまえば孫可愛がり。あんな経験を刻んできたのだから半世紀後に生まれてくるあたしに過保護に接してしまうのは……まぁ分からないでは無い。そしてその優しさと、あたしの燻っていた甘えが噛み合って……出来上がったのがお爺ちゃん大好きなあたしなのだ。…………言っていて恥ずかしくなってきた。

 幾つかの要因が重なった、偶然とも必然と思えるあたしの幼少時代。よくお爺ちゃんのところへ遊びに行っては迷惑をかけていたお転婆だったと言うのは母親である優菜の話だ。もう何度聞いたか分からない。

 何にせよ、そうしてあたしの居場所が出来上がったのだ。何処に原因があるかなんて不毛な話。ただ、そんな過去の上に今のあたしがあるのだ。


「それにしても久しぶりね。一人暮らしは順調?」

「うん」

「しっかり食べてるの?」

「うーん……?」

「そう。お仕事が忙しいものね」


 痛いところを突かれて誤魔化せば、仕方ないと言う風に笑う優菜。その笑顔は由緒さんにそっくりで、確かに血の繋がりを感じて嬉しくなる。


「仕事はさっき一段落したんだよ。大きい仕事だったからゆっくり休みももらえるだろうし……だから久しぶりにお母さんの顔が見たくなって」

「あらそうっ。だったら今日は労いを込めて腕を振るおうかしら? 何が食べたい?」

「なんでも……って言うと困るんだよね。何が出来る?」

「だったら一緒に考えましょうか。それから一緒に作りましょう」

「…………がんばる」

「いい心がけね」


 普段の食事は基本外で買ったりしてしまう。と言うのは仕事が忙しいという言い訳。

 本当は料理が得意ではないと言うだけの事だ。お兄ちゃんの前では意地を張って出来るような事を言ったりもして少し後悔もした。ただ、サラダは料理じゃなく芸術品と言うのは本心だ。あれを料理と認めてしまえば料理を出来ない子扱いされても文句は無い。

 ……そう言えばお兄ちゃんは具体的にどういう女の子が好みだったのだろうか。例えば、料理が得意とか…………。


「何か良い事でもあった?」

「へ?」

「だってなんだか楽しそうだものっ」


 顔に出ていたのかもしれない。どうやらそれくらいにはあたしは彼のことが好きだったらしい。指摘されて恥ずかしくなる。


「良い事っていうか……仕事の事だからあまり詳しくは言えないけれど、まぁちょっと、ね」

「そう。……あぁ、あと言葉には気をつけなさい。言えない、じゃなくて言わない、ね」

「っ……!!」


 心の内を見透かされて肩が跳ねる。

 言わない、ならば言葉に滲む決意があるけれど、言えない、ならば言ってしまう可能性がある。それは言ってしまいたい、と言う欲求の表れ。

 そんな風に告げる優菜はやはり楽しそうに笑う。その意地悪な笑みに少しだけ母親の事が嫌いになる。

 言葉に厳しいのはお爺ちゃんの血だろうか。それ以上に彼女の職業が大きく関わっている気もするけれど。

 作家。特にミステリーの分野では今最も売れているといわれる新進気鋭の女流小説家。それがあたしの母親である明日見優菜の仕事だ。

 その仕事の影響か、言葉遣いやその裏に潜む真意を見抜く事に掛けては一級品。少なくともあたしは彼女に嘘を吐き通せたためしがない。

 母親としての目と、言葉の裏を探る知識に慧眼。そこから描き出される伏線に満ちた物語は身内贔屓を抜きにしても面白いと思える。

 だからかもしれない。あたしが尋問の方に興味を持ったのは。


「まぁ貴女の人生は貴女のものだもの。後悔をしないように生きなさい。大人が必要なら手を貸してあげるから」

「……子ども扱いしないでよ。あたしもう16だよ? しようと思ったら結婚だってできるんだから」

「親にとって子供はいつまで経っても大切な子供よ。それに結婚を考えるほどに好きになれる王子様が現れたの?」

「…………うるさいっ」

「あらさみしい」


 くすりと笑う優菜。そうすれば許されるのが分かっているのが余計に質が悪い。母親ながら同じ女として苦手だ。

 そういう意味では天然が許される由緒さんの方がやはり好きだ。

 エプロンの後ろを結んでもらうと、彼女から逃げるように距離を取って向き合う。


「で、なにつくるのっ」

「さて、何がいいかしらねぇ」


 楽しそうなのは彼女だけ。そう表情で示しつつ、久しぶりの親子の時間に胸の内へ湧き上がる楽しさを噛み殺す。

 あぁ、もうっ。お人好しは一体誰の遺伝なんだろうかっ。




              *   *   *




「っと」

「おかえりなさい、先輩っ」

「一緒に帰って来ておいておかえりもなにもないだろ」

「ノリが悪いですよぉ」


 帰還早々、隣の加々美(かがみ)から零れた声に歴史再現以上の疲労感を言葉にのせる。

 要の……局長の学生時代に起きた歴史再現。歴史的には、最初に異能力の観測された時間。

 その瞬間と、そして彼が『Para Dogs』を作るきっかけに携わったことにある種の恐れすら抱く。

 俺にしてみればこんな大きな仕事を任されるほど自分の事を評価できてなどいない。全て終わった今でさえも何故か実感だけは伴わない。

 それくらいにはターニングポイントともいうべき事象に関わった事実だけが、経験の過去として頭の中に残り続けている。

 一体何処で道を間違えたらこんな事に巻き込まれなくてはならないのだろうか。誇るのが怖い。


「それじゃあ直ぐに報告も済ませちゃいましょうかっ」

「あぁ、それだけどな。今回の任務の報告は、局長に直接しろって予め言われてるから」

「そんなのわたし聞いてませんっ」

「言ってないからな。てなわけでお迎えにあがるぞ」

「はーい」


 素直な返事は言い争いに本心が乗っていない証拠。その場のノリで生きていられて羨ましい限りだ。

 中身のない会話で予定を組み上げつつ『Para Dogs』へ。任務から帰った報告と簡単な手続きを済ませて今日の仕事を終わりにする。時間的にも既に夕方で、早上がりと丁度同じくらいか。

 申請が通った後加々美とロビーで合流すれば、彼女の見た目が『時空間移動』の赤髪から、見慣れた白髪へと戻っていた。どうやら『能力転写(コピー)』を解除してきたらしい。

 ……少しだけ安心してしまったくらいにはその姿の彼女が俺にとっては常識らしい。と、過ぎった色々な感情から目を逸らすように思考を切り替えて目的の場所へ。


「で、お二人は?」

「聞いたら外に出てるって」

「ってことはあの波止場か。丁度歴史再現が行われてる頃か?」

「かなー」


 歩きながらの確認は先ほど終えたはずの歴史再現の最後の詰め。

 彼と協力して行った『パラドックス・プレゼント』は確かに再現を終えた。けれどそれで物語が終わるのは空想の世界だけだ。事件が解決したって翌日は来るし、生きている限り時間は刻み続ける。本当の終わりなんて死以外になくて、結局は惰性だ。

 けれども個人的に納得を生み出して終わったと決着する事はできる。俺にとってはそれがこれからと言うだけのこと。


「それで、先輩は何を贈るか決めたんですか?」

「…………なぁ加々美、物ではなく気持ちだと思わないか?」

「それは受け取る側が言うべきことじゃないですか?」


 だったら教えてくれよっ。

 彼女には最愛の人がいて。俺は少し目を掛けて貰っただけの少年で。血の繋がりがあるわけでもない、他人からの贈り物が一体どれ程の意味を持つ。ましてやそんな曖昧な関係で許される最大限のお送り物とは何ぞやっ!?

 ……なんて、喚いたところで時間が止まったり神様が明確な答えを教えてくれるわけもなく。

 仕方なく用意したのはただの手紙一枚だ。

 まぁ一つよかったことと言えば、彼女に望みもしない物を贈らなくて済んだということ。計画を邪魔されたことにはやはり拭いきれない思いはあるけれども、あの過去で事件を起こし宝石店を燃やしてくれた彼には感謝のような何かを。


「加々美は何か贈るのか?」

「別に気取らなくてもいいじゃないですか。先輩は考えすぎですよ。本当に気持ちだけならお祝いの言葉だけでいいはずです」

「なんつうかドライだな」

「他人の心の内を勝手に推し量る方が無粋なだけです」


 本当に12歳なのだろうか……。どこか諦めたような物言いに視線を向ければ、隣の彼女はそれから逃げるように小さく零す。


「……子供らしく深く考えない方が気持ちが伝わるかなって、そう思うだけですよ」

「…………それもそうか……」


 なんだか納得してしまった彼女の言葉に小さく息を吐いて空を見上げる。

 西は茜に東は群青に。段々と夜の帳が迫り来る時間帯に頬を撫でる生温い風が胸の内の蟠った何かを攫っていく。一つ深呼吸すれば、考えすぎていた自分が馬鹿に思えて少しだけ楽になれた気がした。

 そんな風に考え事をしながらやってきたのは少し前に来た波止場。あの時よりも更に日の傾いた景色の中で仲睦まじく水平線の果てを眺める二人の空気に割って入る事を少しだけ躊躇しながらその背中に声を掛ける。


「局長、お迎えに上がりました」

「局長はやめてくれ。今日はもう仕事じゃないんだ」

「失礼しました……」


 被った仮面は『Para Dogs』としての観音楽(かんのんらく)。と言うのも、俺からしてみれば局長である彼と話をするのはこれが初めてなのだ。

 過去の出来事を覚えていたからその歴史再現に俺を指名してはくれたけれども。その時だって直接顔を合わせて話を聞いたわけではない。すべては書面上のやりとりだったのだ。

 だから当然、どう接していいか迷うし礼儀は欠けない。彼の事をよく知っているからこそ、その距離感に戸惑うのだ。

 そう言えば要と未来もこれと同じ体験をしたのだったか。自分にとっての再会であり相手にとって邂逅。自分だけが知っているという距離感。

 少しだけ違うのは、彼と俺は互いに知っていて、直接話だってしたのに、今ここでは立場だけが異なると言う事。だから不思議と、初めて話した気さえするのだ。だのに互いの事を言葉以上に知っている……ともすれば二人の時以上にちぐはぐな関係だ。

 だが足踏みしていても仕方がない。土俵で言えば彼も自分も同じなのだ。ならば考えるより行動が先。結局は覚悟の問題だ。そう自分に言い聞かせて、やり取りの中で距離感を探し始める。


「では……要さん、少しだけお時間を頂いてもよろしいですか?」

「あぁ、構わないよ。由緒もそれでいいか?」

「えぇ」


 俺の目的は彼の隣。優しく笑みを浮かべる彼女にこそあるのだけれども。一緒についてきてもらえるのならば機会を見て成すべき事を成すだけだ。

 了承を得て、二人を案内する。

 彼らを連れて行く先は局長にさえ秘密にしたもう一つのサプライズだ。話はこの時代の未来……俺が今し方解決してきた歴史再現を二年前に経験した彼女に通してある。

 彼女とも『Para Dogs』の観音楽として直接会って話をしたわけでは無い。けれどこの時代の未来はあのややこしい歴史再現の振り回された後の彼女だ。忘れようにも忘れられないほどに面倒だったあの出来事で、過去では分かり合えないままに納得した関係がたった一つの目的を介して今度こそ手を取れる。

 言ってしまえば彼女は俺の先輩で、憧れるべき人物だ。だから白状してしまえば……あの過去で彼女を振り回し続けた事に関してはずっと謝りたかった。

 けれどそれをあの過去でする訳にはいかなくて。戻ってきてもそこは彼女にしてみれば終わった二年後。

 それだけの時間が経って謝ることに意味があるのかと問えば、自己満足だと笑うほかない。

 ただ、謝らないままに曖昧にして自分が納得出来ないから、彼女に嫌われようともその筋だけは通すつもりだ。あと彼女に託した『音叉(レゾネーター)』も受け取らなくてはならない。

 理由と方便と目的を綯い交ぜにしつつしばらく歩き、公共交通機関を使ってやってきたのは彼の……局長の家だった。

 摩天楼の如き高層建築が並ぶ見るからな都会から少しだけ外れた落ち着いた雰囲気の住宅街。庶民の手の届かない高級住宅街とも言うべき場所に建てられた三階建ての一軒家が彼の家だ。その情報に関しては歴史再現の話を貰い、同時進行で俺自身の恩返しを計画した中で予め調べていたこと。

 ……今更隠す事もでない。俺にしてみればこれまでの事は全て前座だ。ただついでのように、大きな物事の恩恵に(あやか)って小さな自己満足をこなす為のカモフラージュ。そう割り切れたからこそ、俺は歴史再現をそれほど気負うことなく成し遂げられたのだ。

 全ては自分自身の為。

 考えつつやってきた彼の家の庭では予定通りの光景が広がっていた。

 それはバーベキュー。火が爆ぜ煙が昇るその場所からは既に空腹を刺激する匂いが広がり、目的を掻き消すかのように衝動を湧き上がらせる。

 人間も大概現金な話だ。生理的欲求には抗い難い。歓迎に驚いた様子の要と由緒が足を止めて小さく呟く。


「…………これは、一体……?」

「お二人のお祝いです」

「やっときたぁ」


 反応から見るにサプライズは成功だろうか。半世紀越しに彼が成した功績に比べれば小さな催しだが……だからこそとても現実味のあるお祝いかもしれない。

 言い訳をすれば、子供の力でできることなんて高が知れてるというだけの事だ。

 しかし彼と彼女を祝いたいと言う気持ちは必ずしも行動と等価では無いと。そう胸の内で嘯けば、野菜を焼いていた少女がこちらに気付いて不満のような声を漏らす。

 小さくついたあからさまな溜息。仕草に、着流した紅の長髪が鮮やかにゆれ、こちらを橙色の双眸が射抜く。

 その瞳が局長と由緒さんを経由してこちらを向けば、どこか安心したように笑う彼女────未来。

 先ほど別れてきたばかりの彼女より少しだけ背が伸びた姿。雰囲気も僅かに大人びただろうか。

 あの歴史再現から二年経った後の彼女は、過去で出会った頃よりも落ち着いた雰囲気で目の前までやってくると優しく告げる。


「お誕生日おめでとう、由緒さん。お祝いしたくて色々準備したんだっ」

「……そう、ありがとう。大変じゃなかった?」

「全然っ。それよりも由緒さんの為なんだから。今日はなんでも言って!」

「ふふっ、それじゃあ楽しませてもらおうかしら」


 これまで見た事がないほどに嬉しそうな笑みを浮かべる未来。その笑顔を見たら、これ以上首を突っ込む事が無粋に思えて躊躇する。

 ここで人知れず去った方が絵にはなるだろう。贈り物は、最悪後日になっても仕方がない。彼女達の血縁者でもないのに、その空気を壊したくは無い。

 そんな思いが過ぎって知らずの内に足を一歩退いてしまう。

 と、そうして逃げようとした背中に、それ以上の力で押し戻される感覚


「何処行こうとしてるんですか」

「いや、流石にこの空気を壊すわけにはいかないだろ……」

「意気地なしですね。これならまだ昔の要さんの方が男らしいですっ」


 逃げるのは許さない。そう告げるように腕に力を込めながら反論した加々美の言葉に、俺の面倒な部分が燻る。

 局長や未来に敵わないのは仕方ない。それは諦められる。けれど要と……幼馴染の気持ちから逃げ回っているような優柔不断と比べられて、(あまつさ)え彼より劣っているなどといわれるのは、流石に男として癪に障る。

 幾ら過去に失敗を抱えた俺であっても、現実から目を背け続けている過去の彼に劣るとは思わない。思いたくは無い。加々美に気付かされるのも情けない話かもしれないが、そこだけは譲れない一線だ。

 更に退こうとした二歩目をどうにか地面に縫いとめて前を向けば、こちらを真っ直ぐに見つめる未来がダメ押しのように告げる。


「楽さんもこの計画の共犯者なんだから逃げないでくださいね。もし逃げたら今回の費用全部押し付けますから」

「それは流石に横暴な……」

「それにこれはあの騒動のお疲れ様会の意味もあるんです。振り回してくれた貴方がいないと意味がないじゃないですか……」

「二年越しなんて幹事は何をしてたんだよ」

「後、楽さんとしたい話もあるんですから」


 そう言葉にされて完璧に退路を断たれる。流石にそれだけの理由を逃げ切るだけの言い訳が思いつかない。

 …………仕方がない。覚悟を決めて目立たないところで過ごすとしよう。


「わかったよ……」

「…………お疲れ様。それと、ありがとう」


 今言うのは卑怯ではなかろうかと。去り際に放たれた一言に決心が揺らぎつつ加々美に腕を引かれて輪の中へと入っていく。

 そうして催された誕生日会兼慰労会は、終わりが分からなくなる程に賑やかな盛り上がりを見せた。そこだけ見れば局長にも内緒で企画したこれは充分に成功だろう。

 ただ問題があるとすれば、その成功と俺自身の彼女に対するお礼は別問題だと言うことだ。サプライズの中で何度かタイミングを探してみたが、どうにも由緒さんは中々一人にならない。まぁ彼女にしてみれば慰労会や俺の目的なんて知らない話。彼女の為の誕生日会で、ここに来る前に最愛の彼からお祝いも貰っているのだ。主賓として当たり前のように彼の隣に居る事は何も間違いでは無い。もちろんお手洗いに抜ける事もあるが、流石にそれを狙って後ろを着いて行くわけにも行かない。

 ならばどうするべきかと色々考えてはみるが、どうにも俺と言う個人は加々美が言ったように意気地なしであるらしい、というのが結論だ。それは最早恋と表裏一体な優柔不断さで、要の事を笑えなくなる。

 いやぁ、世の中の臆面もなく好きだと口に出来る同性が羨ましい。俺にその素直さは備わっていない。

 そんな風に諦めのような納得を見つければ、見かねたらしい未来が声をかけてきた。


「…………いつまで足踏みしてるの? あの過去の威勢は一体何処にいったの?」

「……んなこと言ったら二年前の先輩だって」

「正当化なんてみっともない。それにあたしは告白だけはしてきたし」

「うわぁ……」


 予想外の告白に思わず引いてしまう。答えも返せないままにそれだけを突きつけられた要に同情さえする。由緒っちよりも彼女の方がよっぽど悪女だ。


「そんなにチャンスが欲しいなら作ってあげるから」

「別にそんな事一言も……」

「先輩。下げられる頭は持っておくのが大人だと思いますよ?」


 未来の言葉に男の意地が顔を覗かせる。が、その先を首を突っ込んできた加々美が諭すように遮った。

 年下にまで呆れられるというのはそろそろやばいのではなかろうか……。

 いや、今更な話か。失敗ばかりの過去をどう見たって愚かな人生にしかなり得ない。体面を保てるほどの自分がないのは要と同じだ。

 意地で恩は返せない。意味のない虚勢をゆっくりと吐き出した熱と共に体の外へと捨てれば、恥を忍んで頭を下げる。


「……お願いします」

「素直でよろしい。また今度一緒に仕事にでも行きましょう」


 楽しそうに笑った未来が、それからいつの間にか手に持っていた『音叉』で俺の額を小突く。小さく鳴ったラの音階に慌てて落ちる『音叉』を受け止めれば、既に彼女は背を向けて歩き出していた。


「……俺やっぱりあの先輩のこと好きになれそうにないわ」

「知りませんよ、そんな事」


 加々美も大概ドライなことだ。そういう意味では俺とはいいコンビなのかも知れないが。


「先輩、緊張して変なことしないでくださいよ?」

「言われるとやりそうだからそれ以上言うな」

「では頑張ってきてください」


 無責任に背中を押してくれた彼女は本当に俺に協力する気があったのだろうか。今になって疑問になってきた。

 未来が由緒を難なく連れ出す様に、あんな事ですら出来ないのかと自分が情けなくなりながら。準備をしてくると未来が言い残して、一人になった由緒に向けて声を掛ける。


「…………由緒さん」

「あら、久しぶりね」


 少しだけ驚いた様子でこちらへ振り返った彼女。頬を撫でた温い風が彼女の長く綺麗な白い髪を揺らす。

 未来にだって劣らない、大和撫子を体現したような落ち着いた雰囲気の大人の女性。

 過去の彼女を知っている身からすれば、その変わりように何があったのかと気になるけれども。それを知る事ができるのは要の……局長の特権だろうか。


「……俺のこと覚えててもらえたんですか?」

「えっと……七年前、かしら? 施設を抜け出した迷子君」

「その事は、忘れてください……」


 問い掛けに返った言葉に、恥ずかしくなって視線を逸らす。あの時の事は俺の中で上位の失態だ。

 思えば、俺が失敗してきたのは毎回異性絡みだと。母親に、加々美に、そして今の由緒に。

 少しだけ見方を変えれば、要にも劣らない主人公気質だろうか。にしては格好のつかない主人公もいたものだ。


「そう言えばどうして観音君がここに?」

「この会を企画したのは俺と明日見先輩ですから」

「あら、そうだったの。ありがとうね」

「いえ。それで、その……誕生日プレゼント、とは少し違うかもしれませんけれど、由緒さんにお礼を言いたくて」

「お礼?」


 深呼吸一つ。それからずっと準備していたその瞬間を目の前に重ねて、胸の内を告げる。


「七年前……俺と由緒さんがあそこで出会ったのは偶然だったのかもしれません。けれどその出会いに俺は救われたんです。貴女が俺の話を聞いてくれて。たった一時でも味方でいてくれて……。だから俺は今『Para Dogs』にいるんだと思います」


 俺が『Para Dogs』を目標にするきっかけを作ったのは、間違いなく目の前の彼女だ。失敗ばかりの人生で、その中に見つけた希望。それに気付かせてくれたのが由緒なのだ。


「だから、ありがとうございますっ。こんな俺の相手をしてくれて。俺に夢を与えてくれて。居場所まで作ってくれようとして……。今の俺があるのは、由緒さんのお陰です」


 嘘も偽りもない。飾らざる本心だ。たったこれだけの事を伝える為に、俺はあの歴史を再現してきた。

 これこそが、観音楽が彼女へ贈る七年越しの『パラドックス・プレゼント』。


「偶然……。『Para Dogs』にいて、あんな歴史再現をしておいて、そんな言葉で片付けてしまうの?」

「え……?」

「偶然なんかじゃないわ。あれは私にとっての再会で、君にとっての邂逅、でしょう?」

「っ…………!!」


 そうして零した言葉に返った音。そこに込められた真実に顔を上げて固まる。

 偶然、ではない……? 己の中でそう問い掛ければ、見落としていた当たり前の結論が脳裏を過ぎる。

 そうだ、彼女は、記憶を無くしていないでは無いか。あの時解いたのは後催眠暗示だけで、俺の情報を植えつけた『催眠暗示(ヒュプノ)』は消していない。それに彼女には記憶を改竄する為の条件がそろっていなかったのだ。

 透目の『記憶操作(メモリーマネージ)』は時空間移動の異能力保持者には効果がない。当然加々美でコピーをしたって結果は同じ。

 あの過去では要の記憶について焦点が向いていたが、俺が問題にするべきは彼女の方だったのだ。

 異能力に覚醒したのは彼女独り。後の歴史の中で増えていくとは、最初の一人と言うのは色々と問題がついて回るはずだ。それを考えれば要よりも彼女のケアが優先だったはず。それに気付いて誰よりも彼女の味方でいたのは過去の要だ。

 もちろんあんな非日常を忘れたくないと言う自己満足もあったのかもしれないけれど。五十年越しに誕生日を祝うくらいには由緒の事を愛している彼が由緒を一人にしようとするはずは無いのだ。

 何処までも客観視をして冷静に俯瞰できていれば、この答えには辿り着けていた筈。

 全く、歴史再現の案内人を気取っておいて自分自身の事ですら分かっていないなんて程度が知れる。笑い話にもならない阿呆だ。


「確かにあの時施設の外で貴方に()ったのは偶然かもしれない。捜して出会ったわけではないもの。けれど貴方と話をしてみたいと思っていたのは本当だし、家族に誘ったのだって本心よ。その事に関してはあの人も賛同してくれていたのだから」


 当然、由緒が覚えているのだから要も覚えている。ならば最初の疑問……どうして俺が歴史再現の片棒に選ばれたのか。そんなのは改めて語るべくもない事だ。彼自身が過去の事を覚えていて、俺がそこにいたから歴史通りに選んだだけ。その上で、もし必要ならと居場所まで作ってくれようとしたのだ。

 そうして、安心して正義を振りかざし、歴史を守る正義の味方になってほしかったから。

 本当に、徹頭徹尾、何処までいっても、今回の歴史再現は彼の手のひらの上だ。今まで全く気付かなかった自分に不思議にさえ思う。……いや、違うか。

 要よりも、俺の方が物語に憧れていただけのこと。登場人物に……主人公になりたくて、自分がすべき事を見失っていただけの、迷子だっただけなのだ。


「けれどその上で貴方が私に感謝をしてくれるなら、私にとっても嬉しい話ね。これでようやく、お互い気兼ねなくお話が出来るものっ」


 俺が過去の由緒を巻き込んで異能力と言うものに向き合わせた事に対しての感謝。これもまた俺と彼女の間に出来上がった『パラドックス・プレゼント』なのかもしれない。

 そう思えばようやく自分が自分の人生の主人公をしている気がした。




              *   *   *




 しばらくして戻ってきた先輩が今まで見た事がないほどに満面の笑みだった。好きな人を殴りたいと思うのは間違いだろうか。異常性癖と言う事にしておけば許してもらえないだろうか。

 湧き上がった衝動をたった干支一巡ほどの人生で身につけざるを得なかった理性の檻で閉じ込めてそのまま沈静化させつつ、もしこんな感情の動きを包み隠さず言葉にすれば一体どれだけの大人が子供らしくないと笑ってくれるだろうかと考える。

 ……少なくとも、育ってきた環境を理由にするような同情を振り翳す相手を好きにはならないだろう。だから彼を……過去の要さんを好きにはなれなかったのかもしれない。

 大人のように振舞わざるを得なかった環境に吐き気さえ感じながら、そうしなくてもいい大好きな先輩を迎える。


「……上手く行きましたか? それはよかったですね」

「まだ何も言ってねぇじゃねぇか」

「顔を見たら分かりますっ」


 可愛くない嫉妬だ。これだけしてもわたしの好意に気づかないなんて、本当に主人公してると思う。


「由緒さんが俺のこと覚えててくれたからな」

「当たり前じゃないですか。今更ですけれど、一番理解をしてなかったのは先輩ですからね?」

「…………そうだな」


 わたしは知っていた。由緒さんが覚えている事も。局長がこの計画を準備していた事も、全部。それらは全て先輩の事で直談判に行った時に局長から聞いた話だ。

 歴史再現のさわりを聞いてそれに手を貸し、先輩を支えて欲しい。それを約束してくれるなら、特例として先輩の後輩にしてくれる、と。

 先輩はわたしが無理を言って先輩のところに行ったのだと勘違いをしているのかもしれないけれど。最初に無理を吹っかけてきたのは向こうだ。その餌が都合よかったから、彼の話に頷いただけ。これだから大人は嫌いなのだ。

 その延長線上で過去の彼の事も許容できなかっただけのこと。最初は頑張ったけれども、やっぱりあんな薄情な損得の機械を簡単には好きになれない。

 現実は物語ではないのだ。相容れない思いや関係と言うものはどうにも存在する。わたしはその線引きが……許容できる器が小さいだけの事。子供だというならそう笑えばいい。わたしはまだ12歳だ!

 ……だからってそれを理由に女として見られないことには文句を言いたいけれども。

 本当、なんで気付かないんだろうか。こんなに分かりやすくアピールしているのに。いや、理由なら心当たりがある。それはきっとわたしの所為ではない。

 彼に目的があったからだ。目の前の色恋よりも、もっと遠くに見据えていた『パラドックス・プレゼント』。由緒さんに対する彼の感謝。

 物語の主人公を気取るに相応しい理由。

 けれどそれも、今し方成しえた。紆余曲折を経て。色々な人の手を借りて。意気地なしな彼が覚悟を振り翳し気付いていなかった現実と対面した。

 だから少しだけ不安もある。

 目的を見失った彼が、この後どうするのかが分からない。わたしは、目的に向かって邁進する彼を見続けてきたからこそ、それを達した彼が抜け殻になってしまうのでは無いかと心配なのだ。

 それはさながら復讐を果たしたその後の話。彼らは一体どうやってその後を生きていくのか……。

 参考を探して頭の中を旅すれば、前に先輩に借りて呼んだ漫画が脳内検索に引っかかる。

 そのキャラクターは、生きる意味を見失ってその日暮らしを繰り返す中で、ふとずっと傍で支えてくれていたヒロインの存在に気付くのだ。彼女がいたから自分は復讐を果たせた。自分の野望に彼女を最後まで付き合わせてしまった。

 だから今度は、彼女に償いを……恩返しをしようと足元と目の前に焦点を合わせるのだ。

 そこからは確かラブコメ要素が強くなっていくのだったか。物語のジャンル転換と見るか、初めから予定されていた完結への最終章と見るかはその人次第。わたしには後者に思えたその作品だったけれども、バトルを目的に読んでいた先輩は納得し難かったらしく、路線変更だと譲らなかった。

 ……いや、先輩の頑固な部分はどうでもいい。

 もしわたしが知る少ない見識から同じ道を辿るのならば、わたしにもチャンスと言うか……ここからが本編ではなかろうかっ。

 騒動は解決。要さんもきっと過去では由緒さんへ告白をしていることだろう。ならばその波に乗っかってわたしと先輩が巻き込まれても何の文句も────


「加々美」

「はいっ」

「食べに戻ろうぜ。安心したらまた腹が減ってきた」


 …………先輩。いいですか。絶対にこちらに振り返らないでくださいね。振り返った瞬間思い切りそのお腹に全身全霊のジャンピングソバットを叩き込んで空腹よりも強い睡眠欲求でベッド行きですからね? 12歳の女の子舐めないでくださいよ? 食べ物の恨みよりも尚恐ろしい大罪がこの世には存在するんですからね。


「あぁ、後な…………」

「先輩の────」


 最早それはプログラミングされた反射行動。首がこちらを向こうとした予備動作から捻った体が、加速を経て左の足の裏に全てを束ねる。そこには当然女の子の絶対禁秘情報と、そして言葉にならない幾つもの感情を累乗で足りないほどに重ね掛けしたエンチャントが宿って、必死にして必殺さえ有した未来を手繰り寄せる一撃を放つ────気概が、続いた言葉で爪楊枝よりも簡単に折られた。


「待っててやるからゆっくり着いてこいよ」


「馬……かぇ?」

「どぅおおぉあっぶねぇなぁ!? いきなり何すんだっ!?」

「なっ、それってどういうことですかっ!?」


 不意の言葉から緩んだ一蹴が寸前でかわされて、行き場をなくした感情が地面に突き刺さるのと同時。次の瞬間には先輩の襟元にしがみ付いて詰問をしていた。


「は、離せっ! くるしっ……! つか、謝罪は、無しかっ?」

「もう一度言ってくださいっ!」

「謝罪は無しかって……」

「そっちじゃないです!!」


 先輩の声は聞こえている。聞き逃したくないほどに聞こえている。

 だからこそ先ほどの言葉が聞き間違いでは無い証拠を今一度ここに示して欲しいのだ。

 だって、それは…………その言葉は…………!


「……待っててやるから早く大人になれって言ったんだよ…………」

「せんぱいのろりこぉんっ!!」

「ちぃげぇええぇだろぉおおお!?」


 違わなくない! 先輩はロリコンだ! 誇り高きわたしだけの王子様だっ!

 最早嬉しいのか悲しいのか分からなくて涙が出てきた……!


「俺はただ……って、なんで泣いてんだよっ?」

「うるさいですっ、ロリコンのばかっ!」

「そんなにロリコン連呼すんなっ」

「へんたいのせんぱいっ!」

「逆だろそれぇ! つか逆でもやだわっ。て言うか本気でやめてくれっ!」


 もう自分でも何を言っているのかよく分からない。それくらいには先輩の言葉が嬉しくて、胸に埋めた顔が離せない。きっと今のわたしは、泣きながら笑みを浮かべて気持ち悪い顔になっているから。それを先輩には見せたくない。


「いいから落ち着けってっ。俺は逃げたりしねぇから」

「言質取りましたからねっ?」

「好きにしろよもう……」


 抵抗が無駄だと悟ったのか、脱力した先輩が力のない笑い声を零す。

 そんな彼にしな垂れかかるように立ちながら震える心でどうにかここにいる事を自覚する。

 そうだ、疑うなんて失礼な話だ。先輩は嘘を吐かない。言葉で誰かを傷つけたりはしない。

 だからそれは真実だ。どう聞いても間違えようの無いわたしにとっての最善だ。


「えへへっ、好きにします。好きでいますっ!」




              *   *   *




 全く、騒がしいことだ。わたしの目の前で見せていた理知的で傍観者だった彼女は一体何処に行ったのだろうか。

 庭の片隅で演劇が恥ずかしいほどの青春を見せてくれる若者に生暖かい視線を送りつつ、少しの間席を外していた由緒が未来と一緒に戻ってくるのを見つける。


「何かあったのか?」

「別に。少しだけ大人の面目を果たしただけよ」

「ならわたしにも恥を掻かせないでおくれ。主賓がいなくなったのでは寂しいし目的を見失ってしまう」


 少しだけ拗ねるように言葉を零せば、変わらない性根が半世紀前の子供に戻った気がした。


「それはごめんなさい」


 優しく微笑んだ彼女がそれから小さく首を傾げる。その仕草に長く白い髪が揺れ……そうして見慣れない帽子を被っている事に遅ればせながら気付いた。


「その帽子は?」

「未来がくれたのよ。体に気をつけてってね」

「それはよかったな。よく似合ってるよ」


 流石は我が孫だ。自画自賛をするつもりは無いけれど、良い子に育ってくれていて嬉しい限りだ。

 一つ問題があるとすれば、そうしていい贈り物をされると半世紀越しの『パラドックス・プレゼント』が霞んで可哀相に思えてしまうということ。気持ちを伝えるというのは存外難しい話だ。そういう意味では庭の端で青春している二人は正直者で正しいのかもしれない。


「この会もあの子達が準備してくれたそうね」

「流石にこれはわたしも想定外だ。祝う側にいたはずなんだがな」

「あなたは充分に苦しんだでしょう? 今日くらいは羽を伸ばしてもいいんじゃない?」


 苦しむ。その言葉は少し違うのかもしれない。けれど他にどう表現していいかもわからなくて、彼女の言葉に納得の息を小さく吐く。

 確かに半世紀、この瞬間を待ち望んで準備し続けてきた事は大変だった。仕事の合間を縫い計画を立て。贈り物に意味を持たせ、舞台も整えて。なにより出来る限り彼女の邪魔にならないように。

 きっと気付いていると知りながらも、知らない振りをし続けてくれる事に感謝をしながら恥ずかしさを押し殺して若さを気取った。

 耐え忍び重ねた年月を苦痛と言うならばそうなのだろうし、充実と言うのも正しい筈だ。

 それくらいにこの『パラドックス・プレゼント』はわたしにとって特別だったのだ。

 けれどようやく終わってみれば、次の瞬間にはその達成を労われていた。ずっと自分が彼らを振り回していたと思っていたのに……不思議な感覚だ。


「……そうだな。なにより傍で君が笑っていてくれる」

「ほんと、生きていれば他愛ないことだらけね」


 しかしそれも、悪くは無い。

 縛られていた過去の約束から開放された安心感は今ここにいる実感を教えてくれる。

 長くて、短くて。きっともう少しだけ続いていく人生と言う名の物語がここで終わっても悔いがないほどに満ち足りた気分だ。


「それが人間らしく生きるということだろう?」

「あなたはそろそろ人間になれたかしら?」


 問い掛けに笑顔を返せば、言葉の無い納得が彼女に同じ表情を浮かべさせた。

 と、それとほぼ同時、彼女が持っていた端末が小さく震える。こんなときに無粋な……とも思ったが、今日だけは本当の急用でない限り連絡を入れるなと通達してある。と言う事は仕事の話ではないのだろう。

 考えていると端末の画面を見た由緒が嬉しそうに笑う。


「何か良い事でも?」

「えぇ。どうやら覚えててくれたらしくてね」


 言いつつ彼女が見せてくれたそれは、友達からのお祝いのメッセージ。彼女は由緒の一番の女友達で、記憶を遡れば今回の歴史再現にも存在だけ登場していたはずの人物。

 あの時は、その選択こそが歴史を刻み、時空間の捩れた話へ本格的に巻き込まれたのだったか。


「近くまで来てるみたいなの。迎えに行ってこようかしら」

「……時空間事件に巻き込まれないのならな」

「その時は今度こそ私を助けて頂戴ね?」


 冗談を。あんな『現実の掛け違え(パラドックス・プレゼント)』はもう遠慮したい。

 二度とないからこそ意味を持つのだと。既に過去のこととして美化すれば、またもや主賓でありながら席を外した彼女を見送る。

 そうして一人になったところへ、バーベキューの肉やら野菜を皿に盛り付けて運んできてくれたらしい未来が声をかけてくる。


「お爺ちゃん、食べる?」

「あぁ、貰うとするよ」

「由緒さんは?」

「さっき友達を迎えに行ったよ」

「主役がいないと意味ないじゃん……」


 同じ結末に至った未来が呟く。

 どうでも良い事かもしれないけれど、未来はわたしのことをお爺ちゃんと、由緒の事を由緒さんと呼ぶ。

 由緒は彼女にとってのお婆ちゃんに当たるのだが……どうして名前呼びなのだろうか。わたしか、由緒か。一体どちらが特別なのだろうか……。

 そんな事を考えながら、同時に過ぎった考えを素直に零す。


「ありがとうな、未来」

「それは、どれに対して?」

「全部だな。過去のわたしと、今のわたし。全てに真っ直ぐに向き合って、表からも裏からも協力してくれた。そして今日のこの誕生日会だ。まさかこんなのがあるなんてな。教えてくれればよかったのに」

「それだと万が一の時にお爺ちゃんからばれちゃうかもしれないからねっ。それに、由緒さんだけじゃなくて、お爺ちゃんが半世紀越しにようやく未来の出来事を再現したから」

「過去のために未来を変える、か」


 ────過去のために未来を変えて


 彼女が愛して止まない……と言っても過言では無いほどに憧れた物語の一節。

 矛盾さえ孕んだその一言はわたしも大好きだ。

 童話のように子供向けであるほどに大人が考えさせられるなんてのはよくある話。こんな年になっても日々勉強なのだから世界は広く、そして事実は小説よりも奇なり、だ。

 だからこそ、その言葉が今を示すには丁度いい。


 『過去のために(パラドックス)未来を変えて(・プレゼント)』。


「あぁ……しかし、長かったような、短かったような、だな」

「聚散十春の誕生日、だね」

「難しい言葉を知っているな」


 聚散十春。散り散りになった同胞が十度の春を越えて再び集まる。転じて、時があっという間に過ぎ去ること。

 要と由緒が同じ時間を。未来と透目が同じ時間を。楽と加々美が同じ時間を。

 三つの時代に生きる者達が交わって物語を紡ぎ、一度別れた後にまたこうして同じ場所に集っている。

 出会いは唐突に。奏でた景色は紫電一閃。

 今でも記憶に残る父親の死に際は少しだけ認め難い二律背反。

 惑い振り回された狡兎三窟の先に、四面楚歌の中に見つけた答え。

 そうして背負うこととなった再現の業は五里霧中を経て、六根清浄のように思い出を紡ぐ。

 真実を求めた末に報われるような七福即生。同時に知った傍目八目な彼の思惑。

 だからこそ目的を同じくして面壁九年を覚悟し未来への贈り物を成し遂げる。

 結果が、今のこの聚散十春の誕生日。

 確かに未来の言う通りだ。


「今は春では無いけれど……(つつが)無くすべてが終えたハッピーエンドと言うのならそう例えてもいいかもしれないな」

「終わりは次の始まりだよっ」


 使い古された前を向く言葉は、しかし今だけは心地いい。捻くれた性格がそう思ってしまうのだから、半世紀はやはり長すぎる。

 胸に長年蟠っていた淀みが晴れている事を自覚すれば、自然と微笑みが零れた。


「未来はまだ始まってもいないようだがな?」

「あたしは始まる前に終わってたから……」


 言ってこちらを見つめてくる彼女は、既に陽が落ちて群青の天幕を仰ぐ大地の上で仄かに頬を色付かせて笑う。

 そう言えば、大人っぽくなったと。彼女も18歳。結婚も出来れば目の前に成人も迫る。

 今でも目を引く彼女がこの先更に綺麗になっていくのかと思うと若い未練が今更ながらに競りあがってきた。


「……まったく、残念な限りだよ」

「由緒さんに言いつけますよ?」

「だったらまだもう少しだけわたしの可愛い未来でいておくれ」

「流石にお爺ちゃんに恋はしませんっ」


 気持ちの整理はついているようで。毅然とそう告げる彼女の物語をずっと読んでいたい気分になる。

 それくらいには、未来という少女もまた要にとっての理想のヒロインだったのかもしれない。

 考えるのと同時、少しだけ見つめあってから二人で肩を揺らす。

 そうしていると不意に割って入った端末の振動音。見れば未来が自分のものを取り出してこちらに見せてくる。


「仕事が終わったのでお父さんもこれから合流だそうです。お母さんも一緒に来るそうですよっ」

「今日は長くなりそうだな」

「終わらない方が嬉しいです!」


 言いつつ、優しく抱きついてきた女の子の頭を撫でる。

 もしこれが物語なら、ここが終わりなのだろう。そんな話は過去になって。

 もしこれが物語なら、ここが始まりなのだろう。そんな話は未来になって。

 たった刹那に溶けていく今と言う瞬間を実感すれば、生きて紡ぐ要の意味をようやくみつける────

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