第四章
「それで未来に語り部押し付けて出て行ったのか」
「ここまで考えてたとしたら素直に負けを認めます……」
「計算でなくそれをやってのけるから由緒なんだろうさ」
天然ほど恐ろしいものは無いと諦めを見つければ未来と二人肩を揺らす。どうでもいいけれど飲み物なら少し前に買ってきたばかりではないのだろうか。それとも小腹でも空いたのだろうか。
まぁこれからもう少し話をしなければならないだろうし、片手間につまむ物くらいはあってもいいのかもしれないと思いつつ。
相変わらずこちらには考えが読め無い自由奔放な幼馴染だと。そんな彼女の足音が階段を叩くと共に玄関が開かれる。
「たっだいまーっ」
ビニール袋を揺らして変わらない快活さに溢れた声は由緒のもの。また一つ騒がしくなるといつも通りの自分を取り戻せば、買ってきた飲み物や想像通りのお菓子の袋が目の前に陳列されて競りが始まる。
「さぁ早い者勝ち、好きなものから取ってきなっ! あ、スポドリは私のだよ?」
「なら並べるなよ」
相変わらず由緒は由緒な事で。
思いつつ並んだ飲み物を一つずつ吟味。
ミックスフルーツ味の炭酸飲料、林檎ジュース、抹茶ラテ、ブラックコーヒー。
ゲテモノがないだけ良心的かもしれないが、ハズレはブラックコーヒーだろう。当然砂糖やミルクはない。オリジナルブレンドは不可だ。
となると消去法だ。まず抹茶は楽だろう。続けて加々美には好きなものを選んでもらうのが年長者としての責務か。考えていると林檎ジュースと抹茶ラテを取った加々美が当然のように楽の隣へ腰を下ろす。微笑ましいことだ。
……さて、問題はここから。
「お兄ちゃんって大人だよね。頭の回転速いし今も先に加々美ちゃんに譲ってあげたし」
くそっ、先に釘を刺された!
「まぁ大人になりたいとは思ってるけれどな。しかしそう思ってるって事は俺は子供って事だ」
「……そっかぁ、じゃあ仕方ないかな。ね、お兄ちゃん」
……偽者とは言えそれを使うのは卑怯だろう。
何より今ここで俺が折れなかったら自分自身が情けなくなってしまう。由緒も、参加していない事を良い事にニヤニヤとこちらを見つめて来るし……。まったく、男って色々面倒臭い生き物だな。
「…………はぁ、分かったよ。と言うか擦り付け合いする前に飲みたいって言えばいいだろ?」
「別にそれでもよかったんだけれどね。こっちの方がお兄ちゃん的にも美味しいかと思って」
「何よりも今この空気が苦いっての」
未来の言いたい事は分かる。彼女が言い出すよりも要が名乗り出る方が格好がつくだろうという配慮。そしてそんな口論にも満たない譲り合いよりも先に、無言で選んで欲しかったというのが彼女の乙女心だろう。
大体そういうのは付き合ってる男女でやるから様になるのであって偽者の妹としても得するものなんてないでは無いかと。
全く意味もない事を。そう呆れて胸の内に蟠った何かを落とし込むためにブラックに口をつける。
由緒も当然知っているだろうが、要は砂糖一つにミルク適量のオーソドックスなコーヒーが好きなのだ。背伸びする必要も感じない、だからこそ嗜好品として何処までも楽しみたいとその味が好きになった。
だからブラックで飲む事は基本ないし、誰かの前で気取ったりすることもない。
それを分かっていて、きっと由緒はブラックを選んできたのだろうけれども。
舌の上に広がる独特な苦味に思わず顔を顰めれば、声を殺して笑う由緒が視界に映った。あいつ本当に俺の事好きなの?
疑問を視線に乗せて少しだけ睨んで。けれどその視線に気付かない振りをしたままお菓子の袋を開けようと奮闘し始める由緒。どうやら固いらしい。時々ある中々開かない奴に当たったのだろう。因果応報だ。
どうでもいいけれど、お菓子とおやつの違いをこの前由緒がドヤ顔で披露していた。
お菓子とは一般的に知られているご飯以外の食べ物で、おやつと言うのは昔の暦で八つ時…………午後二時から四時に食べられていた間食だからおやつと呼ばれるようになったものだ。由緒が語っていたのはここまで。
付け加えるなら、お菓子の菓子の字は果子の字でもいいとされ、古くは果物や木の実をおやつとして食べていたからそうした漢字が使われるようになったという話だ。
なんていう雑学を反論でもない何かで返せば、その時の由緒の機嫌が一気に傾いだけれども。
まだ未来が来る前の記憶。そんなものを他愛なく思い返しながら開かない口に口を出すのも面倒で、手を貸そうとしようとした刹那の事。
「どわふっ!」
力一杯引っ張った衝撃にようやく開いた袋からポップコーンの如く中身のスナックが宙を舞う。驚いたらしい由緒がお菓子の袋を手から離して、不規則に弧を描くお菓子に思わず動いた体が由緒の後方にまで飛んでいくそれに手を伸ばす。あと少し……と、落下をし始めた体を支えるためにもう片手を畳に突いて、同時右手の指に袋が引っかかる感触。
「きゃぅ!?」
次いで聞こえた小さな悲鳴。どうにか中身を全部ぶちまける前に取れたらしいお菓子に小さく息を吐いて。それから先ほど聞こえた声に視線を胸元に向ければ、こちらを見上げる由緒と視線が合った。
間近で見つめて。青み掛かった黒色の瞳吸い込まれそうになったのも数瞬。直ぐに今の体勢を客観視した己が反射的に飛び退けと命令を下した。
それはきっと、未来たちからすれば要が由緒を押し倒しているように見えただろう。当然、そこにはお菓子のキャッチと言う別の目的はあったのだけれども。それが言い訳にも理由にもならないのがただそこにある現実の悲しいところ。冤罪って、こういう風に出来上がるんですね。
「お兄ちゃん…………」
「ちょっと待てっ、今のは俺の所為じゃ……!」
「取りに行かなければよかっただけですよね?」
「だって勿体無いだろ?」
「私より、お菓子なんだ……」
「っ……!!」
女性陣からの三者三様な糾弾に言葉を詰まらせる。何でこういうときだけ手を組むかなっ。
「……悪かったよ」
「…………悪かったの?」
由緒の、意味の違う問いかけに返す言葉を見失う。
幾ら要でもこの場でよかったなどと返せない。とは言え無言と言うのも問題がある気がして……。
「ったく、楽しそうで何よりだな」
そうしてどうするべきかと必死に答えを模索していると、呆れたような楽の声に視線が集まる。見ればノートパソコンを畳に置いてディスプレイをこちらに向けた彼が片膝を立てて笑っていた。
「ほら、出来たぞ」
画面には音声ファイルが一つ。どうやらそれを使えば要達に掛かっている楽に関する『催眠暗示』は解けるらしい。
「要、由緒っちと、その親。それから要のクラスメイト。全員同じ音源から『催眠暗示』を掛けてある。これ一つで『催眠暗示』の方は全部解決だ」
「そうか。となると後は今まで解決できてない矛盾を解すだけだな」
楽の言葉に乗っかって話題の向きを変える。大体さっきのような話をしたところで答えらしい答えがあるわけでもない。一つを答えたらその先を求めるのが目に見えている。そんな不毛なやり取りに付き合えるほど暇を持て余しているわけでは無いのだ。
「……となるとまずは廃ビルからかな」
「そうだな。行くのは……俺と未来、それから楽だ」
「俺もかよ…………」
「廃ビルの理由のひとつはお前だからな」
廃ビルには未来の由緒が要の姿をして向かっている。そこにいる要は楽が『変装服』で姿を偽ったものだと虚偽を吹き込み、彼を止めるために『スタン銃』で撃って無力化をしているはずだ。
その時撃たれた側からすれば、意識が途切れる寸前に三人の背中を目にしている。
一人は自分。もう一人は未来。ここまでははっきりと覚えている。
そして最後の一人……。これが曖昧ではあるが──楽だった気がするのだ。
景色から逆算すれば、由緒である事は否定できる。
要を撃った要の中身は未来の由緒。そして由緒自身は、いかなる時空間移動の異能力でもってしても同じ時間軸に二人同時には存在できない制限を持っている。だから三人目が由緒であることはありえない。
可能性としては加々美と言うこともありえるのだが、加々美がその場に居る理由がないのだ。
となれば消去法で楽……。それに楽ならば未来の由緒への説得材料にもなる。彼女を本来の居場所へ送り届ける事も簡単になるのだ。
そしてそれこそが、要が半世紀越しに果たす『パラドックス・プレゼント』……。
今更疑う余地もないほどに、全ては仕組まれているかの如く、物事は収束する。
何より、そこに楽が居る事が、彼の求める歴史再現の答えなのだ。
「えー、またお留守番?」
「これから行く先には既に由緒がいるんだよ。由緒は重なれないだろ?」
「あーそっかぁ……」
真実だけを語れば、話にあまりついて来られていない彼女は勝手に納得をしてくれる。要の言うことだからそうなのだろうと、盲目に信用してくれる。
彼女を騙している事に罪悪感が無いわけでは無いけれど。これも必要な嘘なのだと割り切ればどうにか自分を偽れる。
「その代わり一つ頼み事をお願いしたいけどいいか?」
「何?」
「加々美の異能力の回数リセットだ。もう一度由緒の『時間遡行』をコピーさせてやってくれ」
由緒と加々美、二人に向けて考えを語る。
「リセット?」
「一度のコピーで五回しか使えないからな。その上で加々美には二つやってもらいたい事がある」
「なんですか?」
「一つは物の回収。由緒が事故に遭いそうになった時間。家の前で冬子さんが運転する車が壁に激突して事故を起こしてる。その後部座席からポータブルオーディオプレーヤーを回収してきて欲しい」
『時間遡行』を加々美がコピーすれば、加々美が知る限りの記憶と言う過去に一人で移動が可能だ。『時間遡行』には、既に由緒のいる時間に移動できないこと、そして由緒自身が移動できないことを制限されている。しかしその制限も、加々美が一人で移動する分には抵触しないのだ。制限が由緒個人を指定しているのだから当たり前だ。
由緒の異能力は由緒個人を指定して影響するものが多い。だから加々美がコピーをすればその殆どを無視できる。もちろんその反動のように、五回しか力を行使は出来ないけれど。
「で、二つ目は俺の父さんが事故に遭う時間。あそこから父さんの髪の毛を一本持って来て欲しい」
「ん……あぁ、そっか。《傷持ち》の時の…………」
未来の声に頷いて思い返す。
楽が未来へと逃げる前。いないはずの《傷持ち》と戦い、そして共闘さえしたあの終わりに。未来は《傷持ち》から雅人の遺伝子データである髪の毛を受け取っている。
それがあったから要が『変装服』を使い雅人に変装して、過去の迷子となっていた要に父親の姿で会う事ができたのだ。
その景色の再現の為に必要なものの採取。
「……分かりました。けれどどうやってその時間に行くんですか? わたしはその時間の事を知りませんし、『時間遡行』では由緒さんの記憶を移動先に指定できませんよ?」
「……面倒だな。俺か、未来のどっちかだな」
指摘されて思い出す。由緒自身の記憶は移動先に指定できない。これは『時間遡行』にある制限で、当然加々美がコピーしてもそれは引き継がれる。
つまり加々美が異能力を行使しても、記憶を参照する対象に由緒は選べない。殆どが無視できる中でこの制限だけはどうにもならない。直ぐに思考を回し解決策を導き出す。
楽の『催眠暗示』で……駄目だ、現代人がいない。透目の『記憶操作』は……別の事に使う予定だ。今使えば三日間使用不可になる。
未来の『時空間移動』は先ほど思案した通り一人での移動が不可能。…………そう言えば未来が過去に言っていたか。未来の異能力より由緒の方が使い勝手がいいと。確かにその通りだ。
……やはり『能力転写』で『時間遡行』を使う。これが最善だ。
何よりの問題は加々美が要の経験してきた過去を知らなさ過ぎる事。『時間遡行』を使う都合上、彼女がここから動くには由緒以外の誰かの記憶が不可欠か。
「……とりあえず俺たちが廃ビルに行く前に俺の記憶でどっちかに行ってもらうとするか。で、帰ってきたら今度はもう片方だな」
「分かりました。では……プレーヤーの方にしましょうか」
雅人の件とは違い、冬子の事故のその後は要達もあまり知らないことだ。けれどその後の時間が問題なく流れているから、要の観測できないところで加々美が事を成してくれるはずだ。
あの時は気を失った由緒を部屋に連れて行って一時期冬子から目を逸らしていた。恐らくその間に回収を済ませば矛盾は無いはずだ。
「私他にできる事無い?」
そうして纏まった話に首を突っ込んできた由緒。とは言え彼女に危険な事を巻かせるわけにも行かないのが要の本心だ。
考えていると楽が提案する。
「由緒っちパソコン使えるか? 例えばデータの移動とか」
「それくらいはね」
「だったらその音声データをプレーヤーに刺さってるUSBに入れておいてくれ」
「分かったっ」
自分で選んで力になれるのが嬉しかったのか、花咲く笑みで頷く由緒。
天然でマイペースな幼馴染ではあるが、機械に遅れを取るほどではない。と言うか今時パソコンの一つくらいできて当然のネット社会だ。逆に出来なければ色々取り残されてしまうだろう。
「じゃあ任せた。加々美は準備はいいか?」
「いつでも大丈夫です」
縁の下の力持ちな加々美。裏方と言うと聞こえは悪いかもしれないが、しかし彼女のお陰で成り立っている部分も大きいのだ。ならば今回もその未来をも上回る……下回る最年少記録に頼らせてもらうとしよう。
「それじゃあ各々にやるべき事を終えてここに集合だな」
これ以上ここで時間を浪費しても仕方がない。もう既に終幕は見えているのだ。ここからは本当に、辻褄合わせの連続だ。
「由緒さん、手を貸してください」
「はいどうぞっ」
由緒の手を取って目を閉じる加々美。もしこれが異能力で見た目の変化をした相手なら何か派手なエフェクトでも立ててアニメのように変化をしたのかもしれないと考えながら。音もなく静かに行われる更新が終わって、繋がれた手のひらが離れる。
そうして瞳を開けた加々美が要へと向き直る。と、その紫紺の瞳に灯る意志の炎が心成しか強くなっている気がした。
「では、行ってきます」
「あぁ、頼んだ」
次いで要の手を取った加々美が異能力を行使する。刹那、瞳を青色に輝かせたかと思うとその場から姿を消す。無事に移動できたらしい。
「さぁ、次は俺たちだな」
「はい、お兄ちゃん」
「要と手を繋ぐなんてこれっきりにしたいもんだな」
「やめろよ気持ち悪い」
楽の軽口に答えて右手を未来と、左手を楽と繋ぐ。別に楽と繋ぐ必要は無いのだけれども……。まぁここまで表から裏から色々と同じ時間を過ごしてきた楽だ。知らずの内に仲間意識が芽生えたのだと、そういう事にしておこう。
「いってらっしゃいっ」
「あぁ、いってくる」
そうして由緒の声に見送られて、未来の『時空間移動』の衝撃に揺られる。
刹那的な重力方向の変化は、前から後ろへ。それを越えた先に足裏が踏み締める感触に目を開ける。
巡り巡ってようやく辿り着いた廃ビル。要が《傷持ち》と真正面から交戦し、そして退けた、群青の空の下にある交錯の場所。
由緒も未来も一時だけいない。そこにパズルのピースが揃うかの如く、未来からの者達が集う。
要と、未来と、由緒と、楽と。恐らく今回の歴史再現において中核を担っていただろう四人。誰が欠けてもありえなかった景色を紡いできた、多すぎる主人公たち。
これだけの事を経験しておきながら戻って来るのがこの場所と言うのは因果なものだと思いながら、肌を刺すいつも通りの感覚に背後の異物を捉える。
そこにいると知っているから分かった存在感に、けれど振り返りはしない。
彼はまだ何も知らない。この後に待ち受ける数多の時空間の旅を。その先に気付く目的と言う名の歴史の収束を。
今の要にしてみれば全て過ぎ去った過去。背後で意識を失った彼にしてみれば未だ来ぬ未来。
結局は主観がすべてなのだと納得すれば、それから目の前に立つ自分の顔をした彼女に焦点を合わせる。
「……っ、あなた…………!」
けれどそうして要が何かを言うより先に、要の顔で要の声をした未来の由緒が驚いた風に音を零す。その視線の先には楽。
まぁ彼女にしてみれば仕方のない反応かもしれない。今し方彼女が『スタン銃』で撃って後ろに倒れる彼を、要の姿に化けた楽だと信じているだろうから。そんな彼が今こうして目の前に現れれば……要がそちらの立場なら真実を質そうとするだろう。
彼女の声に、後ろを振り返って眠る要を見つめていた楽が向き直って答える。
「待ってください。全部嘘です。由緒さんとお話したい事があってこの時代の人たちに協力して貰っただけです」
「……嘘って、けれどそこで眠っているのは?」
「正真正銘俺です。嘘を吐いた事は謝ります。けれど彼の言う通り貴女に話があるのは事実です。その話を誰にも聞かれたくなかったのでここまでお連れしました」
実を言うとこの辺りの事は要はノープランだったのだ。だから楽に任せてその話に乗っかろうと考えていたのだが……いきなりネタ晴らしをされて内心少しだけ驚いた。
が、どうにかそれを隠して話に乗る。
「…………昔からそうだけれど、貴方は一々問題を起こしすぎよ」
そんな楽の言い分に、けれどどこか納得したらしい由緒は溜息と共に『変装服』を脱ぎ始める。それを未来が手伝いに向かって、要は楽と暇潰しに言葉を交わす。
「んで、この後は?」
「あの人を未来に連れて帰る。その移動先が本命だ」
「了解」
それがつまり、『パラドックス・プレゼント』。
要が五十年越しに果たす約束であり、楽の恩返し。二つを合わせて一度に達成する、時空間を越えた贈り物。
彼女をここに連れて来たのはその連れて帰る移動先の時間をこちらで操作してサプライズを仕掛けること。
簡単に言えば、これから彼女を祝うのだ。
楽絡みが解決したと知らせ、安堵をしたところに本命の贈り物。遠回りなことだが、言ってしまえばたったそれだけの単純な企みだ。
だったらやっぱり、最初から楽が俺に協力を持ちかけていれば面倒事も回避できただろうに……。
いや、雅人の件だとか、由緒の異能力発現だとか。その辺りの事もしっかりと真実として処理してくれたのだから、必要なことだったのかもしれないけれど。そんな感想さえ、結果論の終わったことだ。過ぎた事にしか理由を見つけられないくせに未だ見ぬ場所を夢想する人間とは、それこそ矛盾極まりないのかもしれない。
なんにせよ、やっとここまで来られたのだ。さぁ、そろそろこの面倒な歴史再現にも一つ幕を下ろすとしよう。
「楽君、ちょっと来て」
そんな事を思っていると『変装服』を脱ぎ、『小型変声機』を外した由緒が凛とした声で楽を呼ぶ。
何事かと瞳に疑問符を浮かべた楽が由緒の元へと向かえば、彼女は小さく振り上げた拳で楽の頭を小突いた。
「もう数年もしたら成人なんだから、大人を困らせない、心配させない。いいわね?」
「…………すみませんでした」
「よろしいっ」
それはまるで母親が子供を叱るように。けれどただ怒るだけでない、そこに滲ませた愛情の色に胸の奥を擽られる。
大人になるというのは、こういうことらしい。理不尽に怒るでなく意味をもって叱り、少しばかりの先達として若人の未来を憂い、伸ばす。
そんな風に優しく諭されたら、大人になりたいと願う子供は従う他無いのだろう。大人って、卑怯だ。
「……まるで親子みたいだね」
「楽は母親を亡くしてるからな」
「そうなんだ」
言ってから失敗したかとも思ったが、けれど未来はそれ以上言葉にしなかった。
未来にしても似たような境遇だからだろうか。
そう言えばと思い返すが、要も、由緒も、未来も、楽も。それぞれ違えど親子関係に難を持つ者ばかりだと。
そんな奇縁、気付いたところでだから何だと言う話ではあるのだが。強いて言うならば家族は何者にも変え難く大切だと言うことだろう。
と、そんな事を考えていて忘れかけていたもう一つの歴史再現を思い出す。
「あぁ、そうだ。未来、こいつを家まで飛ばしてくれ」
「うん…………? ……あ、そっか」
ここでのことは意識を失っているから知らないけれど、今ここで眠る要が気付いた時には既に家に戻っていたのだ。
どうやって家に戻ったのか……。あの時の未来曰く、由緒を連れて帰ったら部屋から物音がして、覗いたら俺が倒れていたらしい。
廃ビルに倒れていた俺が一人で時空間を渡れるわけはない。つまりそこには誰かしらの干渉があったはずで、それが今ここにいる未来なのだ。
「えっと……」
「八時頃に俺の部屋だ」
「分かった」
記憶を遡り未来との会話から矛盾を正す。
未来が由緒を連れて帰ったときと、これから俺が家へ帰る時間。そして今からの誤差が大体四十分の空白を生み出すのだ。
それがあるから、今未来と由緒は重ならずにこの時間に居られる。当然、そのためにはもう一つ必要な根回しがある。
この後目的が終われば、細かい矛盾の正当化が始まる。『催眠暗示』を解いて周り、要や未来が知らず助けられた未来からの助言を託す。
その一つに、ここから由緒を連れて帰った未来への指示があるはずなのだ。
ここから由緒を連れて帰るときに、四十分後に移動しろ。その空白が後に歴史を正す。
空白の時間があれば有利に動けると言ったのは未来自身だ。そんな彼女に未来の要がそうした方がいいと進言すれば、彼女は頷いてくれる。現にその通りに空白が出来たから、要達はここにいられる。
その助言は、けれど今の要もまだ経験していない。それはこの後で合わせる辻褄だ。
考えていると眠る要の手を取って『時空間移動』を行使する未来。同行者の未来への移動のため、未来が一緒に移動する必要は無い。未来の『時空間移動』は由緒の『時間遡行』と違い、移動先の記憶の指定に人物の限定は無い。だから未来の記憶から今より未来を指定すれば要だけをその時間へと送り届ける事が出来る。相手が気を失っていても使える異能力だから、そこだけは由緒の異能力より便利な力だ。
それぞれに出来ないこととできる事があって、その二つの間で随分と振り回されたこれまでの事も今となっては何だかいい思い出に思えて来るのだから、過去に対しても気の持ちようと言うのは恐ろしい。何よりも怖いのは錯覚や思い込みと言う話だ。
「これでよしっと……」
要を移動し終えた未来が立ち上がって小さく息を吐く。そんな彼女にふとした疑問が持ち上がって尋ねる。
「そう言えば今まで聞いた事が無かったけどさ、異能力って使うと何か減ったりするのか?」
「何かって?」
「ほら、魔法とか魔術だと魔力が必要ってよく言うだろ? そういう精神力だとか、気だとか。異能力にも行使するのに必要な元素的な物があるのかと思って」
特別な力と言うのは代償などが必要と言うのがお約束と言うか、半ば法律のような常識があるけれど。だったら病気のようなものと言われる異能力に何が必要なのか……。
返答次第によっては由緒にこれ以上の異能力の行使を控えさせたいと言う今更な心配の気持ちがあるのだが。
「ん~……これと言ってないんだけど。強いて言うならば疲労感があるかな。ほら、運動した後の乳酸的な」
「使いすぎて体に悪影響とかは?」
「今のところ聞いた事は無いけれど、まぁ体力を使えば間接的に身体能力が低下するわけだから、そこから病気とか、怪我とか……そういう心配は増えるかもね。持久力つけるとか休憩するとかいろいろ対策はあるよ」
つまり疲労を感じるだけらしい。それならばまだ体調管理の一環として自己責任だろうか。普段から柔道で鍛えている由緒にはあまり関係のない話かもしれないが、取り合えず頭の片隅に留めておくとしよう。
そんな風に未来と会話をしている傍らで、楽と由緒も何か雑談に花を咲かせていた様子だったが、どうやら丁度あちらも話題が一区切りしたらしいと。
由緒の下へと集まりながら途中で彼女が移動に使った『音叉』を回収してポケットに突っ込む。これでここに矛盾も残らないはずだ。
「それで? 貴方がここにいるって事はこの時代でするべき事は全て終えたのね?」
「はい、全て、恙無く」
素直に報告をする言葉に聞こえるそれは、けれど楽の思惑を知っているとこれ以上無いほどに不気味な企みに聞こえるのは気のせいか。そんなところまで悪役の仮面を被らなくてもいいのにと、彼の性格に辟易しながら四人で手を繋いで輪を作る。
「えっと移動先は……」
「俺の記憶で、未来だな」
「そこ、あたしいないよね?」
「大丈夫だろ。無理なら未来だけここにおいていくだけだな」
「ここまで来て仲間外れとかふざけないでよ……」
むくれたような未来の声に笑って、それから目を閉じる。
僅かな浮遊感と重力方向の変化。慣れてしまったその感覚に後何度この経験をするのだろうと胸の内でカウントダウンに入る。
それくらいには結末が目前で、やるべき事が当然のように存在する。
ここからはもう、要の予想を裏切るような事は起こりはしない。そう断言できるほどに、要の想像は唯一つの結末に至ってしまった。
そろそろ、この非日常もおしまいだ。
「お疲れ様」
足の裏に踏み締めた地面の感触にゆっくりと瞼を持ち上げる。
追いついた聴覚が、遠くから押し寄せる潮騒を捉える。眩しい程の夕日が視覚を焼いて、喉が渇くほどの風を体の内側へ運ぶ。嗅ぎ慣れた水と塩のにおい。肌を擽るその雰囲気に、五感の全てが懐かしささえ覚えながら今居る場所を認識する。
そこは茜色に染まる波止場。テトラポッドが積み重なった人工的な景色に白波が立ち、オレンジ色に輝く太陽の光を受けて眩く煌く。
海洋を示すオーシャンの由来ともなったギリシア神話に登場する海の女神。そして地の果てをも意味するオケアノス。そんな言葉が脳裏を過ぎるほどに綺麗な光景がただそこに広がる。
……それとも、未来のように兎に準えるのならば『静かの海』の方がいいだろうか。尤も、あちらは水があるわけではないが。
益体無くその絶景に何かの意味を求めて雑学が脳裏を駆け巡り終えた頃。その耳にしわがれた彼の声が届く。
結んだ焦点は腰の後ろで手を組んだまま、水平線の彼方を見据える年老いた男性────未来の自分へと向けられる。
彼が、今回の時空間事件──歴史再現の黒幕にして首謀者。そしてこのサプライズの発起人。
お疲れ様、と言うのは、一体誰に対しての言葉だろうか。
今し方廃ビルから戻ってきた由緒に対して? 彼の思いを成し遂げようと手を貸した楽と加々美に対して? 振り回されながらも真実に辿り着き今ここにいる要と未来に対して?
誰か一人なんてそんな寂しい話ではないのかもしれない。だからこそ、誰もがそう受け取れるように誰へ向けた言葉でもないのかもしれない。
自分のことながら、けれど半世紀も経った後のことなど想像できない。
彼もまた、俺と同じ経験をした時に、同じ事を思ったのだろう。そんな彼は、一体今どんな気持ちでその言葉を紡いだのだろうか。
そんな彼の背中にどこか嬉しそうな足取りの由緒が近づいていく。
「お仕事はもう終わったの?」
「あぁ」
並び立って交わされる言葉に、要ですら懐かしさを覚える。
要の知る由緒とのやり取りも、こんな風に絵になっているのだろうか。ただの幼馴染が……幼馴染以上でありながらそれより先では無い関係が、彼らのようであるはずがないのだが。けれど由緒との関係に特別なものを感じているのも事実だ。
それは互いに片親がない事に対するものだろうか。異能力と言う秘密を共有しているからだろうか。それとも、もっと単純に、男と女だからだろうか。
何を語ったところで、今の要からしてみれば白々しい上っ面だ。高々十七年生きただけの青二才が何を言ったところでそこに説得力など殆どありはしない。
けれどもし許されるのなら、今目の前で二人で一つを作る彼と彼女のように何かが噛み合えばいいと。そんな事を考えるくらいには、未来の要と由緒は目に見えない何かで繋がっていると悟ったのだ。
「それじゃあ帰る?」
「その前に一つ、果たすべき約束があるんだが、付き合ってくれるか?」
まるで言葉など要らないかのように。大事な事は何一つ語らなくとも互いを信頼している様子の二人に思わず笑みが零れる。
向かい合った二人が少しだけ見つめ合って、それからポケットから何かを取り出した要が由緒に向けて差し出す。
それは、紫色をした宝石で作られたブレスレット。
「誕生日、おめでとう」
「……私、宝石はあまり好きじゃないって昔言わなかった?」
「もちろん覚えているさ。わたし以外から受け取らない事もな」
「自惚れもそこまで貫けば立派なものね」
くすりと笑って肩を揺らす由緒。その優雅な笑顔を見つつ気付いた事を知識と重ね合わせる。
誕生日プレゼント。由緒の誕生日は、八月だ。前に由緒が雑誌で見せ付けてくれた事があるのだが、八月の誕生石はペリドットとサードニクス。どちらも夫婦愛などの意味を持つ宝石で、ペリドットは橄欖石、サードニクスは瑪瑙の一種だ。
その後気になって調べてみたが、ペリドットは基本的に緑色の宝石で、サードニクスは紅色を基本とする鉱物だ。ただ変種として、サードニクスは色に幅があり、中には瑪瑙……オニキスの色を濃く映すブラックサードニクスと呼ばれる紫色をした物も存在する。
恐らくそれを使用したブレスレットなのだろう。
そして加えるならば、そんな調べなければ知りえない珍しい色の宝石を渡す意味。その色にこそもう一つの真実が隠れている。
紫の贈り物。誕生日ともなれば年齢の話で、そこに紫色の物となると、それは古希か喜寿の祝いだ。
70歳か、77歳。女性の年齢を無闇に暴くものではないから言及は控えるけれど、ならば今要が居るこの時間は、要たちが居た過去より50から60年ほど未来のはずだ。正確に言えば、2070年か、2077年……そのどちらかだ。
それ以外にも、先ほどの会話などからもう一つ推測はできるが……それは言わぬが花と言うやつだろう。
「……約束は約束ね。頂いておくわ。…………それにしても、こんなに回りくどい事をしなくてもよかったんじゃないかしら?」
「君の事を考えてのサプライズだ」
「今までの仕返しの間違いでしょう? 年寄りを驚かさないで頂戴」
とても親しく、そして楽しそうに言葉を交わす二人。そんな姿に、隣の未来へ向けて確認をする。
「未来は、自分の未来の事を知ったらどうする?」
「今更そんな質問をしないでよ」
確かに、その通りだ。
分かりきった真実を言葉にしないまま、それからこの景色をしっかりと記憶に刻み込む。
これが要が目指すべき未来。要が果たし、果たすべき──『パラドックス・プレゼント』。
そのためにも、伏線はしっかりと張って、それを暖め続けなければ。
────少し早い誕生日プレゼントって事でっ!
それは、随分と遅いプレゼントになった気もするけれど。それくらいの我慢をしてもらうくらいは、まぁ飲み込んでくれるだろう。
二年も六十年も、一緒に過ごせば変わりない。
「んで、楽はいいのか?」
「流石にこの空気は壊せねぇよ。後回しだ」
「逃げるなよ? 六十年越しに見てるからな?」
「熱烈なこった」
それからもう一つ。楽のこと。ここに来てようやく本当の意味で彼にも感謝をする。
それは彼自身の小さな恩返し。母親を亡くした彼を救った未来の由緒。彼女へのささやかなお礼は、同時に要が約束を果たすための物語にもなった。
真実はきっと逆で、要が楽の気持ちを利用して話に巻き込んだ。そうして彼を使ってこの景色を手繰り寄せたのだろうけれども。結局最後まで振り回され続けた要にしてみれば楽が要をここまで連れて来てくれたという認識は強い。
だからこの非日常を演出してくれた彼に感謝だ。
そして同時に、彼の恩返しのことも知っているからこそ、六十年後の自分と視点を重ね合わせて要らぬおせっかいも焼いてしまう。
未来の要が引き起こしたこととは言え、楽が居なければ成り立たなかった景色。ならば彼の望みも叶えられて然るべきだ。
例えそれが彼個人の独りよがりだったのだとしても、やはり知ってしまったからには見過ごせないのが性と言うものだろう。
「まったく、要に俺の何が分かるってんだ」
「親友だからな」
「はっ、違いねぇ」
肩を揺らした楽と二人笑って、それから今を見下ろした三人目の要が客観視する。
さて、問題だ。今ここに、悪人は居るだろうか。正義は、あるだろうか。
誰が利用し、誰が利用され。何より主人公は誰だろうか。
物語として、成り立っているだろうか?
そんなつまらない自分に向けるように空を仰いで、笑う。
事実は小説より奇なり、だ。
……そういえば要は、あれから少しくらい人間らしくなれたのだろうか────
交わしても居ない約束を果たして、彼と彼女を見送ったその後。波止場に打ち寄せる波と広がる海を見つめながら楽に問い掛ける。
「楽はこのあとどうするんだ? ここはお前が元いた時代とほぼずれが無いだろ?」
その問いは、終幕へ向かう最後の結び。誰が何処からやってきて、何処へ帰っていくのか。それぞれの現実がまた日常へと戻っていく、そんな少しだけ物悲しい全てのお片づけ。
「『催眠暗示』の解除も、逆位相があれば楽だって必要ない。後はこっちでどうにかできることばかりだ。ここでお別れか?」
「まぁそうなんだがなぁ……。生憎と一人残すと後が怖い奴がいるから迎えに行ってやらないとなぁ」
それは加々美のことか。諦めたような物言いに、それから気付く。
「……やっぱりお前は俺より芸達者だよ」
「要に褒められても嬉しくねぇよ」
楽らしい褒め言葉だ。相変わらず素直でないのは、どうやら素の性格だったらしい。
「現実なんて、ト書きも無ければモノローグもない。主観でしか世界が動かない不便な箱庭だ。けど相手の考えてる事が物語を読者として楽しむように手に取るように分かったら、それこそ面白くない話だろ?」
「そう言えばアニメとか好きなんだっけか」
「あぁ、大好きだ。単純で、嘘が無くて、完結する。現実がそうでないから、空想に終わりを求めて楽しんでるんだ」
そこに関しては要も同意見だ。
物語の登場人物は、いつだって正直だ。複雑な感情はたった一つの答えに収束されるし、物語の主人公は何だかんだ言って騒動を解決する。嘘も裏を返せば真実で、これ以上無いくらいにご都合主義で。
利便性を求めて機械化の道を進んできた割には、昔より多忙になった気がする現実とは正反対に清々しい作り物。
「相手の考えの全てが分かるわけでもなければ、目に見える選択肢とその答えが想像できるわけでもない。だから現実はクソゲーだ」
「でも現実がなければ空想は手に入らないだろ? 俺達はその現実で生きてるんだから」
「あぁ。全くその通りだ。……けどな、別に悪い事ばかりでもない筈だ。フィクションをフィクションとして楽しんで、物語では味わえない五感を覚えて。中には馬鹿正直に真っ直ぐで素直なやつもいる。呆れるくらいに前向きで、元気で、他愛なくて。なんでこんなに世界は矛盾に満ちてるんだろうな。一体誰がこんな世界にそんな贈り物をしたってんだ」
神はサイコロを振るか。
「矛盾しない現実なんてないよ」
答えは未来の口から。
「皆が違う事を考えて、皆が正しいのだとしたら、矛盾やすれ違いなんて数えられないくらいに存在する。時間の逆接……ううん、『現実のはき違え』が生まれては消えてる。それを解消するために世界が分岐すればエントロピーは増大し続け、何れ全ては崩壊する」
「宇宙の熱的死だっけか」
「何だっけ、それ」
答えた楽の言葉に疑問を重ねる。どこかで見聞きした覚えがあるのだが。
「飽和した液体に温度変化を加えなければそれ以上は溶けないだろ? つまり容量ってのは決まってて、それが一杯になるとそれ以上変化はしないって事だ。だったらこの宇宙が質量を目一杯溜め込んだ場合、宇宙はそれ以上の変化を終え終焉を迎える」
「けれどそうなっては困るし、何より歴史を歪める事は過去に嘘を吐いて未来を歪めることに繋がる。それを防ぐために、あたしたち『Para Dogs』が存在するんだよ」
「……でもそれで、すれ違いがなくなるわけじゃないだろ?」
「言い訳にはできるんだよ」
実際にエントロピーが目に見えるわけでは無い。けれどそれは解決や正義と言った何かの定規に当て嵌めてどうにかなったと解釈する。その理由付けに『Para Dogs』と言う組織が存在する……。
「まるで神様だな」
言葉にしてどうでもいい答えに至る。
結局その人が納得するかどうかだ。何かを見聞きして楽しいと思えばそれでいい。それは神様がくれた贈り物だ、なんて……それこそ宗教染みた話か。
要の言葉に未来は肩を竦めて、楽は溜め息を吐く。
「…………無駄な時間使ったな。にしても要がこんなに益のない話についてくるとは思わなかった」
「哲学者になるつもりは無いけどな」
「哲学者になり損ねた奴はな、一般的に厨二病って言うんだぞ?」
「自己紹介どうも」
何よりも意味が無いのはこんな会話だろうか。現実ではそんなの有り触れているのに……世界は時間を浪費している。
「もう、変な話してないで帰るよ。女の子待たせてるんだから」
「だってよ、ロリコン」
「まだ手は出さねぇよっ」
「なぁ未来、やっぱりこいつ捕まえられないか?」
「目を閉じないと吐くよ?」
何その喋ると舌を噛む的な脅し文句。
言いつつ問答無用で二人の手を取った未来が『時空間移動』の異能力を行使する。寸前で瞼を閉じてどうにか畳への吐瀉を回避。一瞬の重力方向の変化の後に見慣れた部屋へと戻ってきて息を吐く。
「あ、おかえりー。こっちの準備は終わってるよ?」
「ん、お疲れ」
「そっちはどうだったの?」
「問題なしだ。予定通り未来を再現してきた」
「むむー……私だけ知らないのが不公平だよぉ」
帰って来て早々むくれ始める由緒。残念ながら、由緒だけにはどうあっても知られてはならない『パラドックス・プレゼント』だ。今から半世紀かけて盛大に伏線を積み重ね、彼女の我慢と理不尽を許容するのだ。一体どちらに対しての拷問だろうか。
「要さん、これどうぞ」
「あぁ、ありがとう」
考えていると加々美が透明な袋に入った毛髪を差し出してくる。と、そこで浮かんだ疑問が矛盾に気付く。
「ってあれ? 加々美は父さんが生きてた時代の事を知らないよな? どうやって取ってきたんだ?」
「はい。知りませんよ。だから知っている人に手を貸していただきました」
雅人が事故に会う過去の時間は、要と未来しか知らないはずだ。一応由緒もその時間にいた事があるから選択肢にも入るが、『時間遡行』で彼女の記憶を参照できない以上、移動には要か未来の協力が不可欠だろう。
だからこうして帰ってきた今、要の記憶を使って今度は雅人が生きていた頃に跳んでもらい、毛髪を手に入れてきてもらおうと思っていたのに。
けれどそれを無しに、加々美が目的を果たしている。その矛盾に可能性を探し始める。
要と未来……。移動先、由緒の事故……。これからの行動。そこにいる人物…………。
「あっ、そうか。加々美自身か」
「ばれちゃいましたね」
「……? どういうこと?」
未だ到達していない未来を想像で補えば、ありえる可能性を一つ見つける。と、どうやら未来はそこまで考えが至らなかったようで答えを求めてきた。
「確かにあの過去に行った事がない加々美は記憶を持たない。だから普通なら再現不可能だ。けれど……事故の起きる過去に行った後の加々美ならその事を覚えてる。その記憶を移動先に指定できる」
「…………ちょっと待って。『時間遡行』は経験による記憶が移動の指定先だよ。行った事がない場所にはいけない! 自分の未来の記憶を参照する事はでない! 時間の逆接だよ!」
「だから行ったことのある人物の手を借りる。本来は、俺か未来がここから加々美をあの事故の時間に送って取ってきてもらう手筈だった」
これは、酷い矛盾だ。だからこそそれに至った加々美が、未来以上の才媛なのだと知る。流石は12歳で『Para Dogs』の一員となった特別だ。
「過去に行った事がない加々美が、その過去へ向かう。その矛盾は、由緒の事故未遂のその後の時間で解決可能なんだよ」
「…………まさか……!」
「あぁ、加々美は。俺の父さんが事故に遭う過去に行った後の、未来の加々美に接触して過去に行ってきたんだ」
簡単な想像だ。この後要達は『催眠暗示』の逆位相を解いて回る。それを円滑に進めるためには、要の記憶で最も未来の時間……由緒の事故未遂があった後の時間から行えばそれ以上の時空間移動は必要なくなる。人を探すだけでよくなるからだ。
となれば当然、そこには未来も、由緒も。そして楽も、加々美もいる筈だ。そしてそこにいる加々美は、今こうして雅人の事故が起きる過去に行って戻ってきた後の彼女だ。
あとは、全てが噛み合う。加々美に任せた最初の再現。ポータブルオーディオプレーヤーの回収は、事故を起こした冬子の車内から取って来る必要がある。そしてそれは、由緒の事故未遂の直後だ。
その後、過去であり未来の要達がその時間に『催眠暗示』の解除をしにやってくる事を見越して留まり、その中にいる未来の自分……雅人の事故の過去から髪の毛を取ってきた後の加々美に接触し、その記憶を元に『時間遡行』で移動する。
由緒の事故の直後から直接雅人の過去へ。そしてそこからこの部屋に戻ってくれば、いちいちここに戻ってこなくも一人で目的を果たせると言うことだ。
本当に、酷い矛盾で。そして何処までも賢い歴史利用だ。
これこそ本当の意味での歴史干渉。未来の己でさえも利用する異能力の最大限の活用法だ。
「そんなの……でも加々美ちゃんがそこにいなかったら…………!」
「違うぞ、未来。それを想像で計画した時点で、加々美は後にそれを再現するだけになる。つまり再現する事を前提にした有効利用って事だ」
加々美の考えに追いついた要でさえ正気を疑うほどの計算。まだ見ぬ未来を過去が決める、時間の逆接を肯定し否定する悪魔の所業。
今に至ってようやく考えを改める。要よりも、誰よりも。加々美が一番歴史を利用している悪役だ。
「……人を化け物みたいに言わないでくださいよ。ちょっと気がついたからそれを使っただけです」
「ちょっとで思いつくのが恐ろしいよ…………」
子供の発想力は自由だからこそ時に面白いものを見せてくれると。要直々に加々美を埒外に放り込んでそれ以上の思索を切り捨てる。子供怖いね。
「……で、次は加々美のそれも含めて『催眠暗示』の解除か?」
「取りこぼしがあっても後で面倒に思うだけだぞ。あと優先順位を付けるのはモチベーションに繋がるからな」
「別に優先順位も何もあったもんじゃないけれどな」
楽の声に答えて、それから脳裏を旅してこれまでの矛盾を目の前に晒す。
「まずは……廃ビルか。未来が由緒を迎えに来て連れて帰る。その時に空白を作るように指示する。これがないとさっき再現してきた景色が作れないからな」
前提として由緒と未来も同じ時間に重なれない。あの廃ビルの時間には由緒も未来もいなかった。だから未来の由緒と未来がやってきて同時間軸に存在できたのだ。
その再現の為に、廃ビルから開放した由緒を未来が連れて帰る。その事について裏から辻褄を合わせる必要がある。
「で、次は俺の父さんが事故死をした直後だ。あの時俺は制限抵触で未来が元居た時間に戻ったから一人になった。そこに未来がやってきてその未来のお陰で俺も未来の元へと移動できた」
「……その再現はあたしの『時空間移動』で可能だね。由緒さんの『時間遡行』の制限で、その異能力だとあたしが同じ時間には行けない。けどあたしの『時空間移動』なら話は別だから」
未来が要の父親……雅人の体を突き飛ばして事故を起こした。その事実は今更覆らないし、変えるべき歴史でもない。あれはもう、要の中でそういうものだと納得できている。
問題はその際に未来に由緒の『時間遡行』の制限がついたこと。
『時間遡行』には、制限抵触をした際、その時に向かった時間に二度といけなくなるというものが存在する。けれどこれは、『時間遡行』を使って移動する場合に揃う条件だ。だから未来の『時空間移動』ならそれには当て嵌まらない。
「……そう言えばこの制限は永続なんだな」
「…………?」
「未来が教えてくれた事だ。制限は基本的に上書き、後から効果を発揮した異能力の者が適応される。けどこの制限に関しては幾ら上書きをしようと消えることのない制限だって事だ」
「あぁ、うん。だからその時一緒に言ったはずだよ。例外はある、って」
────中には例外もあるだろうけど、一般的に異能力の制限は後から受けたものに上書きされ、前のものは効果を無くす
それは未来が要の元へやってきたのは別の……由緒の異能力を使っての事だといい当てた時のこと。伏線と言うか、しっかり説明はされていた。逃げ道ではなく、そう言う物だと明言こそはしていなかったが口にはしていたのだ。
楽にも言われたくらいに言葉の裏を掻くのは要も大概だが、未来だって充分に詐欺師の才能があるのではなかろうか。
「それからその裏の事だね。お兄ちゃんが未来のあたしと出会ってる頃、あたしは未来のお兄ちゃんに会ってる」
だからこそ未来は由緒の事故を未遂で止められた。
そもそもがおかしな話だ。由緒の事故未遂は、雅人を突き飛ばした直後におきている。そんな少しの間で、責任感の強い未来が直ぐに立ち直れるはずは無い。
ならばそこには、彼女を支える何かがあって然るべきなのだ。
「つまり未来が過去の俺に接触することと、俺が過去の未来に接触する必要があるわけだな」
ここまでで既に三つ。けれど解消されていない矛盾はまだまだ存在する。
「その後は……あぁ、そうだ。ショッピングセンターだな。あれの空間固定の解除も必要だ」
空間固定の解除。それは由緒の事故を未遂で終わらせるために走り回っていた時のこと。要を負う坩堝と化したあの建造物から、正気を失った人たちを外に出さないために施した封印。けれどそれは、次にショッピングセンターに向かった時には既に解除されていた。あの時はきっとどうにかなるのだろうと辻褄合わせを丸投げしたけれど、それが今こうして回ってくるのだ。
「あれは、重なれる誰かがすればいいよね。お兄ちゃんか、楽さんか、加々美ちゃん」
「役割分担が必要ならな」
そうして思考は加々美がやらかした歴史利用にも繋がるこの歴史再現の根幹へ。
「あとは一連の『催眠暗示』だな」
「ん、あぁ、そうだな。……因みにクラスメイトの『催眠暗示』はヒントのつもりでもあったんだぞ? 全部要の周囲で起きてる。だからこそ犯人は近くに居るってな」
開き直られても困る。と言うか正当化をしないで欲しい。
けれどそれらの『催眠暗示』を解除する逆位相は先ほど作ってUSBに入れてある。後はそれを使うだけだ。
「それで? 結局決まったのか? 経験分の記憶は消すか、それとも残すか」
「問題はそこだな」
楽の声に答えて悩む。
逆位相を作る前にこの話になった時楽は言った。『催眠暗示』を消してもその間に経験した記憶は残ると。だからその経験を、残す消すか。
もちろん残したところで何かあるわけではない。ただ終わった後になって、こんな事もあったと笑い話になるだけだ。
ただ消すとなれば、その間の偽の記憶を必要とする。
「記憶自体は透目さんの『記憶操作』でどうにかできるからな。直ぐにどうこうって話でもないんだけど」
言葉にして、それから傍らでは由緒の事を考える。
由緒は、時空間移動異能力保持者だ。だから透目の『記憶操作』の効果が及ばない。つまり記憶を弄るには楽の『催眠暗示』に頼るしかなくなる。
つまり楽が帰るまでに決断をしなければ、最悪由緒には記憶が残り、要からは記憶か消えるという差異が生まれてしまう。
そうなれば最終的には個人の問題だ。忘れてしまう要が何かを言える立場ではなくなるのだが……そんな想像が出来てしまうからこそ、要としても要自身に疑問の矛先が向く。
そうして真実を知ったまま、要に対して由緒に嘘を吐き続けさせるのかと。要の事で、また責任を背負わせるのかと。
今まで充分以上に彼女には甘えてきた。中学の頃からの恋心。《傷持ち》としての共犯者。そして『パラドックス・プレゼント』……。ここへ更にこの歴史再現の記憶を一人で背負わせるのか、と。
我がままを一つ言ってもいいのなら。そんな独りよがりを押し付ける事も、由緒が背負い込む事も、例え忘れるのだとしてもやはり要としての何かが耐えられない。
ならば何か嘘を吐いてでも、由緒の責任を半分は肩代わりするべきではないのだろうか。
その嘘を、要は持っているのだろうか。
「よー君はよー君の事だけ考えてればいいよ?」
そんな要の葛藤を見透かしたように、由緒が当たり前の答えを紡ぐ。
「よー君が色々考えてくれるのは嬉しいけどね、それでよー君が我慢するのは私が嫌だから。だからよー君はよー君の好きにしたらいいよ」
由緒のその言葉に、脳裏を幾つかの想像が巡って、それから覚悟と共に一つの答えを導き出す。
「……分かった。とりあえず記憶の事は後回しだ。何より今消したらこの後するべき歴史再現も出来なくなるからな」
「そうだな」
その場しのぎで先送りにして、それから焦点を目の前に戻す。
「後再現って言ったら……あぁ、楽を裏切った《傷持ち》か」
「その髪の毛の時だね」
楽が未来へ行く前。居るはずのない《傷持ち》と対峙し、そしてたった一度の共闘をしたあの過去。
《傷持ち》である以上、それは誰かが代役をすることは出来ない。あれは要が担当する歴史再現だ。
逆に言えば、それ以外の歴史再現については『変装服』と『小型変声機』を使って別の誰かが再現できる景色だ。やろうと思えば役割分担も可能だが。
「……我がままを言うようだけど、俺に関する再現は俺にやらせてくれないか? それがけじめだと思うからな」
「責任感……じゃないよね。ちょっとでもこのありえない時間が続けばいいって思ってるでしょ」
「…………何の事?」
とりあえず惚けておく。
だって仕方ないじゃないか。始まりがあれば終わりがあるように。この歴史再現も既に終わりが目前だ。終幕を迎えてしまえば、要はまたあの日常に戻らなければ行けない。物語の主人公のように、異世界を旅し続けることは出来ないのだ。
だから今この瞬間を一秒でも堪能できるように無駄な努力をする。その努力のためにこうして無意味な会話で引き伸ばそうとする……。その理想に憧れる子供の夢をどうして否定されなければならないのか。
そこに将来を夢見る子供とどれ程の差がある。
子供が大人になりたいと願い、大人が子供に戻りたいと思う。その矛盾にも似た現実逃避を、高々個人の夢にしかなりえない希望を否定されるいわれは無いはずだ。
「要さんって、ここに居る誰よりも子供ですよね」
加々美に言われて、返す言葉も無く顔を逸らす。
人から子供の心を取ったら、後に何が残るというのか。そんなつまらない大人に、要はなりたくないだけなのだ。
「それはお兄ちゃんの夢だからあたしには何も言えないけれど。でも前に進まない夢って意味があるの? 眠って見る夢は、現実じゃないんだよ?」
駄々を捏ねる子供を諭すような未来の言葉。これだから大人は嫌いなのだと何かに毒吐いて。それから未来へ向けて手を差し出す。
「…………母さんと冬子さんのこの歴史再現に関する記憶を消しに行く」
「ん、そうだね」
「やっと戻れるんだね」
向かう先は、由緒の事故を未遂にし、《傷持ち》と乱闘を繰り広げたその後。要の認識で、最も未来に位置する現実の時間。加々美が未来の加々美にあった時間であり、過去の加々美に会いに行く時間。そして何より──由緒の誕生日当日。
思えば、未来が来てから由緒の事故未遂までは現実時間で六日しか経っていないのかと愕然とする。
もちろん六日以上を要は過ごしているから、もっと長かったように感じるのだろうけれども。それ以上に目まぐるしく景色が動いたから六日間の出来事には感じないのかもしれない。
それほどには鮮烈で、要が前に進みたくないと思えるほどに非日常だったのだ。
こんな経験、二度とすることは無いだろう。
「じゃ、いくよ?」
右手を未来と、左手を由緒と。それから円を描くように楽と加々美も加わって。たった五人で騙し騙されした過去に別れを告げる。
ここから先は、未来を思い、未来を慈しむ歴史再現。
過去のために未来を変えて。
その言葉が、要自身の心に向けて響き渡る。
変わるのは、周囲ではない。個人の認識の問題だ。
だからこそ、楽しかったと過去が生まれるのだろう。不安だと未来があるのだろう。
それでも不平等なほどに平等な時間の流れが、未だ来ぬ歴史を過ぎ去る経験に変えていく。




