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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
面壁九年の贈り物
60/70

第三章

 加々美(かがみ)の『能力転写(コピー)』で(らく)達の元へ戻って来ると、既にノーパソを取ってきたらしい彼がソフトを立ち上げて『催眠暗示(ヒュプノ)』の逆位相を作っていた。


「おう(かなめ)、おかえり」

「ただいま。そっちは順調か?」

「もう少し時間が掛かるけれどな。で、どうするよ。直ぐに歴史再現に向かうか?」


 きっと時間にしてみれば数瞬の出来事。要と加々美が未来で由緒(ゆお)を唆している間に、楽たちは病院に行ってノーパソを取ってくる。そこに過ごした時間分だけの差異はあるけれど、今この空間に少し前から定点カメラを置いていれば、要達が旅立ち、楽たちも移動して、楽たちが帰って来て、要たちも戻ってくると言う一連の入れ替わりが少しの間に起きているだけのこと。

 ただ少し違うのは、おそらく目の前の楽たちは要が『時空通信機(リンカム)』で話をした後の彼らだと言うことだ。

 その証拠に、今し方楽が零した言葉がある。

 彼の言う歴史再現とは、要が由緒を騙して再現させた廃ビルでの出来事……そこに要が意識を失う寸前に見た光景を今度は見られる側として刻み込むという話だ。

 それを楽がどうするかと尋ねるという事は、裏で要が未来の由緒をどうにか過去へ送った事を知っていると言うこと。そして要が未来で過ごした時間分、『時空通信機』で同様に時を刻んでいるということだ。

 『時空通信機』で繋がったもの同士の間には時間の隔たりがない。簡単に言えば電話なのだ。

 通話先の相手がそこに生きて同じ時間分だけ話をしているように、『時空通信機』は空間を跨ぎこそすれど互いの認識時間を自由に変えられる機能は存在しない。

 つまり未来で要が……体感で一時間ほど由緒を過去に連れて行くために奮闘したことから考えるに、今要がいるこの時間は要が未来に向かってから一時間後と言うわけだ。

 恐らくそれも考慮して加々美は時空間移動をしたのだろう。

 もし未来に行ったその直後に帰ってきたのであれば、例え彼らがそこにいたとしても『時空通信機』で要たちと通信する前で、これからあのやり取りをこの目で見る事になるからだ。そんな無駄な時間を要が体験する必要は無い。


「……いや、楽のそれが準備終わったらで構わないさ。今待つのも、歴史再現を終えて待つのも同じだからな」

「ん、そうか……。なら少し急ごうか?」

「別に構わないけれどな。もし時間が無駄に感じるなら俺が居なかった間のことでも話して聞かせてくれ」

「それは構わねぇが、生憎と少し集中したいからな。語り部はどっちかに任せるぞ」

「みくちゃんでっ!」

「あたしですかっ?」

「私飲み物買ってくるからっ」


 逃げと同時に押し付けた由緒の言葉に唸る未来(みく)。それからこちらに視線を向けてくるが、残念ながらその経験を要が代弁することは出来ない。だから語って欲しいと言ったのに。

 傍らで、由緒が外出の準備を始める。相変わらず卑怯なことだ。

 それに要の想像が正しければ、未来は由緒の頼みを断れない筈だ。そしてそれがこの歴史再現の根幹に存在する何よりの理由なのだ。


「うぅ……分かりました。その代わり変なこと言っても聞き流してね?」


 何かを警戒するように要へ向けて釘を刺す未来。その言葉に、少しだけ考えて納得がいく。

 要自身、日本人として正しい日本語を正しく認識して使いたいというのが本音だ。そしてそれは、半世紀経った後でも変わっていない要の心情の一つだろう。

 となれば未来において要の孫である未来は、要が日本語に関してある程度厳しい目を持っている事も知っているのだろう。そしてそれが昔からの物でもあると知っているから、話の腰を折らないで欲しいと訴えているのだ。

 もちろん聞く分には意味を自分なりに解釈するからいいのだが、やはりその中で間違った意味で使われている言葉に気付くと言わないまでも顔に出るかもしれないと。

 少しだけ神経質すぎる己の性格に難儀なものだと呆れつつ、自分に言い聞かせるように答える。


「とりあえず聞き流しはするさ。聞き終わった後の事は知らないけれどな」


 そもそもどうして要がこんなに日本語に敏感なのかと言うと、それは由緒の所為なのだ。

 その場の雰囲気で生きて、意味さえ伝わればいいという軽い気持ちで音にする。感情をそのまま言葉にする嘘のない性格に振り回されたが故の反動なのだ。

 由緒は話に擬音や抽象的な表現、それからこそあど言葉と言われる指示語が多すぎる。加えて主語をよく抜かすし修飾語が何処に掛かっているのかが怪しいときもある。当然意味を間違えて覚えている語をさも当然のように使う。

 そんな話し方をする幼馴染の傍に長年いたのだ。ストレスも溜まれば反面教師にもなるだろう。それでいて要より成績がいいというのだから余計に腑に落ちないと言う話。

 未来が来てからは色々と起こりすぎてその鳴りを潜めてはいるが、そろそろ落ち着いてきた現状、病気のようなそれが再発してもおかしくないはずだ。


「そんな事言って、よー君人に怒るのが苦手なくせにっ」

「うるさいっ」


 全く、幼馴染と言うのはそれだけで厄介なことだ。

 からかいの声に返しつつしっかりと腰を落ち着けて未来へと向き直る。


「んと、それじゃあ順を追ってでいいよね。となるとまずはちょっとした喧嘩かな……」


 そうして話し始めた未来の最初の言葉に不穏なものを感じつつ、とりあえず最後まで聞こうと耳を傾けた。




              *   *   *




 お兄ちゃんが目的を果たしに未来へ向かった後。お兄ちゃんに言われた通りに準備を進めようと今一度意思の統一を試みた。

 と言うのも、ここにいるのはあたしと、由緒さんと、そして未だ疑わしき楽さん。

 もちろんお兄ちゃんの事を疑っているわけではない。けれどそれと楽さんを信用することはまた別問題だ。

 なにせどうあっても曲げられない過去として、彼はこれまでにあたし達を振り回し続けてきたのだ。歴史に干渉し、それを歪めようと画策して……由緒さんの誘拐、お兄ちゃんのお父さんの事故、由緒さんの事故未遂、お兄ちゃんの利用、そして《傷持ち》としての実行犯の押し付けた。

 どう考えても言い逃れの出来ない悪事で、それを企てた主犯なのだ。

 これほどまでに多数の蛮行を引き起こした張本人が、素直に罪を認めて償うなんてそれこそ信じられない話だ。

 一応由緒さんもあたしも現代人とはいる時間がずれているから彼の『催眠暗示』の影響下には入らない。由緒さんに関しては後催眠暗示の可能性もあるけれど、それはあたしが注意をしていればいいだけの話だ。だから彼の異能力で今更あたし達をどうにかできる可能性は低いけれども。

 しかしもし別のところで何かしらの準備を進めていたならば、それを使ってお兄ちゃんのいない今この時に何かを仕掛けてくるという可能性だって捨てきれない。

 それくらいに懸念が拭えないほどには、彼と言う存在は信じるに値しないこれまでを紡いできたのだ。

 だからそんな彼の真意を今一度測るために、できることなら話し合いで何かしらの関係を紡いでおくべきだと。

 少なくともそれくらいの歩みよりを思いつくくらいには、あたしも善人で誰かを信じたいのかもしれない……。


「…………楽さん、今ここではっきりさせておきましょう」

「何をだ?」

「楽さんは、何が目的でここいいるんですか。何をしようとしていたんですか?」


 回りくどい質問も面倒臭い。単刀直入にそう尋ねれば、楽さんは何か違和感を見つめるようにその青い瞳をこちらに向けながら答える。


「…………目的も何も……あぁ、いや、そう言う事か。……悪い、それは言えない」

「……? 終わったことじゃないの?」

「まぁそうとも言えるけれどな」


 要領を得ない彼の言葉に響いた疑問は由緒さんの声。重ねて答えた言葉にあたしは彼を見つめる視線を強くする。


「……まだ終わってないってことですか?」

「俺たちからしてみればそうだろう? ……時空間事件としてのこれは、今俺がここにいたところでまだ全部丸く収まってない。それは何よりも未来に向かった要が示してることだ」


 彼の言葉に少しだけ考える。

 お兄ちゃんは今未来に向かっている。それはこれまでに起きた矛盾を解消するためにだ。けれどそれは時空間事件の解決において最終段階……全ての辻褄合わせと言うのは事後処理のようなものなのだ。

 だから経験上、そこに手を出した今これ以上何かが起こるなんて思ってはいなかったのだけれども。

 その想像が彼の言葉で覆される。

 この辻褄合わせの歴史再現だって、まだこれから起こる事の土台作りに過ぎないと。そんな言葉を聞けば更に彼へ対する不信が募る。


「これから何が起こるかについては言えない。けれど少なくとも、俺はこれ以上景色を掻き回す事はしない。少し前に言っただろ、何かしらの危害を加えようとは思わないってな」

「……楽さんは、これから起こる何かを知っているんですよね。それを隠された上で、何もする気がないなんて、どうやってあたしがそれを信じればいいんですか?」

「信じる必要が何処にある?」

「信じられなければ、楽さんがこれから逆位相を作る保証もありませんから。確信がない以上、あたしは手を貸すことはできません」


 隠される事が嫌なのではない。単純に、手を貸すというのならそれだけの信頼関係が必要だという話だ。

 話せない事を無理矢理言葉にさせようとはあたしも思わない。あたしにだって口にできない事は無数に存在するし、今までだってそれを隠したままどうにかやってきた。

 それは見方を変えれば、周りの人たちを騙していることには変わらないけれど。だからこそいつだってあたしは真剣に嘘だけは吐かなかったつもりだ。

 もちろん目の前の彼が嘘を吐いていると言う確証もない。だから言ってしまえば、これはあたし個人の彼に対する評価の問題なのだ。


「例えそれが要が託した事であってもか?」

「っ……!」


 全てを見透かしたような言葉に息を呑む。

 実際のところ、彼はあたしより未来の時代からやってきた人物だから、あたしの事をあたし以上に知っていても不思議ではないのだけれども。その知識だけであたしの中の全てを推し量られるような言い分には流石に我慢がならない。

 大体、彼に一体何が理解できるというのか。居場所が見つからなくて、ただ一人機械のように仕事をこなしていた中に唯一見つけた拠り所。そんな人の過去と未来を守るために今ここにいる……。

 例えそれが必然であっても、運命に導かれた偶然であっても。彼の……お兄ちゃんの……お爺ちゃんの力になるために全力を賭す、あたしのこの気持ちを誰に理解出来ようか。


「それにだ。信じる事も美徳だがな、疑うこともまた極めれば正直者の証だぞ?」

「どういう意味?」


 理解が出来ないと視線で告げれば、その気持ちを代弁するように由緒さんが問う。彼は、その声に当然とばかりに答える。


「狼少年って知ってるか?」

「嘘を吐き続けてたら本当の事を信じてもらえなくなるって言う話?」

「あぁ。あれって少し見方を変えればツンデレと同じなんだよ。思ってることと言ってることが違う……。でだ、基本的にツンデレを理解しようと思ったらその言葉の裏側を疑う必要があるわけだ」


 ツンデレなる性格に関してはあたしも少しは知っている。と言うか彼の言うツンデレとは原初のそれではない。

 そもそもツンデレとは好きな相手の前ではデレ、それ以外の人の前ではツンと興味のあまりない態度を取る性格のことなのだ。それが変じて、好きな相手にも素直になれない性格の事をツンデレと呼ぶようになり、そちらがギャップの美学として有名になってしまったという話。


「それと同じように他人の言う事を疑うってのは、視点を変えれば疑う方は逆の認識をするって事だ。つまり誰かを疑い続けるひねくれものに対して白と言えば黒と言うように、逆に利用すればいいだけの話」


 そこまで話して、ようやく彼の言いたい事を理解する。


「だったらだ。相手が自分を疑っていて、信じてくれないのであれば、疑われた先にこちらの真意を伝えればいい。例えば、俺が本心から二人と協力をしたいとする。けれど二人は俺の事を信じていない。ならば俺は結果的に協力するように嘘を吐き続ければいい話だ」

「……そっか、疑われて信じない事を逆に利用するんだ」

「あぁ。だからこそ、疑い続ける事は正直者の証であり、半端に嘘を吐くやつよりは天邪鬼として御しやすいって話だ」


 ────別に恨まれるなら恨んでくれて構わないけれどな


 そう言えばそんな事も言っていた気がする。だから別に、あたしに疑われていても気にしないのだろう。今し方言葉にした通り、それなりのやり方があるのだから。

 けれどもちろんそれにもリスクはあるだろう。この話をした事であたしも単純に彼の事を疑えなくなったのだから、彼だって簡単な嘘は吐けないはずで……。


「でだ。俺がこの話をするって事は手の内を明かしたも同然だ。何せこの方法が使えなくなるからな。まぁ今まで充分に使ってきたからそれで満足してると言えばその通りだけれどな」

「…………分かった。信じるとか疑うとか、そういうのを抜きにしてとりあえず今は協力してあげる。あたしが信頼してるのは楽さんじゃない、お兄ちゃんが言ったことだから」

「それで構わねぇよ。結果は同じだ。どっちが正しいかなんてそれこそ不毛な論争だからな」


 折り合いを付けるわけでは無いけれど。暗黙の了解としてこれ以上言い争いをしても仕方がない。

 一応お兄ちゃんが捕まえてきて、加えて加々美ちゃんまで彼の身柄を保証したのだ。ならばそれだけは十分に真実に値するだろう。

 それにいざと言う時はあたしが彼を拘束すればいいだけのこと。その注意をはずさなければそれでいい。


「……よし、ならやるべき事をするぞ。まずはあの病院だな」

「病院……?」

「あぁそっか、由緒っちは見てないんだっけか。……時間が捩れてるから細かいことは省くけどな、要からノーパソを借りたまま病院に置いてきちまったんだよ。それが無いと逆位相が作れないからな」

「それじゃあそれを取りに行くんだね」

「あぁ。由緒っちの異能力で跳ばしてもらえるか?」

「分かったよっ」


 由緒さんは、疑うことが嫌いなのか、それとも何か理由があるのか。彼の事を必要以上に警戒していない。何より最も彼に振り回されたのは彼女自身なのに、その事実を飲み込んでいる。

 そう信じるに足る何かがもしかしたらあるのかもしれないが……。

 考えながらけれど成すべき事は変わらない。とりあえずはと自分に言い聞かせて由緒さんの手を取り目を閉じる。


「それじゃあいくよっ」


 声に合わせて僅かに空間が歪む感覚。これはあたしが『時空間移動(タイムトラベル)』の異能力に覚醒したから敏感になったのかもしれないが、こうした他人の時空間移動に対して普通の人では感じないものを感じるのだ。

 時間と空間の感覚が曖昧に伸びて、前後に引っ張られていく感覚。視覚的に例えれば、よくミカンが入っているネットを引っ張って網目を広げたようなそれ。やがて周りの色や温度が前後に集束されて点になると、伸びた網が元に戻るように辺りに色々な感覚が戻ってくる。その時には既に移動先の景色や時間に変化していて、まるで一瞬だけフィクションのワームホールに入ったような感覚を覚える。シュヴァルツシルト面とか特異点とか、そう言ったタイムトラベルものにおいてよく聞く用語の親戚か何かなのだろうとあたしは思っているけれど。

 そんな事を考えていると辺りの感覚が同期していつもの移動の終了を覚え目を開く。目に入ったのは白い内壁の病院の一室。たった数度訪れただけの簡素で清潔な内壁にふと脳裏を過ぎる事が一つ。

 白色と言うのは心理学的にリスタートや医療の色と言われるから病院のメインカラーとして使われているけれども、逆に黒色もまた死への抵抗と言った意味で生にしがみつく心の表れとも言われるらしい。一般的に黒と言うと暗いイメージをしがちだが、そういう意味で新しいあり方があってもいいのでは無いだろうかと言う話をどこかで聞いた気がすると。

 とは言え黒い病院と言うのは第一印象として医療から正反対の想像をしてしまうからあまり受け入れられないはずだ。……どこかに一つくらい黒色を基調とした病院があってもいいのかもしれないとも考える辺り、あたしもお兄ちゃんの事は馬鹿に出来ないか。

 それに、もしその病院が批難されるようなら、逆説的に白色の病院が今以上に安全神話を積み重ねるだけなのだから。

 と、そんな事を考えてしまうのは先ほどの楽さんの話が胸の内で大きく渦巻いているからだろうか。

 疑う事が何よりの信用の証、なんて。ともすれば詭弁のような暴論はやっぱり少し受け入れ難いけれども。確かにそれも突き詰めれば信頼に足る嘘なのかもしれないと思いつつ。

 そう言えばあたしがお兄ちゃんに対して抱く感情も似たようなものなのかもしれないと納得に満たない自己解決をする。

 やっぱり、あたしはお兄ちゃんの事が好きなのだろう。別にその事でお兄ちゃんを困らせたいわけではない。単純に、普通の女の子として恋に恋焦がれて、あたしの事を理解してくれている相手が眩しく見えているだけだ。そう客観視した上で、彼の事を魅力的に思っているのは確かだ。

 そんな彼が当然のように何かにつけて箍の外れたような事を言うのは信用なんてものを言葉ほど信頼していないからだろう。

 彼の生い立ちは確かに普通とは違うのかもしれない。加えてその父親の死に関わったのはあたし自身だ。何よりも彼の事を歪めてしまった原因はあたしにあると言ってもいい。

 だから上辺はどうあれ心の底ではきっとその殆どを信用などしていない彼の事が、それは信用をしたい事の裏返しなのだとどこかで気付いて彼の事を理解した気になっているのだろう。

 その自戒が彼を特別視させている事も分かっている。何より確かな血で繋がっているから……彼が未来であたしの拠り所になってくれたから、あたしの過去を救ってくれた人だから、その恩を返したいだけなのかもしれないけれど。

 そんな色々の上に彼の事が気になって、この運命的とも思える偶然で必然な歴史に酔っているだけなのだろう。

 こうして考える分だけどうにもならない気持ちだけが渦巻いてまた自己嫌悪に陥っていく。

 結局あたしの独りよがり。人生が独りよがりでなければ一体なんなのだと言う話ではあるのだが……。


「……そう言えば楽さん、お腹の傷はどうしたんですか?」

「未来に行った時にナノマシンで治療してきた。あっちでは二日過ごしたからな。そう考えれば要はこの件に関して未来ちゃんよりも未来人だな」


 指摘されて、どこかで見て見ぬ振りをしていた違和感に焦点が合う。

 お兄ちゃんは歪んでこそいるけれど何処までも前を見据えていて、由緒さんもそんなお兄ちゃんを理解していて。楽さんと加々美ちゃんは当然あたしより未来の時代からやってきた未来人で……。そうするとこの時空間事件において最も過去に生きているのはあたしなのだろうと。きっと視界が狭くて今起きている事を最も理解出来ていないのはあたしなのだ。

 固執しているといえばそれまで。あたしはきっと頑固者で、前時代的すぎるのかもしれない。時空間を渡る力を持ちながら周りに取り残されているなんて皮肉な話だ。


「っと、ノーパソって重いよなぁ。この時代ならせめてタブレットだったらよかったのに」

「未来ならもっと小型化してますよ」

「それはタブレットを今より過去に持って行っても同じことだろ?」

「と言うかそれ過去に持って行って使えるんですか?」

「逆位相作るだけなら別にネットに繋ぐ必要は無いからな。必要なソフトは要に貸してもらった時に既に落としてるし」


 なんと言うか、あたしも大概電子の網に囚われていることだ。電子機器なんてネットに繋がっていて当たり前……そうでなければがらくたなんて考えてしまうくらいには常識は変化してしまう。それを技術の進歩と言うのならそうかもしれないが、なんだか大事なものを忘れてしまったみたいで少しだけ悲しい感じがした。


「さて、それじゃあ帰るか」

「……最後に一ついいですか?」

「なんだ?」


 ノートパソコンを脇に抱えた楽さんに質問をぶつける。それはもしかしたらという想像。勘にも満たないただの自己満足。


「楽さんの本当の目的ってなんですか?」

「ただの歴史再現だ」

「それは誰のためですか?」


 ここに来る前と同じ問い。言葉にして、自分の中でも確かな疑問に変わっていく。


「今質問に答えてくれたのは答えられる理由かあるからですよね。あたしには答えてもいい」

「そういやぁ未来ちゃんはそっちを専攻してたんだっけ?」


 やっぱり見透かされているようで嫌な気分だけれども。彼の言葉の端に肯定の色を感じて自分の勘が正しかった事を悟る。

 彼が言ったように元々あたしは取調べや尋問と言った裏方に興味があったのは確かだ。そこから少しだけ似通った事件の解決へと言うのが今の仕事。物事を追究し真実を明らかにする事に関しては同じ部類だ。だからあたしでもどうにかなっている事が多いのだろう。今回はその例外に当て嵌まるのだろうが。


「……そう言う事ですか。だから今まではぐらかし続けてきたんですね」

「サプライズってのは当人に知られたら終わりだからな」

「分からないのはそこに楽さんが関わる理由だけですけれど」

「そこまで見透かされたら未来視って言ってあげるよ」


 推理物におけるホワイダニット……動機の部分だけは感情論に頼るところが大きい。だから質問攻めにして言葉の矛盾から真実を言い当てるのが常套手段ではあるけれど。それを知られてしまえばこの方法は使えない。

 その動機に、きっとお兄ちゃんは至ったのだ。だから彼を捕まえる事が出来た。

 と、そこまで考えて重なった視点がもしかしてを描き出す。


「……お兄ちゃんが理解できたって事は、それって…………」

「はい、そこまでだ。それ以上は口にするだけ野暮って話だ。未来ちゃんは話の判る子だと思ってるぞ?」

「…………空気を読むなんてそれこそ超能力みたいな話ですよ」

「外国人から見ると日本人のそれは超能力って話も聞いた事があるな」


 答えを曖昧にするようにずれた話題であたしもそれ以上を諦める。

 楽さんとこの手の話をしても埒が明かない。水掛け論にも似た暖簾に腕押し。お兄ちゃんはよくもこんな人とまともに言葉を交わせているものだ。……いや、まともに話をしていないから会話が成り立っているのかもしれない。

 考えつつ溜息一つ。それから仕方なしに手を差し出せば、その手を取る楽に向けて解せない胸の内を吐き出す。


「それから、やっぱりあたしは楽さんの事を信用も信頼も出来ません」

「それでいいさ。信じられてないって言ってくれた方が未来ちゃんの事を信じられる」


 戻った話に視線を外して。それから閉じた視界から異能力を行使する。

 辺りの色や温度が急速に失われて重力方向が右から左へ。人ごみで誰かに押されたような一瞬の衝撃の後に、足の裏が畳の感触を踏み締める。

 開いた視界には安堵さえ覚えるあの一室。由緒さんの背中を見つけて声を掛ける。

 どうでもいいけれど、あたしの場合移動先に人がいる事が分かっていれば、その人の背後に座標を設定する。それは目の前で空間が歪み、いきなり人が現れるという超常現象に驚かせないためと、足音と気配で気付いてもらうためだ。

 もちろん背後にいきなり現れる事で驚かせる事もあるけれど、それは我慢してもらいたいという話だ。

 と言うのも、人によっては時空間跳躍で生じた時空間の歪みに影響を受ける人にもいるのだ。具体的に言えば体調を崩したり、吐き気や眩暈を覚えたりと言う症状が見られる。

 そういう人は大抵発現前の異能力を秘めていたり、霊感が強かったりと言う異能力の影響を受けやすい体質である事が多い。もっと言えば、異能力は脳と密接な関わりのある力だ。だから霊感とかもそうだが基本的に脳がそういう事に敏感な人ほど影響を受けると言う話だ。

 そこに関して言えばお兄ちゃんは生涯に渡って異能力を発現しない。異能力とは正反対の場所にいる人だから、異能力に対する影響が脳ではなく体に出るのだ。比較するように由緒さんの場合は夢と言った部分に大きく症状が出ている。この症状と言う言い方も、異能力を病気と見た場合の医学的な見地によるものだが。


「ただいま戻りました」

「あ、おかえりー。見つかった?」

「あぁ。って事で俺はこれから逆位相の製作に入る。暇ならどこか遊びに行ってきたらどうだ? 要もどうせ直ぐには帰って来ないからな」

「どうしてそんな事が分かるの?」

「これだよ」


 由緒さんの疑問に答えて楽さんが取り出したのは『時空通信機』。恐らくその先にはお兄ちゃんがいるのだろう。

 『時空通信機』で繋がっていれば未来でも過去でもその間には平等な時間が流れる。つまりお兄ちゃんが未来でどれだけの時間を過ごしたかが分かるし、その通信後にお兄ちゃんたちが帰ってくるという話だ。

 もちろん目の前で楽さんが過去に向けて話しているという光景を目にする事に目を瞑れるのなら今この瞬間にもお兄ちゃんたちが帰って来てもおかしくは無いわけだけれども。お兄ちゃんの視点からしてみれば今返ってきたところで楽さんの逆位相ができるまで暇な時間が増えるだけだ。ならばその無駄を回避するためにも、少なくとも『時空通信機』での通信が終わってから帰ってくるというのが至る結論だろう。


「……例えそうであっても、楽さんを一人にするだけの信頼があたしにはありませんから。監視の意味も込めてここにいます」

「ま、好きにすればいいさ。ただ暇だからってこっちに話題は振らないでくれよ?」

「今更楽さんと話すようなことなんてありませんから」


 胸の内を告げれば音になったのは刺々しいやり取り。それを外から聞いていた由緒さんが、ノートパソコンを取りに行く前より更に悪化したと感じたらしいあたしと楽さんの関係に困ったような笑みを浮かべる。別に由緒さんが困るような事では無いのに、相変わらず優しい人だ。


「……えっと、よー君はどれくらいで帰って来るかな」

「楽さんの耳に着けているのが通信機です。少なくともあれで連絡があった後ですね」

「そっかぁ、分かんないかぁ。……じゃぁどうしよっか?」


 こういう時手元に娯楽の一つでもあれば自分の世界に没入できるのだろうが、生憎とそんなものは存在しない。

 かと言って由緒さんとの話で彼の逆位相製作の集中力を削ぐのもそれは巡り巡ってお兄ちゃんの目的の妨げになる気がして二の足を踏む。

 結果できることと言えば空気を読みつつ時間を潰すこと。アナログではあるが、本でも持ち歩く癖でもつけた方がいいだろうか。

 考えていると何かに思い至ったらしい由緒さんがポケットから端末を取り出す。それはお兄ちゃんの時代の携帯電話。いわゆるスマホと呼ばれる手のひらサイズの端末だ。

 電話、メールに限らずインターネットやアプリなど。様々な事が出来る小さなネット端末だが、けれど今いるこの時代ではネット環境はそれほど発達していない。電子の網に繋がらなければその殆どが意味を成さないはずだが。


「よかったよかった、不携帯と言うか家に忘れてる事がよくあってよー君に怒られるんだよね。携帯電話なら携帯しとけーって」


 言いつつ画面を操作した由緒さんがそれをこちらに向けてくる。


「はいこれ、ネットに繋がってなくても遊べるから二人でやろ? 充電はー、まぁ大丈夫でしょっ」

「いざと言うときに使えなくなったらどうするんですか?」

「大丈夫、大丈夫。基本ゲーム端末だしっ」


 携帯『電話』なのだから連絡手段としてが第一なのでは無いだろうかと。思っても、娯楽に飢えている現状仕方の無いことなのかもしれないが。


「暇はその人を殺す毒だってよー君も言ってたしっ」


 日常に呆れて暇を持て余してるような人が言うと説得力がある。

 そんな風に考えて仕方なく由緒さんの隣に移動し、一緒に画面を覗き込む。

 内容はパズルゲーム。決められた枠の中に図形をはめ込んで収めるというやつだ。既に半分ほどクリアされていて、残っているのは中級以上の難易度。

 こういう系統はのめり込めば意地になって解こうとしてしまうのが人の性のようなもの。別に解けたからといって目立った報酬があるわけでもないのに……たった一瞬の閃きに浸るためだけのものと言えば興味が薄れてしまうだろうか。それでも解ければやはり嬉しいのだから、人間は大概単純な生き物だ。


「よー君曰くこういうパズルゲームって女の人は苦手なんだって。空間把握能力……? が男の人より弱いからって。差別だと思わない?」

「つまり解けたらお兄ちゃんを見返せるって事ですね」

「そういうことっ。協力してくれる?」

「いいですよ」


 確かに女だからと一括りにされるのは癪な気分だ。そういうものには大抵個人差があるし、それにお兄ちゃんが知らない事実も確かにある。


「じゃあまずはー……あ、これ簡単だ」


 これはあたしと由緒さんだからこそと言う話なのだろうが、時空間に……特に空間に関わる異能力に発現した人と言うのは、脳に異能力の影響を受ける事で空間把握能力に強くなる傾向があるらしいのだ。あたしの『時空間移動』も、由緒さんの『時間遡行(Re:タイム)』も。そしてここにはいないけれど空間を渡る『瞬間移動(テレポーテーション)』の異能力を持つ人にも見られる現象。

 もちろんそういう異能力に関わらず、発現した異能力によってその分野に敏感になるという話だ。

 結果距離感や地理の把握に強くなって、あたしの場合はそれを戦いの面にも応用させている。運動能力は訓練でどうにかなる。そこに異能力由来の空間把握能力が加わる事で、戦いの駆け引きなどに秀でる事になるのだ。

 その根幹とも言うべき空間把握能力の上昇。たったそれだけの事で、頭の中で図形を組み合わせて形を補うパズルは得意分野となってしまう。


「あれー? 少し前まで解けなかったのに……。でもそういうのあるよね、日を改めたら閃くって言うのっ」

「由緒さんのそれは異能力のお陰ですよ」

「ほぇ?」

「『時間遡行』のお陰で空間把握能力が上がってるんです」

「何それ異能力すごいねっ。……って事はみくちゃんもこう言うの得意?」

「あまり比べる事をしないのでどうとは言えませんけれど、まぁそれなりには」

「つまりよー君をびっくりさせられるってことだっ」


 行動理念のどこかにお兄ちゃんがいる辺り、詭弁にすらならない正直さが少しだけ恐ろしくも感じる。

 別に由緒さんと争うつもりは無いけれど、彼女相手に男を取り合うなんて不毛なことかもしれない。

 何よりも恐ろしいのは無自覚で天然の愛嬌だ。ともすれば鬱陶しさと紙一重な触れ合いは、けれどなんだかんだで許してしまえる線引きをしているところに計算のような何かを感じる。

 もしそれが彼女が意図してのことだったら、あたしにはとても太刀打ちなどできそうにない。


「実を言うとずっと馬鹿にされてたんだよねぇ。……いや、私の被害妄想なのかもしれないけれど」

「無自覚で人を傷つける事もありますからね」

「お? みくちゃんもこっち側?」

「こっち側って何ですか。そういう可能性があるって話です」

「その言い方なんだかよー君とそっくり」


 返った言葉に思わず肩を揺らす。

 もしそうだと言うのなら、遺伝か、もしくはあたしが彼に憧れているからだろう。

 よく聞く話、夫婦の性格が似たり飼い犬と飼い主の顔が似通ったりと言うものがある。あれは単純接触効果や熟知性の原則と呼ばれる繰り返しによる潜在学習が主な理由だが、けれど確かに理由はあって。更にそこに遺伝と言う繋がりが存在すれば色濃く性格として現れるだろう。

 何より子供は親の背中を見て育つと言われている。インプリンティングにも似た繋がりで学び、蛙の子は蛙と言う風に刷り込みのような何かをされれば似てしまうのは当然だろう。

 加えてあたしは、自分で言うのも今更ではあるがお爺ちゃんっ子だ。それは単純に、お爺ちゃん……要さんがこの歴史を経験し、時空間事件に対する理解を普通以上に持っていたから、あたしに優しくしてくれて、誰よりも味方でいてくれて……それが子供なあたしには嬉しかっただけの話。

 だからまぁ、仕方なかったといえばそれまで。あたしにとって拠り所である彼を見て育ってきたのだ。端々で仕草や口調などが似てしまうのは仕方の無いことだろう。


「と言うかみくちゃんってさ。いっつも冷静だよね」

「そんな事は無いと思いますけれど」

「だってよー君の話についていけるんだよ? それだけでも普通にはありえないと思わない?」


 まぁ確かに、彼の思考と言うか論理が危ない面で飛躍しているというのは頷く話ではあるが。


「えっと、男性脳、だっけ? 理論詰めで物事を解決しようってやつ。話に確かな答えや納得、落としどころを見つけようとする男の人の考え方」


 別に何かを比べて性差別をしたりする訳では無いけれど。男性は論理的に答えのある話が好きで、女性は感情的に想像性のある話が好きと言う誰が決めたかも分からない抽象的な押し付け。

 だからよくある話で、女性の相談に対して女性の方は胸の内を聞いて欲しいだけ。それに対して男性は具体的な解決策を提示するという思惑の行き違いだ。

 どちらが正しいかなんて言い訳はいいとして、そこに隔たりがあるのは確かなことだ。

 転じて男性は理数系が得意で、女性は文型が得意だなんて……それこそ価値観の押し付けのようにも感じるけれど。

 ならばこそ互いのいいところを上手く組み合わせるのが何よりも必要なことだと思うのは何か間違っているだろうか。


「別にそっちに偏ってるって言うわけでもないですよ。あたしだってどうにもならなくなって感情的に怒ったりだってします」


 特にお兄ちゃんに対してはそれが顕著だろう。口ではそれらしい理由を並べ立てて彼の行いに何度か怒ったりもしたが、その根底には心配と憤りがあったのだ。

 どうしてそんな危険な事をするのだと。せめて異能力があるならばまだしも、ただの生身で事件に首を突っ込んで(あまつさ)え解決しようだなんて。狂気の沙汰としか思えない強迫観念染みた責任感にあたしは彼を守るという目的も込めて止めたかったのだ。

 けれど悲しいかな。惚れた者の弱みと言うか、彼の事を彼以上に知っているからこそ、その真っ直ぐな頑固さと矜持を貫き通すだけの詭弁に勝てなかったのだ。

 ……もしどこかで、理由なんてかなぐり捨ててお兄ちゃんにはただ傷ついて欲しくないのだと、ただの女のように縋り泣けていれば今この歴史は変わっていたのだろうかと。そんな卑怯な事をしたくないと思っている以上、あたしには出来ないのだろうけれども。


「ただ、あたしは『Para Dogs(パラドッグス)』の歴史を正す番人として、いつも理知的な正しいだろう何かを振り翳す事を求められてます。その為にいろいろ勉強してきましたし、自分の感情を押し殺す訓練だってしました。それが由緒さんには冷静に映ってるのかも知れませんね。……本当のあたしなんてとっても小さくて、人の生き死にも、血ですら見たくない弱虫なのに」

「……そんなの、当たり前だよ」


 知らず零していた自分の内に重ねられた由緒さんの手。その温かさにいつの間にか落としていた顔を上げれば、泣きそうな顔でこちらを見つめる青み掛かった黒い瞳が目の前にあった。


「誰だって嫌な事はあるよ。私だってある。それを全部自分で抱え込むなんて、そんなのみくちゃんが壊れちゃうよ……」

「…………大丈夫ですよ、もといた時代に帰れば話を聞いてくれる人はいます。それに、由緒さんみたいな人もいますから」

「そう言うの、卑怯だよ」


 心配は掛けたくない。けれど心配してくれることは嬉しい。そんな複雑な思いの上に揺れて、小さく音を零す。


「ありがとうございます、由緒さん」

「なんで私感謝されてるの……?」

「それも、卑怯ですっ」


 惚けた彼女に少し無理して笑えば、寂しそうに笑みを浮かべる由緒さん。全く、本当に優しい人だ。なんでこんな人がお兄ちゃんを好きなんだろうか。

 嫉妬なのか諦観なのか分からない感情と共に笑って小さく息を吐けば、由緒さんも肩を揺らしてくれた。

 何よりも嬉しいのは、あたしにとって由緒さんが変わっていないこと。

 彼女の未来を知って、こうして過去の彼女を捕まえ、変わっていないと言うのは変な話ではあるのだが。由緒さんは昔からこういう性格をしていたのかと思うと安心する。もちろん、あたしに見せている顔とそれ以外とでは違うのだろう。現にお兄ちゃんの話題が出たときだけ、嬉しそうに笑顔を見せるのだから叶わない。

 ……と言うことはこの嫉妬は由緒さんにではなくお兄ちゃんに対してだろうか?


「それにしても由緒さん、随分と落ち着いてますね」

「なにが?」

「いえ、これだけ面倒な事に巻き込まれているのに自分を見失っていないと言うか」

「巻き込まれてるって言うか、私は私以外の事に興味がないだけだよ?」


 零れた疑問はずっと胸の内で渦巻いていたもの。

 そもそも由緒さんは色々と利用されて結果的に巻き込まれた被害者だ。そんな彼女がどうやってこの話についてきているのか、それが当事者として深く関わっているあたしにはあまり理解できなかったのだけれども。

 疑問に返った声は拍子抜けするほど単純な話。


「と言うかね、詳しい事は何も分かってないんだよ。なんだかよー君が大変な事になってて、みくちゃんがそれに協力してて、少し前までがく君が裏で何かしてたんだなーってくらいにしか思ってないと言うか……そもそも現実感ってものがないんだよね。だから異能力の事も含めて、私には関係のないことって割り切っちゃってるんだと思う。本当に関係ないなんて事は無いんだろうけど」

「……つまり、難しい話だから首を突っ込んでいないだけってことですか?」

「うん。だから誰かに振り回されている気もしないし、自分を見失うこともないの。……それとも私って当事者だったりするのかな? 的外れで暢気な事言ってみくちゃん困らせてる?」


 人間、興味ないことにはとことん鈍感になるものだ。スポーツに興味がないのにその話をされても話題についていけないのと同じ理屈。由緒さんにとって今回の時空間事件は本当に非日常で、自分がどう関わっているのかも曖昧だから関係のない事だと切り捨ててしまっているのだ。

 それはもしかするとこの事件に関わった誰よりも大物な考え方で、そしてとても冷徹な答えの一つだろう。

 由緒さんが関係していないなんて事はありえない。けれど確かに、実感がない事もその通りなのだ。


「まぁ関係をしていないとは言い切れませんけれど……」

「ほら、みくちゃんだって曖昧でしょ? その上私はよー君から要らない子扱いされたから。私を過去に隔離して遠ざけたのってそういうことでしょ? みくちゃんがいれば私の力が無くてもどうにかできるって言うことなんだから」


 それは卑下や自嘲と言うよりは、自分を事の外側に置いて第三者の視点で物事を俯瞰した平等な意見だろうか。

 関係ない事だと割り切って、けれどまるで異世界の出来事のようにその全容だけはぼぅっと眺め続けているような……例えば小説の読者のような立ち位置。

 深く考えなくとも物語の中の登場人物たちは勝手に問題を解決していくような、自分を主人公達に重ねて投影しない読書のもう一つの楽しみかた。それは物語と言う構造上、結末を読者に丸投げしない事を前提に出来上がる椅子だ。


「別に誰かを責めるわけでは無いんだけどね。単純に、私が、関係のないことだって思っちゃってるって話だよ。……もし私が重要な役割を持ってるんだとしたら、この言葉は批難されて当然の冷たい意見なんだろうけれどね」


 由緒さんにとっては対岸の火事だと言うことだ。だから由緒さんは、あたし達とどこかずれた視点で自分のままでいられるのだろう。

 ……もし、由緒さんに事の真実を──先ほどあたしが気付いた全ての根幹を伝えたなら一体どうなるのだろうかと。不意に過ぎったその考えに、けれど直ぐに冗談をと心の中で頭を振る。

 あたしも大概他人に意味を見出しているというか、誰かに責任を押し付けている非情な人間の一人なのだろう……。

 けれどその真実は由緒さんよりもお兄ちゃんにとって大切なことだから。これまでそうしてきたように、まるで人に優先順位を付けるように嘘を吐かず、真実を黙する。それを大好きな人へのサプライズと言うのなら、響きよく受け入れてもらえるだろうか。

 そんな事より何より、あたし個人が償いをしたいだけなのかもしれない。自分とは関係のない事だと割り切ってしまえるほどに、詳細な事を伝えず振り回してしまった由緒さんに対して、僅かながらの謝罪をしたいのだろう。そう自分に言い聞かせれば、少しはあたしだけの責任(エゴ)として背負い込めるだろうか。


「……こんな事を言う資格があたしには無いでしょうし、言ってしまえば身も蓋もないかもしれませんが。そもそもこんな事に巻き込まれない方が何よりも正しいことですから。お兄ちゃんみたいに夢に焦がれてこんな非日常が当たり前に続けばいいなんて、その方があたしは間違ってる気がします」

「それには私も同意見だよっ。物騒なのも理想なのも、全部物語の中だから楽しいんだよね。例え物語の主人公に感情移入したり、その主人公になってみたいなんて思っても、本当にそんな事が身の回りで起きたらただただ面倒臭いだけだよ。物語だから、都合よく辻褄が合ってるだけなんだよね。だから物語は物語なんだよっ」


 ドラマでよく見る連続殺人事件も、映画のド派手なアクションも。自分に降りかかったときにどれほど対応ができるかと言う話。フィクションはフィクションだから面白い。それをリアルと混同するなんてフィクションの楽しみ方を間違っているだけなのだ。

 逆にそう言ったフィクションがあるからこそ、満たされている欲求と言うのもあるわけで。

 言ってしまえばお兄ちゃんはドラマに憧れて殺人事件を起こしたり、映画に憧れて出来もしないアクションを必死に再現しようとしている、愚かな操り人形。フィクションとリアルを混同している危ない人種だ。

 けれど同時に、物語の主人公なんてその素養が無ければ出来ない役割だろうから、紛れもなく彼は彼らしく遠野(とおの)要と言う人生の主人公を謳歌しているのだろう。その曲がらない彼自身に対しては、呆れを通り越して尊敬が出来るというものだ。


「主人公は自分が主人公だと知覚しない。だから主人公足りえる……物語の鉄則だな」


 と、そんな由緒さんとのやり取りを聞いていたらしい楽さんがノートパソコンのディスプレイを見つめたまま零す。

 確かに彼の言う通りだろう。主人公が自分は主人公なのだと知覚してしまえば、そう名乗ってしまえば物語はそこで終わってしまう。けれどそんな事は、今を生きているあたし達には不可能な話だ。

 考えてみればいい。今自分たちが生きている世界が、誰かが作り出した物語の中だったとして、けれどその世界の趨勢の中心に自分がいるとどうして断言できるだろう。自分がその物語と言う大局の主人公だと胸を張れるだろうか。

 まずもって無理だろう。もしその上で主人公だと名乗りを上げる者がいれば、けれどそれはその人の主観でしかないただの自称なのだ。

 そもそも、物語の主人公は客観的にそう呼ばれるもので無ければならないのだ。

 だからそう、自分は主人公だと確信して世界を変えようとする正義を──人は悪役と呼ぶのだ。

 その前提から言えば、誰だって自ら主人公になどなれない。なれるのはただ、主人公を気取った悪役だけだ。

 だからこそ彼は──遠野要は、あたしたちの悪役だ。そしてそう気付かない滑稽な操り人形であり、誰にも認められることのない彼だけの正義なのだ。

 正義の敵はもう一つの正義、と言うのはよくある話。それは言い換えれば、主人公の敵はもう一人の主人公なのだ。

 だったらお兄ちゃんが主人公になるためにもう一人主人公が必要だろう。

 主人公を自称をして悪役にならないための、その者より更に主人公に溺れた正義が────


「…………だから楽さんが、悪役を騙ったんですね?」

「悪役にも正義があるなんて、それを本当の主人公に言われて同情されたらおしまいだけどなっ」


 一体誰がこの時空間事件の主人公なのだろう。

 話の中心で踊り続けたお兄ちゃん? そんな彼に助けられて、使命を背負い歴史を守ろうとするあたし? ずっとお兄ちゃんの味方でい続けた由緒さん? お兄ちゃんに正義を押し付けた楽さん? そんな楽さんを影から支えていただろう加々美ちゃん?

 こうして列挙すれば、それは歴然だ。

 だってその殆どの役割に、『お兄ちゃん』という存在が関わっているのだから。

 そうして話の中心に名前を連ねる事が、何より主人公の証なのだろうと。

 だからきっと、この経験が物語になるのだとしたら、主人公は遠野要なのだろう。


「主人公は誰かの推挙によって決まる。それは宛ら、学校の演劇で祀り上げられた主人公役のようにな」


 こんなところで意見が噛み合うなんて癪な話ではあるけれど。水掛け論の如き意味のない会話に答えのような何かを見つけて少しだけ満足する。


「……ぅん? って事はよー君が何かをするためにこれまでの事が起きたって事?」

「そういう事になりますね」


 真実の一角に至ったらしい由緒さんが考えるように尋ねてくる。が、流石にこれ以上首を突っ込むとサプライズとしての意味がなくなってしまうと。

 知らず危ないところまで来てしまった。さて、どうやって話題を逸らそうか……。

 そんな風に少しだけ胸の内で焦っていると、唐突に空気が変化する。


「んぉうっ、そういやぁ着けてるの忘れてた……。連絡が来たって事はこの方法に気が付いたって事だな?」


 その声は楽さんから。驚いてそちらを見れば、耳に手を当てて中空に向けて話をするような彼の姿。思わず忘れかけていた、たった少し前の事にどれだけ意味もない時間に集中力を費やしていたのかと呆れつつ。


「正解だっ」


 交わされているだろう言葉は断片的。遠方と連絡を取っている人物を傍目に見ているときに覚える不思議な感覚と共に、彼のその先にいる人物に少しだけ胸の内が温かくなる。


「……よー君?」

「ですね。連絡があったと言う事はもうしばらくすると戻って来ると思いますよ」

「そっか、よかった…………」


 言ってしまえば、あたし達にとって彼が未来でしている事は管轄外だ。例えどんな目的で行動を起こしているのか知っていても、その具体的な方法までは流石に分からない。彼のすることだから余計に理解できないのかもしれないが……。

 なんにせよ方法論はお兄ちゃんの頭の中にしかない。だから未来で何が起きているのか詳しい事は分からない。

 だからこそ、目の前の楽さんを介したその先にお兄ちゃんがいるのだと思えば安堵をしてしまうのは仕方の無いことだ。


「なんだか、置いてけぼりだね……」

「ついて行こうとするから振り回されるんじゃないですか?」

「でも理解したいから」


 相変わらず健気で優しい心根の持ち主だ。思わずこちらの胸の内まで温かくなってしまう。


「……そんな風に思える相手がいるって素敵ですね」

「うぇへへぇ~……って、からかわないでよっ」


 照れよりも先に惚気が返って来るとは思わなかった……。が、どうにか話題は逸れたからいいとしよう。

 そんな会話をしているとお兄ちゃんとの通信が終わったらしい楽さんがこちらに視線を向けてくる。


「……もう少しかかるっぽいが、まぁこっちも同じようなもんだ」

「それじゃあ賭けようよ」

「賭けですか?」

「うん、よー君が早いか、がく君が早いか」


 また俗物的な発想が出てきたものだと。まぁ別に失う物があるわけでもない。暇潰しには丁度いいかもしれない。


「負けた方は全員分の飲み物を買ってくるって事でっ。私がく君ね?」

「あたしに選択権ないじゃないですか……。と言うかそこはお兄ちゃんじゃないんですか?」

「うーん、よー君は色々理由つけて未来を楽しんできそうなんだよねぇ」


 それは信頼なのだろうか。けれども由緒さんらしいと諦めれば余った選択肢を貰い受ける。


「分かりました。驕りですか?」

「やった、ありがとっ」


 由緒さん、もういっそのこと悪女になった方が彼を振り回せていいんじゃないですか?

 卑怯な笑顔に反論する気も起きなくて小さく溜め息を吐けば、楽さんが小さく肩を揺らしているのが目の端に映った。こんなことなら彼も巻き込んでおけばよかったっ。


「じゃ、それまでゲームでもしてよっか」

「……そうですね」


 まぁいい。負けた時は未来に帰ってから経費で落とすとしよう。あたしだってまだまだ子供で、それほど自由に使えるお金を持っているわけではないのだ。

 と、そんな風に覚悟を決めて。傍らに賭けの結果が少し楽しくなりつつもお兄ちゃんが帰ってくるまで暇を潰すこととなった。

 結局、賭けは由緒さんの負けに収まったけれど。あれだけ自信に溢れて先手を打ったのに負けるなんて……それもまた彼女の魅力の一つなのだろうか。

 だとしたらどうにもあたしは由緒さんに敵いそうにない。そこに関しては、お兄ちゃんに完全同意をするとしよう。

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