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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
紫電一閃の時空交錯
6/70

第五章

「それじゃあ行って来る」

「決まってる未来だからって無茶だけはしないでね?」

「あぁ、任せとけ。後から迎え、よろしくなっ」


 未来(みく)の見送りに笑顔で答えて分かりきった未来に向けて足を出す。

 これから向かうは由緒(ゆお)が誘拐された廃ビル。

 俺はそこで《傷持ち》と退治する。

 未来がどうなるかは既に知っている。知っている体験を今度は別の視点から再現するというのは不思議な気分だが、早々味わえないものだろう。少なくとも(かなめ)は似た景色を知らない。もちろん探せば世界のどこかに同じような作り話はあるかもしれないが……。

 考えながら腰に下げたホルスターに手を当てる。もちろん服で隠してはあるが。

 未来から借りた『スタン(ガン)』。ポケットには『抑圧拳(ストッパー)』も入っている。

 要の感覚から言えばほんの一時間ほど前に未来へ行ったときと同じ装備だ。

 唯一違うのは、今回はブースターを飲んでいないこと。

 流石に連続での使用は未来に止められた。

 そもそも頼ってはいけない力だろうし、特に鍛えているわけでもない要には後々体が重くなってまた未来に迷惑を掛けてしまう。元より守られる側だ。他に策がないから強行したに過ぎない。未来にとってもできれば取りたくは無い選択のはずだ。

 そうでなくても迷惑を掛けているのだから、今後《傷持ち》が捕まるまでは要も大人しくしておくとしよう。

 そんな事を考えながらまだ明るい夏の夕方を歩く。

 廃ビルはショッピングセンターの近くだ。必然、道程は人通りの多い場所を進む事になる。

 交通量の多い大通り。時間的に帰宅時間と重なるのだろう、車の行き交う道は排気ガスの温い空気でいい感じに気分を害してくれた。

 普通に暮らしていれば要だって何も知らない人間で、こんな騒動に巻き込まれることは無いはずだった。今この時に、ここで時空間を脅かす事件が起きているなんて考えない。

 けれど要は偶然かそちら側に巻き込まれた。意図しない来訪が景色を歪ませて要の周囲を狂わせた。

 非日常と笑えればそれまで。普通ならば拒否反応を示して早く解決してくれと神様にでも縋ったかもしれない。

 しかし要は違う。良い子の仮面を被って日常生活を過ごし、退屈を持て余していたこの体。

 物語の中のような出来事が起こればいいとどこかで非日常を願っていた異端者。

 その願いが叶った事に……由緒と(らく)を巻き込んで世界が歪みかけているという事実に、要は不謹慎にも心を躍らせているのだ。

 それが非日常だから。要の欲した現実の異常だから。

 人間として欠けた、面白味のない要が未来と言う少女に導かれて世界からずれているという実感に──まるで書物に夢見た物語の主人公のようだと重ねて笑っているのだ。

 やっぱり要は人としては不完全だ。

 だって普通、矮小な人間が自分から武器を手に、取られた欠片を求めて奪え返しには行かないだろう。

 だからそう、要は物語の中の主人公とは違う。

 特別な力もなければ秀でた血筋を持っているわけでもない。

 ただ偶然──《傷持ち》からしてみれば必然──巻き込まれただけの現代人で、未来人である未来を利用しているに過ぎない存在だ。

 主人公と言うよりは悪役……常識や判断力の欠如したダーティーヒーローだろうか。

 汚れ役ならそれもまた一興。まさに人間らしくなくて興が乗る。


「っと、ここか……」


 口から零れたのはこれから乗り込みに行くにしては些か緊張感の欠ける言葉。

 未来にはあぁ言われたが、流石に分かりきった結末と言うのはあまり楽しくない。かと言って結末が読めないというのもそれはそれで現実的で嫌なのだが……。

 面倒臭い性格だと自分の事ながら辟易して、それから人目を盗んで廃ビルへと踏み入る。

 時間は脅迫状の予定通り。既に一度来たから特別目を引くものは無い。

 金銭的事情で作業中断のため、鉄骨の足場が立体格子状に上へと伸びている。

 金属の階段は踏みしめる毎にカツカツと音を響かせ、一人で来た事をあからさまに知らせる。

 と、そんな風に上を見上げながら階段を上っていると足元に転がった鉄骨に足を引っ掛けて転びそうになった。

 そう言えばここを通るのは初めてだ。あの時は直接戦場に飛び込んでいったわけだし……。

 気をつけないと戦闘前に怪我をしてしまうと注意しながら目的の階へと辿り着く。

 床が出来ている階層のうち上から二つ目。そのフロアの縦を貫く鉄骨の一箇所に縄で縛られた由緒を見つける。


「由緒っ」

「律儀な奴だ。本当に一人で来るとはな」


 反響した声にノイズ交じりの声が重なる。

 声のした方に視線を向ければ、階段を下りて来る黒尽くめの姿。


「お前が脅迫状でそう指定したんだろうが」

「ご苦労なこった。もう少し自分の矮小さを弁えたらどうだ?」


 煽りの口調に少しだけ苛立ちを覚えるが、ここで突っかかったところで返り討ちにされるだけだ。今はただ、ここにありえるはずの歴史を再現するだけ。


「……約束通り俺だけで来たぞ。由緒を返してもらう」

「そんな事を約束した覚えはない。俺はただ、お前だけで来なければその女を殺すと記しただけだ」


 言うが早いか、要が行動を起こすより先に左手に持ったナイフを由緒に突きつける。

 確かにそれは効果的だろう。

 けれど知っている未来から考えればあれははったりだ。


「…………お前は由緒を傷つけられない。お前は時間移動者だ」

「だからどうした? ここでこの女が俺の手で死ぬことが正しい景色なら俺はこいつを殺せるぞ?」


 確かに彼の騙る通りならばそうだろう。

 けれど要は知っている。由緒は要が助けるし、傷一つ付けさせはしない。だから由緒は死なないし、彼の騙る言葉はこちらを惑わせるためのでまかせだ。

 しかし分かっていても景色だけは揺るがない。未来が分かっているとは言え由緒がナイフを突きつけられていることは確かなのだ。


「それは出来ない相談だ……。何せ由緒は俺が助けるからな」

「いいね、その啖呵。威勢のいい鼓舞は士気を上げる……。楽しませてくれるんだろう?」

「あぁ、もちろんだ。それに──お前は俺を傷つけられない」

「────っ!」


 刹那、右手で『スタン銃』を抜いた《傷持ち》が銃口をこちらに向ける。

 同時、要は鉄板の床を蹴って走る。

 大丈夫だ、落ち着け。《傷持ち》は俺が現代人か、そうでないかは直ぐにはわからない。何せ見た目上の変化は無いのだから。

 だからそこには必ず隙が生まれる。

 そうして出来上がった一瞬の間、その間に迷いを振り切って接近し、懐に潜り込み拳を打ち放つ。

 これでも遊びとは言え由緒の柔道に付き合わされた身だ。喧嘩をしたことは無いが、武術を齧った程度の拳を叩き込むことは出来る!

 『スタン銃』を構えた《傷持ち》は、やはりと言うべきか逡巡して、それから大きく後ろへ跳んだ。

 接近を許した間は、要を撃てば制限に抵触すると考えてしまったからだろう。けれど残念、要は未来人。撃とうと思えば撃てる。

 距離を取り、積み上げられた鉄骨の裏に身を隠した《傷持ち》を見て、ポケットから『抑圧拳』を取り出し手に着ける。『抑圧拳』は白い手袋だ。拳を握って一発打ち込めば相手の異能力を一時的に封印できる。

 由緒を庇うように位置取って記憶の由緒の見よう見まねで構える。

 何事に対しても外連味は重要だ。そう見せるだけで相手を威圧することが出来る。もちろん説得力云々はその人物の振る舞いに左右されるだろうが。


「……法螺を吹いたな? しかしそうと分かればこちらも容赦はしない。安心するといい。衝撃は一瞬だ、直ぐに意識を失う」


 吼える《傷持ち》。どうやら今の交錯で気付いたらしい。

 未来が言っていたが、制限に抵触するときはそうなると分かるのだ。恐らく《傷持ち》はそれを感じなかった事に気付いた。だからはったりだと見破ったのだ。

 短いアドバンテージだったと小さく笑えば、訪れた時間に確信する。


「残念だがそれは叶わない望みだな。今度はこっちから攻めさせてもらうぞ……!」 


 要が叫ぶのと同時、空間が歪んでその姿を現す。

 午後七時二分。過去の要の登場だ。

 地を踏んだ過去の要が景色を認識するや否や《傷持ち》の背中に蹴りかかる。


「貴様……!」

「遅ぇっ!」


 ブースターで強化された一蹴と《傷持ち》のナイフの一閃。

 閃いた軌跡は、けれど《傷持ち》の腕を蹴り飛ばしたことで最初の一撃はこちらに入る。

 ナイフの跳ねる音を聞きながら不敵に微笑む。


「ちゃんと約束は守ってるぞ? ここにいるのは、()だけだ」

「クソがっ」


 由緒の安全が確実に確保できた後ならば未来と一緒に来たかもしれない。

 けれど未来に干渉するためには知らない未来でなくてはならなかった。だから安全策として要一人で来たのだ。

 今更未来と一緒に来ればよかったなんて考えても仕方がないし、未来は既に知っている。ならばその景色を再現するだけだ。


「行くぞ相棒」

「……気楽でいいな、未来の俺はっ」


 できる限り顔を見ずに言葉を交わす。

 これは家を出るときに未来から貰ったアドバイスだが、重なった人物と言うのは真正面から向き合うと嫌悪感を覚えるらしい。確かにドッペルゲンガーどころか生きている時間が違うだけの同一人物だ。当然といえば当然だ。

 あとできる事なら最初に過去に飛ぶときに教えて欲しかったと。お陰で過去の自分の視線が刺さって痛い。

 けれど確かこの交錯で過去の俺も気付いたはずだ。胸焼けがするような感覚を覚えている。

 過去の自分からの恨み節を聞いて笑えば、人の反応速度を優に越えた戦闘が始める。

 たった一時間前の自分はあんな人間離れをしていたのかと呆れながら景色を想像で補って追う。

 駆け出した過去の要。その途中で床に落ちたナイフを《傷持ち》に向けて蹴る。それを『スタン銃』で弾いて始まる、近接戦闘。

 幾ら柔道を齧ったとは言え由緒のように道場に通ったわけではない。ただ彼女に掛けられた技から逃れたくて、少しだけ勉強した程度だ。過去に由緒にそれを披露した時は鼻で笑われたが……。

 そのため傍から見れば強い一撃でも、実際のところは意外と力任せな攻撃だ。

 速さで誤魔化した右手のテレフォンパンチ。名前の由来は電話をかけているように見えることから、単純な一撃のために相手にこれから攻撃をすると教える事になり、知識や経験を持つ者にはカウンターの格好の的となる。

 案の定拳の先を読んだ《傷持ち》がそれをいなし、返しに顎を狙ってフックを叩き込んでくる。

 人間には人中と言われる幾つかの急所が存在する。有名なのは鳩尾(みぞおち)とか、男だと金的だとか。そんな中に顎がある。

 顎を狙った攻撃は脳を揺らし脳震盪を起こす。ボクシングでも用いられる技術だ。

 けれどそれを知っていれば狙われた方も受けるわけには行かない。

 ブースターで強化をされていない今の要にはただの早い攻防にしか見えないが、放たれた一撃は受けなかったのが奇跡と思うほど鋭かったのを覚えている。

 確かその時は我武者羅で、右足の蹴りを《傷持ち》に放ったのだ。それが予想外の威力で吹っ飛ばして、攻撃を受けなくて済んだ。もし防ぐことも出来ず《傷持ち》の攻撃を受けていればその場で崩れ落ちていてもおかしくはなかったはずだ。

 後退した《傷持ち》に向けて『スタン銃』を構える。狙いをつけて引き金を絞れば、僅かな反動と共に放たれる弾。着地を狙った一発だが、《傷持ち》はこれを拾ったナイフで弾く。前に病院で襲ってきたときと同じ妙技だ。

 さっきの目にも留まらぬ攻防もそうだが、人間離れした運動能力だ。やはりブースターを使用している。

 互角に渡り合えるのは過去の要だけ。形としては今の自分が過去の自分を援護するのが理想で、裏を返せば《傷持ち》は弱いほうから叩くのが筋だ。

 そうなれば必然狙われるのは未来の要。

 落ち着いた思考でそこまで考えて、それから再び裏を返す。

 確かに《傷持ち》は人間離れしている。普通に考えて戦えば負けるのはこちらだ。

 けれどもし、相手がどういう風に動くのか分かっていれば、そうであると確信して動けば結果はずれる。

 そう、ここだ。

 要が足に力を入れて右膝を前に突き出す。

 そこに人間とは思えない速度で急接近してきた《傷持ち》が、要を無力化しようと襲い掛かる。

 別に攻撃は拳でもいいが今の要はか弱い一般人。殴れば衝撃がこちらに返って来る。となれば怪我をせず、威力の高い方法を取るべきだ。

 予めどこに来るかが分かっているなら、そこにカウンターになる予定の一撃を放っておけばいい。

 単純に、置き膝だ。

 実戦でも経験に裏打ちされた未来位置を予測した攻撃は存在する。銃撃戦における偏差射撃もその一つだ。

 けれど今回は違う。過去の自分が見た景色を別視点から観測して、未来に起こった景色を再現する。これは歴史が変わらない事を応用した絶対にそうなるべき一撃だ。

 突き出した膝に押し返されるほどの衝撃が伝わる。


「がっ……!?」


 響いたのは雑音交じりの呻き声。

 《傷持ち》からしてみれば移動先にあった棒に自分から突っ込んだ感覚。想定外の反撃だ。必然防御行動を取る術もなく叩き込まれる一撃。

 けれど《傷持ち》も軽く人間をやめた反応速度と筋力の持ち主。ブースターにはそうした身体強化のみならず、痛覚麻痺の効果も少なからず存在する。

 腹部に痛烈な一撃を受けた《傷持ち》は、けれどすぐさまホルスターに手を掛け『スタン銃』を引き抜き、銃口をこちらに向けてくる。

 向けてくる、と言っても人間やめた速度での行動だ。想像で補っているだけで要の目には殆ど映らないし、気づいた時は目の前に銃口だ。流石に動悸が早くなる。

 けれどもちろん知っている。

 その行動に対して、こちらを見据える過去の自分が、歴史通りに既に抜いた『スタン銃』を《傷持ち》に向けて放つ。

 気付けばナイフを振って弾を弾いた《傷持ち》。その振り返り様、ついでの如く視界の外から襲い掛かった一蹴が要を蹴り飛ばす。

 要は過去から未来を体験して、この景色がどういった経緯でどんな結果に行き着くのかは知っている。知っていても、知覚が出来なかったり、体の反応が間に合わなければそれまでだ。

 どうにか挟んだ腕での防御。けれど貧弱なその体は車に撥ねられた様に飛ばされ、床を転がり鉄骨に受け止められてようやく止まる。

 背中に走る衝撃に悶絶しつつ鉄骨に寄りかかって立ち上がれば、その間に響くのは過去の自分と《傷持ち》が交わす刹那の攻防。

 左手に『スタン銃』、右手に近接武器。確かそこら辺にあった鉄パイプでナイフに応戦していたのだったか。揺れる頭でそのときの事を思い出しながら視界を上げる。

 飛び散るのは火花、鳴り響くのは煩い擦過音。幾ら金属のぶつかり合いとは言え、普通は子供の頃見たアニメのように衝撃波や火花散らす戦闘などは起こらない。

 それを起こしてしまうほど二人の攻防は速く激しいもので、やっぱりあそこにいる自分は今の自分とは違う誰かに思えてしまう。

 そうして見据えた景色の中で、《傷持ち》と互角に渡り合う過去の自分は──


「……楽しそうだな…………」


 笑っていた。

 獰猛で、享楽に身を委ねた笑顔。

 そう、楽しかったのだ。まるで物語の主人公のように派手に戦う自分を客観視して。人並み外れた運動神経が届くその限界が知りたくて。

 まるで狩りに生きる獣だ。交わされる殺意の応酬に生きている事を実感していたのだ。

 やっぱり狂っていると。狂った力で《傷持ち》と渡り合ったのだと、記憶と現在を重ねながら息を整えていると、不意に左の二の腕の辺りがきりきりと痛む。

 思わず触れれば、交錯中に《傷持ち》に切られた場所だと思い返す。

 どうやら事象が重なった場所に行くと古傷が痛むように、疼いて感じるものがあるらしい。

 嫌な感じだ。熱を持って体の内側から何度も鈍く刺される感覚。まるで共鳴しているようだと塞がったはずの傷口を強く掴む。

 蹴られ転がって、沢山打ちつけた所為か体の至る所がじわりじわりと痛覚を刺激する。体が重い。腕が痛む。その上過去の自分がいることが重なって胸の内がもやもやとやりきれない。

 本当に、嫌な感覚だ。

 しかしずっとそうしているのもいけない。

 過去の自分は今の要を助けには来たが、逆に考えれば今の要が過去に経験した歴史通りに再現しなければ彼もまた過去には戻れない。

 決められた過去とは言え、そうなるものだと言う確信はあっても、そうしなければ現実にはならないのだ。

 鈍い感覚の体に鞭を打って『スタン銃』を構える。

 高速戦闘を繰り返す二人。動く《傷持ち》に照準を合わせるが、狙いは定まらない。それ以上に要の体自体が既に危ないらしい。

 覗いたサイトから見える弾の行くべき道は上下左右に揺れて安定しない。肩も揺れて、止まれと命令しても息は浅い。

 けれどやれるべき事は存在する。例え当たらなくても、誤射にさえならなければ──少しでも注意を引ければそれでいい。

 何度も落ち着けと自分に言い聞かせて銃口を天井に向ける。

 『スタン銃』の弾は『生体感応(マインド)』の異能力が封じ込められた注射器だ。鉛弾と違って跳弾もしなければ貫通もしない。人体のどこかに刺されば効果を発揮する飛ぶ注射器だ。

 隠密性も高く作られているために発砲音も殆どしない。けれどそれは音を立てられないことには繋がらない。

 注射器であるならば、その先端は針──金属だ。

 それが亜音速で宙を駆けて別の物体にぶつかれば当然擦過音が響く。

 連射は効かない。けれど出来る限り早く撃つ事はできる。

 絞る。引く。押し込む。

 三連続で発射された弾は宙を駆け、天井……上の階の床となる鉄板に衝突し、高く耳障りな音を響かせて世界を止める。

 直ぐに下ろした銃口。向ける先は足を止めた《傷持ち》。

 サイト越しに強く睨んで威嚇する。

 撃つぞと。当たればお前を捕まえるぞと。

 《傷持ち》は弾を弾くことが出来る。けれどそれには必ず腕を振るわなくてはならない。行動を起こさなくてはならない。

 必然ある程度意識を向けなければならなくなる。

 そうなれば出来る隙。

 撃っても当たらないのなら、確実に攻撃できるそのお膳立てを。

 こちらに視線が向いた一瞬、一足飛びに近づいた過去の要が『抑圧拳』で殴りかかる。

 もちろんそうなることを知っている。

 そして────それがまた、フェイクであることも知っている。

 殴り掛かった要に散漫になった注意で応戦しようとする《傷持ち》。

 このまま撃てば誤射の可能性。

 けれど知っている。彼が、退く事を。

 拳を打ち込もうと踏み込んだ姿勢から力の方向を反転。鉄板の床を思い切り蹴って後ろへ飛ぶ過去の自分。

 それは過去の要が考えた咄嗟の機転だった。

 ここに要が二人いるということは、もう一人は必ず未来の自分だと。だとすれば、過去に起こる事を全て知っているのだから、別に未来の自分に過去の要が合わせる必要は無いのだと。

 過去の要の脳裏を過ぎった策が、同じ景色を共有して未来の要の瞼の裏に閃く。

 そうして交わした、紫電一閃の時空交錯。

 やっぱり真正面から互いを見るものではないと、胸の内に湧き上がった嫌悪感に苛立ちを募らせながらトリガーを引く。

 放たれる弾。弾くための体勢は過去の要が崩してくれた。狙いは奇跡的にも《傷持ち》に向けて一直線だ。外れない!

 二度のフェイクを重ねた一発。その弾が────宙を抜ける。

 要にとっては一瞬の出来事だ。

 いつの間にか『スタン銃』をホルスターに収めた《傷持ち》が手に持つのは、『音叉(レゾネーター)』。

 そうしてラの音階が響いた景色には、既に《傷持ち》の姿はそこにはなかった。

 後に残ったのは立て掛けられた木の板に跳ねて床に転がる『スタン銃』の弾の音。

 頬を掠めた夜風の温度にようやく息を吐けば思わず足が震えた。

 そうだ……《傷持ち》は、逃げたんだ。それを過去の俺はしっかりと見たし、再現するためにここに来た。分かりきっていた結果だ。

 けれどいつからか目的が《傷持ち》を退かせる事ではなく、捕まえる事に摩り替わっていた事に気付く。

 正しい景色のはずなのに、胸を去来する喪失感。

 二度目の景色に思わず悔しさが込み上げて来る。


「逃げた……のか…………?」

「…………あぁ、逃がしたな。けど、由緒は無事だ」


 響いたのは自分の声。けれど口を開いていないことの違和感を覚えて、それから直ぐに過去の自分の言葉だと思い出す。

 間を開けて放心するように答えた言葉が無意識に由緒へと話題を移して気付く。

 そうだ、由緒っ。

 鉄骨に括りつけられた幼馴染の姿を探して視界を回すと見つける。

 顔を伏せて眠っている彼女。恐らく『催眠暗示(ヒュプノ)』か何かで眠らされているのだろうと考えつつ、覚束ない足取りで近づいて腕を取って脈を見る。

 そうして感じる鼓動。

 生きていると確信した直後、体の力が抜けて冷たい鉄骨の上に転がる。

 過去の自分が知っている。《傷持ち》はやってこない。

 安堵から吐いた溜息は辺りに反響した。

 大きく吸い込んだ空気は鉄臭くて、生温い排気ガスのにおいがした。ショッピングセンターに通じる目抜き通りに建てられた廃ビルだ。当然近くを車が行き交う。空気が濁っているのは仕方ないことだろう。お陰で大きな物音を立てても気付かれにくい。今更ながらにこの環境に感謝だ。

 ごつごつとした床に仰向けに倒れて天井を見上げる。

 体のあちこちが痛い。動きたくない……。あぁ、そうだ。未来に連絡をしなければ……。

 ぼぅっとした頭がようやく目的を見出してポケットに手を突っ込む。


「……あれ…………?」


 しかしそこに目当ての感触は無い。

 先程の激しい戦闘の中で落としただろうかと重い体を半分持ち上げて辺りを見回す。

 落としたとしたら《傷持ち》に蹴られた時だろうが……。


「うぉーい、未来の俺様よー……」


 そんな風にスマホを探しているといつの間にか近くに来ていた過去の要が声を掛けて来る。

 思わず声に顔を回せば、視線が真正面からぶつかって互いに嫌悪感を胸の内に募らせた。

 すぐさま視線を外す。


「過去に戻りたいんだけど…………」

「その前に一つ頼んでいいか?」

「何?」

「スマホ、どこかに落ちてない?」


 面倒臭そうに頭を掻いた過去の自分。それからゆっくりとその辺を見回して零す。


「いや? 持って来るのを忘れたんじゃ?」

「…………あぁ、そっか」


 過去の自分の指摘に思い出す。

 そう言えば『抑圧拳』を入れておくのに邪魔になるからって置いて来たんだった。

 抜けた事実を認識して小さく溜息を落とす。

 過去の俺も同じ過ちを繰り返すのだろうと思うと少しだけ恥ずかしくなる。


「まぁいいや」

「で、戻りたいんだけど」

「おぉ、そうだ。すっかり忘れてた」

「何、俺このやり取り後でもう一回しないといけないわけ?」


 過去の要が元居た時間に戻るためには制限に抵触する必要がある。今回その一番簡単な方法が制限⑥、移動先の時間軸で本人に名指しで呼ばれてはならないだ。

 過去の要はそれで戻る事を思えてはいたが一度経験したこちらは既に過去のこと。過ぎ去った事に一々囚われるほど小さく生きたくは無いのだ。


「こんなことなら聞く前に由緒を殴ればよかった」

「……寝てる今がチャンスだもんな」


 二人で同じ記憶を共有してぼやけば小さく笑いが漏れた。

 視線を交わすのは嫌な気分だがこうして何も説明しなくてもいいと言うのは気が楽でいいと。

 きっとこの世の誰もが体験したことのない感覚を味わいながら彼の名前を思い浮かべる。

 そうして口にしようとしたところで、耳が足音を捉えた。

 思わず敵かと振り返ればそこに立っていたのは未来。


「……そろそろ終わる頃かと思って」

「ナイスタイミングだな」

「別に未来予知とか出来ないけどね」


 くすりと笑う仕草に赤い髪が揺れる。

 差し込む街の光に反射するそんな景色に思わず視線を奪われて。それから響いた声に少しだけびっくりする。


「そうだっ、未来に戻してもらえば──」

「制限③、過去にはあたしも一緒に行かないといけない。制限⑦、あたしは同じ時間に二人以上重なる場所に移動できない。以上から無理っ」

「……十五分の空白は?」


 思いついた可能性を口にする。

 十五分の空白。あの場所には未来も要も存在しない。ならば一度あの時間に二人で移動して、そこから未来判定の家に過去の要を戻せば、過去の要は制限に抵触せずに済むのではないか。

 けれどそんな提案は彼女の笑顔と共に封殺される。


「それだとあの十五分にあたしだけ残されて、制限①で一人でここに戻ってこられなくなるよ?」

「俺が着いて三人で行ったら?」

「出来ればあの時間はもっと有用な事に使いたいかな……。それに話は解決してる、過去は変えちゃいけない。悪いけど昔のお兄ちゃんには予定通りに戻ってもらうよ?」


 安全策があるならそっちを取ればいいのに。

 けれど確かに彼女の言う通り過去を変えてはならない。未来曰く恐ろしいことが起こるらしいから。

 ならばやはり当初の予定通りに事を運ぶしかないのだろう。


「未来の俺はいいな。この後の事知ってるんだから」

「いいだろ、体ぼろぼろだぞ?」

「精々覚悟しとくよ……」


 何に勝ったのか分からない会話を交わして、それから自分の名を呼ぶ。

 そう言えばこの制限⑥の、名前を呼ばれてはならないは言った本人には効果がないらしい。空白の十五分を越えてあの部屋で話をした未来も、自分の名前を名乗った時は制限に抵触していなかった。

 そんな事を考えていると視界が歪む。

 そう言えば制限に抵触した風景をこうして客観視するのはこれが初めてだと。参考までにと記憶に残す。

 時間移動は、主観では目を瞑っているからどうなっているのか分からない。

 考えながら目にした景色は少しだけ忌避感を覚えた。

 まるでテレビの放送休止画面に映るカラーバーのように。目に痛い原色の赤や青、黄色、緑と言った太い線が折り重なってその姿を隠していく。

 黒と黄色が重なり警戒色になったところもあって、まるで世界が異物を潰して排除しているようだと錯覚する。

 未来の持つ時間移動は歴史にあってはならない招かれざる客を作り出し、歪ませる異能力だ。そういう意味では歴史の修正力と言う受け取り方も出来る。この景色は正しいものなのかもしれない。

 そんな風に胸の内で感慨を落としていると、やがて原色に塗り潰された景色が解像度を増して元の背景と同化する。

 そこに手を伸ばしてみても、何の違和感もない。歴史にとっての異物を排除したのだから当たり前といえばそれまでだ。

 制限に抵触した者は他者から見ればあんな風に映るのかと底知れぬ嫌悪感を抱く。そんな要の肩に、未来が手を添えた。


「……大丈夫? 何処か痛いところは?」

「…………どこもかしこも痛いよ……。けど平気。少し休んで戻るから未来は由緒と先に戻ってて」

「分かった。気をつけてね」


 少しだけ一人になりたくて言葉を返せば、未来は何も言わずに頷いてくれた。

 それから縄を解いた由緒と二人、時間移動で家へと戻る。

 同行者は意識がなくても異能力は発動するのかなどと、どうでもいい事を考えながら鉄骨に背中を預ける。

 吹きぬける風。短い前髪が視界の端で僅かに揺れて、また少し伸びたかと指で引っ張る。

 まだ未来と出会って三日だ。五時間と十五分は空白の時間があるから、普通の時間の流れと比べれば彼女といた時間は短いのだろう。けれど彼女の口から語られる言葉や、病院での襲撃。楽や由緒が狙われた事実。そして先程過去の要と重なって経験した分の景色が脳裏を巡る。

 短いはずの時間。なのにその景色は鮮烈で、濃厚な記憶。要の欲を満たしてくれる非日常の時の流れ。

 それが事実以上の体感を持って胸を突き、未来の事をこうまで深く刻み付けているのだ。

 これこそが要が望んだ非日常だと反芻すれば、胸を満たす満足感はその先を求める。

 《傷持ち》は逃げた。それは裏を返せばまた襲われる可能性があるということで、未来と一緒に時間と空間の理の外を謳歌できるということだ。

 隠し切れない期待感が胸を躍らせる。

 こんな要はやっぱり狂っているのだと。客観視すれば笑みが込み上げてきた。

 後どれ程未来と一緒にこの非日常を過ごしていられるのか分からない。それに別れがくればきっと俺はこの記憶をなくしてしまう。そう考えればあってないような時間だ。

 けれど確かに要はこの時間に存在しているし、この胸の高鳴りを楽しんでいる証だと確信できる。

 つまらない人生の最高に壊れた時間だ。

 生きている事を実感できる。

 今この時だけは、つまらない人間ではない。

 まだ見ぬ残りの時間。何が待ち受けているのか、楽しくさえ思えて来る。

 いっその事、このまま壊れた世界に生き続けたいと。

 そんな冒涜的な感情を抱いて、そうして溜息を吐く。

 許されないことだ。ありえないことだ。

 今感じているこれは、まだ見ぬ未来に対する未練。

 そうあってはならない歴史だから未来が来た。いつかは醒める夢だ。

 だったらいっその事、今ここで理想の世界に誰かが連れ去ってくれればいいのに────


「誰だ!?」


 そんな考えが脳裏を過ぎった刹那、耳がカツンと言う鉄板を踏む音を捉えた。

 思わず振り返って問う。

 けれどそこにいたのは敵と言うには甚だ間抜けな顔のつくりをした人物だった。


「──何だ、俺か…………」


 遠野要。

 直ぐに思考が目の前の自分を探る。

 今までの記憶の中で、この廃ビルには先程《傷持ち》と戦闘を繰り広げた過去の一回と、ここにいる要で二度しか来ていない。つまり目の前の要は三人目の──まだ見ぬ未来の要だ。


「びっくりさせるなよ……。で、どうしたよ、未来の俺」

「……………………」


 質問に答えは返らない。

 そう言えば目の前の要は一人だと。と言うことは過去のいつかから未来の異能力で一人未来に飛ばされてきた自分と言うことだ。

 同時にここへ来たということは未来でまだ何かが続いているのだと気付く。それはもしかしたら、先程夢想した景色に似た何かで────


「……………………眠れ」


 そんな風に期待を抱いた要を余所に、目の前の未来の要は静かに告げる。

 眠れ、とは今ここで、だろうか? いや、単純に早くここから帰れということだろう。つまり今からここに《傷持ち》がやってくる。流石に今の要がここにいるのは足手まといだ、素直に彼の言う通りにするとしよう。

 過ぎった想像で早く帰らなければと結論を下すのと同時、未来の要が何かを見せる。それは────『音叉』。

 あれ……『音叉』…………? 確か未来は『音叉』を持ってきてはいないと言っていたような……。だとしたらあれは《傷持ち》の持っていたそれだろうか。だとしたら《傷持ち》は捕まった事に……。

 けれどそれならば未来の要がここに来る必要は無いのでは?

 疑問はやがて脳内に警鐘を鳴らす。

 ……待て。『音叉』があそこにあるということは《傷持ち》は捕まっているはずだ。なのに未来の要は眠れと……ここから去れと言って…………。違うっ、逃がすだけならここから去れと言えばいいっ。なのに何故眠れと言った? それではまるで《傷持ち》が要を捕まえに来たような────

 想像が嫌な景色を加速させる中で、未来の要は『音叉』を放り投げる。まるでもうそれは必要ないとでも言う風に……。

 視線はそんな宙を回る『音叉』を追いかけながら、それから未来の要の右手に注目する。

 そうして、目にする──


 ────右手首の甲の側に、傷がない事を


 え……、ない?

 それじゃあ未来の要はどうしてここに…………。

 そんな事を考えた思考が、次の瞬間強烈な眠気に襲われる。

 気付けば腹部に衝撃。見れば小さなカプセルが刺さっていて、次いで上げた景色で『スタン銃』をこちらに構えた未来の要を見る。


「…………な、んで……」

「お前が知る必要は無い」


 一体何が起きているのかと……。疑問が疑問を呼ぶ景色の中で意識だけが遠のいていく。

 そんな風景に次の瞬間現れたのは三つの人影だった。

 消えそうな意識の中で視界がその後ろ姿を追う。

 一人は、要。未来の自分。これで三人要がここにいる事になるなどとどうでも良い事が脳裏を過ぎる。

 二人目は要の隣に立つ、未来。あの赤い髪を見間違えるはずは無い。一緒に来た辺り彼女もまた未来の未来なのだろう。

 それから三人目……。考えて回した視界は、けれどそれが誰かを捉える前に暗幕を下ろす。

 耳が何かを話しているような声を聞いた気もするが、それが些細なことであったかのように記憶には残らないまま。そうして要は気を失った。




「…………っぁ……」


 ぼんやりと浮上した意識が視界を開かせ、見慣れた天井を視界一杯に広げる。

 ここは……あぁ、俺の部屋だ。

 ゆっくりと回した視界で記憶に染み付いた家具の配置を見てそう判断する。

 どうして部屋に……。そう巡らせた思考が記憶を失う前の景色を思い出す。

 そうだ、廃ビルで……未来の自分に撃たれて……!


「……いっ!?」


 思わず上半身を起こせば途端体のあちこちに痛みが走る。そういえば《傷持ち》に蹴っ飛ばされた上に体を強く打ち付けたのだったか。

 段々と記憶が鮮明に蘇り今を認識しようと視界が情報を求める。

 ……うん、ここは間違いなく要の部屋だ。けれど要はあの廃ビルで倒れたはずで……誰かが助けてくれたのだろうか。

 誰か。その姿を追い求めて心当たりを探し始めたところで部屋の扉が叩かれる。

 そう言えば部屋の電気が点いていいると。そんな事に今更ながらに気付くのと同時、要が答えるより先に扉が開かれる。


「……未来…………」

「あ、起きたんだね、お兄ちゃん。具合はどう?」


 視界に捉えた少女の名を呼べば、彼女は安心したように笑ってベッドの傍に座り込む。

 次いで響いた小さな音に視線を向ければ、そこには水の入ったコップがあった。


「喉は乾いてない?」

「……あぁ、貰うよ」


 とりあえず落ち着いて頭を整理するために。差し出されたコップを受け取って口にすれば味のしない冷たい感覚が喉を通り過ぎた。

 零れた溜息に少しの間顔を伏せて記憶を整理。それからどうにか纏まった思考でまずは最初の疑問を口にする。


「……今何時?」

「夜の十時だよ。多分二時間くらい寝てたんだと思う」


 ……と言うことは俺が返って来たのは八時頃か。

 廃ビルに行ったのが七時。体感だが《傷持ち》との交錯は長くて十分だ。それから少し時間を潰して、それが仮定として十分。となると要が気を失ったのは七時二十分頃だ。

 空白の四十分。今回の場合は要が気を失っている時間だ。どうやってその時間を過ごしたのか…………どうして家にいるのか、その主観的な証拠がない。

 考えていると未来が零す。


「……由緒さんを迎えに行った後、あたしは『時空間移動』で家に戻った」

「それは俺も覚えてる……」

「戻った時間は八時頃だよ。空白の時間を作っておこうと思って」


 彼女に有利な空白の時間だ。これで今までに三箇所の空白が出来た事になる。


「こんな時間だし今日は由緒さんはあたしの部屋にと思って移動したの。そしたら廊下を通ったときに丁度お兄ちゃんの部屋から物音が聞こえて。見てみたらそこに意識を失ったお兄ちゃんが倒れてた」

「……俺をここに連れてきたのは未来じゃなかったんだな」

「どうだろう。未来のあたしなら可能だと思うよ。一度廃ビルにいたお兄ちゃんと今より過去に飛んで、そこからお兄ちゃんだけを部屋に飛ばす……。これならあたしの異能力で連れてきた事になるけど…………」


 確かにその可能性もあるか。

 そう言えばあの時未来の未来の姿を朧気ながら見たのだから高い確率ではある。

 少なくとも要の足で帰ってきたと言う可能性は無い。


「……未来が由緒を連れて移動した後、俺は俺に襲われた。あいつは──未来の俺だ」


 言葉にしてその景色を思い出す。あれは既に経験した過去の出来事、未来にも説明は可能だ。

 眠れと告げた未来の自分。『スタン銃』で撃たれ気を失った。その際に見た、三人の後姿……。


「何のためかは分からない。ただ『スタン銃』で撃たれて気を失う寸前に、『スタン銃』を撃った俺とは別の俺と、未来と、それからもう一人が現れたのは覚えてる」

「もう一人、って三人いたの?」

「あぁ。全部で五人。撃った俺、撃たれた俺、それから未来の俺と未来と、もう一人……。それが誰かまでは分からなかったけど……。…………あと、『スタン銃』を撃った俺は、『音叉』を持ってた」

「《傷持ち》は?」

「分からない……。けど俺の記憶が正しければ、撃った俺は傷を負ってはいなかった。だから未来の俺が《傷持ち》って事は無いと思う」

「それはそうだろうね。だって《傷持ち》は未来人じゃないお兄ちゃんを襲う事が出来る異能力保持者。それに例え《傷持ち》が未来のお兄ちゃんだとしても動機がない」


 動機がない。果たしてそうだろうか?

 この先未来で何が起こるのかはわからない。けれど何かが起こるはずで、それに要が関わっているのだろう。だから《傷持ち》は要を襲って手に入れようとしたのだ。未来で起こるその何かを覆すために。

 だとすれば、未来の要が自分の所為であると気付いたなら、過去の自分をどうにかしたいと考えるのは動機として十分だ。

 但し問題が一つ。

 未来は断言しなかったが要はその生涯の中で異能力を発現しない。つまり時間移動だけでは時間移動者の要にしか影響を及ぼせない。となれば最初の《傷持ち》の襲撃に違和感が出る。

 どうして現代人の要を襲撃したのか。

 単純に考えれば現代人の要でも干渉が出来るから。そのためには間接的な異能力での干渉……『催眠暗示』のようなそれが必要で、異能力を発現しない要は候補から外れる。

 動機を類推してそこから考えても、最初のそれだけが不可解だ。だとしたら《傷持ち》には言動に一貫性の出る『催眠暗示』持ちの時間移動者、未来人Xの方が納得できる。

 未来人Xならば現代人には『催眠暗示』、時間移動後の要には『スタン銃』での身柄確保が有効だ。


「……考えるほどに分からなくなるな。どうしてあの俺は『音叉』を持っていたにも関わらず過去の俺を攻撃したのか…………。あの『音叉』の出所は一体……」

「確かに分からない事だらけだよ。お兄ちゃんがどうやって帰ってきたかも謎。……けどそういうのは一旦後にしない? お兄ちゃんだって疲れてるでしょ?」


 確かに未来の言う通りだ。

 もう完全なる夜。良い子は寝ている時間で、要も今まで退屈に過ごしてきた一日のスケジュールで考えればそろそろネットサーフィンなどをやめて寝る支度を始める頃だ。

 そう言えば未来が来てからパソコンを触ってないと、どうでも良い事の用に思い出す。そうして何の気なしに回した視界で今更に気づく。


「あれ……パソコン…………」


 言葉にするのと同時、前に感じた違和感が胸の内で震える。

 そうか、昨日夕方にこの部屋に戻ってきた時感じた違和感はそれか。

 いつもは勉強机の上においてあるノートパソコン。それがいつの間にかなくなっているのだ。

 要の記憶では未来が来た日にはまだあった。つまりあれから今までの間になくなったということだろう。

 考えていると脳裏を過ぎるものが。そういえばノートパソコンを楽に貸すと約束したのだった……。

 これでは約束が果たせないと軽く頭を抱える。

 一体どこに行ったのだろうか、俺のノートパソコン。寝て起きたらそこにあったりしないだろうか?

 やっぱりここは元々要のよくいた世界に似た別の世界なのでは無いだろうか。


「なぁ未来────」

「はいこれっ」


 とりあえずその疑問だけでも解消しようと声にし掛けたところで未来が何かを差し出してくる。

 何事かと言葉の先を折られてそれを受け取ればそれは黒いUSBメモリだった。


「渡すの忘れてて。昨日病院に行った時に楽さんから預かってたの。何でもお兄ちゃんが少し前に頼んだものだって……」

「それいつ?」

「由緒さんが誘拐された後、お兄ちゃん病室を飛び出したでしょ? あの時に渡されたの」

「…………う~ん……。楽に頼み事……? した覚えがないけど…………」


 一体何が入っているだろうか。中身を確認したくてパソコンへ……と意識を向けたところで今ここには無いのだったと思い返す。

 ……仕方ない。またにするとしようか。それよりも先程の疑問だ。


「で、遮ってごめん。さっき何を言おうとしたの?」

「あぁ、うん。……未来のその異能力って時間と空間を移動するものだよな」

「だね」

「それって例えば移動した先が別の未来に繋がってる並行世界とか、あるはずのものがなかったりするちょっと違うパラレルワールドに移動するものなのか?」

「……えっと、多元宇宙論とか多世界解釈とかそういう話?」


 彼女の言葉に頷くと何処か苦しそうに笑みを浮かべる未来。


「あたしあんまりそういう事に関しては詳しくないんだけど……とりあえず別世界に飛んだりとかは無いよ。歴史は一つ、世界も一つ。そうじゃないと歴史を変えちゃいけない理由とかあたしには分からなくなるし…………」


 そういえばそうか。

 確定した過去、予知した未来は変えてはならない。変えてしまえばタイムパラドックスがおきて世界が大変な事になってしまうと言った彼女。

 だとしたら過去が変わった瞬間に世界が分岐するとか言う論は想像は出来てもありえてはならない。つまり並行世界と言った概念は存在しないと考えるのが普通か。

 つまり要がいるこの世界は元々いた世界の延長線上であり、別の世界ではないと言うこと。


「ふん……そうなると疑問が一つ」

「何?」

「……俺のノーパソが消えた…………」

「え?」


 言って部屋を見回す彼女だがどこにあったかは知らないはずだ。


「未来が家に来たあの日にはまだあった。で、《傷持ち》に教われて病院から家に戻ってきた時に違和感を感じた。確証はないけど多分その時には既にノーパソはなかったんだと思う……。それまで未来が来てからは触ってない。そこの机の上に置いてたんだ。例えその時になくなってないとしても、今ここには無い。これは覆らない事実だろ?」

「…………そうだね。因みにそのパソコンって、銀色の?」

「……何で未来が知ってるんだ?」

「楽さんの病室で見たから」


 ……うん? 今認識がずれたぞ?


「それを見たのはいつ?」

「……由緒さんが誘拐されたのを楽さんから聞いた時。お兄ちゃんが病室を飛び出した時で、あたしがそのUSBメモリを受け取った時だよ」


 未来の言葉に時間軸を整理する。

 未来が来た時、ノーパソは健在。《傷持ち》に襲撃された後、家に戻ったときに違和感。その後由緒を迎えに行って彼女の誘拐を楽から聞いたときにノーパソが病室にあったと……。

 要が感じた違和感から未来がノーパソを見つけるまでに起きた事と言えば二人で自分の足で病院へ向かったことだけだ。そのとき要は特に何も持っていかなかった。あの時は《傷持ち》と未来からされた説明で頭が一杯で、楽に頼まれたノーパソの事は記憶から抜け落ちていたのだ。

 だから手はつけていない。なのに消えて、それが何故か約束通り楽の下へ移動していた……。


「……未来が俺の部屋に初めて入ったのは?」

「由緒さんを連れて帰ってきて、物音がしたときが初めてだよ」

「その時ノーパソは?」

「そこまで覚えてない……と言うか気にしてなかったから多分既になかったんじゃないかな。まずお兄ちゃんが持ってた事自体知らなかったわけだし……いや、知ってた事になるのかな。話は聞いたわけだし。覚えてなかったってのが正しいね」


 未来は楽からの頼み事を一緒に聞いている。だから知らないではなく覚えていない。

 けれどそうなると、やはりそこに何かが存在する。

 一番気になるのは最初の時間転移……家に戻ってきたときだ。


「……未来の時間移動って人間の移動に際して移動先の時間から何か入れ替わりに物が飛んで行ったりとかは?」

「ないよ。それにあたしの異能力はあたしが触れたものにしか効果がない。あの時あたしはお兄ちゃんと一緒にいた」

「物を飛ばすことは?」

「制限②、この能力には同行する時間移動者の存在と、移動先の場所の記憶と時間の指定が必要になる、だよ。物だけを飛ばすことは出来ない。人と一緒なら可能だけど」


 つまり例え未来がノーパソの存在を覚えていてもそれを楽の元へ届けることは不可能と言うことだ。

 ならばノーパソはどうやって楽の元へ移動したのか……。

 もしかしてあれは未来製のノートパソコンで使用者の気持ちを酌んで自動移動するとか言う……何その化け物。まだ九十九神の方が納得できる。


「……わかんねぇ…………。《傷持ち》の正体も、その目的も、ノーパソも……。もういっその事制限に抵触していいから未来の俺が教えてくれればいいのに」


 行き詰った道で立ち止まって思考を放棄する。

 未来はこんな問題にいつも振り回されてるのかと。そんな中で自由に動くために空白の時間を作ったりと忙しない事をしているのかと。

 どんな未来でどんな時間に関わってくればそんな風になってしまうのだろうかと彼女の事を案じる。

 まだ16歳の少女なのに。


「そんなことしたらこの世界から歴史がなくなっちゃうよ?」

「そしたら世界もなくなるのかな……」

「どうだろうね。でもそうなりそうになったら、あたしはそれを止めるから」


 時間や空間を司る異能を持つ少女。けれど彼女が抱えているそれは、世界が世界であろうとする修正力のような理なのだと気付く。

 そこに明日見未来の意志は無い。

 そんな小さな事が要は嫌で、彼女に悲しい顔をさせた自分を恨む。

 そうして叱咤する。彼女の負担を減らしたいと願ったのは要自身だ。彼女に少しでも彼女らしくいて貰いたいのは要の願望だ。

 だから要は諦めてはいけないのだ。彼女の自由のために、要が今出来る事をしなければ……。


「…………例えば今から矛盾の起きない空白……あの最初の十五分の家に飛んで、ノーパソを持って病院に向かえばその景色だけは再現できるんだよな?」

「そうだね。けど多分それは間違ってる」

「どうして……?」

「さっきのUSBメモリ。あれに何が入ってるかは分からない。けれど病院にいる楽さんがUSBメモリの中身を弄るには、そのノーパソが必要で、もっと言えばお兄ちゃんの記憶に無い楽さんとの約束がそのUSBメモリを作り出すんだよ」

「…………そうか。だとしたらその約束さえ思い出せばどうしてって言う理由も想像が付くわけか」


 未来の言葉に考えて口を閉ざす。

 楽との約束。楽との記憶。

 彼との友好関係は高校に入ってからだ。だからそう多い時間を一緒に過ごしたわけではない。

 ならばきっと見つけられるはずなのに……要は彼に語った約束に心当たりがないのだ…………。

 そこで裏を返す。

 もしその約束を覚えていない事が要の問題ではなく他人の影響だとしたら……。例えば『催眠暗示』のようなものに既に掛かっていてその所為で忘れているのだとしたら……。彼との約束はとても大事な何かだったと言う事になるのだろう。そしてUSBメモリの中身も大事なものになるのだろう。


「……未来はこれの中身が見れるような端末持ってないのか?」

「持ってたらお兄ちゃんに渡すときに一緒に準備してる。それにその形状のフラッシュドライブはこの時代特有のものだよ」

「そっか、未来では別の形状をしてるわけか。それはそれで未来の技術が楽しみだな」


 今でも記憶媒体の小型化は進んでいる。だとしたら未来がいた未来では一体どんな風になっているのだろうか。想像は要領を得なくてその分だけ空想を加速させる。

 そうして気付く。これから訪れるだろう未来に興味を抱いている事に。

 だったらやはり、その興味を抱く未来を守らなくては。その責務を、彼女だけに押し付けるのは要の誓いに反する。


「……うん、やっぱり分からんっ。けど情報が足りないからだ。情報さえあれば推察は出来る」

「《傷持ち》も捕まえないとだしね」


 未来の言葉に頷けば彼女は笑みを浮かべた。

 そう、それでいい。未来が笑っていられるなら、要はまだ未来に絶望しなくて済む。この非日常を楽しめる。

 考えているとガチャリと言う音と共に部屋の扉が開く。音にびっくりしつつそちらに視線を向ければ、そこに立っていたのは由緒。

 彼女は要達が何か言うより先に涙目で駆け寄って来ると、ベッドに座った要に向けて飛び込んできた。

 思わず受け止めたが体中が悲鳴を上げる。


「いっでぇえええっ!」

「……本物、だよね……?」


 呟きは涙に掠れてか弱く響く。

 鈍く痛覚を刺激する感覚をどうにか飲み込みつつ鼻を啜って泣く幼馴染の姿を見下ろす。

 本物、とはどういうことだろうか? 先程までは眠っていたはずの彼女だ。と言うことは嫌な夢でも見たのだろうか?

 想像を巡らせつつ、気付けばその頭を撫でていた。


「……あぁ、本物だ。由緒も無事でよかった…………」

「もうあんなことしないでっ。あんな要、やだよぉ……」


 いつもの勝気で元気な彼女とは違う弱りきった由緒。

 きっと夢で見た景色が信じられなくて混同しているのだろう。

 その長く綺麗な髪を優しく撫でて答える。


「分かった。もうしないから」


 彼女が見た夢がどんなものなのかは分からない。けれど今確かに由緒はここにいて、無事だ。ならば今はそれを噛み締めるだけだ。


「約束、する……?」

「あぁ、約束する」

「……えへへ…………」


 まるで子供だと。

 涙を湛えた幼馴染の純粋な笑顔にどきりと胸を跳ねさせる。そういうギャップはやめてくれ……。

 彼女が握ってきた手のひらを握り返せば、それから静かに寝息を立て始めた由緒。

 詳しいことはまた明日聞くとしよう。

 そう結論付けて顔を上げれば、未来が何処か嬉しそうに微笑んでいた。


「……どうかした?」

「…………ううん、何でもない。それじゃああたしは部屋に戻るね。話はまた明日」

「え、ちょっ、由緒はっ?」

「今日はお兄ちゃんがついててあげてよ。その方が由緒さんも安心するだろうし。それじゃあおやすみっ」


 言って逃げるように部屋を出た未来は、去り際に部屋の電気を全て消していった。

 暗くなった部屋の中、僅かに聞こえる由緒の息遣いが艶かしく感じて握った手に汗を掻く。

 思わず手を離そうとしたが、寝ているにも関わらず強く握られた手のひらに要も諦める。

 幾ら幼馴染と言えど要は男だと……。疲れた体が睡眠を欲しているのに本当に寝られるのかと考えながら要も横になる。

 そうして見上げた景色で一つ。

 俺、常夜灯じゃないと寝れないんだけど────

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