第三章
由緒が施設にやってきたその翌日。俺は自室で悩み呆けていた。
彼女が持ってきた『Para Dogs』への推薦状。話でしか知らなかった引き抜きの話が目の前にある事にただただ呆然とする。心のどこかで、そうなればどれ程いいだろうかと想像していた未来。たとえこんな形ではなくても、『Para Dogs』への入社は心に決めていた事で、どうにかこの身に宿った『催眠暗示』と言う異能力を正しいことのために使おうと考えていた未来が、現実味もなく真実となった事にまだ夢では無いかとさえ思っていた。
なにせ唐突過ぎたのだ。期待は、夢で、そう簡単には叶わないと思っていたから。実感が湧かないだけのこと。
けれど確かに茶封筒の書類一式は机の上にあって、詳しいことには未だ目を通していないその紙の束に遠い何かを感じているのだ。
そもそも、どうして俺なのだろうかと。異能力の強力さで言えば、俺の『催眠暗示』よりもより面倒事向きな異能力を持つ子はこの施設にもいる。制御も出来ているし、疑う余地もなく優秀だ。どうして彼ではないのだろうかと。
もちろん、上の人たちから見て俺に何か可能性を見出しているからこそなのだろうが。それを素直に受け止められないのは、自分を認め切れていないからだろうか。
自己評価が低い……と言うか、やはりどこかで過去の事を引きずっている自分が居る。幾ら期待されるに足る力を持っていたとしても、それを何かの指針無しに正しく使うだけの正当性を自分の中に持ち合わせていない気がするのだ。
言い訳のような捻くれた納得なら、一度失敗した俺だからこそ、間違った事に手を出そうなどとは考えないと言う正義感のような何かはあるのかもしれないが。しかしそれは失敗の上に成り立つ信頼で、俺自身はそれを自信には変えられていないのだ。
誰だってそうだろう。過去の失敗を評価されて、どうしてそれを素直に受け入れられる。君がこんな心配をしたからこそ、こちらはそれを信頼できる、なんて。下手をすれば侮辱にだって成り下がる危うい期待だ。本人がそれを認められるなんて、それは過去の失敗を考えないように逃げているようにしか聞こえないのだ。
だから俺には、納得が見つからない。評価をされて嬉しいはずなのに、自分自身がそんな価値は無いと否定しているのだ。
人間なんて失敗を積み重ねた生き物だ。誰だって拭いたい過去の一つや二つある。生まれてから間違いを犯したことのない人間なんていない。叱られて当然の生き様だ。
その上俺の失敗は俺一人のものでは無い。肉親を……母親を殺したという、無情にして避けえぬ事実だ。受け入れろなんて、土台無理な話だ。
こんな葛藤が無意味なのはわかっている。前を向いて過去を受け入れるのであれば、正しいことのために邁進するのが正解なのは分かりきった事だ。分かっているからこそ、こうして悩んでいるのだ。本当に自分が納得できるまで問答を繰り返しているのだ。
面倒臭い性格をしているのは分かっている。けれどそうやって後悔してしまうくらいには、子供の自分がちっぽけで馬鹿であると知っているのだ。
……きっと、この過去からは抜け出せない。いつまで経っても思い出しては悔やんでを繰り返すのだろう。それこそ、歴史改変をして理想の未来を作り出したいと願ってしまうほどには、未練の塊だ。
けれど過去がなければ今は無いのだと。今があるから未来があって、その未来のためには今生きなければいけないのだと。無為な時間を過ごしている事に気がつけば、途端に生理現象が音を響かせる。
昨日から考え事の渦の中に落ちて、睡眠も浅く食事もまともにとっていない。今朝に至ってはご飯を食べてすらいないのだ。なにせ部屋から一歩も出ていない。動くくらいならその時間考えていたくて、ベッドの上で何度か転がり回ったくらいだろう。
とは言えずっとそうしているわけも行かないと。少し遅いが今からならまだ朝食には間に合うかもしれない。仕方はないが食堂に向かおうか……。
動くのが億劫に感じつつもどうにか叱咤して上体を持ち上げベッドから立ち上がると服を着替え始める。どうでもいいけれど、施設とはいえ基本は普通の人たちと変わらない生活を送っているのだ。ただ生活空間が施設の中に限られているだけのちょっとした拘束に過ぎない。だから服装は自由に私服だし、少ないが娯楽も存在する。
中には着替えるのが面倒だと、白く簡素な貫頭衣のようなそれで過ごしている子もいるが、極少数だ。
加々美の一件から仲良くなった中に男の子がいて、そいつのあだ名は確かてるぼーだった気がする。いつも施設指定の貫頭衣を着ていて、その姿が照る照る坊主みたいだからとか、そんなどうでもいい由来のはずだ。
てるぼーも確か『Para Dogs』への所属希望だったと考えつつ服を脱ぎ捨てて一つ伸び。
少しだけ開放感に浸れば、考えるのはもういいと諦めるような思考と共に、体を動かして気分転換でもしようかと新たな目的を見つける。
「楽さん、いますか?」
それとほぼ同時、扉が叩かれてその向こうからくぐもった声が響く。直ぐにそれが加々美だと気がついていつものように扉を開けて挨拶。
「おはよう、加々美」
「おはようござ────っ!? は、はだ……!」
「ぅん?」
途端焦った様子で後ずさる加々美。その反応に、それから感じた廊下の冷たい風に己の事を見直して気付く。そうだった、着替え中なのを忘れてた……。
「……すまん、ちょっと待っててくれるか?」
「────!」
無言で頷く彼女に断って、それから直ぐに着替えを再開する。
とりあえず、シチュエーションが逆でなくてよかったと。男の俺からしてみれば見られるのは別に困りはしない。あまり誇れる鍛え方ではないが、少なくともだらしない体型では無い。
それから、まだ下を穿いていてよかった。上半身に加えて下までもとなると流石に刺激的過ぎるだろう。そうでなくとも年頃の女の子。要らぬトラウマを植えつけなくてよかったと今更ながらに安堵をしながら。
今度はしっかりと衣服を纏い廊下に出れば、向かい壁に額をつけたまま何か考え事をしている様子の加々美を見つける。
「……悪かった」
「ひゃうっ! え、あっ、いやっ。その、えっと、あのっ……!」
「別に見て嬉しいものでもないだろ。難しいかもだけど忘れてくれていいから」
「うぅぅ…………」
どうやら彼女はこういう事に免疫がなかったらしい。俺もそこまでではあるが、純粋な彼女と比べるとまだ健全な男だろうか。
かと言ってこれが原因でまた前みたいに仲をこじらせるのは避けたくて、少し悩んだ末に提案を一つ。
「……それじゃあお礼でいいか? 何か加々美の頼みを俺が聞いて、それでなかった事にしよう」
「…………わ、わたしが脱げば、いいの?」
「うん、そうじゃないな」
どうやら相当混乱しているらしい。と言うかこんな人目のありそうな場所でそんな危ない発言をしないで欲しいものだ。偶然か他の人はいなくて助かったけれども。
幾ら平静を装っていると言えど俺にだって限界はあるのだ。……いや、十歳の彼女に欲情するかと聞かれればそれは否定するべき案件だろうが。……駄目だ、これ以上考えれば不用意な事を言いかねない。ここで終了だ。
逃げるように切り上げながら歩き出す。後ろからついてくる加々美はまだ納得していない様子。
「……まぁその内でいいや。何か加々美から言いたい事が見つかったら教えてくれ」
「う、うん」
「それで? 何の話だったんだ?」
「あ、えっと、朝ご飯どうするのかなって」
「そりゃ食べるけど、加々美は?」
「わたしは、まだ…………」
……それはもしかして、俺を待っていて、と言うことだろうか?
彼女と仲良くなってからは、一緒に食べる事が日常になっていた。朝から用事があるとか、そういう特別な場合を除いて約束にもなっていない習慣を欠かしたことは無い。だからこそ彼女は今日もそうしようと思って部屋まで訪ねてきたのだ。
自惚れる、訳では無いけれど。加々美が二人がいいと言うのだから、それを裏切らないだけでもいつも通りを過ごす理由にはなる。その中で、『Para Dogs』の件も答えが見つかればそれでいいだろう。
考えるだけ考えたのだ。後は単純な答えを自分の中で見つけるだけ。俺はそうしたいのか、したくないのか……。答えはもう決まっているような気もするけれど。
「んじゃ少し急がないとな。もう時間もあまりないし」
「うんっ」
いつもの笑みと共に頷く加々美。無邪気で元気なその表情に、するべき事を見つけたような気をしながら食堂へと向かった。
それから、その日一日加々美に振り回されるように時間を過ごして。夕食も食べ終え自室に戻れば、気分転換の中で見つけたやっぱりの答えを持って机に向き合っていた。
並べられた書類の数々はこれまでに俺が夢を見てきたことばかり。その詳細がずらりと並んでいて、過去にもしそうなるならと事前に調べていた知識の幾つかの正しさを知りながら落ち着いた面持ちで筆を走らせる。
今より自由は減るかも知れない。思い通りには事は運ばないだろう。けれどそんなの当然だ。会社は家じゃない。他人とどうにか手を取り合って形成するコミュニティーだ。
自分の自由だけを突き通したいなら、自営業でも起業でも好きな事をすればいい。
俺は選んで誰かの中に入るのだ。そこにしか自分の価値を見つけられないのだ。そこで自分がしたい事をするのだ。
何の為か、なんて、自分の為意外に必要ない。自分の為に、誰かの手助けがしたいのだ。自己満足だ。何が悪い。結局突き詰めればなんだって個人主義だ。
誰かの為だなんて方便だ。誰かの為に頑張る自分が好き、結果に得る感謝や給料などの見返りが気持ちいい。……自己陶酔やナルシズムにも似た自己満足。それ以外に理由なんて必要ない。
だからこそ俺は気付いたのだ。拭えない過去を認められるように、『Para Dogs』での功績を糧にして今までの失敗に吊り合うほどの何かを得たいのだと。利用するのだ、会社を、仕事を……正義を。ただそのためだけの自己満足に。それこそが俺が信じるに足る原動力だ。
気付いてしまえば、嘘も言い訳も必要なくて。ただ少しの聞こえのいい言葉で着飾れば立派な動機を書き綴れる。
結局は覚悟の話。都合のいい未来は自分で手繰り寄せるしかないのだ。
心なしか力の入った筆致で最後まで書き終えて、それを持ったまま管理人の女性の下へ。確認をしてもらい判をもらえば、彼女は優しく笑って俺が選んだ道を祝福してくれた。
それからしばらくを施設内で過ごして。隠し事をする理由も見つからず加々美にも『Para Dogs』の事を打ち明ければ、どこか寂しそうに応援をしてくれた。
寂しいのは俺にとっても同じだ。なにせ施設に来てからほぼ初めてできた友人。いろいろあった末に仲良く過ごしてきた友達なのだ。だからこそ、ここから少しだけ離れ離れになる事に不安もある。
五年とはいえ、自分で選択する事を覚えた大きな時間だった。その先にいきなり『Para Dogs』の中に入って行くのだから恐怖はもちろんある。加々美と顔を合わせる回数が少なくなる事ももちろん寂しい。
けれどそれで気持ちを変えるほど俺だって考え無しに決断したわけではない。
それに加々美にもいい影響になったのだろう。希少な異能力保持者として『Para Dogs』に入る事は決まっているようなものなのだから、その内俺の後輩として会いにくると。彼女にとっての目標と言う意味で新しい繋がりを得ながら。
そうして俺が『Para Dogs』に行く前日には隠れて準備していたらしい送別会で祝われもした。俺自身も諸々の準備などで忙しかったために、そしてしばらく会えなくなるだろうからとそれまで以上に一緒にいるようになった加々美に振り回されて気がつかなかったのだ。恐らく加々美が俺の気を引く事も準備の一つだったのかもしれない。全く、最後に酷い隠し事をしてくれたものだ。
そんな風に施設から送り出されて、俺は『Para Dogs』へと入社することとなった。
『Para Dogs』への入社と共に、暮らす環境の選択もあった。父親のところへ戻るか、一人暮らしを始めるか。それとも寮に入るか……。もちろん彼とは相談を重ねた。五年の間に彼の方も環境が安定して、戻ってきてもいいと言われた。けれどそれも全て俺が決めればいいと。
放任……と言うよりは信頼をしてくれているのだろう。自ら選んで施設に入った俺がどうするのか、それを全て任せると。
もちろん悩みはした。家族は大事だ。けれどその家族を壊したのもまた俺だ。だからどうするべきか……自分がどうしたいか……。悩んだ末に、俺は寮での生活を選んだ。
だからと言って家族の縁が切れるわけではない。ただそれぞれに仕事をする事を考えたら、ストレスを溜めない事が何よりになると思ったのだ。その気になれば会いにいける。なにせ生きているのだ。それだけで十分だと思えるほどには、母親の事が好きだったのだ。
また、父さんは就職祝いにと自由に使える小さい部屋を一室貸してもくれた。どうやらそれは一人暮らしを選んだときにと予め準備したものらしい。使わないのも勿体無いから、その内物置にでもなるのだろう。
そんな経緯を経て入った寮での生活に適応しつつ『Para Dogs』で働く日々が始まった。
とは言っても十五歳……今年十六になる子供。世間で言えばその春から高校一年生だ。傍から見れば中卒で働き始めたことと大差ない。
だからこそ当分は最低限の学力として高校相当の勉強も同時に受けるようになった。となれば半分学生、半分大人。年齢とその境遇も相俟って、『Para Dogs』内での扱いは特別協力者止まり。十八か……それまでに高校卒業程度の学力を身につけた後に、正式な『Para Dogs』構成員として籍を置く事になるという扱いになった。もちろんそれまでは『Para Dogs』の一員の証である『捕縛杖』も持つことは無い。
正式な構成員でないから、当然大きな仕事は回ってこない。勉強に支障が出ない程度の事務仕事や、先輩に着いて回り異能力の折衝事の仲裁などが主な仕事。それでも確かな前進だと、地道な一歩だと確信して目の前の事に全力を注ぎ続けた。
そんなある日、先輩から雑談の端に聞いた話。俺よりも若くして正式な『Para Dogs』の構成員として働いている女の子の話。
その子は同じく『Para Dogs』に働く家族に憧れて同じ道を目指し、義務教育を『Para Dogs』内で受ける事で飛び級の如く次々に必要最低限の知識を詰め込み。14歳の時には『Para Dogs』の一員として認められたらしいのだ。
もちろん例外中の例外だ。最初から『Para Dogs』に入る夢があって、家族のコネがあって、彼女自身が努力をして。加えて『Para Dogs』が切望する数少ない時空間移動の異能力保持者……。そんな偶然と必然の上に掴み取った居場所だ。誰もが手に出来る功績ではない。
けれど自分より若くして『Para Dogs』に入った少女がいると聞けば、負けていられないと思うのは子供心。十歳の頃から異能力の訓練を続けてきたのだ。自分の力がどんな場合に役立つのかも知っている。
最年少記録の更新と言うわけにはいかないけれど、前例があるならそれに続くように励んで、出来ないことは無いはずだと。
話の最後に、その少女が俺の一つ年上であることを聞きながら決意を新たにしたのを覚えている。
…………ん、あぁ、そうだ。要の事だから気付くと思ってたよ。その少女ってのが、明日見未来だ。
つまり彼女は名実共に俺の先輩で、過去に憧れた人の一人なわけだ。そんな彼女を根底から裏切るようなこと、俺が出来ると思うか? 出来そうだというならそれは心外だけどな……ここまで言えば分かるだろ? 俺のこの恩返しは、目標をくれた彼女に対しての物でもある。もちろん、それ以上に大切な目的もあるけどな。
彼女が特別だと言うのは重々承知。その上で、せめて似たような道を辿れたなら己に自信が付くだろうと回ってくる仕事に一所懸命に取り組むようになったのだ。
その内何を認められたのかは分からない。そもそもが研修期間のようなそれで、最初からそのつもりだったのかも知れないないが、段々と異能力に頼ることの多い仕事が回ってくるようになった。
とは言え『催眠暗示』は一回限りで相手を操れる強力な異能力だ。当然使用には色々な制限が付き纏う。その頃特に気をつけていたのは、『Para Dogs』の先輩の目がある場所で、上からの許可が下りたときだけというもの。
例えば異能力を使って暴れている相手を取り押さえるのに、『催眠暗示』一つで沈静化できるのならばそれに越したことは無い。けれど精神に干渉する以上、その力は人の意思さえ捻じ曲げる強権として自由には使えなかったのだ。
だから必然、俺の『催眠暗示』は最終手段。他の方法を試して効果が無い場合か、緊急を要し迅速に制圧する事を目的として頼られる事が暗黙の了解となったのだ。
それと同時に、無意識な聴覚へ作用する『催眠暗示』は殆ど敵無しの無力化制圧として仲間の安心を支える意味合いも強くなって。最悪どうにかなるからと後ろに控えているだけで先に事件の解決へ当たる先輩達の作戦行動にも心の猶予と共に成功率が上昇することとなった。結果俺のところまで回ってくる事件も次第に減っては来たのだけれども。
そんな風に時折手を貸す程度の協力で『Para Dogs』の仕事と、それから自分のペースで進める勉強。それもいつしか終わりを告げ、高校卒業程度の学力を身に付けるとその学ぶべき矛先気は異能力の事へと向きながら。同時に『Para Dogs』にも正式採用をされ、ようやく変化した環境に慣れ落ち着いてきたある日。いつものように時間を見つけて『Para Dogs』内で読み掛けの本に視線を落としていると不意に叩かれた肩の感触。
驚きつつ振り返って、それからそこに立っていた姿に思わず告ぐべき言葉を失った。
「やっと追いつきました、先輩っ」
「……加々美」
そこに立っていたのは稲生加々美。『能力転写』の異能力を持つ白いウェーブロングの髪を人形のように着流した少女。こちらを見つめる紫紺の瞳は変わらない輝きで、その奥に彼女なりの嬉しさを湛えながら笑顔を浮かべる。
加々美とは、俺が施設を出た後も時々会っていた。それは彼女との約束の一つではあったのだが、時間があれば様子を見に行くとも言っていたのだ。その口約束を最後に果たしたのが約三ヶ月前。丁度施設から優秀な人材を引き抜くために視察をした時だったが、その時に一緒にいた先輩はそんな話を一つもしていなかったのだ。
だから彼女が今、『Para Dogs』の制服を着て目の前にいる事に驚き以上の感情が沸いてこない。
「わたし頑張ったんですよ? なにせ中学卒業程度までの勉強終わらせてきたんですからっ」
「中学卒業って……」
「わたしまだ十一ですけれどねっ」
加々美がそうして目の前にやってきたとき、俺はまだ十六で、ようやく高校三年程度の勉強を頭に叩き込み終えた頃だと言うのに。彼女は俺がいなくなった一年で約五年分の勉強を詰め込んで追いついてきたらしいのだ。
もちろん、彼女のその原動力に俺の『Para Dogs』行きが関係していることには素直に嬉しいけれども。なんだか恐ろしい差を見せ付けられた気がしながら呆れるように言葉を返す。
「……何でそこまでして…………」
「嬉しくないんですか? 楽さんを追いかけてここまできたんですよ? 約束を果たしに来たんですっ」
「…………とりあえず、お疲れ様」
「はいっ!」
純粋に真っ直ぐな瞳でそんな事を言われれば、悪い気もしないしそれ以上責めるようなことも言えなくなる。なにより彼女の言葉の端に宿る感情に勘違いをしそうになるのだ。その気の無い悪魔とは目の前の彼女のような子の事を言うのだろう。
「それでわたし、今日付けで先輩の直属の部下ですっ」
「……は?」
「先輩、時対室所属ですよね?」
続けて放たれた悪意のない言葉。証明するように突きつけられた彼女の『Para Dogs』構成員の証であるカード型証明証には、当たり前のように俺と同じ所属先が記されていた。
時対室の正式名称は、時空間隔絶事象変革事件対策室。第二課には未来が所属する部署の、一課がこの春から楽が正式に籍を置く場所だ。一課と二課の違いは、解決に当たる事件の内容で区別されたものだ。
一課は『Para Dogs』や異能力者を脅かす時空間事件に。二課は歴史に影響を及ぼす時空間事件に対処するのが主な仕事。一応三課も存在するが、今回はいいとしよう。
そんな部署に俺でさえ正式に採用されるのに一年掛かったというのに、彼女はその期間すらなしにいきなり正式な仲間。その上新人の俺にいきなり部下とか、そろそろ脳の許容量オーバーだ。
「……えっと、なんで?」
「なんでって、わたしがそうして欲しいってお願いしたんです」
「誰に?」
「局長にです」
さも当たり前の如く答える加々美。その紫紺の瞳からは嘘を吐いている様子は感じられない。
……どうやら本当らしい。と言うか局長に……あの人に直談判したと言うのだろうか?
「それで許可を……されたからここにいるんだよな……」
「はいっ」
意欲に溢れているらしい加々美の返答とは対照的に、俺の中では色々な考えが巡っていく。
「……色々言いたい事はあるんだけどよ、言ったところで変わらないだろうから諦めるさ。それでも譲れない事が一つあるから聞くぞ。ようやく居場所を見つけた俺にいきなり部下ができたら周りの奴らはどう思うだろうな?」
「いきなり部下を持つなんて先輩すごいですねっ」
違う、そうじゃない。
「肩身が狭くなるのは俺なんだぞっ?」
「大丈夫ですよっ、私の所為にしてくれていいですから!」
「出来るかっ」
そんな事をしたら余計変な噂が立つわ!
「全く……」
時折天然と言うか、こちらの話を聞かないのは施設の頃からあった兆候。それがどうやら俺のいない一年で悪い方向に成長したらしい。彼女にとっては良かれと思っての事なのだから怒るに怒れなくて仕方なく受け入れる破目に。俺も大概、彼女には甘い気がする。
「……それで? 挨拶は済ませたのか?」
「誰よりもまず先輩にと思いまして」
「なら行くぞ。後必要以上に俺の周りをうろつくなよ?」
「はーい先輩。いやですっ」
ようやく手に入れた居場所が、音を立てて崩れていく幻想を覚える。まぁ、賑やかに楽しい事はいいのだろう。それが我慢の限界を超えなければの話だ。
既に取り返しのつかない気のする現状に頭を抱えつつ、そうして向かったこれからの職場で小さな歓迎会と共に彼女の信頼が色々な面倒を巻き起こす想像をしながら項垂れたのだった。
加々美のやって来た第二課はよく言えば以前より華やかな空気に包まれた部屋になった。もちろんその賑やかさは俺の周りだけ。彼女の根にある人見知りはそのままらしく、先輩達に向ける顔と俺の傍で見せる表情には大きな違いがあるようで。対外的には出来る新人として迎えられた彼女の教育係として押し付けられたのは当然の事。仕方なく引き受ければそれを口実に犬のように後ろを着いてくる彼女に辟易さえしながら。
そうして一人で勉強をする時間さえ蝕まれつつ日々を過ごすまたある日。いつもの仕事である街の警邏に加々美と出る直前、『Para Dogs』の入り口で由緒の姿を見かけた。
彼女は俺が想像していた通り『Para Dogs』の一員で。しかも随分と上の方にいる異能力保持者。件の最年少採用記録を持つ未来と同じ、時空間を渡る強力な異能力の持ち主。そのため、時空間事件の解決には沢山手を貸している様子で、『Para Dogs』内ですら殆ど見かけない。『Para Dogs』の建物が大きく広いと言うのと、彼女とは部署が違うというのも理由かもしれないが。
視界の端に捕らえた彼女は、けれど忙しそうでこちらに気付くことも無く整った姿勢で奥へと歩いて行く。流石に彼女に覚えてもらえるほど活躍もしていない。少しだけ期待してしまった自分が恥ずかしい。
去っていく背中にそんな事を考えつつ、真っ直ぐと伸びた背にあんな風に年を取りたいものだとも思いながら。
少ししてやってきた加々美と共にいつもの巡回ルートを己の足で回っていく。
大きな事件が起きなければ、『Para Dogs』だって暇なのだ。となれば職務怠慢にならない程度の仕事と、新たな事件の芽を事前に摘む事を念頭に街に視線を回す破目になる。
一応治安維持組織、正義の味方。何か困った事があると頼られるのはいつものこと。その日も少し歩いて道を聞かれたり、小さな困りごとを解決したりと市民の味方を演じつつ決まった道順を歩く。その傍ら、隣に位置取る加々美は聞いているこちらが疲れるほどに色々な話題を投げかけてくる。
「そう言えば昨日、明日見先輩とすれ違いましたよ」
「どっちの……?」
「えっと、未来さんの方です。相変わらず忙しそうでしたけれど」
「まぁそうだろうなぁ。移動先で更に移動できるのが彼女の異能力の強み。色々なところで頼られるのは当たり前だろ」
「先輩は憧れますか? 誰からも必要とされる異能力」
「……さぁ、どうかな。面倒事が増えるだけと思うけど」
「わたしの前でそれを言わないでくださいよ」
勝手に責任転嫁された。ならそんな話題を振らなければいいのに。
「そう言えば今何の異能力持ってるんだ?」
「『念動力』です。他部署の人の異能力ですけれど、その人わたしと同じ髪色だからよく借りてるんです」
そう言えば白髪のままだ。普段の彼女通りで気がつかなかった。よくよく見れば瞳の色が紫紺ではなく赤い。
「そこまで強力では無いですけれど便利ですからね。後四回使用できます」
「一回はどうした」
「さっき荷物持ちを手伝った時です。面倒臭かったので使っちゃいました」
あの時は普通に持っていたように見えたが、どうやら持っているように見せかけて浮かせて運んでいたらしい。
「あんまり変な事に使うなよ? いざと言うときに使用回数が無かったらどうするんだ」
「その時は先輩が助けてくださいっ」
「俺の『催眠暗示』は荒事に向いてない」
「だったら先輩はわたしを見捨てるんですか?」
「……………………」
卑怯な問い掛けに口を噤めば、楽しそうに肩を揺らす加々美。先輩に対して敬意が低過ぎるのでは無いだろうか。
「とにかく無闇に異能力を使うな。そうでなくとも異能力者への風当たりは強いのに」
「はいはーい。先輩は都合が悪くなると確証のない建前を使うのをやめた方がいいと思いまーすっ」
「なら言わせるような事をするな」
「それよりも、ですっ」
相変わらず流れを無視する話題提起。彼女の奔放さは追いかけるだけ徒労だ。
「先輩の夢はどうするんですか?」
「……夢って程じゃない。ただの恩返しだ」
「どっちでもいいです」
飛ぶ話にどうにか追いついて答える。
夢。そんな言葉で語れるほど確かでもなければ独りよがりな思い。加々美が指摘したそれは、俺がずっと抱いている感謝だ。
そもそも、俺が『Para Dogs』にいられるのは由緒のお陰に他ならない。施設から逃げ出した時に世話になったときから、勝手に色々と助けられてきたのだと思っているのだ。
だからいつか、彼女に恩返しが出来たらと考えていて。少し前にふとした弾みにその事を加々美に言ってしまったのだ。それ以来、何かと彼女はその話題を持ち出してくる。加々美にとって由緒は特別でもなんでもないだろうに。
「わたしだって先輩にお世話になってます。いっつも迷惑をかけてます」
「……分かってるならもう少し控えてくれ」
「嫌です。だから迷惑を掛けた分、先輩に恩返しをしたいんです。先輩の夢があるなら、そのお手伝いをさせてくださいっ。わたしの事は好きに使っていいですから。だってわたし、先輩の後輩ですし」
「しなくていいからこれ以上面倒事を増やさないでくれ」
「それ、ブーメランですよ?」
途端、真剣な声音で核心を突いてきて言葉に詰まる。
確かに加々美の言う通りではある。迷惑をかけていると思っているのだって、恩返しをしたいというのだって、結局は自己満足。加々美の先程言ったことだって、同じように自己満足だ。
施設の頃からの付き合いだから仕方ないのかもしれないが、彼女の信頼の一部を俺が奪ってしまっているのだ。だから必要以上に懐いて今みたいな話を延々とするし、それで迷惑をかけている事に気がつきながらその返しをさせて欲しいとまで面と向かって言って来るのだ。
結局自分が救われたいだけの独りよがり。だからこそ、それを誰かが邪魔することなんて出来ないのだ。
「いいじゃないですかっ。わたしはわたしで納得が出来て、先輩は夢を叶えられる。何処にも悪いことなんてありませんっ」
「…………だったら、加々美ならどうするよ。あの人は俺の事すら忘れてるかもしれない大人だ。『Para Dogs』内で、一目以上置かれてる有名人だぞ? そんな人にどうやって恩返しするんだ」
「なんでそれをわたしが考えないといけないんですか……先輩の恩返しなら先輩が考えないと意味が無いじゃないですかっ」
それはそうなのだが……。とは言え本当にどうすればいいのか全く現実味がないのだ。目標がない……終着点が曖昧だから、今もまだこうして考えるだけで行動に移せないでいる。
剰え愚痴のように加々美に零して振り回している。
せめて何かきっかけがあればいいのに。少しだけ特別な、何かしらの繋がりがあればどうとでもなる気はするのに。
そんな事を考えながらしばらく街を警邏して。そろそろ『Para Dogs』に戻る頃合かと時間の確認に端末に目を落とす。と、ホーム画面に通知が一件。どうやら先輩から何か連絡らしい。二十三分前……どうやら加々美と話し込んでいたか、頼られてなにかの手伝いをしている時に届いていたらしい。いつもは音が鳴るように設定しているそれを、設定を変えるのを忘れてマナーモードのままにしていたから気がつかなかったのだろう。
メッセージの内容は『Para Dogs』に戻ったら用があるから少し時間をくれとのこと。
「……先輩何かしたんですか?」
「勝手に覗くなよ。……別に、これと言って迷惑を掛けた覚えは無いけど」
「結局はその人の受け取り方次第ですからねぇ」
勝手に見ておいて不穏なことだけを言い残す加々美。やっぱり彼女は先輩に対する礼と言う物がなっていない気がする。ここは一度彼女の上司として物事の道理を教える必要があるだろうか。
考えながら、再び加々美と話をしながら『Para Dogs』へと戻ってその足を件の先輩の元へと向ける。腹いせに報告書は加々美に丸投げしておいた。
先輩のところへと向かえば、単刀直入に渡された数枚の書類。
目を通せば、それはどうやら依頼書らしかった。
異能力関連の事件解決のほかに、外からの依頼で人探しなどの頼み事も受ける事がある。それもまた平穏や安全を確保することの一つで、中には依頼相手を指定する者も時折ある。
けれど大概そういうのは腕の立つもの、『Para Dogs』内での有名人が多く、俺のところには回ってこないはずなのだが……。
そこに記された紛れもない自分の名前にどうしてと言う疑問は、けれど滑らせた文章の最後に綴られた名前で思わず固まる。
「……はぁ?」
そこに書かれていたのはここの局長の名前。加々美が俺の元に来るために直談判をしに行った相手で、まともに会話をしたことすならい、俺にとっては雲の上の存在。そんな人物がどうして俺に依頼を託したのだろうか。……もしかして名前の選択を間違ったとか?
かと言ってそんな事目の前の先輩が知る由も無く。舞い込んだ大きそうな仕事に困惑しつつもとりあえずは受領して、一通をこちらが、同様のものを一通先輩伝で局長に届けてもらう。これで契約としては正しいだろう。
別に忙しいわけでもない。言ってしまえば加々美に教育してやろうと考えるくらいには日々はおとなしい。だからとりあえず引き受ける。もし間違いならその内訂正なりの連絡が来るだろうと。
いきなりの話に現実味のないまま引き受けて。その日一日悩みはしたが、その内何かあるだろうと結論を投げた。
依頼の内容としては時空間事件へ出向いて過去を救ってきて欲しいとの事。詳しい事は追って送る資料に記載すると要領を得ない追記事項。真実はそれが届いた時にでも判断だ。
考えながらまた数日を過ごして寮に戻ったある日、フロントに預けていた鍵を取る際に、管理人から荷物が届いているといわれて受け取る。何も頼んでいた覚えはないのだが……。と、差出人を確認したところでそこに綴られた局長の名前に数日の間に忘れかけていた依頼の事を思い出す。
どうやら本当に俺宛の任務らしい。実物以上に重く感じた箱を抱えて部屋に戻り早速開けば、中からはこれまた数枚の書類と本が……九冊。題名のない真っ白なカバーに中を開いてみると、どうやらそれは小説らしい。挿絵のない活字ばかりの一冊250ページほどの小冊子。別に文字を読むことには抵抗もないけれど、一体何の話だろうかと。
そこで詳細は追っての資料にと指定されていた事を思い出し、数枚の紙の束へと視線を走らせる。
そこに書かれていたのは任務内容の細かい指定。曰く、この小説に書かれている事が歴史に必要な道順で、それを守って欲しいという時空間事件解決の話だった。
「……もしかして念写か、これ」
直ぐに至った自分なりの納得。
もしこの小説が歴史をなぞるためのガイドだとするなら、過去の成り行きを示した正しい歴史。恐らくそれを念写で文字と言う名の絵に起こし、それを成し遂げて欲しいという依頼。
でもどうして俺なのだろうかと。時空間事件なら二課の仕事だろうに。
とは言え交わした契約を違えることもできず、手早く食事と風呂を済ませ静かな自室の中でソファーに寝転がりながら小説のページをめくる。もしかしたらこれを読む事で何か分かるかもしれない……。
そんな想像は、どうやら当たっていたらしく。読み進めていくとそこに自分の名前が出てきた。
けれどそこでふと疑問に思う。先ほど目にした書類が本当ならば、これは過去の出来事。今より昔に起きた出来事なのだ。しかし俺は、この小説に出てくるような経験をした事がない。そんな記憶は存在しない。
一体どうしてと。疑問を浮かべた頭が、その答えが小説の中にある気がして読み進めていく。
主人公と、ヒロインなのか分からない少女と、幼馴染と、友人と……。コミュニティーとしては随分小さくまとまった世界の中で展開されていく物語に……目まぐるしく動く景色に追いつくだけで酩酊さえ覚える。
複雑な時空間の絡み。推理小説染みた物語運びは、けれどSFさも纏って現実離れした出来事のように紡がれる。
読み進めていく毎に謎が増え回収されない伏線が、けれど主人公の視点で紡がれる事に飲み込まれているからだと悟って。気がつけば彼と同じように謎の中の登場人物となっている事に酷い茶番を覚える。
だからこそ、経験をした事が無いのにこんなにも胸の中で燃え盛る。事実のように記憶が疼く。不必要な登場人物のいない、完成されたような物語に酔う。
そんな物語が、途中で一変する。敵を追い駆け続けた主人公が、敵の手に落ちる。ヒロインが攫われるのは王道だ。主人公がぼろぼろになりながら戦うのもありえるだろう。けれど主役が敵の手先になるなんて話が何処にあるだろうか。
それでは物語の主人公がいなくなってしまうと。物語が、破綻してしまうと。
しかしそれでも紡がれる物語は主人公の一人称。ここまで来て先が読めない展開にどんな過程を経て結末へと至るのか……今はただそれだけが気になって仕方がない。
気がつけば夜も更け少しだけ聞こえていたはずの隣部屋の音もしんと静まり返っている。時計を見れば夜中の二時半。丑三つ時なんて嫌な時間に時計を見てしまったと考えながら、明日の事を考えてとりあえず本を閉じる。
物語は待ってくれる。現実を片付けた後で溺れても構わないと。
この先の展開に後ろ髪を引かれつつどうにかその世界から戻ってきてその日は眠りの底へ。
翌日するべき事を追えて部屋へと戻り再び物語の中へ。そうして最後まで読み終えて、一つの結論と共に小さく息を吐く。
どうやらこの任務からは逃れられないらしいと。フィクションとして書かれた物語に交じる事実の符合。知っている知識だけで語ってもこの物語は避けえぬ未来にして過去の出来事。時空間の交錯が織り成す面倒にして何処までも一本道な真実。
こんな物語に自分が関わっている。関わる事になる……。
それだけでも十分に夢物語で、更には曖昧だった目的も達せられる。都合がよすぎて逆に怖いくらいだ。
けれどやるべきだろうと。何より俺がそうしたいのだと。
いつの間にか燃え盛った使命感と共に胸の奥へ確かな目的を灯す。その日から、更に俺は前へ進む事へ力を注いだ。
その未来はそう遠くない。それまでに然るべき準備をして万全な状態で物語をなぞらなければ。
宛ら小説を再現するように紡がれる過去のにして未来の出来事。それさえも『Para Dogs』に許された強権……歴史再現だと言えば心地がいいほどだ。
何も間違った事はしない。ただ少し、誤解を多く生むだけだ。けれどそれさえも確かな真実だけを信じていれば何も怖くない。
この任を送ってきた局長にしてみれば、俺が話を受ける事も想定済み。彼も彼で色々画策しているのだろうと。
雲の上の人に思えていた人物が、自分と同じ子供のような夢を抱く人間なのだと知って少しだけ嬉しくなる。その片棒を担ぐ事に楽しくなる。
だったら精一杯演じようと。憎まれて罰せられることのない正しい行いを突きつけてやろうと。
そうして重ねた準備は数多。
小説を読み込んで物語の流れを頭の中に叩き込み、全ての登場人物の言動を暗記した。
だからこそこの言葉が何よりも似合う。
俺はお前を知っている。
要だけではない。俺は、ここに至るまでの全ての者の言動を知っていた。それが予言のように記された小説の通りだから。
同時に俺にしかできない準備も重ねた。歴史再現の裏側で俺の目的を達するために。この時代で彼女を誘拐するための隠れ家を用意した。あの場所は、俺が父親から施設を出る時に貰った部屋だ。結局寮生活で日常には使わなかったが、その分別の利用として足跡の薄い場所を手に入れる事が出来たのだ。それも全て歴史がそうある通りにしか流れないことの証明のひとつ。無駄なことなんて何一つもない。
もちろん協力者も捕まえた。彼を主役とした物語の裏で、俺も俺の目的のための主役として振舞えるように、彼女を──加々美の手を借りた。
彼女がいればどんなことでも出来た。最悪、あの過去で痕跡を残すことなく要を連れて行く事だってできたのだ。けれどそれは歴史の通りでは無いから。どうにか飲み込んで歴史再現に努めた。その裏方を彼女に色々頼んだのだ。
彼女との出会いも、今となっては必然だと笑える。それくらいに歴史はどうしようもないものなのだ。
……さぁ、ここまで色々な事を語れば要だって気付くだろう? これが誰のための歴史再現で、お前が何をするべきなのか。
* * *
「……分からん」
「いや、分かれよ」
どこか無理矢理に楽の過去話から戻ってきて、いきなり答えを問われる。と言うか楽は話を綺麗に纏めるのが下手らしい。最後が強引過ぎるだろうと。
いや、彼のして来た事にはある程度は想像がついている。けれどその最も重要なところを彼は語っていないのだ。
「分かるかよ。今のは結局お前が歴史再現のために何をして来たかってだけだろ? 由緒のためってのは俺にも分かるさ。けど由緒のために、何をするのかまでは言ってないだろうが」
「行間を読めよな」
「現実のそれは言葉の裏って言うんだよ。推理然として出題したいなら解けるだけの証拠を提示しておけよ」
「ったく、面倒臭いなぁ……」
そもそも俺は楽の任務に巻き込まれただけだろうが。なら被害者なんだからそいつに答え合わせを求めるなよ。
「由緒の為はそうだ。それは俺のためでもある。けど要を巻き込んだ事にだって理由はあるだろ? 要だって気付いてるだろうが、お前だからこの歴史再現に巻き込まれた。つまり全ての原因はお前にあるんだよ」
「……俺の過去にその答えがあるってことか?」
「いんや、今から考えば過去だけど、要の主観ならまだ未来だな」
「なんで未来に起こる事の尻拭いを過去からしなくちゃ行けないんだよっ」
「それが物語だからだろ?」
何かに勝ち誇ったように告げる楽。だからそんな曖昧な言葉じゃあわからねぇっての!
「過去のために未来を変える」
「『パラドックス・プレゼント』だろ? お前が言った本の名前だ」
「今回のこれは変えるためじゃなく、再現するためだけどな」
ここへ来る前に未来から聞いた御伽噺。歴史改変物で、未来が好きだと語った童話。その主題が、過去のために未来を変えて。矛盾にも聞こえるその本筋は、けれどよく仕組まれたストーリをそのまま表していて要も読んでみたいと思うほどだ。
今要が居るこの時代になら、探せばあるだろうか。
「なぁ要、本当に気付かないか? 無意味なことなんて何もない。伏線は、張られていなければ解決しない」
「……………………」
今一度戻った問題に、手がかりを見つけて思考を巡らせる。
今ここで『パラドックス・プレゼント』の話が出て、それが関係すると突きつけられた。
思い返す。あの物語は未来に干渉して過去を変える童話。今回に照らし合わせれば、変えるのではなく再現するために未来へ干渉する。
つまり俺がこの時代か、もしくは更に別の場所で行動を起こして、そうする事で歴史が再現される。
『パラドックス・プレゼント』では女の子が男の子に贈り物をする事で歴史が変わる。登場人物を当て嵌めるなら、俺が過去に行く前の未来に何かをあげればいいのだろう。
……けれどそれが何か影響を及ぼすだろうか? 少なくとも要が知る限りでは、未来の個人的な持ち物が歴史に干渉した記憶は無い。
例えば《傷持ち》に『スタン銃』を撃たれた時。しかしあの時は何かに弾かれることなく彼女を眠らせた。同様に、彼女が個人的な持ち物に助けられた景色を知らない。
つまりそれが歴史再現ではない、と言うことだろう。
しかし『パラドックス・プレゼント』の名前を出した以上、何かしら関係があるはずだ。そうでなければ伏線として成り立たない。
時空間移動、歴史改変、贈り物…………贈り物?
…………あぁ、そうかっ。贈り物か。
「……だから、由緒の為か!」
「やっと気付いたか。それが要の、『パラドックス・プレゼント』だ」
由緒のための贈り物。そうだ。その伏線は誰でもない、要自身が口にしていたではないか。
「つまりそれを、この時代で?」
「いいや、それはまた別だ。もちろん要のいた時代でもない」
「……そうか、あの物語をなぞるなら、未来での贈り物だな」
歴史再現に物語の再現を重ねて、約束を果たす。幾重にも絡んだ糸が、たった一つの結末へ捩れていく。
これまでの事がすべて繋がる。楽の昔話も、その一つ。
「由緒への贈り物で、楽の恩返しで……これを企てたのは────俺だな?」
「あぁ、そうだ。それが唯一の真実」
「『Para Dogs』日本局局長、遠野要っ……!」
楽へこの歴史再現を任せた張本人にして、異能力管理の長。
当然だ。当たり前だ。なにせこんな時空間事件に、歴史再現に関わって必要以上に色々な事を知った。
異能力者は風当たりが強い。となれば法整備が必要だ。しかしそれを異能力者には任せられない。それでは無能力者が安心できない。だから異能力の事をよく知っている無能力者に任せる……俺は、その適任だ。
板ばさみだからこそ、どちらに傾く事もなく平等を貫ける。
そもそもだ。この時代には由緒が居る。だったら俺もいて然るべきだ。
彼が犯人にして仕掛け人なら、やっぱりそれも伏線としてどこかに登場していなければ。……いや、俺自身なのだから別に矛盾も何もないけれど。
そうだ。俺は、既にこの時代の俺に会っている。言葉を交わして互いを認識したではないか。
同じ好みのコーヒーを飲み交わして、袖振り合うも多生の縁なんて愚にもつかない証を刻み込んで。
今更ながらに酷い茶番だと笑えば未来の自分に感服する。何も知らない過去を弄んでそんなに楽しいかと。
肩を揺らせば、隣の楽は楽しそうに笑みを浮かべた。
「さぁ、約束通り俺の動機と目的を全て話したぞ? その上で、お前はどうしてくれる、要?」
「もちろん。俺が俺の約束を果たすのに理由なんて要らないさ。協力してくれるっ。楽、どうすればいい? 俺は何をすれば、俺の主観において要の主人公を気取れる?」
「それじゃあ楽しくいこうじゃないかっ。幾つもの未来を交錯させた由緒正しきSF推理小説。俺たちで新しい『パラドックス・プレゼント』を紡いでくれるっ」
楽の過去話を聞き終えて東京タワーを降りる。流石にあれだけの長話を聞かされれば日も落ちるし、見える景色も少し飽きていたところだ。
営業時間的にはまだ余裕はあるが、要達にはそれぞれすべき事もある。
まずはこの時代の未来たちに連絡だ。これは俺の目的で、彼女には関係のない事ではある。けれど責任感の強い彼女の事だ。心のどこかで気にしているに違いない。
この後過去の要の元へ向かう事も考えれば、憂いなくその任を遂行して欲しいのだ。
要の知る未来の過去をこうして再現したように。今度は彼女に要の過去を再現してもらわないといけない。
互いの未来が互いの過去を補完する。未来にとっての邂逅を要にとっての再会に。要にとっての邂逅を未来の再会に。
過去のために未来を守る。これまで重ねてきた思考がたった一つの景色に矛盾なく当て嵌まる。
全ては我が為にして、彼女の為に。自己満足だと溺れれば、どれだけ心地の良い事か。
そんな風に考えながら楽と別れて『Para Dogs』へ向かう。彼の好意、と言うかここまできて違える仲もあるまいと。ずっと歩き回って疲れた体を癒すため。今宵の休息所は確かな屋根の下、彼名義で持っている由緒を誘拐していたあの部屋に泊まらせてもらうこととなった。
男二人でなんて色気のない話ではあるけれど。楽が刺された時から殆ど気の休まらない時を過ごして来たのだ。それらが全て必要な歴史再現だと分かった今、単純に体を休められる事がどれだけ幸福か。そこに誰と一緒かなんて些細な問題だ。
……そう言えば、だが。その泊まらせてもらう部屋は、この時代のどこかにいる寮生活の楽のものだ。先ほどまで一緒だった楽は、『Para Dogs』の一員であり、今この時代より更に未来からやって来た最も未来人な人物。つまり今要がいるこの時代には楽が二人いるのだ。
その内この時代に居る楽は、恐らく施設を出た後、『Para Dogs』に正式に配属される前の研修期間の彼だ。なぜなら楽の持っている『捕縛杖』が未来の調べでエラーを吐いていたから。
もし彼が正式採用をされているのなら、証として『捕縛杖』を持っていて、要と未来のそれが干渉を起こしたように、同じエラーを吐くはずなのだ。けれど未来が確認した時に出ていたエラーは未登録のIDによるもの。つまりこの時代の楽が『捕縛杖』を持っていない証明となる。
だからこの時代の楽はまだ『捕縛杖』を持っていない。けれど彼名義の部屋は由緒の誘拐に使われたように存在している。その二つを満たす条件は、彼が『Para Dogs』に正式採用をされる前……施設を出て寮生活中の、十五歳から十六歳の間だけだ。
ここまできて疑いたくはないが、要の記憶にある楽個人に関する『催眠暗示』。あれは恐らく本当の事だ。ドイツ人の血も、音楽が好きなのも、そして年齢も。要と同じ十七歳。
これらから考えるに時系列はこうだ。
十歳で母親の死と共に施設に入り、十五の時に加々美に会う。その後施設を抜け出し由緒と出会い、年度末に『Para Dogs』へ引き抜き。十六歳の時に正式採用をされ、この歴史再現の話を聞く。その後十七になって俺の目の前へ……あの過去へやって来た。
となれば十七歳の彼は今より未来の存在で確定だ。
十五、六の彼は今ものこの瞬間に『Para Dogs』のどこかにいるのだろう。正式採用前だからそこまで多く外には出て来ていない。だから鉢合わせをする事もなかったのだ。
それからもう一つ。
彼が十五か十六の時、未来も十六歳。つまり二人は学年で言えば同じか、未来が一つ上だろう。……いや、楽は確か未来が一つ上だと語っていたか。つまり今年で未来は十六か十七。そして要の前の前に現れた時、十六歳と言っていたから、誕生日がまだなのだろう。
そう言えば随分前に感じる彼女との出会いの最初の頃。異能力の説明にと彼女の念写紙に写されたプロフィールを見た覚えがある。……が、その時は異能力のことばかりが気になって誕生日まで見ていなかったと。その気になって覚えていれば、恐らく西暦も書かれていたはず。つまりこの時代がいつなのかも察しがつくのだが……流石にそこまで未来を想像しておくなんて不可能だと。残念ながら未来の生年月日は覚えていない。
そんな風に色々な事を考えながら歩いていると辿り着いた『Para Dogs』。今更臆する事もなく受付で未来に連絡を入れれば、しばらくして彼女がロビーまでやって来た。
「お兄ちゃん、どうして……?」
「一応連絡だな。俺の追いかけてた奴を捕まえられたって」
「そっか。ふふっ、律儀だね」
「未来の事だから気にするかと思って」
「……あたし以上にあたしの事知ってるなんて不気味だよっ」
異邦者を糾弾するように笑う未来。そんな彼女がまだここにいる事にまた一つ真実を見つける。
「未来の仕事は明日からか?」
「……因みにどんな事が起きるか教えてくれたりはぁ…………」
「制限に抵触する禁則事項だ」
便利な言い訳で答えれば、二人して肩を揺らす。
つまり未来が過去に行くのは明日。由緒の誘拐の件で一日伸びたのだろう。そもそもそうして伸びる事も歴史から見れば正しい事なのだろうが。
と、ふとそんな未来の姿に、足りない色を見つけて言葉にする。
「…………悪い、髪留め見つからなかったな」
「ん、いいよ。どうせいつかは身に着ける事もなくなっちゃうから」
どこか寂しそうに零す未来。その伏せられた瞳に、それから少しだけ考えて小さく笑う。
……あぁ、そうか。だから歴史再現なんだ。
「なぁ未来。よかったらお礼をさせてくれないか?」
「お礼?」
「色々世話になったし、元はと言えばこの時代まで問題を持ち込んだ俺の責任でリボンをなくしたんだ。同じもの、とはいかないけど代わりに何か贈らせてくれ」
「そんなの、あたしの方だって色々巻き込んで迷惑を掛けたのに……」
彼女からしてみればその通りだろう。ならばここで言い争うのもおかしな話。妥協案でどうにかしよう。
「だったら明日少し時間をくれないか? 俺が未来に贈り物をして、俺は未来から時間を貰う。何か建前が必要なら……デートでも構わないぞ?」
「デっ……! って、そうじゃないよね。びっくりさせないでよ……」
「どうだ?」
悩んだ間は、彼女個人の思いか。それとも時空間事件前に時間が取れるかと言う疑問か。
そんな彼女に、逃げられない駄目押しを告げる。
「『パラドックス・プレゼント』」
「っ……!!」
「俺達にぴったりだな」
「…………分かったよ。明日朝、ここに来て?」
「楽しみにしてるよ。それじゃあっ」
とりあえずこれで要がこの時代でするべき歴史再現の仕込みは終わったはずだ。後は未来の未来にして要の過去に繋がる最後の欠片を嵌めるだけ。
ようやく自由に、そして何より正しい事を胸に疑わなくて済むと。
『Para Dogs』を出て伸びを一つ。それから軽い足取りで楽の部屋へと向かう。
あぁそうだ。問題が一つ。
楽の部屋、どこだっけ?