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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
七福即生の未来邂逅
47/70

第四章

 楽と口論にもならない言葉を交わしながらしばらく歩いて。彼に言われた建物の近くまでやってくると、看板を見つけてその建物の名前を知る。

 INRToST……一体何を示す名前だろうか。母音が殆どなくアルファベットが並べてあるから、何かの頭文字だろう。無理矢理に読めば……インルトーストだろうか。IN、は……インターナショナル、国際的な組織によく見られる符号だろう。となると残りが何のための組織なのかを示す文字列…………。小文字のoはof……前置詞であるなら前と後ろの単語が繋がるはずだ。

 けれどもしかし、そこまで分かってもこれ以上は分からない。ヒントが少なすぎる。解けるだけの情報量がなければ問題としては成り立たない。

 そんな風に意味もなく時間を潰して、それから上げた顔で聳え立つ青色の外壁を見つめる。

 陽光を反射するガラス張りの建物。よく理解のし難い高い建物を見るとバベルの塔だなんていうけれど、あれは想像上の、それも実現不可能なものを指す言葉だ。

 人々の業が天に至らんと建造され、それが神々の逆鱗に触れ、二度と人々が絶対なる神に抗わないようにとその言語を乱したと言われる巨大な塔。確か旧約聖書だったか。

 だから現代の人々は多種多様な言語で文化を築き、そこに争いが絶えないのだとか言われている文献だ。

 説得力で言えば神話の類と変わらない眉唾なものだが、けれどもその空想がどこかで目の前の建物と重なる。

 人々は異能力を手に入れた。それを利用し、便利な世の中を作り出している。それは(かなめ)が居た時代よりたった半世紀後のことらしい。

 そんな人の世界の急成長を……そもそも人の身には余る異能力なんて言う力を、例えば神様と言う存在が本当に居たとして見過ごすのだろうか。

 ともすれば歴史さえ壊しかねない力。更には象徴として天に(ましま)す全能の存在に少しでも近づくための塔までをも建てて……それはまるでバベルの塔の再現のようで。

 よく言われる話、人類の第二言語は暴力であると。

 例えば本当にバベルの塔が過去に作られて、その所為でこの世界には多数の言語と文化が溢れたのであれば、異能力もその一つだろう。

 力は、言葉と同じように目に見えない中に力を秘めた、共通言語。だから人は分かり合うために戦いをやめないのだと言われる事もあるほどに、正義と言う意味合いさえ持つ概念だ。

 その力の最たるものとして異能力が世界に広まり、それが人々の常識として認知されたのだとしたら……それはバベルの塔崩壊以前に人々が手にしていた、意味のある共通言語と言うことにはならないだろうかと。

 そうして言葉を得たから、人は同じ見解を持って集まるように目立つ建造物として塔を建て、人を集め…………それは宛ら再び天へと手を伸ばすが如く────

 なんて、きっと要の考えすぎなのだろうけれども。

 しかし本当に神様なんていう存在が居るとすれば、その者たちが全てを統括するものであり、異能力を人に与えた張本人。ならば歴史の修正力も神様の力の一端なんて根拠の要らない空想に丸投げも出来る。

 それは考える事を放棄した逃げなのかもしれない。

 けれどもこれと言って宗教を信じていない要が、神様が居て、その者の仕業と理由を見出すのであれば、目の前の建造物はバベルの塔に似た何かで……異能力が原因で作られた建物と言う事になるのだろうと。

 そもそもこの時代に異能力に関係のない建物が幾つあるという話だ。ここまで生活に馴染んでいる力であり技術。だとすれば人の集まるところで目立つ建造物と言う形を持つそれは、少なくとも何かしら大きな意味を持つ建造物である事は確かだと。

 要の居た時代でも、東京タワーや東京スカイツリーなんて発展した技術の象徴……電波塔なのだから。あれらだって見方を変えればバベルの塔足りえる。

 ……結局何が言いたいかって。そんなのは単純に、大きな建物には見た目以上の意味があるって言うことと。どんな無神論者でも、無意識下ではそうして形を求めて未だ人の身では届かない場所へ夢想を重ねているということだけだ。

 要個人にしてみれば、異能力だってその領域にある届かない力。そんなものにこれから相対するのだと思えば、恐怖よりも挑戦的な意思が湧いて来る。……そう自分を騙していないと動き出せないだけの事。

 全く、一体要に何ができるというのか。知らない土地で、対等には程遠い身で、悪を捕まえるなんて。そもそもそんな不利な条件の上に成り立つ話があるものかと。

 要として何かの中心にいるのならば、巨悪や敵と相対するだけの何かしらの力が欲しい。だからきっと要は物語の主人公足り得ない。少なくとも、そんな貧弱で名前だけの存在を主人公にした物語なんて、余り読みたくはない。どうせ何かから逃げ回っているだけの臆病者の物語だ。そんな主人公が何処にいると。

 そうして今一度自分と言うものを見つめ直して。一頻(ひとしき)り落とすところまで自分の評価を落として。そうして改めて上を向く。

 この歴史再現には、俺が必要なんだと。何処までも底辺から見上げて驕って然るべき真実に手を伸ばす。自分という薄弱な存在に、主人公の仮面を被せる。

 今更逃げられないのだ。逃げたところで何処へ行く。それに期待だっていくつも背負ってきた。自惚れと共にここに居る。やるべき事と、そうなるべき未来を重ねて、自分にしか出来ないのだとようやく落とし込む。後はただ、役を演じるだけ。何処に居たって、何時に生きて居たって、要が要としてできることは変わらない。

 人生なんて、自分を騙して演じるだけの終わらない舞台だ。それが要にとっての生きる意味だ。だから演じるための舞台として、今までずっと欲していたのだ。格好つけても恥じないだけの背景を。演じる事に嘘の要らない理由を。要が要足りえる、誰よりも自由で夢想した────非日常を。

 要は要の人生の主人公で、今回に至っては敵が居る。正義を振りかざすべき相手が居る。だったら物語の中の主人公のように、騎士道精神のような何かを振り翳して理想に溺れるだけだ。

 考えて深呼吸。辺りの情報を一度シャットアウトする。

 今からここは、要の独擅場(どくせんじょう)。踊り、歌い、奏で、狂う。それ以外を許されない舞台の上だ。

 だからいらないものは切り捨てる。未来と言う背景は要のために用意された大道具。煩いほどの雑踏は遠くにさえ聞こえるBGM。降り注ぐ陽光は天然のスポットライト。

 陶酔するように、境界を曖昧にしたまま自分と言う器に主人公の魂を宿す。ふと脳裏を過ぎったのは、随分前に由緒(ゆお)が呟いていた言葉。


 ────よー君は、天才肌だよね。憑依型って言うのかな。役になりきっちゃうとそれ以外が見えなくなるの。逆にだからこそ、誰よりもその役の気持ちの事を分かってる気がするの。そう言う時のよー君はね、よー君じゃないんだよ


 その時は馬鹿にされたみたいであまりいい気分はしなかったけれど。今こうしている自分を客観視してみればその通りかもしれないと気づく。


 ────だから私にはね、舞台の上では誰よりもよー君が輝いて見えるんだっ


 確かそれは、去年の文化祭の後のことだったか。

 沢山本を読んで培われた要の一部だ。主人公に重ねる自分と、物語を客観視する自分と。

 その二つが違う視点から同じ結末を描いた時……要は周りが見えなくなる。

 その自分が溶けてなくなるような感覚を掴んだ瞬間、辺りの景色が静止した気がした。

 何も、聞こえない。まるで自分だけが舞台に居るような感覚。観客席からの視線すら意識の外で……まるで人など居ないようにすら錯覚する。

 この感覚だ。世界に自分だけ。共演者も、観客も、何もない。何に対して演じているのかも曖昧に……演じているのかすらも不確かになる感覚。

 台本通りに滲む、物語の中の登場人物の心情が、手に取るようにわかる。

 例えばそれが最後に死んでしまう悪役なら、舞台の最後に自分の魂まで燃え尽きて消えてしまいそうなほどに。

 例えばそれがお姫様を救う勇者の物語なら、まるで本当に剣を握りその世界に生きているように。

 台本上の言葉ですら、最初からそれが自分の中から溢れ出てきた言葉であるように。

 まるで、物語の創造者が主人公としてその場に居る感覚。過去の感覚は曖昧で、未来の出来事は不明瞭で、ただ今の一瞬だけが永遠に連続していく刹那の間から零れ落ちる音。


「お前を、捕まえに来たぞ」


 静かに開いた唇の隙間から、滔々と流れ落ちる台詞。上げた腕、伸ばした指先には、少し前に見た覚えのある顔と、白い髪。

 とても無表情にその瞳を見つめ返せば、男は何故か怯んだように後ずさって、それから臨戦態勢を取る。

 ……なんだ、それは。これから仕掛ける答え合わせか? 攻撃に予備動作なんていらないだろう。本気で命を奪いたければ、構える工程を省いてただ行動に昇華すればいいだろうが。

 まるで話にならないほどに演じるような構えに、けれどそれ以上の感慨は湧いてこない。

 戦いになって大袈裟に構えるのは物語の中だけだ。現実でのそれは、テレフォンパンチと大差ない。

 それとも、形から入らないと覚悟が決まらないか? その程度の覚悟の彼に振り回された? 全く馬鹿らしい。今までこんな相手に考慮を重ねていた自分が恥ずかしくなる。

 けれどもしかし、彼が物語の悪人のように形式に拘るのならばそれも構わない。結局その振る舞いは、勝てない相手に虚勢を張るだけの悪役のやることだ。

 悪は、正義によって裁かれる。


「ひぅっ……!?」


 半身ずらした姿勢から、一気に前傾して急加速。地を這うように距離を詰める中で、左手で抜いた『捕縛杖(アレスター)』の柄頭を首筋目掛けて右から振るう。

 小さな悲鳴と共にまた一歩後ずさる男。同時、反射的に抜いた『スタン(ガン)』の銃口がこちらを向く。しかし怯む必要性を感じない。安全装置が掛かったままだ。

 引いたトリガーは、けれど結果の弾を吐き出さず、その間に力一杯に振るわれた『捕縛杖』での一撃が『スタン銃』を捉えてその手から弾き飛ばした。現代人である彼を傷つけられないのが何よりの障碍だ。そんな制限さえなければ既にこの一撃ですべてが終わっていたはずなのに。

 それにしたって、他愛ない。これならまだ《傷持ち》と戦っていた方が幾らか心が躍った。

 詮無い事を考えて、それから振り抜いた勢いに任せて右の足を振り回す。これは未来の分。僅かながらの報復だ。

 狙いは男の足。そうして確かな意思を持った攻撃だが、けれど制限抵触をするという感慨は湧いてこない。つまりは、当たらない。

 考えた刹那、驚いて更に後ろへと下がった男が、無様に足を縺れさせてその場に尻餅をついた。これは間接的な影響。だから制限には引っかからなかったのだろう。

 考える中で、客観視する要が裁定を下す。重心移動や体全体を使った攻撃は当然のこと、戦いの流れどころかたった一つずつの攻撃すら目で追えていない。三流にも届かないド素人じゃないか。こんなのに考慮する最悪の事態がどれほどある。こちらの理想さえ押し付ければ勝手に自滅してくれるただの木偶人形だ。

 価値がないと切り捨てるのと同時、右手で抜いた『スタン銃』の銃口をこちらを見上げる男の顔に向けて止める。

 名前も知らない相手に同情なんて湧いて来ない。けれども意味も分からずに正義を振りかざすなんて要自身が許せなくて。僅かにずらした仮面の隙間から男に問う。


「……どうしてこんなことをしたんだ?」

「はへ…………?」

「動機だ。何の目的があってあんな事をしたのかって聞いてるんだ」


 別に手心を加えようとか、今ここで自白したらと言って何かをしてやるつもりは無い。ただ単純に、知りたいだけだ。これから裁く悪が、要の正義に耐えうるのか。この少し持ち上げただけの腕を、そのまま振るうだけの価値があるのか。

 ……いや、どんな答えであろうとも、それを許容できないから悪事なのだろうし、下す制裁は引き金を一つ引くだけなのだろうけれども。


「……は、ははっ! 動機だ? 理由だっ? そんなの衝動的以外に何の意味があるっ。どんなことだって、全ての始まりは衝動的な思い付きだっ」

「何が気に入らないんだ」

「力だよっ! 誰だよ、異能力が人に宿った天賦の才だなんて言った奴はっ。あんなのは嘘に決まってる。そうじゃなけりゃ、おれは今こんなところになんて居ないっ」


 何かの箍を外させてしまったか。既に要のことなんて目に入っていない様子で、胸の奥に溜まった鬱憤を吐き出し続ける。


「異能力に目覚めたからなんだ? それで人が変わるってか? ふざけるのも大概にしろっ。結局評価なんてされてない、それどころかおれすら見てないっ。だから異能力一つで世界がこんなに壊れるっ。一体おれが何をしたっ? 勝手に宿った……勝手に手に入れた力を、勝手に恐れて、(あまつさ)えそれを理由に社会から追い出されたさっ」


 話から察するに、どうやら彼が異能力に目覚めたのはここ最近だったのだろう。それが原因で、周りから拒絶された……社会からはじき出されたと言ったところだろうか。

 きっと何時の時代だって変わらない。いつも誰かが捌け口を探していて、目に付いた自分とは違う何かに毒吐いて。それが彼の場合は、異能力だっただけの事。


「異能力なんて天の恵みでも、ましてや人間の進化でもなんでもないっ。ただ調和を乱すだけの異分子だっ!」


 似たような話をネットの片隅で目にした事がある。最初は物珍しくて持ち上げられていた現象が、時間が経つにつれて常識になって。その内少しだけ間違った使い方をされたそれは、その瞬間を境に景色を反転させ、非難の対象となる。途端に向けられた数多もの視線。それを話題と言うのならばそうなのだろうし、話題と言う皮を被った流行なのかもしれないが。

 何にせよ、一度注目を集めた瞬間に、そこに宿す感情の向きがあるのならば景色が崩れる。批難は誰かが煩いほどに拡大解釈して、それに反するように擁護するような意見も出てきて。派閥のようなものが出来上がれば第三者が油を蒔いて結果対立へ。

 何かに対して自分の意見を述べただけなのに、理解を外に自分とは違うからと排斥しようとする流れは最初の原因とは既に違う何かに視点を向ける中で。流れる時間は平等に新たな火種を投下する。

 それは模倣犯かも知れない。こじ付け甚だしい無関係な騒動かもしれない。

 けれどそんな事はどうでもよくて、批難する側も擁護する側も、ただ新しい判断材料としてしか認識しなくて。

 やがて加速した対立は最初の原因どころか、そのジャンル全体にまで広がって────悪化の一途と言うのならばその通りだろう。悪循環でも構わない。

 結果誰も想定していなかったような黒く渦巻く違和感だけが蟠って。けれどもそれを自分が解決しようなんて誰も思わない。

 いや、違うか。そこに一石を投じて、自分にその矛先が向くのが怖いから。そもそも自分ひとりでは何も変わらないと高を括っているから。人それぞれな忌避と遠慮と嫌悪感だけが先行して、やがてまた新たな話題が目の前に転がってくるまでその流行に乗り続けて。

 それはただの────言ってしまえば娯楽の一つ。


「おれが一体何をしたっ。異能力保持者だからって犯罪者予備軍かっ? いい加減にしろっ! それはお前の意見じゃなくて誰かが貼ったレッテルだろうがっ! てめぇの意見が何処にあるっ。考える事を放棄した奴に意見を言う資格なんて────」


 そこまで至っているのならば、そんな中身のない相手なんか自分とは違う生物だと割り切ればいいのにと。

 胸の内で己の考えを吐き捨てて彼の言葉を遮る。


「意味もなく叫ぶだけなら、誰にだってできるし、そうして喚くことが貴方の言う資格のない人たちとどれほど違いますか?」


 こちらを見上げたまま、呆けるような表情を見せる男。そんな彼に感情を宿さないまま正論にもならない何かをぶつける。


「結局同じなんですよ。同じ土俵で向かい合っているだけで、居る場所は同じ。そこに優劣なんてありませんし、他人事。よく言うじゃないですか……喧嘩は同じレベルでしか起こらないって。全く以ってその通りだと思いますよ。憤るだけの気概があるなら、有無を言わせないだけの事実や結果で相手を言いくるめればいいじゃないですか。自分の方が優れているって」


 弱い犬ほどよく吼える。そうして虚勢を張って何かを威圧していないと自分を保てないなんて、それこそ他人に頼って生きている証では無いかと。自分の存在価値を委ねるのは自分自身を曝け出すことと同義で、それは相手を好きになろうとすることと紙一重だ。

 つまるところ、一人では生きられない人間が他人に意味を求めるのは、理解し難いからどうにか理解したいという本能の裏返しに過ぎないのだ。

 そしてそれは、きっと要にも言えること。

 こんな歪んでおかしな性格の自分を、しかし肯定して傍にいたいと言ってくれる相手が居る。その子の為にこんな場所にいるのだと胸を張れば、それは男としてのプライドと言う話かもしれないが。

 少なくとも要は、誰かに何を言われようと、自分の気持ちと立場は自分で決めるものだと信じている。


「だから俺は、貴方とは喧嘩なんてしない。自ら進んで下等生物になろうなんて、そんな事が生存本能だとは思いませんからね」


 吐き出して、その上で考える。

 これまで要が怒ってきたのは、その相手は……《傷持ち》だ。

 それは自分自身であり、自分には分からない自分であり、嫌悪感だ。だからドッペルゲンガーを見た時のように同格の相手に憤りを感じていたのだ。

 けれどその裏で、同じレベルの相手として認めて、負けたくないと柄にもなく感情的になっていたのかもしれない。

 自分より下の相手には一方的に蹂躙することしか出来ず、自分より上の相手には一方的に蹂躙されるしかないから。喧嘩足りえるのは同格の相手だけなのだ。

 だから目の前に現れた自分と同じほどの強さを持つ相手に躍起になって。自分と同じ……自分自身を相手取って道化のように憐れに踊って。

 未来の自分に勝てるはずなんてないのは、終わった今だからこそ得られる納得だ。

 けれども自分が相手だからこそ成長するには丁度いい壁だったのだと。

 色々と理由を並べ立てて正当化してきた気がするが、どうやら要は要自身をようやく受け入れられたらしい。そして少しだけ前に進んだ要を、彼女にも受け入れて欲しいのだ。

 その答えを聞くために……彼女から随分前に貰った問題に答えを返すために、こんなところで足踏みをしているわけにはいかないのだ。


「お前におれの何が分かるっ!?」


 分かるわけないと。分かりたくもないと。面倒な問いに意味のない納得を生み出して。

 そうして焦点を結んだ視界の中に宙でゆっくりと回る異物を捕らえる。

 それは透明な試験管のようなもの。中には、陽光を受けて渦巻く青色の靄のようなもの。あれが、オゾン……そう言えばと思い出す事が一つある。

 それは要が昔していた勘違い。中学の頃、少しだけ興味があってオゾンと言うものを調べた事がある。確かあれは、地球温暖化とかそんな作文を書く宿題か何かで、オゾン層が話に出てきたからだったか。

 オゾン層はその言葉通り、オゾンが沢山存在する層のこと。そうして濃度が高くなる事で、目に見えるほどに色が付いて青色になる。それが空の上の方にあるから空は青いのだと、そんな勘違いをしていた時期があった。

 それから高校に入ってまた地球温暖化の話や物理の授業で聞きかじった事から疑問が生まれ、再び調べなおして分かったこと。

 空が青いのは、オゾン層の所為ではない。

 単純に太陽の光が空気中の窒素や酸素にぶつかって散乱する事で青と緑の色が出来て、それが混ざって水色に見えるのだそうだ。確かレイリー散乱とか言っただろうか。

 当たり前の事を考えてみるが、空はずっと青いわけではない。陽が昇ったり落ちる頃には赤く染まる。朝焼けや夕焼けだ。もしオゾン層の所為で空が青いのであれば、太陽の光のでオゾン層が赤く染められて夕焼けのような景色になるはずだが、そんな事は無い。

 オゾンの青色は、絵の具を混ぜたように他の色では変化をしない。オゾンに日光をどれだけ当てても、青色であることには変わらない。人が日常で目にする色が、無色透明な光を反射して別の色に見えるなんていうことは無い。自然に存在する色は太陽の光のような無色透明の光では変化しない。それは人体の構造的にそういうものなのだ。

 つまりオゾンは日光によって色を変えない。陽が傾いたところで、空の青がオゾンの所為なら夕焼けも朝焼けも全て青色のままで、赤くなるはずは無いのだ。それが起きるのは、レイリー散乱の所為なのだと。 

 だから目の前の青色も、あの頃よく画像で見た青色のまま、日光に照らされて。咄嗟にこちらに向かって来る飛来物に照準を合わせトリガーを引く。次いで耳が捉えた硝子の破砕音のようなもの。同時、試験管が砕け、中に込められたオゾンがこちらに向かって襲い掛かってくる。

 咄嗟に腕で顔を覆い防御する。

 色々と考え事をしていた所為か、無意識に『スタン銃』で撃ってしまったが、冷静に距離を取ればいい。オゾンは軽い。直ぐにこの場から消えてなくなる。

 考えながら後ろへ下がるのと同時、脳裏の景色と現状が重なる。

 これは、少し前に未来(みく)がやられたときと同じ。(らく)の言葉が脳裏を過ぎる。


 ────あの時の爆発、あれはオゾンだ


 爆発にオゾンが関係していて、それが目の前に撒き散らされて…………だったら次に起きる光景は……。

 巡った思考が、既に動き出していた左手の中に対抗策を握り締める。

 彼のやっている事は単純、燃える気体に静電気で点火をしているだけの擬似発火能力。

 気体である以上オゾンをどうにかするのは難しい。何より人体には危険な代物だそう簡単に手は出せない。

 だったら爆発を起こさせないためにするべき干渉はもう一つ……そもそも、爆発の火種となる静電気を起こさせなければいい。

 ……しかしそうは言っても静電気の発露は目の前の男の異能力によるものだ。その前提を覆そうと思うと異能力自体を封じ込めるか彼の意識を奪うしかないだろう。

 そんな事、既に防御姿勢に移りつつある要には不可能だ。ならば静電気が発生する事は決定事項として、その上で爆発を起こさせなければいい。つまり、発生した静電気が引火さえしなければいいのだ。

 そんな事を考える間があっただろうか。考えつつ……いや、考えが追いつかないほどに決めていた行動を既に取る。

 左手に握り締めた金属の棒。手のひらに収まるサイズのそれを、目の前の男目掛けて放り投げる。

 宙を舞うそれは、避雷針。オゾンにやられた未来が意識を失う前に要に託した、単純にして効果的な対抗策。

 異能力由来で、操作が出来るとは言え。それはそもそも自然現象である電気だ。静電気は、原理的には雷のとても小さなもの。基本絶縁体である空気の壁をそう簡単には貫けない。

 そんな中に例えば、電気を通しやすい物質があるとどうなるか。

 小学生の理科の授業だっただろうか……要も同じ原理を使って実験をした事がある。

 クラスメイトで輪になって手を繋ぎ先生が電気を流すと、比較的電気の流れやすい人体を伝って繋いだ手から手へ、隣の人へと電気が流れていく。

 電子の動き自体は遅いが、電流の速度は速い。確か光と同等……一秒間に地球七周半だったか。

 そんな速度で電気が体を駆け巡れば人体は生存本能として反射を示し直ぐに手を解いてしまう。だから冬場によく起きる静電気でさえ指先で一瞬爆ぜただけのことに痛みを感じ体を跳ねさせてしまうのだ。

 けれどもそんな実験で、同じ輪に入っていたはずの先生だけが不正をしていた事があったのだ。普通に手を繋いで、自分の右手と左手の間に人体よりも電気伝導率の高い金属の棒を渡らせて握っておく。そうする事で電気はより流れやすい方へと動き、人体ではなくその金属の方へと流れていく。結果先生だけが静電気の痛みをそ知らぬ顔でやり過ごしていたのだ。今になって思えば単純で当然の原理だが、あの頃はそんな事にさえ一喜一憂して楽しかったものだと考えながら。

 ならば同様に電気には流れ易さと言うものがあって、それを利用して作り出されたのが落雷を回避する装置……避雷針であり、投げたのはその小型版。

 景色は、自然現象のそのままに。

 僅かに光って見えたのは小さな放電現象。けれどそんな極小の雷は一瞬の光と共に宙を舞う金属の棒へと行き先を変えて吸われる。

 一度金属に宿った電気は人の体に溜まるそれとは比べ物にならないくらいに固く結びつく。彼の異能力である『電流操作(エレクトロニック)』は人体に流れる程度の静電気しか操作できない。つまりそれ以上の電気伝導率を持つ物体から電気を引き出すことは出来ない。

 響いた音は地面に跳ねる金属の音。予想外の景色に唖然とする男の表情は少しだけ面白くて、そんな間抜け面に向けて『スタン銃』を構える。

 と、そこで再び湧き上がる予感。

 ────撃てない。制限に、抵触する。

 当然だ。彼はこの時代に生きる現代人で、要は未来の異能力でやって来た制限に縛られた異邦者だ。その(くさび)の中には現代人を直接傷つけてはならないと言うそれがある。

 拳で殴るのも駄目。目の前の男を取り押さえられない……!

 逡巡。けれどそこで、視界の奥に映った金髪と見覚えのある顔に静電気が走るような閃きが湧き上がる。

 全く、今更来ても遅い。これから全て終わるというのに────何ていいタイミングなんだか。

 歴史の悪戯と言うには必然すぎる景色の流れに小さく笑って、それから僅かにずらした銃口でその金髪に向けてトリガーを絞る。

 当然、放たれた弾丸が向かう先は楽。挟み撃ちをしようと策にもならない暴論で共闘を続けてきた要の理由の一つが、こちらを見つけて嗤う。

 なぁ、楽。お前だってこの状況ならそうするだろう? 目の前の敵を直接排除できないんだ。だったら────間接的に無力化するだけだよな?

 宙を掛けた弾丸。その亜音速の注射器が、次いで振るわれた楽の腕で進路を変える。見れば彼の手に握られているのは『捕縛杖』。

 ……一つ言及しよう。楽は、『捕縛杖』を持っている。その意味だけで、要と楽の間には言葉の要らない信頼が生まれる。

 どうでも良い事を考えた次の瞬間、楽が弾いた弾丸がそのまま男の背中に突き刺さる。

 込められた異能力は『生体感応(マインド)』。特に睡眠欲を極端に掻き立てる無力化制圧の代名詞だ。

 刹那に、体に回った無気力感に支配されて目の前の体が傾ぐ。その感覚は要も経験した、抗い難いほどの心地よさだ。

 きっと今にも沈んで消えてしまいそうな意識を必死に繋ぎとめようともがくその男に、せめてもの餞別(せんべつ)として言葉を落とす。


「俺に貴方の事は分からない。けれど、少なくとも今回貴方がしでかした事に正義があるとは思わない」


 何か言葉を返そうとしたのかも知れない。けれど声も出せない事に僅かに目尻を吊り上げて、それからこちらへと伸ばしてきた手のひら。しかしそれもあと少しのところで届かなくて地面に落ちた。

 振り回された面倒だったが、どうやらこれにて一段落らしい。張り詰めていた緊張の糸を解いて被っていた仮面を脱ぎ去る。

 それと同時に現実を客観視して、行き交う人々から集めていた視線に今更ながらに我に返る。

 そう言えばここは大きな建物の前。人通りの多い場所だ。そんなところで水掛け論と共に戦いを繰り広げたのだ。注目されるのは致し方ないだろう。

 悪目立ちをしたと反省して、それから足元に転がる体にまた一つ想像を巡らせる。

 意識はしていなかったが、随分な事を考え、口にした気がする。その末にこうして人を一人寝かしつけて……見方によっては随分悪役染みた事をしたかもしれない。

 ……とりあえずここで突っ立っていても迷惑になるだけだ。こちらには正当性があるのだからそれが失われないうちにこの場から撤退するとしよう。

 気を失った人間と言うのは体の無駄な力が抜けているから、その分全体重を支えなくてはならなくて重い。前に同じように寝てしまった未来を背負った時は、彼女は小柄だったからどうにか要でも運べたけれど。今回は大人だ。それも下手をすると要より背が高い。肉付きは普通だからひ弱な要と比べれば彼の方が重いだろう。

 面倒だと脳裏を過ぎったのも数瞬。しかしやらなければという使命感と周りから掻き立てられる焦燥感に背中を押されて、だらりと腕の下がる男をどうにか背負う。

 と、そんな要の傍にやってきたのは楽。


「大変だなぁ、要」

「思うなら手を貸せよ」

「長机運ぶんじゃないんだぞ? しかも人を……そんな格好の悪いことの片棒なんて担ぎたくない」

「背負ってるのですら惨めに思えてくるからやめろ」

「せめて女の子なら考えたんだけどな」


 遠慮のない楽の言葉に僅かに苛立ちを募らせる。確かに女性が相手なら……いや、そういう差別は良くない。下心なんて紳士には不必要な欲だ。

 そう視線で訴えればご立派な事でと嘲るように肩を竦めた楽。……仕方ない、要のこれだって由緒に無理矢理植えつけられた性だ。もちろん男としての誉れと言うのであればそれも正しくて胸は張っていられるけれど。もう少し人並みに男としてを見せてもいいのかもしれない……。いや、だからと言って節操無しは違うだろけれども。


「まぁ要がどうにかした案件だからな。最後まで責任持って頑張ってくれ」

「言われなくてもそうするさ。楽みたいな薄情者にはなりたくないからな」

「俺以上に人情味に溢れた人間なんていないと思うけどなぁ」


 まぁ確かに。人情味には溢れているだろう。さっきだってアイコンタクト一つで要のやりたい事を察して言葉もなく答えてくれた。その魔法のような意思疎通は人情味が……他人の事を見ていなければ見に着かないものだ。そういう意味では楽は人との繋がりには敏感かもしれないが。かと言ってそれを悪用している奴に自ら語られると腹が立つのは仕方のないこと。楽はもう少し謙虚になるべきでは無いだろうか。楽には楽なりの考えと性格があるから要が言ったところでと言う話ではあるが。

 それにだ。彼の中核はやはりその軽薄さだろう。今になって思えば、やっぱり《傷持ち》としての要に刺されるまでに見せたノリのいい彼を、嘘や演技だとは思えない。少なくとも、道化を演じられるくらいには自分と言うものが分かっているのだ。

 だから例え演技だとしても、それは楽が楽らしく居られるための演技で、要の事を思っての言動なのだろう。

 彼の事だから、どちらかと言えば突っ込み気質な要合わせているに過ぎない。

 だとするならば、要が取るべき返答は一つだけだ。


「人情味に溢れてる奴だから、人間らしく俺を苛立たせてくれるんだろ?」

「そうだな、完璧な人間なんていないからな……」


 そうして響いた言葉は、どこか遠くを見据えるように寂しそうな色を灯して。

 何か気に障るような事を言っただろうかと視線を向けるが、その時には既に楽も踵を返していた。


「……精々正義面して頑張るんだな。それから、そいつが片付いたら今度は俺とお前の番だ」


 幾ら今目の前の問題が片付いたからと言って、その処理を投げ出して楽を捕まえに走る気にはなれない。今は次の機会に託すしかないだろう。

 何よりずっと歩いてきて疲れた。これから人を運ぶ事を考えるだけで気が滅入るし、できることなら未来の無事も確認したい。やはりここは一度彼女の元へ戻るべきだろう。そろそろ透目(とうもく)の言っていた三十分も経つ。目が覚めていてもおかしくは無い頃合か。

 色々な理由を見つけつつ楽の背中を見送って。それから要も重い足をどうにか動かして歩き出す。

 男を担いでいると流石に奇異の視線で見られたが、それも気にしたら負けだと切り捨てる事で羞恥を捨てた。

 と、そんな風にしばらく衆目に晒されながら歩いて。『Para Dogs(パラドッグス)』まで戻って来る途中で連絡を入れておいたお陰か、透目が建物の外で待機してくれていた。


「……ご苦労だった。彼が犯人で間違いないか?」

「…………どうでしょうか。とりあえず現行犯で俺に襲い掛かってきたので取り押さえたんですけれど。でも多分彼だと思います」

「その辺りの面倒はこちらで引き受けよう。君は外部協力者だからな、少しだけ参考人として時間を貰うが構わないか?」

「はい」


 お役所仕事と言うか、逆に味方だから安心するその頼もしさに小さく息を吐く。

 ここまでくれば透目だって要を無碍に出来ない。現に捜査に協力して容疑者まで捕らえてきたのだ。要のした事は彼らにとって都合が悪いかもしれないが、黙認するほかないはずだ。

 何より透目自体が優しい性格をしているのは要もよく知っている。寡黙ではあるが、記憶を失った自分の娘を愛し続けるくらいには人の心はあるのだから。

 未来の危地も救っただけの信頼がある。その恩を仇で返すようなことはするまい。

 男の身柄を近くに居た『Para Dogs』の人に渡す。彼はこれから目が覚めるのを待って取調べを受けるのだろう。悪い事をしたのだからそれは当然の報いだ。同情の余地は無い。結局は彼の弱さが招いた事態だと。

 男が連れて行かれてから、透目に向き直り疑問を投げかける。


「未来は無事ですか?」

「あぁ、もうしばらくしたら目を覚ますだろう。君のお陰で目立った影響もなさそうだという診断だ」


 それはここに居る医療スタッフの言だろうか。だとしたらまた一つ安堵が増える。

 まぁ結果論と言うか、後々過去の要の目の前に未来が表れることから考えれば、彼女が無事なのは決まっている事ではあるのだが……。何分秘密主義な彼女の事だ、何か問題を抱えたままそれを隠していたと言う可能性も考えていたりもした。けれどその懸念も杞憂に終わったようで何よりだ。


「他に何か質問はあるか? 答えられる限りなら答えよう」

「……今のところは特には」

「そうか。なら今の内に今回の騒動について話を聞いておくとしようか」

「…………このまま外で、なんて事は無いですよね?」

「それがお望みならば尊重するが?」


 分かっていて答える透目に肩を竦めて見せれば、彼も浮かべた笑みで『Para Dogs』内に向けて歩き出す。

 そう言えば透目の笑顔を見たのは初めてだったかもしれないと。色々ありすぎて曖昧な記憶を旅しつつ、そうして肌を撫でた気味が悪いほどの冷えた空調に僅かに身を震わせた要だった。




 透目から事務的な質問を幾つかされ、捜査協力の褒賞として僅かながらの報奨金とロビーで驕ってもらった飲み物を手に、受付近くの椅子へと腰を下ろす。

 報奨金については、別に使う予定もなかったので断ろうとしたのだが、正当な評価としての形がないと外部協力者として認められないと訳の分からない理由で押し付けられたものだ。

 確か指名手配などの特殊な手続きが無い場合の捜査協力にはそう言った報奨金の受け渡し義務はなかったはずだ。もちろんこれは要の知識で間違っているかもしれなければ、ここは『Para Dogs』だからまた違う決まりごとで動いているのかもしれないが。基本的に捜査への最低限の協力義務は誰にでもあったはずで、それに一々褒賞があったのでは財政が破綻してしまう。事件解決のために現場周辺への聞き込みで、情報提供者全員に捜査協力としての褒美が出ないのと一緒だ。中には凶悪犯罪の解決に有益な情報が出たりするとそれに対して報奨金が出たりするそうだが……。

 そんな堅苦しい制度よりも、渡された褒賞は彼個人としての感謝の気持ちなのだろう。それは好意であって、それこそ透目の義理だ。流石にそれを断って彼の面目を潰すわけにも行かず、最低限まで遠慮して一応受け取った。…………後で未来に迷惑料とでもでっち上げて押し付けておくとしよう。

 そうして要に好意の押し売りをした透目は、先ほど未来が目覚めたという報告を受けて席を外したために今要は一人だ。

 別に自由になったのだから一言言って楽を追い駆けに行けばいいのだが……。少し疲れたと言う言い訳を自分に押し付けてロビーで休憩中なのだ。

 とは言え要はやはり部外者。その上時空間移動者で、この時代には望まれない異邦者だ。その先入観と言うか前提を拭えないからか、居心地の悪さは確かにある。言ってしまえば落ち着かないのだ。だから手持ち無沙汰に透目から貰った飲み物に口をつけては、意味もなくその原材料名なんかを眺めてしまっている。

 糖類とか酸味料とか……。どうでもいい知識として、確かこういう表示は含まれている量の多いものから順に記してあるのだったか。だから由緒がよく好んで飲むスポーツドリンクなどは、あれは砂糖を水に溶かしただけのものだから基本一番最初に糖類や甘味料が書いてある筈だ。確か炭酸飲料よりも沢山糖類が含まれているのではなかっただろうかと。

 何かの復習のように取り留めもない雑学を意味もなく思い返しながらそうしてしばらく時間を潰せば、やがて視界の先に見慣れた赤い髪の少女の姿を見つける。

 彼女はこちらに気がつくと可愛らしく微笑んで向かいの椅子へと腰を下ろした。


「未来……」

「うん? あぁ、えっと、さっきはありがとね。ここまで運んでくれたって。途中から寝てたみたいで覚えてなくて……」

「いや、それはいいけど。体は大丈夫か?」

「うん、少し体にだるさはあるけど、特に後遺症もないからってこうして自由行動を許可されてるよ」


 未来自身の口からその言葉を聞いて、肩の荷が下りたように感じた。

 そもそもの原因なんて考えるだけ無駄なのだろうが、この時空間事件……歴史再現に深く関わっている者として、巻き込んでしまった事に後悔をしていたのだ。

 未来は過去の要を助けに行くから、既に巻き込まれているといえばそうなのだが、この時代であの男の起こした騒動は、少なくとも楽の計画になかった話で、要にだって予想外の出来事だった。つまりは偶然それが要の目の前で起きて首を突っ込み、未来にその被害を押し付けてしまった。その責任と言うか、彼女を振り回した者としてのせめてもの自戒だ。結局は自己満足の正当化なのだろうけれども。


「それで、犯人捕まえたって聞いたんだけど……」

「あぁ、うん。『スタン銃』一発撃ち込めばいいだけだからな。後はそのために色々な策を講じて確実性を増すだけの事だ。それにこう言うと失礼かもしれないけど、未来のお陰であいつの手の内も割れてたし、確かな対抗手段も得られてた。だから考えるより簡単に事が運んだよ」

「そっか……。あたしが捕まえられなかったのは残念だけど、仇は取ってくれたんだね」


 言って笑う未来に要は考える。

 別に、仇だなんて思わない。思えるほどに、要は今でもあの男の事を敵として認識していない。そもそも名前も知らない相手の事を……たった数度言葉を交わしただけの破綻者を認めたくない。

 だからその感謝を要は素直に受け入れられないのだけれども……それで未来が納得をするというのならば要の気持ち程度幾らでも偽ろう。

 すべては歴史をその通りに再現し、彼女に過去の要を救って貰う為。円滑に事が運ぶための必要な歯車だ。それに、彼女のその笑顔が見られれば要としても十分だ。

 時空間の外に生きる未来が、居場所がないと寂しい思いをしていた事を知っている。そんな彼女が素直に笑える場所を、時間を自分が作ったのだと驕れば心地のいい達成感が胸の奥に落ち着いた。

 と、そうして彼女の事を少しだけ見つめて、それから見た目の違和感に気付き声にする。


「あれ、未来……髪飾りは…………?」


 それは未来がいつも身に着けていた兎結びの象徴。過去の時代では大事なものだと慈しむように話していた彼女のトレードマーク。


「……うん、どうやらどこかで落としちゃったみたいで、気が付いたらなくなってたんだよね。多分あの男との交錯の最中だと思うけど」

「そっか。似合ってたのにな、あの桃色の珠の二つ着いた髪留め……」

「…………? 桃色……珠……? あたしが今日髪を括ってたのは黄色のリボンだよ?」

「え…………?」


 記憶にある彼女と目の前の姿を重ねて、それから頭を旅する。

 確か要の目の前に現れた未来は桃色の珠を二つ拵えた髪留めて兎結びにしていたはず。その髪飾りに嬉しそうに触れていたのは、何よりも大切な思い出だと語ったのは彼女自身だ。それを間違えるはずは無いと。

 ……………………いや、そうか、思い出した。彼女が着けていたのは確かに黄色のリボンだ。けれどそれはこの時代に来てから目にした未来が着けていた髪留め。……つまりこの時代の未来と要の目の前に現れた未来は別の髪飾りをつけていたのだ。

 つまり、まだ何か解決していない事がある事を暗に示しているのか……。これから何が起こるのかと想像したところでそんなのは意味のない事だが、どうやら要はまだこの時間から立ち去るには少しだけ早いようだ。


「……お兄ちゃんが今のあたしから見れば未来に出会う人なら、あたしの過去の事を知ってるのかもしれないけれど……傍から見たらお兄ちゃんがセクハラをしてるように見えるの分かってる?」

「悪かったっ。別にストーカーみたいに無遠慮な事を言うつもりじゃないんだ。ただその、俺にとっては未来の象徴みたいな話で、やっぱりよく似合ったから」


 言い訳なのは分かっている。けれど本心からそう思っているのは事実だし、その事で彼女との間に溝を作りたくない。少なくとも、過去に要の前に現れた未来は、要の事を好意的に思ってくれていたはずだ。そうでなければ幾ら演技といえどあんなに親身になってはくれないだろう。


「…………ん、まぁいいよ。お兄ちゃんの事を知りたくていろいろからかってただけだし」

「…………未来……」

「どうあってもあたしにとっては出会ってまだ半日も一緒に過ごしてない男の人なんだよ? 警戒はするよ」


 未来の考えは(もっと)もだ。自分以上に自分を知っている相手に忌避感を抱かないわけは無い。


「けどね、それ以上にお兄ちゃんはお兄ちゃんで、護衛対象だよ。……知ってるだろうから言うけれど、あたしはお兄ちゃんに嘘を吐いて近付く事になる」


 再婚相手の連れ子。現実的でありながら非日常なその虚偽で着飾って、未来は要を守るためにあの家までやって来た。


「正義のため……歴史を守るため。そんな事を謳いながら、けどやってる事は正当化しただけの許されざることだよ。お兄ちゃんのお母さんには、お父さんの異能力が掛かる事になる」


 自然と景色に馴染むために。虚偽の関係で再婚と言う形を取るために、結深(ゆみ)には未来と透目に関する偽りの記憶が植えつけられている。だから彼女もまた被害者として知らず巻き込まれているのだ。

 しかしそうして誰かを騙す事に……大きな騒動を解決するために小さな歪みを生み、それを黙認する事をどこかで許せないで居るのだろう。

 懺悔のように呟く彼女の言葉も葛藤の表れだ。


「事件を解決するために小さな犠牲を切り捨てるなんて、それって本当の正義かな……?」

「…………結局、納得の問題だろ」


 彼女の揺れる瞳に、要も己のして来た事を重ねて答える。


「結果論うまくいったから。人生なんてそんな事の連続だ。誰だって失敗するし間違えもする。生まれた時から完璧な人間なんて誰一人としていない」

「……………………」

「それにだ。未来に起きる事を幾ら想像したってそれは想像であって事実じゃない。未来が現実に変われば、それは次の瞬間には過去に変わる。取り消せない歴史として刻まれる。これもまた結局は結果論で、その時になってみないと分からないことだ」


 何もしないうちからする後悔を後悔とは言わない。ただそれは傷つきたくないだけの自己弁護に似た何かだ。


「それに、過去に起きた事は変えちゃいけない。過去から目を背けちゃいけない。そうだろ? だってそうした経験や記憶の先にしか進歩も未来もないんだから。だから悩むだけ無駄なんだよ。一々小さいことばかり気にしてたら前なんて向けないだろ?」

「それでも、関係のない誰かを巻き込むかもしれないからっ……」

「それがその人にとって悪いことだってどうして未来が言えるんだ?」

「え…………?」


 気持ちのままに言葉を重ねて、彼女の気持ちに優しく触れる。それだって要の自己満足で、納得かもしれない。


「結局は受け取り方次第だろ。ほら、酒だって毒にもなれば薬にもなる。それはその人が直面したときに考える事で、言ってしまえば未来には関係のない当人の事情だ、違うか?」

「でももしそれが悪い方向に傾いたら────」

「優しいな、未来は。だったらその優しさを、他人の不幸を願うことじゃなくて、幸福な未来を一緒に作っていくために向けるべきじゃないか?」


 眩しいほどの理想を掲げる。これもまた、今要が根拠もなく振り翳した理想の一端だ。

 要は、未来に未来で居て欲しい。これから過去の要を助けに行く彼女に、胸を張って正しい事をするのだと信じていて欲しい。

 その道行きで、彼女は苦痛を背負うかもしれない。その手で責任を作り出してしまうかもしれない。

 けれど要にとって、未来は非日常の象徴で、縋るべき正義だった。彼女の傍でなら、要は自分が間違っていないと正当化していられた。

 そんな彼女に折れて欲しくないから。要が憧れた未来という存在で居てほしいから。そのために今度は要が、彼女の正義になる。

 仮初でも、心のない演技でも構わない。彼女が自信を持って要の事を導けるように、彼女から知らず教わった通りの事を彼女へ返すだけだ。


「……何でそんなに自分を信じていられるの?」

「俺が信じてるのは俺じゃない。未来の知らない未来だ。だから未来も、自分が信じられないなら誰か他人を信じればいい……。例えば、そうだな…………未来に居場所をくれた、件のお爺さんとか」

「っ…………!!」


 柄にもない事をしてしまったと少しだけ恥ずかしくなる。けれどこれは、今まで未来が要にして来てくれた事への感謝の気持ちだ。もちろんその中には非日常に引きずり込んで振り回してくれたことに対しても含まれるだろうが、それを言えば未来は気分を害するだろうから今は控えよう。

 未来との関係は、きっとあと少しで終わってしまう。楽を捕まえて、彼の歴史再現を手伝って……それが終わってしまえばこの騒動も本当に終わりだ。

 別れには贈り物が不可欠だろう。時間と空間の矛盾さえ通り越したお礼が────パラドックス・プレゼントが。

 きっとその別れの時でさえ彼女には貰ったものを返しきれないから。だから今から少しずつ返していくとしよう。


「そ、そこはお兄ちゃんを信じろ、じゃないの……?」

「信じてくれるならそれでもいいけどな」


 今更要にそんな事を言えない。けれど望んでもいいのなら、そうして頼ってくれればこれまでの要の苦労が報われるだろうかと。苦労なんて、それこそ驕りも甚だしいかもしれないけれど。


「……信じるって言うよりは、ただ感謝をしてるかな」

「感謝?」

「ほら、やっぱり怖かったからさ。お兄ちゃんに会うのは。声を掛ける方って勇気がいるでしょ? でも声を掛けられたら安心する……。だからお兄ちゃんに会う前に貴方に会えてよかった。お兄ちゃんの事を現実味のない情報以上に知る事ができて、安心できたから。そのきっかけがあんな事件だったって言うのはなんか癪だけどね……」

「いつだって最初はそんなもんだろ。何かをする前だけ怖がって、いざそれに手を出してみたらネガティブに考えていた分だけそれが楽しく思える。少し捩れてるけど、何かを楽しむ時の自己暗示だよな」


 わざと評価やハードルを下げておいて、それ以上を得た時に例え些細なことでも嬉しく感じる。人間なんて単純な生き物だ。


「楽しいなんて、それはちょっと共感できないけど……。まぁ感謝はしてるんだよ、だからありがと」

「感謝ねぇ……。だったら一つお礼の頼みがあるんだけど」

「なに?」


 遠回りをした道のりを、どうにか元々歩いてきた道まで戻ってくる。


「ほら、俺が追いかけてる相手。それから由緒の救出」


 どちらがどちらに協力するなんて野暮なことかもしれない。けれどだからこそ明確に言葉にすれば確かな目的として刻まれる。


「うん、そうだね。そもそもそれが最初の問題だもんね」


 要にしてみれば、それは最後の問題かもしれない。

 予感だ。次に楽に会うとき、景色ががらりと変化すると。これまで彼が引っ掻き回してきた物語が色を変えて、反転して全ての意味が都合よくも在り来たりなハッピーエンドに向かっていくような、そんな想像。

 これまで重ねてきた交錯と、楽に対する要の考えが、理想を描いて理由のないような確信を胸に渦巻く。そうなるのだと、信じる自分がどこかに居る。言葉に出来ないほどもどかしいのだから、きっと誰にも共感してもらえないのだろうが。


「わかった。今度こそ力になるから。助けてくれたお礼に、次はあたしがお兄ちゃんの目的に協力するっ」

「……ありがと。さて、それじゃあ行動に移さないとだけど、外に出ても大丈夫か?」

「うん、リハビリも兼ねて運動はしないとだしね」

「それで、彼女の居場所は?」

「…………少し待って、今お父さんが色々な方法で調べてくれてるから。時間をかければ見つかるはず」


 探知が出来ないのは既に試して分かっていること。けれどそれ以外の方法で人を探す事は幾らでもできる。人に聞いたり、監視カメラを調べたり。

 要が楽と協力して放火犯を捕まえている裏でも、透目は由緒の事を探していたはずだ。そろそろ進展があってもいい頃合だが……。

 考えていると階段を下りてきた透目の姿を見つける。その手には書類が何枚か。


「すまない、待たせたな。ようやく手がかりを掴んだ。捜索範囲を絞っておいたから直接向かってくれるか? 私は引き続きここからバックアップを行う」

「うん、ありがと」

「……攫った犯人については何か分かりましたか?」


 大丈夫だとは思うが、浮かんだ疑問を言葉にして一応確認しておく。


「すまない、調査中だ。だから気をつけて行動をして欲しい」

「わかりました」


 楽の事は、透目はもちろん未来にも知られてはいけない。もし二人が知ってしまえば、過去へ向かった時に楽を顔を合わせた際、ここであった事に照らし合わせ捕まえてしまう。

 けれど楽はあの時捕まってなどいない。それはつまり二人には楽の顔や声、姿などは知られていないと言うことだ。

 ……追いかけている相手の情報共有すら出来ない。そんな状況でどうやって連携を取るのだと、突きつけられた無理難題に小さく息を吐く。

 まぁ仕方ない。そもそも彼は要を御所望だ。彼の思惑を知り、歴史再現を手伝うために。出来ないことは諦めてするべき事を成し遂げるとしよう。


「それじゃあ行こうっ、由緒さんを連れ戻しに」

「あぁ、歴史を守るためにな」

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