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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
六根清浄の夢の思い出
41/70

第五章

 戻ってきたのは既に当たり前のように拠点となっているあのアパートの一室。

 目まぐるしいほどの景色の変遷を超えて、ようやく見つけた道標に一息吐きながら腰を下ろした部屋の中で。胸のうちに渦巻いた疑問をだんだんと音にしていく。


「それで、お兄ちゃん随分落ち着いてたね。何か気づいたことでもあった?」

「……気付いた、と言うか。分からない事が一つ増えた」

「何?」


 こちらに向く視線に、それから呼吸を整えて未来(みく)を見つめ返しながら告げる。


「『パラドックス・プレゼント』……」

「……っ!」

(らく)がそう呟いてたんだよ」


 今更無駄な問答はいらないと単刀直入に言葉にすれば、未来の肩が揺れる。どうやら楽の言っていた事はただの気紛れではないらしい。


「パラドックス……? 何それ?」

「さぁ……」

「…………未来の、童話だよ」


 由緒(ゆお)から零れた疑問。彼女の言葉に答えた未来は、寂しそうに、懐かしそうに笑みを浮かべる。


「童話……?」

「うん。異能力の絡む御伽噺、見たいなもの」

「どんな話なの?」


 由緒の声に未来は黙り込む。別に制限で話せないとかではあるまい。未来に起こる事象ではないのだ。空想の物語。言えないと言う事はない。

 つまりそれは彼女自身の沈黙か。


「……別にいいんじゃないか? 楽の事はじっくり考えれば。それにそればかり考えてても気が滅入るだけだ。今更であることは拭えないからな。少しくらい寄り道してもいいだろ?」

「……そんな事言って、休みたいだけでしょ?」

「まぁそうだな。ブースター無しで戦って疲れたし」


 方便を振り翳せば疲れたように笑う未来。その笑みに言葉の外で語りかければ、彼女は静かに語り出す。


「……主人公はね、女の子。偶然なのか歴史を旅する力を手に入れたその子の冒険譚で、ちょっとした恋愛話」

「時空間を旅する……まるで未来みたいだな」

「そうだね……。だからかな、少し重ねた部分もあって、憧れたんだ」


 (かなめ)の中では、既にその少女が鮮烈な赤い髪の兎結びに橙色の瞳をして描かれる。


「最初は時間を行き来する事に面白くなって、暇を見つけては見知らぬ場所や時間に訪れて遊んでたの。その中で、女の子は偶然事故現場に居合わせるの。事故に遭うのは、同じ学校の男の子。同じ学年で、同じクラスで、同じ教室の、少し離れた場所に座る、接点なんて殆どない同級生」


 それはまるで有り触れた話のように。どこかで経験してきた実体験のように真実味をもって語られる。


「そんな男の子が、少し未来に事故に遭う事が分かったの。そんなのを知ったら、普通は助けたくなるよね。好きだとか嫌いだとかよりも……見殺しにしたくないから。そんな事で自分に嘘を吐きたくないから」


 正常と言うか、人間らしい優しさがあれば当然その通りだ。中には嫌な奴なら死んでも構わないと言う奴も居るかもしれないけれど、それは自分が手を下さないだけで死ぬ事を見て見ぬ振りして誰かを殺した事に他ならない。その内自分を責め始めるかもしれない。

 人が死んで誰かが悲しむのは当たり前なのだ。


「だったらどうするか……。簡単だよね。未来を知ってる、その不幸な歴史を変えたい…………。有り触れた歴史改変物語」


 過去を変えて未来を変える。そんなお約束染みた物語は、映画でも、小説でも、沢山存在する。


「そうやって未来を変えようとするんだけどね……変わらないの。幾ら過去で干渉したところで、未来の結末が少し形を変えるだけ……。事故死だったのが通り魔の刺殺になったり。意図しない戯れが死を招いて……傍に居た友達が冗談で肩を押しただけなのに結果車に轢かれたり……。変えようと思えば思うほどに景色が悪化していくの」


 何かをしようとして更に悪い方向へ。現実でもよくある話、悪循環。


「その内女の子は気づくんだよね──あたしが手を出したから男の子が死ぬんじゃないかって」


 そもそもの前提。要も過去に想像した。

 推理小説における探偵役の主人公はどんな事件であっても無関係ではいられないように。主人公であるからこそ、物語の中心にいる存在で、最も原因を内包しているのだと。

 言わば主人公が動機の事件。探偵役が現れたから起きる物語と言う……矛盾にも似た結末。


「じゃあどうして男の子は死ぬんだろうって。その原因はどこにあるんだろうって……。いつの間にか必死になってその男の子を助けようと女の子は動き出すの。これだけ色々な事をしたのに死ぬという運命が変えられない……だったら原因はその時代にない。だったら更に過去にあるはずって、その男の子のこれまでの事を調べ出す……。そうしたらね、あるときばれるんだ。男の子に見つかって、どうして後を着け回すのかって」


 未来人だとばれる。それは歴史改変物語においてある種のタブーとも言うべき概念だ。だからそうならないようにうまく物語を作ることで読者にスリルと躍動感を持たせる。歴史を変えるという大きな目的と、その際に起きる小さな危機の連続が流れを作り出し引き込むのだ。


「未来人で、未来で貴方が死ぬなんて、そんなことを言ったところで信じてもらえない。当たり前だよね。でも手がかりが見つけられなくて半ば諦めかけてた女の子はつい本当の事を言っちゃうの。あたしは未来人です。貴方を助けるために来ました、って」


 ────あたしは、未来人。少し先の未来からやってきた時間移動者


 ────この時間、この空間で時空間事件が起きるって言う予知を受けて、それを防ぐためにあたしは来た


 過去に未来が要に向けて語った言葉が脳裏で重なる。まるで要が経験してきた過去そのものだと……。


「そんな事言うなんて未来人失格だってあたしは思うけど。……けどその言葉こそが鍵だったんだよ。男の子は答えるの。君を待っていた、って」

「…………あぁ、そっか。男の子も、時間移動者か」

「うん」


 辻褄を覆す新事実の発覚はよくある話。そればかりで畳み掛けられても着いて行くのが大変だが、物語のアクセントにはなるだろうか。


「そうして男の子から聞かされるんだ。どうしたら悲劇を回避できるのか……」


 いつの間にか引き込まれていた彼女の語り口調に隣の由緒が息を呑む。そんな横で、要の中では彼女の語る物語が現実と更に重なっていく。

 女の子の時間移動者。歴史改変。共通項はそれだけだが、だからこそシンプルに似ていると思える。


「過去のために未来を変えて──。この物語の主題なんだけどね」


 過去のために未来を変える。分かりやすく言い換えれば、過去の歴史を守るために未来の歴史を変える。一般的なタイムトラベル物とは真逆の発想か。

 よくある話だと、現実や未来で何かが起こるから、それを防ぐために過去へ干渉して歴史を動かすというのが有り触れた形。

 けれどその逆……過去に起こる事象を覆すために、未来へ干渉する。普通なら実現のできない理論だが……。


「男の子は時間移動者で未来からやってくるの。そうして事故死に巻き込まれる。それを防ぐためには、男の子が事故の起こる時代に来る前……時間移動前に遡ってある細工をする必要があるの」

「……なるほど。視点は女の子で、男の子にとっての過去は女の子の時代からしてみれば未来での出来事。それに干渉するから、過去のために未来を変える、か……。矛盾、ではないけど物は言いようと言うか。男の子の視点から見れば普通に過去改変だよな」

「夢のないこと言わないでよ……」


 要の冷静な客観視に未来が半眼で呻いて謝る。

 視点を裏返しただけでこの反論。どうやら未来はこの物語が気に入っているらしい。


「……それで、男の子はどうなるの?」

「そのあとも紆余曲折あるんだけどね? とりあえず女の子の行動で男の子は助かって、一応ハッピーエンドってことなのかな」

「そっか、よかった……」


 由緒も気に入ったか、急くようにして結末を尋ねれば理想の答え。物語だからこそ、日常にはない完璧なハッピーエンドを求めたくなるのだと。


「でもどうしてプレゼントなんだ? 何か贈り物をしたわけじゃないんだろ?」

「……プレゼントってね、贈り物って意味だけじゃないんだよ? 今とか現在って意味があるの。そっちだと直訳して……矛盾の現在。意訳すれば掛け違えた現実、くらいかな?」


 掛け違えた現実。それは歪む歴史の比喩だろうか。


「それからさっき紆余曲折って端折ったけど、その中に贈り物をする(くだり)があるんだよ。女の子が過去に行く前の男に子にプレゼントをする……それが歴史を変えるターニングポイントになるんだ」


 映画でもよくある話。戦地に赴く前に恋人から渡されたロケットが銃弾を弾いて死を免れる、なんて有り触れた伏線。それに似た話で、その贈り物が男の子の歴史を変えるのだろう。


「現実と贈り物のダブルミーニング……。物語も題名も、よく考えられてるよね。あたし大好きなんだっ」

「本物読んでみたい……」


 由緒のそんな言葉に未来が肩を揺らして笑う。

 叶うかどうか分からない希望を持たせるのはあまり良い事とは思えないけれど。気付けば要は口にしていた。


「童話ってことなら誰もが知るほどに有名なんだろ?」

「そうだね。童話に限らず小説化されてたりするから、媒体によっては結末が少し変わってたりするけど」

「メディアの違いって奴だな」


 原作とその映像化で結末が違う、と言うのはよく聞く話。原作に忠実に全く同じに作ってもそれはただの再現。そこに色を加えて、製作側の形を残すというのは分からないではないが。そこに軋轢が生まれる場合もあって一過性の話題にもなる。そういう類の話は何処でも同じかと。


「でも、だとしたら俺たちから言えば未来の出来事だ。長生きすれば、その本が出版される時期に立ち会える可能性だってないわけじゃない」

「みくちゃんがどれくらい未来から来たか分からないのに? 数年後ならいいけどそもそも私達が死んだ後かもしれないんだよ?」

「かもしれないはどっちも同じだ。未来がいつから来たかを知らないなら、好きな風に期待すればいい。それこそ、想像から未来を掴むようにな」


 無理強いを現実に強要するのは由緒の得意分野だろうと。だったらいつもの我が儘でそれくらいの幸福くらい願っても罰は当たらないだろう。これまでに十分不幸に巻き込まれたのだ。見返りがなくてはやってられない。


「……ずいぶん話がずれたけど、そんな物語の事を、何であの人が零したのかは知らないけど……」

「さぁな。ただ似てるからじゃないか?」


 未来の疑問にもならない呟きに答えながら、要の頭の中では幾つもの想像が巡る。

 楽は言った。『パラドックス・プレゼント』を知ればいいと。それが要にとって必要なことだから、助言をしてくれた。

 だったら今未来が語った物語の流れこそが要が追うべき未来。

 誰をどのキャラクターに当て嵌めるかは考慮の外においても、話の流れは変わらない。まるで似ていない部分はどうでもいい。重なる部分だけを重ねて、これからの未来を描く。

 そうして見えてくる一つの可能性……。そこにヒントがあるのなら、信じて手繰り寄せるだけ。

 どんな風に話を持っていけばいいだろうか。着地地点からそこへ至るまでの過程を逆算して道を作り上げる。


「似てるかな……?」

「そっちは歴史改変だけど、そこだけだろ? 理想の未来のために最善を手繰り寄せる。やってる行動理念は変わらない」

「まぁ正しいことだって自覚はあるけど……」


 ここに至っても未来は自分のあり方を曲げていない。

 『Para Dogs(パラドッグス)』としての行動は既に余り意味を成していない。彼女の組織の基本は歴史改変を防ぐこと。けれど要がこれまでに語ってきたように、歴史はそうある通りにしか流れない。それはつまり、最初から歴史改変なんてされない事を示し、『Para Dogs』の干渉が歴史再現の一つに過ぎないのだ。

 つまり『Para Dogs』としての目的……歴史改変の妨害やあるべき歴史を紡ぐ事はただの建前に他ならない。

 けれど未来は、その先に納得を見つけている。

 歴史再現だと言うのならば、『Para Dogs』の干渉がなければその通りに紡がれない。だったらやはりそれは必要なことで、歴史に干渉しそうあるべき通りに再現する手伝いをしているのだと。それこそが正しいのだと、既に疑っていない。

 だからきっと、彼女はどこかで確信している。

 この時空間事件が解決する事は当たり前。いつかは決着する交錯だと。

 その明確な道を今追い駆けている最中。


「未来は強いな」

「なんで? だって普通のことでしょ? 正しい事をしたいのは当たり前だよ」

「思ってもそれを信じたまま行動に起こせる奴が何人居るかって話だよ」

「……だったら多分、そんなあたしを作ったのはこの物語の女の子だよ」


 懐かしむような響きに彼女は続ける。


「昔から大好きで、重ねてた。だから『Para Dogs』に入って、この力を役立てようと思ったの。……憧れてたんじゃないかな、正しいことをする事に」

「現にそれを体現できてるんだから、夢が叶ったとでも言うべきなんだろうな」

「……夢かぁ」


 彼女も小さな少女だ。女の子らしい夢の一つくらいあるだろう。今はなくても、昔はあっただろう。要だって、小さい頃は途方もなく馬鹿げた夢を振り翳していた時期があった。いつからだろうか、夢を夢にしたまま、目の前の現実を見つめ始めたのは。


「でだ、また話がずれた。楽の事だよな」

「……やっぱり、がく君が悪者なの?」

「…………少なくともこれまで俺達を振り回してくれたのはあいつだな」


 少しだけずれた真実を音にすれば由緒が俯く。

 嘘ではない分、騙している事に罪悪感が募る。

 けれどきっと必要なこと。楽だって俺達を騙していたのだ。騙す事に、意味があったのだ。

 だったら彼の気持ちに気付いた者として、同じ場所に落ちていくだけの覚悟はある。


「そんなやつが次に何処を狙うかって話だな」

「……お兄ちゃん、もう気付いてるでしょ? さっきの話が無関係じゃないって」

「これまでのすべてに理由があるとするなら、そうだな」


 未来の試すような視線に胸の内を少しだけ晒す。

 例えば要が楽の思惑に気付かないで居たとしても、同じ結末に至ったはずだ。

 歴史はそうある通りにしか流れず再現だと言うのならば。これまでに紡いできた交錯のすべてに意味がある事になる。それは同時に、これから起こる事にも言えたことで、想像できて然るべき未来。

 想像は過去からの研鑽と経験によって至るべき境地で、ならばやはり彼が呟いた『パラドックス・プレゼント』も何かしらの意味があるのだと。

 その話を聞いて、要も気付いた事があるのだ。


「楽が『パラドックス・プレゼント』に(なぞら)えて今回の時空間事件を引き起こしているのだとしたら……恐らく次に狙うのは俺じゃないだろうな」

「…………あたし、の過去、だよね?」

「未来がここへ来る前を襲う。それで歴史改変をしようとする。まず未来がこの時代に来れなければ全ては覆るわけだからな」

「私やよー君をこれだけ狙っても無理だったんだから、狙いを変える理由にもなるもんね」


 『パラドックス・プレゼント』の中で女の子が男の子の過去へ干渉して歴史を変えたように。楽は未来の過去へ干渉して歴史を歪めんとする。

 もちろん彼の事だ。全てを歴史再現だと割り切っているのならばそんな事は出来ないと分かっている。

 だからこそ視点を裏返せば彼の目的が分かる。

 未来を狙ったことにも理由が見つかる。


「……未来、もう隠さなくてもいいだろ。未来は前に言ったよな。俺にとっての邂逅は未来にとっての再会で、未来にとっての邂逅が俺にとっての再会……。俺は、未来でもう一度未来に出会う。俺に出会う前の未来と出会うって」

「…………」


 沈黙は肯定だ。


「それがつまり、そういうことだ。俺がこれから過去へ来る前の未来の元へ行く。それで全て矛盾がなくなる。未来のいる場所に未来は重なれない。だから俺だけがそこに行く事になる……」

「……でもそれ、よー君はどうやって戻って来るの?」


 由緒の疑問に、少しだけ考えて真実を隠す。恐らく由緒は知らない方がいい。


「……制限抵触でいいだろ?」

「その時は仕方ないからね」


 未来も分かっていて話に乗ってくれる。

 要は知っている。今目の前にいる未来が、どうやってこの過去に来たのか。そこに誰が居たのか……。

 制限に抵触しなくても、その人物の協力を得られれば簡単に戻ってこられる。


「でも本当に大丈夫……?」

「……もしかして未来わざと話逸らしてないか?」

「っ……!」


 ついで放たれた心配そうな音に、呆れつつ尋ねれば僅かに揺れた肩。何でそんなに要を行かせたくないのだろうか。


「未来は俺と初めて会ったときには、少なくとも一回過去に俺と一緒に行動してるだろ? じゃないと前話してくれたみたいに、この時代へ来たときに葛藤なんてしない。接し方に悩んだって事はそれだけ俺の事を知ってただろうからな。知ってるって事は少なくとも何かしらの繋がりがあった。……違うか?」

「……………………」

「それが例えば、俺が未来の過去に行った先で未来に頼った事に起因するのだとしたら、やっぱりこれは歴史再現だろ?」

「…………早く記憶なくしちゃえばいいのにっ」


 拗ねて逸らした視線。彼女の過去で、未来の要は一体何をしたのか不安になりつつ意地悪な肯定に笑う。

 未来だって本気で止めたいわけではない。止めればそれは歴史再現を妨げる事になるから、冗談だ。

 けれどそんな風に止めたくなるほどに何かあったらしく……それを楽しみだと口にすれば次の瞬間銃口がこちらに向いているのかもしれない。

 そんな事で肝を冷やしたくないので当然これ以上の詮索はなし。


「……他に何か思いつく事は?」

「…………がく君、何がしたかったのかな……?」


 僅かの沈黙の後、零れた疑問は由緒のもの。彼女は殆ど振り回されて巻き込まれた被害者だ。だと言うのにその優しさは、由緒を利用した彼にも向いていて彼女らしいと少し安堵する。


「目的か……。分かったような分からないような、だな。とりあえず俺が目的だったみたいだから、俺の周囲で起こる事を変えたかったんだろうけど」


 表向きの彼の思惑を考えつつ、要は要で至った自分なりの解釈の先を考える。

 楽が要を必要としていたのは協力を得るため。この時代の要だからこそ出来る事に手を貸して欲しかったから。

 つまり未来が来た時期以降に起こって、要がこの結論に至るまでの間に起こった事が関係しているはずだ。

 要の周囲での変化なんて自分がよく分かっているはずなのに……けれど分からないというのは鈍感なのか、それとも分かりにくいだけか。

 少なくとも、楽の『催眠暗示(ヒュプノ)』で忘れさせられたと言うのはない。だから記憶にある限りのどこかに理由があるはずなのだが……。

 考えても、どうにも分からない曖昧な目的。未来が来てから起きたことなら未来に関することか? だから楽は未来がこの時代へ来る前に向かって妨害をするように振舞いながらその時代へと誘っている? ……ありえない可能性ではないか。

 未来の過去の事については要もあまり知らない。この時代から言えば未来に起こる事で、制限に抵触するから話したくても話せないのだろうが、それ以上にそんな制限がなくても未来はそれを自分から話したがらない気がする。

 単にそれは彼女がこの時代に痕跡を残したくないからかもしれない。しかしそれ以上に引っかかるのは先ほども見せた反応で、これまでも幾度か見え隠れしていた未来の性格。

 未来は、自分の過去を余り他人に言いふらさない。それが何に端を発しているのかは定かではないが、自分の事を話したがらない。

 これまで時空間事件に関わってきて、辛い目にも沢山会っただろう。歴史を歪めない為に過去改変を妨害する……それはその人物の悲願を否定することと同義な筈だ。彼女はきっと、これまでに何度もそんな辛い景色を見てきた。

 だったらそんな過去の事を話したがらないもの理解できる。要だって自ら進んで嫌な記憶を他人に話したりはしたくない。

 そんな彼女の過去に干渉して、けれど楽に何の得がある? 要が歴史再現に必要ならば、未来に生まれる彼女は関係がないはずだ。単純に要を誘き出すだけならば既に叶っている。

 『パラドックス・プレゼント』の話を要に聞かせ、追い駆けて来る時間を誘導する。それに足るだけの理由が見当たらない。

 …………いや、違うか。楽が要の考えている事を知っているのならば、当然要と未来が捻れた出会いの中にいる事も知っている。

 つまりは未来にとっての邂逅、要にとっての再開である未来の過去の出来事の再現へ、彼が一役買っているということか。ならば納得はいくが……その分だけ楽の思惑が余計に分からなくなる。

 本当に、何のために要が必要なのだ。楽が成そうとしている歴史再現とは何なのだ……。

 少なくとも、要が振り回され続けた時空間事件が彼の再現の一つだと言うのは確かではあるが…………。


「……根源のところでは自分の為だよな。誰かの夢を叶えたり不都合な歴史を歪めようとするのは、結局行動を起こすその人物が現実を許せないから手を伸ばす方法論だろ? 誰かの為なんて方便で、誰かの為と思っている以上、その思いは自分の納得の為だからな」

「…………あの人が別の誰かのために歴史改変をすると思う? だったら自分自身の為だけに周りを振り回してるって言われた方がまだ納得できるよ」


 未来の言葉に少しだけ考える。

 未来の言い分は歴史改変だからと言う曲がらない意志に基づくものだ。楽の思惑が歴史再現だと告げていないから、彼女は楽が悪だと決めてそう可能性を音にする。

 犯人が毎回悪い、なんて固定概念だ。

 犯人が犯人足りえるのは、その行いが倫理に反して裁かれるものだからに過ぎない。ともすれば悪事を働く方がよっぽど正しい理論を振り翳していることだってあるだろう。

 それこそ未来が時空間事件を追い駆ける事に限れば、彼女の行いは規範の元に是正をすることだ。しかしそれは時に希望を砕くことであり、夢を否定することであり、全てにおいて正しいとは言えないはずだ。

 友達の将来がより良い方に向かうように過去へ干渉する……と詭弁を振り翳して、それを悪い事だとは言い切れないだろう。歴史を歪めるのはいけない事かもしれないが、友達のために振り翳したそれはただの好意だ。その際に裁かれるべきは方法論であって、気持ちではない。

 ただ歴史を守るために、仕方なく。未来だって、変えたい過去はあるだろう。誰だってあるだろう。

 そんな時に犯人が振り翳す意思が正しいと第三者が思うのであれば、変えようとする者と止めようとする者と……一体正義はどちらにあるのだろうかと。

 未来の行いを責めるわけでも、ましてや『Para Dogs』を敵に回したいわけでもないが。一方的に何かが正しいなんて、それこそが悪役染みた考え方に思える。

 と、一人そんな事を考えていると呟くように零れた由緒の言葉。


「……がく君って、悪い人なのかな…………」

「え…………?」


 その声に、未来が思わず首を傾げる。


「確かにね、がく君がして来た事は悪いことかもしれないよ? 正しい歴史を変えようとか、過去を否定するようなことは間違ってるのかもしれない。けどそう思うほどの理由って、本当に悪い事なのかな? ……ねぇみくちゃん、いい未来を手に入れようとしてする努力や行動って、本当に間違ってるの?」

「…………それは……」


 由緒の純粋な問いに未来が口を閉ざす。

 純粋で、単純で。人の気持ちにルールなんてないからこそ、その問いに返るべき答えはノーだ。でも……。


「……例えそのやりたい事が誰もが羨んで認めるような正しいことだとしても、そのやり方が問題だろ? 喧嘩が目の前で起きてて、それを止めるために正義を振りかざしたところで……それが例えば喧嘩で一方的に痛めつけている人を殺す、なんてのは正しくない。非情かもしれないけどな、今回に限ったら気持ちよりもその行動にこそ批難があるべきだと俺は思う。もっと別の方法でどうにかする可能性も、どこかにあったかもしれないしな」

「…………そっか、そうだね。ごめん……」

「そうでなくとも俺の周りに手を出して引っ掻き回してくれたんだ。個人的に言わせてもらえば怒るなって方が無理な相談だな」


 確かに言葉にした通りの気持ちは、まだ心のどこかにある。幾ら歴史再現のためとは言え、もっと穏便な方法があったのかもしれない。その点だけで考えれば、楽を許すにはまだ程遠い。しかし同時に、由緒の言うような思いがあるから、楽の歴史再現に手を貸したく思うのだ。


「……けどな、例えば本当に楽が悪者じゃなくて、ただやり方を間違えただけで正しいことをしようとしてるなら…………俺は手を貸してもいいと、思う。本当に正しいやり方でやり直して、最後に今まで迷惑を掛けた分の償いを……し切れないかもしれないけど、それだけの気概は見せて欲しいって言う前提の上にだけどな」

「よー君……」

「未来はどう思う?」


 先ほど黙り込んでしまった未来に……本来この事件を追い駆けていた修正力で時の番人たる彼女に問う。


「…………あたしは。……あたしが、ここに居るのは、ここで起こる事が悪い事だから、だよ。だから犯人の肯定なんてしちゃいけない……。いけない、けど…………それを決めるのはあたしじゃないから。…………ごめん、よく分からない」

「……いや、変なこと聞いて悪かった」

「ん…………」


 未来はただ、歴史がそうある通りに悪事を裁く歯車でしかない。その行いと、彼女が抱く人間としての気持ちは別だ。

 ただその上で、やはり未来は明日見(あすみ)未来として、『Para Dogs』の一員たる振る舞いを捨てられない。任された命をこなす為に、非情になっているだけなのだ。

 その答えが、ぎりぎり嘘を吐かない程度の、先ほどの言葉。

 ……分かりきったこと。口にはしないだろうが彼女も要たちと同じ思いだ。

 敵なんて、悪事なんて、なければどれ程良い事か。


「……ただ、ね。一つ言わせて貰うとすれば、誰だってそれが本当に欲しい未来だから、歴史干渉なんてしちゃうんだよね」


 言い訳を、するつもりではないのだろうけれども。それを理解できないわけではないと、未来は零す。

 理解することと、それに手を貸す事はまた別問題だ。

 だったらやっぱり、未来には彼女の正義があって、その信念を曲げさせないためにも、彼女は騙されたままで居てもらわなければ。泥を被るのは、彼女を振り回した要だけで十分だ。


「……まぁそんな想像幾ら重ねたところで、確証はないんだけどな」

「えぇーこれまでの流れ全否定?」

「仕方ないだろ? 本当のことなんだから」


 逃げるように諦めて零せば、いつもの調子で由緒が批難を飛ばしてくる。

 そんなやり取りに思わず未来も肩を揺らして、彼女に笑顔が戻った事に由緒と視線を合わせる。

 言葉にしなくても分かるほどに幼馴染をして来た。だから今この部屋の空気の中心が誰なのかを知って、それを改善しよう何ていう考えは、けれど言葉にも、それから明確な意思にもならない前に確かな形を持つ。

 そんな風に言葉なく通じ合う関係に心地よさを感じていたから、要はどこかでその先に進む事を躊躇っていたのかもしれないと。彼女の気持ちに気付いてなお、逃げ回るように答えを先送りにしていたのでは、と……。

 けれどそんな自分に嘘が吐けなくなるほどに、今回の事件で嫌と言うほど悟らされた。要は、由緒の事が大切で、好きなのだ。

 と、ふと過ぎったどうでもいい納得の形の一つ。

 そんな事を要に気付かせる事が、例えば楽の思惑なのだとしたら……? 悪役と言うの名の、緩衝材にして歯車…………。

 だったらそれは、楽ではなくて未来が担うべきものではないのだろうかと、何かに対する苛立ちと共に否定がちなツッコミを入れる。

 例えそうだとしても、やっぱりそれは要のためで、楽の思惑がより強く要の中に燃え盛る。

 それが真実かどうかを問い質すのも、要が背負うべき役割なのかもしれない。

 ここまで探偵染みて彼の事を追い駆けてきたのだ。だったら茶番として最後まで彼を追い詰めるべきだろう。

 こんなどうでもいい自己満足に、彼は乗ってくれるだろうか? ……考えるまでもない。何かを偽って演技をするのは、彼の得意分野ではないか。


「……それで、結局どうするの?」

「…………俺が未来の過去……未来が俺のところに来る前に向かって楽を捕まえて来る」

「一人で大丈夫?」

「大丈夫じゃなかったら、きっと未来は今ここにいないだろ?」


 未来は要を助けに来てくれた。未来を守るために過去へとやって来た。ここには未来が居るという結果が存在する。

 だったら歴史がそうある通りにしか流れないように、要の前へやってくる前の未来は無事でなくてはならない。


「未来のために過去を変える……今回は変えるんじゃなくて、その通りに歴史を再現する。未来の過去を、俺が守ってやる。だから未来、俺の未来を肯定してくれ」

「……ん、頑張って、お兄ちゃんっ」


 浮かべた笑顔は信頼以上の確信で持って飾られる。

 大丈夫。全てはきっと、うまく行く。そう信じるにたる確証が、要の中にはあるから。




 それから万全を期すために、色々な準備を整える。

 準備といっても、体調管理が主だ。

 要の感覚で言えば、殆ど休憩をしていない。睡魔がそろそろ限界なのだ。

 丁度今居る時代の時間も夕方から夜に天の色を変え始めていたからか、特に異論もなく話が進んだ。

 食事を取って、風呂に入って、布団を敷いて。そんな有り触れた日常の一幕を、本来居るべきではない時代でこなす。

 今更自分がどの時代に居るかなんて深くは考えていない。どうせすべてが終われば元居た時間に戻るのだ。その時までの僅かな悪あがき……非日常に浸かるという現実逃避に心を躍らせながら。

 明かりを落とした部屋で瞼を閉じればきっと誰よりも早く眠りの底へと落ちていく。

 そうして疲れていたはずの体だが、けれど不意に浮上した意識が浅い覚醒と共に寝返りを打たせる。そこでふと、余り深く眠れて居ない事に気がついて、僅かな身動ぎの後体を起こした。

 眠気は、まだある。体もどこか重い。しかしそれ以上に、落ち着きのない衝動が胸を打つ。

 それは悪寒でも、予感でもない……。どちらかと言えば、焦燥や緊張感。

 どうしてと段々思考が冴えてくる自分に問えば答えを見つけて笑みを浮かべる。

 ……あぁ、そうか。楽しみなんだ。

 気付いてしまった場違いな感情に、それから眠る未来を見る。

 彼女の過去……今より未来に行く事に。知らない場所へ行く事に、胸を躍らせている。小学生の頃にも経験した、遠足前のあの高揚感だ。

 要の全ては要自身のもの。手も、耳も、目も、感情でさえも。

 だからこの胸に渦巻く期待もまた、正しい気持ちなのだろう。もちろん、楽を追い駆けるという目的を忘れたわけではないが、天秤にかけた時に個人的な欲望が僅かに勝るのは仕方の無いことか。

 その胸の高鳴りが、緊張感となって眠りの淵より意識を引き上げた。それだけのこと。

 気付いてしまったら、その期待を振り払う事が出来なくて、余計に目が覚める。

 ……駄目だ、寝なければいけないというのに、体は起きる準備を始めている。

 難儀なものだと自分の性格に辟易して、それから寝床を立つ。

 備え付けの冷蔵庫を開いて中に入っていた水のペットボトルを開け、飲み下す。

 冷たい流水が喉を通過して胸の奥へと落ちていけば、完全に覚醒してしまった意識に小さく息を吐く。

 仕方ない、少し頭を冷やすか。

 興奮していては眠れない。こういう時は一度冷静になるか、別の事を考えて頭を切り替えなければ。

 とは言え別にこれと言って考える事もなくて、目下巻き込まれている時空間事件についてを考えれば必然同じところに辿り着いてしまうと。

 それほどまでにこの経験が自分の中で大きくなっている事に気が付きながら、静かに外へと出る。

 まだ世界は夜の帳に包まれていて、ひんやりとした冷気と静まりかえった景色に途端孤独を感じる。

 電気の点いている家が、一軒。消し忘れかそれとも何か作業中か。

 それ以外の光となると、誘蛾灯の如く走光性の昆虫たちが街灯に群がる余り気分のよくないそれと、天然由来の降り注ぐ月光に星の光。流石に群れる昆虫達に興味も惹かれないので顔は知らず上を向く。

 アパート二階の廊下。光を遮るトタンの屋根の下から少しだけ顔を出して群青の天幕を見上げれば、雲のあまり見えない暗いキャンバスに眩い月と星の煌き。月は四分の一ほど欠けた上弦の衛星。随分と傾いて西の空へと落ちかかってはいるが、時間は真夜中の正子(しょうし)……0時くらいか。

 満月の時は深夜の南の空へ月が昇る。上弦はそれより前の月齢。月の昇る時間も落ちる時間も早い。どれ程欠けていてどの辺りに月があるか……知っていれば時計などなくてもある程度の時間を知る事が出来る知識の応用。サバイバルには必要な知識かもしれないと。

 どうでも良い事を考えながら星の天幕を見上げて他愛ない事を色々と考える。

 ここは父さんが事故死をした過去。前に時間を浪費しているから、八月の十二日……いや、日を跨いで十三日か。夏真っ盛りの夜だ。湿気よりも日中地面に蓄積された熱の放出の所為で、体感温度も少し汗ばむほどだ。風もあまりなくて、蒸し暑い。

 静かな住宅街には遠くから虫の鳴く声。静かではあるが、それが余計に感覚を鋭くして温度に対する倦怠感を助長させる。

 僅かに滲んだ手のひらの汗。湿った感覚に、思考へ別のところへ。

 汗といえば先ほどまで寝ていたから寝汗。一晩で平均的にコップ一杯……約200mlほど掻くらしいと。その殆どは水で出来ていて、涙も同様に元は血液と言うのはよく聞く話。

 そんな風に考えの端を拾い上げ頭の中を旅する。と、段々と思考が重くなってきて体を動かすのが面倒になってくる。

 人間不思議なもので、普段から夜になると寝る事を習慣付けていると、暗い場所に居るだけで知らず睡魔がやってくるという、条件反射がある。似たような話にパブロフの犬と言う実験があったりするが、今回はいいとしよう。

 同様に、陽の落ちた夜の空をぼぅっと眺めながら、いつも寝る際に要がそうするように取り留めもない考え事をしていると、体が自然と寝るためのサイクルを描き始める。要のこれは、睡眠欲と言う人間本来の無条件反射と、条件付けに基づく反応……条件反射の複合反応。人間、長くを掛けて体に教え込ませれば面白い反応をするものだと人体の不思議に結論を丸投げしながら。

 そろそろ知識のない天体観測するのも飽きたと部屋に戻ろうと踵を返す。

 と、それとほぼ同時、勝手に開いた玄関の向こうからぬるりと手が伸びてくる。

 想像の外の出来事に思わず胸が跳ねて驚き体がびくりと震える。次の瞬間、目にした姿に覚えたのは安堵。


「あ、いた……どうしたの?」


 開いた扉から顔を覗かせたのは由緒。彼女は要を見つけると少し安心したように笑って尋ねてくる。


「びっくりした……。由緒こそ、眠れないのか?」

「お手洗いに目が覚めたの。そしたらよー君の姿がなかったから、何処に行ったのかなと思って……」


 どうやらそれで探していたらしい。要らぬ心配を掛けたと胸の内で謝る。


「……眠れなくてな」

「どうして?」


 言って、靴を履いて外へ出てくる由緒。薄着に一枚羽織っただけの彼女は、その時通り過ぎた風に長い髪を押さえながら隣に立って空を見上げる。

 ……まぁいい、もう少し気持ちを落ち着けるとしよう。

 考えて、それから出しかけた足をそこに縫いつけたまま、廊下の欄干に背中を預けて答える。


「……ほら、楽を追い駆けるって言っただろ? その為には今より未来の時間に行かなくちゃいけなくて、それが場違いにも楽しみだって思ったらな…………」

「小学生じゃないんだから」


 誰もが想像する例えは同じかと。有り触れた比喩に小さく笑って胸一杯に夜風を吸い込む。

 少しだけ生まれた間。その沈黙に、何かを考えていたらしい由緒はそれから音にする。


「……私もね、眠れなくて。……いや、違うかな、寝てたけど、夢を見て…………」

「夢?」

「うん」


 由緒の声にそのまま聞き返せば、それから深呼吸する間を開けて彼女が紡ぎ出す。


「この頃よく見るんだ、夢。しかも同じようなの……」

「……どんな夢か聞いてもいいか?」

「それがね、何だかよく分からないんだよね。私はそんな事した事無いのに、まるで経験したみたいに現実味を伴って感じるの。……よー君やみくちゃんと、戦ってるんだよ?」

「俺と?」

「おかしいよねっ」


 確かに変な話だ。予知夢と言うのならばまだしも、経験したように感じるという事は似た出来事に相対してそれが重ならなければ難しい気がする。

 それとも夢を夢と気付いたまま、知らず受け止めているからそう感じるのだろうか?


「明晰夢とか?」

「……なんだっけ、それ」

「夢の中で夢だと分かって、自分の思った通りに事を運ぶ事が出来るやつ。脳が半分覚醒してると起きるらしいけど」

「んー、それとは違うかも。……例えば訪れた事がない場所なのに、知ってるとか」

「どっちかと言うと既視感(デジャヴ)に近いか……」


 似たような話をクラスメイトに聞いた事がある。

 その人はよく夢を見るらしく、けれど起きてもあまり覚えていなくて。しかし意識の深いところにその記憶はあるのか、ふとした拍子にその夢と重なる景色に会うと、既視感のように思い出すらしい。

 同じような景色を前に経験した。この後どうなるのか、朧気に分かる……。

 それは視点を変えれば未来視や予知夢とも言うべき現象だろう。ところ変わればそれは前世での記憶とかオカルト染みた話にも発展したりするが……。

 夢で見た事が後の経験で再現される。異能力的に言い換えれば、未来予知だろうか。


「由緒の場合は逆だよな。夢の中で既視感に会う……。普通は起きて生活してる中で経験するものだけど……」

「…………夢、って言うと、みくちゃんが言ってたよね。異能力を持つ人は、よく夢を見るって」

「そうだな……」


 由緒の言葉に、それから色々な事が一つを中心に繋がっていく。

 脳。夢は、脳の覚醒で見るものだ。その活動が活発になるのなら、異能力は脳に影響を及ぼす力と言う事になる。

 前に未来が言っていたが、彼の父親……透目(とうもく)さんの異能力である『記憶操作(メモリーマネージ)』は、時空間移動能力保持者には効果がないと。そもそも記憶を覗くのは脳に干渉する行為。更に言えば未来や由緒の異能力の発動だって記憶……脳の機能に因るところが大きい。

 楽の『催眠暗示』だって、言わば暗示。深層心理や精神に干渉する技で、やはりそれもまた脳に深い繋がりを持つ。

 異能力は突然発現する病気のようなものだとも言っていた。記憶や意識を司る脳に外部から何かしらの影響があれば、そうして異能の力を手にする事も別におかしくはない。

 未知のブラックボックスだからこそ広がる想像の翼。それが真実かは横においても、少なくとも何かしらの関係はあると考えるべきか……。


「ほんと変な夢なんだよね。私の体は別の場所にある感じがするのに、視界とかそういう感覚だけは体とは別のところにあって、それが未来ちゃんたちを襲ってるの。……まるで私の意識が誰かの中に入って悪さをしてるみたいに。同じ夢を前にも見たんだよね」

「……それはいつ?」

「えっと…………よー君の家で目が覚めたとき。ほら、えっと……泣いて、抱きついちゃったとき…………」

「……あ、あぁ。あれか…………」


 それは誘拐された由緒を助けて戻ってきた後。未来と二人、要の部屋で話をしている時の事だ。目が覚めたらしい彼女は部屋にやってきて、かと思うといきなり泣き崩れて要に問い掛けたのだ。


 ────……本物、だよね……?


 あの時は、何の事かと思ったけれど…………。いま少し冷静になって色々な事を俯瞰して考えてみると、想像でなら語る事が出来る。


「あの本物かって言葉……あれと関係があるか?」

「……うん。私のね、記憶違いじゃなかったら、あの時に見た夢の中で、よー君やみくちゃん襲ってたのは…………よー君だったの」


 確認のように問えば、彼女はおかしいよねと笑って答える。

 確かに由緒は信じたくないだろう。幼馴染が悪さをしている。それを偽者だと考えたくなっても仕方がない。だから目が覚めて要に本物かと問うたのだ。

 けれどその言葉を、要は真っ直ぐに受け止めて返す。


「おかしい、なんて事はないさ。きっとそれは、その通りだから……」


 可能性の話、だ。

 要は、『音叉(レゾネーター)』を使い由緒の異能力を利用しながら《傷持ち》として色々な事をして回った。だから例えば、知らず要と繋がっていた彼女に、《傷持ち》として歴史再現をする要の感覚が幾つか残っていても不思議ではない。

 あの時の由緒は、楽に操られていた。後催眠暗示で精神に穴をあけられていたのだ。言わば心の壁を取り払われた状態で、脳に関係を持つだろう異能力を使えば、そこに他人の記憶が介在して刻み込まれてもおかしくはないのかもしれない。

 それを彼女は、既視感のように夢に見た。要のした事を、自分のした事と誤認して記憶の整理の中で思い出してしまった。

 それが彼女の語る、嫌な夢なのだとしたら…………。


「その通りって……」

「……迷ってた。言うべきか、言わないべきか。けどいい機会だから真実を言うよ。…………《傷持ち》は、俺なんだ」


 戒めるように。胸の奥に疼く傷跡を撫でながら、右手首の甲の側に走った生々しい傷跡を由緒に見せる。その引き裂いたような赤黒い切り傷に、由緒は驚いていた様子だったが、やがて徐に手を取ると指先でなぞるように優しく触れる。


「……痛くない?」

「少し刺激に過敏にはなってるかもな。傷口は塞がってるから特別どうって事はないけど」

「嘘じゃ、ないんだよね?」


 少しだけ辛そうな由緒の瞳に、真っ直ぐ見つめ返して頷く。


「…………《傷持ち》として未来を襲ったのも、由緒を誘拐したのも、俺だ。その上で、由緒の異能力まで悪用して、悪さをした。許してくれなんて言うつもりはないよ」

「……じゃああの夢の事は、よー君が経験したこと?」

「そうだな」

「そっか────よかった」


 よかった、なんて。けれど心のどこかで、その言葉に救われた気分になる。


「知らない誰かじゃなくて……」

「それでも、俺が倫理に反した事をしたのは覆しようがないけどな。楽を刺したのも、俺だ……」

「…………でも、本当にしたいとは、思ってなかったんだよね?」


 被ろうとした悪者の鍍金が、由緒の手で剥がされていく。


「夢を見てるときにね、時々流れ込んで来るの。自分を殺して、仕方ないことだって言い聞かせて、嘘を吐き続けてる心が……。だから、それはよー君が望んだことじゃないんだよね?」

「……………………」


 嘘を吐く気がなかったといえば嘘になる。それで由緒の事を守れるのならば、それだけの泥は被るつもりだった。けれどそれさえも見通して、彼女は隣で優しく笑う。


「……辛かったよね、痛かったよね。でも、そんなの一人で背負わないでよ。私だって、同じように使われた……共犯者だよ?」

「由緒を巻き込むわけには…………」

「だったら、私を悪者にしたくなかったら……よー君も悪者にならないで?」


 自分を許せと。全く、由緒は酷い事を言ってくれる。許せないから、こんなにも苦しいのに。

 けれどそうして言葉にされたからか、肩の荷が下りていく。張っていた緊張と戒めが、僅かに薄くなる。

 本当に、許すわけではない。ただその業を背負ったまま、沢山の言い訳を並べ立てるだけ。胸を張るのは間違いかもしれないが、正当化は要の得意分野だ。

 雪解けのように胸の内の蟠りが全て解かれて、心地のいい感慨で埋め尽くされる。

 同時に、渦巻いていた迷いも消えていく。それは由緒の心に許された証────六根清浄の夢の思い出。


「……そうだな。そうするよ」

「んふっ。……あ、冷たい」


 観念したような要の呟きに、由緒は小さく笑って慈母のように要を抱きしめる。そうして耳元で囁かれた音に戻るべき場所を思い出して落とす。


「少し冷えたかもな……。風邪引きたくないし、戻るか」

「ん……」


 頷いた由緒は、それから要の手を引っ張って部屋へと戻る。僅かな町と月の明かり差し込む居間の中、横になって眠る未来が足音にか身動ぎして寝返りを打つ。その事実に、布団に戻りながら気付く。

 ……きっと未来も、起きていた。その上で、気を遣ってくれたのだろう。思えば、その気恥ずかしさに冷えた顔が熱くなって。逃げるように布団を頭から被る。

 ……駄目だ、今夜は余り、寝られる気が、しない…………。




 いつの間にか落ちていた意識。瞼の奥に光を感じて覚醒と共に目を開ければまだ少し体が重い。

 仕方ないか……。思い返せば、布団に入ってから30分ほど寝付けなくて転がりまわっていたのだ。由緒にも気が散って眠れないと小言を貰ったほど。

 けれどやっぱりそれは仕方の無い事だと溜め息を吐いて言い訳を投げる。

 ……考えるだけ深みに嵌る。これ以上はやめよう。

 言い聞かせて、それから体を持ち上げれば背中に感じた衝撃に前のめりに声が漏れる。


「どふっ」

「おっはよー君っ」

「……おはよう、由緒」


 朝から元気なことだ。後お願いだから早く離れて欲しい。そうでなくともこちとら正真正銘男で、生理現象燻る起き抜けなのだ。面倒事は起こさないに限ると。

 意識して背中の柔らかい感覚を脳裏から排除し、後ろから回された細い腕を優しく解く。


「……未来は?」

「朝ごはんの買い出し行ってるよ。だから二人っきりっ」


 嬉しそうな響きに僅かに染まった頬。綺麗に整った大和撫子の微笑を直視して、思わず顔が熱を持つのを感じる。

 普段天真爛漫に振舞っている分、こうして淑女然として柔らかい雰囲気を振り撒く彼女は新鮮で。ギャップの美学と言うなら、きっとそれを狙っての由緒の思う壺なのだろう。そう言う頭の回転の仕方はもっと別のことへ使えばいいのに。いや、だから由緒が由緒たる所以なのだろうが……。

 考えても仕方のない事を考えつつ立ち上がれば、畳に座り込んだ由緒が呆けた顔で見上げてくる。


「……どこいくの?」

「着替えだっ。後顔洗ってくる」

「手伝ってあげようか?」


 答えるのも馬鹿らしい気がして溜息と共に視線を外せば服を持って脱衣所へ。部屋に入る前、視界の端で捕らえた由緒はやはりどこか楽しそうに笑みを浮かべていて。……一体何が楽しくて朝から要にお節介を焼いてくるのだろうか。やはり夜の事が原因か。

 鏡を目の前に自分の顔を見つめて思い至る。

 由緒の常軌を逸したような先ほどの言動は、夜中のことと、それから要がこれから向かうべき未来に対しての彼女なりの心配なのだろう。

 秘密にしていた事を共有して、互いに認め合って。それから要は歴史を再現しに未来の過去……要が未だ到達したことのない未来へと向かう。その事に、由緒はきっと不安なのだ。

 例えそれが歴史に肯定された正しいことでも、もしかしたら危険が及ぶかもしれない。それこそ《傷持ち》の時のように、一度失敗する事が正しい歴史かもしれない……。そんな想像をしてしまったから、それが余りある心配になってお節介へと昇華したのだろう。

 心配を掛ける事に関して言えば、確かに要だって余りいい気分はしない。これまでも由緒を振り回してきて、癒えない心の傷を幾つも刻んだ。それがあるからこそ、今更と言う気持ちとこれ以上はと言う葛藤が渦巻いて、後者に傾いた良心が彼女の心配を嬉しくも思うのだ。

 帰ってくるべき場所がある。誰だって当たり前のことなのに、特に未来と関わったからか意識をするようになった。

 ありえない非日常は、日常がないと非日常足りえない。日常があれば、それは本来居るべき場所で、帰る場所なのだ。

 つまり箍の外れた非日常は、いわば夢のようなもので……いつかは決別するべき幻想なのだ。

 それを例えば、子供の夢と言うならばそうなのかもしれない。少年よ大志を抱け、なんて、少年だから許される方便だと。

 もう直ぐそこに迫っているかもしれない事件の解決に少しだけ寂しくなりながら、着替えて顔を洗い終えると廊下へと戻る。


「ぅわぉ、びっくりした……」

「おっと、ごめん」


 と、丁度買出しから戻ってきたらしい未来と鉢合わせをして口をついたのは謝罪。大丈夫と笑った未来はそれから袋に手を突っ込んでお茶を差し出してきた。


「起こしてくれれば俺が買いに言ったのに」

「お兄ちゃんにはこれからやってもらう事があるからね。休息は義務だよ」


 言って居間へと向かう未来に並んで歩けば、部屋に入ったところで視界にいきなり白い物が飛んできた。

 油断の所為か咄嗟によける事もできず顔で受け止めれば首ごと後ろへ僅かに持っていかれる。直ぐに手を伸ばしてそれを顔から剥がせば、感触と再び目にしたそれが枕だと教えてくれた。

 当然、枕が一人で空中浮遊するわけもなく。向けた視線は小さく首を傾けて謝る由緒の姿を捉える。


「……違うよ? 布団を片付けようと思って、枕カバー取ろうと思ったらすっぽ抜けたの。よー君に投げたんじゃないからっ」

「まだ何も言ってないだろうが……」


 由緒の理不尽には慣れている。彼女がそうだと言うのだから追求はしない。……例え飛んできた枕にそのカバーが着いているのだとしても、由緒が要の寝ていた布団を羽織っているのだとしても、その頬が羞恥と喜悦で染まっているのだとしても……。そんなのはどうでも良い事だ。

 きっと夏の寒暖差に寒気を感じて、手近なところにあった要の寝ていた布団を羽織ったのだろう。そういう事に、しておこう。


「ほら、布団片付けるぞ」

「はーい」


 と言うか想像したくないのだ。誰だって理解したくないだろう、常軌を逸した特殊性癖なんて。

 どう考えても薮蛇な案件から話題を逸らして部屋の中を綺麗にする。

 できることならここへ戻ってくる事がないように。未練を断ち切るような思いで出来る限り自分という存在を消せば、食事も含め全ての準備を終えて未来に向き直る。


「……さて、それじゃあ頑張ってきてもらおうかな?」

「頑張ってね、よー君」

「頑張るのは前提なんだからプレッシャーかけないでくれ」


 茶化すように答えて、それから未来の差し出した手を取る。


「何かあったら昔の私を頼ってね」

「……それいいのか?」

「…………禁則事項だよっ」


 新しい肯定もあったものだと。

 先行きを少しだけ楽に想像しながら、そうして瞼を閉じる。


「過去のために未来を変えて────」


 矛盾など何処にも存在しないその言葉に見送られて、要の感覚が未来へと置換されていく。

 行くべき先は、まだ見ぬ場所。知らぬ歴史、知りえぬ未来。

 過去にして未来の歴史は、ただあるがままに紡がれる。

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