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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
紫電一閃の時空交錯
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第三章

 病院に着くとその足で(らく)の病室へ向かう。エレベーターで目的の階まで辿り着くと、静かな廊下を未来と二人歩く。

 その景色の中、廊下の向こうから点滴を引っ掛けたイルリガードル台に体を預けるようにしてこちらに歩いて来る楽の姿を見つけた。

 思わず駆け寄れば、彼はバランスを崩して倒れこんだ。床に転げる寸前で(かなめ)が受け止める。


「病室で休んでないと傷口が────」

由緒(ゆお)ちゃんが……誰かに……!」

「……は?」


 痛みを堪えるように顔を歪めた楽は、要の心配を遮るように告げる。


「何があったっ」

「さっき、由緒ちゃんが外に出て……要が迎えに来るからって……自販機のところで、誰かに、誘拐…………」

「誘拐っ……?」


 要が聞き返すが早いか、未来(みく)が踵を返して階段を駆け下りる。

 とりあえず楽を病室に送って寝かせると要も未来を追って外へ。辺りを見渡して彼女の姿を見つけると駆け寄って尋ねる。


「由緒は!?」


 問い掛けに首を振る未来。

 ……失敗した。あいつの事だから迎えに行くまで病室で待っててくれると思ったのに。とんだ予想外だ。


「楽に……!」


 止まっていてはいけないと必死に糸口を手繰り寄せる。再び病院へ戻ると楽の病室へ。

 沈んだ空気の中呼吸を整えて尋ねる。


「楽は見たんだよな? 由緒が誘拐されるのを」

「……あぁ。ここから見てるだけしか出来なかったけど…………黒尽くめだった」

「楽の次は由緒か……」


 拳を握って俯く。

 あいつは、黒尽くめの目的は要のはずだ。未来が一度応戦した時にあいつは確かに要に用があると言っていた。

 だとしたら、楽や由緒を狙う理由は……。


「くそがっ……」

「要っ!」


 感情に任せて立ち上がると病室を飛び出そうとする。その背中に楽の呼びかけが突き刺さる。


「幾ら由緒ちゃんが心配だからって要が飛び込んでいくのは違うだろっ。そういうのは警察に──」

「分かってる! けど俺の所為だっ。それにあいつは、俺に用があるらしいからな…………!」

「要っ!! ……ったく、未来ちゃんよ、あいつの事頼む」

「うん」


 こんな事は間違っている。そんな事は分かりきっている。

 別に本当に行動に移そうだなんて思ってはいない。けれど何かに衝動をぶつけたくて。自分の不甲斐なさを噛み締めるのが嫌で……それに由緒や楽を巻き込んでいることが悔しくなる。

 大体何で俺が狙われなきゃならないんだよっ。


「お兄ちゃんっ」


 病院の敷地を出たところで未来に腕をつかまれてようやく足を止める。

 背後から聞こえる荒い息遣いに余計に自分の惨めさを知って掴まれた腕を振り払う。


「…………分かってるよ。俺が何か出来るわけじゃないって。けど悔しいだろ! 意味は分からないけど俺の所為で由緒や楽まで危険な目にあってるっ。だったらこれくらい──」

「……本当に、悔しいって思ってる?」

「思ってる!」

「どうにか出来るなら、してみたいって思う?」

「思う!」

「だったら一回落ち着いて。あたしの話を聞いてっ」


 真っ直ぐな彼女の声が辺りに響く。はっとして振り返れば、彼女は橙色の瞳で要のど真ん中を射抜く。


「犯人が黒尽くめならそれはあたしの問題でもある。あたしは過去改変を防ぐためにここに来てる。だったら目的は同じだよ。あたしにも力にならせてっ」

「未来…………。本当、だな? 本当にどうにか出来るんだな?」

「出来るんじゃない、するのっ。どうにかするの! だからそのために、お兄ちゃんの知恵も貸して」

「……分かった。…………それから、ごめん」

「いいよ、大丈夫。些細なことだよ」


 女の子の手を跳ね除けてまで願った後悔を払拭するための自己満足だ。

 だったら……一度願った事を曲げてなるものか。

 それが由緒のためならば、是非もなく。嘘も失敗も許さない。

 競り上がった激情をどうにか押さえ込んで一つ自分を納得させる。

 要が目的だとするならば楽は見せしめで、由緒は人質だ。ならばとりあえず由緒に危害を加えるような事はしないはずだ。

 人質は生きていてこそ意味がある。いや、生きているように振舞う事に意味がある、のか。

 落ち着いてきた思考がいつも通り冷酷な判断を下す。

 そこばかりは犯人の思惑の範疇だ。要が想像したところでそうであると言う保証はどこにもない。

 ならば都合のいい景色を想像して前へ進む糧とするだけだ。

 深呼吸一つ。それから静かに足を出す。

 まずは落ち着いて諸々の準備だ。計画もなしに由緒を連れ戻すなど愚策。

 冷静は何よりも鋭い現状打開の知恵だ。感情は熱い力、策は様々な道具。持てる知識と現状で、現実を覆す。非日常に焦がれてそれさえも日常にしてしまわないように生きることが要にとっての楽しみだ。

 だったら武器を振り翳して今の非日常を演出してくれる他愛ない日常を守るだけ。

 考えて、未来と家に戻るとポストに一枚の紙切れが入っている事に気付く。

 手にとって確認してみれば、そこには()()ぎの文字で綴られた犯人からの脅迫文書。


 ────明日の夜七時に、遠野要だけでショっピんグセんター前の廃ビるへ来イ。お前ダけデ来なケれば由緒ヲ殺ス


 由緒を殺す。その文言に小さく笑う。

 この言葉に嘘も他意もなければ由緒はまだ生きている。

 だとしたら、やはり要にはできることがあるのだと。根拠のない自信で自分を奮い立たせて家に戻る。

 迎えた結深の笑顔にいつも通りを装って答えれば、未来も仲のいい兄妹のように振舞ってくれた。

 夕食と風呂を終えて未来に尋ねる。


「それで、何か策はあるのか?」

「……少し考えさせて。まだお兄ちゃんに言ってないこともあるし、それもちゃんと伝えないとだから。明日の朝、まとめてでもいい?」

「分かった。俺も少し考えてみるよ」


 彼女の返答には何か思うところがある様子で、何やら悩んでいる風だった。

 要自身も今日は色々なことが起こった所為でまずは整理したい。黒尽くめとか、未来とか、彼女がやってきた理由とか。

 どうして、要なのかとか。

 考えたところで少ない情報では殆ど答えなど見つからないだろうが、未来の説明を受けるとき起きた事を理解していないのでは彼女の足を引っ張る事になる。

 要に出来る事は少ないが、それでもすべき事は確かにあるのだ。

 自室に戻ってベッドに転がると天井を見つめながら考える。

 望んだ非日常。望まなかった景色。

 混在するそれらが日常と非日常の狭間で揺れて感覚を曖昧にさせる。

 物語の中に住んでいるような感覚を味わいながら、これは現実なのだと実感する。

 現実だから、これは日常であり非日常だ。狂った世界の狂った景色だ。

 そして一番狂っているのは、それを楽しんでいるのだろう要自身だと。

 客観視して胸の疼く衝動に狂喜さえ滲ませた笑みを浮かべる。

 さぁ、始まれ。そうして俺を、非日常へと誘え。

 日常さえ分からなくなるほど曖昧な時間の中で、要が要である事を実感させてくれ。

 歪んだ自己愛に陶酔してその先を求める。

 非日常の中で、俺は俺であることが出来る。俺は俺を認めることが出来る。

 他人に認められない俺自身が出来上がる!




 起きた出来事を頭の中で整理しているといつの間にか睡魔に囚われたらしい。

 覚醒した意識の中で昨日とは違う今日を噛み締めながらリビングへ下りる。

 いつもより少し早い時間。まだ母親が朝食を作っている頃だろうかと台所の方を覗けば、そこに立っていた姿に少しだけ驚いた。


「何だ、未来か……早起きだな」

「何だって酷いね……。早起きなのはお兄ちゃんも一緒でしょ? おはよう」

「あぁ、おはよう。楽しい一日になりそうだな」

「あたし、事件を楽しんでる当事者なんて初めてかも。普通こういう事に気付いた人たちは怯えちゃうから……」

「何でだよ。だって漫画みたいじゃないかっ。楽しいに決まってる」

「流石お兄ちゃんだね」


 彼女も彼女で緊張などとは無縁そうな笑顔を浮かべる。

 その可憐な表情に、慣れない距離感に思わず照れて視線を逸らす。

 彼女に助けられてから……いや、病院で彼女と目的を共有してから、未来の事を妹だという認識は薄れてきている。

 彼女は未来人だと語ったし、時空間事件解決のためにこの時代に来てるのであってそれが終わってしまえば元の未来に帰る身だ。いつまでも要の妹で居るわけではない。

 その上この現実離れした色彩を纏う綺麗な少女だ。美人は三日で慣れると言うが、彼女は長く妹で居ない……いつかは別れる事を想像してしまう以上、きっと彼女に慣れる事は無いのだろう。

 だからこの小さな戸惑いも、短いのだろう彼女との思い出の一部だ。彼女と別れた後も、この景色を覚えているのかどうかは怪しいが────


「朝食か?」

「パンにハムエッグ、サラダなんだけど……昨日の朝も洋食だったから大丈夫かな?」

「あぁ、母さんは朝は和食は嫌なんだって。ご飯を喉が通らないとかで。だから家は昔から朝はパン食」

「そっか。だったらよかった」


 笑顔の仕草。肩の跳ねる動作に身につけたクリーム色のエプロンがひらりと揺れる。

 たったそれだけの、きっと普通の景色。

 なのに彼女がそうしているだけで、まるでそれが異世界のように感じる。

 どうやら周りの風景よりも、そこに立つ人物にこそ世界が秘められているらしい。


「手伝うよ。サラダはまだ?」

「生野菜をちょっと綺麗に飾るだけだもん。あたしはサラダは料理じゃないと思うんだよね。あれは芸術品だよ」

「その感覚は少し分かるかも」


 洗面台で顔と手を洗って身支度をすると棚から四人分の皿を取り出す。

 少しだけ重たい皿の数。これまでは二人分だったそれが倍に増えた重み。

 きっと僅かだが一緒に居られる四人の時間。その非日常が楽しくて、一枚一枚丁寧に準備する。


「よし完成っ。お父さんたち起こして来るね」

「頼むよ」


 階段を上がる足音に静かな家の中を見回す。

 窓から差し込む朝日。風に揺れるギンモクセイの葉の影。

 要の非日常を彩る、日常。

 この景色も、こうしてみると何故かいつもと違う色に見えて少し新鮮に感じる。これも未来達が来て要の価値観が揺さぶられた証拠だろうか。

 考えつつ、耳に階段を下りて来る三人の足音を聞く。

 振り返った視界でその姿を視界に収めていつも通りの要を演じる。


「おはよう」


 朝はいつも通り。歯車が狂うのは、この後だ。




 朝食を終えて母親は会社へ向かう。

 既に今日から仕事らしい。透目も結深に続いて家を出て行く。

 そう言えば彼は未来人だ。この現代……彼にとっての過去では一体何をしているのだろうか?

 考えつつ、未来に連れられて彼女の部屋へ。二度目の招待に、朝感じた慣れない距離感が少しだけ居心地を悪くさせる。

 そんな要の心中を知ってか知らずか、きっと彼女はいつも通りで口を開く。


「……さて、どこから話をしようか」

「…………由緒の家には連絡してあるし」


 呟いて思い出す。

 それは昨日の夕方、家に帰ってきてからのこと。

 未来との少ない会話で、由緒の事は彼女の家族には知らせないと言う結論に至った。

 犯人について、少なからず知識のあるだろう未来は、警察では彼を捕まえられないと語った。その上で、心配をかけないように、由緒は未来との親睦会と称して要の家に泊まっている事になっている。

 余り深く勘繰られなかったのは幼馴染としての信頼か。そこに関しては少しだけ感謝だ。


「やっぱりあたしのことからかな?」

「……そうだな」


 昨日からずっと保留にしていた彼女自身について。

 彼女が未来人であり、異能を持っている事に関しては既に要も知っている。

 けれどどうして彼女が未来から来たのか……どんな時空間事件を追っているのかと言う詳しい話も、どんな異能力を持っているのかと言う話も聞いてはいない。

 それについて語るには時間が必要だと彼女が言ったのだ。だから今日まで待った。


「とりあえずあたしは未来人で、異能力保持者。この時代で起きる時空間事件を追って過去に来た。そこまではいいよね?」

「あぁ」

「それじゃあまずはどうしてあたしが今ここにいるか、その話から始めようか」


 未来の言葉に息を呑んで頷く。

 顔を伏せた彼女は、それから静かに語りだす。


「言えないところは誤魔化すからその都度納得してね。……あたしは未来で予知を受けてやってきた。予知の内容は、もう過去になったことだからお兄ちゃんにも話しておくけど…………お兄ちゃんがあの病院で何者かに襲撃されるって事だよ」

「なるほど……だからあの時黒尽くめは俺に用があるって……」


 黒尽くめの思惑はまだ分からない。ただしあの襲撃は既に決まっていたものだったということだ。


「黒尽くめってのも何だかね……。こういう場合なにか通り名的なのをつけるのが一般的なんだけど」

「…………傷、を持ってるから、《傷持ち》とか?」

「お兄ちゃんがそれでいいならあたしは構わないよ。それじゃあ今後犯人の事は《傷持ち》で」


 そんなに軽く決めていいものなのかと少し呆気にとられる。


「《傷持ち》の襲撃の理由で分かってるのは一つ、お兄ちゃんって事。あの人にとってお兄ちゃんがなにか重要な意味を持ってるって事……。今のあたしから見るとあまりそうとは思えないけど…………」

「……異能力。……例えば今後俺が開花する異能力が、とか」

「……………………」


 要の言葉に無言で視線を逸らす未来。

 どうやら違うらしい。と、それから悲しい事実。要は恐らく異能力を開花しないらしい。少しだけ要の想像した非日常が崩れ去る。


「とりあえずそれは置いておこう。あたしはそんな理由が定かじゃない《傷持ち》を捕まえるべく未来から来たの」

「…………あれ、予知したのは俺が襲撃される過去、そこに未来が居る未来な訳だよな? となると楽や由緒の事は……」

「それに関しては本当にごめんなさいっ。予知ってのは万能じゃないの。記憶の未来を覗くって事は、その人が認識するだろう未来しか予知できない。だから楽さんが刺された時も、由緒さんが誘拐された時も、そこにあたしは居ない。だからそれを予知することはできない……。変える事は、出来ない」


 そうか、少しだけ分かってきたぞ。

 彼女の語る予知ってのは所謂正夢みたいなものなんだ。

 自分が関わっている未来を断片的にしか見えない。だから万能では無いと、そういうことか。


「いや、分かったからいいよ。それに起こった事だ。今からどうにかしたって……。あれ、起こった過去……? 起こる未来?」

「あぁ、認識の差異だね。予知を受けたあたしにとっては起こる未来、未来の出来事を知らないお兄ちゃんにとっては起こった過去。けど、予知をした時点でそれは確定した未来だから、変えられない景色なの」

「変えられない予知か……」


 予知と言うのはファンタジーの中では未来の景色で、行動によって変わるものである事が多いが……。


「変えられないわけじゃないよ。ただ今回は絶対に変えてはいけないってだけ……」

「うん……?」


 またややこしい言い回しだ。

 変えられるけど変えてはいけない?


「つまり変えちゃいけない景色だったから変わってないし、こうして今も未来に守られてることが正しい景色って事?」

「……そうだね」


 頭が痛くなってくる。が、これは正しい景色なのだということで納得しておく。要自身は無事なわけだしとりあえずはそれでいい。


「変えちゃいけない予知、変えちゃいけない過去。それを変えようとしたのが《傷持ち》。それをあたしが止めにきた……。ここまではいい?」

「あぁ、どうにか」

「じゃあ次。えっと……異能力の話をしようか」


 異能力。超能力とは少し違うと語った彼女。

 その本当のところ。


「まずどうやって異能力を手に入れるか、そこからの方がいいよね。……異能力ってのは、望んで手に入れるものじゃないの。選べるわけでも、好きなときに身につくものでもない。本当に、病気みたいなものなんだ。もちろん異能力を手にできるのは全員じゃない、一握りの人たちだけ」

「……未来の力は?」

「あたしの異能力は『時空間移動(タイムトラベル)』。過去や未来に移動する能力だよ。色々制限はあるけど、タイムマシンみたいなものかな。この髪や瞳の色は異能力保持者の証みたいなもの。力を持ってる人はこうやって少し人とは違う見た目になるらしいの。もちろん中には変わらない人も居るけどね、お父さんとか」


 彼女は地毛だと語ったその赤い髪。橙色の瞳。

 けれどそれは異能に目覚めた証らしい。

 元は何色だったのだろうか。


「透目さんって未来の本当のお父さんなの?」

「だよ。異能力も持ってる」


 そして彼もまた未来人であり、異能力保持者だ。どんな異能力を持っているのかは必要になったときに聞くとしよう。


「制限ってのは?」

「その異能力に付随するやってはいけないこととか、出来ないこと。これが多ければ多いほど強力な能力の証とも言われてる」

「制限の平均数と、未来の制限の数は?」

「普通は五つくらいかな。少ないのは三つとかある。あたしのは……十一個」


 平均値の倍。

 確かに時空間を移動する異能力だ。例えば物を浮かせるような異能力と比べれば、格が違うのは当然でそれくらいの制限の数はおかしくないのかもしれない。


「それって全部言えたりする?」

「……言うより見てもらったほうが早いかも」

「見るって?」


 尋ねると、未来は大きなファイルを机の上に広げる。

 そこには未来の顔写真と個人情報、そして異能力に関する記述がずらりと綴ってあった。


「俺に見せても大丈夫なの?」

「履歴書みたいなものだからね。最悪記憶が消える事になるかもだけど」

「……怖い事言うなよ…………」


 消える記憶はきっと彼女達に関する事なのだろうけれども、それでも潜在的な恐怖は拭えない。

 一つ深呼吸して、それから覚悟を決めると記された文言に目を通す。

 未来と言えど日本語。どうやら言語は変わっていないようだ。


「えっと、前提条件……?」

「制限とは別の、異能力発動に必要な条件だよ」

「この異能力の過去と未来の基準は、異能力保持者が居る地点から見て先の時間を未来、過ぎた時間を過去とする……」

「難しく書いてあるけど簡単だよ。例えば今から明日の朝に移動するとして、今から見てその時間が過去か未来かって事」

「……それって普通じゃ?」

「予知の異能力は記憶における未来を覗くって言ったよね?」

「……あぁ、そうか。未来が時間移動能力を持つから、未来の記憶を覗いても過去に居るって言う未来が見えることがあるからか……」

「そゆこと。当たり前の事だけど重要だよ。だってあたしの能力は未来であるか、過去であるかの基準が大切だから」


 今回の話で例えると、未来は予知を受けてこの時代に来た。この予知は未来の記憶に対する予知で、その時点から未来の視点で考えれば未来に起こる事象だ。

 けれどその予知は、未来が歴史的に過去で起こす景色。未来個人の視点から言えばまだ見ぬ未来で起こる出来事だが、歴史的な時間で見れば予知を受けた時間から考えて過去に既に起こった出来事だ。

 だから今回の場合未来を予知されても、その未来に行くには過去への時間移動が必要と言うこと……。

 ややこしいが、きっとこの解釈で合っているはずだ。


「で、その下からが制限だね」

「制限①、この能力は明日見未来だけが移動する事は出来ない、って、え……?」

「そのままだよ。あたしはあたし一人では過去にも未来にも行けない。移動するには、ほら次」

「えっと、制限②、この能力には同行する時間移動者の存在と、移動先の場所の記憶と時間の指定が必要になる……」

「ややこしい事にね、時間移動をする際はあたし以外の力を借りないといけないの。例えば病院から家に戻った時の事を思い出して? あたしちゃんと言ったよね? 目を閉じて、家を思い浮かべてって」


 そういえばそんな事を言っていた気がする。あれが必要な条件だったということか。


「この時間移動の力はね、知っている場所と時間を基準点に移動する異能力なの。けどその反面便利な事に、過去だけじゃなく未来にも飛べる。もちろん知らない場所には飛べないけどね」


 確かに便利といえば便利だ。一人で飛べないとは言え場所と時間さえ分かっていれば時間旅行し放題なのだから。

 

「なるほど。で、制限③、同行者だけが過去へ移動する事は出来ず、過去への移動は未来も一緒に行わなければならない……。えっと、過去に飛ぶ時は二人で一緒にって事だよな。未来には一人でも行けるってことか?」

「行けるよ。但し行くことができるのはその同行者だけになるけどね……。ほら制限①、あたしだけで移動は出来ない。けどそこに同行者は含まれないでしょ?」

「そいつだけで未来に行ってどうするんだよ……」

「そこがこの異能力の使い道って事だよ。……さっき予知された未来は変えちゃいけないって話をしたよね? けどそれが予知をしていない未来だったら…………?」

「未来を変えることができる──。けどそれって未来で何が起こるか知ってないと変えられないんじゃ? 変えても何が変わったか分からないんじゃ?」

「そのための予知で、予知した未来は変えちゃいけない……。未来から来た者は未来の事を明確に告げてはいけない……。よく出来てるよね」

「もし、予知した未来や決められた過去を変えたら……?」

「タイムパラドックス────歴史は変わり、世界は歪む」

「……なるほど、親殺しのパラドックスか」


 親殺しのパラドックス。

 過去にいけると仮定して、自分が生まれる前に自分の親を殺すとしよう。すると自分は生まれないから、過去に行って親を殺すことが出来なくなる。結果自分は生まれて、過去に行って親を殺す。親を殺すと自分は生まれず……と言う有名な永遠に続くパラドックスだ。

 この解釈として幾つかの理論が存在する。

 親を殺すことが歴史的に決まっている決定論。既にその過去改変が歴史によって肯定され、織り込み済みの歴史として認識されるというもの。

 この論で行けば、未来は幾つかに分岐する。

 その一、宇宙消滅。ありえないことがおきたために世界が崩壊するという、所謂(いわゆる)丸投げエンディングだ。大抵の場合、それを防ぐために物語は進むわけだが……。

 その二、多世界解釈。親を殺した瞬間、世界は分岐し、自分が生まれる未来と生まれない未来の二種類が並行して存在するというもの。この場合、親を殺した自分は世界の矛盾に巻き込まれて消滅したり、未来に戻ってもそこは元居た未来では無いなど、認識の齟齬が発生するというものがある。

 また、それとは別の結論として、過去に行こうとするが行けなかったり、行った先で過去を変えることが出来なかったりと言う問題が起きる、過去は変えられないという前提に成り立つ話。

 それから過去への干渉は出来るものの、結果的にその改変はなかった事にされるという修正力の働くもの。

 未来の言う歴史が変わり、世界が歪むというのが、どんな結果を齎すのかは分からない。

 が、少なくとも予知した未来を変えれば大変な事になるのは確かだろう。


「それから一人で未来に行った場合、移動先の時間に時間移動能力保持者が居ないと原則戻って来れない」

「それはそうだな。けど原則って?」

「読んでいけば分かるよ」


 なるほどそこに別の制限が絡んでくるという話か。


「えっと、制限④、時間移動者は移動先の現代人に自分がいつの未来から来たか、これから何が起こるかを明確に告げてはならない……そっか、これが理由で未来はいつから来たとか言えないのか」

「明確にはね。未来から来た、くらいの事は言えるよ。もちろん普通それだけで信じては貰えないから戯言扱いされるんだけどね」


 過去にそれで嫌なことでもあったのだろうか。

 少しだけ視線を寂しくさせた彼女は、それから静かに次を促した。


「……制限⑤、移動先の現代人に直接危害を加えてはならない」

「まぁ当然だよね。さっきお兄ちゃんが言った親殺しのパラドックスって話が存在するように、移動先で何かアクションを起こせば歴史が変わる恐れがある」

「直接ってのは? 間接的ならいいって事?」

「抜け道だよね。例えばあたしが今お兄ちゃんに結深さんを殺してと唆して、それで結深さんを殺したとしても歴史に影響は無い。だってそれはこの時代に生きるお兄ちゃんが犯した殺人だもの」

「…………嫌な想像させるなよ……」

「例え話だよ。それから重要なのは、現代人に危害を加えてはならないって事」


 現代人。その言葉が引っかかって直ぐに思い至る。


「そっか、今未来が透目さんを殺しても透目さんは未来人だから制限には引っかからないって事か」

「……何、仕返し?」

「…………何の事?」


 とりあえず惚けてみる。

 これ以上は危ない。深く考えずに次だ。


「で、次が制限⑥、時間移動者が移動先の時間軸で本人に名指しで呼ばれてはならない。……あれ、これって」

「そう。時間移動者は同じ時間に二人以上存在できる」


 普通タイムトラベル物では過去の自分に接触すると歴史が変わってしまうというのがよくあるが、未来の異能力の場合はそれはOKらしい。その代わり制限④で未来の出来事を教える事は出来ないし、制限⑤で直接危害を加えることも出来ないと。

 確かによく出来ている。


「名前を呼ばれるとどうなる?」

「制限に抵触する……。抵触したらどうなるかは下に書いてあるから次行って」

「制限⑦、この異能力の移動の際、移動先の時間軸に未来が二人以上重なる事は出来ない」

「あたしの能力はあたし自身が重なっちゃいけないの。だから重なることができるのは同行者だけ」

「……それじゃあ例えば、既に未来の居る過去には二人ともいけないって事?」

「そうだね。制限③、同行者だけが過去にいけない。つまりあたしの異能力で過去に行く時はあたしが居ない時間にしか飛べない」


 これは面倒臭い。先程時間旅行がし放題だと脳裏を巡ったが、その行動範囲は随分と制限によって限られているようだ。


「やっぱりこれも重なると制限に抵触する事になる?」

「いや、これは例外。まず重なるってなった瞬間に異能力自体が不発になる。移動すら出来ない。だから特にデメリットは無い、けどその時間にいけないって言う退路や進路を一つ断たれる」

「なるほど……」

「だから過去に行く時はちゃんといつなら大丈夫かとか覚えとかないといけないの。じゃないといざって言う時にパニックになるから。……犯人を捕り逃すってこともあるだろうし」


 時空間事件を追って解決する彼女にとっては死活問題だろう。

 彼女と手を組むなら、その記憶を共有して彼女の負担を減らしたいものだ。


「それじゃあ次」

「制限⑧、他者の時間移動能力で移動し、同時間軸に未来が二人以上存在していると異能力自体が発動しない。……他者?」

「おかしい事じゃないでしょ。別に異能力を持つのがあたしだけって訳じゃないし。中には同じように時間移動出来る異能力保持者も居るよ。あたしが知ってる限りだと、もう一人だけだけど」

「……それって他に居るかもしれないって事?」

「多分居ないと思うけどね。異能力の発現時期に関しては『Para Dogs(パラドッグス)』が観測できるから」

「その観測って未来の時間にも範囲は適応される?」

「少しだけなら。それこそ予知みたいなものだよ」


 次々に増える情報にどうにか追いつきつつ、それから脳裏を巡った疑問を言葉にする。


「……制限ってその異能力(ごと)に違うんだよな?」

「そうだね」

「ってことは時間移動をして過去に来た未来には、その異能力の制限がついてるって事だな?」

「うん」

「その上で、未来が病院から家に異能力を使って飛んだ……。この場合ってどうなるんだ?」

「う~ん……? どうって?」

「えっと……」


 頭の中では納得できているのに言葉にするのは難しい。

 こういう時は……そう、数学の図形問題と同じだ。一度図を描けばいい。


「紙とペンある?」

「んと、……はい」


 受け取った紙に想像している景色を描く。絵はうまい方では無いが理解するには記号でも構わないのだ。

 棒人間を三人。Aさんと未来と要だ。顔の部分に分かりやすく名前を振る。

 そこでようやく違和感が形となってそれを説明しようと言葉が浮かんで来る。


「……前提として未来のほかにAさんって言う未来の言うもう一人の時間移動能力保持者が居るとして、そのAさんの力で未来と透目さんが僕の目の前……過去に来たとするよ」

「うん」

「その状況下だと、未来と透目さんにはAさんの異能力の制限の幾つかが掛かってるわけだよね? ……例えば──自分の名前を言えないとか」


 繋がる。彼女が語った言葉が。

 彼女は昨日、黒尽くめ……《傷持ち》に襲撃された後、この部屋で語った。

 既に自分の名前を言えると。けれどそれまで彼女は自分の名前を言えなかった。

 つまりあの時部屋で話した未来には最初に掛かっていた自分の名前が言えないという制限が効いていなかった事になる。


「けど未来は昨日この部屋で自分の名前を名乗った。それってつまりそのAさんの制限がなくなってたって事だよね」


 未来の目が驚きに見開かれる。

 いや、これくらいは想像できて当たり前だ。もちろん記憶力と理解力、それから応用力の問題だが、事こういう面白い事に関して人間と言う存在は興味本位で色々な事を覚える。

 興味があればこそ、学ぶという行為は意味を成す。

 要にとってこの非日常が面白いからこそ、些細なことでも覚えておける。


「あの時既に未来は病院から家に飛んだ後だった。……これってつまり異能力の制限は重複せず、新しいものに上書きされるって事だよな」

「…………すごいね、お兄ちゃん。たったそれだけのことでそこまで言い当てちゃうなんて」

「正解なんだな?」

「……うん、正解だよ。中には例外もあるだろうけど、一般的に異能力の制限は後から受けたものに上書きされ、前のものは効果を無くす」


 Aさんの異能力で時間移動をした人物が、更にそこからBさんの異能力で時間移動をした場合、その人物に掛かる制限はBさんのものだけで、Aさんの制限の影響下からは外れるということだ。


「…………そうか。うん、ありがとう。納得した。因みに未来と透目さんはやっぱりそのAさんの異能力で過去に来たのか?」

「それは制限④に──」

「その制限④ってどこに事を発するものなんだ?」


 解消した疑問が新たな疑問を抱かせる。


「異能力を発動した時点なら、いつから来たかってのはあの病院の、あの時間だよな。だとしたらAさんの制限の影響下でないとしたら、元々過去にはいつの未来から、誰の異能力で来たかは言えるんじゃないか?」

「……それは出来ない。だって言ったよね、あたしの能力の未来と過去は、今いるこの時間から見ての基準だって。だから病院のあの時は今から言えば過去だし、あたしがいた未来ってのは、どう考えても未来だよ。だから制限④のいつの未来から来たか、に抵触する事になる。だから言えないよ」


 未来の言葉に肩を落とす。

 そう都合よくはいかないか。


「確かに今のあたしがいつから来たか、って言う話ならあの病院のあの時間って答える事は出来るけど、それは過去だからだし、制限④にもしっかりと未来って書いてあるから、未来の事はやっぱり言えない」

「そっか……今から未来の事に関しては未来からは聞けないって事か」

「話せるとあたしも一番楽なんだけどね。説明が簡単になるし。ただ既に過去になった事については言えるよ。実はこうだったんだって」

「他に未来が言える事は……?」

「…………今確定してるかどうか分からないけど、多分言わないといけないんだろうなって事は一つ」


 確定しているかどうか分からない、と言う事は彼女の認識外で起きた出来事と言うことだろう。

 例えば楽を刺したのが誰か、とか……。今から見ればあれは過去の出来事だし、それを未来は認識していないから確証には成り得ない。

 観測者がいない事象はブラックボックスだ。

 例え未来で起こる事件の犯人が分かっていたとしても、その現場を見るまでは不確定な事象と言う事。だから彼女は口には出来ない。

 逆に考えれば、彼女の語る今言えない事と言うのは今後彼女が認識する事実と言うことだ。

 未来の語る真実は、そのときいる時点から見て過去に、彼女自身が認識をした事実と言うことだ。


「なるほどね……。まぁそれは未来が話せるようになったら聞くとするよ」

「それじゃあ次ね」

「制限⑨、制限④、⑤、⑥のうち一つでも犯した場合、移動して来た時間と場所に強制的に戻される……。そっか、これがあるから未来は言いたくても言えないのか」

「更にもう一つ、次の制限も」

「えっと、制限⑩、強制送還された場合、同じ時間、場所への移動が24時間出来なくなる……。でもこれって戻された先で24時間経てばほぼ同じ時間に戻ってこれるってことじゃ?」

「制限①、この能力は明日見未来だけが移動する事は出来ない」

「あぁ、そっか……。制限⑨で戻されるのは制限を犯した人だけか」

「そういうこと。今ここであたしが制限を犯すと戻るのは病院のあの時間。そこから24時間経てば今より先の未来からここに戻ってこないといけなくなる。そうなれば、あたし一人では時間移動できないし、過去への移動だからもう一人巻き込んで戻ってこないといけなくなる」

「他に、誰かを頼らないといけないのか……。…………ぅん? そうなると今の俺は未来に飛んだ未来人って事になるのか?」

「そうだね。飛んだ時間は十五分だけど昨日家に戻ってきた時からお兄ちゃんは十五分だけ未来に生きてる。今のお兄ちゃんにも、ここまで語った制限は影響してるよ。殆どはあたしに影響があるものばかりだけど」

「俺に掛かってるのは……制限④、⑤、⑥。それから⑨と⑩の可能性か。だとしたら未来が制限⑨で強制送還されたら、俺も何かしらの制限を犯して同じ時間に戻れるって事だな?」

「……一応ね。でもそれはやめて。次を読めばその意味が分かるから」


 声を低くした未来に促されて次の項目に目を落とす。


「……制限⑪、強制送還された場合、その人物は五感の一部がランダムで12時間機能しなくなる…………」


 五感。人間に備わっている五つの感覚器官。

 触覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚の五つ。よく勘の事をもう一つの感覚と言う意味で第六感とも言うが今回はいいとしよう。


「本当にランダム?」

「これに書いてある事は全部事実だよ。……この紙はね、異能力保持者に使うとその人がどんな異能力と制限を持っているかを詳らかにする未来の道具なの。しかも嫌な事にね、実際に書くわけじゃないのに綴られる筆跡はその人本人のものなんだよ」

「何その新手の調書……」


 異能力と制限を覗かれた上に、勝手に自分の筆跡で記されるとかホラーだ。


「念写って知ってる?」

「思い描いた風景や物を画像として焼き付ける超能力だっけ……」

「それに似た異能力があって、その力を応用した紙なの。紙自体がそういう異能力の影響を受けやすくてね。一説にはこういう存在が異能力開花の発端じゃないかって言われてる。……で、その紙に念写の異能力を持つ人が力を封じ込めたものなの。これは異能力しか念写しないように出来てるけど、中には捕まえた容疑者の調書を取るときにも使われるものもある」

「……プライバシーは…………?」

「もちろん合意の上で、だよ。そんないきなり使ってお前が犯人だー、とか横暴な事はしてない。したら逆にその人が捕まっちゃうからね」


 単純に考えて、思考を読まれたり過去を他人の目に触れるようにしてしまうのだ。下手に扱えば人さえも間接的に殺してしまう危険な代物だ。


「一度使うと上書きとか使い回しとかは出来ないから安心して。って、話がずれちゃったね」

「未来の道具か……。そう言えば未来は銃、みたいなの持ってたよな…………。あれは、何?」


 どこかで思い出さないようにしていたのかもしれない。

 ふと過ぎった過去の景色に声の調子を落として尋ねる。

 すると彼女は後ろ腰からそれを取り出す。

 目算、全長は25センチほどだろうか。銃身に始まりグリップにトリガー、ハンマーと一般的な銃の部品は付いているようだ。シリンダーがないからリボルバーではなく、自動拳銃のようなそれなのだろう。

 そんな銃……確かスタンガンと言っていたか。


「これ? これは『スタン(ガン)』。スタンの銃と書いて『スタン銃』。さっきの念写の紙……『念写紙』と同じで未来の道具だよ。この時代にもスタンガンってあるよね」

「相手に押し付けて電気ショックで無力化するあれだろ?」

「それと似たような事を銃弾でするのがこの『スタン銃』。スタンと言っても気絶させるんじゃなくて眠らせるんだけどね」

「原理は?」

「カプセル型注射器の弾に異能力が込めてあるの。『生体感応(マインド)』って言う異能力なんだけど」

「マインドコントロールのマインド?」

「だね。異能力自体は人間の脳を少しだけ制御する能力だよ。難しい事はできないけど睡眠欲を掻き立てたり程度のことが出来るの。それを利用して相手を眠らせる遠距離制圧の道具、なんだけど…………《傷持ち》が人間離れした反応で全部弾いちゃったから」

「あのときブースターとも言ってたな」

「簡単に言うとドラッグ……薬だよ。摂取すると人間やめちゃうあれ」

「そんなに劇的に変わるもの?」

「気になるならやってみる? 『Para Dogs』でも安全なやつだけど配布されてるのはあるから……」

「や、やめてくれよ! そんなので人間やめたくないし……」


 言って傍においてあったポーチを探り出す未来。

 今も持っているのかと焦る傍ら、それを使わざるを得ない事件も中には存在すると言う事なのだろうと思い至る。


「……因みに未来は使った事は…………?」

「ないよ。だからお守り代わり。今後も使う気は無いしね」


 安心して息を吐くと、彼女はくすりと笑う。冗談にしても限度があるだろうと。

 

「さて、とりあえずこれであたしの異能力に関しては終了かな。何か質問はある?」

「…………もし、制限を犯して時間を戻されたとしたら、そしたら感覚を一つ失うわけだよな? そうなった場合直ぐにどうにかする手立てはあるのか?」

「一応あるよ。例えば聴覚がなくなったらこのコンタクトを使うといいし」


 取り出したるは見た目は普通のコンタクトと変わらないそれだ。


「『読唇コンタクト』。これをつけて喋ってる人の口元を見ると言葉が理解できるの。もちろん音は聞こえないから歌を聴いても何も聞こえないし分からないけどね」


 なるほど、本を読むようなものなのだろう。そこに音はなくても言葉や文字なら理解が出来る。音楽は聞こえなくなるが、会話に全てを置き換えれば生活に支障は出ないか。


「他に何か聞きたい事は?」

「感覚を補助する他の道具は?」

「えっと……後は視覚だね。これもコンタクト型だから両方一緒には着けられない。……それに最悪さ、触覚、味覚、嗅覚はなくても生活できるし」


 笑顔で語る未来。

 意外と救いがない。確かに彼女の言ってる事は正しいのかもしれないが、それでもあんまり納得はしたくない。


「それに12時間で元に戻るしね」

「……未来さ、自分が酷いこと言ってる自覚ある?」

「自覚なら今までして来た時間移動で失ったよ?」


 自覚は五感の一つじゃないっての。

 まったく、何そのブラックジョーク……。


「もしそうなったらお兄ちゃんの事はあたしが助けるから。そのために来たんだし」

「……頼りにしてるよ」

「まっかせてよっ」


 頭を使った話に少しだけ休憩を挟む。

 飲み物を取りにリビングへ下りれば僅かな人の温もりを感じる。

 幾ら未来と透目が増えたと言っても家にいなければ人の暖かさは残らない。

 まだ二人の色はこの家には少ないし、事件が解決すれば未来に戻るはずだ。過去に何かを残すのも、もしかしたら禁則事項なのかもしれないと少し寂しくなる。


 ────最悪記憶が消える事になるかもだけど


 彼女が自分の異能力を綴った『念写紙』を見せる際に呟いた言葉が脳裏を過ぎる。

 記憶が消えてしまえば、彼女との思い出もなくなってしまうのだろう。

 異世界の住人のように感じたあの出会いも、服を試着して恥ずかしそうに笑うあの一瞬も。

 全部忘れて、なかった事のように認識してしまう。

 それは少し寂しいと。

 もし我が儘を言ってもいいなら、要の周りで事件が起こってもいいから未来ともう少し長く居たいと。

 そんな願いは、きっと願ってはならない希望なのだろけれども。

 人間個人の欲なんて結局は誰かを振り回す自己満足だと嫌悪して、それから今を見つめなおす。

 今はまだ、未来がここにいる。

 事件解決まで、後どれくらい時間があるのかは分からないけど…………例えその時間を忘れてしまうのだとしても、今はただ無邪気にその非日常を楽しむだけだ。

 その間は、要は人間で居られるから。


「お茶でいい?」

「うんっ」


 冷蔵庫からお茶の入った容器を取り出す。そういえばこの容器、ピッチャーとか言う名前があったんだったか。

 何かの本で読んだうろ覚えの知識を引っ張り出してどうでもいい事だと考えつつコップに注いで未来に差し出す。


「ありがと」

「……因みにそのコップ、昨日買ったやつなんだけど、そう言うのって未来に持って帰れるのか?」

「これくらいなら大丈夫じゃないかな。空間依存して、その時代でしか入手できないとかだったら持って行くと向こうで捕まっちゃうけど」

「…………あぁ、なるほど。輸出入の禁止みたいなものか」

「まぁ強ち間違ってないと思うよ。この程度なら大丈夫」


 机にコップを置いて、自分の身も机の上に投げ出した彼女は、それから軽くコップの縁を爪で弾く。

 高い音が短く響き、中に溜められたお茶が波紋を立てて揺れる。

 仕草に、頬に掛かった髪の一房がするりと柔らかく滑り落ちて、思わず胸を跳ねさせた。

 やっぱり近くに異性が居るというのは慣れない。特に学校のように制服と言う記号で固められているわけでもない。由緒のように長く一緒に居るわけでもない。

 血の繋がらない、兄と慕ってくれる人形のように可憐な少女。

 現実離れしたその風貌に、要は視線を奪われる。

 そんな要に気付いたか、未来は無垢な瞳でこちらを見つめ、柔らかく笑みを浮かべた。

 こうしていると、先程まで真剣に語っていた彼女とは別人で、ただの綺麗な少女だ。

 だから下手をすれば勘違いをしそうになるが、(すんで)の所で踏み留まる。

 彼女に恋をしたって離れ離れになるだけだ。分かりきった結末に態々(わざわざ)身を焦がすこともないだろう。

 それにきっと彼女は要に恋なんかしない。そんな予感が脳裏を幾度も巡るのだ。


「……さてさて、それじゃあ今度は《傷持ち》の話をしようか」

「何か知ってるのか?」

「どこから語ろうか……。とりあえず《傷持ち》は現代人じゃないことは確かだよね。あたしの蹴りが効いたから」

「……あぁ、なるほど。もし《傷持ち》が現代人ならあの蹴りで未来が制限を犯して過去に飛ばされてたわけか」


 確か制限⑤、現代人に危害を加えてはならない、だ。が……ん?


「あれ? その制限って未来の能力だよな? で、未来は未来から来た未来人で、過去に来るにはこの時代を知る人物と一緒に来ないといけないわけで……。けどきっと未来の居た未来には俺が生きてる頃のこの辺りの事を知ってる人は殆ど居ないんじゃ? いや、そんなに先の未来じゃないのかもだけど」

「お兄ちゃん、Aさんの話だよ」

「……あぁ、そっかごめん。勘違いしてた。あの病院での《傷持ち》との衝突はAさんの制限下か……って事はAさんの異能力にも未来のそれと同じように移動先の現代人に危害を加えちゃいけないって制限があるわけか」


 未来の異能力の話を沢山聞いた所為で頭の中の情報がまだ纏まりきっていないらしい。

 でも分かった事は一つ。

 未来と透目はAさんと言う未来以外のもう一人の時間移動能力保持者の力でこの時代に来たということだ。


「でもよくあいつが現代人じゃないって分かったね」

「いや、その…………実は昨日夜に考えて気付いたんだよね、それ」

「ちょっとっ、守るって言っておきながらいきなり戦線離脱とかやめてくれよっ?」

「戻って来れるのは確かだからっ。もしあの時戻されたとしてもお兄ちゃんの視点からしてみれば直ぐに未来のあたしが現れるはず」

「はずって、怖い言い方しないでくれよ……」


 先程までの理論詰めな説明を聞いていた所為か少し彼女の事を誤解していたらしい。

 どうやら事争い事になると体が先に動くらしい。

 いや、あの時は未来が守ってくれなければやられていたのは要なのだから結果的によかったのだろうが……。


「それから《傷持ち》が現代人じゃない根拠がもう一つ。あいつ、最後に逃げるとき『音叉(レゾネーター)』持ってたでしょ」

「レゾネーター……? 確か日本語訳は共鳴器だっけ?」

「あぁ、えっと。『スタン銃』と同じで未来の道具なの。音叉と書いてレゾネーター……一々説明するのが面倒臭いから他のももう何かに書いちゃおうか。紙とペンはー…………」


 彼女の要望に答えて用意すると、しばらくペンを握って文字を記す未来。

 それから描き終わったその紙を要へと手渡す。


「これからの説明で必要になる未来道具だよ」


 未来の言葉に受け取った紙に視線を落とす。

 『スタン(ガン)』、『音叉(レゾネーター)』、『小型変声機(ミニマイク)』、『時空通信機(リンカム)』。

 大体どんなものかは名前から想像が付く。


「殆ど書いてある通りの道具だよ。『スタン銃』はさっき語ったように相手を無力化制圧する遠距離武器。『小型変声機』は喉に張って使うタイプの変声機。貼ると肌の色と同化するように出来てる。それから『時空通信機』は離れた時空間で通信が出来る機械だね」

「『音叉』は?」

「少し説明が面倒なんだけど……」

「知らないほうが怖いから出来れば知っときたいかな」

「分かった」


 一つ息を整えた彼女はそれから説明を始める。


「『音叉』ってのは簡単に言うと異能力の送受信機なの。離れた場所でも共鳴して同じ異能力を発動する装置。リンクすることで効果を発揮する。種類は受信用と送信用の二つ。別にセットで使うわけじゃないけどね」

「二つあるのにセットじゃないのか……」


 要の疑問に未来が例え話を始める。

 例えば、未来に『音叉』の受信機をリンクしたとする。すると『音叉』には未来の異能力が宿るらしい。それを例えば要が持って、未来が要を未来に飛ばそうとすると、手を繋いでいなくても『音叉』を解して異能力の効果を受け取ることができるらしいのだ。それが受信用。

 逆に送信用はリンク先が異なり、異能力を送りたい相手にリンクをして、異能力保持者が『音叉』を持ち異能を発動すると遠隔でリンク先に異能力が届くという仕組みらしい。

 普通に考えればどっちか一つあればいいだろう。

 けれど異能力によって『音叉』は使い分けが必要らしい。

 間接的作用系……『生体感応』や、『接触感応(サイコメトリー)』と言った何かを感じ取ったり、外的要因で内面を変えるような精神に作用する異能力は送信用を使わなければ異能力の効果が適応されないらしい。

 その逆として存在するのが物理的干渉系……『瞬間移動(テレポーテーション)』や『念動発火(パイロキネシス)』などの、物が移動したり外的要因を変化させる異能力は受信用を必要とする。

 これらのことから、異能力は全て物理的か精神的かに分類することができるらしい。

 因みに未来の『時間移動(タイムトラベル)』は人自体が時空間を超越して移動するから物理的な方の分類だ。


「で、あの『音叉』は多分受信用だね。あれを見せた後《傷持ち》は移動したでしょ?」

「そう言えば……」

「だからあの『音叉』のリンク先は時間移動能力保持者って事」


 なるほど。だから時間移動で来た《傷持ち》は現代人では無いし、未来の接触があっても未来は制限に抵触しないで居られたのか。


「未来は『音叉』を持ってきてるのか?」

「ううん。お兄ちゃんは近くに居た方が守りやすいから持って来てない」


 それは少し残念だと胸の内で小さく嘆く。


「…………あれ、となると《傷持ち》は何しに来たんだ?」

「それはお兄ちゃんをどうにかするために……」

「過去って変えちゃいけないんだろ? と言うかあの時点の俺は時間移動をする前だから現代人扱いのはずで、そうしたら時間移動者の《傷持ち》は俺に攻撃が出来ない事にならないか?」

「変えちゃあいけない……と言うか厳密には変えられない、が正しいのかな、普通は」

「と言うと?」

「さっきはお兄ちゃんが分かりやすいようにタイムパラドックスに例えて話したけど、普通時間移動で過去は変えられないんだ。まず直接の接触が出来ないからね。あたしが知ってる時間移動の異能力の制限……その移動先で現代人に危害を加えちゃいけないって言うのは、歴史を変えないための措置なんだ」


 続けて未来が語る。


「まず前提として、例えばお兄ちゃんをあたしが殴ったとすると、誰も間に入って防がなければその拳が当たる前に制限に抵触したと見做されて強制送還されるの。だから直接の危害は加えられない」

「……その間に入って防がなければってのは誰が決めるの?」

「歴史だよ。客観的に見たら、歴史ってのはそうあるようにしか流れないの。だからお兄ちゃんが狙われたとき、あたしが蹴って妨害したり、『スタン銃』で制圧しようとしたでしょ? あれはあの時咄嗟に起こした反応に見えるけど、歴史全体から見たらそうならないといけない決定された過去なの」

「…………つまり、あそこで《傷持ち》から未来が俺を助けてくれたのは正しい歴史って事?」

「そう言う事。で、あたしがこうしてお兄ちゃんに説明するのも後から歴史として見ればきっと正しいこと。けどきっとここでお兄ちゃんを殴る事は歴史的には駄目なこと。その駄目なことが起こりそうになると、制限に抵触したと見做されて強制送還されるわけ」

「それは未来は駄目な事だって分かるの?」

「分かる。あたしの異能力の制限④で未来の事を話そうとするとこれは言ったら戻されるって言うのが感覚的に理解できるんだけど、それと同じ感覚があるから」


 面倒臭いが、つまりは歴史的にバタフライエフェクトを起こす現代人との接触が制限を犯す事に繋がるわけだ。そうして、直接に干渉できないから普通は歴史が守られる。


「もちろん今のお兄ちゃんは未来人だからあたしが殴っても戻されないけどね。例えば結深さんみたいな時間移動をしてない人を殴ったりしようとすると移動前の時間に戻されるよ」

「なるほど、理解した……。けどそうなるとやっぱり《傷持ち》の行動が理解できないな。それってきっと『スタン銃』で眠らせて連れて行くのも駄目なんだろ?」

「その撃った弾が現代人に命中するものだって判定が歴史から下ったら、撃つ前に元いた時間に戻されるからね。だから《傷持ち》がお兄ちゃんに襲い掛かった時はあたしが止めることが正しい歴史だったから、止められることが決まっていた歴史だったから《傷持ち》は強制送還されなかった」

「ならやっぱり、理解できねぇ……。どうして制限を犯すことが分かってて俺に突っ込んできたのかってのがな」

「それが制限を犯さないから、だよ」

「は……?」


 未来の言葉に少しだけ苛立ちが募る。

 今現代人への接触が強制送還の元になると語ったのは彼女自身だ。なのにそれが制限を犯さないだと……?


「直接に危害を及ぼす事は制限に抵触するよ……。けど間接的になら、制限には抵触しない。もしお兄ちゃんが自ら《傷持ち》の元へ行ったとしたら……そうなるように間接的に仕組まれたら制限に抵触はしないよ」

「……そうできる異能力があるってことか? 今までの話を聞くに過去での異能力はバタフライエフェクトにならないって事だから」

「そうだね。ちょっと認識は違うけど大体あってるよ。過去で異能力を使えるのは歴史から見てそれが正しいから。だから異能を使っても制限には抵触しない……。もっと言えば、この時空間事件自体が起こることも歴史からしてみれば決まったこと。だからそれに付随する言動は全部正しい歴史って事になるよ」

「けどそれだと未来や過去が決まってる事にならないか?」

「もちろん。だからその歴史を変えるために《傷持ち》みたいなのが時空間事件を引き起こす。それを変えないためにあたしたち『Para Dogs』がいる。…………結局はさ、予知能力みたいな時間を歪めるような異能力……その最初の開花があった時点で景色と未来は決定してたんだよ」


 決められたレールの上を走る。

 それを知ってしまえば逆らいたくなるのは道理か。


「……未来はさ、例えば信じ難い未来…………例えばこの事件の途中に命を落とすみたいな予知が見えたらどうするの?」

「予知で未来を見た時点で歴史は決まってる。だったらそうなるようになるしかないよ。きっとその未来から逃れようとしても意図せずその景色に相対する。……だってそうやって逃げることが死に繋がってたんだから、って諦める。考えて、考えて、考えた末の行動で死ぬ。死が決められてるなら、それを受け入れるしかないんだよ。いつになっても死だけは平等だよ」


 変えたくても変えてはならない未来や過去。変わるのは知らない未来だけ。知らないから変えられなくて、だから歴史は正しいのだ。

 変えられない事実に直面するくらいなら、未来のことなど知りたくは無い。

 

「話がずれたね、元に戻そうか。《傷持ち》は過去に来て歴史を変えようとしている。あの人にはそれをできるだけの力がある」

「『音叉』を使って移動してるから現代人じゃないことは確かだよな。過去から来たか、それとも未来から来たか……」

「どちらにせよ、《傷持ち》は歴史を変えることが出来る。それには間接的に干渉するほかない。簡単なのは異能力だね」

「それで、過去や未来を変えることのできるその異能力って何だ?」

「幾つかあるけど……よく聞くのは『催眠暗示(ヒュプノ)』かな」

「語源はヒュプノスか?」

「そうだね。眠りの神様。ただ眠らせるだけじゃなくて異能力としては催眠にかけて他人をその人の望むように動かしたりすることが出来たはずだよ」

「……催眠術的な話か。確かにそれなら直接的な干渉じゃないのかもな」


 現代にも催眠術や暗示は存在する。眉唾なものも沢山あるが、人間の深層心理なんて人間でもわかってないことばかりだ。完全な否定は難しいだろう。

 それに先程の説明でもあったが、精神に影響を与える異能力は間接的作用系の異能力……名前の通り間接的な干渉だ。


「一口に『催眠暗示』って言ってもその種類は様々だよ。視覚に訴えるもの、嗅覚に作用するもの、味覚で操るもの……聴覚、触覚。それ以外にも沢山あるの。異能力としての考察や分類も様々で、中には何かと何かの複合能力じゃないかとも言われることもある」

「異能力って複数同時に開花するのか?」

「今のところそんな観測は無いけど、例えばあたしの異能力だって時間と空間を行き来するもの。時間を司るそれと空間を制御するものの複合能力って考え方もできるわけ。時間だけを止めたり空間だけを行き来したりってのは出来ないからそんなことは無いと思うんだけどね」


 確かに難しい判断だ。

 価値観といってしまえばそれまでだが。


「例えば『催眠暗示』だと仮定して、《傷持ち》に対抗する手段はあるのか?」

「あるよ。『催眠暗示』も異能力だから制限がある。特にこの異能力は人を操れるから強力な部類でね、どんな種類の『催眠暗示』にも共通する三大制限ってのが存在するの。それを逆手に取れば簡単だよ」

「三大制限ね……どんなの?」

「制限①、現代人にしか効果がない。制限②、同じ人物には二度以上掛からない。制限③、上書きをしようとした場合、過去現在未来に限らず、一番最初に掛けたものが優先され、上書きは出来ない」


 一番ややこしいのは制限③だろうか。少し簡単に自分なりに解釈をつける。

 例えとして過去A、現代Bを用意するとしよう。

 まず最初に現代Bで、ある人物に『催眠暗示』を掛ける。その後過去Aに行って過去の同じ人物に『催眠暗示』を掛けても、現代Bで先に掛けたからそれが優先され、過去Aでは掛からないという事だ。

 つまりこの一番最初と言うのは『催眠暗示』能力保持者視点の最初と言うことだろう。

 一発勝負で、どんな事をするかを念頭においていなければならない。計画性が必要な異能力だ。

 考えて、それから脳裏を巡った疑問を口にする。


「……制限②って例えば掛ける方、『催眠暗示』の力を持つ人が二人いて、AさんのあとにBさんが掛けるとどうなるんだ?」

「恐らくどっちも掛かるよ。その掛けた催眠が矛盾しなければね」

「なるほど……」

「後一つあるとすれば、『催眠暗示』を掛けられた方はそれを認識していれば分かるけど、掛ける方は掛けてもその実感は無いらしいんだ。相手が『催眠暗示』に掛かったかどうか分からない。けど命令すればその通りに相手を動かすことはできるらしいの」

「……掛けた筈の『催眠暗示』が実は掛かってなくて寝首を掻かれるってこともあるわけか」

「だね」


 未来の言葉に面白そうな事だと想像を巡らせて、それから自分たちについて考える。

 今の要と未来は時間移動を行った未来人だ。だから『催眠暗示』には掛からない。

 もちろん、《傷持ち》の持つ異能力が『催眠暗示』なら、の話だが。

 そこから裏を返す。

 あの病院で《傷持ち》が襲ってきたのはあの要が現代人だったからだ。そして《傷持ち》が要を襲う事を未来は予知で知っていた……。と言う事は未来の方が一枚上手だったと言うわけだ。

 そして《傷持ち》は要を手中に収めることが出来なかったために、今度は由緒を誘拐した。

 楽を襲ったのは要の周囲で一番最初に起きた事件だ。普通に考えればそれは一番過去に起きた事件で、《傷持ち》の視点に立てば要への警告だったのかもしれない。

 けれど《傷持ち》は時間移動が出来る。だから要を襲った後に楽を刺しに行くこともできるはずだ。

 しかし普通に考えれば直接の危害を加えることは出来ないのだから、《傷持ち》が楽を刺すことはできない。楽は要の親友で、現代人だ。

 そこで異能力の『催眠暗示』を使って自傷させ、《傷持ち》に刺されたと誤認させる。これならば楽を傷つけることが可能だ。

 同様に、由緒も『スタン銃』で身柄を捉えるのではなく、『催眠暗示』で連れ去ればいいだけ。

 時間移動能力と『催眠暗示』は厄介な組み合わせだ。

 そこまで考えてふと疑問が湧く。


「……《傷持ち》は時間移動者だよな」

「うん。『催眠暗示』みたいな間接的な異能力で歴史を変える以上、あの移動は『音叉』のリンクをした先に居る異能力者の力だね。そう考えると、『催眠暗示』の保持者と、時間移動能力の保持者の二人がいるって事になるけど」

「時間移動能力保持者は未来が知ってるのは二人だよな?」

「そう、だ、ね…………」


 未来の橙色の瞳が揺れる。

 彼女は未来の時間から来て、今目の前にいる。そして彼女は《傷持ち》を追っている。《傷持ち》は未来が来る事を知らなかったはず。だから未来に要への襲撃を阻まれた。

 だとしたら未来が《傷持ち》の肩を持つはずは無い。もしそうなら未来が要を誘拐すればいいだけの話だ。

 それをしなかったという事は、未来は《傷持ち》とは無関係。

 そうなれば、《傷持ち》に助力する時間移動能力保持者は────


「ってことは《傷持ち》と一緒に俺を襲撃しようとしてる時間移動能力保持者ってのは、未来の知ってる人物なんじゃないか?」

「ま、待って! だって、あの人はそんなことする人じゃ────」

「『催眠暗示』は、二人以上に同時に掛けられるよな?」

「っ……!?」


 要の言葉が未来の動揺となってその真実に現実味を増して突きつける。


「もし『催眠暗示』でその人が操られてるとしたら……」

「いや、それはないよ!」

「どうしてそう言い切れる?」

「だって『音叉』は手に持たないと発動しないっ。だからあの時《傷持ち》は『音叉』を持って、それをあたしたちは目にして、《傷持ち》はあたし達の目の前から逃げた。《傷持ち》がお兄ちゃんを狙う実行犯なら『催眠暗示』に類する異能力持ち。だとしたら時間移動能力は《傷持ち》の能力じゃないから、移動には『音叉』が必要で……だとするならあの『音叉』は受信用じゃないとおかしい。だとしたら、その時間移動能力保持者さんを『催眠暗示』で操って、受信用の『音叉』に能力を届けるためには、送信用も併用しないといけないはずだよ! あの時《傷持ち》の右手には──ナイフを持ってた!」

「だとしたら余計に怪しいのはその時間移動能力保持者だ。……自主的に協力してる事になる」

「あの人はそんな事をする人じゃないっ!」


 声を荒げた未来の否定に、要は一つ息を吐く。

 未来ははっとして視線を逸らしたが、間に蟠る居心地の悪い空気だけは拭えない。

 やがて沈黙の後、彼女は小さく零す。


「…………ごめん。でも違うの、信じて欲しい……。あの人は、そんな事をする人じゃないよ。だってあの人は──」


 言い掛けた言葉を彼女は飲み込む。

 きっとそれを言ってしまえば未来の事を伝える事になって制限に抵触するのだろう。だから言えない。言えればきっと彼女が熱弁したように要が突きつけた疑念は晴れるのだろうが。


「いや、俺も悪かった。ただ俺はその人の事を知らないから、未来から幾ら聞かされてもそういう想像が消えるわけじゃないよ」

「…………。……うん」


 要の言葉に何かを答えようとして、けれど言葉に詰まったように喉に手を当てた未来。それから小さく頷く。

 また禁則事項、未来のことか。一体どの言葉に対して反論をしようとしたのだろうか。


「……この話はやめよう。それに考えないといけないこともあるし」


 言って《傷持ち》からの脅迫状に視線を向ける彼女。

 確かに要が首を突っ込むのはそこじゃあないか。

 それは未来とその人物との問題だ。一々面倒事に付き合っている暇はない。


「…………未来は言ったよな。由緒や楽についての事は予知では知らなかったって」

「……うん。あたしが知ってたのはお兄ちゃんが《傷持ち》に襲われること。だから由緒さんの誘拐は本当ならあたしには関係のないこと……」


 言って俯いた未来は、しばらく自分の拳を見つめた後顔を上げてはっきりと告げる。


「けど今繋がった。《傷持ち》を捕まえて、何であの人が《傷持ち》に協力してるのかを突き止めなきゃ。本当に協力してるのかを問い質さなきゃ。そのためにも、由緒さんのことも解決しないと……お兄ちゃんもまだ狙われてるわけだしね」


 力ない笑みで告げた未来は、それから深呼吸一つ落として言葉にする。


「助けよう、由緒さんを。あたしの問題はあたしの我が儘だから──」

「未来は俺の家族だ……。妹だっ」


 未来の声を遮って告げる。


「だったら兄として、妹の面倒を見るのは当然だろう?」

「でも危険な事に巻き込むんだよっ? もう既にあたしが知ってる予知の範囲を超えてるっ。何が起こるかあたしにもわからないっ。それでも、いいの……?」


 不安に揺れる彼女に瞳に、要はようやく笑顔を浮かべて決心する。


「助けられてばかりってのは性に合わないからな。それに知らない事を知らないままにしておくのは嫌なんだ。だから俺にも未来の事を助けさせてよ」

「っ…………! ……うんっ。…………ありがと、お兄ちゃん」


 その人はきっと未来にとって大事な人だから。

 その人が彼女の顔を曇らせるのならば、その原因を作ってしまった償いとして、彼女の笑顔を見届ける義務がある。

 何より、妹のためだ。兄が頑張らないで、何とする。

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