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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
六根清浄の夢の思い出
38/70

第二章

「さて、それじゃあ行くとしようかっ」


 腹ごしらえを終えて。武器も点検し全ての準備を整え深呼吸をする。

 部屋の中の篭った空気は居心地の良さからか安堵の雰囲気を充満させる。

 軽くストレッチをして立ち上がれば未来(みく)の言葉に頷く。


「あぁ。まずは五時間ある空白にだな」

「うん、そこであの人を探す。見つかれば御の字だからね」


 何よりも彼を探す事が先決だ。全ての事はそれから。

 考えつつ彼女の手を握って異能力に巻き込まれる。

 『時空間移動(タイムトラベル)』。時間と空間の外側を生きる彼女の力に連れられて、今いる時間から言えば未来……記憶に由来すれば通り過ぎたはずの過去へと向かう。

 それは由緒(ゆお)が誘拐された次の日の午後。眠る由緒の力を借りて《傷持ち》が歴史再現を行っている頃だ。

 黒幕である(らく)を最後に見たのは病院で。逆位相の件で会話をしたのが最も新しい記憶。そして、こちらの感覚では彼にしてみれば最も未来にいた時間。最終目撃地だ。

 となれば最後に目にしたそこから調べるのが道理と言うもの。

 未来と重ねた今後の方針は特に問題なく納得して足を運ばせる。

 訪れたのは楽が入院した病院。当たり前を装って記憶の通りに彼の居た病室へと向かう。

 辿り着いた白い扉の前。二人して足を止め視線をやれば、当たり前のように何も書かれていない空室。


「……流石にこの時間だと逃げた後か」

「きっと足跡も残ってないんだろうね」


 一応部屋に誰も居ない事を確認すると直ぐに踵を返しながら未来と推論を重ねる。

 彼の異能力は『催眠暗示(ヒュプノ)』。人の潜在意識や記憶に作用して操る間接的作用形異能力。歴史を歪めんとする危険な力だ。

 それを利用して自分の痕跡を抹消するくらい簡単なこと。『催眠暗示』で操ってそれを他人にやらせればいいのだ。

 彼ほど用意周到なのだ。それだけ頭の回る悪党なのだ。例え予想外の事が起きたとしても、彼ならば直ぐに対策を打ってしまう。

 けれどだからこそ、避けられない干渉はあるのだ。


「なら想像通り次は……」

「由緒さんのところだね」


 核心のように告げて彼女の手を取れば再び重力方向の変化。現実からずれる分だけ大きくなるその一瞬の衝撃は回数をこなすたびに段々と明確以上に体を刺激する。それはまるで世界から歪を排除しようとする大いなる意思の様だと。

 世界に肯定された異能力でさえそれほどまで歪みを見せるのだ。だとしたら歴史を変えようなんていう荒唐無稽な話は一体どれ程の罪を背負う事になるのだろうと。

 けれどそんな疑問は刹那に過去へと遠ざかって、踏み締めた足の裏の感触に視界を開けばそこに背中を見つけた。

 随分のんびりと行動しているものだと。どこか懐かしささえ覚えるその後姿に声を掛ける。


「楽…………!」


 声に振り返った金髪碧眼。楽しそうな笑みさえ湛えた彼は口端を吊り上げて答える。


「なんだ、早かったな。けど……遅かったな」


 嗤う彼の右手は由緒の頭へ。慈しむようにさえ見えたその手つきに、けれどそれは錯覚だと切り捨てて睨んで告げる。


「……何処へ行ったって逃げられないぞ! 元いた未来に帰ったところでその先で捕まるだけだっ」

「おいおい、そりゃ大変だなぁ。ここまで痛む腹押さえてようやくやってきたってのに。大変だったんだぞ、(かなめ)? お前が怨念込めて刺してくれたんだ。死ぬかと思ったよ」

「黙れっ」


 飄々とした態度でこちらの言葉を受け流す楽。

 要が《傷持ち》として楽と最後に会話をしたのは由緒が誘拐された後が最後だろう。それから『時空通信機(リンカム)』を介して連絡がつかなくなり、逃げられたと気付いて行動に移して……。それでも半日あった時間でここまでしか来られていないというのは不自然だと思っていた。

 けれど考えてみれば当然、幾ら未来人で破格の異能力を持っているとしても、その体は人間のそれだ。受けた治療は要の生きるこの現代での技術であって、縫合や輸血での施術はあっても傷を直ぐに塞ぐような未来の技術はない。

 つまり彼の左の腹部にはまだその傷跡が残っているはずだ。

 刺されてから二日目。傷口だって塞がりきっていない中で体を動かすのは随分な苦痛だったはずだ。ならばその歩みは遅々として進まず、病院からならばこの廃ビルまでは距離があって時間の掛かったことだろう。

 恐らくそれ以上の痕跡を残すことも嫌ってタクシーも使わなかったに違いない。殆ど夜通しで体を休めながらここまで来たから遅くなったのだ。その苦労と努力……忍耐力には僅かにだが賞賛さえ浮かぶ。

 そこまでして逃げたかったかと。


「しかしまぁ、ちょっとばかし俺の方が早かったな。残念だがその手は届かない」

「…………何を企んでるの?」

「あ……?」


 余裕ぶった態度の楽の言葉に未来が疑問を突きつける。


「貴方のことよ。こんな事になってもまだ諦めてない……それどころか、まだ何か隠してる……。そうじゃないと、脅されてそこまで冷静には振舞えないでしょ?」

「さぁて、どうだろうな?」


 くつくつと嗤う楽。その不気味さが、何か見落としを突きつけるように廃ビルに響き渡る。……何だ、あいつは何を知っている…………?


「だがまぁ、そうだな……。なぁ要、こんなところまで来たら逃げるなんて選択肢があると思うか?」

「……何をしたって、結末は同じだ」

「あぁそうだな。全て俺の思い通りだ……そうだろ────《傷持ち》っ!」

「っ……!?」


 そうして楽が叫んだ声。それは予感と言うよりは確信で……。

 思わず振り返ったそこには、当たり前のように立つ……黒尽くめの姿。


「なん…………!」


 で、と。けれど咄嗟に零れたその音は形を持つ前に景色を動かして。

 迫った蹴りの一撃は、反射で挟んだ腕の防御でどうにか軽減。けれどそこに乗った人ならざる衝撃に吹っ飛ばされて鉄板の床を転がった。


「ぁ、が……!」

「っ、この!」


 目まぐるしく回転する視界の中で、僅かに見えたのは未来が疾駆する姿。それからどちらへ転がっていたかも定かではない衝撃が消えて痛む体を抑えながらどうにか立ち上がる。

 そうして再び、目にした現状に愕然とする。

 それは紛れもなく黒尽くめ。黒いレーシングスーツに黒いフルフェイスヘルメット。表情のない仮面がじっとこちらを見据える姿。

 なんでお前がここに居るんだと……!

 先ほど言葉になりそこなった疑問が再び競りあがってくる。

 と、徒手格闘で睨み合っていた未来が《傷持ち》の腹を蹴り飛ばしてこちらまで下がってくる。

 彼女もまた、認め難いものを見るように目を細める。


「なんで……だって《傷持ち》はお兄ちゃんで…………!」

「…………俺、なのか……?」


 呟きは確証を持たないまま。けれどそれ以外の想像を打ち消すように……。

 けれど、ならば余計に分からない。


「どうしてだっ! お前は……誰だ!?」

「……………………」


 問いに答えは返らない。代わりに示したのは敵対行動。《傷持ち》が抜いたのは銀色の棒状の武器……『捕縛杖(アレスター)』。そしてその際に見えた……右手首甲の側の確かな傷跡。


「お前…………!」


 ありえるはずはない。けれど、それを再現するなんて不可能だ。あの傷は、嫌と言うほど見てきたから。見間違えようがない。あれは、この右手首についたそれと、同じもの……。

 なり代わりではない。本当に、本物の……。


「っ、楽!」

「さぁ踊れ過去がっ! 俺こそが歴史に認められし存在だ! 俺の手が、歴史に届くっ!」

「待ちなさいっ!」


 楽の声に未来が抜いた『スタン(ガン)』。そのままトリガーを絞ったが、宙を掛けた弾が届くより数瞬早く彼の姿が霞んで消える。

 そうして残された要と未来……そして《傷持ち》。

 そうだ、《傷持ち》…………!

 直ぐに身構えて顔を向ければいつの間にか目の前に迫っていた姿に心が縫い付けられる。

 疑問だらけだ。どうして未来の俺が、楽に肩を貸している。何が目的で、過去に牙を向く……。お前の目的は、一体……!

 けれどそんな猜疑は言葉になる前に封殺されて。体が勝手に取った反撃行動でどうにか二撃目は受けずに済む。握っていたのは『スタン銃』。

 後ろに飛んで距離を取る《傷持ち》に着地を狙って連射をするも、どこか懐かしい再現度を持って弾かれる攻撃。

 その《傷持ち》の行動のたびに、認められない事実が積みあがっていく。それに反して否定するべき言葉は全く浮かんでこなくて。心のどこかで当たり前だと思う自分が居る事に気付く。

 理由なんて、根拠なんて何処にもないのに……。目の前の《傷持ち》が、未来の自分だとどこかで認めてしまっている。


「……俺が誰であろうと、歴史はそうある通りにしか流れない。俺が未来のお前ならば、今更危機感など抱かないだろう?」

「…………そうだな」


 ノイズ交じりの声に。けれどそれは認められないだけで、目の前の《傷持ち》に何かをされるなんて想像はしていない。

 もしそうなのだとしたら、過去の要に手出しはできないから。だから心のどこかで落ち着いてはいる。

 そんな要に向けて、目の前の黒尽くめはそれが証明だと言うように告げる。


「俺はお前を知っている」

「あぁ、そうだな……」


 諦めのように小さく零せば肩を揺らした《傷持ち》。やがてその手のひらには楽との繋がりを示すように握られた『音叉(レゾネーター)』が。

 響かせたのはラの音階。もう聞く事のないと思っていたその旋律に、安心感さえ思い出しながら見送る。

 ……どうやら、まだ終わりではないらしい。

 楽には逃げられ《傷持ち》も現れた。これから何が起こるかなんて、今ここに生きる要には分からないことばかりだけれども。

 一つだけ分かる事と言えば、少なくともこれは要が望んだ物語ではないということ。


「……未来」

「単独行動は許さないよ?」

「もちろんだ」


 深呼吸一つ。それから頭の中を入れ替える。


「楽、何処に向かったと思う?」

「……あの口ぶりだと、元いた未来に帰る…………とは考え辛いね」

「これから先何が起こるか、だな」


 終わりの見えない旅路。目の前に見えた気がしたゴールテープは、どうやらまだ中間地点の折り返しだったようで。

 場違いにも嬉しく感じるのはこの非日常が続くと考えてしまうからか。


「いや、未来だけとは限らないよ」

「というと?」

「今より過去への干渉。……例えばお兄ちゃんに直接じゃないってのも考えられる」

「また誰かが狙われるってか?」


 けど狙われる相手なんて限られる。由緒、結深(ゆみ)冬子(とうこ)……。要に近しい人物と言えばこれだけだ。

 迂遠なやり方として、要を狙うなら未来が邪魔になる。となればまず未来を排除するために、透目(とうもく)に手を伸ばすと言う可能性も捨てきれない。


「けどその殆どは監視の目がついてる。唯一危ないのは冬子さんだけど、何かあれば直ぐに透目さんが助けてくれるだろ?」

「……うん。もう随分前になるけど、お父さんには由緒さんの護衛を頼んでて、当然そこには冬子さんも入ってるからね」

「となれば手出しは出来ないだろうし……そもそも楽はそこまで過去に行けないだろ」


 今し方目の前で由緒の異能力によってこの場を去った楽。けれど彼はこの時代について殆ど知らないはずだ。ましてや未来が来る前なんて高が知れてる。雅人の事故の時だって、そこにやってきたのは《傷持ち》としての要で、楽ではない。


「そうだね由緒さんの異能力で移動するには確かな記憶が必要。だからそれを知らなければ移動できない」

「……いや、『催眠暗示』で、喋らせたとしたら?」


 自分で言葉にしてみても分からなかった視点が、他人の言い分には敏感に反応する。特に話を聞く時に客観視を働かせる要の思考回路。

 疑いは、直ぐに可能性へと昇華する。


「『催眠暗示』や後催眠暗示でその過去を知っている人物から喋らせれば……」

「でもそれは、伝聞だけの体験した記憶じゃない。由緒さんの異能力は記憶に残る体験に由来する時空間移動だよ。話を聞いただけじゃその時間には移動できない。お父さんみたいな異能力で記憶を移して、(あたか)も経験したように誤認させれば可能だけど、聞いた上の想像だけなら無理だよ」

「…………なら『催眠暗示』でその人物を操って、その人と一緒に移動は可能か? それなら経験した記憶に基づいての移動になるはずだ」

「二人一緒にって事? それは多分、可能だよ…………」


 誰か別の人物を巻き込めば可能な時間移動。ならばその利用候補は誰だ?


「……もし誰かを使用するなら、その人は『催眠暗示』に掛かる以上現代人だろ? だったら捕まえたその時間より未来には移動できない」


 例えばこの瞬間、家に居るだろう冬子を捕まえたとしよう。時間軸的には由緒が誘拐されて一日後。だからまだ由緒の事故未遂は起きていなくて、そもそも由緒は誘拐されて今目の前にいるわけで……。つまり未来が来てから三日目の午後だ。それ以降に起きる事を知らない彼女を利用しても、知らない場所には移動できない。

 それからこの時間にいる冬子に『催眠暗示』は掛かっていないはずで…………。


「……どうでもいいけどさ、冬子さんは楽の事知らなかったんだな」

「え……?」

「ほら、ショッピングセンターで『催眠暗示』音楽に掛かって、それが原因で俺を襲って、後催眠暗示で由緒を轢こうとしたわけだろ? でも『催眠暗示』は一番最初のそれしか掛からない。つまり冬子さんには、楽に関する虚偽の記憶の植え付けは行われていなかったんだなって…………」


 細かい事を思い返せば、ヒントはあったのだ。

 彼女の話に、楽の名前が出た事は一度もない。それに楽と冬子の最初の出会い……あのショッピングセンターに一番最初に遊びに行ったときにも、それらしい反応をしていたのだ。

 彼女は、未来に加え、楽にも視線をやってどこか驚いた風に見ていた。それから自己紹介と共に挨拶をして…………あれは、未来だけにではない。初めて見た金髪碧眼の少年へ向けての挨拶でもあったのだ。

 結深の記憶には楽の虚偽の情報があったから冬子もそうであるとどこかで錯覚していた。

 物語風に言えば伏線で、叙述トリックと言う事になるのだろう。けれど裏を返せば、あれは楽にとっての失敗の一つだったのだと。

 冬子まで巻き込む算段はなかった。だから彼女の記憶には細工をしていなかった。

 彼の視点に立てば、あの瞬間に楽は冷や汗を掻いていたに違いない。要の友人である観音(かんのん)楽と言う仮面が、冬子の言葉一つで崩れてしまうかもしれないと。

 言わば賭けで、しかしその賭けに彼は勝って、ここまで逃げ延びたのだ。全く、悪運の強い事だ。


「母さんはあいつの名前に疑問を抱かなかったから、記憶改竄の『催眠暗示』に掛かってる。冬子さんも『催眠暗示』音楽で掛かる以上、二人とも『催眠暗示』で操る事はできない」

「でも後催眠暗示は可能だよね? 『催眠暗示』に掛かってるなら、そっちはやりやすくなるから」

「……そうだな」


 『催眠暗示』をトリガーにした暗示。ならばまず前提として、『催眠暗示』に掛かっていないといけないわけで。


「利用するのは、母さんか…………」

「どうして?」

「冬子さんが『催眠暗示』に掛かるのはショッピングセンターだ。今から考えれば……明日の午後か。確かにその後に利用する事は可能だろうな。けどそもそも、楽はあの時間を知らない。経験してない。引っ掻き回したのは《傷持ち》の俺であって、あいつはずっと病室から高みの見物をしてただけだ」


 雅人の過去もそう。ショッピングセンターもそう。《傷持ち》が現れたその殆どの場所に、楽は自分の足で向かっていない。


「だから経験してない……記憶に無い以上由緒の異能力でここから移動する事は不可能だ」

「……でも結深さんはお父さんが守ってるんだよ?」

「だから普通は不可能なはずなんだけど…………」


 見つけた手がかり。焦らずに一度落ち着いて、それから結深の視点に立つ。

 彼女の行動は殆どが要の知覚外だ。けれどその傍には透目が居て、彼女への干渉を防いでくれている。それが途切れる事は…………。


「いや、違うか……。透目さんが護衛につく前なら……」

「あたし達が来る前ってこと?」

「それも含められるな。あいつは俺達に『催眠暗示』を一度掛けてる。クラスメイトだと信じ込むようにな。あれは未来が来るより前だ。だから普通なら特定は難しいけど」

「けど……?」

「俺の母さんだってそこまで抜けてるわけじゃないって事だ」


 誰の視点に立っても同じ事。誰にだって、楽を知らない瞬間は存在する。


「母さんは用がなければ家に居る。となれば来客こそあるだろうけど、知らない顔には警戒するだろ? だったら顔も知らない楽にはついていかないし、油断もしないはずだ」

「でもクラスメイトなら……」

「だったら話は母さんのところで止まらずに俺のところに来るだろ? 友達の家に来て、友達の母親が目当てなんてそれこそおかしな話だ」


 時は夏休み。遊びに誘うなんてよくある話だが、今のご時世家の目の前に言って呼び出しなどしない。用があればメールやSNS経由だ。


「だったらまず考えて、記憶に無いうちからそんなリスクのある接触をしないって事だ」

「……つまり、『催眠暗示』に掛かった後に絞られる」

「知ってると誤認する顔なら警戒も緩くなる。それに後催眠暗示もその方が掛けやすいしな」


 後はまぁ、普通に考えれば『催眠暗示』なんて一度に掛けるだろう。それこそ『催眠暗示』音楽のようなものを遠くから聞かせるだけでいい…………。



「っ、くそ。今更に手口に気がついた……」

「何の?」

「俺に掛けられた『催眠暗示』だよ。ショッピングセンターのCDみたいに何かものを介せば直接顔を見せなくてもいい。……それこそ、そのデータだけすり替えるみたいにな。……何処で…………いや、あの朝か…………」


 未来が家に来る直前。要は部屋で音楽を聴きながら本を読んでいた。気にはしなかったがあれが『催眠暗示』音楽だったのだろう。……いや、気にしない、と言うか気にならないからこそ、その『催眠暗示』にまんまと掛かってしまったのだろうと。

 携帯での電話帳だって細工しようと思えばできるだろう。

 全く、何処まで計算づくなのだろうか……。

 結深にも、似たような手法で『催眠暗示』を掛けたに違いない。


「何にせよ、一度この時代にいる人たちに『催眠暗示』を掛けてしまえば後は幾ら顔を見せようと俺たちは疑わないし、未来や透目さんだって初めて合わす顔だろ? 知ってるはずはないもんな」


 未来が受けた予知は、要が《傷持ち》に襲われると言うもの。そこに楽の姿はない。だからこそ、彼女の中でも最初は候補から外れていた。何より、《傷持ち》の最初の被害者だったから。知らず外していたのだ。


「……でだ、『催眠暗示』に掛かったのは少なくとも未来が来る前。それ以降で、母さんが誰の監視下からも外れる瞬間が、一箇所ある」

「………………あたしたちが、ショッピングセンターに遊びに言ってる間……!」

「楽は、重なれるからな」


 噛み合う想像と歴史がその先を描く。


「当然だけど、母さんは俺や由緒の過去の事も知ってる。幼馴染ってのは厄介だな……。だからこそ、母さんを利用すれば由緒を隔離したあの時間にも向かえるはずだっ」

「だったら結深さんへの接触を邪魔すれば…………」

「あの時間未来は重なれないだろ。俺だけを向かわせることもしたくない。それに認識していないとは言え既に通り過ぎた過去のこと。今更覆しようが無いだろ?」


 未来の提案はしっかりと切り捨てる。もちろん思いついたからこそ、既に考慮してそうして自分の中で無理な話だと結論がでている。


「……けどもしそうだとして、あの人はそれはどうやって知るの? 由緒さんをあの時間に隔離した事はあたし達しか知らないよ?」

「……《傷持ち》だろ。さっき現れたあいつが俺なら、今の俺より未来の存在だ。だったらいつ何処に由緒がいるか告げ口するなんて簡単なことだ」

「…………嫌な想像だね」


 口にして少しだけ湧き上がった嫌悪感は、けれど今は捨て置くべきと排除して話題を戻す。


「《傷持ち》は今はいい……。それよりも由緒だ。楽が由緒のところへ向かったとしたら……」


 由緒にはまだ、楽が黒幕だと伝えていない。彼がもしそれを知っていて、クラスメイトの仮面を被ったまま彼女に近づけば……幾ら柔道黒帯と言えども警戒していなければそれまでだ。

 失敗したと。こんなことなら巻き込んだついでに全て話しておくんだったと……。

 今更悔やんでも仕方の無い事に少しだけ自分を責めて。それから深呼吸と共に未来へと視線を向ける。


「直ぐに移動できるか?」

「それは普通にできるけど……方法は? 何か相手の思惑を阻む策はあるの?」

「意味あるか? 《傷持ち》がくれば何もかも暴かれるけど……」

「それでも一瞬騙す程度の事は出来るでしょ? ここまであった事を考えてみても、やっぱり一瞬の迷いが油断を生む。それを意図的に作り出して少しでも有利に運べるのなら、利用すべきだと思う」


 確かに、確実に相手の調子を崩せるのならばありなのだろうけれども……。

 だったらどうするべきかと少しだけ考える。

 楽の目的は依然として要のはずだ。そのために要の周囲を狙って揺さぶっているに過ぎない。

 もちろんそれはある程度は効果的だ。特に由緒を狙われるのであれば要は見過ごせない。……だったらそこを逆手に取れるか?


「あいつの狙いが由緒だとするなら、由緒を守るのが俺達の目的だ。だからそこに一つ仕掛ける。……由緒に成り代わる」

「……そっか、『変装服(フォーマー)』……!」

「…………俺が真似をするのはもし捕まった時のリスクが高いからな。未来に任せたいけど」

「うん、大丈夫だよ。となるとまずは家にだね」


 方針を固めれば直ぐに行動へ。彼女の手をとって重力方向の変化。久しぶりの我が家……玄関を介さず未来の部屋へと直接戻ってくれば、物音を最小限に彼女は押入れを探し出す。

 その後姿。相変わらず無防備な未来から視線を逸らしながら更に可能性の探求。


「……回りくどい事をせずに由緒じゃなくて母さんを人質にってのもありえる話か?」

「結深さんを人質にしたところでそこまでメリットがないよ。現代人で異能力を持たないから、そこに人質以上の利用価値は生まれない。そんな無駄な事をするかな?」

「まぁそうだろうな……。それにきっと、今の俺にとっては母さんより由緒の方が優先度は高いから、そっちを狙うだろうし」


 楽の視点に立って語り、思い付きの優先順位を下げる。


「それにもし結深さんを狙ったとしても、由緒さんの安全を確認した後で対処に回っても問題はないよ。どうせ時空間移動を使うから、時間の無駄にはならない」

「…………本当、規格外だな異能力って」

「それに知識だけでついてこようとしてるお兄ちゃんの方が埒外だと思うけど…………と、見つけた」


 話をしていると目当ての未来道具を見つけたらしい未来が、それを広げて見せてくる。

 『変装服』。簡単に形容するなら、クリーム色一辺倒のダイビングスーツ。どうやらあれに他人の遺伝子情報を読み込ませることでその者に変身できるらしい。


「……何て言うか、それだけだと不気味だな」

「性能は折り紙つきだから」


 言って首の後ろについているボタンを彼女が押すと、途端に小さくなって手のひらサイズの四角い物体になった。ボタン一つでお手軽サイズとは、未来の技術は便利なものだと。ここまでくると、例え車がポケットに入ったとしても驚きもしない。慣れとは恐ろしいものだ。


「…………そういえばまた一つ、辻褄が合ったな」

「え……?」

「『変装服』。未来が確認した時にはなくなってたんだろ? 未来が確認しに来たのは今より後だろうからな」

「あーーーー……そっか、そだね」


 前に未来が口にした疑問。

 彼女一人で行動をした際に、ここまで来て『変装服』の存在を調べ、それがなくなっている事を確認している。あれは由緒の事故未遂で走り回っていたときで、冬子の『催眠暗示』関連と同時期。先ほどの移動で時間指定はしていないはずだから由緒の誘拐を解決した日の午後のままで……だったら未来が確認をしにくるのは明日か明後日か……なんにせよここから言えば未来に起こる事。

 ここで要たちが『変装服』を持っていくから、後からやってきた彼女がなくなっていると気付くのだ。あの時は『変装服』が《傷持ち》に盗られたのではないかとか色々な想像をしていたけれど。事実に立ち会ってみればどんな疑問も他愛ない。


「とりあえずよかったな。紛失したりしてなくて」

「……下手をすると始末書だけじゃ収まらないからね」


 言って肩を揺らす未来。もし想像したように《傷持ち》や楽の手に渡っていたら……その管理能力を問われたのかもしれないと。

 冗談で茶化してその嫌な想像を打ち消せば、未来が次ぐ。


「……一応聞いてみるけど由緒さんに変身するための元になるものとか持ってないよね?」

「持ってたらそれこそ未来は軽蔑するだろ?」

「もちろんっ」


 そんなに嬉しそうに言わなくても。


「無いならないで仕方ないね。相手より早く由緒さんに再会して、髪の毛でも一本分けて貰えればそれで……」

「髪くらいなら俺の部屋に残ってたり…………あぁ、駄目か。あれは今夜だもんな」


 髪の毛くらいなら彼女が縋るように眠った時にとも思ったけれど、考えれば今いるこの時間は由緒の誘拐が解決する前。この後過去の要が廃ビルに向かって彼女を救い出すのだと。だから要の部屋に彼女の痕跡はないはず。

 随分捻れた時空間に少し頭が痛くなりつつ頭の中を整理する。

 とりあえずは目の前。今ここで過去の事を振り返ったところで何の意味もないと。


「……母さん、由緒。他に可能性はあるか?」

「後は直接お兄ちゃんを狙うか…………お兄ちゃんのクラスメイトとか?」

「『催眠暗示』には掛かってるだろうからな。後催眠暗示で操るのは可能だろうけど」

「……そこまで思い入れがない?」

「頷いたなら人情味が無いとでも(なじ)ってくれるか?」


 自虐するように零せば溜息で答えた未来。

 仕方ないだろう。学校での要なんて人当たりのいい仮面を被った優等生でしかない。そこに本当の要のどれだけがあるのかと。だったら人質に取られたところでそこまで胸は痛まない。


「お兄ちゃんはさ、大事な人の線引きが極端だよね」

「俺一人が大切に出来る数なんて限られてるからな」


 そんなのは方便だ。実際のところ、一生の友になる相手なんて数えられるほど。そこまで自分を許せる相手に出会えていないと言うのが本音だろうか。

 信じていないのだ、他人と言う存在を。

 今までだって幾つかあったことで、特に小学生の頃は顕著だった仲間はずれ。

 父親の居ない事に対する……言ってしまえばいじめだ。中学でも少し。高校に入ってからは殆ど聞かなくなったけれど、それでも忌避感は拭えなくてどこかで怯えていて。本当の自分を(さら)け出す事が怖い。

 昔からずっと傍にいた由緒は、そういう意味では特別で。似たような境遇を持つから安堵もしていられた。

 傷を舐めあうように。悪いことではないのだと相手を見て自分を正当化するように。

 だから、彼女なのかもしれないと。同じ痛みを持つからこそ、彼女から目が離せなくて、それがいつしか気持ちに昇華していたに過ぎない。


「…………少し分かるよ。あたしも似たようなものだから」


 黙りこんだ要に、その先を想像したのかベッドに腰掛けて零す未来。


「お父さんは居る。けど本当のところであたしの事は覚えてなくて。それが少し怖い……。だから、出来ることなら誰かの記憶になんて残りたくない。裏切られたら、それが怖くなるもんね」

「……別に、裏切りなんて思わないさ。それはただ、体のいい被害者が近くに居て、俺がそうだっただけ」


 未来の言葉に思いだす。

 要にだって、仲のいい友人はいた。親友と呼んでも差し支えないほどの友が居た。彼は今、隣町の高校に通っていると何かの噂で聞いたけれど。

 そんな彼との間に出来た溝。友だった彼に向けられた、心ない言葉。

 人と人との関係なんてそんなものだ。要だって、そいつの名前は今はもう朧気だ。


「けどね、分かってくれる人はやっぱりどこかに居るんだよ。捨てる神あれば拾う神あり……なんて、結局結果論だけどね」

「俺にとっては由緒で、未来には……?」

「…………制限に抵触するから言わないよっ」


 相変わらずここぞと言うところで逃げ回る未来。要にだけ恥ずかしい話をさせておいて自分はだんまりとは随分なご身分だと。

 考えつつ、それから髪留めを触った彼女に尋ねる。


「……もしかしてそれか?」

「え…………? あー、うん……どうだろう…………微妙なところ」


 いつもの兎結び。その結び目に揺れる桃色の珠に考える。

 彼女にとってあれは大切なもので、思い出らしい。嫉妬を、する訳ではないけれど。未来にとっては証なのだろうと。


「……まだ教えてはもらえないか?」

「…………教えたくても教えられないからねぇ。残念だねぇ」


 楽しそうな声音の未来。意地悪な笑みに今度は要が溜め息を零せば、未来はころころと鈴の転がるような笑いを零す。仕草に揺れる兎結び。


「それにほら、今だけはお兄ちゃんが居るし」

「どうせ俺忘れちまうだろうが…………」

「……当たり前だよ」


 慣れ親しんだやり取り。互いの居場所を確かめる会話は、本来居るべき場所を各々に刻み込む。

 どうあっても交わらない。交わってはいけないと言う戒めを楔にして打ち込む。

 言ってしまえば、彼女とのこの関係だって一時のそれで。要が高校で友達付き合いに被っている仮面と同じだと。


「……話が随分ずれたね。えっと、で、他の可能生だっけ?」

「この際後手に回らざるを得ない物は切り捨てるべきだろ? 解決する事が分かりきってるなら、その騒動もどうにかなる。だったら今やるべきなのは起こった事に対処することじゃなくて、こっちから行動を起こすことだ」

「ようやく敵の姿も分かったわけだしね」


 そうして思い浮かべたのは楽のこと。


「……そう言えばあいつ、怪我したままだよな。傷だってまだ塞がってないだろ。となると無理な行動は出来ないし、素の俺だって殴り合えば勝てる見込みがある」

「それはどうだろう……。これまで前線に出てこなかったから、その実力は未知数だよ? それにきっとブースターだってある。一筋縄じゃあいかないと思うけど……」


 人間、嫌な想像と言う物は勝手にしてしまうので。特に楽観的でもない要にしてみれば、言葉にされた以上見過ごせない可能性へと昇華する。

 もしも……かもしれない……。

 可能性が皆無ではないからこそ、ありえるのだと言い聞かせてその先を考える。


「……けど、だったらこれまでの事を全部《傷持ち》に任せるのは効率が悪いだろ? 俺を捕まえるだけならこれまでもチャンスは幾つかあった。けどそれをして来なかったって事は、何かと天秤に掛けてリスクが大きすぎると判断したからじゃないのか? その何かが、例えばあいつ自身の実力だとしたら、納得できない話じゃないと思うけど」

「…………考えても仕方ないことかもね。《傷持ち》が居るし」


 未来の言葉に継ぐべき言葉を無くす。

 確かに、《傷持ち》が居るのならば推論のすべてが覆る。けれどだからって諦めるのとは違うだろうと。


「そもそも《傷持ち》が楽の手下とは限らないだろ。また演じてるのかもしれない。今度こそ騙まし討ちを考えてるのかもしれない」

「……それも含めて、それは未来に起こる事で、今のあたし達には分からないことだよ。歴史がその通りにしか流れないんだったら、考えたって無駄だよ」


 極論、そういうことなのだろうが。どうにもそこで思考を打ち切る事が、要には諦める事に直結するのだ。

 まだ何かある気がする。見落としから、その未来を手繰り寄せるのではないかと危惧してしまう。

 何か、見落としている視点はないだろうか? 楽の目的とは一体……?


「……お兄ちゃんってさ、心配性と言うか、ネガティブだよね。物事を悪い方向に考えすぎと言うか」

「…………知ってるのと知らないのとでは心に出来る余裕が違うからな。可能性を探してるだけだよ」

「ゼロにも等しい可能性を? そんな事言ったら今ここにいきなり隕石が落ちてくる事もゼロじゃないよ?」

「……………………」


 確かにそうだろう。

 けれど考えるだけ無駄と切り捨てるのも許せなくて……。己でさえ難儀な性格だとは思う。


「信じようよ。楽しくて正しい未来を想像して、それが本当に起こるんだって。ご都合主義に全部が丸く収まるんだって」

「……それは物語の主人公の特権だ。俺はその器じゃない。だから、その役目は未来にやる」


 深く渦巻いた思考を一度放り投げる。要一人で考えたところで結局足踏みをするのがいつものことなのだ。そうして当たり障りのない仮面を被って都合のいい誰かを演じるのが、遠野(とおの)要なのだ。

 今更それを変えられるなんて思わない。気持ち悪いほどに歪んだその性格だからこそ、要なのだ。

 だったらプラス思考なんて出来よう筈もなくて、その役割を他人へ丸投げする。

 そうすればその人が要を勝手に連れて行ってくれるから。

 ……どこかで、逃げているのかもしれない。


「……変わらないね、お兄ちゃんは。…………いいよ、だったら最も理想を言ってあげる。あの人は戦うための実力を持たない。《傷持ち》も、操られてる振り。由緒さんを助けに言った先で、《傷持ち》と共闘して捕まえ、事件が解決。……どう? これ以上無いほどのご都合展開だよ?」

「俺にしてみればその可能性の方が隕石より低い気もするけどな」


 諦めたように告げて、それから気持ちを入れ替えるような長い溜め息を吐く。

 確かに未来の言う通りに考えすぎなのは分かる。けれどそれでまた後手に回っても仕方がない。全てを想像した上で先手を取ったろころで、それは後の先に過ぎないのだ。

 だったら未来の言う通り、全てを都合よく考えて、いざと言う時の余力を残したまま相手を振り回すのが正しいのだろう。

 《傷持ち》を演じていた頃に、歴史がそうある事を利用して流れに身を任せたように。正しい未来はこちらに微笑むのだと根拠と理由を丸投げしてその結果だけを手繰り寄せようと。


「……悪かった。まずはできることからだよな。何かあったらその時に直ぐに対抗策を練ればいいだけだ」

「あたしも、ごめん。考える事が悪いって言ったんじゃないよ? その人並外れた発想力には今までも助けられたし。けどやる事が分かってて足踏みするのは違うかなって。まずは動かないと、想像は幾ら経っても想像にしかならないんだから」


 要と未来では決定的に違う思考回路。

 未来の疑わない強さと、要の疑う強さと。

 それぞれのよさは、相手の意見を潰す事が目的ではない。互いに助け合って、尊重した上で最良の未来を手繰り寄せるための試行錯誤なのだ。

 だから、折り合いを付けるわけではないけれど……自分の我を通すのは、それこそ可能性を潰すだけなのだと気付いて。


「…………よしっ。それじゃあ行くとするかっ」

「ん」


 どこかで違えたかもしれない仲を元に戻すように未来の手をとって瞼を閉じる。

 悩むことばかりが正解じゃない。悩んだ後で、行動に移すことこそが望むべき未来を手繰り寄せる方法なのだ。

 脳裏に描く迷子の過去。何かの始まりに導かれるようにその記憶へと時空間移動を行う。

 体を襲った重力方向の変化は、慣れ親しんだ上から下へ。正しい歴史を辿っているのだと何かに教えられたように、置換された先の時代で静かに目を開ける。


「っと……うん、問題なく跳べた」

「それが今後どう意味を持つか……なんてのはとりあえず後回しか。由緒は…………」

「多分まだ。何が起きてもいいように由緒さんが来る少し前に跳んだんだよ」

「来て直ぐに襲われたんじゃ足を掬われるからな」


 未来の考えに賛同して、それから少し体を解す。


「《傷持ち》はどうするんだ?」

「そっちはあたしが。由緒さんの事を任せてもいい?」

「ブースターは……」

「それは駄目っ」


 悪戯を企むように聞いては見たが、返ったのは果断な答え。

 戯れだと言うのに、そんなに目の端を吊り上げなくても……。

 これだけ苦楽を共にしてきて手に入れた信頼がこれだけとは……全く手応えしか感じない。未来のやさしさに涙が出そうになる。


「冗談でもそういうこと言わないでよ…………」

「悪かった。……けど由緒を狙いに来るなら、俺と戦う事になるんだぞ?」

「あっちが戦力を持ってないから、廃ビルで逃げる時だって《傷持ち》を投入してきたんでしょ?」

「普通に考えればそうなんだけどな……」


 それでもしてしまう嫌な想像は性分。

 先ほど割り切ったはずの足踏みに未来が呆れたような視線を寄越す。


「……必要ならあたしが手を貸すから。それまでは『スタン銃』と『抑圧拳(ストッパー)』でどうにか頑張って」

「頑張るも何も、俺と対等じゃないとその信頼は重いだけだっ」


 けれどもしかし、どこかで考えている想像は彼女と同じもの。

 事ここに至って彼が自分を戦力に数えるとは考え難い。もしそうならば、やはりこれまでもチャンスがあったのだ。

 それを不意にしている以上、彼は要と殆ど変わりのない、平凡な力しか持たないはず。

 その上で、腹部に傷もある。激しい行動は出来ないはずだから、それだけでも弱点にはなるはずだ。例えブースターを飲んで襲い掛かってきたのだとしても、非情に心を殺し、傷口の上から攻撃を叩き込めば悶絶してもおかしくはない。

 と、そこまで考えてまた一つ可能性の探求。


「そう言えばあいつも傷を治す術を持っててもおかしくはないよな?」

「だったらあの廃ビルに居た時に治ってて当然だよ。あれを演技だとはあたしは思わない。だから多分、治ってなかった以上そういう類の未来の道具は持ってきてないんだと思う」


 未来に否定されて要の中でも分かりきっていた結論に確証を得る。

 何処までも計算されたような彼の振る舞いは、けれどその瞬間ずつを切り取って考えればとても場当たり的でアドリブ染みている。

 ……そもそもだ、過去に起こる事を知っていたところで、そこには異邦者である自分は居ないのだから、己の言動が全て正しいかどうかなんて分からないはずだ。

 今だってそう、彼からしてみればこの迷子の過去は知らないも同然の歴史。ならばそこに己の存在がないのだから、再現の仕様がないだろうと。

 楽のしている事は矛盾しているのだ。

 自分が初めて向かう場所で、恐らくそうあるだろうと言う過去を再現する……知らない未来を描いているだけのこと。

 そこにどれほど計算された言動がある? 幾ら想像を馳せたところで、初めての経験である未来の出来事を全て当てるなんて不可能だ。

 それこそ予知できる者を傍に置いて、その都度これから何が起きるのかを知り続けなければありえないことだ。

 だったら、これまでの彼の言動の一体どれほどが想像通りの歴史再現だと言い切れる?


「…………少なくとも俺に逃げられた後からは想定外だろうな」

「何が……?」

「楽の思惑だよ。そもそも刺される事を知ってたなら、それを直す手立てを準備してるはずだろ? これだけ用意周到なんだ。そんな失態を犯すはずがない」

「……まぁ、そうだね」


 これまで疑わなかった……と言うか、疑ったところで確証がないから諦めていた探求だ。けれどこれだけ情報が揃えば見えてくるものがある。


「観音楽として俺の目の前に現れた後、あいつにとってそこからの未来はアドリブでしかない。裏では《傷持ち》の俺が全てやるべき事を成している。そう胡坐(あぐら)を掻いて、自分は無益な脇役の振りで俺に不信感を抱かせない立ち回りで翻弄してくれた……」


 あいつの思い通りだった事と言えば、『催眠暗示』と後催眠暗示の種蒔きに、要が《傷持ち》になって彼の手先として動き回ることだけ。もちろん、それだけでも十分なほどに的確な行動だろうが。


「その上で刺されて、《傷持ち》を手に入れた楽はそのままこの時代から去るつもりだった。だからその刺された傷を治す術を持ってきていなかった。……つまり《傷持ち》としての俺が楽の手から逃れたのは想定外ってことで、だったらその後から繋がる楽の逃亡やこの由緒への急襲も予定外の言動だ」


 だったら準備をしていたのは刺されるまで。今話を修正するように別の策でこちらを翻弄しようとしているのは、全てその場限りの綱渡り。


「なら武装だってあって『スタン銃』……それからブースターが一握りか。腹部に塞がりきっていない刺し傷があって、ようやく見つけただろう新たな一手も今こうして先回りしてその頭を抑えてる……。失敗の代償にしては随分な(てい)だな……」

「だからって気を抜かないでよ?」

「わかってるよ」


 今更にわかったところで……と言う感はある。けれどこれまで曖昧だった事が晴れてくると、その先にある最大の疑問にまで手が伸びる。


「唯一分からないのは目的や動機だな……。俺を使って何をしようとしてるのか……何のために歴史改変なんて望んだのか…………」


 前に想像したように、例えばこれがミステリーならどこかにヒントがなければ成り立たない。

 けれどそんなの、言ってしまえば彼の都合。特に言えば未来で起こる事で、今の要には想像してもし切れない。

 だから仕方のない事だと…………諦めてしまうのは要自身が許せないのだが……。


「まぁこの時代に用があるんだろうから、未来は関係ない話だよな……」


 楽がこの時代にとって異物であるように、彼を止めに来た未来もまたそれを正そうとする理の外の存在。

 だから彼女は関係ないはずなのに……胸の内がざわめく。

 それはただ、要が彼女に関わっていて欲しいと心のどこかで願っているが故の想像なのだろう。

 ここまで来てもありえない非日常を楽しんでいる自分。だからそれが終わらないで欲しいと……未来が近くに居ればそれは続くのだと縋っている。

 言葉にすれば、彼女はまた呆れたように糾弾してくれるのだろうが。


「……ここまで巻き込まれたらもう無関係とは言えないけどね」


 言って『スタン銃』を手にする未来。どうやらそろそろらしい。

 要も出来る限りの準備を整えて深呼吸を一つ挟めば、途端背後に感じた気配に振り返る。

 由緒か、それとも…………。

 考えつつ回した視界に捉えたのは────黒尽くめ。

 《傷持ち》……! 考えた次の瞬間には目の前の敵に向かって『抑圧拳』の拳を突き出す。

 しかしそれに答えたのは『捕縛杖』。

 接触はまずいと思わず引いた腕に崩れた体勢。そこへ飛んできた蹴りにどうにか受身を取って立ち上がる。

 ったく……どうあっても最大の障害は《傷持ち》かと。未来の自分に胸の内で悪態を吐きつつ手のひらを見つめる。

 既に分かりきったこと。未来の要が《傷持ち》ならば、彼は異能力を持っていない。ここまでその力に目覚めなかったのだ。この先にそんな論理を破綻させるような事は今更起こって欲しくないと。

 だったら『抑圧拳』の意味は殆どない。これでできる事と言えば目の前の存在をこの時間に縫いとめるだけ……。したところでどれ程の意味があると自問自答。

 《傷持ち》が目の前に居続ければ、きっと戦闘は続くだろう。そうなった時、何かの拍子に足を掬われるのはきっとこちらだ。ブースター一つで要の実力も体力も上回る。それを軸に戦われれば結果は見え透いている。


「待てよ。意味ない力を使って何になる……。無駄な戦いで力を消耗するなんて非合理的だろう?」

「……だったら何か教えてくれるってのか? それこそ無理な話だろう」


 睨み据えながら言葉を零して想像するあわよくば。

 ……もし目の前の《傷持ち》が、過去の要のように操られている振りなのだとしたら。ここへ楽と由緒が現れた瞬間手のひらを返して協力をしてくれると言う未来。ないわけではないだろうが……けれどもとても薄いはずだ。

 楽はそれで一度失敗している。同じ轍を踏むとは考え難い。


「あぁそうだな。それに未来のことを知ったところでどうなる。それはただ、変わらない歴史と認識するだけだ。ならばまだ、自由な想像で都合のいいように脚色している方が楽しめると言うものだろう?」


 真実を言い当てられて胸の内が落ち着かなくなる。

 確かに彼の言う通りだ。歴史がそうある通りにしか流れないのであれば、これから起こる事を知ったところでそれに絶望して興味を無くすだけ。


「いや、なに。どうせ変わらない未来ならば無駄は不必要だろうと言っているまでだ。ここで争って何になる。お前は自分の体を痛めつけたいか?」

「……生憎と、そんな特殊性癖は持ち合わせてないのはお前がよく知ったことだろう?」

「違いないっ」


 楽しそうに笑う《傷持ち》。その無防備な姿に警戒しつつ向けていた『スタン銃』を下ろせば、彼は敵意がない事を示すように肩を竦めた。


「互いに納得できてよかったな。お陰で久しぶりに暇を持て余さなくて済む」

「お前と分かり合うなんてごめんだ」


 敵、なのだろう。けれどそれが自分だと分かるからか、向こうの立場に立てば彼の言葉が本心だと分かる。

 要だってできることなら争いは避けたい。今更平和主義を掲げるつもりはないが、平穏に生きては居たいのだ。

 その上で非日常を欲していると言うのだから、自分のことでさえ持て余しているのだろうが。


「……それで、貴方の目的は何。…………彼の目的は、何?」

「歴史干渉……それ以外に言葉が必要か?」


 未来の詰問にはいつもの調子で答える《傷持ち》。ノイズ交じりの声は答える気がないと言外に示す。


「……歴史はそうある通りにしか流れない。それは正しいだろう? 結局は主観だ。錯覚は勝手に想像と現実の溝を埋める。それが正しい歴史だと思い込めば、覆すのは簡単なことじゃない」


 彼の言い分に眉を顰める。

 《傷持ち》の言い分はまるで要が何かを見落としていて、それを指摘するようだ。

 もちろん、要だって人間で、失敗や的外れな推理くらいしているだろうが。


「だからこそ策が策として成り立つ。……同様に、俺が俺として成り立つ。今更答え合わせなんてしたところで何になる? 知らない未来だって知ったところ何も変わらないのは、お前が一番分かってることだろう? 今まで利用してきたことだろうっ?」

「だったら未然に防ぐために……これ以上意味のない事を続けさせないために、止めるための手立てを見つけようとするのは間違いじゃないっ」

「それが意味のない事だとしてもか?」

「…………そこまで分かってて、だったら何でまたそこに立ってるんだ……。お前のやるべき事は、俺と同じはずだろ?」


 そもそもだ。《傷持ち》が未来の俺なのだとすれば、戦うべき相手は楽であって、過去の自分や未来を痛めつけることではない。

 楽からしてみれば《傷持ち》としての要を一度逃がしたから、今目の前に居る《傷持ち》を操るために後催眠暗示にしっかりと掛けて確認をしているはず。だから目の前の彼が前に《傷持ち》として彼を欺いたような行動ができるとは思わない。それは既に割り切っている。

 けれどこうして会話できている以上、あの時楽が語ったように思考の自由までは奪っていないはずだ。だったら行動で直接背くことはできなくとも、今ここに居る要や未来へ助言をして楽を追い詰める手助けはできるはずなのだ。

 それに、もし仮に《傷持ち》が未来の要でないとするならば、だったら被害者で、こちらの味方になるはず。


「……勘違いをするなよ? 何をしたって歴史が変わらないから仕方なくそれに甘んじているだけだ。ここで助言をしたところで、それで歴史が変わるなんて事はない。映画やドラマのタイムトラベルものと一緒にするな。だからこれは、ただの歴史再現に過ぎない。過去に希望を抱くなんて、おかしな話だろう?」

「…………助言をしないのが、正しい歴史に結びつくってことか……」


 過去に未来が語った。これから死ぬと予言されて、それから逃げようと必死にもがいたところで結局はその運命から逃れられないと。諦めても同様で……その行動こそが死と言う結末を手繰り寄せるのだと。

 それと同じように、ここで幾ら問答をしたところで、彼はこちらの問いには答えない。彼が経験しただろう過去がそうだったから……例えそれと違う過去を手繰り寄せようと彼が足掻いたところで、どうあっても助言を得られないと言う結果に辿り着くのだろう。

 言おうとした瞬間に暴走車両でも突っ込んで来るとか、それこそ隕石でも降って来るのかもしれない。そんな歴史の修正力が働いたり……いきなり楽がここへ現れてそれを妨害するような景色になってしまうのだろう。

 未来を知らないから、想像でしか語れない。けれどその想像は空想止まりで、決して現実にはなりはしないということなのだろう。

 物語風に言えば場面転換、ストーリーの進行による機会の喪失。フラグ、とも言う強制力か。

 それを引き起こしているのが何かと問われれば、きっと異能力と言うブラックボックスになるのだろう。

 だったら彼の言うように、これ以上景色が悪化しないよう無駄な言動は慎むべきか。理解はできるが、納得は出来ない話だ。


「好き好んで騒動に首を突っ込みたくはないだろう? だったらただ静かに、敷かれたレールの上を走っていればいい。その方が随分と簡単なことだ。思考と決断と言う二つの面倒事を放棄できるのだからな」

「……それに背きたくなるから、こんな事件が起きるんだろう?」

「感謝をしている癖に」


 胸の内を言い当てられてその能面のヘルメットを睨む。

 確かに彼の言う通り、要を巻き込んだ事件が起きなければこんな非日常に浸って入られなかったのだろうと。未来にも出会えなかっただろうし、由緒への気持ちだって定まっていなかったかもしれない。そんな未来や歴史がどこかに……いや、それはないか。

 だって歴史は一つ以外にありえないから。こうして事件が起こる事こそが当たり前のその通りで、歴史にとっては日常。その主観を歪めてありえない事に楽しみを見出している要の錯覚こそが何よりも救いようのない悪なのだろうと。

 ……もしかして少し前の錯覚と言う話は、それを要に気付かせるための? 馬鹿馬鹿しいお節介だっ。

 そんな事、遠くの昔に気付いている。


「……さて、余興も終わりにしようか。やるべき事を成してあるべき歴史をその通りに…………付き合ってもらおうか、歴史再現に」

「悪いなっ、俺にとってはただの未来への挑戦だ」

「ならその鬱憤。吐き出せるだけ吐き出せばいい。それでお前の気が晴れるのなら、その先に夢でも追いかけて死ね」

「…………最後まで、俺の名前を呼ばなかったな、《傷持ち》」


 確認のように零して構える。

 どこかで気付いていた。《傷持ち》が要で、一人で移動しているのならば、その裏に居るのは由緒だろうと。

 だから嫌な想像もしてしまう。

 この時代……迷子の過去にはこれから由緒がやってくる。随分前に隔離したはずの彼女がやってきて、彼女を中心に渦巻く戦いの嵐に身を投じる事になる。

 その行く末を、彼が暗示しているようなざわめきに。認め難い未来に首を振ってじっと見据える。

 そうなると、決まったわけではない。未来は分からない事だらけだから……彼の言ったように夢でも描いて希望を振り翳してみようと。

 らしくない縋り方に黒尽くめを睨めば、視界の先の影は大地を蹴った。

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