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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
六根清浄の夢の思い出
36/70

未来より

「お兄ちゃんっ」


 聞き慣れた足音。背中に感じる暖かい雰囲気に胸を跳ねさせて。そうして振り返ればそこにいた──黒尽くめ。

 迂闊さを呪うなんて瞬間はなくて。走馬灯なんて非科学的な現象も脳裏を過ぎることなく。

 ただどこか曖昧な感覚は目の前の風景を一瞬だけゆっくりと刻んで、それから覚醒した頭が急速に異常を知らせる。


「……未来(みく)…………」

「っ、《傷持ち》……!」

「え? あ………………」


 呼ばれた名前に自分を取り戻せば咄嗟に後ろへと取った回避行動。こちらに伸びてきていた手のひらを避けて、直ぐに持ち直した体勢から足の裏に力をこめる。

 これまで何度も放ってきた強烈な一蹴。女のあたしでは腕力では劣るからと鍛え上げた脚力は的確に相手の急所へと向けて吸い込まれていく。


「ちょっとまっ────」

「っせぇい!」


 力を込めるように声と共に上段回し蹴りを放てば、けれどどうにか反応した《傷持ち》が避けてナイフを構える。言動の端に感じる違和感からブースターは使っていないのだろう。あたし一人ならそれに頼らなくても圧倒できると? 舐められたものだ。これでも『Para Dogs(パラドッグス)』の採用における最年少記録保持者なのだ。小さいからと、女だからと舐められる……だからこそそこに生まれる相手の怠慢に付け込んでこちらが組み敷く。

 侮られるのは癪だが、こちらの思い通りになるのならその悪態も飲み込もうと。

 かわされた一蹴から距離を取って体勢を立て直せば、挑発でもするようにナイフを捨て、ヘルメットを外す《傷持ち》。そこから覗いたお兄ちゃんと同じ顔に嫌悪感が浮かぶ。

 事ここに至っても神経を逆撫でするかと……。色々と歪んでいるけれど、それでも期待と尊敬はしているお兄ちゃんを汚すなと。憤りは次いで彼が放った言葉に無条件で返る。


「未来、違うっ、俺だ!」

「知ってる、この偽者!」

「だから話を……」

「うっさい!」


 問答無用っ。

 一歩踏み出すのと同時『スタン(ガン)』を抜き放ちセイフティーを解除。流れるようにトリガーを絞れば、駆けた弾丸を目の前の敵はポケットから取り出した棒で弾く。

 それは『捕縛杖(アレスター)』。少しでも彼の力になればと一人送り出した彼に持たせた近接戦闘用の武器。それを《傷持ち》が持っているという事に疑問を抱く。

 《傷持ち》は今までにナイフと『スタン銃』でしか戦ってこなかった。だから『捕縛杖』を持っていないと思い込んでいたのだが、それが隠し玉と言うことだろうか。それとも…………。


「未来、これだっ、『捕縛杖』。これは俺しか持ってないだろっ?」

「っ返せ、それはお兄ちゃんに……何処で捕ってきたっ!」


 脳裏を過ぎったもう一つの可能性。黒幕を捕まえに行った彼が、けれど直ぐには帰って来なかった。代わりに今目の前には《傷持ち》がいて……だったら最悪な想像さえも嫌にしてしまう。その先に可能性を見る。

 もし……もしもお兄ちゃんの身に何かあって、その末に《傷持ち》がお兄ちゃんから取り上げたのだとしたら……。

 それは、悪が持っていい武器じゃないっ。『捕縛杖』は『Para Dogs』で正規の組織員として認められた、正しい者だけが手にすることのできる象徴なのだ。

 それを彼への期待と、僅かばかりの幸あれと思い一時的に託したのだ。

 許せない。認められないっ。《傷持ち》は、敵だ。彼を襲った悪だっ。


「だったら返すからっ。それに声! 『小型変声機』は着けてないっ。この声は俺自身のものだ!」


 考えていると降り注いだ次の言葉。その音にようやく、どこかで感じていた違和感が形になって納得を導き出す。

 そうだ、何かおかしいと思っていた。声だ。目の前の体から出てくる声が、よく知るお兄ちゃんのそれと同じだから、余計に《傷持ち》の格好をしている事に苛立ちを募らせたのだ。

 気付いてしまえば更なる疑念が浮かぶ。

 これまでも用意周到と言う言葉では足りないほどにこちらを掻き乱してきた《傷持ち》だ。そんな相手が、例え未来だけだからといってブースター無しで戦いを挑んでくるだろうか?

 これまでの交錯で相手も気付いているはず。ブースター相手の訓練を嫌と言うほど体に叩き込んだ未来は、ほぼ無意識に応対してはカウンターさえ打ち込むと。そんな未来相手にブースター無しで勝とうなんて、非情で卑劣で愚かな想像もつかない奇策を高じる以外にありえないことだ。

 それを持っている? どんな秘策を?


「それとも俺と未来しか知らない事でも言ってやろうか? 脱衣所のこととか────」

「っ……!!」


 生まれたのは逡巡。それは罠だと。あたしの心の内を乱す謀略だと。前に出す足を少しでも緩めれば、その次の瞬間『捕縛杖』か『スタン銃』で昏倒させられて《傷持ち》に負けてしまうと。

 同時に、考えてしまった。

 ここまで必死に否定する目の前の存在が語る言葉が……本当だとしたら、と。

 お兄ちゃんの顔で。お兄ちゃんの声で。お兄ちゃんに渡した『捕縛杖』を持っていて。ナイフまで投げ捨てて降参するように示した態度。

 それが本当に、言動通りなのだとしたら……?

 《傷持ち》はずっとあたし達の敵だった。振り回され続けて、怪我もした。いつもいつも後一歩のところで届かなかった。

 けれどそれが……全部仕組まれたことだったら?

 絶対にない可能性──と否定はし切れない。ありえるのだ。その可能性も、同様に。

 信じるには随分と細く頼りない糸だけれども…………けれども、本当にもし、《傷持ち》がお兄ちゃんなのだとしたら。


 ────俺はお前を知っている


 ────歴史は、そうある通りにしか、流れない


 ────あるのはただ……正しい歴史だけだ


 目の前の《傷持ち》へ接近する刹那。巡った過去のやり取りが────やがて信じたいという気持ちに傾いて。

 そうして彼の懐へ入り込むと、手に持った『スタン銃』を彼の顎の下へと宛がう。

 嘘じゃないなら……信じてもいいなら、信じさせてっ。


 ────絶対無事に帰って来て。大丈夫だって証明して。全部終わったって認めさせて?


 ────もちろん、未来の期待は裏切らないよ。どんな事があっても、全部解決してやる


「…………本物なら、答えて……。────信じて託す、その先に……?」


 答えが『スタン銃』だったらどうしよう。信じたかったあたしが馬鹿だったのかな。お兄ちゃんに、ここにいるって認めてもらいたかっただけなのかな……。

 長く、重く感じた僅かな沈黙。震えて聞こえた自分の声に…………そうして確かな音が返る。


「……刻む歴史は未だ来ぬ」


 っ、あぁっ、よかった……! 信じて、よかったっ!


「っおかえり、お兄ちゃん……!」

「…………ただいま、未来」


 気付けば『スタン銃』を放り出して目の前の体に思いっきり抱きつく。

 そこにいる事を刻み込むように。それだけの心配を掛けた、彼の償いなのだと。

 遅れて頭に置かれた優しい手のひらの感触に涙が込み上げる。けど、いいやっ。お兄ちゃんの前でなら、泣いたって仕方ない。

 だってあたしは、お兄ちゃんの妹だから。

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