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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
五里霧中の記憶の先に
33/70

第四章

 限られた時間で考え事をしながら幾つか希望を見つけつつ、先ほどまで脇に抱えていた黒尽くめに着替える。

 『スタン(ガン)』の残弾数も少ない。ブースターも出来る事なら無闇に使いたくない。何よりこれ以上未来(みく)に迷惑は掛けたくない。

 そんな葛藤とやるべき事が混じりあって体を動かす。

 ……もしこの理想が現実になるのならば今の(かなめ)は仕方ないと割り切るほか無いのだろうと。

 小さく息を吐いてブースターを一つ呑み下し、呼吸を整える。そうして顔を上げて前を見据えれば視界には沢山の人。少しだけ辺りに注意を向ければ、ここは要にとって見慣れたショッピングセンターの仲だと気づく。と、そうして回した視界の中に過去の要と未来の姿を捉える。


「何でこんなときに……っ!」


 顔に見える疲れの色。体調管理も出来ない己の過去に呆れながら少しだけ見据えて告げる。


「それはこっちの台詞だ…………が、ん?」


 言葉にして反応がない事に気付く。あぁ、そうだ。この時の要は耳が聞こえないんだった。

 確かマジックショーの時の混乱から逃げるために重なって、制限抵触で戻った。その代償に聴覚を失っているのだ。

 フルフェイスヘルメットのお陰で口元も見えない。これでは『読唇コンタクト』を着けていたとしても意味が無い。

 どうしようかと少しだけ首を傾げて、それから思い出す。

 重ねた過去の視界が教えてくれた《傷持ち》の行動。思い出しつつポケットからスマートフォンを取り出す。

 これは(らく)のもの。……正式には、要の記憶に楽のものだと植えつけられているそれと同機種。

 過去の記憶を遡れば電話もメールも出来ていたのだから、要の携帯機には確かに彼の名前やアドレスが入っているのだろう。『催眠暗示(ヒュプノ)』で楽の存在を植えつける時に細工したのだろうか。

 相変わらず細かいところまで根回しをする用意周到さに呆れながら液晶をタップする。が、反応しない……。

 直ぐに手袋をしているからだと気付いて外す。どうせなら静電気を通すそれにしておいて欲しかった。

 そうして見せた生々しい傷の残る右手首の甲。《傷持ち》である事をまざまざと見せつけながら液晶をフリックして文字を打ち込み、送信ボタンを押す。


「っ、何でお前がっ!?」


 記憶にある楽のスマホを目にして要が吼えて、その言葉の先を飲み込む。響いた着信音。プリセットの無機質な音に今更ながらに気付く。

 友達ならば個別の着信音を設定していてもおかしくはない。耳が聞こえない要はともかく、未来はそこで気付くべきだったのだ。

 そんな事を少しだけ考えながらこちらに視線を向けてくる要に顎で示す。早く読め。そうしないと時間の無駄だ。

 手元に視線を落とした要。その表情に驚きの色が浮かぶ。


 ────知っているぞ。その耳が聞こえない事を、知っている。


 当然だ。一度経験した過去。それも随分と再現してきた。ここからなら大分鮮明に思い出せる。


 ────しかしそれであってもお前を狙う事を辞める理由にはならない。偶然も必然も、歴史によって肯定されたまたとない機会の連続でしかない。だからせめて狙う者の誠意として断っておこう。呪うなら、その迂闊な判断力を嘆けばいい。


 その身を犠牲にして事を終わらせようとした愚かさ。それはまるで忠告のように、何よりも懺悔のように胸の内に響いて体を動かす。

 そうできないと分かっていても、変えたい過去と言うのは存在する。

 もしここで目の前の要を捕まえる事が出来たなら、《傷持ち》なんて生まれない。こんな趣味の悪いループ染みた物語は終わりを迎える。物語に出てくる主人公は、そうして歴史を新たに紡ぐのだろう。

 けれどこれは既に決められた歴史、他に結末の無い一本道。

 要の前に《傷持ち》が現れたその時から、歴史は決められ、ループとも言えないただそうあるべきものへと決定された。

 だから目の前の要も何れ、今こうして要が《傷持ち》になっているように、同じ歴史を辿る。

 要は一人しかいない。けれど確かな時間の流れで過去の要と未来の要、二つの歴史がすれ違い、交わることなく循環する。螺旋を描くような歴史の流れ。ややこしい交錯はやがて一つの未来へ終結する。

 その想像の先にある、たった一つの答えを手繰り寄せるために。

 蹴った床。急接近と共にナイフを振るえば進路上に体を入れた未来が『捕縛杖(アレスター)』で受け止める。

 こうして未来と睨み合うのは何度目だろうか。彼女にしてみれば敵である《傷持ち》を撃退し、捕まえようとしているに過ぎない。その中身が要だなんて知らないのだから当たり前だ。

 そんな正しい事を振り翳す未来に、真っ向から勝負を挑むのは少しでも救われたいからだろうか。可能な事なら今ここで弁明したい。要には聞こえないだろうから、未来個人へ向けて伝えたい。俺は要だと。楽の言いなりになっているだけだと。

 けれどそんな事をしたところで何も変わらない。未来はそれを認めないだろうし、伝えて信じてもらえたところで歴史は変わらない。それはただ、要が許して貰いたいだけの自己満足だ。

 無意味な考えが過ぎった刹那、視界の端で要が『スタン銃』を構えるのが見えた。切り結んだ未来との接触を突き飛ばして迫る弾丸を切り捨てる。次いで二発。当たらないと分かっていても消費される弾に同情さえする。

 『スタン銃』を牽制に使っているのはこちらも同じかと。道具に意志など無い。それは使う者次第だ。


 ────Si Vis Pacem, Para Bellum.


 汝平和を欲さば、戦への備えをせよ。過去に未来が語った言葉が脳裏に巡る。

 これは抑止力。それ以上の戦いを起こさないための平和のための引き金。致し方ない武力。

 強弁のように振り翳せば少しだけ救われる。要のしているこれも、歴史に必要な過去再現。決められた過去へ導くための道標だ。

 そのための争いだと言うならば是非もないと。

 考える事を放棄すれば放たれた四の矢。合わせて叩き伏せれば距離を詰めてきた未来が『捕縛杖』を振るう。

 兎のような強かな脚力と鋭い動き。迫る切っ先に、けれど落ち着いた鼓動は『スタン銃』を抜いてスライドの側で軽く押し退ける。器用に人差し指で外したセイフティー。銃身を滑る『捕縛杖』がサイトに引っかかって、抜けた力でリロードしてくれた。

 そうして構えた銃口の向こう。一瞬睨んだ虚の瞳で未来を射抜いた刹那、引き金を引く瞬間に真下からかち上げられた『スタン銃』。手放しはしなかったがそれた射線。空中に描く直線軌道は僅かの後に採光を目的に設計された天井の硝子のアーチへ衝突する。

 思わず見上げて割れはしなかった事に安堵する。幾ら巻き込んだところで出来る事ならこれ以上の被害は避けたい。未来や由緒を巻き込んでいるだけでも十分に心苦しいのに。何も知らない一般人の命まで背負いたくはない。

 と、そんな事を考えつつ軽く後ろへと跳ぶ。同時にそれまで要がいたところへ『抑圧拳(ストッパー)』の拳が突き出されていた。隙あらばと言うのは感心な事だが足音を立てて駆け寄るのはどうかと考えて。

 それから向けられた未来の銃口を見つめ返せば突きつけられた言葉。


「貴方の目的は何っ!? 何のために過去改変なんてっ!」

「……理由なんて話したところでどうせ平行線。理解して欲しくはない」


 聴覚を失っている要には聞こえていない会話。未来との一対一の会話に僅かに本心を混ぜる。

 仮に未来が《傷持ち》の正体に気付けば、愕然として、そして否定するだろう。ありえないと。嘘を語るなと。だから幾ら本当の事を言ったところでそれは認められない。

 同時に、要だって今の現状を未来に知られたくはない。あれだけ啖呵を切って責任を背負い込んだまま敵の手に堕ちて。そんな惨めな兄の姿など、妹に見せるべきではない。ならば煙に巻いて誤解してもらった方が幾らかましだ。


「それに、何かを解決するのに全てを知っていなくちゃならないか?」


 騙って、傍らに打っていた文面を電子化して送信する。

 次いで鳴る要のスマホ。彼のために用意した特別製の答え。


 ────親愛なる者のためだ。人を想う心に理由などない。


 由緒のため。それは確かに、今でも揺らがない要の感情の一つだ。

 既にここまで来てそれが何の意味を持つかなんて分からないけれど。彼女のために失敗したというのであれば確かな答えなのだろうと。


「確かにそうだよっ。けどそれは叶わないっ。事件は解決され、歴史は守られる。歴史はそういう風にしか流れないっ」

「あぁ、そうだ。歴史は、そうある通りにしか、流れない。それが何よりの真実だ」


 震えた声が自分でも分かるほどに悲しく響く。

 今更覆らない。認め難い過去は、正しい歴史として承認され続けている。それに直接加担しているのが自分だと言う事実に情けなくなる。


「だったら分かってるんじゃないのっ? こんな事をしても意味が無いって! だったらもうやめて! そんな無意味な事────」

「それは、今まで紡いできた過去全てを否定する事と同義だ」


 搾り出すように答えれば未来の表情が曇る。まるで、救いようの無い絶望を見つめるように。

 悪人に説教なんて、それで改心するのは物語の中だけで、本当の悪人ではない。

 心に一つ、嘘の吐けない正義があるのならば。それを誰かが悪だと言うのならば、後には争いしか生まれない。

 何処までも無益で、非生産的で、自己満足な衝突。それが大きな戦いへの抑止力なんて、要は思わない。

 言葉で人が動くように、気持ちで結果が決まるのだ。


 ────未来を知らないお前には幸福を描けない。その身が不幸を招かないとどうして言える?


 駄目押しの追撃を目に見えない言葉として突きつければ彼が真実に手を掛ける。それは今の自分に向けた懺悔であり、許されない過ち。過信が犯したたった一つの答え。


「絶望なんて安い言葉で語ってくれるな。俺はそれ以上の過去を紡いできた。お前の隣で項垂れる、そいつも何れ────」


 呟けばスマホの画面を見つめて俯く要へ視線を向ける未来。同時、手に持った『音叉(レゾネーター)』を鳴らして雑踏の中から消える。

 忠告の意味も含めたその言葉に、この先答えが返る事を知りながら。今はただその景色を消える寸前まで刻み付ける。

 感覚が置換された先は廃ビル。一度気持ちを落ち着けようと戻ってくれば、吹き抜けに差し込む陽光がだんだんと赤味を差し始めている事に気がついた。

 もうあまり時間は残されていないか。けれど《傷持ち》としてやるべき事も残り少ない。後四箇所ほど。時間移動の数は八回ほどか。

 面倒だが、終わりの見えてきた歴史再現。ラストスパートだと自分に言い聞かせれば、耳元から音が響く。


『うぉっす。調子はどうだ?』

「……順調以外にありえないだろう。ただの過去再現なんだから」


 肩を叩かれた様な挨拶に言葉を返せばどこか真剣な声音で言葉を告ぐ楽。


『歴史がそうあろうともお前の体は違うだろう? 幾らブースターがあるとは言え元はか弱い男子高校生。そろそろ疲れてくる頃合じゃないか?』

「疲れなんて……。ただ少し楽の声が鬱陶しくは感じるな」

『問題なさそうだな。制限時間もそろそろだ。終わりの目処は立ってるか?』

「これから殆ど休まなければ何とか」

『お前の体は《傷持ち》のためだけじゃない。そもそもが俺の目的のために必要なんだ。いざと言う時に動かないでは困るぞ?』

「ブースターで無理矢理動かせばいいだろう」


 倫理観の欠如した答えを返せば『時空通信機(リンカム)』の奥で唸るような気配を見せる楽。別に、駒だと割り切るなら暗示でも構わない。

 ……それとも要の意志がなければなせない歴史改変か? だから要の束縛をある程度許容していると?

 ありえない話ではないか。

 そもそもが間違い。楽の目的は『催眠暗示』や後催眠暗示による強制的な歴史改変ではなく、意思によって知らない未来に干渉する未来変革と言う可能性。

 だとすれば言葉で唆して、最終的な決定権を要に託し、歴史改変ではなく未来干渉として事を起こす事で世界を歪めないままに望む結果を得る。そんな迂遠なやり方があるのかもしれない。

 もしそうであれば、歴史はそうある通りに流れて、世界が壊れることなく楽は目的を達する。

 《傷持ち》の過去再現なんて事象を知っている楽だ。だったら歴史改変が出来ない事を知っていてもおかしくはなくて、ならば未来干渉へと形を変えて望むべき未来を手に入れる。

 だとすれば楽を捕まえるために動く未来には振り翳すべき正義がなくなるだろう。

 この論ならば楽は犯罪者ではない。歴史は再現しただけで、知らない未来を僅かに手繰り寄せただけ。時空間事件なんてそもそも起きていない。それはただ、歴史再現で幸福な未来を作り出した歴史干渉だ。

 ……だったらその未来干渉で楽が得る望むべき景色とは一体何だろうか。

 それこそ個人的な話で、要が由緒を助けたかったように彼も誰かを助けたいだけかもしれない。訊いたところで、彼は教えてくれないのだろうけれども。


『まぁ無理をしない程度に頑張ってくれ』

「やられた事をやり返すだけだ」


 目には目を、なんてのとは少し違うかもしれないけれど。考えるだけ泥縄に嵌るのならば今更無駄な問答をするつもりはない。

 ただ要には、出来るかもしれないことだけを胸の内に据えてそれを信じるだけだ。


「……そう言えばショッピングセンターの後催眠暗示はどうやったんだ?」

『何がだ?』

「『催眠暗示』の音楽で一度襲わせて、それを逆位相で解除した。その後もう一度同じように襲われた記憶があるけど。あれのトリガーは何だったんだ?」

『…………あぁ、何。簡単なことだ。その逆位相がトリガーだっただけだ』


 聞いてみれば単純な答え。当たり前な答えすぎて裏を掻き過ぎた。


『別にいつも計画的に何かをしてるつもりはないさ。もちろん大きくは流れ……プロットを考えたりもしたが、逆位相みたいにその場のアドリブだって存在する。その方が特に予想外で面白いだろう?』

「作者の都合で設定や背景が捻じ曲げられたり、伏線もなくいきなり解決策の提示をする作品は苦手だけどな」

『完璧主義だな』

「その方が個人的に楽しめるってだけだ。緻密に作られていた方が最後の種明かしで矛盾がすっきりするだろ?」


 よくある話だとそんな犯人のアドリブから綻びが見つかって物語が動くなんてのが定番だが、どうやら要にはそこを見抜くだけの才能はなかったらしい。

 楽が黒幕だと気付いたのもほんの寸前。逆位相の時は完全に彼を味方だと信じていたのだ。

 そういう意味では、彼が要の前で見せてきた演技に騙されただけの、間抜けな面だ。


『だとしたら今回のこれはお前には解決できない話だな』

「今から伏線張ってもいいんだぞ? その方が俺も協力する事に意欲的になれるかもだしな」


 悪戯に問い掛ければ楽が『時空通信機』の向こうで小さく笑う。


『悪役が自分から白状してどうするっ。それは悪役になりきれなかった犯人がすることだ。俺はまだ諦めちゃいないさ』


 やはり残念ながら彼の思惑には至れないか。


『ただまぁ、せめてものヒントならあげてもいいけどな』

「言って後で泣かないならその愚痴聞いてやるぞ?」

『……要って名前、物語の中心って感じでわくわくはするよな。俺ももっと主人公になれるような名前がよかったよ』


 つまりは、彼の思惑にして、そこには要も関わっていると。言い換えれば、楽の変えるべき未来は要の周りで起こる事に対する歴史干渉。それが、確定する。

 伏線無くして解決策の提示をしてはならないというのは【ノックスの十戒】にも【ヴァン・ダインの二十則】にも共通する規則だったか。

 もしこれが要を中心に渦巻く物語ならば、その手掛かりは既に要の知る範囲で提示されていないといけない。【第四の壁】の外側から客観視した読者の視点で【信頼できない語り手】に惑わされるな。要自身の思考でさえ疑え。全ての言動を精査しろ。

 異能力なんていう未知の力が働いている以上、本来のミステリーとは一線を画しているのは分かっている。けれどそれでも、どこかで事件の体裁を保っているならば……彼がヒントを出せるならば、これは仕組まれた物語。推理小説と紙一重の新たなジャンル。

 【ジュネットの理論】を借りればどこかに鍵はないか? はたまた【劇中劇】のように叙述的な枠の中に既に入っていないか?

 第二の探偵……読者は、その世界に居ながらにして登場人物には認識されない。同じように、要にだって想像と言う翼がある。

 要だけの視点に頼るな。未来、由緒、楽……。それぞれの視点でも何か理由があるはずだ。

 群像劇が起こすバタフライエフェクトのように。ルーブ・ゴールドバーグ・マシン……ピタゴラ的装置のように関係のない繋がりに関連性を持たせろっ。

 これまで経験した過去、違う視点からなぞった歴史を全ての角度から検証しなおす。

 己の言動さえ歴史を動かすピースの一つ。例え歴史がそうある通りに流れるのだとしても……そうであるからこそ、その言動は全て必要な事なのだ。

 異能力は不完全。それはまるで物語のロジックに縛られるように出来ない事が存在する。未来は語った。異能力だって万能ではない。裏を返せば……異能力でできる事さえも、その最中で紡いだ順番や言動は全て手がかりだ。

 分からないなんて事はない。知っている事だけで、解決できるはずだ。

 探せ! すべてが起こした影響を、紡いだ景色を。何一つとして逃すなっ。

 五里霧中の記憶の先に、たった一つの真実を見つけろっ!




 縛られた中で許された自由な思考。僅かにできる要なりの抵抗を必死にしながら、体は歴史再現へと動く。

 『音叉』で移動した先はショッピングセンターの外。確か冬子(とうこ)の後催眠暗示と『催眠暗示』を解こうしている頃か。視界の先でこちらに背を向ける未来と、その奥に見える過去の自分の姿に胸の内を苛立たせながら見つめる。

 同時、こちらに気付いた要が『スタン銃』を構え、一瞬遅れて未来が反転。こちらを睨んで戦闘体勢を取る。

 諦めたつもりでも、こうして目に見える形で敵意を向けられると傷つくものだと。どうでもいい感慨と共に手元でナイフを弄んで、それから疑問を口にする。


「そろそろどうにもならないと覚悟は出来たか?」


 要には聞こえない問い掛けには強くなった視線。分かりきった彼女の心の内を覗けば、大地を蹴って疾駆する。

 対して前に出てきたのは未来。形式化されたやり取りに神経を尖らせて集中する。

 描く銀線とそれを受け止める『スタン銃』。突きつけられた銃口をかわせば拳を一つ叩き込む。伸びた腕を掴んで投げ跳ばそうとした未来。それを逆手に体重をかけて逆に投げ飛ばす。

 宙に舞った軌跡に放たれた弾丸は、予定調和のように切り捨てる。

 結末など分かりきっている無意味な攻防。結局一撃など入らずに終わるとは言え、交錯は刹那を過去に閉じ込めて新たな未来を手繰り寄せる。こんな戦いに楽の思惑は関係ない。これはただ、要と未来の間で起きたすれ違い。

 『時空通信機』でこれまで楽とした会話でも、彼は詳しいところを知らない様子だった。つまり計画はあっても、その具体的な事までは彼の管轄ではない。当然と言えばそうだが、現場で《傷持ち》として戦うのは要なのだ。彼自身が戦うわけではないのだから詳細を知られていれば更なる恐怖が要を襲う。ならばやはりこれまでして来た衝突と、あと少し残っている未来のぶつかり合いにも意味などない。

 ……要が《傷持ち》に捕まるというその結末への道しるべと言うことならば必要な事かもしれないが。

 考えつつも交わされる戦いは、やがて足元を掬う。

 これまでも幾度かあった未来の失敗。

 彼女からしてみれば未知なる敵との戦い。知らず萎縮しているのだろうし、こちらは全てを知る身。そこに生まれる差は確かな景色の変化を齎す。

 開いた未来の両腕。せめてもの反撃にと彼女の握る『スタン銃』から唸った弾丸が迫って、けれどそれさえも無慈悲に切り捨てると無防備な彼女の腹部へ拳を打ち込む。この攻撃は、届かないんだっけか……。

 視界の端に捕らえた要の姿。向けられた銃口から駆ける弾丸を、けれど殆ど見ることなくナイフを投げて弾く。

 刹那に、目の前の未来が見せた綺麗な後方転回。振り上げられた蹴りが顎へ向けて迫るのをどうにか後ろへ跳んで回避する。

 流麗な振り上げに合わせて翻るスカートの裾。直ぐに目を閉じたのは僅かな良識。そんな事でこちらの気持ちまで揺られたくないと。


「どうかした……?」

「っ、いや、何でも…………」


 しかしそんな一幕を知らない要が偶然にもその秘境を目で追って。逸らした視線に間抜けさを痛感する。そんなあからさまな反応をするから気付かれるのだ。


「何もないわけ…………っ!? へ、へんたいっ!」

「だから不可抗力だっ!」


 交わされる会話はこの場にそぐわない和やかなもの。そう言うのは敵のいないところでやるものだと。

 流石に不必要なやり取りに時間を割いている暇はない。頬を染める未来と慌てる要を睨んで、アスファルトを蹴り一足飛びに近づく。

 それは妬みなんていうそんな感情では断じてない。ただ単純に、事ここに至っても危機感の薄い要に対する苛立ちだ。

 いっその事ここでどうにかなってしまえばいいのに……。

 これまで何度も思った悪態を飲み込んで、詰め寄った距離の中でナイフを拾い上げそれを振るう。

 直ぐに未来が構えなおし、抜いた『捕縛杖』で切り結ぶと癖なのか分からないほどに慣れた様子で足払いを狙ってくる。

 足癖が悪い、なんて言うつもりはないけれど。恐らく取り押さえるのに転倒させてマウントを取るのが彼女の主流のなのだろう。前に一度彼女が馬乗りになって関節を押さえられた事がある。あの時も殆ど身動きが取れなかったことも鑑みれば、未来が最も得意とする制圧方法がそれなのだ。

 今更にそんな事に気付けば、要だって《傷持ち》として捕まるわけにも行かない。

 跳んでかわし距離を取るが、直ぐに詰めてくる未来。

 近接戦闘がある程度得意で、目の前に視線を固定しておけば要に手を出す事もできないと。あれだけ囮は嫌だと語っていた彼女だが、その実している事は自己犠牲甚だしいやり方。

 結局、誰だって信じられるのは自分が一番と言うことだろう。要だってそうなのだから反論する気も起きないが。

 そんなどうでも良い事を考えつつ組みついては離れてを繰り返す。

 幾度か互いにチャンスは巡ったが、歴史と言う強制力の所為か。その歴史をどうにか手繰り寄せようとする意思の力か。はたまたどちらもが噛み合って決定打にはなりえなかった。

 それでも交錯する攻防は一進一退。多少引けていた彼女への暴力も、幾度か打ち込まれた蹴りでの攻撃に躊躇は消し飛んだ。

 そうして交えた彼女との景色は、やがて無粋な闖入者の声で遮られる。


「…………そうだっ……! 未来、こっちだ!」

「えっ、何っ!?」

「いいから早く!」


 過去からの声に《傷持ち》との距離を取って反転し走り始める未来。その先で惨めに全速力を賭す己の姿に見ていられないと溜め息を吐きながら少しだけ休息を挟む。

 確か向かったのは公園。面倒な交錯の待つ、策とも言えない暴挙が襲う場所。

 彼女達の走り去った道を少しだけ見つめて体から緊張を解く。

 そろそろブースターも切れる頃。再度飲んでおかなければ。

 体感が歪んでいるのか、それとも体に耐性ができ始めたのか。最初の頃より比べてブースターの効果時間が短くなっている気がする。

 かと言って別の種類のブースターを貰っているわけでもなければ、残りの数も少ない。これを使い潰す覚悟で体に鞭を打ってどうにかするほかないのだろう。

 また一つ取り出したカプセルを少しだけ見つめて、それから喉の奥に流し込む。……これが終わったら何か飲むとしよう。幾らブースターと言えど喉の渇きまでは癒してはくれないのだ。

 どうでもいい目標を見つけて気力を持ち直すと『音叉』を鳴らして時空間を跨ぐ。

 ほんの僅かの時空間跳躍。目的地は彼らが逃げていった先。段々と記憶に新しくなってくる経験を思い描けば、再び踏み締めた足の裏と共に耳がその声を捉える。


「……ほら、公園にはさ────」

「命に関わる遊具がたぁくさんっ」


 要の声に風刺するように続ければ、彼はこちらを見つけ睨んでくる。別に怖くもなんともない。憐れに踊る操り人形。


「この公園、墓場に変えてもいいかい?」

「ふざけるなっ!」


 冗談には未来が叫ぶ。


「……その能面、剥がしてやる…………!」

「やってみやがれ恥の上塗りがぁっ!」


 低く腰を落とし威嚇するように唸る過去の自分に届かない言葉を返す。叫び返せば睨み据えた要が大地を蹴って走ってきた。最中に抜いた『スタン銃』が引き金を絞られ轟く。

 その視界が、記憶と重なってデジャヴにもならない確定された歴史を紡ぐ。

 まずは右手。ナイフを持つそれを狙ったそれを叩き切る。次いで膝に連射。分かりきった射線を見ることもなく無力化する。更に接近する中で今度は左肩。既に切るでなく弾の到達地点にナイフを置いて弾く。

 と、気付けば目の前にまで迫っていた自分の顔。ヘルメットを挟んだ向こう側、間近で視認した同じつくりの歪められた表情にこれ以上無い嫌悪感を抱きながら下がる。


「こんのぉっ!」


 そうして突き出された拳。『抑圧拳』での攻撃。温い速度の止まった羽虫のような一撃を、煙を払うかのように手の甲で流す。『抑圧拳』は殴る事によって効果を発揮する。撫でるだけならその効果範囲には入らない。

 考えた刹那に腹部に感じた異物。見下ろせば生えるように突き立てられた『スタン銃』の銃身。めり込まんばかりに押し付けられた感触に最大限の反射行動を見せる。

 弾く距離がない接射なら、その距離を僅かにでも作ってしまえばいい……!

 下がった二歩目の足。その裏に思いっきり力を入れて体を後ろへ。同時、銃口と腹の間に空間ができる事を見越してナイフを振り下ろす。

 ともすれば自分ですら傷つけてしまいそうなほどに鋭利な一閃。

 けれど確かに生まれた空間に、タイミングよく滑り込んだ銀色が放たれた凶弾を捻じ伏せて見せた。

 ナイフを振り抜く勢いそのままに手首を捻って切っ先を銃口に引っ掛けると、彼の手から『スタン銃』を弾き飛ばす。

 瞬間こちらに突っ込んでくる彼の動きを利用して足の裏を腹へと宛がい、間断なく蹴り貫く。こちらに来ようとした要の勢いと、押し返そうとした蹴りの衝撃が重なって彼の腹部を力の限り打ち抜いた。


「あっ……がっ!?」


 それは廃ビルで過去の要にやられた置き膝の仕返し。それにブースターの力を加えた、必要以上の怨念が篭った一撃だ。

 力の限りに押し返せばアスファルトの大地を転がった要。腹部を押さえて蹲りもがく姿にいい気味だと見下して、『スタン銃』を抜き放ち銃口を覗かせる。

 己の軽率な行動が招いた結果。嘆いたところで誰も助けてはくれない失敗だと。

 悲しくさえなりながら見つめた要の姿。絞ろうとした引き金は、けれどそれより数瞬前に飛び込んできた未来によって阻まれた。

 相も変わらず兄思いな事だ。だったらその候補に《傷持ち》だって入るはずなのだが……。彼女と戦っている事に疑問を抱くだけ胸のうちに罪悪感が蟠る。

 『捕縛杖』での攻撃をナイフで切り結んで弾く。

 しかしまぁ、攻撃しては弾かれて……決定打のない景色にはそろそろ飽きてきた。早く変化が欲しい。幾ら全力を賭したところで歴史が変わらないのだからこうなるのは仕方の無いことなのだ。だからこそ余計にやる気が下降していく一方で、それにどうにか理由を見つけている言い訳紛いな歴史再現。

 思わず投げ出してしまおうかと脳裏を過ぎった刹那、喉が千切れるような叫びを聞く。


「これでも食らえぇええっ!!」


 思わず視線を奪われれば上空から迫り来る金属の塊。日の光を反射する円筒形の赤いそれは、一般的に消火器といわれる代物。

 咄嗟に『スタン銃』を連射してみるが僅かにずれるだけ。避けた方がましだったか。

 最初から回避行動を取っていれば間に合ったかもしれないと考えつつ仕方無しにナイフで刺し貫く。


「未来っ!」

「分かってる!」


 刹那に辺りに立ち込めた霧のような消化剤。辺りを埋め尽くす白い視界阻害に感覚を奪われた中で耳が捉えた足音。

 僅かに見えた黒い影。伸びてくる攻撃にナイフを合わせて凪げば、確かな感触と共に硬いものを弾き飛ばす。

 この手応え……何度も切り結んだから分かる。『スタン銃』。

 けれど思っても止めるだけの時間は残されていなくて、力そのままに振り抜けば僅かに見えた『スタン銃』が視界の端へと跳んでいく。

 そうして次の瞬間。現れた未来は思いっきり拳を振り被ってそれを突き出した。

 『スタン銃』で応戦しようとしたが間に合わず。結果襲った拳はこれまで顔を守ってくれていたフルフェイスヘルメットを捉えて吹っ飛ばした。反撃に『スタン銃』を撃っては見たが距離を取った未来にかわされる。

 そうして次の瞬間、横の路地から吹き抜けた横殴りの風に視界を一新される。

 鼻先を掠める消化剤のにおいに思わず顔を覆ってすべてが通り過ぎるのを待つ。僅かに口に入った不快感に思わず吐き捨てた。


「くそがっ……!」


 唾棄して未来が居るだろう方向へ『スタン銃』を撃ってみるが、反応が無い辺り当たらなかったのだろうと。

 少し気を緩めすぎたと己を叱咤すれば響いた要の声。


「顔を、見せろっ!」


 全く、次から次へと飽きない奴だ。苛立ちと共に過去と重なった視界が見なくともその弾丸を切り捨てる。

 そうしてようやく要でさえも目の前の景色を見据える。

 合わせた視線。僅かに白く染まった未来と腹部を押さえる要の表情が驚愕に彩られる。


「なん……で…………」

「おいおい、勝手に人の仮面剥がしといてそれはないだろぉ、なぁ…………」

「お兄、ちゃん…………」


 未来の呟きに胸の内で答える。あぁ、そうだ。俺は紛れもなく遠野(とおの)要だ。他の誰でもない、未来の要だ。

 彼らの都合に振り回されて結果に否定とは随分な仕打ちだと仕返しに告ぐ。


「絶句かい? 酷い話だな。ほら、ずっと拝みたかった《傷持ち》の顔だっ。(とく)と御照覧あれ!」

「ふざけるなっ!」


 響いたのは否定の言葉。認められないのはそれだけ度量が小さい証。

 確かに自分が犯人だなんて言われても直ぐにそれを飲み込める奴はいないだろう。彼からしてみれば未来に起こる話。冤罪もいいところな暴論だ。

 けれどこちらの身にしてみれば覆しようのない事実。矛盾の生じる隙のない確かな歴史だ。


「ふざけるな? ふざけているのはどっちだ? 理解したくない現実を否定しているのはどっちだ? 歴史を歪めているのは、誰だ?」

「やめろっ! お前は、俺じゃないっ!」


 交わす言葉。その度に胸に募る嫌悪感に歪んだ心地よささえ感じながら歴史を紡ぐ。

 水掛け論にもならない言い合い。真実を否定するだけの意味のない感情論。

 ミステリーにおいて最も不必要な要素。仕組まれた物語に人の意思が介在する余地はない。それほどに完璧な推理小説こそ、要が求める最大限の娯楽だ。

 まるでそれを自分で作り出そうと言うように、目の前に返ったその場限りの意見を叩き捨てる。


「お前は俺で、俺はお前だ。嘘なんかじゃない。……だからこれまでもそう言ってきたじゃないか────知っているぞ、と」


 俺はお前を知っている。何度この言葉に戦慄しただろうか。

 今になって思えば、そこに虚偽など一切ない。本当に真実だったのだと。

 最初から信じてさえ居れば、こんな面倒な茶番を引き起こさなくて済んだものを。


「っ理由は、理由は何だ!? 俺が俺を狙う……そのパラドックスさえ孕んだ理由はっ!?」


 時間の逆接(タイムパラドックス)なんて、言ってしまえばただ可能性に過ぎない。

 特に要の知る事実で語れば、この世界において時間の逆接は『絶対に起きない』という可能性を秘めただけの単なる言葉。

 言い切ってもいい。時間の逆接など存在しない。

 歴史はそうある通りにしか流れない。異能力に付随する制限が、その存在すらを否定している。

 だから彼の言葉にまともに答えるとすれば──そうなる歴史だから、だ。

 しかしそんな言葉。口にしたところで彼が認めるはずがない。

 要以外ではないこの身を否定した彼が、そんな認め難い言葉を許すはずがない。

 となれば仕方がない。上辺だけの答えで煙に巻くほかなくなる。そうすれば彼も《傷持ち》を悪として語る事が出来るから。


「何れ知る理由だ。けれどそれは今じゃない。矛盾がないから世界が回る。そうさ、分かりきった事だ。だからこそ、気付くだろう?」

「っ……! それは…………!」


 僅かに生まれる逡巡。もし本当に《傷持ち》が要なら……。この景色は過去干渉ではなく歴史再現。もちろんその通りだ。それこそが唯一無二の正解だ。既に彼はこちらの朝三暮四に嵌っているのだ。

 疑心暗鬼こそが彼を突き動かす。世界に真実が一つだと信じてそれ以外を否定するために。

 そうして《傷持ち》が要である事を認められないから、けれどそれ以外の反論が思いつかないから、彼は黙り込むしかない。

 喉の奥に言葉を支えさせた過去の己を見て、忠告のように告げる。


「知りたいだろう? 何のために過去へ干渉するのか。歴史は何故こんな事実を未来から過去へ伝えなければならないのか……。あぁ、知れるとも。お前は俺だから。その時が来れば分かる話だっ。そしてお前は決心する。今の俺のように行動に移すっ。それが必要なのだと悟る!」


 何のために──俺が目指すその時のために。

 何故──必要だから。

 そうして知るだろう。その時が来れば分かるだろう。

 《傷持ち》としての役割を与えられ、それを演じる事に諦めを見出して絶望するだろうっ。

 この言動が、未来を作るのだと自分に言い聞かせながら…………。


「…………そうだ、お前は、俺じゃない」

「ほう」

「俺は俺の意思で誰かに従おうとは思わないっ!」


 屈しかけた思考が少しだけ力を取り戻す。

 確かこの辺りでこちらの裏にもう一人居ると確信したのだったか。

 もちろん正解。けれどその先に至るまでが長かったと歩んできた道を振り返りながら彼の言い分を受け止める。


「それがお前の答えか?」

「俺は、お前を、認めないっ!!」

「結構っ! ならば答え合わせをしようじゃないか。真実は俺を追いかけてくれば見つかるだろう」


 出題者の気分で目の前の自分を翻弄する。さぁ、追い駆けて来い。その先に俺と同じ未来を歩め。

 そうすればきっと、望むべき答えを得られるはずだと。

 出来る限りの賛辞と共に宣戦布告を叩きつければ、転がったフルフェイスヘルメットを拾い上げて別れを告げる。


「楽しみにしているぞ、過去よ」

「待ちなさいっ! 偽者っ!!」


 最後に未来の言葉を聞きながら『音叉』を響かせて感覚が置換される。

 偽者。残念だけれどもその期待には答えられない。勝手に迷走でもしていればいい。どうせ歴史は一本道だ。

 久しぶりな気がする彼との論争に少しだけ満足感を得ながら胸に溜まった息を吐く。

 後は戦いあるのみ。面倒な交錯を再現するだけだ。

 想像して少し億劫になりつつ戻ってきた廃ビルの階段を下りる。敷地内の水道まで行くと蛇口を回して上に向け、冷たい水を喉の奥へと流し込む。小学生の頃なんかはお茶の水筒を開けて飲むのが面倒でよくこうして水分補給をしていたと。

 喉が潤ったところで口元を拭えば手の甲に血がついた。さっき未来に殴られた時に唇でも裂けただろうか?

 どうせ直ぐに治ると頭の中から追い出して消化剤の残るレーシングスーツを一通り綺麗にする。

 この一張羅にもようやく愛着がわいてきたというのにその矢先に消化剤まみれとは。まったく、幾ら策とは言えこちらのアイデンティティを汚されては溜まったものではない。悪役にだって矜持があるというのに、それを汚す方こそ余程悪役染みているとは思わないだろうか。

 溜息と共に《傷持ち》としての一張羅を再び着直す。

 レーシングスーツと言う形状上、私服のように動いても裾がない分風に殆ど影響を受けない。そのお陰で無駄な力を使わなくて済む。

 これを用意した楽がそこまで考えていたかと言われると微妙なところだが、合理的な結果にやる気を見つけて持ち直す。

 ……さて、後は最後の連続戦闘。目を回すほどの時空超越の先にある未来へ向けて。

 この時間さえも惜しい。


「あ、ヘルメット……」


 そう言えば上においてきたのだったと頭を掻いて拾いに戻る。そうして階段を昇った先に鉄骨に背を預けて眠る由緒(ゆお)の姿を見つけた。

 《傷持ち》としての『音叉』での時間移動は彼女の力を借りるものだ。

 楽が由緒を操り、『音叉』を介して要が跳ぶ。由緒が居なければ成り立たない方程式に、要は彼女を巻き込んだという後悔がある。

 最初はただ、彼女を助けたかっただけなのに。気障ったらしく、攫われるお姫様役だと言えば彼女は喜んでくれるだろうか。救えなかったのだから物語としては破綻しているのだろうけれども。


「…………行ってくるよ」


 転がっていたヘルメットを持ち上げ眠る彼女に小さく告げる。

 さぁ、最後の歴史再現だ。あと少しだけ、彼女の力を借りるとしよう。

 ブースターを呑み下しヘルメットを被ると、『音叉』を翳せば震え響くラの音階。何度も聞いた綺麗な音色が瞼の裏の景色を置換する。

 踏み締めた大地。陽光の光を反射する黒いアスファルトの上に立ち遠くから近づいてくる足音に呼吸を整える。

 ここからはノンストップ。過去を振り返るだけの無益な時間は捨て去り、ただあるがままの過去を未来へと刻み変える。

 『スタン銃』を抜き放ち交差点を睨んで構えた。

 ここにやってくるのは由緒の事故を回避し終えた二人だ。要に至っては確かな実感と共に感情を燃やして粋がっている頃。本当に憐れで仕方がない。

 一呼吸挟んでそこへ顔を出した過去の要と未来。少しだけその瞳に覚悟が見られるだろうかと値踏みしていると、トリガーを引くより先に伸びてきた左手で射線を逸らされた。

 そんな細かいところまで覚えてられるかと。次いで突き出された『抑圧拳』の拳を後ろに飛んでかわす。

 着地すれば随分気鋭漲った様子で構える要。あぁ、確かこの辺りからブースター便りだったか。もう呑んでるんだっけ?

 考えつつ飛んできた弾をナイフで切り落とす。

 芸のない事だと小さく息を落とせば踏み込んできた動作に拳が迫る。まだ温い。受け止めるのも億劫でかわせば、背後へと回った紅の風を視界の端に。僅かに捕らえた兎結びに防御を取れば彼女の一蹴を阻んだ。

 相変わらず華奢な彼女からは想像できないほどの攻撃。比べるのは無粋だが、それでもブースターを呑んだ要の方が上か。さすがのブースタードラッグ。

 感心しつつ繰り出される未来の攻撃を捌き、カウンターを狙う。近接戦闘での攻防。そこに横槍を入れるように背後へ向けて迫る『スタン銃』。

 けれど知っていれば、見えなくともかわせる。

 その場にしゃがみ目の前の未来へ足払い。咄嗟の事に反応し切れなかった彼女は足首を引っ掛けられその場へとこける。

 けれどお陰でかわした弾丸は彼女の上を通過していく。せめてもの償い。過去の自分の誤射で未来がこれ以上傷つくのは見たくない。


「きゃっ」


 可愛らしく悲鳴を上げて尻餅をつく未来から視線を外し大地を這うような体勢のまま反転。地面を蹴って急速接近し、要の首を片手で掴みあげる。

 搾り出すような声と共に呻き、僅かな抵抗として向けられた『スタン銃』を跳ね除ける。アスファルトを滑った武器。忌々しげに見下ろす彼を睨み返せば、直ぐに復帰してきた未来が背後から蹴りかかって来た。


「でぇあっ!」


 頭部狙いの回転上段蹴り。小さい体躯の所為か僅かに落ちた狙いはそれでも急所、頚椎へと迫る。

 流石にその一撃を貰うわけには行かないと要を手放し振り返り様の裏拳。それが丁度彼女の一蹴と噛み合って相殺される。

 交わった腕と足。そこを支点に曲芸の如く頭上を抜けて咳き込む要の傍へと着地する。訓練しているからこそ咄嗟の判断力は彼女の方が上。策もなく取っ組み合えば負けるのはこちら側かと。

 距離を取るように下がれば未来が威嚇するように『スタン銃』を構えてこちらを睨む。


「大丈夫っ!?」

「っぁあ……どうにか…………」


 答えるように呟いて先ほど落とした『スタン銃』を拾い上げこちらに向けて一発。当然弾き落とせば視線を強くして再び突貫してくる。

 と、その急加速。先ほどまでと違う人間離れした攻撃に避けるのが遅れる。どうにか直撃は避けたが要が放った拳がヘルメットの端を捉えて吹っ飛ばされた。

 まだ僅かに残る近くを通り抜けていく拳の感覚。人の身ではありえないその攻撃に確信する。


「……そうか、ブースターか」

「だったら……どうしたっ!」


 ようやくブースター同士の戦いかと。攻撃の端に感じ取ったありえない力の爆発に心が躍る。

 ブースターの全力。尽くして出し切って暴れたって何も変わらないけれど。その場限りのストレス発散にはなるはずだ。

 そうして始まるブースターの戦いは、目にも留まらぬ高速戦闘を繰り返す。

 拳、蹴り、ナイフ、『スタン銃』。全てを利用して致命打をかわしながら相手を圧倒しようと力を振るう。

 しかしそこに生まれるのは経験の差。こちらは要としての歴史を終え、その上で《傷持ち》として歴史再現を行っている身だ。ブースターの扱いも慣れて、戦いだって未来との交錯で勘は掴んでいる。

 それに比べて過去の要は正面きって戦うのは片手で数えるほど。ブースターの力にだって振り回され、繰り出される拳はテレフォンパンチそのもの。幾ら『抑圧拳』を恐れているとは言え、避けるのだって簡単だ。

 そんな未熟な攻撃が届くはずもなく。突き出した拳を半身翻して避け、その勢いに乗せて上段回し蹴り。しゃがんで交わした彼はそのまま足払いを掛けてくる。

 どうでもいいが要の経験値だって未来との交錯の末の産物。いわば彼女を参考にした戦い方だ。

 だから当然と言えばそれまで。足技が多いのもなにかと体勢を崩しに掛かるのも彼女を真似した結果だ。自分もそうだから何かを言うつもりはないが、同じ展開ばかりで飽き飽きする。

 歴史再現しか出来ないからこそ、過去にもっと多くのバリエーションを経験しておきたかったと。

 『スタン銃』を撃てばアクロバットのように上に跳んで大上段からの踵落とし。大振りな攻撃は、避けるのも面倒で腕を交差させて受け止め、そのまま足首を掴むと投げ飛ばす。

 しかしブースターを呑んで余裕でも生まれたか。直ぐに立て直した要がコンクリートレンガの塀の上に降り立つ。

 猫のような身のこなし。兎に続いてとなると動物園かと一人ごちる。ならば《傷持ち》であるこの身は一体何の動物に例えてくれようか。

 無意味な事を考えていると接近してきた要と未来。二対一は面倒だと思いつつ後ろに下がりながら応戦する。

 放たれた未来の蹴り。鋭い一撃をどうにか避ければ、今度はその後ろから要の脚が時間差でやってくる。

 間断ない攻撃に防御が遅れて首を捕らえた一撃。しかし直ぐに勢いを逃がして受け流せば、蹴りによって吹っ飛ばされた勢いを利用して回転しながら『スタン銃』を連射する。

 牽制にはなったのかそれ以上追撃してこなかった二人と対峙して煽るように告げる。


「いいねぇ。心踊るじゃないか。感じるだろ? 刹那に交わされる言葉以上の感情……。言葉なんてなくても人と人は分かり合える」

「うるさいっ!」


 返った言葉と共に飛来した弾丸を叩きつければ未来達の背後に見えるもう一人の黒尽くめ。

 そういえばここでも重なったのだったかと未来の面倒を増やしつつ挑発を続ける。


「だったら嘘かい? その胸に滾る熱はっ。急くほどに振るうその腕はっ、脚はっ!」

「減らず口を……っきゃぁっ!」


 注意を引けば未来を背後から蹴り飛ばすもう一人の《傷持ち》。直ぐに振り返った要ですら蹴飛ばせば彼が驚いたように固まる。

 これまで《傷持ち》は一人でしか目の前に現れなかった。それさえも考慮に入れていた要からすれば幾つかの推理が崩れる要因にもなっただろう。

 けれどそんな推理こちらからしてみればどうでもいい。それは過去の言い分で、今の要にとっては関係のない事だ。


「物量作戦って事か……そろそろお前もネタ切れか?」

「同じ景色に二回も時間を割く事は無駄だとは思っていたのだがね、反面便利だとも気付いたんだ……。教えてくれたのは君だろう?」


 交わされる会話に暢気な事だと考えつつ呼吸を整える。

 さて、人が増えた分余計に面倒な交錯だ。更に集中力を増さなければ。


「…………お前が未来の俺なら知ってるんだろ? 次に俺がどっちを狙うのか」

「あぁ、知ってる」

「俺はお前を知っている」


 壁を背にするように位置取る冷静さには少しばかり賞賛。声に答えれば彼は覚悟を決めたように先ほど現れた《傷持ち》の方へ向けて疾駆する。

 そうだ、そちらがより新しい未来の要。彼にしてみれば捕まえるべき正しい判断だ。

 けれどそれではこちらに背を向ける事になるだろうと。その無防備な後姿に一撃入れようとしたところで目の前に景色が歪む。

 それは時空間跳躍の証。そうして空間を割いて現れた、もう一人の遠野要。

 これで要が四人。頭が痛くなるほどの時系列の交錯に眩暈すら覚えながら。『スタン銃』を向けてくる要を睨む。


「なぁ、そうだよなぁ!」

「……あぁ、そうだ」


 正義を振りかざす要達の意思疎通。傍から見れば気持ち悪い事この上ない。

 数的に局面を俯瞰すれば三対二。こちらが不利に見えるだろう。ただ見えるだけで、そうであるという事実はないのだから、今更臆する事はない。


「考える事は同じだな」

「物量には物量をぶつける他思いつかないからなっ」


 一番古い要と一番新しい要が言葉を交わす。そこには殆ど時間の差異はないけれど、間に積み重ねた経験の差が緊張と冷静さの二極の様相を呈す。

 ここでまで同じ顔が揃うと、段々と自分と言う境界が曖昧になってくる。記憶の混線とも言うべきか。経験した過去と知らないはずの未来と紡ぐべき現実がごちゃ混ぜになって幾つもの景色を色々な視点から俯瞰している感覚。

 まるでこの記憶が別の誰かのもののように感じる浮遊感。

 自分の存在感が薄弱になって行く感覚。それは舞台の上で台本を読み上げる登場人物のようで……。

 想像が頭の中の景色に色をつけ、その風景の中にいるような錯覚を味わう中で。

 そうして交わされる攻防に意味さえも忘れて踊る。

 目の前の要との示し合わせたようなやり取りは別の世界の事のように。交錯の中で『スタン銃』を弾き彼の横を通り過ぎれば、こちらに殆ど無警戒だった一番古く純粋な要に蹴りを叩き込む。こんな胸糞悪い歴史再現、早く終われと何かに叩きつけるように。

 一体何が正しいのかなんて、既に要には分からない。

 ただ信じられるのは、要は要で、《傷持ち》だと言うこと。

 自己問答のように自分を見つければ対峙した景色の中で、過去の要が問うて来る。


「お前は……だれだ…………!」

「俺は、お前だ──」

「違うっ!」

「認められないのならば否定していればいい。その時が来れば分かる事だ」


 なぞる歴史の通りに繰り返せば隣の《傷持ち》が『音叉』を手に取る気配。同時、未来と要が『スタン銃』を放ってきたが無力化する。

 《傷持ち》同士での会話なんて必要ない。俺たちはただ、歴史を再現するだけの操り人形だ。

 小さく息を吐いて大地を蹴れば後ろから追いついてきた未来の《傷持ち》。二人してナイフを振り被ればこちらは未来に、あちらは増援としてやって来た二巡目の要に受け流されていた。

 そうして刹那の交錯の先に、《傷持ち》が一人『音叉』で消える。視界の端に捉えた彼の手には、いつの間にか先ほど転がったヘルメットが握られていた。どうやら回収はあちらの仕事らしい。後からやってきて先に帰るとはいいご身分なことだ。後に響くラの音階に残された寂しさを少しだけ感じながら振り返る。


「……ブースター、そろそろ切れるだろ?」

「切れたところでお前を連れて行けばいいだけの話だ」


 ナイフを向ければこちらを睨んで返った指摘。確かに彼の言う通り、感覚が元に戻り始めている。けれど後一度の攻防ならどうにかいけるか……。

 そんな事を考えていると響いた音。


「……俺はお前を知っている」


 それは先ほどやってきた要の言葉。

 確かに、襲われると言う景色を彼は知っているだろう。

 けれど残念かな、こちとら更に未来の要だ。その言葉を吐く事さえ知っている。


「この後どうなるのかも、知っている」


 分かりきった答え合わせに、ならば見逃せと視線で訴えて『スタン銃』を一発撃つ。

 防いだ要。その腕を振った刹那に駆け寄って空中に銀線を描く。しかしそこに割り込んできた未来。『スタン銃』で往なした彼女はそのままの勢いでこちらを蹴り飛ばした。

 痛烈な一撃。けれどどうにか体勢を立て直して壁の上へ。更にそこから跳んで屋根の上へ。しっかりと取った距離の中、こちらを見上げてくる三人を見下して告げる。


「お前達は知らないさ。知っているのは知らないと言う未来だけだ」

「っ……!」


 また一つヒントを落としながら。彼がこの身を追いかけてくる道を描きつつ背後の道へ跳んで降りる。

 最中にブースターを喉の奥に流し込んで『音叉』を震わせれば、先ほど見た景色が目の前に。

 こちらに背を向ける未来と要の無防備さに呆れながら、心の内で謝って彼女を蹴り飛ばす。

 そうして先ほど経験した景色をもう一度。遅れてやってきたもう一人の要。彼の対処は先ほどやった。後は目の前の彼だけ。

 記憶を遡り呼吸を正す。ここで再現するべき会話は一つ。


「考える事は同じだな」

「物量には物量をぶつける他思いつかないからなっ」


 先ほどは聞くだけだった言葉を紡いで道化を演じる。

 やるだけ無駄な気もする戦いを再現し、『音叉』を構えれば跳んでくる弾を過去の《傷持ち》が切り捨ててくれた。

 そうして刹那の交錯。ナイフでの攻撃を受け流された直後、それをしまえば足元に落ちていた過去の《傷持ち》が被っていたヘルメットをサッカーボールのように蹴り上げキャッチ。同時に『音叉』を鳴らしてその場から退避する。

 戻ってきたのは見慣れた廃ビルだった。

 ようやく面倒なのを一つ終了。この後には四度に渡る同時空間の歴史再現。のべつ幕なしな最後の大交錯が待っている。

 それさえ終われば後はここで要との最後の決着で終わり…………。

 随分と長く感じた歴史再現に終わりが見えて少し安堵する。

 視界の端には眠る由緒の姿。あと少し……だからそこで見ていてくれ。全部終わらせたら、その時こそ新たに要として一歩を踏み出すから。

 ……さぁ、ラストダンスだ。今まで以上に記憶と視界が入り混じる大混戦の幕開け。そして……《傷持ち》としての幕引き。戦い続けた《傷持ち》の顔、その仮面を取るのも間近だ。

 その先に今の要ですら知らない未来がある事を信じて進む。

 悪役主人公の、その末路を紡げ────

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