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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
紫電一閃の時空交錯
3/70

第二章

 翌日。自分の手のひらを見下ろせばまだそこに赤い血の感覚が残っている気がしながら歩みを進める。

 隣には憔悴した様子の由緒(ゆお)と、静かに俯く未来の姿。

 (かなめ)達は朝から警察に向かい、恐らく普通に生きていれば目にすることのない、取調室と言う漫画やドラマでよく見るあの個室でしばらく身柄を拘束されていた。

 (らく)が被害者となった刺傷事件。その目撃者として話を聞かせて欲しいというものだった。

 まぁたしかに要達を疑うのは正しいのだろう。事件の起きた直後に居合わせたのだから容疑者として名を連ねるのも納得は出来る。

 けれど誓って言いたい。要と未来(みく)は一緒に居たから犯行は不可能だし、唯一怪しいと言える由緒もそんな事をする訳は無い。

 楽との間に確執があったかと言われればそんな話は聞いた覚えが無い。もしそうだとしたらこれまでに要が楽から何か聞いているはずだ。

 それに由緒はあの時友達に呼ばれて向かって、その先であの場面に遭遇したのだろう。それならば見える線として由緒とその友達が共犯と言う疑いだ。

 けれど残念、その友達のアリバイは昨日あの後直ぐ、要がその友達の家電に直接電話をして家に居る事を確かめている。由緒の疑いを晴らすためだ。勿論要自身もそこには何も関与していない。要がそちら側に巻き込まれるのはごめんだ。

 ならば由緒が犯人かと言われればそれも違うだろう。

 要達が駆けつけたとき、由緒は気絶する寸前だった。それに凶器となっただろう何かも見当たらなかった。犯人が持ち去ったか、どうにかしたはずだ。

 無論、由緒が持っているはずも無く。そもそも柔道は黒帯でも荒事が嫌いな由緒だ。血を見て卒倒するような少女がそんな分かりやすい犯行に及ぶとは考え辛い。

 以上の思っている事を伝えたら何故か立ち会った警察の人からは怖い視線を向けられたが……。起こった非日常に何故か心が躍ったのは確かだ。それから決して要は犯人ではない。

 例えばこれが推理小説だったとして、主人公が犯人と言うのは要自身が余り納得できない展開だ。そもそもあのタイミングで要には楽を刺す事はできないし。

 そんな一幕があって、それから未来と由緒も取調べを受けた後、ようやく開放された要達は一度家へと戻った。

 それから昼食をとってしばらくすると要のスマホが震えた。見ればメール、差出人は楽。

 内容は無事意識を取り戻して暇をしてるから今から遊びに来いと言う話。

 あれだけ状況を楽しんでいた要が言うのもなんだが、楽も楽でいつも通りだと安心する。

 母親に告げれば結深(ゆみ)は笑顔で頷いて見舞い品の金を持たせて送り出してくれた。

 それから途中ショッピングセンターに立ち寄って果物籠を買うと、それを下げて三人で病院へ向かう途中と言うわけだ。

 いつもは快活に振舞っている由緒だが流石にあんなことがあった後では気も落ちると言うもの。幾ら楽が無事だったとは言え、その気持ちまでが直ぐに元に戻るわけも無いだろう。

 未来としても引っ越してきた初日に運の悪い話だ。要としてもこんな事は想像していなかった。

 可能ならば早く犯人が捕まって欲しいものだと警察の捜査能力に期待しておく。


「……あんまり暗い顔しても楽に悪いだろ? だったら無事だった事を喜ぼう、な?」

「分かってるよ、そんなことっ。けどやっぱり、不安は不安だよ……」


 呟いて力なく笑う由緒。

 正義感の強い彼女の事だ。きっと胸の奥でもう少し早くに駆けつけていれば防げたかもしれないと悔やんでいるに違いない。

 例えそうだとして、だったら狙われるのは由緒になるわけで……。要としては何よりも楽が無事だったこととか由緒が狙われなくて済んだとか言う安堵の方が大きい。


「……俺が嫌なんだよ、由緒のそんな顔、見たくない」

「…………ごめん。……うん、笑うよ。笑ってれば、怖いこと考えなくて済むもんね」


 空元気だろうが何だろうが構わない。全員無事ならそれでいい。

 要も自分の気持ちを整理して前を向く。


「未来も、なんだか悪かったな」

「……何でお兄ちゃんが謝るの? もしかしてお兄ちゃんが…………」

「一緒に居ただろうが、どうやってやるんだよっ」


 無理に茶化せば未来もようやく笑う。そうだ、笑え。笑えばそれ以上考えなくて済む。

 そうしてどうにかいつも通りを取り戻して楽の元へ。受付の人に話を通して病室を聞くと教えてもらった部屋へ向かう。

 辿り着いた部屋割りを見ればどうやら個室。寂しそうだとどうでもいい事を考えて扉をノック、スライドドアを開く。

 部屋に入ってカーテンを引けばそこには緩い服に身を包んで遠い目で窓の外を眺める楽が座っていた。

 黙っていればこいつも絵になるのにとその金髪を見て思うのと同時、音楽を聞いていたのだろう彼がこちらに気がついて振り返る。


「おぉ! 我が友よ! よく来てくれた!」

「元気だな……」

「死ぬかと思ったけどなっ」


 まるで良い事でもあったかのように告げる彼に呆れつつ椅子に座る。


「朝から大変だったんだぞ? 起きたら警察の人が来るし、帰ったら帰ったで暇だし、昼飯は点滴だし……」


 ぼやく楽は、けれどやはり何処か楽しそうで、少しでも心配した自分が馬鹿になるほどあっけらかんとしていた。

 あとどうやら刺されても馬鹿は直らないし、性格が変わるわけでもないらしい。安堵と共に既に早くも疲れが湧いて来る。

 もう少しおとなしくなればいいのにと騒がしい友人を半目で見つめて、それから見舞いの品を見せ付ける


「どぉぉ!? ちょい、腹刺されたってのに食い物かよっ」

「食えるように早く直せって事だ」

「目に毒だってのっ」

「それとも何の身にもならない花の方がよかったか?」

「……食用の花ってのも世界にはあったよな?」

「それだけ口が回れば十分だな」


 いつものやり取りで彼の具合を推察する。病人に無茶なやり取りだが、それに乗る楽も悪いのだ。と何事かに対して言い訳。

 それから腰を落ち着けて話を広げる。

 要個人としては別の話題でもよかったが、避けられぬ命題として楽が口にしたのは事件のことだった。


「お前らは大丈夫だったか?」

「俺が駆けつけたときには二人以外誰も見なかったからな。由緒はショックの所為か少し記憶が飛んでるらしいから分からないけど」

「無事ならいいよ。あいつも早くつかまればいいけど」

「あいつって……知り合いか?」

「いいや?」


 紛らわしい言い方をするな。

 溜息と共に由緒の方をちらりと見る。

 先程口にした通り、由緒はそのときの事を殆ど覚えていないらしい。凄絶な光景に記憶が思い出す事を拒否しているのだろう。一時的な記憶喪失状態とでも言うべきか。

 その所為で、警察も困っているようで完全に容疑者から外れるという考えには至っていないらしい。要だって警察の立場になれば同じ事を考える。けれど幼馴染として、やはり由緒は違うと信じている。


「で、刺されたのは……」

「左の脇腹だ」

「右利き、かな」


 傷口に手を当てる楽に、未来が呟く。

 確かに普通に目の前から体の左側を刺されたら相手は右手に凶器を持っていたという事になろうか。勿論偽装の可能性もあるが。

 因みに楽は左利き。要、由緒、それから結深は右利きだ。


「未来は……?」

「あたしは左。お父さんは右」


 流石に要や未来、由緒が違うのだからその身内も違うのだろうが、可能性として一応聞いておく。一番納得がいく理不尽は行きずりの犯行……衝動的なそれだろうか。

 動機は誰でもよかったとか、そんな事に巻き込まれる被害者の側には立ちたくないと……そんなことが起こることさえ否定したいと嫌悪感を抱く。


「思えば右利きだった気もする……いや、右持ち、が正解か」

「それは警察には?」

「訊かれてない気がする、けど多分知ってるんじゃないか? 普通そういうのって病院に聞き込みとかで分かるんじゃ?」

「それもそうか」


 楽の言葉に納得して、それから探れる情報を探る。

 探偵の真似事と言えばそれまで。けれどもし犯人がこの辺りの人物なのだとしたら、要たちが狙われると言う未来もありえて不思議ではない。その対抗策として知っておくのは別に悪いことじゃないはずだ。


「凶器は?」

「そんないきなり刺されて覚えてるわけ無いだろ? うーん……ナイフみたいなものじゃねぇか? 少なくとも包丁みたいなでかい刃物なら失血のショックで死んでてもおかしくないわけだし」


 持ち運べる刃物と言えば果物ナイフとかか。その程度ならきっと直ぐに準備できるし……となればやはり行き当たりばったりな犯行の線が強くなる。

 勿論だが、事情徴収で何が凶器だとか、そう言った重要な事は教えてもらっていない。勿論聞くだけ聞いてみたが守秘義務だそうだ。


「と言うか考えるだけ無駄だろ。顔も分かってないんだから、すれ違い様に刺されたら抵抗なんて出来ないわけだしな」

「そうだけどさ……やっぱり知っとかないと怖いだろ? 対処できないとしてもさ」

「要らしいな」


 呆れたような楽の言葉に笑えば空気がいつも通りに戻る。とりあえずこの話はここら辺りでいいだろう。これ以上踏み込めばまた未来や由緒に嫌な思いをさせる。楽だって元気に振舞っているが傷は痛むだろうし、そうすることでようやく彼らしさとして振舞っているに過ぎない。


「そう言えば入ってきた時何聴いてたんだ?」

「あ、これ? こういう時聞く音楽って何かあるかと思って暇だったから流してただけ。……あぁ、そうだ、要に頼みたいことがあったんだった」

「うん?」


 ワイヤレスのイヤホンを外しながら答える楽。それに合わせて頼み事が飛んでくる。


「よかったら要のノート貸してくんない?」

「ノートって……あぁ、パソコンか」

「ここネット使えるらしくてさ。流石に俺のデスクトップ持ってくるわけには行かないだろ?」

「別にいいよ。何、音楽作成?」

「だね。暇だし何かいいのが浮かぶかも」


 確かに入院中は暇か。

 だとしたらパソコンと一緒に何か時間潰しになる物でも持ってくるとしよう。かと言って楽は本は余り読まないし……ゲームだろうか?


「あーとはー……」

「今言っとかないと持ってこないからな?」

「わーってる、えっとぉー…………」


 頭を抱える楽に小さく笑う。

 彼の事だ、きっとろくでもない用事が飛び出すのだろうと思うが……。


「じゃあとりあえず由緒っちに頼み事」

「それ今じゃないといけないか?」

「由緒っちに売店で買ってきて欲しいものがあるんだ。金は出すからお願いできる?」

「……何を?」

「本。雑誌。ほら、いつも俺が学校で読んでるやつ」


 あぁ、週刊のあれか。まぁ暇潰しと言えば漫画や雑誌は代名詞だろう。なら小説も読めばいいのに。


「分かった」

「俺が行こうか?」

「由緒っちに頼みたいんだよっ」


 ……何か話があるということだろうか?

 言いかけた次の言葉を飲み込んで分かったと頷く。

 それから由緒がお金を持って病室を出ると、それまで能天気に振舞っていた楽が真剣な表情になって要に言葉を向けてくる。


「……犯人のことで気になることがあって。由緒ちゃんに聞かせるのは酷ってもんだろ」

「俺ならいいのか?」

「記憶違いだったら悪い。……刺されたとき、犯人の右手首……手の甲側に切り傷があった気がする」


 要の言葉を無視して語る楽。その情報に記憶を旅してみるが、流石にそれだけでは分からない。


「それからもう一つ。……信じてもらえるかわかんねぇけど、俺の記憶が正しければそいつは何も無いところからいきなり現れたように見えた」

「……は?」


 真剣な表情で語る楽の言葉に疑念を持つ。

 流石にそれはありえないだろうと。後ろからならともかく前から刺されたわけで、だとしたら前から歩いて来る姿とかを見ているはずだ。


「刺された時の事ちゃんと思い出して答えて欲しいのだけど……真っ直ぐに歩いてた?」

「あぁ。振り向いちゃいねぇし、あの道は一本道だ。曲がり角も随分先にしかない。隠れられる場所も電柱くらいしかない」


 未来の質問に真剣に答える楽。

 確かに楽の言う通り、彼の指された道路は見通しの言い長い一本道だ。曲がり角で偶然を装ってぶつかり、刺すという事はできない。

 だからこそ犯人を見ているだろうと聞いてみたわけだが、その犯人がいきなり現れた? 何も無いところから?


「警察には流石に奇怪過ぎて信じてもらえなかったけどな」

「確かに信じ難いな……。けど本当なんだな?」

「俺の主観で申し訳ないが、そうだと言いきらせてくれ」


 楽の言葉に頭を抱える。

 何も無いところからいきなり現れたというのはやはりどう考えてもおかしい。

 一般常識で考えればどこかに潜伏していていきなり現れたと言う方が納得できる。

 それから要が知っている事として一つ。楽は電柱の傍を歩かない。

 何やら電柱に対して嫌な思い出があるらしくトラウマ的に近づく事を嫌っているのだ。

 だから楽はいつも電柱が無い側に立って歩く。

 どうでもいいことだが、電柱は一本道の場合普通どちらか一方の側にしか設置されない。勿論例外はあるだろうが、大半は道一本に対し片側だけだ。


「そう言えば服装とかは?」

「……黒だったな。レーシングスーツっていうのか、あれ。それに黒いフルフェイスのヘルメット。黒尽くめって言う普通に怪しい格好だったな」


 全身黒尽くめで、更にヘルメットと来たものだ。逆にそれで気付かない方がおかしい。目を引いて当然だ。

 余計に状況再現が難しくなる。

 そんな目立つ格好で、見通しのいい一本道。しかも楽は電柱の反対側を歩いていて、犯人は隠れられないと来た。

 その上で目の前に近づいて楽を刺すと言うのはどう考えてもおかしい話。

 どこかに抜け道がある? それともそもそも楽の勘違い?

 考えて、やがて結論は空想の世界に飛ぶ。


「光学迷彩、とか? テレポーテーションとか」

「流石に超次元過ぎるよ。その方が納得し辛い。だったらまだ楽の勘違いって方が納得できる」


 未来の突飛押しも無い言葉に小さく笑って、それから一つおかしい事に気付く。


「そう言えば楽、俺が助けに行ったの覚えてるか?」

「……朧気だけど、一応。あれが要だったなら、多分」

「あれって楽が刺されてどれくらい経った頃?」

「えっと…………由緒ちゃんの悲鳴聞いて、それから多分要を目にして、だから……10秒くらいじゃないか?」

「たった10秒、ね……。ってことは何だ、犯人は陸上選手かよ。少なくとも俺が着いた時には由緒と楽以外人の姿は無かったぞ?」


 事件のあった一本道は目測だが100メートル程はある長い道だ。

 由緒の声が聞こえて直ぐ振り返った要にはこちらの道に走って出てくる人の姿は見ていない。となれば要達が道に入った交差点とは逆方向に走っていった事になるが、足に余程の自信が無い限りその背中を要たちが見ていてもおかしくない。

 そもそも要の声を楽が聞いたのが10秒と仮定するなら、道に入ってあの景色を見たのはもう少し前だ。

 肯定も否定も根拠が無い以上断定は出来ないが、普通に考えれば難しい話だ。

 乗り物と言う可能性も存在するが、だとしたら要達が音を聞いているはずだ。あの時そんな音はしなかった。


「……何だか頭が痛くなってきた」


 未来の呟きにはっとする。

 ここに居るのは要だけではないのだ。要の都合で周りを振り回しても意味が無い。

 溜息一つ。それから思考を入れ替える。


「難しい話をしすぎたな。ちょっと風に当たってくるか」

「おう、行って来い。一応気を付けろよ?」

「あぁ。由緒のことよろしく」

「まかせとけいっ」


 頼り甲斐のある軽薄な言葉に任せて未来と二人病院の外へ出る。

 元々医薬品の匂いで息の詰まる場所だ。そんなところであんな話をすれば気も滅入るだろう。要はいいとしても女である未来には配慮が足りなかったと小さく自己嫌悪。それから自販機で買った飲み物を手渡して敷地内のベンチに座る。

 白い壁の大きな病院。この辺りの地区で最も大きな医療施設だ。高校よりは確実にでかいし、その分沢山の人の出入りがある。

 敷地内にある小さな緑の楽園も病院の一角だ。人工ではあるが自然の温かみを感じつつ飲み物を煽る。


「……しかしさっぱりだな。犯人の事が分からん」

「……右手に傷があったって事は右手を見てるって事だから、やっぱり犯人は右利きの可能性が高いよね?」

「まぁそうなるか。後は黒尽くめで、どこからともなく現れて……。まるでファンタジーの推理小説だな。理解し難い」


 得た情報を思い返して想像を巡らせる。が、黒尽くめの犯人の影は揺れ動いて指の隙間から逃げていく。

 流石に物語のように都合よくは行かないか。それともあれだろうか。要は探偵側ではなく第二の被害者とか。


「……じっとしてると事件のこと考えちゃうね」

「そうだな。……少し歩くか」


 何もできないと言うのは存外に無力を感じる。気持ちだけが先行して行き場のない感情が終着点を求めて暴れ出す。

 得に親友が被害に合っている。懸念は一際だ。

 だからといって、要に何ができるのかと言われれば分からない。探偵の真似事をしてもそれは真似事で、探偵ではない。

 首を突っ込めばそれだけ危険にも近づくし、無茶をする事になる。

 それに警察からしてみれば要達は容疑者だ。下手な行動は疑念を募らせ矛先が向く可能性だってあり得る。

 だったらどうしろと……蟠った衝動は胸を突いて気持ちだけを逸らせる。


「なんだか色々災難……」

「そりゃね。誰も想像できないでしょ、こんなの。逆に想像できたからって止められるかどうかも怪しいわけだし」

「…………過去を変えられたらいいのに」


 未来の呟きは少しだけ寂しい色を灯して響く。

 誰にだって変えたい過去の一つや二つあるだろう。勿論要にだって。

 けれど過去改変は未来を歪ませる。過去とは決まってしまったから過去で、変えてはならない物だ。

 過去を変えるというのは、変える者から見て未来を変える事に他ならない。タイムパラドックスだとかそんな時間や空間的概念よりも、倫理的にありえてはならない法則だ。


「過去は変わらないから過去なんだよ。変わったらそれは誰の過去でもない、新しい未来だ」

「面白いね、その解釈。でも好きかも」


 呟きに未来は小さく笑う。

 どうやら彼女はこう言った超科学だとか多世界解釈だとか、そう言った夢のある不確定な話が大好きらしい。要も別に嫌いではない。

 想像は自由の翼だ。だから確定した過去よりも、未だ到達し得ない未来に希望を抱くのだと。

 そんな事を考えて、気付けば足は病院の裏手に来ていた。ここは陰になっていて夏でも涼しいなどとどうでもいい事を考える。

 こんな人通りの少ない場所に来てしまったのは何故だろうか。心のどこかでそういうのを望んでいたからかもしれない。

 考えてから楽の元へ戻ろうかと踵を返す。

 そうして目の前に、異物を捕らえた。

 影で暗くなった道。病院の塀にも遮られたちょっとした異空間。そこに佇む──全身を黒で染め抜いた不審人物。

 黒いレーシングスーツ。黒いフルフェイスヘルメット。鈍く輝くナイフ────

 途端、脳裏に警鐘が鳴り響く。

 こいつは……こいつがっ!


「……悪いが、こっちに来てもらおうか」


 機械的なノイズの混じった声。恐らくヘルメットの中に変声機でも着いているのだろう。耳障りな音の波が鼓膜を震わせる。

 そうして右手に持ったナイフを、目の前の人物がこちらに向ける。

 その際に袖がずれて、そこに一本の切り傷を見つける。

 黒尽くめ、ナイフ、傷持ち…………。間違いない、こいつが────


「お前が、楽を……!」

「だったらどうした。敵討ちか?」


 ヘルメットの奥で嗤う気配を見せる不審人物。

 一瞬、飛び掛ろうかと構えて、けれど直ぐ隣に居た未来が尋ねる。


「何が目的っ?」

「……お前に用は無い。用があるのは──貴様だっ!」


 言うが早いか、切っ先を要に向けた黒尽くめは地を蹴って迫る。

 その速度はまるで疾風の如く。知覚外の事に反応が出来ず、反射的に足が後ろに下がる。

 その刹那閃く鈍い刃の光。それから──見事な上段蹴り。

 見ればそれを放ったのは燃えるような髪を靡かせた未来だった。

 頭が理解を求める。

 要を庇うように目の前に立った未来は、それから後ろ腰から何かを取り出す。

 一瞬見えたそれは────銃。


「貴方、何者?」

「それはこっちの台詞だろう? なんだいその物騒な代物は」

「答えなさい! 貴方は誰! 目的は何っ!」


 両手でしっかりと抜いた銃を構えた未来は、尖った声で詰問する。

 しかし黒尽くめはそんな質問に答えることもなく、ただ静かに未来へと斬りかかる。

 そうして始まる攻防戦。

 振るわれる刃を紙一重で交わしながら銃口を突きつけようと腕を振るう未来。

 それに対し、まるで未来の行動が予知できるかのように正確に裁いて未来を切り刻もうとナイフを振るう黒尽くめ。

 まるで殺陣のように流れる戦闘シーンの中で、不意に黒尽くめが一歩を踏み出す。

 瞬間、未来の脇を抜けたその体が要に向かって突貫して来る。


「ぉわあああぁあああっ!?」


 思わず声を上げて顔を庇う。

 次いで尻に硬い地面の感触。

 冷や汗が伝うより早く命の危機を感じる。

 次の瞬間──パスッ。空気の漏れた様な音が響くのと同時、辺りにキィィィン……と金属が弾けたような甲高い音が重なって掻き消した。

 恐る恐る目を開けてみればどこも怪我をしていない。回した視界は尻餅をついた視点から、黒尽くめの背中を見上げていた。


「厄介な銃だな……」

「銃弾とほぼ同速の弾を弾くとか何その反射神経……怖いんだけど…………」


 交わされた言葉。次に響いたのは近くに小さなものが落ちた音。

 見れば突いた手のひらの横に、半分に切られたカプセルに針がついた、長さ3センチ程の小さな物体が転がっている事に気付く。

 拾い上げてみれば近未来的な小さな注射器のような形。カプセルの中には漂う靄のようなものが詰まっている。

 理解を遥かに越えた景色が流れる中、捉えた視界は黒尽くめが要に背を向けて未来と睨み合う風景。

 ……先程の黒尽くめの言葉が脳裏を過ぎる。

 厄介、と言う事は未来の持つあの銃は普通のそれとは違うのだろう。そしてその弾が、恐らく今要が手にしている半カプセル状の小さな注射器のようなそれ。

 どんな効果があるのかは分からないが、少なくとも黒尽くめを無力化する程度の武器らしい。

 その銃を、今は要が黒尽くめの後ろに居るから下手に撃てないのだろう。


「やはり銃には銃か……」


 呟いた黒尽くめは腰についたホルスターに手を伸ばす。

 気付けば体が勝手に動いていた。

 強張った筋肉に強制労働を強いて足払いをかける。

 背後からの不意だ。反応は遅れる……!

 考えて、刹那──要の伸ばした足は、空を蹴る。


「なっ……!?」


 見れば黒尽くめは何故かその一撃をジャンプしてかわしていた。まるで背中に目でも付いているかのように──


「っ……!」

「残念!」


 けれど飛べば動けまいと、その隙を狙って黒尽くめの足に向けて銃を放った未来だったが、その弾は届かずまたもや高い金属音と共に弾かれる。

 未来の持つ銃は形状からしてハンドガンだ。どんな型の銃かは分からないが、初速は遅くても毎秒200メートル。幾ら減速するとは言え、銃口を飛び出して直ぐは200メートル走を一秒で駆け抜ける弾丸だ。

 それを銃口を見てとは言えナイフで弾くなんて頭がイカれてる。

 それから続けて二発。響く空気の破裂音は、けれど高い擦過音に上書きされて消える。

 こいつは……人間を凌駕してる。頭がおかしいほどに、狂っている。


「…………貴方、ブースター使ってるわね……?」

「……だったらどうした? その『スタン(ガン)』で取り押さえて────分かった」


 スタンガン。どうやらそれが未来の持つ銃の名前らしい。察するにスタンガンと同等の威力を持つ弾を発射するのだろう。

 そんな事を考えていると、黒尽くめは耳の辺りに手を当てて誰かと話すような仕草を見せる。

 マイク一体型のインカムだろうか?


「残念だが今回はお暇させてもらう。次はお前の大切なものを、奪う」

「待ちなさいっ」


 僅かにこちらを振り返って告げる黒尽くめ。逸れた視線にまた一発、『スタン銃』を放つ未来だが、黒尽くめには通じない。

 あっけなく弾くと、左手に何かを持つ。あれは────


「音叉……?」


 次の瞬間、鳴り響く音叉の音。この音は、ラ。

 前に楽に聞いた事がある。一般的な音叉はラの音を響かせると。

 音楽の授業で習ったが日本での音名はドから順にハニホヘトイロ……。それをいろは順に並び替えてイロハニホヘト。その最初のイが音楽で言うラの音……。だから音叉は一般的にラの音で作られていると。

 そんな雑学が脳裏を過ぎる中──景色は歪む。

 紙に描いた景色の一点を中心にくしゃりと潰して皺を寄せるように。中心に黒く深い点を据えて、その中に黒尽くめが消えていく。

 やがて捩れた景色が元に戻ると、そこには既に黒尽くめの姿はなかった。

 呼吸も忘れてただ呆然とする。そんな要に未来が駆け寄ってきて声を掛けた。


「大丈夫? 怪我してない?」

「……え、…………あ、うん。大丈夫」

「よかった……」


 安堵の息を零す未来。そんな彼女の顔に、ようやく追いついた思考が疑問を口走らせる。


「さっきの何っ? スタンガンとかブースターとか……訳が分からないんだけど」

「あー……うーん、えっと。答えてあげたいのは山々なんだけど……」


 困惑に表情を歪める未来。その表情に今が安全だと知覚した後、視線を外して長く息を吐く。

 一度整理。彼女は答えてくれると言った。ならばそれは後回しだ。


「…………ごめん。何が起きたか理解はしてないけど、とりあえず未来はまだ何かすることがあるんだよね?」

「うん。いきなりのことでごめん。でもあと少しだけ我慢して?」


 彼女の言葉に頷いて立ち上がる。

 彼女は手に持ったスタンガンなる銃をしまうと要を真っ直ぐ見つめて尋ねる。


「要にとって大切な人って誰?」

「え、っと……由緒とか、楽とか」

「……由緒さんが危ないかも。病院に戻ろうっ」

「分かった!」


 理由を聞かずに頷く。

 全ては後から聞けばいい。今はまだ何も分からないのだから、彼女の言葉に従うべきだ。

 少なくとも、未来はさっき要を守ってくれたから。

 彼女と一緒に病院の中へ。

 売店を覗いてみるが由緒の姿はそこには無い。直ぐに病室へと目的地を再設定する。

 運悪くエレベーターが上の階にあって下りて来るまでがもどかしかったので階段で駆け上がる。

 途中廊下を歩いていた看護師さんに走るな、静かにと注意されつつ楽の元へ。個室でよかったとどうでもいい事を考えてノックの暇もなく扉を開けると室内を見渡す。

 そうして、そこにいた由緒と楽の姿に胸を撫で下ろす。

 よかった。未来の想像は外れたようだ。


「おう、要っ。遅かったな」

「……何か変わったことはあったか?」

「こいつがいつも通り面白いのは変わらねぇから大丈夫だ」


 言って由緒が買ってきた雑誌を振る楽。そういう意味じゃ……。けれど何もなかったようで安心した。

 由緒の方を見ると、彼女は要の視線に首を傾げて何事かと瞳で問い返す。彼女にも変わりがない事に安堵するのと同時、未来が服の袖を引っ張った。


「っと、ちょっと悪い。少し席を外す」

「あいよー。……でさー、この主人公が鈍感で…………」


 どうやら由緒と漫画か何かの話の途中だったらしい。こちらの気も知らないで暢気なことだと少しだけ苛立ちを募らせつつ廊下に出ると未来に向き直る。


「何だ?」

「他に大切な人と言ったら誰?」

「…………後は、未来と」

「あたしはいいからっ」

「……母さんとか」

「そっか、結深さん!」


 由緒の事を過信しているわけではないが彼女は柔道有段者。少しの荒事には対処できるだろう。最悪ここに残って楽に見張っていて貰えばいい。病院は下手な場所より安全だ。

 それよりも家にいる結深だ。家には今結深しかいない。透目は手続き等でこの時間は外にいる。結深は一人だ。

 彼女はただの主婦で、由緒のように武術を嗜んでいるわけでもない。一介のか弱い女性だ。要の大事な人。狙われるとしたら、彼女──

 思い至るのと同時、もう一度病室に顔を出す。


「悪い……ちょっと急用が入って、これから戻らなきゃならないんだ」

「それじゃあ私も…………」

「由緒はここにいてくれ。直ぐに終わる用事だから迎えに来る。それに楽のことも見てて欲しいし」

「……そう? 分かった」

「後でメールするから」

「みくちゃんは?」

「家の事だからあたしも一緒に」

「そっかぁ、ざんねん……。それじゃあ後でねっ」

「あぁ」


 とりあえず二人の事はこれでいい。後は出来るだけ早く家に戻るだけだ。

 腕時計を確認して、現在時刻が午後四時半。

 家から病院までは駅一つ隣だ。車でも十分ほど掛かる。バスと電車、それに徒歩での移動となれば二十分は掛かるだろう。流石に走って行くのは得策ではない。

 さて、どうするか……。

 考えつつ病院の外まで来たところで、未来が深呼吸一つ落として足を止める。


「まだ何かあるのか?」

「うぅん、逆。これから家に戻るんだけど今から車呼んでたら倍の時間掛かるから……」

「それは俺も考えたけど、それ以外に時間を短縮する方法なんてないだろ? 勿論親切な人が居れば連れて行ってくれるかもしれないけど……」

「だから飛ぶ」

「…………は?」


 何を言い出すのかと身構えたが、流石にその言葉は予想外。思わず聞き返して固まってしまう。


「えっと、言い方が悪かったかな……。色々説明はしたいんだけど多分見せて納得してもらった方が簡単だから」

「どういうことだ?」


 要が聞き返すと、彼女は「ついて来て」と病院の裏手に回ると、静かに答える。


「────これから時間と空間を飛んで家に戻る。所謂タイムトラベル。あたしはタイムマシンの真似事が、できるんだ」


 タイムマシンとはあのタイムマシンだろう。時間の流れを越えて未来や過去へ旅をするという架空の機械。

 彼女の言うべきことが本当ならば、何かしらの能力や機械でタイムマシンに類似した時間移動が行えるということ。


「……それ本当?」

「本当。だから今さっき言ったよ。見せて納得させるって。その上でさっき後回しにした色々な疑問も答えるから」


 まるで禁忌に手を伸ばしたように何故か胸が跳ねる。

 それは異常だと。それは非日常だと。それは異端だと。

 その境界線の淵に立たされて、要の心は燃えるほど熱く震える。


「時間がないの。納得したら手を──」

「もちろんっ」


 是も非もなく彼女の手を握る。

 柔らかくて暖かい、小さな女の子の手。

 普通ならばどぎまぎして、落ち着かなくて、うれし恥ずかしいものなのだろう。

 けれどそんな感情以上に、要の心は未知の事象に躍っていた。


「一瞬重力方向が歪むから気をつけて」

「どの程度? どっちに?」

「体感は変わると思う。方向はランダム。けど多分今のお兄ちゃんなら重力の方向が変わるくらいだと思う。まだここはお兄ちゃんにとって現実の時間軸だから」

「わかった」

「それじゃあ行くよ。目を閉じて、家を思い浮かべて……」


 彼女の鈴の音のような言葉が耳に転がり込んで来る。

 静かな響きに従って目を閉じ、脳裏に自分の家を思い浮かべる。

 形の景色に僅かに色を思い浮かべるのと同時、体がいきなり後ろへ引っ張られる感覚を味わう。なるほど、これが重力方向の変化か。今は前から後ろに……。つまり仰向けで空を落ちているようなものなのだろう。


「……いいよ、目を開けて?」


 けれどそんな感覚も一瞬。気付けば要は家の前で未来と二人立ち尽くしていた。

 繋いだ手の感触と温度は確かに存在する。恐る恐る触れた家のコンクリートの壁も熱に当てられて火傷するほど熱い。そこにある事を実感する。


「…………本当に、移動した……」

「急ごう、飛んだ意味がなくなる」

「あぁ……」


 ちらりと見た太陽はさっきより少しだけ傾いている気がして、それからここはあの時から未来なのだと気付く。

 早足に玄関を抜け扉を開くのと同時、リビングへ顔を出す。


「あら、おかえり。楽君の様子はどうだったの?」


 返った声。そこにいるという事実に思わず足の力が抜ける。

 崩れ落ちそうになった体を扉に齎せて息を吐く。

 刹那、胸のうちから熱い感覚が込み上げて来る。咄嗟に洗面台に駆けて口を開けばそこから吐瀉物が零れ落ちた。

 口の中が胃液の酸っぱさで満たされる。口を濯いで拭えば背中に声が掛けられた。


「大丈夫……?」

「これは、タイムトラベルの副作用か?」

「多分最初だけだと思う。あたしもそうだったから。忘れてたの、言ってなくてごめん」

「いや、この程度なら何てことない。それ以上に──少し楽しいから」


 顔を上げて鏡を見ればそこにいる要はやはりと言うべきか少し笑っていた。

 こんな状況で、胸は高鳴っている。未知の現象に心躍っている。

 こんな要はやはり狂っているのだろう。けれどそんな狂った要が楽しいと思えるのだから、間違いなくこの現実は非日常だ。


「吐いた後は飲食は駄目なんだっけな……」


 呟いて、それから背後の未来に向き直る。


「それで、これからどうするんだ?」

「今お父さんがこっちに戻って来てるから結深さんの事をお父さんに任せる」

「それから由緒を迎えにだな?」

「単独行動は危ないから行く時は一緒にね。とりあえずお父さんが帰ってくるまで待ってよう」

「その間に少しでもいいから教えてくれないか? さっき何が起きたのか……」


 真剣に告げれば未来は頷く。

 結深に楽の事だけを伝えてリビングを出る。

 その際に未来は閉まった部屋のドアノブを先程のスタンガンなる銃で撃った。


「空間固定弾だよ。本当はこんな使い方をするものじゃないんだけど、とりあえずこれで解除しない限り誰も中には入れない。……あたしの部屋に来て、そこで話をするから」


 どうやらあの銃はスタンガンと言う名前ではあるが幾つか弾の種類があるようだ。

 名前について言い訳が欲しければ幾らでもできるだろう。例えば今の空間固定弾は、空間をスタン……気絶させて開かずの密室を作り出したとか。そんなことはどうでもいいか。

 階段を上がり左を向けば廊下。そこから左の突き辺りが要の部屋。その手前の扉が新しく準備した未来の部屋だ。

 彼女の後について部屋に入る。

 目にした景色は女の子らしい色合いの、小物の多い部屋────などではなく……簡素で寂しい、とても16歳の少女が持つ彼女だけの空間とは言い難い、家具以外に何もない部屋だった。


「……何もないのがそんなに変かな?」

「期待してたのとは少し違うかなって……」

「女の子らしいものなんて必要ないし、邪魔になるだけだから」


 言って髪飾りを指で触る未来。

 そうして語る彼女は、今まで一緒にいたはずの女の子らしい彼女とは別人のようだ。

 声のトーンこそ変わらないが、口調は尖ったそれへ。暖かい色を灯していた橙色の瞳はいつの間にか強い意思を湛えているし、彼女の象徴たる長い髪もまるで周りを拒絶するように辺りの風景を遮断して遠ざける。

 何処か冷めた彼女。そんな中で彼女らしい色を持つものと言えばその髪飾りだ。

 特に部屋が殺風景な所為もあって、余計に目に留まる。

 要の視線に気付いているのかいないのか、クッションを準備した彼女は椅子を挟んで向こう側に座った。要も未来の正面に腰を下ろす。


「それで、えっと……どこから答えようか…………」

「えっと、未来は? 君は一体何者なの?」


 要の興味は何よりも目の前の少女へ。

 妹としてはまだまだ他人の距離。人懐っこい笑みは鳴りを潜めた目の前の彼女について言葉を向ける。


「そうだね、そこからがいいかも。…………あたしは、未来人。少し先の未来からやってきた時間移動者」


 未来人。それは今の要を前にして取ってつけた紹介だろう。彼女の視点で見れば彼女自身は時間遡行者……要こそが過去の人物だ。


「未来って、どのくらい先のこと?」

「それは言えない。言っちゃうと制限に抵触してここに留まれないから」


 制限。また新しい単語が出てきたと脳内に記憶しながら質問を重ねる。


「何のために過去に来たんだ?」

「……この時間、この空間で時空間事件が起きるって言う予知を受けて、それを防ぐためにあたしは来た」


 予知。超能力的に言えば予知(プレコグ)。未来を覗き未来に起こる事象を把握する能力だ。


「ん……? 予知って未来限定じゃないの?」

「あぁ、えっと……。あたしたちが得意とする予知ってのは記憶に対する予知なの。だからあたしが未来で何をしているか……どこにいるかを予知するものなの」


 あぁ、なるほど。

 つまりはその予知した未来で、未来が過去に来ていたから……そしてそこで事件が起こることまで分かったから予知通りに過去に来たと、そういうことか。


「時空間事件ってのは?」

「言葉そのまま、時間とか空間を歪めて起こる事件のこと。正式名称は時空間隔絶事象変革事件。長いから時空間事件。いわゆる過去改変だとか、そういう類の話。お兄ちゃんもそれくらいなら分かるよね?」


 勿論だ。

 タイムトラベルや過去改変を題材にしたSF、ファンタジー小説は沢山存在する。そんな話に現実に直面したということだろう。


「そう言った時空間事件を解決するのがあたしが未来で所属している公的機関……通称、時空公安機関『Para Dogs(パラドッグス)』。名前の意味は単純、銃弾……パラベラム弾と犬の造語。時空間を司る厳罰を操るの犬。それから、時間の逆接……タイムパラドックス」


 いいダブル……いや、皮肉も交えてトリプルミーニングだ。よくそんな言葉を思いついたものだと、組織を立ち上げた人物のユーモアに胸の内で小さく拍手を送る。


「未来から来たって言ったよね……。それってつまりさっきみたいなタイムトラベルでやってきたってこと?」

「……厳密には少し違うけど、まぁ大体は。お兄ちゃんは、超能力ってあんまり信じてないんだよね?」

「そうだね。けど今さっきやってくれたことが超能力って言うなら、体験した以上信じざるを得ないかな……」

「超能力って言い切っちゃうと語弊があるかな……。実際は科学技術で全部説明出来ちゃうわけだし」


 確かに未来の言う通りだ。

 要の生きるこの時代では、まだタイムマシンは完成していない。ただし未来へのタイムトラベル紛いの事は体験できる。

 光速に近い速度で飛行するロケットで移動すれば地球上で普通に歩いている人間と比べ、時間の進みが遅くなるのだ。

 例えばそのまま二時間をロケットの中で過ごし地球に戻って来るとする。

 仮にだ、光速に近い速度で飛ぶロケット内の時間が地球上の二分の一の速度で時間が進んだとしよう。

 するとロケット内では二時間経過していたとしても、地球上では四時間経過していた事になる。二時間前に出発したのに二時間経って戻ってみれば着いたのは出発した四時間後。

 これをもっと長い目で見れば年単位の時間移動が可能だろう。勿論、光速に近い速さで飛行するロケットの開発や、ロケット内の光に近い速度に耐えるだけの前提が必要ではあるが……。

 因みに、要の記憶が正しければ現在のロケットの速度では一年の宇宙生活で、ようやく現実時間の0.01秒しか未来には進めなかったはずだ。単純に考えて宇宙で100年過ごせば一秒後の未来へ行ける……。けれどそんなことで一秒未来に行ったとて何ができるのだろうか。

 それほどに光の速度は速いし、ロケットは遅い。勿論、遅いと言っても秒速15キロメートルとかだ。地球上で比べれば銃弾など相手にならないほど馬鹿みたいに早いわけだが。

 それよりも単純で分かりやすい身近な体験といえば睡眠だ。

 寝ると一瞬で時間が経ち朝に目が覚める。知覚出来ない速さで周りの時間が流れるのではなく、時間の流れを知覚出来ないほど脳の処理速度が減速する。そうすることで周りの時間が勝手に流れて、意識が覚醒したところで未来に飛んだと錯覚するのだ。

 これらは全て相対性理論に基づく仮説だ。この理論では光速を基準に考えられている。

 だから光と時間の関係を元にこうした仮説が成り立つし、光の速度を越えることができれば過去に行けると言われるのだ。

 もちろん、前提として相対性理論が正しければ、の話だが。

 以上から、仮説の上の説明は科学でも可能だ。

 しかし現状地球上に存在する全てを使っても未来に行く事は出来ても過去に行く事はできないとされている。

 先程のロケットの話で例えよう。

 光速に近い速度と言う同じ前提で、幾ら長い時間を宇宙で過ごしたとしても、ロケットが飛ぶより前の時間には戻る事は出来ない。

 なぜなら光速の条件下で時間は遅くても進んでいるのだ。

 もし相対性理論を信じ過去に行きたいのならば、時間……光の速度よりも速く移動するしかない。

 数年前、ニュートリノと言う素粒子が光より早い速度で移動したと外国で観測されたらしい。それが本当ならば利用すれば過去への時間遡行も可能だろう。

 けれどニュートリノはその観測段階で不備があったとかで正しい実験結果ではなかったとその論は撤回された。事実は分からず仕舞いだ。

 ただ、ニュートリノと言う素粒子自体は存在するし夢見る誰かは今日も世界でその可能性を信じて実験をしているのだろう。

 そんなタイムトラベル……タイムマシン論。

 それを現実にする存在が、目の前の未来の力なのだろう。 


「一つ聞いてもいい?」

「何?」

「未来でタイムマシンは完成してるの?」

「……それには答えられない。制限に抵触するから」


 制限。またそれかと疑問を募らせる。

 彼女の言う制限とは何に事を発するものなのか。

 未来人が過去に来る際に生じる概念的なもの? それとも彼女の持つ異能に付随する能力制限みたいなもの?


「ある理由からあたしは未来に起こる出来事、未来の常識を言葉にしたくないの」

「したくない……?」

「そう、したくない。しようと思えば出来る。けどした瞬間、制限に抵触してここから前の時間に強制送還されるの」


 ……なるほど、少し分かってきたぞ。

 つまりは過去の人物に未来の事を教えるのはタブーと言うことか。それをしてしまうと未来自身にとっては都合が悪い。だから答えることが出来ない。

 だとするならば疑問が募る。


「さっきの、えっと……未来がいた組織…………」

「『Para Dogs』?」

「そう。それの説明はよかったの? 未来の事に抵触するんじゃ?」

「もしその言葉が制限に引っかかるようならあたしが感覚的に分かるの。言ったら戻されるって。けどそんな感じはしなかった……。多分誰がいつ設立したとか言うと戻されると思うよ」

「曖昧だなぁ」

「……この異能力はね、まだまだ謎の部分が多いんだ。幾つもの種類があって、その原理は全部科学で説明できる。なのにどうしてそれが人間に備わっているのか、どうしていきなり発現するのかって言う理由も分かってないんだ」

「発現?」


 とりあえず制限云々の話は横においておくとしよう。今彼女の視点で都合がいいならそれに越したことは無い。


「うん。この異能力はね、生まれつきのものじゃない。子供の頃勝手に発現する一種の病気みたいなものなんだ。けれど一生消えることは無い。何でそんな異能力が発現したかも分かってない」

「発現する予兆は?」

「それはある程度分かってる。どんな能力かまでは発現しないとわからないけど、いつ誰がどこでって言うところまでなら特定できるよ」

「……因みに俺は?」

「もちろん、答えられないよ」


 …………やっぱりそうか。

 けれどこれでまた一つわかった事はある。

 タイムマシンや『Para Dogs』と言った物としての名詞は口にしてもいい。けれど人の名前のような個人を特定したり、その者の未来を教える事は出来ないというわけだ。

 それから思い出した事を一つ。

 未来は要と会ってから、彼女自身の名前を口にしてはいない。未来(みらい)と書いて……とは語ったが、明日見未来だとは一言も名乗っていない。そしてそれは透目も同じだ。

 

「それってもしかして自分の名前も入ってる?」

「……よく気付いたね。けど今は大丈夫。今は言えるよ。あたしの名前は、明日見未来」


 うん? 今は?

 と言う事は過去に来て一定時間経つといいということか?

 とりあえず棚上げして思った疑問を言葉にする。


「……透目さんも言ってなかったよね。ってことは……」

「お兄ちゃんの思ってる通りだよ」


 彼もまた、未来人。

 未来と同じように異能力を持っているかどうかは今のところ不明だが。

 

「後一つ。…………僕がこの人は未来人だとか言っても大丈夫?」

「それは大丈夫。あたし自身も未来人だって言ってるし。ただいつから来たかをあたしは明確には言えない。制限に抵触するから」

「分かった……あぁ、あと異能力についてか」

「それは教えられるよ。けど時間が掛かるから余り中途半端にするとね……」


 つまりもう少し時間があるときにするべき話と言うことだろう。

 今は透目が返ってくれば由緒を迎えに行かないといけない現状だ。後どれだけの時間があるかも分からないうちからするべき話ではない。


「なるほど…………それじゃあ最終確認。未来と透目さんは未来人。この時代で起こる事件を解決するためにいつかの未来から来た。未来は異能力を持っている」

「うん。もっと詳しい話は由緒さんを迎えに行ってからにしよう」


 言いつつ立ち上がった未来は窓から顔を出して道路の方に視線を回す。


「ナイスタイミング。お父さん帰ってきた」

「それじゃあ行くとするか」


 まだまだわからない事はたくさんだ。

 けれどそんな未知に、要の心は今も尚跳ねている。

 これこそが非日常だと。要が欲していた歪んだ世界だと。

 危ない沼に足を踏み入れる覚悟を置き去りに、好奇心と興味が先走る。

 やっぱりこんな要は人間として壊れているのだろう。人間失格なのだろう。

 けれど、そんな狂った要自身が、今を楽しいと思っているのだから、理由としてはそれだけで十分だ。

 傾き始めた太陽に今から外に出れば帰りは少し寒くなるかもしれないと想像を巡らせる。

 未来に断って一度自分の部屋へ。クローゼットから薄手の長袖を取り出すと、とりあえず邪魔にならないようにそれを腰に巻いておく。

 その際にふと時計が目に入った。

 時刻は午後五時。未来の部屋で話していたのが体感で十五分ほど。となると帰ってきたのは十五分前と言う事になるが、病院を出たのは四時半だったと記憶している。

 幾ら時空間を超越すると言えど流石に出発時間と同時刻に別場所に移動する事は難しいのだろうか。

 恐らく移動には幾つかの時間が必要になる。けれどうまく使えば便利な異能力なのは確かだ。

 問題は使用後のリスクだとか、彼女の語る制限と言う事になるのだろうが……。その辺りは帰って詳しく聞くとしよう。


「よしっ……あれ?」


 未来の部屋と比べて沢山の物……特に本が目立つ自室を見回す。

 その見慣れたはずの景色に、何かが足りないと気付く。

 いつもあるはずのもの。けれど何がなくなっているのかがよく思い出せない。

 ……もしかしてこれも彼女の時間移動によるものだろうか。例えばよく似た平行世界に移動するとか────

 だとしたら元の世界に帰る事はできるのだろうかと少しだけ身を震わせて、今は深くを考えないようにしておく。

 これも後で未来に聞けばいい事だ。異能力については話してもいいと言っていたのだ。巻き込まれた側として聞く権利はあるだろう。

 色々な疑問を未解決のまま、とりあえずに放り投げて階段を下りる。すると丁度透目が玄関で靴を脱いでいた。


「おかえり、お父さん。いきなりだけど結深さんの護衛お願いしてもいい? 詳しい事は帰ってきて話すから」

「あぁ、分かった。気を付けろよ」

「もちろん。だってあたしは──」


 未来がちらりとこちらを窺って来る。何を言おうとしたのだろうか。けれどその先を飲み込んだ彼女は笑顔で誤魔化して先程リビングのドアに掛けた空間固定を解いた。

 それから要と二人、廊下に出て病院に向けて歩き出す。

 結深の安全は透目に任せてあるし、由緒も楽と一緒にいる。そこまで急ぐ必要は無い。


「あぁ、そうだ。由緒にメールしないと」


 思い出した幼馴染との約束を形にして送ると、返信が届く。

 綴られた文面に彼女らしい溌剌さを読み取って小さく笑うとスマホをポケットにしまう。


「それじゃあ行くか」

「うん」


 未来と二人、目的地に向けて走り出す。

 ここは要が物語を読んで夢見た異世界では無いけれど、僅かに軋んだ景色は要の望んだ通りの歪さで回っている。

 現実だからこそ、非日常をまざまざとその身に感じる。

 これは現実だ。歪んだ世界の正しい現実だ。




              *   *   *




「だ~から~。それは私の気持ちで…………あ、メール」


 冷たい要とは違う楽との楽しい会話。弾む話題はいつの間にか明確な矛を持って由緒に突きつけられていて、それをかわす彼女は、けれどやはり何処か楽しそうに柔らかく笑う。

 そんな彼女に楽は退屈な時間を忘れ、夢を追いかける少年のように瞳を光らせて言葉を向ける。

 人生において気が会う者というのはそう多くは無い。楽しい事と理解している事と言うのは違うのだ。

 理屈と感覚は相容れない。だから喧嘩もするし仲直りも出来る。

 そんな偶然の出会いを得たなら、人は改めて感謝をするべきなのだ。


「これからこっち来るって」

「そっか。そりゃ寂しくなるな」

「また来るよ。今度は楽しい話を持ってっ」

「やめてくれっ、そこに俺はいないだろうがっ」

「いっひひ! 自慢だよ~だっ」


 いつものテンションで会話を交わして楽の病室を後にする。

 清潔感のある白い壁は潔癖なほどそこにいる存在を拒絶する。

 白は何にでも染まる色ではない。何色をも拒絶する孤独の色だ。

 だからこうした施設は白いし、人の身を流れる血は赤い。

 それが人間だ。

 不意に過ぎった哲学染みた何かに着地点の違う答えを生み出して目に入った景色に目を細める。

 眩しい太陽。

 そろそろ日も傾き始める。暑い日差しに夏を感じて、そう言えば病院に来てからまだ飲み物を飲んでいなかったと思い出す。

 今病院の中に戻ったら涼しい冷気に当てられて二度と出て来られなくなるかも……。

 涼しい病室でのんびり過ごす楽に心の内で恨み節を送りつつ自販機のボタンを押す。

 水分補給にはスポーツドリンクだ。そう言えば少し前にスポーツドリンクは砂糖水だから飲みすぎるのはよくないと要が言っていた。

 けれど好きなものはしょうがない。音感は無いが運動神経は悪くないはず。柔道だって黒帯だし、男の要にだって負けはしない。運動をすれば……喉が渇けばつい飲んでしまう。

 それに今日はまだこれが一本目。……と誰に対してか言い訳をしてキャップをあける。

 喉を通る冷たい感覚が体を内側から冷やしていく。

 流石私が見込んだ私の相棒。分かりきった味に満足感を抱く。


「──去渡(さわたり)由緒だな?」

「んぇ?」


 満足気な溜息と共に青い空を見上げれば、その背中に声を掛けられたので振り返る。

 その途中、頭が疑問を抱く。

 今の声、何か変じゃなかった?

 そうして、疑問が納得に変わるより前に振り返った視界で、その姿を捉える。

 黒いヘルメットに黒いレーシングスーツ。そして──こちらに銃を構える立ち姿。

 銃────?


「眠れ」


 如何にも怪しい身形をしたその人物が、雑音交じりの機械音で言葉を発する。

 刹那、危険だと判断した頭が体を動かそうとして、けれどそれよりはやく膝から崩れ落ちる感覚を味わう。


「……ぁ……ぇ…………ま…………」


 何かを告げようとした口は要領を得ないまま動かなくなり、唐突に強い睡魔に襲われる。

 影でひんやりとしたコンクリートの地面。そこに転がるペットボトルと、広がる飲料水の景色が頭の奥に消えていく。

 この人……だれ…………。

 疑問が答えを得る前に、そうして由緒の意識は遠のいて行く。

 気を失った由緒を黒尽くめは静かに見下ろした後、彼女を担いでどこかへ向かう。

 その際にずれた右手には、その人物のトレードマークのように、一本の切り傷が刻まれていた。

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