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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
四面楚歌の循環解明
27/70

第五章

 目を開ければ目の前には見慣れた廃ビル。時間軸は由緒(ゆお)が誘拐され、過去の(かなめ)達が(らく)の病室で話を聞いている頃。未だ未来(みく)が来てから二日目の夕方だ。

 随分な最初に戻って来てしまったと。

 けれどだからこそ、ここには必ず黒幕がいるのだと確信する。

 そいつは、『催眠暗示(ヒュプノ)』持ちだ。未来は断言はしなかったが、けれど別の可能性も示さなかった。つまり今重ねている推理が彼女にとっても正しいと言うことだろう。

 音楽で聴覚に干渉し、その中に潜ませた暗示で操る。恐らく聴覚干渉型の異能力が『催眠暗示』しかないから、それ以外を疑わないのだ。

 だったらもう確定だ。

 黒幕は『催眠暗示』持ち。未来からやってきた未来人で、そいつ一人では時間移動なんて出来ない。

 この時間に最初にやってくるのはそこに時空間移動能力保持者がいるから。それを知っているから。

 今更どうしてそんな事を知っているかなんて関係ない。ただ捕まえてしまえばそれで終わりだ。

 そうして、彼女を利用してまずは今より過去へ。それから要や由緒などの今回関わるだろう人物の記憶に虚偽の思い出を植えつける。そうする事で候補から遠のかせる。

 更にその『催眠暗示』を引き金に新たな暗示を上から掛ける。一度暗示にかかっているからこそかかりやすくなり、それでもって由緒を誘拐した。

 ここまで語ればもう誰だって気付く。

 黒幕が利用した時空間移動能力保持者は、由緒だ。

 そうして《傷持ち》と協力し要を捕まえようとした。

 けれどここで一つ疑問が浮かぶ。

 どうして黒幕本人が出てこなかったのか。そもそも虚偽の記憶を植えつけて、要の警戒の外にいる人物だ。《傷持ち》の証言から未来が来る事を考慮していたとしても、その最初の接触さえ《傷持ち》を使って撹乱してしまえば後は自由に動けるはず。

 ならば要が一人になる時を見計らって一気に踏み込み、抵抗する間も与えない内に要を捕まえてしまえばいいだけのこと。特に未だ証拠もない初期段階で《傷持ち》に襲われているという状況を利用し、マッチポンプにしてしまえば終わるはずの歴史干渉だ。

 要は記憶を既に弄られているだろうから、暗示に掛けるのは容易かったはず。『催眠暗示』ではなく暗示だけならば、時間移動をした後の未来人に分類される要にも効果はあるのだから。

 しかし黒幕はそうしてこなかった。遠回りに迂遠に、《傷持ち》を操って自分の手を汚さないように……足取りを隠すように振舞ってきた。

 ……違う。そうしてこなかったのではない。出来なかったのだ。

 何かイレギュラーがあった。予期せぬ誤算で計画を狂わされた。だから直接は手を出してこなかった。

 それはまるで逃げるようだと。狙っているはずの要から距離を置いて、自分の事を知られまいと黒幕の方が逃げているように聞こえる。

 そして恐らく、それは正しいのだろう。

 でなければ納得が行かないから。ほぼ確実な方法論があって、きっとそのチャンスもこれまでにあったはずだ。

 だったらその誤算とは何だろうか。それはきっと……要の周囲で起きた出来事だ。

 思い返せ……どこに違和感があった。未来は違う。由緒も被害者。透目(とうもく)も味方。冬子(とうこ)も利用され、結深(ゆみ)も巻き込まれてはいない。だからこそ残る黒幕の存在……。

 その人物がいた景色……要の記憶に残るその風景を客観視して……それぞれの視点から裏を返す。

 根回しは、要の周囲にだけ。最低限。足跡から追随されてしまうから。

 未来が来て、透目が現れて────違う、ここじゃない。もっと先……。

 見慣れた顔ぶれで……知らないはずの顔を三つ交えて向かったショッピングセンター。記憶と齟齬がないからこそそれが違和感となって経験を裏返す。

 ゲームセンター、フードコート……。そうだ。不思議に思ったはずだ。どうして疑問に思わなかった。今になって思い返せば、要にはその頃の記憶がない。あるのは、その生い立ちや趣味と言った個人的な情報ばかり。

 分かってしまえばこれまでの納得が色を変える。

 ドイツ人の血が入っていて……身近なところに外国語の先生がいて、英語が出来ないはずはない。自毛だと記憶している金髪や、異国の色をした青色の瞳だって…………異能力者である証そのものだ。

 楽器店……音楽が得意だっていうのも順序が逆。『催眠暗示』の聴覚干渉を手に入れたから音楽と言う媒介に手を伸ばしたのだ。作曲だってしてもおかしくはないが、それは趣味なんて言う生温いものじゃない。ただ利用しようとした末の零れ出た産物……まるで有り触れた趣味のように語ってカモフラージュしていただけだ。

 軽薄なノリは記憶に残り辛くするための演技っ。陽気に振舞うのは必要以上の勘繰りをされないための偽りの仮面っ。

 何より当然なのは、逆位相をたった半日ほどで作れた事。いや、作ったなんてのはこちらが勝手に想像したに過ぎない。

 きっと本来は────自分で作った『催眠暗示』音楽の逆位相を難なく要に渡して見せただけ。

 だとするならば、音楽に関する記憶を要に植えつけたのだって計算だ。そうして要が頼るように仕組んで、何も聞かずに協力する事で無意識下に仲間だと錯覚させる……!

 そこまでして自分に矛先が向く事を恐れたのだ。

 最初に立ち戻ればその用意周到さが嫌になる。

 通り魔に────《傷持ち》に刺されたのだって、全て自演だ。

 被害者に成り代わる事でこちらの考えの網を潜り抜ける。

 一体何処までが彼の手のひらの上なのだと。 

 彼──そう、彼だ。彼こそがこの時空間事件の黒幕────


「けどしかし、それより先は無粋ってものだろう」


 いつの前にか、目の前には見慣れた顔。嫌悪感が湧き上がる、自分自身の顔。

 立ち入った廃ビルの三階で、四階に続く階段の下で待ち構えるその姿。

 現状、要にとって一番分からない存在だ。


「無粋も何も、どうせ決着する問題だ。そういう意味では想像するだけ無駄かもしれないけどな」

「あぁ、そうだ。全てここで終わる。俺がお前を捕まえれば、な」


 言って向けられた『スタン(ガン)』の銃口に、けれど怯みはしない。

 これまで何度も晒された危機の一つ。全て切り捨ててきた障碍。これも、そんな数多あるうちの一つだ。

 だから今更恐怖などは沸き上がって来ない。


「決着……見てみようじゃないか、その未来。今回は全てを賭そう。ブースターはなしだ。その方が平等だろう? だからこそ意味がある」


 これまでの因縁をなぞるように嗤う《傷持ち》。その奥にあるだろう本当の仮面。

 事ここに至ってもその顔だけは分からなかったと。候補が多すぎるから絞りきれなくて、それのために時間を割いていれば今ここにはいなかったのだと。

 けれどそんなのは些細な事。今ここで《傷持ち》を打倒するなり、逃げ回るなりして、黒幕さえ取り押さえて見せればいいだけのこと。

 ……それに、だ。《傷持ち》が操られた被害者なら、それは裏を返せば協力と言う手を結べる可能性でもある。

 『催眠暗示』だって万能じゃない。精神論を語るつもりはないが、その呪縛から解き放つことだって可能かもしれない。

 『スタン銃』や『捕縛杖(アレスター)』で強制的に意識を刈り取ってしまえばその瞬間に開放される可能性だってないわけではない。ないとは断言できない。

 だからこそ可能性の一つとして振り翳す。


「平等? 笑わせてくれるなよ……勝つか負けるかに平等も不平等もないだろ? そこには厳然とした後に残る正義の価値だけだ」

「ははっ、違いないっ」


 零したどうでもいい水掛け論に、《傷持ち》は肩を揺らして笑う。

 胸の内には嫌になるほど目の前への敵愾心しかないというのに、心は知らず踊る。

 それは要がやはりずれているからだろう。この非日常に浸かって、それさえが自分の居場所だと胸と張っていられるほどに……順応と言う言葉では足りないほどに歪んでいるからだろう。

 命のやり取りに心を跳ねさせているわけではない。

 非現実的な背景に笑っているのだ。

 目の前には自分の顔をした誰かが銃口を向け、鈍色に光る刃を携えて。対するこちらは同じように抜いた『スタン銃』を『捕縛杖』と共に構え。静かに高鳴る鼓動を冷静さで押し殺して。

 互いに、命を奪うつもりがないからこそ、死よりも恐ろしい支配と言う緊張感が辺りを埋め尽くす、肌を焼くような感覚に震えているのだ。

 それが心地いいと。生きている事を実感させてくれると。誰でもない、遠野(とおの)要として今ここにいるのだと言う事を納得する。


「だからこそ答えは一つだ」


 短く息を吐いて、彼の開閉する唇に己の言葉を重ねる。


「俺はお前を」

「知っている」


 刹那に、横へと跳べば、直ぐ傍を敵意が通り過ぎていく感覚。視認できない亜音速の弾丸を皮切りに、辺りの景色が薄く延びていく。

 絞ったトリガー。腕に伝わる僅かな反動で狙いに誤差が生まれる。修正。

 気付けば接敵していた距離で、振り翳したそれぞれの得物が切り結ぶ。


「さぁ示してみろっ。お前が至った結末を、俺の前に全て晒せぇ!」


 額さえ擦り合わせる距離で吐き出された言葉に舌打ちと同時に弾き飛ばす。

 そうして再び引いた引き金は、《傷持ち》とほぼ同時。次いで景色の中で火花を散らした。

 要が《傷持ち》に合わせたのか、《傷持ち》が要に合わせたのか。それともただの偶然か。何にせよ、空を駆けた二つの弾丸はその間で互いに真正面からぶつかって軌道が逸れる。

 次いで響いた床の鉄板に跳ねる音二つ。そんな景色さえ置き去りに、有り触れたありえない風景が歴史に刻まれる。

 分かるのは、デジャヴにも似た予感。

 これまで交わしてきた交錯の中で体に刻み込まれた、それぞれの癖。戦いの呼吸。

 無意識がその記憶の引き出しを開き、次に紡がれる景色を未来視のように教えてくれる。

 右に跳んでそこへ入った追撃にしゃがむと足払い。目の前で跳んだ体が気付けば不恰好な体制で回し蹴りを放っていて、けれど頭は勝手に体へと命令を下し、腕で受け止め、跳ね上げて往なす。

 固い床を転がった《傷持ち》に向けて『スタン銃』を連射。数発当たりそうになった凶弾は、しかしまさに人にはありえない精密たる妙技で弾かれて。カウンターに飛んできた『スタン銃』を、要も『捕縛杖』で叩き潰す。

 これはもう、経験からなる結果ではない。歴史がそうある通りにか流れない事を前提にした、賭けだ。

 撃って、腕を振って、今ここで食らわないのならば弾くと言う結果が追いつく。要も《傷持ち》も、自分が相手を倒すという想像しかしていない。

 だからこそ、自分こそが歴史に許された執行者で、正しいのだと疑わない。

 疑わないからこそ、全ての行動は歴史によって肯定され、ブースターの力を借りたわけでもないのに、宛ら超人的な反応で対したように景色は紡がれる。

 歴史に認められた拳が空を切り、投げ跳ばされた先には漫画の如く猫のような身のこなしで着地。

 知らない歴史だからこそ、想像の分だけ現実になる。

 千日手にも似た互角。互いが互いを脅威と判断し、その上で相手への打てる手がある事を振り翳す。

 同じ武器は『スタン銃』だけ。ナイフは『捕縛杖』と結び、更にこちらには『抑圧拳(ストッパー)』まである。素手でナイフを相手にするのは避けたいが、例え『捕縛杖』を手放したところで未だ攻撃の手段は残っているという安心感が体を突き動かす。

 銃口を僅かにずらし顔の横へ。カウンターに入れた『捕縛杖』はナイフで弾かれる。そうして同時、考えた事は鏡写しに左足を軸にしたハイキック。

 攻撃をしながら挟んだ防御で、クロスカウンターのようにそれぞれのこめかみを蹴り飛ばす。

 お互いが相手の攻撃で吹っ飛ばされ固い鉄板の上を転がる。幾つも鈍く唸る打撲は服の下。肩に肘にと擦過傷をつくりながら、それでも体は止まらない。

 少しでも休めばその隙にやられる。だからこそ無理を強いてでも目の前の敵は打倒するべきなのだ。

 肩で息をしながら立ち上がって『スタン銃』を撃つ。横に転がって避けた《傷持ち》が、その回避行動の中でこちらへ反撃の『スタン銃』。『捕縛杖』で叩き捨てれば、腕に響いた反動に思わず取り落とした。

 震える指先。力の入らない手のひらを拳に握って威圧する。まだだ。まだ終わってないっ。

 奥歯を噛み締めて思いっきり床を蹴る。今出る全速力。走る中に狙いも定めず『スタン銃』を連射する。その幾つかが《傷持ち》へ向けて走り……けれど(すんで)のところでナイフに切り落とされた。同時に弾切れでスライドが引っかかって止まる。

 けれど同時に、《傷持ち》の手のひらからもナイフが落ちて跳ねる。そうして僅かに生まれた空白に、詰め寄った距離で拳を突き出す。

 焦るような表情の《傷持ち》が拳の進路上に銃口を据えて……そうして起こる刹那の交錯。

 ブースターがあれば変わったはずの景色は、けれど無情に時を刻んで過去へと移る。

 要が見えたのはトリガーをしっかりと絞った《傷持ち》。さすがに発射された弾までは見えない。

 代わりに《傷持ち》へ突き刺さったのは、これまで幾度も空を掻いて来た『抑圧拳』の一撃。

 確かな感触と共に唸った拳は、硬い頬骨にぶつかって振り抜かれる。

 そうして、全体重を乗せた一撃が《傷持ち》へと叩き込まれた。

 後ろへと吹っ跳んだ《傷持ち》が、その跳んでいく瞬間に振り上げた足のつま先で要の『スタン銃』を蹴り飛ばす。

 宙へ舞った未来譲りの相棒は、それから僅かな間を開けて遠くへと滑ってとまった。

 少し遠くに《傷持ち》が大の字で倒れる。大きく上下する胸と開いた口からは荒い呼吸。

 要も立っていられなくなり、膝を折ってその場に崩れる。

 ……やった、ようやく、当ててやった。これで《傷持ち》は、もう逃げられない…………!

 『抑圧拳』の半日間に渡る異能力抑制効果。《傷持ち》は異能力保持者ではないけれど、同時に他者からの異能力の干渉も受けなくなる。だからもう、《傷持ち》は『音叉』を使ってここから逃げる事は出来ない。

 ようやく捕まえたのだと。

 荒い息を唾液と共に押し込んで、それから近くに落ちていたナイフを拾い上げる。辺りには幾つも転がった『スタン銃』の弾。踏み出した足はカプセル型の注射器を靴で踏んだか、足の裏でパキリと音を立てた。ガラスの割れるような音と共に《傷持ち》の傍へと近づいて、手に持ったナイフの切っ先を向ける。


「…………降参、しろっ。もうお前は、逃げられない……!」


 チェックメイトだと告げれば、《傷持ち》は笑みを浮かべる。

 その不気味な微笑みに背筋が凍りついたのも束の間。次の瞬間には上体を起こした《傷持ち》の拳が要の腹部に突き立てられていた。

 予想外の……いや、油断に重ねられた反撃に思わず崩折れる。

 もう碌に動かない体に鞭を打って首を回せば、目の前に立ち上がった《傷持ち》の姿。

 気づいた時にはその足が要の手を踏みつけていた。


「ぃっっでぇっ!?」

「ははっ、油断大敵だ! 甘いんだよ、お前は! 俺を殺す気もないのに止める? ふざけるのも大概にしろ! 勝負なんてのはな、死ぬ気になって初めて決着するんだよ!!」


 言いつつ要の手を踏み躙る《傷持ち》。硬い鉄板と凹凸の激しい靴底に挟まれて手が痛いほどに踏み潰される。足首を捻る度、冷たいほどの激痛が骨さえも砕かんとばかりに走り抜ける。見れば手の甲が真っ赤に染まって、何箇所かは皮膚が裂け、血が流れていた。

 やがて《傷持ち》の靴先が要の手のひらを蹴ると、手放したナイフを拾い上げて弄びながら告ぐ。


「それからなぁ、気付いてないようだから教えてやるよっ。最後に撃った『スタン銃』……あれはお前の体を狙ったわけじゃない。その手袋……『抑圧拳』の効果を消すために撃ったんだよっ。空間を縛り敵を沈黙させる無力化制圧の武器。だったらもちろん、異能力の込められたそれを無効化する事もできるだろう?」


 どこか遠くに聞こえる《傷持ち》の言葉に頭はやけに冷静にその意味を教えてくれる。

 つまりは、『抑圧拳』に向けて打った『スタン銃』で、『抑圧拳』の効果を消してしまったのだろう。


「……俺はお前を知っている。だからこそ、その手のひらにもう感覚がない事も知っていた。だから利用させてもらった。なかっただろう、『スタン銃』の弾が当たった感触なんて」


 思い返してみるが、確かにそんな覚えはない。事ここに至ってそんな対抗策を突きつけてくる辺り《傷持ち》も十分に追い詰められているのだろうと。

 至って、それから痛む手のひらを無視して立ち上がる。


「……何だ、まだ立てたのか」


 まだ余裕のありそうな悠々とした足取りで『スタン銃』を回収してこちらを見据える。


「その気概は嫌いじゃない。……あぁ、そうだ。なら一つチャンスをあげようじゃないか。ここまで辿り着いた褒美だ」

「…………そういうの、フラグって、言うんだぞ……?」


 楽の受け売りで物を語ってにやりと笑う。

 例えこの場限りでも、威勢を張るだけ僅かに追い詰める事が出来る。


「物語の分かりやすい伏線、だったか? だが残念だな。これは物語じゃあない。捩れ曲がった現実だ。事実は小説よりも奇なり…………それを体現した現実だ」


 まるで向かう未来を嘲笑うかのように告げる《傷持ち》。その感情を宿さない瞳を真っ向から睨み返す。


「這いずってでも上って来い。そうしたら答え合わせをしようじゃないかっ」


 ────ならば答え合わせをしようじゃないか。真実は俺を追いかけてくれば見つかるだろう


 記憶の中の言葉が脳裏に反響する。まるでその時が訪れたと言う風に、《傷持ち》はその表情に僅かな喜悦を浮かばせた。


「その上で、潰してくれる。目の前でその希望とやらを否定してやろう。抱いた夢を諦めさせてやろう。歴史は一つ。答えも、一つ。終わりと始まりを、紡ごうじゃないかっ」


 くつくつと肩を揺らして嗤った《傷持ち》が、いつの間にか手にした『音叉』。先ほど語った『抑圧拳』の無効化が真実である事を示すように、その姿が時空の奥へと消えていく。

 思わず手を伸ばしたが届くはずもなく。そうして崩した重心が視界を傾がせて鉄板へと倒れ込む。

 鈍く痛みの広がる全身に、胸を大きく上下させながら考える。

 ……一度未来のところに戻って…………。駄目だ。彼女との約束を不意に出来ない。それに逆手にだって取れる。

 満身創痍に見えるからこそ、突くべき隙は存在する。これ以上未来を困らせられない。

 やるしかないのだ。

 《傷持ち》は、するべきではない油断を見せた。まだ見ぬ未来に向けて、可能性を捨てた。

 ここで要を捕まえなかったのが運の尽きだと。要だって自分が勝つことしか頭に無い。

 《傷持ち》の見せた慢心こそが、敗因になるのだと。

 気概を振り絞ってどうにか立ち上がる。『スタン銃』と『捕縛杖』を回収し、ふらつく足取りで並び立つ鉄骨から鉄骨へと体を預けながら前へと進む。

 この廃ビルは目算十階建て。今いるのが三階で、床があるのが八階まで。この時間は由緒が誘拐された直後……。彼女は今、この建物の六階にいる。

 後階段を三つ分。見上げた傾斜は随分と急に見えて気が遠くなる。一段が高い。足を持ち上げるのが一苦労だ。

 けれどしかし、この上に真実が待っている。要が勝つという疑うことの出来ない事実を秘めている。

 だからもう、後戻りは許されないのだ!

 唇を噛んで己を叱咤すると、ようやく上るべき最初の階段……その一段目に足を掛けた。

 あと、何段あるだろうか……。

 朦朧とし始める意識を振り払いながら手摺に縋ってまた一歩を踏み出す。

 もう少しなんだっ。これを上り切れば、全ての辻褄を縫い合わせるだけの結果を得られるのだ!

 だから進め。全ての最後にその場で動けなくなってもいいから。今だけは前へ進めっ!

 そうして、黒幕を捕まえろ────!




              *   *   *




 手のひらの感覚が不意になくなって、所在無く下へと垂れ下がる。開いた手のひらでそこに残る彼の手の感触を思い返す。

 一体どれ程自分を追い込んで、その胸に大志を抱いているのだろうか。

 どれ程この歴史に執着しているのだろうか。

 考えてみても彼の思っている事は分からない。

 あたしは、ただ時空間を行き来できる理の外の存在だ。歴史がそうある通りに流れるように、歴史再現を繰り返し未来を守る番人だ。

 『Para Dogs(パラドッグス)』 時空間隔絶事象変革事件対策室第二課所属、明日見(あすみ)未来。長ったらしい役名を反芻して一つ息を吐く。

 今回の話は、あたしが直接出向く事が予知によって知らされた時空間事件だ。

 今までは、ただ任されるままに歴史を守ってきた。未来のほかにも現場に慣れた人はいて、その人がやっても変わらない中で、出来る限り安全な部類の話を回して貰っているのだと思っていた。

 けれどそんな想像は、彼との接触と、語られた推論で揺らいでいる。

 歴史はその通りにしか流れない。全てに理由があり、沢山の過程を経て正しい未来に帰結する。

 それが今回の護衛対象、この時代の隠れ蓑たる遠野家で出会った、今のあたしのお兄ちゃん──遠野要の言葉。

 幾つもの根拠と共に並べられた推論は、これまで未来が応対してきた事件の裏打ちをするように確かな実感を伴って否定を許さなかった。

 異能力によって起こる事件の解決。それに伴う異能力の悪用。それを防ぐ制限。

 そもそも、人の身を超えた力であるそれに、制限が伴うというのはおかしな話だ。

 異能力は、過去の人々が夢見た便利で全能の力。神様のように多種多様でリスクのない魔法のような力。

 誰もがそんな最強で使い勝手のいい理想を望むものだ。

 一度だけどんな願い事でも叶うとしたら何を願う? 使い古された問いは、きっと少し考えれば行き着く結論。

 願い事を叶える回数の制限を無くす。そうすればやりたい事がし放題だ。

 だとすれば能力だって人が臨むように作られ、制限なんてつくはずはない。

 もし異能力が人の夢から生まれた力ならば、そこに不都合は生まれないはずだ。

 しかし現実に異能力には制限がついて回る。出来ない事が存在する。完璧にして全能の、神様の力ではない。

 何のために出来ない事を決められているのか。

 その疑問は、未来がずっと抱いてきた違和感だ。

 異能力のその本質は、未来のいた時代でも解明されきってはいない。原初の異能力が、どんな理由で人の身に宿り開花したのか。

 推論こそ沢山あって、結果から逆算する過程は後を絶たないが、けれどたった一つの真実はまだ見つかっていない。

 そんな完全ではない異能力。制限の中で、未来は幾度も違和感を経験してきた。

 制限がなければもっと起きていた筈の時空間事件。制限がなければ未来の知る以上に発達していただろう未来。

 それがまるで、制限によってコントロールされているような違和感。

 ……違う。制限がある事で、異能力を現実たらしめているのだ。

 人が神様にならないように。見えない力がリミッターをかけているのだ。

 だから不破が生じて、事件が起こる。

 それはまるで、制限によってすべてが守られているように聞こえる。

 歴史が、守られているように聞こえる。


 ────歴史はそうある通りにしか流れない。


 何度も反響するその言葉が、言葉以上の意味を持つ。

 まるで制限のお陰でそうある通りに流れているというように。異能力の登場自体も、歴史に決め付けられていると言われているみたいに……。

 考えれば考えるほどにその言葉に縋りたくなる。

 都合がいいなんて言う話ではない。初めからそうであるように時が流れているのだ。

 異能力が発現し、何かを変えたいと願った者が力を悪用する。けれど最終的に、それは歴史に容認され、なかったことのように同じ歴史が進む。

 止める者が現れることまで想定済み。解決する事までが想定済み。

 それが全て、歴史に許されたことのように感じる。

 未来には生まれる前の過去の事は分からない。歴史を習う機会はあっても、それは特筆すべきことばかりで、人々の暮らしの中で起きた些細な事件などは、知らない。

 何年何月何日何時何分何秒に、誰かが誰かに刺されて死ぬ……。なんていうのは残虐であればあるほど世界に知れ渡る。それが一定を超えたところで後世に残る大事件として取り扱われるだけで、どこかの町で通り魔に刺された、なんていう末端の恐怖は後世には残らない。

 だからこそ知らないし、その犯人が未来人の干渉だなんていう考えは過去の者達はしない。

 真実に至らないから過去は過去らしく現実を見つめ紡がれる。それを裏舞台から眺めて何事も無かったかのように処理するのが未来達の使命であり、歴史を守るために必要な事。

 何が最初で何が終わりとか、物語のように起承転結が歴史にあるわけではない。

 全てが何かに許されたように紡がれるのが歴史……それがお兄ちゃんの言い分だ。

 まるで暴論のように聞こえるかもしれない。けれどそれは観測者を得ないからそう言われるのであって、生きる者達全ての証言をかき集めて繋ぎ合わせればそれが真実かもしれないのだ。無理だから、暴論として認められる。

 けれどだとしたら、この時空間事件もその一つだ。

 お兄ちゃんに知られ共に行動する事が歴史によって容認され、彼が関わる事で解決する……。それが正しい歴史だから、歴史改変ではなく歴史再現として扱われる。

 いや、もっと単純に言い換えよう。

 全てが歴史に許されるのならば、未来でも過去でも現在でも、起こる事象は全て歴史再現であって、改変ではない。

 最初からそうあるべきの流れに疑問を抱いている事自体が間違いなのだと。

 お兄ちゃんの論は、つまりそういうことだ。

 この世界に間違いなどない。失敗も成功も全て正しい歴史。

 世界が行き着く先には、たった一つの答えしかない。

 その歴史の中で、あたし達は正誤の判断を自分で決めて憐れに踊っているだけ。

 誰かの干渉さえ存在しない。世界の意思なんて言うのも存在しない。

 あるのはただ、一本道の歴史だけ。

 認めてしまえば、悩む必要なんてない。運命なんていう言葉すら意味を持たないほどに、世界は一つしかないのだ。

 ただそれを享受するだけ。自分の選択だと思い込むだけ。それで歴史が変わったところで、例え多世界解釈のように同じ地球で別の歴史が刻まれて分岐したのだとしても、それを証明するだけの理由は何処にも存在しない。

 だからこそ、未来は『Para Dogs』でそう教えられたのかもしれない。

 歴史は一つ。歪めてはならない。そのために我々がいるのだと。

 けれどそんなのは、彼の言い分が真実だとすればまやかしだ。

 歪めるだなんてとんでもない。世界は一つで答えが一つなのだから、歴史は歪まない。

 ただ決められた結末に向けて未来を紡ぐだけだ。

 全てが茶番に成り下がる。だから認めたくはないけれど、しかし正しいと言うのをどこかで感じている。

 だからそう、望んだだけ未来が変わるなんてのも、嘘だ。その場限りの方便だ。

 唯一つの結末に向かって紡がれているだけ。

 何も難しい事を言うつもりはない。

 ただ世界は、誰の干渉もなくとも刻まれるというだけの話。

 変わったなんてのは、当人の錯覚でしかないのだと。

 認めて、その上で願う。

 叶うならば、今あたしが夢見る理想が、世界の正しいあり方でありますように、と。

 お兄ちゃんが《傷持ち》を退け、今回の時空間事件の黒幕たる人物を捕まえ、全てが終息して無事に帰ってくるというハッピーエンドが、たった一つの答えでありますようにと。

 多くを望みすぎだと言うのならば、ただ一つ────お兄ちゃんが無事でいてくれれば……。それが全てを終わらせる鍵になるのだから。

 彼の無事を祈る事しかできないこの身を嘆きながら、けれど脳裏を幾度も過ぎる嫌な予感を必死に振り払う。

 未来の記憶にある矛盾……まだ解決されていない幾つかの言葉。それは今からでも再現できるはずだが……それでも分からない事が──二つ。

 その辻褄が、今より未来にある事を確信しながら、しかしそこへ至る道が見えない不安。

 すべてに理由はあり、結末は一つ。だと言うのにこの記憶に根付く彼との出会いはそこに明確な答えが見つからない。

 ……まだ何かあるのだろうか。見落としが……彼の推理を覆す穴が…………。

 必死に考えてみるが、けれど未来の頭では分からない。

 元来、そこまで頭のいい方ではないのだ。よく失敗もするし、彼にだって恥ずかしい場面は何度も見せた。

 優れているのは戦いになった時の振る舞いと、異能力に関する彼以上の知識。この歳で事件を解決できるだけの実力を求められる『Para Dogs』にいるというのは、その裏に努力があってのものだ。

 今までに発見された異能力は頭の中に全て入っているし、それぞれによく見られる制限の特徴も分かる。

 だから彼の常識外れな考え方と合わせて、ここまでやってこられた。

 けれどそれは、どこか事務的な基礎知識でしかない。あたしには、そこから応用しようとする考え方が甘いのだ。

 制限抵触さえも方法論に加えたり、多くを語らない制限の虚を突くやり方を見つけたり。そう言った人の思考が介在する事に弱い。

 言わば、チェスや将棋の定石は知っていても、そこに挟まれる人情味の強い誘い手や人の思惑を読み取る事に疎いのだ。

 でもだからこそ、機械的に判断して統計論で経験則から事件を解決してこれた。

 あたしは、データ型の人間だ。対してお兄ちゃんは感情論……言葉の裏を探る事に長けた妖怪のような何かだ。

 もちろん、そんな事を面と向かって言えば彼は歪んでいると笑って、人間らしさからまた一つ遠のくのだろうが。その背景にある、彼がそうならざるを得なかった環境に同情しないわけではないけれど。もう少し振舞い方があったのではないだろうかとも考えてみたり。

 気付けばいらぬ所まで伸びていた思考を、頭を振って一新する。

 溜息を吐いていつの間にか俯いていた顔を上げる。

 そう言えば遅いと。もし駄目だったら制限抵触をしてまで戻って来ると言った彼……。もし全てを解決しているのであれば、由緒さんや未来のあたしと合流して今目の前に現れてもおかしくない筈だが…………。

 過ぎった予感に知らず髪飾りに指を触れさせて。そうしてそれ以上考える事を振り払おうとしたところで、背後に足音を聞く。

 これでも耳はいい方だ。特に少し時間を共にしていれば、誰がどんな足音で歩くかは判別がつく。

 足音と言うのは、無意識に鳴るからこそ、性格が出るのだ。

 聞き慣れた、安心するような響きに彼のものだと知らず気付いて振り返る。


「お兄ちゃんっ」


 おかえり。

 そう告ごうとして回した視界に映った景色に、呼吸を忘れた。

 そこにいたのは、黒いフルフェイスヘルメットに、黒いレーシングスーツ。手にはこれまた黒い手袋を嵌めた中に、赤い液体滴るナイフを持つ──黒尽くめ。

 《傷持ち》。

 その、言葉にならない驚愕と焦燥が胸を埋め尽くす前に、あたしは一歩も動けないまま伸びてきた手のひらをじっと見つめていた。




              *   *   *




 鉄骨の木が幾本も生える景色の中、影が一つ揺れる。

 その者は鉄板の床へと腰を下ろし、壁のない外の景色を足を揺らしながら静かに眺める。

 行き交う色取り取りな車を眼下に見つめながら、手元の銃を弄ぶ。

 吹いた風に髪が揺れて、知らず口元が笑みに彩られた。

 それとほぼ同時、腰掛ける者の背後へと気配が立つ。その影に、振り返らずに座った人物は声を掛ける。


「……お疲れ様。とりあえず、そこの柱に括り付けとこうかね。あ、丁重に頼むよ。彼女は大事な賓客なんだから」


 静かに頷く気配にまた一つ笑顔を。それが当然で正しい事だと疑わないその瞳は、ただ未来だけを見据えて紡がれる。


「あぁ、そっか…………そう言えばこちらにしてみれば初めましてだね。何だか不思議な気分だ」


 誰に言うでもなく、背後で抱えてきた眠る少女を優しく下ろし、柱に括り付ける気配に告げる。

 その者は、異邦人。未来より過去へと舞い降りた、異物にして歴史に許されし人物。

 人の身に余る異能力を知り、これからかの身に降り注ぐ運命さえも操る道化。

 世界に必要な事を成すためにやってきた、埒外の放浪者。

 そんな人物の背後で眠り姫を無骨な椅子に括り付けるのは全身黒尽くめの概念のような存在。

 しかしそんな二人は、別々の時間を生きる交錯者だ。

 暢気に景色を眺める人物は今し方この時代に来たばかりの新参者。対してその背後で黙々と言われた通りに少女を縛る黒尽くめは幾つもの経験を経て歴史を知る順応者。

 黒尽くめにしてみればこの景色は見慣れた異質にして、鉄板の床に腰掛けるその背中を見るのは慣れた事。

 しかしその足を揺らす者は、背後の黒尽くめと出会い、声を交わすのはこれが初めてだ。この時代に来て、間もないのだから当然だ。その黒尽くめこそが第一邂逅者。

 けれど知っているのは、その黒尽くめが巡り巡って自分に協力する存在であると言うこと。だから今だって振り返りもせずに告げた命を、その存在は反論なく従順に再現してくれる。

 随分とおかしな感覚だ。

 まだ自分はこの時代に来て何もしていないのに、手足になってくれる誰かがいるという事実。

 これからの自分がそれを手にすると言う確信。

 今真後ろにいるだろう黒尽くめは、未来の自分がここに来た最初の自分へ差し向けた全ての答えだ。

 ここまでは辿り着いたと。すべては思惑通りだと。

 脳裏に描く野望を思い返せば知らず口角が持ち上がった。


「……なんだ、もう行くのか? つれないな。もう少し四方山話に付き合ってくれればいいのに」


 少し拗ねた風に言ってみるが、未来の自分の命で動いているその者は耳を貸すことなく全てを終えて時空の奥へと消えていく。

 分かりきった計画だが答えの一つもないというのは寂しいものだと。

 今更ながらに計画のたった一つの失敗を嘆きながら立ち上がる。


「…………さて、初めましてだな」


 そうして踵を返し数歩。先ほどここを去った黒尽くめが鉄骨へと括り付けた女性の下へと歩いて目線を合わせしゃがみこむ。

 項垂れた姿は長い髪の奥に隠れ表情を隠す。眠っているのだから、声を掛けたところで返事が無い事は分かっているが、それでもしておくべき挨拶だと胸の奥に据える。


「悪いな、巻き込む形になって。本当はこんな方法取りたくなかったんだけど、それ以外にやり方が見つからなくてな。計画性のない事を笑ってくれ……。けど必要な事だから、少しだけ我慢して欲しいんだ。そしたらほら、何よりも大切な答えが手に入るから…………」


 浮かべた笑顔は傷を舐める様に優しく。頬に掛かった彼女の髪を一房指先で避けて、そうして立ち上がる。普段余り動かない所為か、膝の骨が音を響かせた。

 と、そうこうしていると階下から金属同士が弾ける様な高い音が幾つか上ってくる。

 始まったかと。この後に控える最初の大舞台に向けて胸中を整理しながら深呼吸。瞳を閉じて今ここに生きている事を実感して刻み込むと、やがて下から聞こえていた衝突音が消え、代わりにまた一つ同じフロアに存在感が増えた。

 今回ばかりは振り返ってその人物に視線を向けて声を掛ける。


「やぁ、さっき振り…………って言うのはこちらの了見だぁね。君してみれば久しぶり、って方が合ってるかな?」

「……………………そうだな」


 返った声は雑音交じりのノイズ。

 変声機を使った犯罪者のような音に少しだけ眉を顰める。

 これでも絶対音感を持っているのだ。今のようにノイズ交じりの音を聞かされると判別に嫌気を覚える。

 少しだけ輪郭が歪んで見えるのは錯覚。目の前の存在が時空を旅して来た理の外の存在だと知覚しているからこそ、らしいと笑う。

 こちらを見つめる黒い瞳。まだまだ見慣れないその顔立ちは、これから出会う過去の人物の顔。

 情報だけは知っている。今回の事件で振り回されるべき目的の人物、遠野要。

 今更目の前に立つ人物が誰かなんて言及する必要はない。

 この身にしてみれば、都合のいい協力者がいる事に安堵するだけだ。


「ここにいるって事はこれから何か起こるって事か?」

「さぁな……それはあいつ次第だ」


 言って階段の方へと視線を向ける黒尽くめ。耳を澄ますように沈黙を選べば、下のほうから小さくカンッと響いた足音を捉えた。


「……まだ詳しい事は知らないけど、ここには何か運命めいたものを感じるな」

「因果か? そうだと言うならそうかもな。ここは始まりにして終わりの場所だ」


 黒尽くめがどうでも良い事のように語る。

 目の前の人物は、知っている。どんな過去が紡がれてここに繋がるのかを経験している。だからきっと、その言葉はただの真実で、一つ以外にありえない答えだ。


「あぁ、ネタバレはやめてくれよ? 分からない未来だからこそ楽しめるんだからさ」


 どうでも良い事のように間を埋めて告げれば、僅かに向いた視線が外れる。

 愛想のない奴。これから出会うこの時代に生きる遠野要はもっと愛嬌たっぷりに振舞って欲しいものだ。その方が、僅かな平穏を演出できるというもの。その先に巻き起こる非日常を、より濃く彩るためのスパイスだ。


「それから、分かってると思うけど期待はしないでくれよ? 殆ど丸腰なんだ」

「無駄な杞憂だ。この身がそれを証明する」


 冗談の通じない鉄面皮に小さく息を吐く。

 そんなのは分かりきっていると。だからこそどうでもいい会話を期待したのだが……。

 手に持つ『スタン銃』のマガジンを再装填しながら答える黒尽くめ。やがてナイフを取り出して見せ付けるように弄ぶ。

 その際に、右の手首、甲の側に生々しい切り傷を見つける。


「その傷は?」

「……直ぐに分かる」


 確かにネタバレは嫌とは言ったが、聞いたことには答えて欲しいと。

 融通の利かなさに諦めて階段を見つめる。

 気付けば響く足音が大きくなっていて、階下に聞こえる息遣いに胸が高揚する。

 さぁ、ようやくその時だっ。彼と交わす邂逅にして、彼にしてみれば真実と想像の間で揺れるたった一つの答えだ。

 どんな言葉を発し、どんな表情でその意思を突きつけてくれるのか。一歩、また一歩と大きくなる音に連れて想像を重ねて、そうして邂逅と再開を果たす。


「ようこそ、そして初めまして! 遠野要っ」

「っ────観音(かんのん)、楽っ……!」




              *   *   *




 息を嫌切らせながら重い足取りで最後の段差を上りきる。そうして目の前に捉えた景色、響いた声に沢山の感情を綯い交ぜにして答える。


「ようこそ、そして初めまして! 遠野要っ」

「っ────観音、楽っ……!」


 観音楽。それは今までずっと追い駆け続けてきた時空間事件の、黒幕。

 要の記憶に偽りを重ね、人畜無害な友人の仮面を被って振り回し続けてくれた張本人。

 全ての、元凶。

 胸の内に昂る感情をどうにか抑えながら、想像と辻褄が全てかみ合っていく不思議な感覚を刻み込む。

 観音楽は、未来人だ。『催眠暗示』を持つ、異能力者だ。

 何処から語ったって、答えは一つ。

 すべては彼が仕組んだ事件だ。

 事ここに至って、彼の目的はまだ分からない。分からないけれど、しかし全ての黒幕だと言う確信は幾つもある。

 今更何かを暴くつもりはない。ただ目の前にいる彼を、ここで捕まえてしまえば終わる話だ。


「……悪いが、お前の計画は直ぐに終わるっ。俺が止める!」


 啖呵を切って『捕縛杖』を抜き放てば、楽を庇うように《傷持ち》が一歩踏み出した。

 そこに居るという事は二人は繋がっているのだろう。楽にしてみればほぼ初めての出会いな筈だが、何か見落としでもあっただろうかと。

 しかしならば今更楽の味方だと言葉で騙り、景色を混乱させる必要性を感じない。ただ打ち倒して捕まえるだけだ。


「ならば答え合わせだ。どちらの想像が正しいか、今ここで決着を……!」

「望む、ところだっ!!」


 言って踏み出しながら、脳裏には全ての過去が再構築されていく。

 楽は、『催眠暗示』で《傷持ち》を操っている。その上で、自分は安全圏で一番近いところから《傷持ち》を通して全てを見ていたのだ。

 最初に要を襲った際、彼は時間軸通りには病院にいた。その後、由緒を誘拐し、ここにつれてきた。そうする事でまずは一番の辻褄を合わせた。

 楽や《傷持ち》がこの時代で好き勝手に動くには時空間移動能力保持者の協力が必要不可欠だ。……いや、協力と言うよりはこの場合は利用だろうか。

 そのために、今この瞬間……楽が初めてこの時代へ来るその目の前に、由緒を用意して見せた。

 それから由緒を利用して、『音叉(レゾネーター)』でリンクし、時空間を跨いで《傷持ち》を飛び道具として要を襲い続けた。同時に脅迫状を贈りつけて要を捕まえるための舞台を整え、そこから幾つもの手段で要を追い駆け続けた。

 この廃ビルでの由緒を巡っての戦い。要が生まれる前での雅人の事故へと繋がる一連の戦闘。そこから戻ってきて、今度は由緒を狙った《傷持ち》との交錯。そして、それを越えた先の、この真実。

 それぞれの間に挟まれた大きな心の休息を考えれば、四度に渡る衝突。その先にあるこの景色。

 これまではずっと後手に回り続けてきた。何も分からない最初の時空交錯から、振り回され続けた過去なる真実。そしてチャンスとヒントを経た向こう側に捕まえる────四面楚歌の循環解明。

 今この時こそ、始まりにして終わりの瞬間。この結末こそが、要を中心に渦巻いた非日常の終幕だ。

 答えなんて、一つしかない。全ては解決されるべき事件。

 歴史はその通りにしか流れない。

 過ぎったこれまでの経験した過去が走馬灯のように過ぎる。けれどそれも刹那の内に、目の前に相見えた自分と同じ顔を真っ直ぐに睨み返して『捕縛杖』を振る。

 湧き上がる衝動に体に感じる重圧は吹き飛んで。ただ目の前にいる敵を打ち倒そうと体が動く。

 《傷持ち》も十分に疲弊している。動きを見る限りブースターも飲んでいない。対等にして最後の衝突だ。

 逃げる事は許されない。要が逃げても問題を先送りにするだけ。それ以上に、自分を更に危地へと追い詰める事になる。

 《傷持ち》だって楽を背後に退けない。今この瞬間に個人の不利を理由に下がれば、狙われるのは楽だ。だから正真正銘、これが最後の交錯。

 勝つか負けるかしか許されなくて……要にしてみれば勝利以外に許されない景色だ。


「このっ……!」

「はぁあっ!」


 振るわれるナイフを受け止めて大きく弾く。押し退けて崩した体勢に向けた『スタン銃』。直ぐにトリガーを絞ったが、寸前で《傷持ち》の振り上げた爪先が掠って射線を逸らされた。

 舌打ちも過去へ。気付けば目の前に迫っていた回し蹴りを腕で受け止めて防ぐ。

 しかし殺しきれなかった衝撃に尻餅をついた。

 追撃で振り下ろされた踵。見えた時には既に鉄板の床を転がってかわしていた。

 ガンッと言う重い音と共に《傷持ち》がこちらを向く。その形相に、これまでの余裕は感じられない。

 それは死闘にも似た全力のぶつかり合いだ。ただ目の前の同じ顔をした自分以外を潰すために、形振り構わず無様に攻防を繰り返す。


「……っし──いっ!?」

「ははっ!」


 『スタン銃』はもう当たらないと互いに分かっていながら、それでも狙いをつけてはトリガーを絞り、対する防御で斬り捨てる。

 そんな感覚さえ磨耗して、時間も、指先さえも分からなくなるほどに薄く延びた景色の中で、やがて訪れる転換期。

 要が放った『スタン銃』を《傷持ち》が弾いて、それと同時に手からナイフが落ちて舞う。直ぐに好機と見て『捕縛杖』を振ったが、直ぐに返った拳が《傷持ち》に当たる前に『捕縛杖』を握った手首の辺りを打ち抜き、衝撃に取り落とす。

 そうして気付けば向け合っていた銃口。互いの目の前に見える黒い虚のその奥……こちらを睨むその瞳を真っ向から突き返して首を横へ振り射線から逃れる。

 刹那に放たれた『スタン銃』は後方へ。鏡映しに《傷持ち》もかわすと、まるで演舞のように同じ行動を取る。

 『スタン銃』を持たないもう片方を拳に握り、相手の『スタン銃』を殴り飛ばす。要の付ける『抑圧拳』は、もちろん既に効果を無くしている。

 床に滑る『スタン銃』。けれどそれに見向きもせず、思いっきり頭を前へと振る。

 瞬間、瞼の裏が明滅する感覚。


「っあ…………!!」

「いっでぇっ!?」


 ぶつけた額。走った衝撃に仰け反って倒れそうにあった体をどうにか踏ん張って止まる。

 武器を失い熱く鈍痛が広がる額に手のひらを宛がう。冷たく感じる指先のお陰で現実味と冷静さを少しだけ取り戻す。

 上下する肩、霞む視界で《傷持ち》を睨んで休む暇なく踏み切る。

 まだよろける《傷持ち》に向けて突き出した拳。呆気なく頬を捉えた一撃は、けれど振り抜く寸前で腹部にカウンターを貰って威力を失う。

 思わずその場へ倒れ込めば、《傷持ち》の頭が肩へと乗った。

 熱い、臭い、重いっ!

 言葉にならない感情が嫌悪を介し淘汰する衝動へと変わって《傷持ち》の体を押し返す。同時、《傷持ち》も要を突き飛ばして、二人して鉄板の床に体を投げ出した。

 ……駄目だ。まだ気を失うには早い……! 《傷持ち》を……楽を捕まえないと。悠々と笑いながら静観するあいつを、捕まえないと……!

 既に気力だけで立ち上がって近くに落ちていた『スタン銃』を拾う。これはどちらが持っていたものだろうか。

 そんな事を考える暇なく構えたその先に、ナイフを持って立ち上がる《傷持ち》を見つける。


「クッッッソがぁああっ!?」


 咆哮と共に床を蹴った《傷持ち》。大きく上下する肩で狙いのつかない射線は、けれど覗いたサイトからはみ出るほどに黒尽くめの姿を捉えてトリガーを絞る。

 そうして向かえた、刹那の交錯────

 絞りきったトリガーから飛び出した弾丸が、宙を駆ける間を開けて、《傷持ち》の胸へと到達する。

 それを、どうしてかスローモーションになった景色で認識しながら、視界の外から振るわれる銀色の刃を睨む。

 止まれ、止まれ、止まれっ!

 黒いレーシングスーツの表面に突き刺さったカプセル型を睨んで祈る。

 どっちが、早い────?

 《傷持ち》が崩折れて眠るのが先か、要がナイフに切られるのが先か。

 答えを唯一つの歴史に託した、次の瞬間────


「…………ぁ……」


 思わず腕を掲げて構えた防御の姿勢に振り下ろされた一閃。次いで右手首に奔った冷たい衝撃に小さな声が漏れる。

 取り落とした『スタン銃』が床に跳ねる景色の中で、次いで受けた衝撃は首筋に。

 針が刺さったような感覚に流血する右手を宛がえば、そこにはカプセル型の注射器が刺さっていた。

 視界の端に見たのは『スタン銃』を構えた……楽の姿。

 途端、体から力が抜けていく感覚。立っていられなくなりその場に倒れ込む。

 朦朧とする意識。霞んでいく視界に、今更ながらに真実を知る。

 撃たれたのは、『スタン銃』。切られたのは、右手首の甲の側。

 《傷持ち》が語った全て知っているという言葉も。彼が言った答え合わせのその意味も。

 すべては、仕組まれた事で辻褄合わせの物語だと。

 薄れ行く意識に抗いながら目の前にしゃがみ込む《傷持ち》を睨みつける。


「服一枚程度なら、効果はあったんだろうがな。残念ながらこのスーツ分の厚みは貫通できない。これが答えだ……。分かったら、眠れ────」


 胸に刺さったままの『スタン銃』の弾を指で抜いてみせる《傷持ち》。どこか寂しそうなその表情に、けれど湧き上がる衝動は許せないというもの。

 それは自分に対してなのか、それとも目の前で座り込む要自身に対してなのか。

 既に喉さえも閉塞して音が出ない中で、必死に伸ばした手のひらが指先に何かの感触を感じながら……そうして意識が途切れる。

 後に残ったのは、人間に宿る欲求らしい睡眠を貪る幸福感だった。

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