第四章
辿り着いた公園で、自販機で飲み物を買ってそれを飲みながら片手間に景色へ横槍を入れる。
今の要にとっては一度経験した過去。戦いもなければ行き着く結論も知っているつまらない歴史だ。
しかし再現しなければそれだけ間に進む時間が増える。分かりきった茶番に付き合うほかない。
「…………そういえばさ。お兄ちゃんは……あ、えっと、未来のお兄ちゃんは、あたしの事知ってる?」
「知ってるも何も未来は未来だろ?」
「んーと、そうじゃなくて……。どう言えばいいかな。……あたしの過去の事知ってる? ここに来る前のこと」
掛けられた声は未来から。そういえばそんなやり取りがあったと思い出しつつ彼女の疑問に答える。
「あぁ、未来に聞いてるかって話? それなら聞いてるけど」
聞いている、と言うかこの時間で聞かされたと言うか。
この後未来が彼女の過去に纏わる話をする。それを聞いた上で、この時間に来ているのだから聞いていることにはなるのだろう。間違った答えを返しているつもりはない。
「……その様子だと実際には知らないんだね」
「どういうこと?」
「……実のところを言うとね、あたしとお兄ちゃんが会うのはこれが初めてじゃないの。いや、初めてなんだけど、それはお兄ちゃんの視点でって話。あたしはここに来る前、既に一度お兄ちゃんに会ってるの」
「……それを俺が忘れてるって話か?」
「いや、実際に会うのはこれが初めてだからそれは違うんだけど……」
「どっちだよ…………」
察しが悪いと言うか、今の要にしてもまだ余り納得のついていない話だ。
とりあえず邪魔にならない程度の補足を挟む。
「……未来が言いたいのは、つまりこの時代で会うのが俺にとっては初めてで、未来には二度目。それ以前に俺は未来に一度会っていて、それを知らないって事だろ?」
「ん、ありがと。そういうこと」
「…………これから先、俺は未来にもう一度会うってのは知ってるけど。それが未来にとっての初めての出会いになるってことか? で、俺にとってはそれが二度目」
過去に聞いた話を整理するように告げれば未来は頷く。
だとしても、やっぱり嫌な予感だけは拭えない。
だって矛盾だ。要にとっての邂逅は未来にとっての再開。だからこそそれが矛盾にならないような景色が存在すると言う事に気付くことで、彼女との間に結ばれた縁が要の未来を少しだけ揺らす。
次に要が未来に会う時、彼女の側は初めて要と言葉を交わす。
それはこの時代に来て未来が味わった違和感と──恐怖。
自分は相手の事を知っているのに、相手は自分の事を知らない。初めて会う相手には僅かにでも警戒心が滲むものだ。相手がどんな性格をしているのか、不用意な言葉で怒らせはしないだろうか……。
前の出会いで相手の事を知っているからこそ、初めてとしての境界線が曖昧になって失敗するかもしれない。相手にとって、この自分は初めて出会う未知の誰かなのだから。
彼女にしてみれば護衛対象。必要最低限で済ませるか、それとも二度目と言うその過去に倣って慣れた様子で相手をするか……。
そうして悩んで、結果彼女は後者を選んだ。
だから初めて会ったとき、あそこまで積極的に距離を詰めてきたのだ。
普通に考えればありえない話。年頃の異性同士が連れ子として一つ屋根の下で暮らす、その最初の接触で……未来のような可愛らしい少女が男を警戒しないわけがないのだ。
けれどしかし、彼女が纏うそのフレンドリーさに……裏表のない接し方に、最初は要も良い子の仮面で距離を測った。
結果に楽の事件や、《傷持ち》との接触、由緒の誘拐を経て知らずの内に互いを信頼できるまでに近づいた距離。
成り行き任せの偶然と、彼女の知る必然が組み合わさって出来た関係だ。
だがそれも、偽りだ。
未来と要は本当に家族にはならないし、そもそもこの時代に生きるはずの元現代人と、歴史を守るためにやってきた未来人。交わらざるべき存在だ。
ここまで転がり落ちてきて今更と言う感はあるが、最後には別れる事が決まっている歪な繋がり。だからこそ、要は知らずの内に彼女の抱える過去へ忌避感を抱いていた。
それは初めて彼女の口から経験した過去の事を聞いた時。死んだ夫の死をなかった事にしようと行動して、その末に妻が自分の手で過去の夫を殺したと言う、寂しくも悲しい事件。
あの話を聞いた時に、後悔をして、それから深く知る事を避けたのだ。
知ればその分だけ彼女との繋がりを得て、現実との歪みが広がり、戻り辛くなるから。彼女との別れが辛くなるから。
自己満足とも言うかもしれない。それよりも、ただ彼女の表情を曇らせたくなかったのだろうかと。
例え一時の関係でも、そこには確かに紡いだ時間があって……ならば出来る限り有意義で辛い記憶にはしたくない。
だから未来の過去について詮索する事をして来なかった。もちろん、彼女が自ら話した際には出来る限り平常心で聞き届けたつもりではあるが。
「で、この話をこの時に聞いたから、今の俺は知ってるって答えた」
「あぁ、そういう」
渦巻いた感情をどうでもいいネタ晴らしで吐き捨てて、それから思考をクリアにする。
ここからもまた、彼女の過去に関わる話だ。出来る限り真剣に、無駄な感情無く聞き流すだけ。
「それで、未来はどうしてそんな話を今したんだ?」
「……今しておくだけの理由があるきがしたの。もしかしたらって言う想像があたしの過去と繋がるかもしれないから」
聞き手は過去の自分。彼にしてみれば初めて聞く話だ。だからこそ、今の要にしてみれば知っている話で……今一度客観視できる立ち位置。
「今になって考えれば、この経験を知ってるからこそ危機感を抱く要因になったんだと思うんだけど……」
……それは彼女が距離を開けようとしたと言う事だろう。要にとってはそれが初めての出会い。当然の感情だ。
となると裏を返してそれを迫った未来の要が居ると言う事。
彼女がそうしたように、紡いだ関係を武器へ踏み込んだのだろう。
「もう確信してるだろうから言うけど、そう遠くない未来だよ。言ってしまえば、あたしの過去のために今お兄ちゃんを助けてる節はあると思う」
彼女にとっての未来……歴史と言う名の過去に干渉することで、彼女にとっての過去……歴史にとっての未来を守る。
矛盾に聞こえるかもしれない……けれど確かにしっかりと循環して成り立つ方程式だ。どちらかが欠けてもありえないからこそ、ここに未来が居ることでそれが事実であり真実になると物語ってくれる。
「経験して終わった事だとは言え、この再会はあたしにとってはまだ見ぬ未来……。だからどんな風に繋がって、お兄ちゃんの未来があたしの過去に結びつくのかは分からないけど…………。けど少なくとも、これから先のどこかで、お兄ちゃんは過去のあたしに出会う。きっと今この瞬間の記憶を持ちながら……」
重ねた想像が嫌な景色を描いて思わず否定がちな言葉を零していた。
「……例えば、歴史再現とかじゃないのか? 《傷持ち》の……目の前の問題が解決した後で、記憶を消す前にその出会いを再現したとか言う」
「もちろんその可能性もあるよ。……ただ、うん。あたししか知らない事だけど、あたしが知ってることで語れば話はそんなに簡単じゃ無いと思う。だってお兄ちゃんはもう知ってるでしょ? 歴史はその通りにしか流れない。未来に起こる事を告げれば、避けられない真実に固定されるって」
その通りだが、けれどそれは話さなくてももう確定された未来だ。
だって未来の過去の経験が問題なく機能しなければ、ここへやってこれない。つまり今目の前にいる以上、それは既に決まった歴史だ。
「ならその時に出会うお兄ちゃんは事件を解決した後で、あたしの身の上に何が起こるかを知ってて……禁じ手を使うなら、それを全部あたしに話して聞かせればこの時代で起こる事は確定された歴史だって諦めて、ただ冷静に事を成してると思う」
彼女の過去は今より未来に存在するから、制限に抵触することなく告げられるはずだ。
もちろん言ったところで初めて会う彼女が……警戒心を纏ったままこちらの言葉を素直に受け取ってくれるとは限らないが。
「けどそんな事実はないでしょ? 失敗を恐れてこうして逃げ回って、後手で拱いて、ようやく解決の糸口を見つけた。もしその事を聞かされてて、その通りに歴史が流れてる事に気付いたのなら、あたしだって武器の一つにする。もっと早くに解決していてもおかしくはないよ」
その通りだ。仮にその話を聞いていたのだとしたら武器として振り翳し、今ここで話題にだって出せる。
けれど彼女はそうしなかったし、これまでも最善手とは言いきれない策ばかり振り翳してきた。
その言動が、今までの歴史が、だから彼女の過去に眠る想像をただの事実へと結ばせる。
「もちろんそんな事もお兄ちゃんには言われなかった。言わない事が歴史再現だって言うならそれもそうかもしれないけど……けど逆の可能性も思いつくの」
「逆?」
「言わなかったんじゃなくて、言えなかった。まだ解決して無くて、その途中だったから全ての道を示すことが出来なかった。中途半端な助言で混乱を避けるために、言わなかった」
その言葉を避けたくて、さっきは否定のような音を零したのかもしれない。
だってそれは、これから要が成そうとする未来に影響を及ぼすかもしれないから……。それどころか、まだ終わらないと言う可能性すら突きつけられるから。
だから否定したかったのかもしれない。
けれどもう二度聞いてしまった。ここまで冷静に事実を受け止める頭が……今まで方法論を幾通りも導き出してきた思考が、その可能性を皆無と呼べるまでに否定させてくれない。
ありえるかもしれないから、怖いのだ。
刻々と目の前に迫り、手繰り寄せる未来が、確信から信じたいに変わってしまうから。
願望には、叶わないと言う猶予があることを、よく知っている。
「だから、覚悟はしておいて。もしかすると、ここまで来てもまだ、簡単に解決する話じゃあないのかもしれないから」
その言葉はもう既に覆しようのない宣言だと。
「……もちろん全て解決した後でその未来の過去を再現するために行動したって可能性もないわけじゃないだろ?」
「そうだね。だとしたら随分な演技派だって尊敬するけど」
「これでも演劇部員だからな。誰かの仮面を被る事には慣れてるつもりだ」
「演技? それとも素?」
「さぁ、どうだろうな?」
暢気な過去の自分に嫌気が差しつつ小さく息を吐く。
「何にせよ、目の前をどうにかすれば見える道だ。次で決められるならそれに越したことはない。だろ?」
「だねっ。ごめん、無駄な時間だったかな?」
「俺は少し嬉しかったけどな。未来の事知れて」
「どうせ忘れるんだよっ。知ったって意味なんてないよ……」
分かりきった答えだ。だからこそ、言葉にする事に意味があるのだろうと。
例え悲しい別れでも、それが正しい歴史なら、手繰り寄せるまで。
終わってしまえばただそれだけの、時間の逆接にもならない戯れだ。
「記憶、消さなければいい話だろ? ……もしかしたら消さなかった先で俺が何かの用で未来のところに行ったのかもだしな」
「自惚れないでよっ。記憶は消す。それは歴史を守るために必要な事だから」
過去ではなく未来に縋るその姿に呆れる。
想像を馳せるのは自由だ。けれどそれで何かを歪めてしまうのであれば、それは正しくはない。
歴史が嘘をつかないのならば、そこには正しさしか残らない。間違った行いは、だから空想止まりで、真実にはならないのだ。
そんな事を考えていると、過去の要が飲み物をごみ箱へと投げた。放物線を描いたその軌道は、過去に経験した通りに綺麗に狙った円柱の中に収まる。
異能力や過ぎた力を、そんなどうでも良い事ばかりに使えたらどれだけ平和であろうか。益体もなく考えて、けれどそんな想像は近くへはみ出して転がり落ちた。
「ブースターの弊害……そこまで辛くないな」
「言っちゃえば薬だからね。何度も使ってると抗体ができて効き難くなるように、体に馴染む。超人的な力も何れはそこまで脅威じゃなくなるし比例して使用後に返る影響も小さくなる。お兄ちゃんは既に一度経験して、心構えも出来てたからね。休憩もしたしそんなものじゃないかな?」
「薬って言うなら効き易さ難さって言う個人差もあるか。体質かもな」
実際のところ要はどうなのだろうと。これまで大病を患った事もない健康体は、風邪薬や頭痛薬を服用したくらいしか記憶にない。治りも早かったし余り周りに迷惑をかけた事はなかったはずだ。
別に言及するわけではないけれど、きっと普通程度の代謝なのだろう。
「……となると《傷持ち》は俺より随分と先輩だな」
「やめてよ。使うだけ人間離れするんだから……」
「ブースターの弊害を、次のブースターで打ち消すことって可能か?」
「……できないことはないけど、ブースターの効果が少し薄くなるよ。緩んだゴムをもう一度強制的に引き伸ばすようなものだからね。……使う事を許しはしたけど、そんなに沢山使わないでよ? 数にも限りはあるんだし」
「必要に応じて、な。だからこそそれも含めて早く解決したいんだろ?」
未来の言葉にポケットに入った最後の一粒を取り出してしばらく見つめる。
これが《傷持ち》との最後の交錯になればと。
捕まえられない事はわかっているから。その先にある未来にだけ全てを託す。
今は目の前を乗り切るだけ。
過去から数えて五つ目の服用。連続使用は四回目。少しだけ指先の感覚が曖昧かと自己診断して、喉の奥へと流し込む。
呼吸を整えながら体の内に巡っていく力の波を感じる。
ここに来てようやくブースターの使い方を分かってきたと。意識すれば僅かに力を貯めて残しておく事もできそうだ。
ならばうまく戦いを構築すれば本来以上の持続時間を発揮できるかもしれないと。
漲る気力に視線を落とせば響いた未来の声。
「言っておくけど、今渡してる分がなくなったら次はないから」
「わ、かってるよ…………」
未来の勘も十分に恐ろしい異能力だと感じながら、思い出す。
この先に起こる景色。濃密で乱戦となった記憶に留めておく事さえ難しいほどの戦いの流れ。
きっとその瞬間になればデジャヴのように思い出して、体が勝手に動くのだろうが……。それでも少しばかり記憶の定かではないところに不安は過ぎる。
過去の自分だってずっと未来の要の事を視界に収めていたわけではない。過去は過去なりに、目の前の敵に応戦していたのだ。
つまり自分の知らない自分が、この先にいる。
そこを埋めることこそが辻褄合わせで、必要な事なのだと。
想像で補って体に緊張を漲らせれば、記憶の景色と重なる。
「……くるぞ」
記憶通りならまずは背後……。考えて未来の回し蹴りに過去の自分が後ろへ視界を回した刹那、目の前から《傷持ち》が一人迫る。
確か背後には二人。そして目の前に一人。上から来るのが一人。
経験した景色を別視点からなぞってその通りになるように動く。
まずは『スタン銃』で目の前の《傷持ち》を牽制。僅かに止まった足と共に、今度は振り向いて過去の自分へと迫った凶刃を受け止め弾く。
既に漲ったブースターの超人的な脚力で大地を蹴ると、繰り出した右足。当たらないそれを今度は軸足にして左の回し蹴り。跳ねるような挙動で一足飛びに近づいて『抑圧拳』の拳を叩き込む。けれど『スタン銃』で受けられ直接打撃にはならない。
視界の端には未来の姿。《傷持ち》を見据えながら下がる彼女に合わせて要も距離を取れば、もう一つの背中とぶつかって足を止めた。
過去の自分と、未来。三つの背中合わせで張った警戒は、しかし直ぐに崩された。
四人目の《傷持ち》。真上からの奇襲に『スタン銃』を撃ちながら地面を転がったが、どうやらそれは弾かれた様子。
そうして生み出した拮抗の中に、要の顔は全部で六つ。言ってしまえば未来以外が全て要だ。
けれど身形が違うから、今までも引き裂く事さえできなかったその黒尽くめの容姿を睨みつけながら、過去の要が吼える。
「……物量作戦。そろそろお前もネタ切れか、《傷持ち》っ!」
ネタ切れ。いや、これを終わりにするのだ。
これ以上翻弄するためのネタなどいらない。解決してしまえばそれまでだ。
胸の内に燃やした炎を、今度はこちらが相手を縛る楔として打ち込む。
「……知れよ過去の存在がっ。俺はお前を知っているっ!」
右手に『スタン銃』を。そして開いた左手には『捕縛杖』を抜き放つ。
この戦いの先に捕まえると。未来へ誘う導きの杖であればと、《傷持ち》に向けて突きつける。
「捕まえる……それで、終わらせるっ!」
続いた未来の啖呵。滾る感情を冷静さで押し殺して脳裏の裏に景色を浮かべる。
歴史は、そうある通りにしか流れない。
地面を蹴った過去の自分に合わせて景色が動く。
踏み切った先は一番遠くの《傷持ち》へ向けて。途中に未来へと任せるもう一人と交錯するも切り結んだだけですれ違う。そうして背後で未来と《傷持ち》がぶつかる気配。同時に目の前の《傷持ち》が今更何番目かなんて考える必要はない。ここで捕まえられないのだから一緒だ。
突き出した『捕縛杖』の一撃。半身捻って交わした《傷持ち》の胸へ、勢いそのままに突っ込んで曲げた肘で突き飛ばす。同時姿勢を低くとってその場で回転。《傷持ち》の足を崩しに掛かる。
直ぐに飛び退いた《傷持ち》。けれど実際の狙いは目の前の敵ではなく過去再現。
脚払いに合わせて振り向いた視界でまずは一発。景色の先にいるのは拳を突き出す過去の自分と《傷持ち》。横槍の如く狙いを定めて放った一発は、けれどそこへ更に割り込んできた二人目の黒尽くめに弾かれる。
刹那に、背後に感じた気配。先ほど後ろへ下がらせた《傷持ち》が早くも戻ってくる。
舌打ち一つ。思いついたのは普通ならありえないアクロバット。
一瞥もせず背後へ投擲した『捕縛杖』。同時に、かわされただろうそれを追い駆けるように、大地に押し付けた左の手のひらに思いっきり力を入れて後ろへと跳ぶ。頭を下にしての片手での後方跳躍。伸ばした両足で蹴りを試みるが上体を仰け反らせた《傷持ち》の上を通り過ぎる。
得なかった感覚は、けれどあわよくばのもの。本命たる次の援護は恙無く。
放った連射の『スタン銃』は過去の自分の背後に向けて。冷静な頭が一巡前の自分の思考と重なる。
同時、過去の要が頭を下げてその場へ沈む。出来たその空白に数発の『スタン銃』の弾。けれど納得通りに弾かれる。
次いで着地。降ってきた『捕縛杖』をキャッチすると振った一撃は《傷持ち》の背中へ向けて。
けれど分かっていたかのように身を翻した最中に銀色に輝くナイフと切り結び、直ぐに援護に回れるように場所を入れ替える。
背後には《傷持ち》三人と過去の要と未来が居る。見ることは叶わないが、記憶通りに《傷持ち》二人に向けて要が足払い。宙へと逃げた《傷持ち》の一人に、未来の蹴りが入っているはずだ。
そうして出来上がる背中合わせ。二体三はあちらには不利だろうと考えながら目の前に向き直る。
結んだ『捕縛杖』とナイフを弾いて距離を取れば、視界を経験とリンクさせて体を捻る。
同時に、背後から傍を駆け抜ける三発の弾丸。過去の要からの贈り物。
攻撃の手を休めた隙に襲った蹴りを受け止めれば、目の前の《傷持ち》は側転から後方宙返りで距離を取りつつ銃弾を避ける。
《傷持ち》の攻撃を受け止めた腕には僅かに痺れが走る。ほぼ万全の体勢から放たれたブースター乗せの一蹴だ。こちらも強化されているとは言え、慣れていなければ痛いものは痛い。
視線で威圧して呼吸を整えると再度突貫。
距離を取らせて自由にすると戦況が傾ぐ。そうさせないためにも近接戦闘で押し切る。
この戦いは、戯れだ。最終的な着地点も分かっている。どんな手順で進むのかも知っている。
だから適当に相手をすればそれでいい。
自分だけが助かれば、歴史はそれについてくる。
流れる時間に身を任せ、踊るように戦場を再演する。
『スタン銃』、『抑圧拳』、『捕縛杖』。三種の攻撃を組み合わせて隙を見つけては目の前の《傷持ち》へ打ち込む。
カウンターに振るわれるナイフの一閃や、迫る『スタン銃』での射撃を、意趣返しの如く弾き飛ばす。
要だって沢山見てきた妙技で、原理とも言えないやり方を知っていればその通りに振るうだけ。
ブースターのお陰で辛うじて視認できる亜音速の凶弾を、銃口から類推した射線に『捕縛杖』を沿わせて弾く。やっている事は単純に、ただ弾くだけ。今まではそれが視認出来なかったから敬遠していたが、慣れてしまえばどうと言う事はない。
ブースターの超人的な感覚を、一瞬尖らせる。たったそれだけで体は思考通りに景色に追いつく。
実力は互角。だからこそ決定打は考慮の外……今まで切り捨ててきた些細な衝突にこそある。
事ここに至ってようやく『スタン銃』などの直接相手を取り押さえる武器を全て思考の外に外す事ができた。
それらを全て牽制に使うことで、投げや蹴りが少しずつ結実する。
当たっても、痛覚緩和で鈍くなった体にはそこまで大きなダメージではない。だからこそある程度を許容できてしまう。鈍くなった感覚に、積み重なる鈍痛として目の前の体に叩き込む。
そうして出来上がった確かな隙。僅かに崩れた体勢に、『捕縛杖』の柄を首筋に向けて突き立てる。
効果を無視した鈍器としての使用。咄嗟の防御が、『スタン銃』で挟まれたがそれでも《傷持ち》が横へ吹っ飛ぶ。
出来上がった空白に、息吐く暇もなく反転。壁に叩きつけられた過去の自分の援護へと向かう。
目の前のこちらへ背を向ける《傷持ち》の脳天に……思いっきり力を掛けた踵落とし。
「せいっ!」
少しだけずれたのは《傷持ち》が体を揺らしたから。頭の上に落としたはずの一撃は、肩に着地して膝を沈ませる。
生み出した隙を、逃さまいと握った拳を打ち出す過去の要。
しかしそこに体を捻じ込んできたのはつい先ほどまで過去の要が応戦していた《傷持ち》。確か壁に叩きつけられていたはずだが、もう復帰してきたのかと……。ブースターの超人的な戦闘復帰力に歓心さえしながら脳裏を過ぎる景色に閃く。
そうか、このタイミングで……。
思い出したのは『捕縛杖』。取り出したその銀色の棒を、先ほど投げた感覚を少し補正しながら放物線を描いて過去の自分の手元に。
これで歴史通りに『捕縛杖』が過去の要の元へと渡る。矛盾を一つその通りの歴史へと変える。
僅かに刺さった疑念の視線は、要が『捕縛杖』を二本持っていたのではと言う物言わぬ疑問。けれど今はそんな事を気にしてはいられない。
息吐く暇もなく先ほど『捕縛杖』で弾き飛ばした《傷持ち》が背後から迫り、繰り出される攻撃をどうにか凌ぎながら反撃を叩き込む。
コンクリートレンガの塀の上へとのぼった《傷持ち》に『スタン銃』を放てば、避ける動作に合わせて大上段からのナイフでの一撃。
受け止めるでなく受け流しての振り向き様の蹴りは、しっかりと構えられた防御姿勢で通らないまま。足首を捕まれて投げられた視界をどうにか三次元的に補って電柱を足場に反転。ラリアット気味に拳を放てば『抑圧拳』を嫌ってか確実に避けられる。
それだけならばまだ個人プレーのなせるわざ。間に挟まれる過去との連携がそれぞれの足を奪いながら着実に時が重なっていく。
そんな中で歪む景色は記憶通りに。
崩折れたのは腕に傷を負った未来。ここまで直接的な攻撃を受けていなかったのがおかしいほどな彼女の技量に、少しばかり甘えていたのかもしれないと。
今更ながらに感じながら彼女の方へと走り出した過去の自分の援護へ。そんな要の要の背後を狙う《傷持ち》が居る事も承知の上で目の前の《傷持ち》を妨害する。
刹那に追い駆けて来る後ろの《傷持ち》を狙って横を駆けた『スタン銃』の攻撃。後続へ向けての妨害の一発。未来の咄嗟の攻撃に速度を緩めた《傷持ち》から距離を放して、歴史を繰り返しながら要も未来の近くへ寄り添って《傷持ち》を睨みつける。
「大丈夫かっ?」
「……ん、掠り傷だから。毒とかもなさそうだし、大丈夫」
過去の要の立場に視界を重ねれば、崩れかかった盤上に立っているように感じるだろうか。
けれど全てを経験した身から言わせて貰えばここからが反撃の狼煙。
ようやく終わりが見えてきたと気を引き締めなおしながら告げる。
「…………『音叉』」
「────」
全てはその先にある真実だ。
そうであると疑わずに推理を振り翳して見つめる。
知っていると。もうこれ以上手は出させないと。
『捕縛杖』を握り込んで僅かに腰を落とせば、過去の要に続いて《傷持ち》へ向けて疾駆する。
三人が一人を守るように陣形を組みなおした黒尽くめの要に突撃の一迅を。
過去の自分が動きやすいように援護をしながら最前線へと送り届ける。
『スタン銃』の攻撃を弾き、目の前に迫った一人の攻撃を誘導。同士討ちを誘発しながら背後から追ってくる未来に目配せをすれば意図を察して後を引き受けてくれる。
それから視界の端で弾けた『捕縛杖』とナイフの交錯。過去の要と《傷持ち》の衝突の証。宙を舞ったそれらには、けれど二人は目もくれず更に目の前を淘汰せんと唸る。蹴りに続けての『スタン銃』での攻撃は、銃口を逸らされ手から取り落とされる。僅かに崩れた姿勢をそのまま体当たりに転用。そのまま走り抜けていく。
よろめいた《傷持ち》が、振り返り要の背中に振り下ろそうとした拳を駆け寄った急襲で妨害する。
背後では未来が二人を相手に孤軍奮闘。負傷したのに最後まで任せて悪いと心の中で謝りながら、視界の先を疾駆する過去の自分へ道を託す。
もちろん伸ばしたその拳が届かない事を知っている。その先に更に追撃がある事を。
その芽を潰すためにまずは目の前の《傷持ち》を壁際まで蹴り飛ばす。刹那に踵を反転、二人を相手取る未来に向き直れば、そのうち一人が過去の要へ向けて走るのが見えた。
一瞬の交錯。僅かな隙を作り出して未来が駆け出した《傷持ち》を追う。更にその未来を追うもう一人の《傷持ち》。
蹴った足は一足飛びに未来の背中を狙う《傷持ち》に近づいて『スタン銃』を連射。
しかしそれさえも知っていたかのようにこちらへ向き直った《傷持ち》が嘲笑うかのようにいつのも妙技で弾いてみせる。
だが僅かにスピードを落としたその間に、近接戦闘の距離まで詰めて『捕縛杖』で殴り掛かる。
受け止めたのはナイフ。同時、上段回し蹴りが視界の外から迫って咄嗟に防ぐ。
気付けば蹴りに合わせて跳んでいた《傷持ち》。防御で掲げた腕に足の裏を乗せて踏み台の如く遠のいていく。
よくもまぁそれだけの曲芸が思いつく物だと。感心さえしながら鈍く痛む腕を思考の外に要と未来の元へ。移動の中でマガジンを交換し終えた自分の『スタン銃』を過去の要へとパスする。サポートに徹した一連の交錯の中で、二人は歴史を同じように紡いでくれたらしい。
過去の自分が落とした『スタン銃』を拾い上げて足を止めれば、《傷持ち》を目の前に肩を並べる三人。先ほどと違うのは目の前の黒尽くめが一人減っている事。
ここから確か後一衝突。それさえ乗り越えればようやく要自身も目的へと手を伸ばせる。
一度意識的に緊張を緩ませて、最後の踏ん張りだと鼓舞する。
刹那に、駆け出した過去の自分に合わせて足を出す。
急接近の最中に過去の要が半身をずらした姿に思い出す。そう言えばここでようやく弾丸をかわすという事を覚えたのだったか。今の要にしてみれば温い話。かわせば隙が出来るのは当たり前。ならば《傷持ち》がやって見せたように弾くだけだ。それだけでも十分に相手の行動を制限できる。
少し前を行く過去の要には、角度的に見えないだろうと思いながら、目の前に迫った『スタン銃』の弾に『捕縛杖』を掠らせて軌道を変える。
別に思いきり弾かなくてもいい。当たりさえしなければ次の行動に移れるのだ。当たらないという事実を突きつけられれば方法論なんてどうでもいい。
そういう意味では、先手で『スタン銃』を弾いて見せた《傷持ち》には敬意さえ抱く。
自分から仕掛けるのではなく、仕掛けさせて否定する事で勝手に相手の手段を潰させる。自分で信じた事を覆せない……覆したくないのが人間の性。いいようにあしらわれて来たとこれまでの事を思い出しつつ笑みを浮かべる。
何処まで計算ずくなのだろうかと。本当に全てを知っていたのではなかろうかと……。
けれどそんな想像は、するだけ無駄だ。
突き止めた黒幕の居場所を荒らして、出て来たその顔を捕まえるだけ。罠だと言うのも想定済みで、その上で覆すのだと意気込む。
だってそこは、まだ見ぬ未来だから。知っている景色は覆せない。けれど想像で語る未来にはまだ自由の余地がある。今からそれを手にするのだと。
考えて、それから目の前に迫った《傷持ち》と衝突する。
出来る限り消耗しない戦い方で全てを往なす。出来た隙は攻撃に転用ではなく仲間の援護へ。
特に傷を負っている未来には強く注意を向けておく。
視界の端に過去の自分。彼が撃つ瞬間に、向いた銃口から計算して彼の弾丸に自分のものをぶつける。集中すればどうにかこの程度も可能だ。
銃弾同士をぶつけて不規則な軌道で。一度に二発迫る攻撃は、けれど一発を弾かれ、一発をかわされた。
ここまでしても取り押さえる事が出来ない。《傷持ち》の言い分を信じるのも吝かではないかもしれないと。
怒りを通り越して呆れさえ浮かぶいつも通りに目の前の《傷持ち》を弾き飛ばす。
同時、来るとわかっていた過去の要が加勢をしてくる。その進路上に向けて『スタン銃』を一発絞れば、過去の自分がかわすことで急襲の一発へ。
けれど直ぐに反応した《傷持ち》がナイフで切り捨ててくれた。
……少し慌てたような反応。と言うことはこの《傷持ち》が一番古い……最初にここへ来た《傷持ち》か。
これまでの交錯の中で幾つも重ねてきた推理から導き出したどうでもいい結論。分かったところで、捕まえられないのだから仕方ないと。
溜息と共に過去と連携して二対二。更に戦いの場所を少しずらして未来を巻き込み三対三。
彼女も、経験した事がないと語ったややこしい時空間事件だが、既に慣れた様子。時折要に援護を託して突っ込む後姿に見惚れるだけの余裕があった。
そうして《傷持ち》と繰り広げた時空交錯が終わりを告げる。
一人、また一人と減る《傷持ち》。やがて最後の黒尽くめの姿も『音叉』の音の向こう側へと消えて要たち三人だけが取り残された。
ようやく手に入れた平穏。要にしてみればこれからと言うスタート地点。長い過去再現だったと溜息と共に振り返る事をやめる。
「ほら、移動するぞ?」
「どこへ?」
「少し休憩できるところ。そろそろブースター切れるだろ? もちろんぶっ続けで探し回ってもいいけど、《傷持ち》が来るまでは後手だ。休めるうちに休むのは鉄則だろ?」
ここに居たらこれまで積み重ねてきた面倒事を思い出してしまいそうだと辟易しながら次を促す。
察しの悪い過去の自分は、放置してもよかったがどうせ今要が経験したように退屈な時間を背負うのだ。その苦行を持って同じ境地に至ればいいと。
それらしい事を並べ立てて未来へと向き直る。
「未来、移動頼んでもいいか? 過去の……由緒を隔離した後の、あの家でいい」
「分かった」
戦闘の最後の方はブースターなどとっくに切れていた。それはきっと《傷持ち》も同じで、積み重なった疲労で正常な判断が出来なかったのだ。……いや、切れている事を相手に悟らせたくなかったのかもしれない。それで歴史が歪む事を恐れたのだ。
互いに疲弊していたからこそ、そこから崩されなかったのだ。今更ながらに心の内で一人安堵しながら未来の手を取る。
時空間移動。見慣れた隠れ家にやってくると空間固定弾を一発撃つ。
そうしてようやく本当の意味で緊張を解き、ブースタの倦怠感に任せて壁に背中を預けて座り込む。
「で、別に休憩ってだけじゃないんだよね? 時間指定までして、ここでする事があるって事?」
差し出された水のペットボトルをあけて喉の奥に流し込むと答える。
視線を向ける先は過去の自分。胸の内に渦巻く嫌悪感をどうにか押し殺しながら紡ぐ。
「あぁ、これからお前……過去の俺には今俺がして来た事をしてもらう。歴史再現だ。もう何度もやった。簡単だろ?」
「言うのはな……。お前は?」
「…………『音叉』を確かめにいく」
「確かめる?」
面倒だが、これは必要な事。ここで説明するからこそ、過去の自分も確信を得られたのだ。
「気付いた事があるからな。もしそれが本当なら、《傷持ち》を捕まえなくても黒幕に急接近できる」
「本当っ?」
身を乗り出した未来。彼女にしてみれば解決の糸口だ。これ以上無い朗報。
けれど要の頭の中には彼女に対する引け目で少し悩む。
確かにその先には黒幕が居るだろう。けれどそこには確かな制限が存在するのだ。それをどう伝えるべきか……。
「聞かせて、根拠は?」
「……まず《傷持ち》から。あいつは、二人以上重なれるな?」
「あぁ」
「例えばある一点に二人以上重なろうと思うと時間移動が必須になる。その時使う時間移動は過去に向けてか、未来に向けてか?」
ここでようやく、過去の自分が一つ鍵を見つける。
経験はすべて過去の出来事だ。だからどうあっても歴史再現をするためには一度終わった時間から、過去への移動が必須になる。
デジャヴする記憶に重ねて論理立てた説明を語る。
「そうだ。経験した過去を再現するにはどうしても過去への移動が必要だ。それから、《傷持ち》は制限に抵触したか?」
「……いや、してないだろうな。俺は由緒と未来の異能力、どちらも強制送還される場面をこの目で見てる。あの時間移動はそれとは別の何かだからな。順当に、普通に時間移動をしただけだ」
制限に抵触をしていないという事は、順当に時間移動を繰り返して《傷持ち》は重なったというわけだ。
「だとしたら以上から、《傷持ち》は普通に時間移動をして──『過去』に向けて『一人』で移動している」
「っ…………!」
揺れた肩は未来のもの。
今更に思えば、どこか出来すぎていると。
そう考えれば黒幕の目的も薄らと分かってくる。
「だから俺は今からそれを確かめにいく。もしそうなのだとしたら、可能性のある時間が一つだけあるからな。そのためにトラップも使った」
「トラップ?」
「『音叉』。そう呟いただろ? その後、《傷持ち》は逃げて行った。その行動でさえ、俺の推論を裏付ける一つの判断材料だ」
過去へ向けて一人で移動し、『音叉』での移動者が重なる事が出来て、それを可能にする異能力。
そんなのは、もう一人しか居ない。
だからこそ歯噛みするのだ。
どうして巻き込まれなければいけないのかと。どこまで計算ずくなのだと。
だってそれは、知っていなけれないけないから。彼女を利用するためには……彼女がこの時代に異能力者として存在する事実を確信していなければいけないから。
だからこそ黒幕の目的が歪むのだ。
要を狙う悪であるはずのその人物が……想像の中の顔と重なって、どうしてと叫ぶのだ。
この先に、何を願っている────?
「……とりあえず俺は歴史再現だ。直ぐに行ってもいいだろ?」
「あぁ任せる」
「未来」
考えていると過去の要が告げる。
……ようやくこの循環から開放される。ここから先は過去再現なんかではなく、要の選ぶ未来の道だ。
未来から彼女の持つ『捕縛杖』を手渡された要が尋ねる。
「……そう言えばこれの名前聞いてなかったな。何ていうんだ?」
「…………『捕縛杖』。『Para Dogs』で使われてる武器で、相手に押し付けて、そのボタンを押せば電気が流れるから。それで無力化して捕まえるの。どうせその機能は使わないから、《傷持ち》のナイフを受け止める役割にでも使えばいいよ」
《傷持ち》を捕まえられないという事実があるから、本当の役割として使わない事を断言する。その可能性を捨てる事で、ただの武器として記憶に刻み込む。
慢心しないように。あわよくばを望まないように。欲を掻いて足元を掬われないための釘だ。
「……気をつけてね」
「あぁ」
そうして、ブースターを飲んだ過去の要が、今一度過去再現へと向かう。
その先にいるのが、今の自分。同じ時間を二巡経験し、潜り抜けた存在。
過去の要がここから去り、残った要に向けて未来の視線が移り、そうして気付く。
「……未来より未来に生きてて悪いな」
「ここからは一緒だよ? 分からないからこそ未来なんだから」
彼女の言葉に答えながら取り出したのは『捕縛杖』。要と一緒に同じ時を巡った相棒だ。
「返すよ。未来だってこれが無いと《傷持ち》と渡り合えないだろ?」
「逆だよ。お兄ちゃんに持たせたら無茶をする事がよく分かったから返してもらうのっ」
まるで子供から玩具を取り上げるような言い分だ。お転婆なのは未来も一緒だろうと。
「全く……。それで、これからどうすればいいの?」
腕の止血をしながらの未来の問い掛けに少しだけ黙り込む。
さて、ようやく辿り着いた未来への一歩にして、ここからが一番の難所だ。呼吸を整えて未来に告げる。
「黒幕を捕まえに行く」
言えば、未来の瞳に宿る色に険が増す。
彼女だって、この後要がなんと言うか分かっている。それに対する答えだって用意しているだろう。
けれど、これはけじめだから。未来は────巻き込めない。
「俺一人でな」
「どうして? 捕まえるなら一人じゃなくて二人で行った方がいいに決まってる」
「それは無理だ」
譲らないのは互いに同じ、だからこそ、反論に詰まればそれでおしまいだと悟りながら紡ぐ。
「何で?」
「移動先に既に未来がいる」
「あたしがいない時にすればいい」
「その時に黒幕がいるとは限らない。黒幕を捕まえるために、確実にいる時間に不意を突く。そのために未来は連れて行けない」
理論立てて反論を振り翳す。しかし未来だって認めるわけにはいかない。護衛対象である要を一人危地へ赴かせるのは避けるべき未来だ。
「それはお兄ちゃんも一緒だよ。黒幕を狙ったところに《傷持ち》だって現れる。そうすれば危険に陥るのはお兄ちゃんの方だよ」
当たり前だ。きっと黒幕の側だって対策を講じるだろう。《傷持ち》を呼び寄せるはずだ。
けれど、そこに穴がある。
「《傷持ち》の本当の顔を、黒幕が知っていればな?」
「……どういうこと?」
「《傷持ち》の面は割れてない。俺に似せてるだけで、それも『変装服』の擬装だ。黒幕はその中の人物を知ってるだろうな。当然だ。けどそれは…………《傷持ち》として『催眠暗示』や暗示に掛けた後の話だろ? その前は、違うっ」
黒幕は、未来人だ。未来からこの時代に過去干渉を働きに来た異物だ。だから要の記憶にだって虚偽の思い出があって、そうしなければ紛れ込む事ができなかった。
そしてそこには、確かな隙がある。
黒幕は、この時代に来た直ぐには、誰の協力も得られない孤立状態だ。
「今《傷持ち》を操ってる裏の黒幕を狙うわけじゃない。黒幕が、この時代に来た直後を狙うんだ。そうすれば、《傷持ち》を操って身を守ることはできない」
《傷持ち》を知らない時点の黒幕を取り押さえる。それで終わりだ。
「その黒幕がいつ何処に来るかが分かってるの?」
「あぁ。ここまで計画的なんだ。時間の無駄なく事を運ぶために、厳選した上で一箇所しかない」
黒幕と《傷持ち》は繋がっている。《傷持ち》は『音叉』を使って移動している。『音叉』の向こうには時空間移動能力保持者。その人物を利用しようとすれば、『催眠暗示』や後催眠暗示の影響下に置かないといけない。……となればまず最初に『音叉』のリンク先たる人物のところへ現れるはずだ。
そうすれば直ぐに暗示に掛けて制御下に置き、《傷持ち》も調達できる。
「…………なら《傷持ち》が、操られてないとしたら? そうすれば《傷持ち》が黒幕を一人で守りにくる事も可能性にある」
「そうなったら撹乱するだけだ。その時点の黒幕はこの時代に来たばかりで、何の繋がりも持たない。《傷持ち》の事も、俺の事も知らない。その目の前に、同じ顔をした人物が二人。それぞれに自分だけが仲間だと名乗れば混乱は避けられないだろ?」
「『変装服』を着てこないかもしれない」
「なら五分だ。同じように仲間だと騙れば僅かに隙は生まれる。《傷持ち》の顔も分かるだけ、こちらも有利になる」
「博打だね。勝てるかどうかも分からないのに」
その言葉を待っていた。だからこそ、確信の一言を口にする。
「歴史はそうある通りにしか流れない」
「っ……!」
「そうだ。事件は解決する。それが、すべてにおいて正しい結末だ。」
結末に向けての辻褄合わせ。推理小説的に言えば動機やトリックの種明かし。
けれどそんな三流小説を演じるつもりはない。要は探偵ではないから。どちらかと言えば巨悪を倒し囚われたお姫様を救う勇者の側。……そんな立派な心を持っているとは自分でも思わないけれど。
「もちろん勝算だけを計算してるつもりはない。負けそうになれば制限に抵触してでも戻って来る。そうすればまた立て直せる」
「…………なんで、そこまで……」
見つからない反論を彼女らしく縋って求める。便利な感情論だ。その心配を否定する事に少しだけ躊躇する。
「未来だって気付いてるだろ? 操られてる時空間移動能力保持者が、誰なのか」
「……………………」
「俺の理由は、言ってしまえばそれが全てだ。だから止めないでくれ……って言うのは酷い話か?」
救いたい未来があるから、そのために全てを終わらせる。
誰を助ければ事件が解決するのか。それを分かってしまうから、この方法論は未来には覆せない。
「……それでも、納得は出来ない」
「だったら次のチャンスを待ち続けるか? これ以上先延ばしにして何の得がある?」
問いに答えは返らない。幾ら悩んだところで反論など出てこない。出てきたところで、それは今までと同じ後手を繰り返すだけ。後手の中に潜む好機を探し続ける策とも呼べない愚行だ。
要だって、ここまで未来を責めたくはなかった。認めて欲しいわけではない。許して欲しいだけだ。
そうして今目の前にある絶好の瞬間を逃さないでいて欲しいのだ。
「これ以上、未来に辛い思いはさせたくない。体だって痛いだろ?」
「っ……」
気付いていないはずがない。
ブースターなしで《傷持ち》と渡り合ってきたのだ。無理以上の無茶も幾度か乗り越えている。ナイフでの傷も貰った。未来だって限界だ。
「……それでも駄目って言うなら、最後の手段しかないけど」
「…………?」
涙を堪えた橙色の瞳がこちらを見上げてくる。卑怯なまでの訴えに、けれど笑みを浮かべて残酷に告げる。
「お兄ちゃんに任せろ」
震えた肩に、涙一筋。そうして崩折れた彼女は、縋るように要の肩へ顔を埋めた。
「ヤダよ! 何でお兄ちゃんがそこまでするのっ。そんな事しなくたって、事件は解決するっ。だったら今無茶する必要なんて何処にもないっ。嫌だよっ。認めないよ! 許さないよ!」
痛いほどに肩を掴む彼女の細い指に。鼻先に香る未来の匂いに。温かく濡れる肩口に。
これ以上無いほど彼女の気持ちを感じながら、優しくその頭を撫でる。
「だってそんなの、お兄ちゃんが────」
「ありがと、未来」
苦しいくらいの抱擁は、きっと認めたくない本心の裏返し。だからこそ、これ以上未来を傷つけたくないから。誰も傷つけたくないから。
「だからこそ、やらないといけない。もうこれ以上、誰も巻き込まれる必要はいらないだろ。説教や罵倒なら、帰って来て幾らでも聞くからさ」
優しく諭すようにそう零せば、ただ嗚咽を漏らしながら項垂れる未来。そんな彼女が落ち着くまで待って、それからようやく離れてくれた未来が、諦めたように話し始める。
「…………分かってるんだよ。解決する事くらい。ここでお兄ちゃんに頼るのが正しい事くらい。未来の事を知ってるから……そんなのは分かりきった事なんだよっ。でもだからって納得は、やっぱり出来ない。……できない、から。だから絶対無事に帰って来て。大丈夫だって証明して。全部終わったって認めさせて?」
彼女に心配される分だけ、重く圧し掛かる信頼を受け止める。
未来がいてくれたからここまでこれたのだ。だから彼女は裏切れない。
「それが約束できるなら、お兄ちゃんに託す。今回だけ、許してあげる」
「もちろん、未来の期待は裏切らないよ。どんな事があっても、全部解決してやる」
それは彼女にだけではない。自分に対しての誓い。これ以上誰も傷つけさせたくないという覚悟。
そのためならば、多少の危険は厭わない。厭えないだけの、理由があるから。
「……うん、分かった。…………分かった」
確かめるような二度目の言葉に要も頷き返す。そうして手渡してきたのは『捕縛杖』。
「使えるものは使わないとね」
「あぁ」
「準備は大丈夫? マガジンとか足りる?」
「大丈夫だ。これ以上未来に我が儘を言うつもりはないよ。これを最後にしよう」
「うん、そうだね。だからお願い。絶対に、捕まえてきて」
「もちろんっ」
泣き腫らした赤い目に笑顔を返して、扉に打った空間固定を解くと、差し出された未来の手を握り返す。
「信じて託す、その先に。刻む歴史は未だ来ぬ、ってね」
それは由緒の真似か。恥ずかしそうに肩を竦めて笑う彼女を瞼の奥に焼き付けながら移動先を思い浮かべる。
全て考慮済みだ。
黒幕がいて、《傷持ち》がいて、彼女がいる。その全てが揃い、始まりにして終わりへの場所へと思いを馳せる。
そこは要の最初の敵にして、最後の戦場。
由緒が誘拐された廃ビルへ────