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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
四面楚歌の循環解明
25/70

第三章

 数的不利。実力がある程度拮抗している中でのその差は景色を揺るがす要因だ。

 しかしそれは、兵の全てが平等な意味を持つ場合だけだ。

 今回は違う。

 一見物量に見えるそれは、しかし確かに優先順位があるのだ。

 この瞬間に《傷持ち》が複数人重なるためには条件がある。

 それは何度も同じ時間を経験しないといけないという事だ。

 《傷持ち》は一人。それはこれまでの推論で導き出した見解。だからこそ本来は《傷持ち》は一人しか居ないはずだ。

 けれど目の前には四人の姿。つまり今この時間へ、《傷持ち》は四度来たと言う事だ。

 歴史もそうだが、時間はその通りにしか流れない。

 つまり四度来る為には前提として、四度同じ景色を違う視点からループしないといけないわけだ。

 となれば《傷持ち》には新旧の差が生まれる。見た目的には変わりのない姿。黒いレーシングスーツに(かなめ)の顔をした、『変装服(フォーマー)』で偽りの仮面を被った誰かだが、中身は同じ。

 ならばここに四人が並ぶために、一巡目と、二巡目と、三巡目と、四巡目の《傷持ち》が必要だ。

 物量作戦は確かに意味がある。けれどその意味のためには、事実としてそれだけの物量が必要なのだ。

 四人集まるなら四つの体と四つの命。

 一人しか居ないはずの《傷持ち》がそれを再現しようと思えば、三人は既に過去の人物だ。

 一人目が四人で来る事を確認し、二巡目、そして三巡目へ。ここまでは次にどうすればいいかが分かっているから……歴史がそうある通りにしか流れないように確定された未来だ。

 けれど四人目は、その後は未知数だ。例え《傷持ち》が要の行動を知っていたとしても、それは《傷持ち》本人の行動の裏が取れるわけではない。《傷持ち》には《傷持ち》の未来がある。

 未来(みく)が分からない未来を賭して彼女にとって過去であるこの時代に来たところで、経験をした事が無い歴史ならば知らない未来も同然だ。

 それと同じように、《傷持ち》にだって過去と未来が存在する。

 ならば、一人目から三人目までは既にループをする事が確定して、未来を保障されているためにここで捕まえる事はできないが、四人目ならばその先が分からないはずだから捕まえられるはずだ。

 問題は、乱戦になるこの戦場の中でどうやってそれを見極めるか…………。

 普通に考えれば全てを分かった風に動いているのが経験を重ねた《傷持ち》なのだから一番動きのいい奴を筆頭に考えるのが筋だ。

 けれどこれまで幾度も時空間移動で翻弄し続けてきた《傷持ち》。重なったところでそれがデメリットだけにならない事を知っている。

 それは要自身が廃ビルでやって見せた手法。

 過去の自分も、未来の自分も、それぞれがそれぞれを見越した動きを出来る事。

 過去の者は未来にどう動けばいいかを脳裏で描いて後から辻褄を合わせればいいし、未来の者は過去でどう動いたからとその穴を埋めるように行動すれば噛み合う。

 自分自身が重なっているからこそ取れる意思疎通よりも尚精度の高い連携だ。

 しかしそれはこちらにも言えたこと。要と未来にしてみれば、未来の要がそれを出来る。

 未来の要に無茶振りをして、その上で埋める穴をきっちりと辻褄合わせをすればいいだけの話。

 四対三。きっと既に決められているはずの結末へ向けて、戦場は歯車を噛み合わせる。


「っだぁ!」


 目の前の《傷持ち》へ向けて突き出した『抑圧拳(ストッパー)』の拳。普通ならば相手の持つ『スタン(ガン)』やナイフを警戒して出来ない攻撃は、けれど未来の要がここに居るという安心感から振り翳せる確約された未来だ。

 一度この時間を経験しているから、未来の要が一緒に居る。つまり今この時に生きる要は、ここで《傷持ち》には捕まらない。

 確信して放った拳。返った銀閃は、しかし顔の横を通り過ぎた亜音速の弾丸によって要を捉えない。

 それはきっと未来の自分が撃ってよこした横槍の一撃。

 来ると分かっているからこそ、こんな博打以下の暴論が策として機能する。

 そうして生まれた空白に迫る攻撃は、しかし過去干渉なら手馴れた存在である《傷持ち》も一緒。攻撃からそれに対する援護に注意を割かれた《傷持ち》が無防備になるところに別の《傷持ち》が横入りをして弾き飛ばす。

 さぁ、想像しろ。想像した分だけ確実に未来へ繋がる予定調和の戦いの始まりだ。

 返す刀で向けられた黒い銃口。

 しかし怯むことなくしゃがめば、頭の上を通り過ぎていく背後からの『スタン銃』での攻撃。連射された攻撃は、けれどいつもの妙技で弾かれて届かないまま。分かりきった事だとその結末を切り捨てて目の前の二人へ足払いを掛ける。

 同時に飛び上がった《傷持ち》二人。宙に浮いた二人に向けて、今度は未来が急接近。《傷持ち》の背後から迫った蹴りが《傷持ち》を一人吹っ飛ばす。

 そうして要の背中を守るように《傷持ち》二人を相手に立ちふさがる未来。立ち上がった要は未来の背中に自分のそれをくっつけて残りの《傷持ち》へと向き直る。

 景色には未来に蹴り飛ばされた《傷持ち》が一人。それから少し奥に未来の要が相手取る《傷持ち》がもう一人。

 一対一なら過去に対して片手間で干渉する事も可能かと。未来の自分の有能さに呆れつつ感謝する。

 同時構えた『スタン銃』。

 目の前の《傷持ち》に牽制一発。それから未来の要の相手をする《傷持ち》へ向けて自分の背中を撃つようにトリガーを絞る。

 普通なら自殺行為。仲間に当たるかもしれないという危惧は、けれど要の中には存在しない。

 だって知っているから。過去の要が未来の要に向けて何処へ撃つのかを。それをどうすれば有効活用できるのかを。

 鍔迫り合いで近接戦闘を繰り広げる未来の要。その体が、順に撃った『スタン銃』の道を開けるように背を向けたまま捻られる。

 《傷持ち》にしてみれば妙な動きをした要の後ろからいきなり『スタン銃』の弾が飛んできたように見えるはず。射線は遮って撃っているのだから普通ならば銃弾弾きの妙技は使えないはず。

 しかしその予想を裏切るのが歴史がその通りに流れる理由。

 今撃った《傷持ち》が既に二巡目以降の存在なのだとしたら、それを知っている。だからこそかわす事も可能だ。

 既に知っている未来なのだから当たり前。未来の要に蹴りを見舞いながら後ろへ側転からの後方宙返りで迫った三発の弾丸をかわしてみせる。

 つまりあの《傷持ち》は二巡目以降、候補だ。

 頭の片隅にそんな事をメモする傍ら、視界の外から忍び寄ったフリーの《傷持ち》。ブースターのお陰で視認できる攻撃をどうにかかわしてカウンターに拳を打ち込むも『スタン銃』で受け止められる。

 気は抜けない。例えそうなる未来で、危険が迫ればもう一人の要や未来が横槍を入れてくれると分かってはいるが、それでも確かに迫り来る攻撃だ。

 結果のための過程が存在する以上それを出来る限り往なすのが今の要の仕事。

 直ぐに距離を取りつつ『スタン銃』を連射。今回は数えていた残弾数をマガジン装填でリセットして足取りそのままに反転。


「未来っ」


 《傷持ち》二人を相手にする未来へ向き直り加勢をする。

 力一杯大地を蹴り、一足飛びに近づくと踊るような回し蹴り。片方の《傷持ち》を捉えて振り抜く。

 腕で防御は挟まれたがそれでもブースターでの一撃。乗った衝撃は要の想像以上の勢いで《傷持ち》を壁へ叩きつけた。

 確かな感触を覚えたのも束の間。次の瞬間には目の前にもう一人の《傷持ち》のナイフが迫っていた。僅かに浮いた姿勢。踏ん張る事も出来ずに咄嗟に腕を交差させて防御姿勢。

 しかしそんな要の危惧は未来が放った蹴りで相殺されて要には襲い掛からなかった。

 少しバランスを崩しながらアスファルトの大地に降り立てば直ぐに背後から気配。振り向く暇もなく『スタン銃』を向けたが何かに弾かれる感覚。手のひらから無くなったグリップの感触にようやく背後を目にして、それから視界の端に迫る脚に反射で防御を返す。

 僅かな間。刹那に鉄球に殴られたような衝撃が体を貫いて真横へ吹き飛んだ。

 背中を壁に打ちつけると喉から潰れた呻き声。響く鈍痛に顔を上げれば目の前に要の顔。それが一瞬未来の自分なのか、『変装服』で飾った偽者の仮面なのかと判別に間が開く。

 そんな要を待つことなく向けられた銃口。跳ねた鼓動に、体は勝手に反応し、見える足へ蹴りを見舞う。

 後ろへ飛ぶ《傷持ち》。その間に定められた照準がその虚のような黒い銃口をしっかりと要の脳裏に焼き付けて────


「せいっ!」


 けれどしかし、そのトリガーが絞られる寸前で《傷持ち》の背後から放たれた踵落とし。脳天を貫く一撃は、少しだけ狙いがずれて右の肩へと振り落とされた。

 結果僅かに逸れた銃口で頬の横に軌跡を描いた銃弾。全く落ち着く暇もあったものじゃないと悪態吐いて立ち上がりと踏み切りを同時に。水泳のターンの如く壁を蹴って急加速すると、拳を突き出す。

 乱戦の中で見出した僅かな勝機。

 既に誰が一番新しい《傷持ち》なのかと言う議論は捨て去り、唯一つの可能性に縋るように行動を起こす。

 『抑圧拳』が当たればいい。そうすれば時間移動が使えなくなるから、そいつは移動できない。ブースターが切れるまで執拗に攻め立てて、その上で捕縛するだけだ。

 結果から裏返せば、『抑圧拳』に捕まった奴こそが一番新しい《傷持ち》だ。ここで捕まえる事が出来る歴史なら、一巡目から三順目の《傷持ち》は時間移動が未来に待っている以上、『抑圧拳』には掛からない。その行く先が分からないのは四順目の、一番新しい《傷持ち》だけだ。

 だからこそそこには捕まえられるという可能性がある。

 考える間さえ惜しいと全力で放った『抑圧拳』の攻撃は、けれどまたしても横からの妨害によって当たらない。

 横から入ってきたのは先ほど要が蹴り飛ばした《傷持ち》。当然と言えばそれまで、こちらは三人相手は四人。一人ずつ相手をすれば《傷持ち》の方に自由に動ける者が一人出るのだ。

 その一人が、絶妙なタイミングでこちらの意図を邪魔してくる。

 放った拳の進路上、そこに体を差し込んだ《傷持ち》はそのまま突き出せば要の拳がナイフを貫くように置かれた切っ先に慌てて腕を引く。刹那に返った銀閃。瞬き一つですらできないほどの瞬間に振るわれた刃に、どうにか後ろへ飛んでかわす。

 と、そこへ舞い降りてきたのは銀色の棒状のもの。よく見ればそれは未来や未来の要が使っていた伸縮式警棒のようなそれ。

 受け取って構えるのと同時、鋭い刃が間断なく振るわれる。

 それを手に持った銀色の棒で弾き続ける。そう言えばこの棒の正式名称を、まだ未来に聞いていなかったと。抽象的にしか語れないむず痒さに歯噛みをしながら時折反撃を叩き込もうとするも全てをかわされる。

 柄を持ったときから想像がついているが、ボタンが一つついている。恐らくこれを押せば電気か何かが流れて無力化制圧の出来る代物なのだろう。

 近接戦闘で要だけ得物なしと言うのは不利の極みだと思っていたのだが、どうやら事ここに至ってようやく新戦力が回ってきたらしい。

 けれどそうなれば二人の内どちらかが『スタン銃』一つで《傷持ち》と渡り合う事になるのだろうが……と考えて視界の端に捉える。しかしその手元にはしっかりと要の持つそれを同じ棒状の武器が一つずつ。

 つまりこれを渡してきた方は最初から二つ持っていた事になるのだが…………いや、深くは考えまい。

 何にせよ取れる小手先の技が幾つか増えたのだ。それに越したことはないと。

 振るわれる刃を弾き、弾ききれないものは避け。反撃に『スタン銃』の攻撃を挟む。

 神経の磨り減る嫌な戦闘だと。実力の拮抗と言うか、互いが互いの致命打を分かっているからこそ起こる膠着状態。

 どうすれば崩せるかとそれまでに無い方法を試し試し返されるも、注意をしていれば見逃すはずも無く結局意味のない攻防へ。

 結果行き着くのは捨て身。投げや蹴り、マウントと言った直接何かを動かすわけではない攻撃に対しては鈍くなり、体にダメージを蓄積しながらその隙をつく戦法。

 それを、移り変わる景色の中で組み交わす相手を変えながら三次元的に戦い続ける。

 三対四と言う数的不利は戦況の優劣だけに留まらない。一人が一人を相手にしている状況で、《傷持ち》の側は一人休む事ができる。

 そうなれば段々と疲弊するのは絶え間なく戦い続けるこちら側。幾らブースターで強化しているとは言え元は人の体で、限界だってある。人にできない事はできないのがそのデメリットとも言うべき根幹だ。

 だから体力だって無限ではない。単純に多くなったように騙しているだけ。

 その上で致命的なのは未来だ。彼女はブースターを使わずに渡り合っている。積み重ねた戦闘の勘。恐らく彼女の過去にブースターに対する嫌悪に根差す何かがあって、それを理由に使う事を毛嫌いしてお守り代わりにしているのだろう。

 けれどブースターに頼らない未来は訓練しているとは言え極一般的な人の身だ。体力も、ブースターを使った要に比べれば劣る。時間が経つ分だけ彼女の消耗は目に見える形となって現れる。

 結果一番に足元を掬われたのは彼女だった。

 視界の端に映った未来の姿。足を止め、肩を大きく上下させる彼女は、右の二の腕を抑えて荒く息を吐く。みれば押さえた指の隙間から零れ落ちる赤い液体。その事実に目の前の《傷持ち》を蹴り飛ばして未来の援護へと回る。

 その要の背後へ迫る《傷持ち》……を未来の要が止めて、更にその要の背後からもう一人の《傷持ち》。咄嗟に未来が『スタン銃』を撃って足止めをすることで最悪の事態は避けたが、それでも崩された景色。未来の傍によって彼女を庇うように構える。


「大丈夫かっ?」

「……ん、掠り傷だから。毒とかもなさそうだし、大丈夫」


 もちろんそれは相手への虚勢。ここで弱気な姿勢を見せれば一気呵成に攻め立てられて崩されるのが落ちだ。

 だからこそ例え嘘でも、それを疑う事は要には出来ない。

 未来の返答に黙り込んで、それから目の前に並ぶ四人の《傷持ち》を睨みつける。

 誰だ……誰を攻撃すれば捕まえられる?

 戦いの片隅でずっと考えていた想像は、けれど実を結びはしなかった。

 こちらが要二人で分かり切った結末に向けて連携を出来るように、《傷持ち》だってそれは同じだ。だから行動から類推しようなどと言うのは愚策だったのだと、今更ながらに気づく。

 だったらもう勘だ。確固撃破をすればそのうち逃げない奴が出てくるから、捕まえればいいだけだ。

 問題があるとすれば他の三人に割く余力が無くなって、その隙を突かれるかも知れないと言うこと。依然として数的不利は揺るがないのだ。

 歯噛みして、それからラストチャンスだと自分を追い込み慎重に値踏みする。どいつが、一番新しい《傷持ち》だ……?

 見た目……同じ。『スタン銃』の残段数……流石に考慮外。傷……大差なし。

 だとしたら見た目だけではなく言葉で揺さぶれば。

 と、そこまで考えたところで不意に響いた声。


「…………『音叉(レゾネーター)』」

「────」


 それは隣の要から。次いで、視界の先の一人が僅かに眉根を寄せるのが見えた。

 『音叉』。それに何かを打開する手がかりがあるのか?

 考えた直後、三人の《傷持ち》が一人を庇うように陣形を変える。

 この状況ではったりは────ない!

 直感で至るのと同時、隣の要も踏み切る。

 もうブースターの残り時間も少ない。本当にラストだ。これで捕まえられれば…………!

 疾駆しながら『スタン銃』を連射。接近戦に持ち込めば伸縮式警棒の様なそれで攻撃を繰り出す。

 受け止められたナイフ。捻った手首でナイフと銀色の棒が同時に宙を舞う。直ぐに腹部に蹴りを見舞えば、次いで構えた『スタン銃』は手から落とされた。しかし拾う素振りすら見せず、崩れた姿勢に体全体を使ってタックル。そこに未来の要が追撃を入れる。

 隣では未来の自分が《傷持ち》同士の矛先を相打ちになるように入れ替えての妙技。確かにその方が楽だと。けれど時間を割かずに先に手を伸ばしたのは要自身。


「届っ……!!」


 け、と。アスファルトの大地を踏んで跳躍し、『抑圧拳』の拳を突き出す。

 一瞬の静寂。目の前に迫った《傷持ち》は────口元を歪めて嗤うと無慈悲にラの音階を辺りに響かせる。

 そうして初めて目の前で見た『音叉』は僅かに振動して辺りの景色を歪ませると、その奥へと黒尽くめの要の姿を消し去っていく。

 残された、届かなかった拳は宙を掻いて無様に大地へと転がる。直ぐに体勢を立て直せば着地に合わせて向けられた背後からの銃口。冷や汗が垂れたのも数瞬。絞ったトリガーは、けれど弾丸を僅かに逸らして要の横で跳ねる。

 見れば未来の要が放った回し蹴りが《傷持ち》を捉えて振り抜かれていた。

 減った《傷持ち》。三対三にはなったが、恐らく先ほど逃げたのが一番未来に生きる奴だ。だから今目の前にいる三人を捕まえる事が出来ない。

 隣に未来の要がいることで今の自分がこの先どうにか切り抜けられると確信を得られているように、あの《傷持ち》を逃がしたからこそ、目の前の三人も捕まえられない。

 歴史は、その通りにしか流れない。

 まさに諸刃の剣だと。利用し、翻弄される気ままにして絶対なる真実に歯噛みする。

 けれど、だからと言って何もできないわけではない。幾らブースターと言えど体は人間のそれ。未来だって疲弊するように蓄積されるダメージは何れその足を絡め取る蔦になる。

 それに《傷持ち》だってこちらを狙っている。一人欠けたからと言ってこちらに被害が出ないとはいえない。そもそも狙いは要で、それが今は二人いて分散しているからこそ決定打を貰わないで済んでいる。

 もし《傷持ち》が未来の要に気付いて、そちらを集中的に攻撃し始めれば防戦を強いられる事になる。

 それは避けなければならない。そのためにも、今は動き回りながら目の前の敵を撃退するだけだ。

 考えている間に再び《傷持ち》が襲ってくるも、それを止めたのは未来。お陰でまた少しだけ余裕が生まれる。その間に思考を巡らせれば未来頼みのそうなる歴史へ。

 持てる武器は『抑圧拳』以外にない。だからこそ脳裏に描いた通りに手を掲げればそこに『スタン銃』が一つ飛び込んできて収まった。

 未来の自分が持っていたそれだ。貸した分は先ほど取り落としたものを拾って交換するように運べば問題ない。

 重さからご丁寧にマガジンまで一杯かと悟って構える。

 呼吸一つ。そろそろ切れるだろうブースターを頭の片隅に置きながら恐らく今回最後の衝突を見据えて踏み切る。

 走る最中、向けられた銃口と、トリガーに掛けられた指先をじっと見て、横に跳ぶ。

 《傷持ち》がこれまで見せてきた妙技。銃弾弾き。ブースターの使用で出来るなら……そして未来の要が居るという安心感から試せば僅かに軌跡を捉えてかわす事が出来た。

 既に解けかかっているブースターで見えるのだ。ブースターの強く残る戦い中盤であればもっと確実に捉えられるはず。そうすればナイフや伸縮式警棒のようなそれで弾く事も可能か。

 その自信が、更に足を突き動かす。

 返礼とばかりに撃ち返した『スタン銃』は、けれど弾かれはせずに避けられた。

 《傷持ち》もそろそろブースターが切れる頃合だ。弾くには少しだけ判断力が鈍ったか。立て続けに撃てば、弧を描くように走る《傷持ち》。直ぐに照準を先に置いて偏差射撃をかますも、途端に足を止めた《傷持ち》の胸の前を通過していく。

 手玉に取られるような振る舞いに、しかし足を止めたのが幸いと一気に近づいて殴り掛かる。

 『スタン銃』で受け止め、拳に合わせてナイフを置き、牽制をする《傷持ち》。視界の端に捉えるほかの二人にも時折『スタン銃』で援護弾を撃っては見るが、攻撃や防御の一部にかわされる。

 それでどうにかできるのならば既に決着は分かっていると。

 胸の内に落胆を置きながら踵を返す動作に合わせて足の裏を叩き込む。腕をクロスさせてそれを防いだ《傷持ち》から視界を外しより近い場所にいる未来の自分が相手する《傷持ち》へ加勢。

 それを分かっている未来の要は過去の要の背後から迫る《傷持ち》に牽制弾。要が避ける事で軌道を隠す攻撃は、それでも《傷持ち》を捉えない。

 そこでようやく気付く。

 要同士が記憶を共有して連携を出来るように、《傷持ち》だって可能なのだと。誰かが撃ったものを別角度の《傷持ち》が見てそれを元に回避行動を取る。撃たれた側が見た側より未来ならば記憶の通りにかわし、見た側が未来ならば分かり切ったその攻撃を妨害すればいい。

 同じ事が出来るのだから、ならば出来ないことでしか決定打は無くて、思いつく限り平行線……。

 だったらやはり、消火器のときみたいに博打のような何かが必要かと。

 性格的に苦手な分野での策に何があるかと考えながら未来の自分と連携して二対二。そのうち未来も混じって三対三へと移ったが相も変わらず拮抗状態。

 相手が三人ともブースター頼りな以上、そろそろ未来のいるこちらに傾いてもいいはずだが……。

 と、そんな事を考えながら交錯した景色の中で不意に《傷持ち》の姿が一つ消える。

 それは《傷持ち》同士がクロスするように体を入れ替えた瞬間。右から左に抜ける《傷持ち》の後ろ。左から右へと交差したその姿が、《傷持ち》の後ろから出てこない。直ぐにそれが死角を利用した時間移動だと気付く。

 けれど気付いたときには既に全てが動き出した後。指先で増えたボールが一つに戻るが如く、三人から二人へ、二人から一人へ……。手品のように姿をくらました《傷持ち》は、やがてその最後ですら時空の歪みの奥に消えて行った。

 遅れて構えた照準の向こうには遠くに伸びる見慣れた景色。撃つべき対象を見失って、それから溜息と共に銃口を下ろす。今回はまだ駄目らしい。けれど次だ。《傷持ち》が物量作戦に出た以上やりようはこちらにだってある。捕まえることさえ出来れば解決したも同然の問題なのだから。

 大丈夫だと自分を宥めながら武器をしまう。未来の要から受け取った銀色の棒は、とりあえずコンパクトになるようなので折りたたんでポケットへ。返せと言われたら返すが、そうでないのなら遠慮なく使わせてもらうとしよう。近接戦闘の手段が拳くらいしかなくて辟易していたところなのだ。


「ほら、移動するぞ?」

「どこへ?」

「少し休憩できるところ。そろそろブースター切れるだろ? もちろんぶっ続けで探し回ってもいいけど、《傷持ち》が来るまでは後手だ。休めるうちに休むのは鉄則だろ?」


 響いた声に聞き返してそれもそうかと納得する。ブースターの連続使用だ。体に掛かる負担は廃ビルの時の比ではない。


「未来、移動頼んでもいいか? 過去の……由緒(ゆお)を隔離した後の、あの家でいい」

「分かった」


 彼女も疲れているのか、返った声は少しだけ弱く響く。直ぐに安全な場所へと考えて彼女と手を取れば瞼を閉じる。

 次いで重力方向の変化。もう慣れた感覚が移動先に置換して視界を開けば、こちらも見慣れたあの畳敷きの一室。

 着くや否や、未来の要が扉に向かって『スタン銃』を一発撃つ。空間固定。これで《傷持ち》はここへ来る事はできない。もちろん既に押入れなどに隠れられていれば別だが……もしそうなら既にここも襲われていると。

 ようやく得た安息の地に腰を下ろせば緊張と共に体の節々が痛み始める。

 先ほどまでは抑えていたブースターの裏に潜む鈍痛。

 蹴られ転がり投げ飛ばされた新しい記憶はひ弱な男子高校生の体に無理を強いて出来る限りを使い潰した。

 要は、異能力も発現しなければ特別喧嘩に強いわけでもない。由緒のお陰で少し柔道を齧った程度の何処にでもいる男子高校生だ。

 その体は、ブースター無しでは《傷持ち》と渡り合えないし、異性である未来にも劣る。日ごろの鍛錬とは意外に馬鹿にならないもなのだと、今更ながらに認める。


「で、別に休憩ってだけじゃないんだよね? 時間指定までして、ここでする事があるって事?」


 備え付けの冷蔵庫から取り出した水のペットボトル。未来から受け取って喉へと押し込めば冷たい流体が体を冷やしてくれる。

 そんな未来の問いに、未来の要が答える。


「あぁ、これからお前……過去の俺には今俺がして来た事をしてもらう。歴史再現だ。もう何度もやった。簡単だろ?」

「言うのはな……。お前は?」

「…………『音叉』を確かめにいく」

「確かめる?」


 聞き慣れた自分の声に嫌悪感を抱きつつ聞き返す。


「気付いた事があるからな。もしそれが本当なら、《傷持ち》を捕まえなくても黒幕に急接近できる」

「本当っ?」


 声は未来。彼女は光明を見たと言う風に体を乗り出して重ねる。


「聞かせて、根拠は?」

「……まず《傷持ち》から。あいつは、二人以上重なれるな?」

「あぁ」

「例えばある一点に二人以上重なろうと思うと時間移動が必須になる。その時使う時間移動は過去に向けてか、未来に向けてか?」


 ……廃ビルのような例外を除けば、一度過去に戻る必要があるはずだ。

 なぜならまず一巡目で自分が重なる景色を見る、それが終わった後で再現しようとすれば終わった過去に向かう事になる。一度その重なる地点より過去に飛んで、そこから未来に行くと言う方法もあるが、けれどやはりそこには過去への時間移動が、必要に────


「そうだ。経験した過去を再現するにはどうしても過去への移動が必要だ。それから、《傷持ち》は制限に抵触したか?」

「……いや、してないだろうな。俺は由緒と未来の異能力、どちらも強制送還される場面をこの目で見てる。あの時間移動はそれとは別の何かだからな。順当に、普通に時間移動をしただけだ」


 未来の強制送還はテレビの放送休止画面に映るカラーバーに飲み込まれるように消えていくし、由緒の強制送還は色鮮やかな泡沫となって解けていく。

 けれど《傷持ち》の移動はそのどちらとも違う。『音叉』を構え、音階を鳴らし、そして消える。前二つは『音叉』での異能力の受信に必要な事だから違うとして、消える際にはカラーバーも泡沫もない。そういう特別な見た目の変化はない。だから制限には抵触していない。

 そもそも、要と未来は時間移動をした未来人で制限を抵触する材料にはならないし、戦闘は何時だって人目がつかないように注意を払っている。利用できる現代人がいないのだから制限抵触のしようがない。


「だとしたら以上から、《傷持ち》は普通に時間移動をして──『過去』に向けて『一人』で移動している」

「っ…………!」


 そこでようやく、未来も気付く。だからこそ、『音叉』の裏にいる人物が一人以外ありえない事に至る。


「だから俺は今からそれを確かめにいく。もしそうなのだとしたら、可能性のある時間が一つだけあるからな。そのためにトラップも使った」

「トラップ?」


 未来の自分の言葉に聞き返せば、全てを種明かししてくれる。

 これから要がするべき事を教えてくれているのだ。


「『音叉』。そう呟いただろ? その後、《傷持ち》は逃げて行った。その行動でさえ、俺の推論を裏付ける一つの判断材料だ」


 少しだけ考えて納得する。

 そうだ、もし『音叉』が関係なければ、《傷持ち》は顔を歪める必要も目の前から急いて逃げる必要もなかった。それどころかブースターを追加投与してこちらの戦力を上回り続ければ崩せた景色だ。

 けれどそうしなかった。あの呟きにはそれだけの意味があったのだ。

 ならば何故直ぐに逃げたのか。それは、例えばあの瞬間目の前から未来の力で要がその『音叉』にまつわる時間へ移動する事を想像したから。それが出来ると考えたから。

 つまり、可能性が一つ消える────《傷持ち》の中に未来はいない。

 未来同士が重なれば時間移動が使えないから。それが出来ると踏んで、『音叉』のリンク先であろうその人物に手を出されては困ると向かった《傷持ち》は、こちらの行動制限にならない未来以外の誰か…………。

 考えて、しかしその先は確証がない。未来ではなくなっただけで、それ以外を平等に肯定するだけの考え方だ。

 まだ《傷持ち》の正体には迫れない。

 全てを知っている要だからこそ出来た手法だと、それをこれから自分がするのだと刻み込んで未来へ視線を向ける

 彼女は未だ考え事か。俯いた彼女の横顔を少しだけ見つめて、それから降りた沈黙を嫌い言葉を告ぐ。


「……とりあえず俺は歴史再現だ。直ぐに行ってもいいだろ?」

「あぁ任せる」

「未来」


 これ以上無駄な時間はない。

 真実に手を掛けた以上、早く未来の要の側に回って黒幕を捕まえに行くだけだ。

 黙りこんでいた未来は、それから差し出した要の手のひらを見つめて歯を噛み締めると彼女が持っていた銀色の棒を手渡してくる。


「……そう言えばこれの名前聞いてなかったな。何ていうんだ?」

「…………『捕縛杖(アレスター)』。『Para Dogs(パラドッグス)』で使われてる武器で、相手に押し付けてそのボタンを押せば電気が流れるから。それで無力化して捕まえるの。どうせその機能は使わないから、《傷持ち》のナイフを受け止める役割にでも使えばいいよ」


 どこか投げやりな声に一つ頷いて受け取る。

 これで『捕縛杖』が二本。先ほどの戦闘中に貰ったそれと、未来に今貰ったもの。その片方を、これから合流する過去の要に渡す事で綺麗にループするのだと至る。つまり二本持っていたのは要か……。

 考えつつ、これから行く先は過去で体験したように《傷持ち》二人に対して実力を拮抗させるために飛び込む戦場の真っ只中。

 ポケットに残ったブースター。その片方を取り出して飲み込むと未来へと向き直る。


「……気をつけてね」

「あぁ」


 浮かない表情の未来の手をとって脳裏に描く景色に感覚を置換。ブースターのお陰か重力方向の変化も気になることなく移動する。

 そうして開けた視界には《傷持ち》の姿。

 直ぐに『スタン銃』を抜いて構え、牽制をすれば、背中に当たる温かい感触。振り返らずとも、そこにいるのが未来へ想像を馳せた過去の自分だと言う事は重々承知。


 ────なぁ、そうだよなぁ!


「……あぁ、そうだ」


 過去の自分の声に答えて見据える。

 俺は全てを知っている。この後《傷持ち》が逃げて、更にもう一度現れて、それでも捕まえられない事を知っている。

 けれどそれを悔やみはしない。その先にある確かな一歩がこの事件の黒幕に急接近する未来を、疑わないから。

 だから今は目を瞑る。ここで二度逃がす事を。今までに積み重ねてきた矛盾を。

 全てを終わらせるためにここから既に攻勢へと移るのだと。

 意を決して大地を蹴り疾駆する。過去の自分が未来の要に託したように、互いの背後を預けながら目の前の障碍を打倒すべく力を振るう。

 歴史はその通りに。分かっている結末へ向けて辻褄を埋め合わせる。

 攻撃を往なし、こちらからの攻撃は避けられる事を飲み込んで既に次へとシフト。

 分かり切った未来ほど退屈なものはないと、まるでただ台本を感情無く読み上げる道化のように戦場で踊り狂う。

 結んだ『スタン銃』とナイフ。交わす言葉さえないままに弾いて蹴りを見舞えば、返答たる『スタン銃』の一発が跳んでくる。

 それを叩き落せば直ぐに次へ。過去に経験した通りに景色を再現すれば、隣には過去の自分と未来の姿。


「お前は……だれだ…………!」

「俺は、お前だ──」

「違うっ!」

「認められないのならば否定していればいい。その時が来れば分かる事だ」


 記憶に新しいやり取りが交わされ、そうして《傷持ち》の一人が見せ付けるように取り出した『音叉』。その先にいる存在を睨むように見つめれば、地を蹴った二人の《傷持ち》。

 目の前に急接近して来たその刺突を、『スタン銃』で矛先をずらせば後ろへと流れた一撃。直ぐに振り返って銃口を向ければ、記憶の通りに一人だけ残った《傷持ち》の姿。

 あいつにだって逃げられる。それも知っているから、深追いはしない。無駄な体力を消耗する必要はない。


「……ブースター、そろそろ切れるだろ?」

「切れたところでお前を連れて行けばいいだけの話だ」


 それは無理だと言ってやりたいが、けれどその言葉が原因で勘付かれても面倒臭い。

 沈黙は金、雄弁は銀だ。

 すべてに意味があると。これまでに紡いできた一言一句を思い出しながらこの先を思い描く。

 分かり切った景色。歪まない現実は、だからこそ信じる以上の真実だけで構成されて歴史をそうある通りに流れ紡ぐ。

 嫌になるくらいそれを味わってきた。覆らない歴史に歯噛みした事もある。

 けれどその変わらない過去があったからこそ、この景色があるのだと踏み締める。

 この先に、あるのだ。全てを終わらせるその未来が。解決に至る道筋が。

 脳裏に描かれる確定された未来が直ぐそこまで迫って知らずにその言葉を口にする。


「……俺はお前を知っている」


 今まで幾度となく翻弄されてきた呪縛のような言葉。普通ならば信じるはずのないその響きには、悪魔の囁きとも言うべき魔力があって、こちらの思考をいつも妨害してきた。

 それが目的と言うならば諸手を挙げて降参しよう。

 しかしそれでも。要は辿り着いた。その先にある真実に手を伸ばす。そのために、過去は過去らしく置き去りにしなければ。


「この後どうなるのかも、知っている」


 はったりではない。

 確かに知っているのだ。例えこの戯曲を紡ぐ黒幕でさえ、この主観だけは崩せない。

 経験は課題にぶつかった時の試金石ではない。過去にするべき過ぎ去った時間で、覆らない事実だ。

 だからこそ《傷持ち》のその奥にいる誰かに告げる。

 世界は唯一無二で、誰だってその事実を曲げる事はできない真実だけの物語だ。

 次いで放たれた《傷持ち》の『スタン銃』を、手に持つ『スタン銃』で弾く……なるほどこれが弾く感覚か。


「お前達は知らないさ。知っているのは知らないと言う未来だけだ」


 そんな言葉が出てくるという事は、未来へ蹴られて屋根の上へと昇った《傷持ち》は二巡目の存在だと確信する。

 これから向かう……既に要が経験した未来を知らないから、そんな言葉が出てくる。

 かの存在を今ここで捕まえられたなら全ては終わっていたのかもしれないと。終わった事を諦めながら見つめて家の奥側へ落ちて消えた《傷持ち》の事を考えて、それから『スタン銃』をしまう。

 ほぼ同時、過去の自分が声を向けてくる。


「……とりあえず、俺が来たって事は何か理由があるんだろ?」

「そうだな。まず最初。この時間の過去を守る。昔の俺がそちら側だったようにな」


 こちら側に立てば、あの時の言葉の意味がよく分かる。

 知っているからこそ何も出来ない無力感。歴史に縛られたこの身は、隣にいる過去の自分よりも多くの事を知っているのに、制限が多く纏わりつく。

 話せない事は思考の外へ。考えれば、過去の自分が思っている事を代弁してくれた。


「未来の俺はこの後どうなるかも知ってる……。だからこれから先の事は任せる。逆に俺にしかできない事もある……。例えば《傷持ち》の対処とかな……」


 また一つ未来が過去になる。刻まれる時が一秒ごとに未来から過去へと変わっていく。

 その度に、過去に向けて告げる事のできる終わった事が増えていく。

 今更実感する。不思議な感覚だ……。知っている景色がその通りに流れて再び過去として刻まれる。その度に、体の一部が自由になっていく感覚。

 歴史がそうある通りに……正しく流れているから。未来が事実に過去になった事に対して、世界に縛られているという実感が薄くなっていく。

 出来る事が増えていくのを、目に見えない何かで知る。

 それはまるで条理の鎖がひび割れて砕けていくように。この身を束縛する理不尽と強制力が自由へと摩り替わっていく。

 もっと早く。無情にしか流れない時を加速して前へ進みたいと願う心が、分かり切った物語を読み進めろと急かす。


「…………さっき、俺たちを襲ってきた奴ら。あいつらは俺のクラスメイトだ。つまりあいつらは『催眠暗示(ヒュプノ)』か暗示に掛かってる」

「『催眠暗示』を掛ける必要性だよね」

「あぁ。それは、隠れるためだろうな」


 ……残念ながらそれは違う。と、言いたいが我慢。どうせ気付く結論だ。今はただ静観して彼の稚拙な推理に付き合う。


「そもそも、だ。《傷持ち》は『催眠暗示』持ちじゃあないだろ」

「理由は?」

「ここまで用意周到なんだ。『催眠暗示』持ちが前線に出てきてわざわざ危険に飛び込むとは考えにくい。それに、身代わりだ。《傷持ち》に罪を被せることで、黒幕の存在を隠してる」


 その裏を掻いて、わざとその危険地帯に飛び込むことで矛先から逃げると言う方法もあるだろうが、それは《傷持ち》の中身が別人で、どれが誰なのか分からないという前提に成り立つ策だ。

 《傷持ち》を一人だと断定した以上、その方法はない。だとすれば《傷持ち》はやはり『催眠暗示』持ちではない。


「《傷持ち》が黒幕なら隠れるべきで、擬装を施す……。静観して事件を俯瞰するために、目の届くところに隠れてるはずなんだ。『催眠暗示』や暗示だって俺たちが解こうと思えば解ける。そこに不確定が絡む以上、監視は必要だ」


 狙うのと同時に、狙われている。だからこそ互いが抑止力として働き、相手も迂闊な行動が取れないのだ。


「《傷持ち》だって、その黒幕の知り合いとは限らない。この時代に居る、誰かを操って使っているだけかもしれない。用済み、危険が迫れば切り捨てることもできるからな。その上で俺が手を出しにくくするための人選……俺の知り合いを《傷持ち》に仕立て上げれば、無茶な事が出来なくなる」


 要だって人間だ。親しい人物を人質に取られれば行動は鈍る。由緒の時だって博打に似た方法論だったのだ。今になって思えばそうなるはずの未来……確信してあの結末は願えたはずだが。


「自分の居場所を偽り、それを更に流用してこちらの手を押さえ込ませる……。ストックが出来て、使い捨てられて、意味を持つ。なら候補は絞られて、それはきっとクラスメイトだ」


 この混乱こそが《傷持ち》の……黒幕の目的だ。嫌になるほど狡猾で、思惑に嵌る過去の自分が恨めしくなる。

 だからこそ更に近づく。

 こうして《傷持ち》や黒幕の視点に立てるから、これまでの言動にも理由を幾つか見つけられる。


「俺の周りで、クラスメイトで、黒幕……俺に近しければなおよし。そんなの、もう一人しか居ない」


 だからそう、その黒幕は、やはり揺らがない。


「あいつなら、由緒を誘拐する事も、クラスメイトを使う事も理解できる。……となるとあれは偽装か。犯人の候補から外すための演技」


 認めたくはないが、そうなのだろう。だからこそ問い質すべき理由が見つかるのだ。

 胸の内に燻る疑問と矛盾。その真実の答えを求めてその顔を思い浮かべる。


「……だとしたら《傷持ち》は誰だ? 長く命令に従ってるから『催眠暗示』じゃなくて暗示。だとしたら先に何か『催眠暗示』を掛けられた人が候補か? っ多すぎて絞れないな…………」


 問題はそこだ。今の要ですら絞りきれない候補者。けれど確かに違うと言えるのは未来だ。彼女は《傷持ち》ではない。

 ならば関係者である透目(とうもく)も薄い線か……。

 残りは、横並び……。《傷持ち》と言う名前の語源であるあの右手首の切り傷は、未来へ視点を向ければ誰もがありえる可能生だ。裏を返せば、今より過去の人物は《傷持ち》ではないということにはなるが……。


「俺が時間移動に巻き込まれて現代人じゃない以上、『催眠暗示』は効かない。だから『催眠暗示』での干渉は度外視して、実力行使で捉えに来てる。それが尖兵としての《傷持ち》の役割だ。だから《傷持ち》は『催眠暗示』持ちじゃない。それどころか、多分俺と同じ無能力者だ」


 もちろん、そう見せているだけの異能力保持者で、奥の手として温存している可能性もあるが。それを使用して要を捕まえられる算段が付くなら最初から全力でぶつかってくるはず。あちら側だって長引くだけ不利になるのだ。ここまで隠しておくにはリスクが高すぎる。これまでも使える場面はあっただろうから、やはり無能力者と言うのは確定か。


「つまり《傷持ち》は、お兄ちゃんと同じこの時代に生きる誰かって事だよね」

「考えるだけ無駄だ。だからこそ、入れ替わりの策が使える」

「そもそも今までの《傷持ち》が同一人物って確証はないわけだしな。『変装服』で俺に化ければ中身なんて関係ない。複数人を使ってブースターのデメリットも受け回せば次から次へと《傷持ち》を送り込む事も出来る」


 一言口を挟んで切り捨てる。

 もちろんそんな可能性は既に頭の中にはない。 

 《傷持ち》が一人であると断定した以上、不要な情報はノイズと切り捨てた。


「それをするために、そいつは一旦馴染む必要があった。だから『催眠暗示』で記憶を植えつけて、違和感なく溶け込んだ。そうして『催眠暗示』を軸に暗示を掛け、《傷持ち》として利用した……」


 けれどもし本当にそんな方法を取られていたのだとしたら、要はもっと《傷持ち》や黒幕に振り回されていたのだろうと思う。

 本気になってその存在を隠されれば、いつか来る偶然に似た必然のその時を求めて《傷持ち》と戦い続けないといけなくなる。確証を得られるまでは危険な事が出来ないから、解決のために必要なその突き崩すべきキーポイントを探し続ける……。そうなっていれば、例え解決すると分かっていたとしても今以上の消耗や被害を押し付けられていた事は明白だ。


「実行犯と黒幕を別にして煙に巻き、この時代の人たちを利用する事で無限に駒を得る……。けどこの時代では難しい問題もある。それが時間移動だ」


 しかしそれを崩すのが《傷持ち》がこちらを襲う際に用いるトリックの裏側。長く惑わされ続けた曖昧な『音叉』の向こう側の顔。


時間の逆接(タイムパラドックス)を防ぐために未来や由緒は重なれない。重なっても異能力が発動しない。だから普通なら《傷持ち》のやってる事はできないはずだ」

「もちろんあたしや由緒さん以外の人の異能力を使ってる可能性もあるけど……」

「未来からその人を連れてくる、だろ? けど未来でも時間移動能力は貴重だ。その存在を捕まえれば『Para Dogs』は保護する。幾ら予知の届かない未来からの干渉だとしても、未来の時間が存在しているならその時代にも『Para Dogs』はあるはずだ。つまり未来の『Para Dogs』が先に手を打ってる筈で、その第三者を利用するなんて普通は出来ない」


 『音叉』がなければ《傷持ち》は時間移動を行えない。逆に考えれば、『音叉』があるということはその先に時間移動能力保持者がいて、その人物は異能力を振るうにあたって何の問題もないということだ。


「だとしたら残るのはこの時代に居る時間移動能力者を利用する事だ。未来か、由緒か。そのどちらかを捕まえて『音叉』でリンクすればいい」


 名前も知らない第三者でないのなら、その人物はどちらか一人。

 未来にも由緒にも。異能力が発動しなくなる条件はある。それを回避しているという事は、その時間に重なっていない証拠だ。


「別に『催眠暗示』がなくても暗示自体は掛けられるはずだからな。掛かりにくいってだけで、掛からないわけじゃない。なら現代人であるかどうかもそれほど関係ない。この先未来か由緒……どちらかが捕まればそれが《傷持ち》の『音叉』のリンク先になる。だから俺だけじゃなくて未来も《傷持ち》の標的に入ってる可能性もある……」


 未来であれ由緒であれ、『音叉』の向こうにいるその人物は重なっていない。彼女達は解決した後の時間に、敵の言いなりになっていてはいけないのだ。

 当たり前といえばそれまで。未来が帰るのは全て解決した後。つまりこの時代で矛盾を全て解消し終えた後で、解決しているという事は起こる全てを経験した過去と言うことだ。つまり未来の痕跡は彼女の辿ってきた場所にしか残らない。

 同様に、解決して未来がこの時代から帰った後に由緒が捕まって利用される事もない。なぜなら由緒は知らない未来に移動できないから。

 過去に訪れた事のある未来ならば、それは過去の記憶だから可能だろう。けれど知らない時間、終わった後の事はまだ見ぬ未来で、そこに移動できない以上、解決したより先の歴史に利用される由緒がいるのは矛盾が起こる。

 だから彼女達の内どちらかが黒幕に利用されていたとしても、それは事件解決より過去にしかありえない。そして他人の監視から逃れた時間は、今のところそれぞれ一箇所ずつしかない。

 由緒は《傷持ち》に誘拐された時。未来は由緒を事故から救う最中に、確認したい事があるからと別行動を取った時だけだ。

 つまりどちらかの時間で利用され、記憶を消されたか思い出せないように暗示を掛けられた。

 ならばどっちだと問えば、それこそが今要が目指す目的地だ。


「何にせよ、あたしか由緒さんが狙われるって事だよね。でも由緒さんは既に隔離してる。つまり危険なのはあたしだけ……」

「《傷持ち》が黒幕があの時間を知らなければ、だけどな」


 確かにそれも候補だが、しかし全て解決した後で一人にする時間を与えないように迎えにいく手筈だ。今隔離している由緒の安全は彼女を迎えに行く時間さえしっかりしていれば守られる。相手が利用するだけの時間は取らせなければいい。


「けど考えるだけ無駄だ。未来が《傷持ち》の後ろに居るって言う考えの方がまだありえる話だと思うけどな」

「……あたしの異能力だと《傷持ち》一人で行動するには未来へしかいけない。つまりその黒幕とかは、雅人さんの事故より更に過去の時間から《傷持ち》を未来へ送ってる事になる。……そうなるとお兄ちゃんの周りに黒幕がいるって言う推論は確証がなくなるんじゃない? そもそも過去からこの時代に干渉してるなら、この時代で隠れる必要ないんだし」


 だからこそその可能性を切り捨てられた。

 もしその潜伏先が要の知らない時代だったのならば手の出しようがない。知らない時間には移動できない。だから芝居でも打って、わざと危機を演出することで相手を誘き出し、捕まえるくらいの強攻策しか出来なくなる。

 けれどそんな博打はもちろん打てない。


「けどクラスメイトが巻き込まれてる以上、一度この時代には立ち寄った……それは確かだ」


 クラスメイト。要にとってはそこまで興味のわかない、沢山ある繋がりの一つだ。

 極端に仲の良い悪いはない方だと思うが、だからこそそこまで共感もできない。

 だからもしかすると、上辺だけの関係だと切り捨ててしまえるかもしれない。

 しかし、学校に行けば話をして、必要であれば協力をして、同じ教室で学ぶ友だ。

 優劣のないその関係は、だから平等に天秤で量れる。

 その末に、もし巻き込まれるならば助けたいと。人らしい感情が《傷持ち》に向けるべき矛へと形を持ったのだろう。


「黒幕ってのはそもそもこの時代には生きてない。つまり何かしら齟齬があるはずだ。記憶には残せても、記録には残せない」

「…………とは言っても簡単にそれを調べられる記録なんてないぞ?」


 冷静に告げれば主観で者を語る過去の自分に嫌気が差す。

 きっといつも通りではなったのだ。《傷持ち》に襲われ、ブースターの抜け切らない頭で興奮冷めやらぬ推理。客観視していつも通りに非情で有効な手立ては言葉にはならなかったが、けれど今なら幾らでも出てくる。

 時間があるのならば少し鎌をかければ良いだけの事だ。本人じゃなくても、その家族でいい。近くに住んでいる友人の家を訪れて、怪しそうな名前を突きつけて見れば答えなど出る。

 手段を問わないのであれば、再度使用可能になった透目の異能力で要の脳内を覗き、その虚偽を暴けばいい。

 学校に忍び込んで名簿を見てもいいかもしれない。

 今は夏休み。その間に起きた事件であるならば、それ以外の時間には存在しないはずだ。記憶にあって名簿にない名前こそが黒幕の正体へ繋がる。

 方法論なんて幾らでもある。

 けれどそんな事は今更どうでもいい。要にしてみれば恐らく一つの真実とそうあるべき未来が認め難い現実をそのうち教えてくれる。


「俺に不信感を抱かせない程度の記憶を植えつけておけばいいんだよな? つまりここ最近……数ヶ月の思い出さえ『催眠暗示』で信じ込ませればいい。ならそこまで数は多くないか……」


 記憶の齟齬。少しだけ閃いた過去の要の言葉に視線を向ける。

 そうだ、それこそが俺だ。

 例え自分でさえも……いや、狙われているのが自分だからこそ、真実へ至る鍵が隠されているのではないかと疑う。

 よく読む推理小説でも一番最初に疑うのは主人公だ。先入観を捨て、もう一人の探偵になった気分で同じ物語の中を歩む。

 全てを信じず、客観視した視点で誰もを容疑者として並び立てる。

 信じてしまいがちなのは一人称の物語。主人公の視点で描かれるからこそ、勝手に重ねて誤認し重要な事を見逃してしまう。

 だってあたりまえだ。探偵役の主人公が事件に出会うのだから、事件に無関係と言う方がおかしな話なのだ。

 事実は小説より奇なり、と言うのは分からない未来だから面白いという探究心だ。

 分からないからこそ慎重になり、単純になる。

 物語は作られ、未来は作るものだ。だからこそ知らない事を知るために、色々な事をまずは疑って掛かるのだ。

 自分を信じるのは美徳だが、自分を過信しすぎるのは足元を掬われるだけ。


「…………一人、いるだろ? 気付きたくもない、認めたくない奴が」

「あぁ、そうだな」


 そうして、過去の自分へ向けてヒントを落とす。

 その人物こそが、要が至った黒幕。それ以外なら物語として匙を投げてもいいほどに、仕組まれた結末だ。


「なら《傷持ち》は誰だ? 馬鹿な演技してまで気付かれまいと隠してきたんだ。下手に手を広げて自爆するような策は打たないだろ?」


 そうだ、疑え。自己言及を繰り返せ。その先にしか、未来はない。


「《傷持ち》は一人だ。その中身も、一人だ。全てを把握するために、無駄と混乱は省くはずだ。だから自分の身を脅かす……俺たちが考えてるような入れ替わりの挟む余地を無くすために、《傷持ち》は一人以外に許されない」


 この時代に居て、《傷持ち》は一人で、異能力者の援護受けて、この景色に溶け込むその黒幕の顔。

 片方が分かればきっともう一人にも辿り着く、単純な解。

 だからこそ真実を固めるために他の候補に否定の楔を打ち込む。


「……けど分かったところでどうなる。入れ替わりが使えないならそいつが居る場所に直接乗り込むしかなくなる」

「その黒幕と時間移動能力保持者が、協力じゃなくて一方的な支配で利用されてるなら黒幕はその人の近くに居るはずだよね?」

「…………暗示に掛けて操るなら、『催眠暗示』と違って直接言葉で指示しないと意味がない。だとしたらその二人は同じ場所にいる事になるのか」


 並べられた登場人物の駒。

 要、未来、由緒、透目、(らく)結深(ゆみ)雅人(まさと)冬子(とうこ)、《傷持ち》、黒幕、操られた時間移動能力保持者…………。

 分からない顔も、今の要はあと一人だけ。

 そこさえ分かれば、動機まで分かる気はするのだが……。

 少しだけ自分の思考に沈んで時を貪れば、次に飛び込んできたのは過去の自分からの声。


「未来の俺は想像ついてるのか? あいつが何処にいるとか……」

「想像だけならな。ただ事実とは限らないし何れお前も辿り着く結論だ。ここに俺が居る事がその証明だ」


 そう、全て想像だ。だから確証ではない。けれどそれ以外はもう認めてはいない。


「そう言えば戻らないのか? いや、一人で来たんだから戻るには制限に抵触するしかないんだろうけど……」

「あぁ、それは大丈夫だ。そこは矛盾なく綺麗に回るから」

「回る?」

「問題はこの後なんだけどなぁ…………」


 経験した事ではあるが、今目の前にいる要は過去の自分。これから起こる事を伝えるわけには行かない。

 曖昧に濁して答えれば小さく愚痴が漏れた。思い浮かべるだけで神経が磨り減る。 


「とりあえず今の俺の使命は経験した過去を再現する事だ。そのうちお前も同じ事を経験するから分かるさ。……って前の俺の受け売りだけど」


 投げやりに答えて今一度脳裏に再現の工程を描きなおす。

 その傍らに交わされる隣の会話を小耳に挟む。

 曰く《傷持ち》を利用する算段だ。


「具体的にどうするかだけど…………」

「その役目は俺が引き受ける。再現するだけだからな」

「……もしかして最初から全部知ってて黙ってたんじゃないだろうな?」

「知っていても、それをお前に教えるわけにはいかないだろ?」

「便利な言い訳だな」


 溜息と共に零す過去の要を一瞥して、顔を前へ向ければこちらも何かと縁のある公園が目の前に。

 さて、とりあえず一休憩だ。次に控える最後にするべき《傷持ち》との乱戦に備えて気持ちを整えるとしよう。

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