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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
四面楚歌の循環解明
23/70

第一章

 幼馴染の部屋。高校に入ってからはそう頻繁に訪れた事のない、異性の部屋。

 そこに設えられた、幼馴染の匂いが染み付いたベッドの隣で、遠野(とおの)(かなめ)は座り込む。

 寝具に寝かされたその横顔は、健やかな寝息と共に瞼を閉じたまま。知らず零れた長く艶やかな黒髪を一房手にとって、優しくベッドの上に戻す。

 その髪の主。要の幼馴染にして、この部屋の持ち主、去渡(さわたり)由緒(ゆお)

 綺麗に整ったその顔に、もう何度目か分からない安堵の息を零す。

 先ほどまで、彼女は危険に晒されていた。

 彼女の母親である冬子(とうこ)が運転する車に轢かれそうになったのだ。

 それをどうにか、時と空間の歪さを乗り越えて、回避した。歴史的に言えば、そうなる通りに、事故を防いだ。

 命の危険に晒された幼馴染。要にしてみれば、理由にして、目的である──異性として好きな少女。

 彼女が生きている事に、また一つ安心する。

 そうだ、要が助けたのだ。そうなるはずだった歴史の通りに、彼女を助けたのだ。

 そんな彼女が、今は眠っている。ここへ運んでくる際に外傷がない事は確認しているから、多分体に問題はないはずだ。

 目を覚まさないのは、彼女の意識がそれを拒否しているからか。

 聞きたい事が沢山ある。聞かせたくない事が沢山ある。なのに話すら出来ないという焦燥感が募る。

 ただ今は、その目を開けて欲しいだけだと願う。


「由緒さんは?」


 と、そんな風に物思いに耽っていると部屋の扉が開いて少女の顔を見せた。

 覗いた顔は人形のように精緻なつくり。そこに嵌められた綺麗な双眸は橙色の宝石のように光り輝き異世界風に。更には体を覆わんばかりの長髪は鮮烈な赤色。横で小さく兎結びにしたところに、彼女が大事にする桃色の髪留めが光を反射する。

 そんな物語の中から飛び出してきたような少女。名前を明日見(あすみ)未来(みく)。遠野の家にやってきた再婚相手の義妹に当たる少女は、しかし仮の姿。本当の目的は時間を超えてやってくる事件から要を守るために派遣されてきた所謂エージェント。

 時空公安機関『Para Dogs(パラドッグス)』に所属する、時空間事件の解決に重きを置く、未来人。

 そんな彼女と越えてきた景色は、嫌になるほど鮮明に要の脳裏に焼きついている。

 過去と未来が交錯する思いの中で、幾度も交わした衝突。要を狙う黒尽くめの《傷持ち》。その下に見た、自分自身の顔。

 否定が渦巻く中で、けれどその先に今の現実を手にしたのだと思い返す。


「寝てるよ。未来の方は?」

「話はつけてきた。事故ってことで処理してもらったよ。冬子さんは念のため病院に行ってもらった」

「そうか」


 彼女は少し前まで現場検証に来た警察の人と話をしていた。が、どうやらその警察と言うのが未来と繋がりのある、『Para Dogs』の構成員で、未来から来た助っ人らしい。

 『Para Dogs』は異能力事件……過去改変などを起こす異能力に関わる問題を解決するために設立された未来の組織だ。

 異能力と呼ばれる超能力のような力を持って、それが原因で起こる問題を鎮圧する、異能の力の番犬。

 異能力保持者はその絶対数が少ないらしく、いくら時を超越し狙った時間と場所に移動できるとは言え忙しいのは事実。

 その補佐をするために……また解決のために立ち寄った過去で不便をしないために、その時代ごとに『Para Dogs』の構成員が世界には沢山いるらしい。主に身を置くのは警察と言った起こる事件に直面する場所。その中に紛れ込むことで、異能力に関する事件を解決に導く助けをしているらしい。中には未来のようなスペシャリストが出向かなくとも、その時代にいる『Para Dogs』の人たちだけで話が纏まる事もあるそうだ。

 そんな中のひとりがこの時代にも居たそうで……と言うか恐らく後から補充されたようで、面倒臭い事後処理は全て都合のいいようにあちらの人が引き受けてくれたらしい。

 お陰で要も未来も取調べで時間を取られる事もなく、由緒も要の近くにいる。

 流石に彼女が狙われた直後に、要や未来の目の届かないところへ移動させるのは心配で仕方ない。もしするのであれば、その狙ってくる人物、《傷持ち》の手の届かないところへ隔離するしかない。

 《傷持ち》。脳裏を過ぎったその名前に思考が沈む。

 歴史干渉のために要を狙い、由緒を巻き込んで引っ掻き回す時空間事件の実行犯。

 かの存在を捕まえるために未来は来て、けれどまだ拘束できてはいない。

 そしてその正体も────


「……未来、《傷持ち》についてだけど」

「あぁ、うん。偽者の、その理由だよね?」


 ────待ちなさいっ! 偽者っ!!

 《傷持ち》との前の接触の際、未来が零したその言葉。

 要と同じ顔をしたそのフルフェイスヘルメットの下に向けて放った、否定。その意味。


「んと、順序立てて、の方がいいよね」

「先に理由を言われた方が結論に対して安心して納得できるからな」

「じゃあまずはあたしが知ってる事から」


 言って、それから姿勢を正した未来は彼女の推理を口にする。


「お兄ちゃんには『変装服(フォーマー)』の事話したっけ?」

「フォーマー?」

「変装服と書いてフォーマー。その名前の通り見た目を偽る変装道具。全身スーツ型で、着ると見た目を変える事が出来るの」

「光学迷彩みたいな話か?」

「透明にはならないけどね。他人そっくりに変身はできる」


 現代にも光学迷彩に似たものは既にできつつある。外国では実際に軍に配備されているという話もあるほどだ。主に軍事、医療の分野で注目度の高い技術だ。


「詳しい原理とかは置いておくとしてね。まぁ誰かの姿形を真似る事が出来る、そんな便利道具。実を言うとそれを持ってきてたんだけどね」

「だけど?」

「うーん、詳しい事は分からないけどそれが消えてた。部屋の押入れに入れておいたはずなんだけどね」

「盗まれたって事か? 確認したのはいつ?」

「消火器のあと、お兄ちゃんだけ飛ばしたでしょ。あの時単独行動でね。盗まれたかどうかまでは分からない。今より過去で使う理由が出来たのかもだし。まだ空白の時間は残ってるからね」


 彼女の言葉に思い出す。過去の空白で使ったのは、最初の十五分と、制限抵触でできた三日間。残っているのは最初に制限抵触で戻った後に作った五時間。……あぁ、あと由緒の誘拐を解決した際に未来が彼女を連れて移動した、あれは約一時間ほどの空白か。

 そのどちらかで『変装服』を使ったのかもしれないと。


「で、それと《傷持ち》がどう繋がるって?」

「例えばの話、あたしの持ってきたものではなくて《傷持ち》個人が未来から持ってきた『変装服』を使う事だってありえる。『スタン(ガン)』だって持ってたしね」

「そうだな」

「で、例えばあのヘルメットの下の顔が、『変装服』で変えたお兄ちゃんの顔って可能性があるの」

「……あぁ、そういうことか。その先を疑うのはなかなか難しいもんな」


 例えば、覆面を取った下の素顔を見たとき、その顔をその人のものだと思い込んでしまう。覆面で隠すほど素顔がばれる事を嫌っていたのだ。だからそれが本物の顔だと錯覚してしまう。

 けれどもしそれさえも嘘だとしたら。更にもう一つ、偽りの仮面があるのだとすれば……と言うのが未来の考えだ。

 本当の顔を隠すために『変装服』で別人に。更にその上からフルフェイスヘルメットで隠せば、最初に見たヘルメットの下の顔を本物だと思ってしまうのは無理のない事だ。普通その下に更に顔があるなんて考えない。


「それから根拠がもう一つ。《傷持ち》が傷持ちである事だよ」

「……どういうことだ?」

「『変装服』ってのは他人に成りすませる。なら悪い事を考える人はそれで誰かに成りすまして悪事を働き、濡れ衣を着せることだって考える」

「悪用ここに極まれりだな」

「それを防ぐために、『変装服』には完璧な変装をさせない機能があるの」

「どんな?」

「『変装服』の中にいる人……その人の身体的特徴を隠せないってこと」


 どこか確信したように未来は告ぐ。


「例えば顔に火傷のある人が、怪我をしていない人に変装したとすると、その変装後の顔に火傷の傷が現れるの。本人と比べればそれが偽者の証になる。逆に『変装服』を使った人にないものが、変装の元となった本人にあればそこから嘘だとも気付ける。歯の有無とか」

「なるほど……」

「これを《傷持ち》に話を移せば……」

「もし《傷持ち》のあの顔が『変装服』によるものだとしたら、あの手首の傷は『変装服』の中の人物が持っている傷って事か」


 外的要因までは隠せない。それが示す事実の歪み。


「お兄ちゃんに手首の傷はない、よね?」

「……あぁ、ほら」


 もしかするとこれまでのどこかで負ったかも知れないと少しだけ考えながら袖を捲くれば、確かに傷跡はない。


「つまり傷を持ってる《傷持ち》は、お兄ちゃんじゃない……偽者の可能性がある」

「断言は出来ないか?」

「これから先お兄ちゃんが同じ位置に同じ傷を負わないとは言い切れないからね」


 知らない未来の事だ。確かにその可能性はありえるか。

 けれど《傷持ち》の目的が要の周囲にあって、それが要の想像するように由緒であるならば、そう簡単に行動に移したりはしないはずだ。何より、この過去がある事を知っているのだから。


「だから可能性の一つとして覚えておいて。《傷持ち》は必ずしもお兄ちゃんじゃない。あの顔は、『変装服』で真似ただけの可能性があるっ」

「変装した上から『変装服』に傷を付ける事は?」

「それは出来ないよ。『変装服』が映す他人の姿は、中の人を反映した仮面だから。中の人にないものを後からつける事はできない」

「そうか…………」


 今回ばかりは未来の機転に助けられたと。まだ未来は確定しない。


「けど、だとしたら一つ薄くなる線はある」

「何?」

(らく)が《傷持ち》って推論だ。楽に傷はない。つまり『変装服』で俺に変装して、その上で傷を付けたって線はないわけだな?」

「それを言うなら傷を負ってない人全員が候補から外れるよ」

「だな」


 《傷持ち》のあの顔が『変装服』であるならば。その中にいる人物は要でも、未来でも、由緒でも、楽でも、結深(ゆみ)でも、透目(とうもく)でも、冬子でもない。

 ならば誰だと。一気に振り出しに戻った犯人像がのっぺらぼうの仮面をつけたまま要に向けて嗤う。

 少しだけその空想の敵を睨み返して、けれど見失った尻尾の影に小さく息を吐く。

 まぁいい。《傷持ち》が要でないのならば、これ以上悩む必要はない。誰であろうと平等に捕まえるだけだ。


「……ん…………」


 と、改めて目的を胸の内に据えたところで、ベッドの方から小さな声が響いて近くに寄る。


「由緒っ」

「んん~……。……ぇ、ほ、ぁああわぁっ!?」


 覗きこんだ顔。ゆっくりと開いた瞳に……その奥に宿る青み掛かったいつもの彼女の色にたちまち安堵の息を零す。

 よかった、彼女は無事だ。目も覚ました。

 そんな風に考えた刹那、現状が把握できたらしい由緒は何故かいきなり奇声を上げてこちらを威嚇してきた。

 思わず何かあったのだろうかと彼女の身を更に案じて、手のひらを彼女の首筋へと這わせる。うん、脈は異常なし。心成しか少し早い気もするけど。起き抜けだからだろうか?


「どうした、何か嫌な夢でもっ…………」

「ょおのぉおぅぁあっ!?」

「……お兄ちゃん、落ち着いて。まずはその手、離してあげたら?」

「え…………? あっ……」

「フーッ! フヵーッ!」


 次いで途端に赤面したのと同時、またもや奇声を発する由緒。だから一体何がと、加えて彼女に尋ねようとしたところで、後ろから肩に手を置いた未来が少し強めに後ろへ引っ張って要を由緒から引き剥がす。

 合わせて未来が告げた言葉。何故かすんなりと胸に落ちた彼女の声に平静を取り戻し反芻すれば、今しがた自分が何をしたのかを悟る。

 呆れたような未来の視線と、警戒して猫のようにこちらを睨む由緒に挟まれて片身を狭くする。

 うん、幾ら心配だからっていきなり乙女の柔肌に触れてはならんよなぁ。今ここで制裁が飛んでこなかったのがせめてもの救いだ。

 最初に驚いたのだって起きて目の前に要の顔があったからだろう。


「わ、悪かったっ。心配してたんだよっ、もしかしたら目を覚まさないかもしれないって……」

「うぅううぅうぅぅぅっ……」

「本当にごめんっ」

「由緒さん」

「うぅ………………。……そ、そーゆーのは、まだダメだからっ」

「もちろんだっ」


 ようやく人語を解してくれた幼馴染に平身低頭で謝り倒す。

 幾ら互いの気持ちがそうであっても、順序と言うものがあるわけで。そもそも要はその気持ちを由緒には伝えていないのだから、紳士として許可なく触れるのはマナー違反と言うか。

 そんな事を頭の中で自戒しながら幼馴染の機嫌を伺う。

 まるで狼から逃げ惑う子羊のように体を震わせる由緒。そんな彼女に必死に頭を下げる要と言う、語るだけ惨めになる光景が数秒続いて。やがて由緒は涙を湛えて呟く。


「……よー君は、よー君でいてよ…………?」

「あぁ」

「ん。じゃぁ許す……」


 彼女の怒りも羞恥も尤もだと。配慮の欠けた自分を叱咤して再び遠野要を再インストールする。

 そうしてようやく彼女の許しを得てその尊顔を拝むに至った。離れた距離は戻らなかったけれど…………。


「で、でっ。結局何だったの……?」

「……由緒、さっきまでどうして寝てたか覚えてるか?」

「………………分からない」


 よし、いいとしよう。これ以上ここを広げればまた楽の時の二の舞に、彼女に要らぬ精神的苦痛を背負わせてしまう。

 未来に視線を向ければ彼女も頷く。


「え……あ、そっか。また私、よー君を困らせたんだ…………」

「困らせた、って程じゃない。そもそも悪いのは《傷持ち》なんだから」


 そんな未来とのアイコンタクトに気付いたか、由緒が何かを察したように零す。慌てて彼女が塞ぎ込まないようにと原因を別のところに投げれば、由緒もそれに甘んじてくれた。


「……《傷持ち》は、どうなったの?」

「まだ捕まえてない。けど少なくとも、幾つかの可能性は消えたから、いらない事で悩む必要はなくなった」

「そう…………」


 まだ危険は去っていない。その事実に、由緒はまた何事かを考え込む。

 彼女の思慮はよく分かる。誘拐に続いて二度目。彼女はきっと要の足手纏いになっている事に自分を責めている。

 けれど仕方ない事なのだ。彼女は既に巻き込まれた側。そこに危険がないと言い張る方が難しい。それを防ぐ事こそが、要の役割でもあるのだ。由緒が背負う責任ではない。


「でだ。少ない時間で色々考えたけど、由緒にこれ以上危険な目にあって欲しくない。だから由緒を隔離しようと思う」

「隔離…………?」

「どこに?」


 由緒に続いた疑問は未来のもの。否定が返らなかったところを考えるに、未来もその策に対しては賛成らしい。

 ならば問題は何処へ、と言う話だが……。


「これまでそうだったけど、《傷持ち》は俺の行く先にしか現れない。つまり由緒だけの移動なら《傷持ち》は由緒を追ってはいけないって事だ」

「だね」

「それに《傷持ち》は俺じゃない。裏を返せば、それで俺の目の前に現れるって事は、俺の行く先にしか現れないって事にならないか?」

「……《傷持ち》の行動先は、お兄ちゃんが訪れた先しか選べないって事?」

「あぁ」


 《傷持ち》が要でないとするのならば、その時空間移動には何らかの法則があるはずだ。

 要でない者が要の行く先を知る。それはつまり裏に過去の要を知る誰かの協力があるということ。ならば、要からは要の情報しか漏れず、要の訪れた事のない場所ならば《傷持ち》は追って来られないということだ。


「それからもう一つ。俺が訪れた場所でも、そこに由緒がいなければその存在は俺の記憶には残らない」

「17年一緒だったんでしょ? 生まれた人が消えるなんてないっ。……そんな矛盾があるはずが…………」

「ある」


 要の訪れた場所、と言うのは要がこれまでに経験してきた人生で訪れた場所全てだ。つまり17年間の記憶だけ。

 その中で要が去渡由緒を知らない時期が、一定期間ある。それは────


「俺と由緒は幼馴染だ。一緒に過ごした時間は長い。それこそ生まれてからずっとだ。けど小学一年生の、夏休み明けの二学期。それより以前に、目の前の由緒を指す『去渡由緒』なんて少女は世界の何処にも存在しない」

「……そうだね。あの夏休みが終わるまで、今の私はどこにもいない」

「な、何を…………」


 俯く由緒に視線を向けて最後の確認を取る。話してもいいかと。

 その視線に、幼馴染は覚悟と共に頷いた。


「未来は、この時代に来て由緒の父親を見た事があるか?」

「え────あっ」

「うん、そうだよ。私も、よー君と同じ、母子家庭。小学一年生の夏休みまでは、私は去渡って言う苗字じゃなかったの」

「それって…………」

「よー君のとこみたいに事故で亡くなったとかじゃなくてね、私のお父さんだった人は他の人と逃げたんだ。同じ会社に勤めてた女の人。あの夏休みが終わるまで、私の名前は──此野咲(このさき)由緒だった」

「だからその時まで、去渡由緒と言う、今俺の目の前にいる由緒を指す人物は、世界にいないんだよ」


 だからこそ、一つだけ可能性がある。


「未来。由緒の異能力、制限⑦は?」

「……同時間軸に『去渡由緒』が二人以上存在できない」

「ならその時代に要る由緒が、『此野咲由緒』で、これから重なる由緒が『去渡由緒』なら、制限に抵触するか?」

「…………しない。歴史で考えれば、その時間に要る由緒さんは、苗字の違う、別人扱いだよ。だから、制限に抵触は、しない……」

「由緒は未来みたいに重なっても異能力の発動に制限はない。普通に考えれば重なれないから、そこまで制限は言及しなかった。去渡由緒なんていう人物はその時代の俺には記憶にない。俺の記憶にない人物を、襲う事はできないだろ? それに去渡由緒を追い駆けるのならば、此野咲由緒の頃の由緒には辿り着けない。ならその時代に由緒だけを隔離すれば、《傷持ち》からは逃れられる」


 矛盾なんて一つもない。それは屁理屈ではなくて、考慮の外だっただけだ。

 要が由緒の過去の事を口にしてこなかったのも、同じ痛みを知っているから。その記憶を封印したかったからだ。

 けれど今だけはそれに縋る。使えるものを利用する。


「……由緒が重なっても問題ない時間。その中で、特に印象が強くて、俺も覚えてるのは…………いないはずの父さんに会った小学一年生の頃だ」


 迷子になって、今となっては矛盾であると言える、死んだ父親に助けてもらった記憶。あの時はまだ、由緒は此野咲由緒で、去渡ではない。


「俺が七歳の時だ。それより前に一度飛んで、そこから由緒だけを送れば隔離できる。全部が終わった後で、由緒を迎えに行けば解決だ」

「あのときより前っていつ……?」

「……父さんの事故が起きた時間。俺や由緒が生まれるより前だ。父さんの事故死に関わる移動は、由緒の異能力で飛んだ。その時は未来だけ制限に引っかかって戻ってきた。だから由緒の能力だと未来はあの時間には行けない」


 それは由緒の異能力の制限⑥、制限を犯した際、その遡行者はこの異能力では同じ時間に移動できなくなる。つまり強制送還された際、由緒の異能力だとそこには二度といけなくなるというものだ。


「けど未来の異能力なら違う。由緒の異能力で行けないなら、未来の過去への移動で跳べばいいだけだ。幸い、あの時間の記憶は俺にも未来にも残ってるからな」


 透目の異能力云々よりも、その時間に行っていろいろな行動をしたという記憶が確かに存在する。これを基点に移動すればいいだけだ。


「可能だろう?」

「……………………うん」


 何処までも箍の外れた思考で確実な一手を打つ。

 未来へと尋ねれば、彼女は随分な沈黙の後重く頷いた。


「っけど、それだと由緒さんを一人にする事に……!」

「全部終わったら由緒に合流するように跳べばそれでいい話だろ? 由緒の感覚にしてみれば着いた先には既に俺が居る。何も問題ないはずだ」


 由緒を迷子の過去に送って、解決した後からその由緒を送った先の時間に移動して、由緒が来るのを待つだけでいい。

 それから由緒と合流して、元いた時間へ戻ればそれで由緒への危険は消し去れる。隔離も出来る。


「まだ何かあるか?」

「……由緒さんはっ? 記憶に余り無い過去に行く事に────」

「心配は嬉しいけど、大丈夫だよ。何よりよー君が私の事を思ってくれての提案だもん。危険が来る前にまた会えるんでしょ? だったらそうなるように未来ちゃんが頑張ってよ」


 由緒の言葉に俯く未来。何がそんなに彼女の胸に引っかかっているのだろうか……。


「……だったらそもそもあたしが由緒さんを──」

「守れるのか? 狙われてるのが俺で、今もぎりぎりなのに。由緒に割くだけの余裕が未来にあるか?」

「っ…………!」


 彼女に守られているだけの要が酷い言い分だと自分で気付きながら、けれど反論の出来ない理由を突きつける。


「大体何がそんなに嫌なんだよ……」

「…………これ以上、問題を大きくしたくないんだよ……。今でも十分、頭がぐちゃぐちゃになるくらい色々なところを跳び回ってきた。《傷持ち》の正体だって、白紙に戻った。その上で更に由緒さんまで巻き込んで────これ以上二人に世界からずれて欲しくないっ!」


 悲痛な叫びは彼女の内に溜まった感情の爆発として部屋に木霊する。

 要と由緒は、この時代に生きる者だ。事件が解決して、未来が帰る時にはこの記憶も全部消える。そうすればきっと記憶の中に幾つかの齟齬が生まれる。沢山の時間を渡り、歴史干渉に関わってきたそのつけだ。

 今となっては仕方の無い事だが、けれど未来にとってはそれを最小限にする事も役目の一つなのだろう。


「あたしと関わった記憶は、消さないといけない。消した時に、沢山の記憶を失えば、現実に戻った時に影響があるかもしれない……。その可能性を考慮して、本来ならあたし達が事件を解決する事は、極秘裏に行われるものなんだよっ。なのにお兄ちゃんはそれを無視してあたしのやる事に深く関わってくる……。こんな前例、今までにないっ。記憶を消した時に、何が起こるか分からないのっ。だから遅いとしてもこれ以上巻き込む事は────」

「ならどうして一番最初の時に俺まで時間移動に巻き込んだんだ?」

「それは予知でそうなってたから仕方なく……」

「予知でそうなってた。つまりそれは決められた未来で、ここは未来のいたときから言えば決まってる過去だ。今更何かをしたって変えられない。歴史は、そうある通りにしか流れない。……そうだろ?」

「……………………」


 駄々を捏ねる子供のように要の言葉を無言で跳ね返そうとする未来。

 その頑固にして…………何より要達の事を案じてくれるその気持ちに嬉しくなる。だからこそ、それを承知の上で最善を尽くすのだ。


「なら例えばここで由緒の隔離策を取らなかったとして、それで《傷持ち》に付け込まれたらどうする? その方が面倒事になって、余計に俺たちを巻き込む事になる。俺が言ってるのは未来を責めるための提案じゃない。もちろんこの非日常に溺れてる我が儘でもないっ。早く事件が解決するために余計な懸念を消すための策だ。それでも納得できないか……?」

「そうするべきなのと、納得の気持ちは、別だよ……」


 彼女だって随分追い込まれているのだ。

 時空間移動をする犯人と巻き起こる時空交錯に幾つものあるはずのない矛盾。

 矛盾は、その数だけ先の未来に波乱と交錯がある事を告げている。要の視点で言えば、廃ビルのこととか、雅人(まさと)の事故の過去で要を助けに来た未来の存在とか。一番近いところで言えば『変装服』の紛失とか。

 挙げればきりがないほどにこの先の未来で何かがある事を語っている。

 けれどそれがどうしたのだと。歴史がそうとしか流れなくて、ならば解決するはずなのだから、全て丸く収まるはずだろうと。

 彼女が去った後要達の身の周りで起こる問題は要達の問題で、彼女の責任ではない。

 それを彼女が気に病む必要は何処にもないのだと。

 しかしどうすればその気持ちを伝えられるだろうかと足りない頭で考える。

 説得なんておこがましい。それは、要が要に誓った、未来の力になるという最初の目的だ。


「……未来は────」

「みくちゃんはね、背負いすぎなんだよっ」


 何か言葉を継がなければと……沈黙を嫌って零した音は、けれど重ねて響いた幼馴染の優しい声に遮られた。


「もしみくちゃんだけで解決できるなら、最初から……その予知の時から一人でどうにかなる事が分かってたはずだよ? それがただ違っただけ。ほらっ、私達はみくちゃんの敵じゃない。一緒に考えて、みくちゃんの力になりたい仲間だよっ」

「……………………」

「私は、その……みくちゃんが未来でいる組織? の人じゃないけど、それでもみくちゃんの力にはなりたいし、そうじゃなければこんなところに居ない……。ううん。みくちゃんだって、私を助けてくれようとしたんだよね? だったら、悩むことなんてないんだよっ」


 精一杯。きっと半分も事態を飲み込めていない由緒は、けれど信じて紡ぐ。


「私を助けてくれたんだから、今度は私がみくちゃんの力になる。未来ちゃんにできるだけ迷惑を掛けないようにするっ。助け合うのは、当たり前だよ。友達、でしょ?」


 純粋で、真っ直ぐな。理屈を抜きにした感情に端を発する言霊で疑うことなくそう言い切る。

 要には、出来ないと。

 無条件に何の躊躇もなく、相手の事を認めて、同じ土俵に立つ覚悟。

 由緒の、一足飛びな距離の詰め方。

 もちろん、知っている。彼女のずっと隣で振り回されながら見てきたのだ。その結末が、ただの一度も失敗したことのない未来へと繋がっている事を、要は疑わない。


「それとも、みくちゃんは私のこと嫌い?」

「そ、んな、ことは…………」

「よかった。でも、だったら、もう友達だよね? みくちゃんの力になっていいんだよね? その心配事、だから私達にも少し分けてよっ。私達のこと、信じてよっ」


 俯いた未来の顔を掬い上げるように覗きこんで、そうして笑顔を振り撒く。

 要は、あの笑顔に勝った相手を見た事がない。だからこそ、その笑顔を見られた事に安堵する。


「……………………変わらないですね、由緒さんは」

「うん?」

「いえ、こちらの話です。…………分かりました。由緒さんがいいなら、その策でいきましょう」

「ありがと、みくちゃん」

「それはあたしの台詞です。どうして由緒さんが言うんですか……」

「ん~、何となく?」

「……ふふっ」


 首を傾げた由緒の言葉に、未来がようやく笑顔を見せる。

 そうだ。俯いていては、前を見ることなど出来ない。前を向く意志と、その先に希望を抱かなければ、それは止まっていることと同義だ。

 だから要は決意する。

 もうこれ以上《傷持ち》の好き勝手にはさせないと。追い詰めて、捕まえて、その後ろにあるだろう全てを暴いて。それで全部終了だ。

 それ以上の混乱も不破も矛盾も、必要ない。誰がどんな思いで紡いだ過去干渉だろうと、その元を抑えればそれで終わりなのだから。

 呼吸一つ。胸の内から蟠った気持ち悪い物を全部吐き出して前を向きなおす。


「お兄ちゃんも、ごめん」

「別に。これくらいの喧嘩、兄妹ならするだろ?」

「こんな込み入った話、するはずないよっ。本の読みすぎじゃない?」

「失敬な」


 いつものように軽く尖った言葉を聞いて、いつも通りに戻った未来を感じながら気持ちを整える。


「えっと、それじゃあまずはあの過去でいいんだよね?」

「あぁ。由緒も準備いいか?」

「もちろん。信頼してるからねっ」

「任せとけ」

「あ、お兄ちゃんと由緒さんも手を繋いでおいて」

「複数人だと何かあるのか?」

「特にはないけど、その方が安心するでしょ?」


 どこか意地悪な視線に、知らない振りで溜息を吐いて由緒に手のひらを差し出す。

 少しだけその手を見つめていた由緒は、それから柔らかい笑顔を浮かべて握り返してきた。

 まぁたしかに、未来の言うように繋がっていると言う温もりは知らず心を落ち着けるものだと。そんな事を考えながら目を閉じる。


「よし、いくよ?」


 それぞれに手を取って三人で円を描くように結ぶ。

 瞼の裏に雅人の事故の過去。要が居なくなってからの時間を思い描いて集中する。

 途端体を襲った重力方向の変化。浮いたような感覚は足元から頭へ向けて。

 変な感覚だと感じたのも刹那。瞼の裏の景色に色が付いた事に気付けば、感覚が過去へと置換されて足の裏が畳を踏み締める感触。

 ゆっくりと目を開ければ、そこはこれまで幾度もお世話になった隠れ家としての一室。

 どうやら無事に過去へやってこれたらしい。


「由緒、もう開けていいよ」

「……え、何処ここ…………」

「『Para Dogs』が所有してる活動拠点のひとつ。前に来たときもここを拠点にしたんだよ」

「…………よし……で、次は由緒さんだけ、だね」

「はーい」


 少しの間自分の手のひらを見つめた未来。けれど直ぐに由緒へ向き直って彼女と手を結ぶ。


「直ぐに迎えに行くから」

「ん、待ってるっ」


 疑わない笑顔に要も頷いて、それから由緒が目の前から消える。

 …………さて、ここからは一直線だ。都合のいい結末以外必要ない。


「それで、未来はどうしたんだ?」

「えっ、何が?」

「さっき。手のひら見てただろ?」

「あー、うん。実を言うと少しずれたんだよね、思ってた時間より」

「って言うと?」

「あたしがここから居なくなった直後に飛ぼうとしたら飛べなかったから」

「……それ多分俺のせいだな」


 脳裏を過ぎる過去の記憶を思い出して答える。


「未来は制限に抵触して戻ったけど、俺は未来からやってきた未来の異能力であの三日後に戻ったんだよ」

「あーそっか。そのあたしが居たから重なれなかったのか」

「多分な」

「ってことはその矛盾も後から辻褄合わせないといけないわけか……。他には? 他に未来のあたしに会った事はある?」

「…………いや、ないと思う」

「おっけー。そっちは気にしなくていいよ、あたしがどうにかする問題だから」


 こればかりは要が背負える問題ではないと。出来ない事を突きつけられた気がして、けれど要は要だけを見つめる。

 出来る事をすればいいのだ。出来ないことまで手を伸ばして、未来まで巻き込むのは一番の問題。


「……ん? その矛盾も、ってことは他にも何かあるのか? あ、『変装服』か」

「それもだけど…………。ん、よしっ。もうこの際だから言っとこう。もう終わった事だしね」

「何が?」

「あたしが強制送還された後、由緒さんを助けるために助言を貰ったって話があったでしょ? あれ、未来のお兄ちゃんね」

「……あぁ、そういえばそんな話したな。つまり俺もその辻褄は合わせないといけないって訳か」


 頷く未来は、けれど少しだけ視線が曇る。

 もしかしてまだ何かあるのだろうか?


「未来?」

「……ごめん、本当はもう一つあるけどそれはまた今度。ただ、もう一つお兄ちゃんに関係がある辻褄合わせがあるってことだけ教えておくね」

「まだあるのかよ……何やったんだよ、未来の俺…………」

「大丈夫、変なことじゃないから。……多分」

「多分て……不安になる言い回しするなよな……」

「分かんないんだよ、あれが何のための助言だったのか……。けどまぁ、必要な事だと思うから」

「……その時が来たら、だな」


 今考えても仕方ない事だと。その時が来れば理由も分かるのだと。

 逆位相の一件で噛み合った歴史の経験を頼りにそう言うものだと納得してしまいこむ。


「さて。それでこれからどうするかだな。一度完璧な白紙に戻った以上、もう《傷持ち》については考えるだけ無駄だ。なら誰かって疑問よりもまず先に捕まえればいい。そもそもそれだけで問題が片付くはず、だろ?」

「そうだね……。いつの間にか《傷持ち》の思う通りに論点をずらされてた。お兄ちゃんが言ったように、歴史がそうある通りにしか流れないのなら解決するように動くだけだよ」


 考える事は正しい。真実を暴いて、一番簡単で的確な方法を取るのは最善策だ。

 けれど別に、それだけが答えではない。根拠など無くとも、悪事を建前に普通に《傷持ち》を捕まえてしまえばそれ以上危険が迫ることはなくなる。

 最終結果が捕まえて事件解決なら、理由を抜きにしてその答えだけ先に捕まえてしまえばいい。動機や誰かなんて、捕まえた後で辻褄合わせのように吐き捨てるだけだ。

 そんな三流の推理物語。探偵が全てを明かすのではなく、勝手に犯人が語る種明かしほど、ミステリーの根幹を揺るがす話はないけれど。要は探偵ではないから。物語の主人公にはきっとなれないから。ならば【ノックスの十戒】も【ヴァン・ダインの二十則】も【信頼できない語り手】も知ったことではない。

 ミステリーに則って順に事件が解決するのは物語の中だけ。事実は小説よりも奇なり? 馬鹿も休み休み言え。現実が空想より面白いわけがないだろうっ。結局現実なんて、後から勝手に種明かしがされる、【デウス・エクス・マキナ】にも似た茶番でしかない。予め全ての証拠を揃えて解決する事件が世界にどれほどあるというのだ。

 物語は現実には起こりえない。だからこそ空想の理想として、人の興味の尽きないブラックボックスなのだ。そんな娯楽が、現実よりも劣ると言うのなら、それは娯楽はと言わない。現実の方が面白いのであれば、娯楽など生まれない。

 異能力が人の夢から生まれたように────娯楽だって人の退屈から生まれた幻だ。

 だから事実は小説より奇なりなんて嘘だ。


「なら捕まえるための策、だな。逆手にとってもいい。こちらから仕掛けてもいい……何かいい案を…………」


 要の脳裏に過ぎる教科書はこれまで読んできた推理小説のトリックではない。武術書にも似た、少年漫画のようなアクション物だ。

 《傷持ち》のこれまで行動を頭の中で洗い直し、今《傷持ち》が取れない行動を思考から除外して絞り、そこから裏を返す。

 例え要の行動を知られていても構わない。それを重ねていけば、歴史がそうとしか流れないように、いつかは《傷持ち》を捕まえる事が出来る。それまでの試行回数を増やすだけだ。

 要は未来で未来にもう一度会う。つまりそれまでは死なない。裏を返せば、未来もその時まで生きている。由緒も同様だ。

 事件自体が歴史に肯定されるなら、全て最後には解決する。

 ならば以上の仮定からここに宣言してもいい。要の存在は、その先に《傷持ち》を捕まえ、事件を解決する事を確約された未来へ向かう正義だ。


「……廃ビルのときみたいに一人が囮、もう一人がそれをサポートして《傷持ち》を取り押さえるってのはどうだ?」

「同じやり方が通用するとは思えないけど…………」

「なら人数を増やすのは?」

「これ以上お兄ちゃんに無茶はさせたくないよ。例え解決する事が決まってても、それがいつかなんて分からない。それまでお兄ちゃんに頼り続けるのはあたしが許せないっ」


 未来に心配をかけるのは要としても避けたい事だ。先ほどの由緒のことで彼女には随分譲歩をしてもらった。これ以上未来の精神に責任を背負わせるわけにはいかない。


「…………だったら撹乱はどうだ?」

「撹乱?」

「俺が《傷持ち》になって、《傷持ち》の後ろに居るだろう黒幕を捕まえる。そうすれば《傷持ち》も大人しくなる」

「何処に黒幕がいるか分からないのに?」

「連れて行ってもらえばいい話だ」


 逆手にとればいい。口先の戦闘なら要にだって出来る。


「《傷持ち》だって歴史を生きてる。つまり《傷持ち》は《傷持ち》の身に起こる自分の未来の事までは把握しきれないだろ。俺がそうであるように」

「……まぁ、そうかもだけど」


 要が推理を重ねて、この時空間事件は全て解決をすると結論を出したが、その仮定までは未知数だ。

 どんな手順で、いつ解決するかなんて分からない。ただ解決する事だけが分かっているだけだ。

 ならば誰だって自分の未来に何が起こるかまでは予測できない。


「だったら未来の《傷持ち》を装って近づいて…………『音叉(レゾネーター)』を落とした……いや、俺や未来に奪われた事にすれば過去の自分に黒幕のところへ連れて行ってもらえる」

「《傷持ち》の、その後ろを捕まえて、《傷持ち》を無力化する……。結果と手段を入れ替えるんだね?」


 《傷持ち》を追いかけて巨悪を捕まえられないのならば、巨悪を追いかけて《傷持ち》を捕まえればいい。普通なら出来ない方法だが、『変装服』があれば…………。


「装うって、『変装服』を使うんだよね? でもそれがどこにあるか分からないんじゃぁ」

「違うだろ? これから取りに行けば、未来が確認しに行った時になくても矛盾はない。《傷持ち》が使ってるだろう『変装服』だって、未来の持ってきた奴の流用とは限らない。《傷持ち》か、その背後の黒幕が持ってきた可能性だってある」

「……確かに矛盾はそれでなくなるね。…………けどごめん。まだ駄目な理由がある」

「何?」

「『変装服』は、人にしか偽れない。《傷持ち》に変装するなら、その中の生身の人物になるしかない。つまりあの黒尽くめのお兄ちゃんにはなれない。あれは、ただの見た目であって、《傷持ち》本人じゃない」


 あぁ、そうか。変装と言うのだから他人に成りすますものなのだ。要の想像したように黒尽くめになろうと思えば、単純にレーシングスーツとフルフェイスヘルメットを手に入れる必要がある。

 それに傷の事もある。『変装服』で変装できないのならばフルフェイスを脱いだ要の顔で近づくほかなくて、そうなれば《傷持ち》である証明として傷を見せる必要が生まれる。


「…………なら《傷持ち》に変装して、その顔から誰かって言うのは分からないのか? 本人に変身できるなら『変装服』のその下の《傷持ち》の正体が──」

「異能力がそうであるように未来の道具も万能じゃない。思い浮かべた見た目に変わるなんて言う便利な道具じゃないんだよ」

「何か必要な手順があるってことか?」

「身体情報……その人に変身するにはいわゆるDNAが必要なの。それから確かな記憶。この二つが揃ってその人に変装できる」

「…………だとしたら、《傷持ち》は俺に関するDNA情報を持ってたってことか?」

「……そうなるかな」


 要の個人情報を手に入れるなんて別段難しいことではないだろう。

 鼻水や爪をどこかから入手すればいいだけの話。別にこの時代の要でなくても、未来や過去の要から採取する事も可能だ。

 ならば、と裏を返す。


「それだと《傷持ち》はやっぱり俺に近しい人物って可能性が出てくる。協力を得られなければ普通そう簡単に自分を売ったりはしないだろ?」

「………………全部を否定するようだけど、《傷持ち》のあのお兄ちゃんの顔が、本物だって可能性もまだあるからね」

「未来の俺が《傷持ち》だって? それこそふざけるなって話だっ。何で過去に手を出さないといけないんだよ。それだけの理由が見つからない。例えそうだとしたら、《傷持ち》の側に居るのは少なくとも三人だ」


 否定しつつ、けれど可能性だけは口にする。


「未来の俺と、音楽の『催眠暗示』を使える奴と、時空間移動能力保持者……。特に最後の一人は──ありえないだろ」


 そう、ありえないのだ。ありえる未来など、あってはならないのだ。


「だってそうだろ。俺が生きてるって事は、それは由緒も生きてるってことで、未来だって存在してる事になる。未来の知ってる時空間移動能力保持者は、二人だけ。つまりそのどちらかが未来の俺に助力してる事になるっ。けどそんなの、ありえないだろ!」

「そうだよね…………」


 未来も由緒も、この事件に巻き込まれた関係者だ。どちらかと言えば被害者側。なのに更に未来から過去の自分へ干渉して何かを変えようなど、矛盾にも程がある。

 だってその未来からの干渉には、そこまでの歴史が存在していなくてはならなくて、ならば事件は解決されるはずで、その事を要たちは知っていて……だとしたら決まった歴史に干渉する理由が────


「いや、あるか……?」

「え……?」

「例えばこの事件が解決して、その事件に関する記憶を全部消されて、未来で都合の悪い事が起こって、それを変えようと過去改変に乗り出すのだとしたら、過去の事件についての記憶がない俺には、理由も矛盾もない。記憶がないのだから、歴史改変が出来ると、錯覚する────」

「そ、れは…………あ、いや、ないよっ」

「どうして?」

「由緒さんに記憶改竄は行えない。お父さんの異能力は、時空間移動能力保持者には効果がないっ」


 制限③、時間移動能力保持者には記憶操作を行えない。

 そうだ。ならば由緒はこの事件が起こる事を記憶している事になる。彼女は加担しないはず。


「由緒さんが覚えてるなら、手を貸すはずがない」

「…………『催眠暗示』なら? いや、暗示で言いなりになっているのだとしたら?」

「由緒さんを人質にってこと? それでお兄ちゃんも従ってる? だとしたら本当の黒幕はその『催眠暗示』持ち一人? 他二人は被害者ってこと?」

「『催眠暗示』持ちが歴史改変が出来ると誤解して事件を起こしたのだとすれば、筋は通る……」


 それはまだ数多ある可能性の一つでしかない。けれどもしその一部でも当たっているのだとしたら、そこを取っ掛かりに景色は崩せる。


「《傷持ち》が未来の俺なら……『催眠暗示』や暗示に操られてるなら単純な解決方法がある……。《傷持ち》を捕まえて入れ替わればそれでおしまいだ。……いや、捕まえなくても、『音叉(レゾネーター)』さえ奪えば黒幕に急接近できるっ」


 《傷持ち》が要なら、『催眠暗示』も時空間移動も出来ない。だからこそ、これまでそうであったように目の前から逃げるためには時間移動の恩恵を受けなければで、その媒介となるのがあの『音叉』。ならそれを手に入れる事さえ出来れば、時間移動を重ねた先に黒幕の元へと辿り着ける。


「それはあたしの役目だよっ。お兄ちゃんにそんな危険な事はさせられない」

「あぁ、分かってる。そっちは任せるよ」


 それに、だ。《傷持ち》の顔はフルフェイスの取れたあの時まで分からない。更に言えば、これまでの《傷持ち》がどんな順番で要の前に現れたのかだって定かではない。もしかすると、フルフェイスの取れた時が一番最初だった可能性もある。

 ならばそのどこかで《傷持ち》の中身が入れ替わっていてもおかしくはない。入れ替わった先の《傷持ち》の行動も、黒幕に近づくための演技で、歴史再現といえばそれまでだ。

 そもそも、《傷持ち》がブースターを使っているという確証は何処にもない。ただ単純に、その妙技が人間離れをいているというだけだ。

 ならばいつからか中身が入れ替わった未来で、これまでに経験した景色通りになるように振舞っていた可能性だって拭いきれない。

 歴史はそうある通りにしか流れない。過去で《傷持ち》が銃弾を弾く光景を見ているのならば、その通りに腕を振れば、例え視認などできなくとも過去を再現する事は可能なはずだ。


「ならやるべき事は単純だ……。《傷持ち》を捕まえて入れ替わる。その先で黒幕を捕まえる」

「……でもそれだと、過去のお兄ちゃんを襲う事になるし、過去のあたしに重なれば異能力を使えなくなっててもおかしくはないよ?」

「これまで使えてるって事はだ、つまり未来が異能力を使った背景に未来は重なっていないことの証明になる。そもそも、未来は《傷持ち》を目の前に異能力を使った事があるか?」

「…………ないね。いつも安全が確保できてからだった。あたしの認識の中に、《傷持ち》がいたことなんて一度もない」

「ならきっと矛盾は起きない。《傷持ち》の中身が未来に入れ替わっていたのだとしても、《傷持ち》の移動は『音叉』によるものだ。それはきっと未来の異能力じゃないから、《傷持ち》が未来の目の前からでも逃げる事はできる」


 更に言えば、未来による干渉だ。歴史を守るために予知を受けてやってきた、正しい干渉だ。だからこそ、《傷持ち》が未来に摩り替わっているならば、その行動には全て正当性が生まれる。

 だから歴史に肯定されている。一見歴史改変に見える干渉が、歴史再現へと色を変える。


「……もしそうだとしたら始末書酷い事になるね」

「未来の歴史干渉は正しい。それは全部歴史再現に必要な事だ。後悔する必要なんて何処にもないっ」


 確かに酷い茶番だろう。

 もし未来が入れ替わっていたのだとしたら、歴史改変を防ぐために未来自身が歴史干渉で悪事に似た正義を振りかざす。未来個人にしてみれば理解は出来てもあまり納得のいく方法ではないはずだ。

 けれどその先に事件が解決する事を確約できるのならば、それは必要な事だと胸を張ればいいだけのこと。

 仮に悪役が必要なのだとしたら、今ここで未来に対してそんな方法論を囁いている要こそが相応しいのだから。

 白紙ほど自由な想像の翼はないと。無法を振り翳せる今この時には感謝をしながら。


「どうだ、未来。この作戦、乗ってくれるか?」

「…………試すだけ、試してみようか。駄目だったら別の方法だね」

「あぁっ」


 由緒さえ狙われないのならば、要はどんな暴論でも振り翳せる。幾つでも策なんて思いつく。

 それを全て解決にぶつけてみれば、一つか二つくらいは当たってもおかしくはないはずだ。

 知らない未来だからこそ、無限の可能性を描き出せるのだと。

 そうと決まれば可能な限り後詰を。未来がその景色に手が伸ばせるように、舞台を整えるだけだ。


「ならまずは……囮か。《傷持ち》を目の前に引きずり出さない事にはどうにもならないからな」

「囮って響きは嫌だけど、まぁそうだね。大丈夫、お兄ちゃんはあたしが守るから」


 確たる意志を宿した橙色の瞳に頷く。

 未来だってやられてばかりではない。確かな手応えを感じた交錯もあった。先の《傷持ち》との戦闘ではフルフェイスすら剥がして見せた。

 後はそれを体に叩き込むだけ。攻撃がダメージとして蓄積しないのならば、一瞬で意識を刈り取るだけだ。


「俺だって囮だけには終わらないさ。利用し返して反撃してやる」


 要だってもう慣れた。後は思い出すだけだ。廃ビルで《傷持ち》と渡りあった時の事を。あの時に掴んだ未来への攻撃──それを今度は、歴史に肯定された攻撃へと昇華するだけ。


「未来、今回は、許してくれるか?」


 言って取り出したのはブースター。これまでずっと未来に使用を禁じられてきた、諸刃の剣。

 次の接触で決めるという覚悟。それから、少しでも確率を上げる手段。

 真剣な表情で、それは博打ではないと訴えれば、やがて未来が溜息を一つ零した。


「……いいよ。但し乱用は駄目。あたしがいいって言ったときだけだよ?」

「分かってる。これ以上未来に迷惑はかけないから」


 未来もこれ以上は辛いはずだ。《傷持ち》との交錯はもう嫌と言うほど経験している。そろそろ潮時だ。


「それじゃあ行こうか。ずっとここに居ると由緒さんを逃がした事に気付かれるかもだしね。由緒さんから遠い場所……由緒さんの事故が回避できた後でいいよね?」

「あぁ」


 息を一つ整えてそれから未来の手を握る。

 これだけ推理を重ねてきたのだ。そのどこに答えがあってもおかしくない。

 だからこそ考えるのだ。これがもし、要の知らない人物の起こした事件なのだとしたら、それはミステリーでも何でもないと。

 一つだけ、歴史には願う。

 犯人は、物語の最初に登場していなくてはならないのだと。

 だとしたら、それはあの人物以外認められないと。

 それが真実である事を祈りながら脳裏に描く。場所はこのまま、時間を先へ──

 既に見慣れた部屋の景色に色を着ける瞼の裏の想像へと感覚が置換されて。まるで前へ進めと促すように背中から胸へと突き抜ける重力方向に後押しされながら目を開ける。

 戻ってきた。幾つもの時空間を越えて、最も要がいて然るべき、誤差の小さい最前線へ。

 面倒な未来や過去との因縁とはこれでおさらばだ。

 目の前にはもう、真実しかいらないっ。

 神様に縋るように……それよりもなお質悪く、それ以外を認めないと胸に据えて、未来と二人外へ出る。

 空模様は青い晴天。事件が解決するにはお(あつら)え向きな景色だと。

 その結末がハッピーエンドである事を示すように、広がった青空に息を吸い込んで歩き出す。

 目的地、かの公園へ。

 時間が経てばあちらから仕掛けてくるのだ。ならばその時のために、最もこちらが動きやすい舞台に誘うだけ。

 出来る限りの策を……と思考を巡らせて、そうして辿り着いた遊び場には、真夏の太陽の所為か元気に遊ぶ子供の姿は見当たらない。

 もう少し健康的に外で走り回ったらどうかと。ゲーム機やインターネットの普及による弊害を感じつつ、けれど誰の目にも留まらないのならそれで好都合だと割り切って他人様の事情は吐き捨てる。

 要にとっては要の人生こそが全てだ。その先に何が待ち受けていようと、それは歴史に肯定された正しいことで、必要な事。禍福は(あざな)える縄の如しだとか、七転び八起きだとか。そんな与太話を振り翳すわけではないけれど。いいも悪いも全て肯定されたものなのだと清濁併せ呑んで納得し、胸の中に落とし込む。

 それらは全て要が知らない未来に思い描いた結果だ。気に入らなければ否定して更に紡げばいいのだと。決まった歴史でさえ、変えてやると意気込んで行動に移すだけだと。

 自分に悲嘆するのは誰にでも出来る事。そんな事は、要がよく知っている。

 それが嫌で、要は一人大人になろうと子供らしく努力を重ねてきたのだ。その結実の一欠片が今この時なのだ。

 ならば間違いではないのだと。例え全てが決められた歴史だとしても、それを言い訳にするのは成功をした都合がいいときだけだ。失敗して都合の悪い事を歴史の所為だと言うのは、それこそ自分の思い込みの所為なのだ。

 だからこそ否定する。要の未来は要自身が切り拓くのだ。誰に何と言われようと、自分の手で掴み取るのだ。

 この選択が正しいのだと胸を張る。それに責任が伴う事を自覚して、自分の意思を持つ。責任には誠意で答える。

 それこそが、要が憧れる大人のあり方だ。そんな大人に、要はなりたいのだ。

 だからこそ、責任と覚悟を持って一歩を踏み出す。


「お兄ちゃん、来たよ」


 隣の未来が足を止めて告げる。

 知っている。見えている。だからこそその景色がまた一つ要の想像に色を着ける。

 視界の先からこちらへやってくる人の集団。数は……二十人程だろうか。その全ての顔に、要は見覚えがある事を確信して答える。


「あいつらは、俺のクラスメイトだ。『催眠暗示』か、後催眠暗示こちらへとか……どちらにせよ操られてる。裏を返せば、その『催眠暗示』は…………」

「大丈夫、それ以上は言わなくても分かるよ」


 似たような結論に至ったか、言葉の先を遮る未来。

 ならば《傷持ち》は誰だと。手先となって使い捨てにさえされるかもしれないその仮面の奥は誰だと。

 馳せた想像はけれど数瞬。目の前に迫った人の壁に息を飲む。


「手は、出せないよな?」

「現代人じゃないと『催眠暗示』は効かないからね」

「嫌な手を打ってきやがる…………!」


 悪態吐いて睨むと、それから踵を返す。

 考えろ、要が《傷持ち》なら……黒幕なら、尖兵を使って自分はどう動く────!

 手には『抑圧拳(ストッパー)』を。刹那に、角を曲がって直ぐ、要はホルスターから抜いた『スタン銃』を突きつける。

 同時、目の前に、黒装束に身を包んだ《傷持ち》の能面と、その銃口が深い虚をこちらへと覗かせていた。

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