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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
狡兎三窟の向こう側
21/70

未来へ

 誰かが、呼んでいる。

 とても聞き馴染みのある、安心する響き。

 その音に、ぼんやりと意識が浮上していく感覚。

 体中がふわふわと夢現(ゆめうつつ)で、指先に至るまで何か温かいものに包まれているような錯覚。…………錯覚?

 あぁ、そうだと。これは、夢なのだと。覚醒の仕切らない頭が教えてくれる。

 心地よい夢だと。ずっと身を委ねていたいと。

 音のない波の世界で一人揺蕩っているような朧気な意識が、何かに叩かれる。

 ……何…………誰…………?

 それはどこか懐かしい感触。触り慣れない、憧れた何かの温度。

 心が、私はそれを知っていると教えてくれる。…………私?

 そう、私。私は、去渡(さわたり)由緒(ゆお)。その名は過去に由緒(ゆいしょ)持ちて渡るなり────そんなふざけた文言が頭の中に蘇って、思い出す。

 そうだ、私はよー君を過去に見送って……直ぐには帰って来なかった彼を待って…………。よー君。……うん、よー君。私の大好きな、よー君。

 彼は、帰って来てくれた。色々な傷を背負って。過去に何があったのかを話してくれて……。

 想像だけのその歴史に、けれどいなかった私は何だか少しだけ疎外感を覚えながら。彼の語る昔話を静かに聴いて。

 そうしてどうにか帰って来たのだと教えてくれた。その事に、安心した。

 よー君が無事だったって。しっかりやるべき事を終わらせてきたんだって。またいつもの日常が戻って来るんだって……。

 けれどそんな子供のお願いは、まだ少しだけ後回し。

 よー君を狙って、私に何かをしたらしい《傷持ち》。その人がまだ、捕まっていないらしいって。

 その人を捕まえるために、またよー君は遠くに行っちゃうって。

 それが少しだけ寂しくて……。寂しくて────どうしたんだっけ……?

 記憶をなぞったこれまでの事が、その先にモザイクを掛けて白紙に消える。

 あれ、何があったんだっけ。何で────車道にいるんだっけ?

 どこか遠くに聞こえるタイヤの大地を踏み締める音。エンジンの猛る音。空気の唸る音。

 フィルターの向こうのぼやけた景色には、こっちに向かって真っ直ぐに走ってくる赤い車。あれは……あぁ、お母さんだ。

 迎えに来てくれたのかな? 迎え……どこに?

 …………また聞こえた。誰かの、声────

 誰……誰が呼んでるの?

 段々と大きくなる景色を彩る音が、やがて騒音のように鳴り響くのを、どこか心地よいとさえ感じながら。その声に向かって手を伸ばす。

 何、誰、何で呼んでるの? 何を、言いたいの……?

 煩いほどに辺りを埋め尽くす音。巡る聴いた事のない音楽。……いや……嫌、嫌っ。この音、嫌っ。やめて、消えてっ、どっか行って!

 やだ、ヤダ、嫌だっ! 行かないで、行かないでっ。待って……待って、ねぇ待って────よー君っ!

 よー君。そうだ、よー君の声だっ。大好きな、彼の声だ。

 何で忘れてたんだろう。何で届かないんだろう。こんなに手を伸ばしてるのに。こんなに追いかけてるのに。どうして追いつけないんだろ。

 ……あぁ、そうか。私がまだ、その手を握った事がないからだ。ううん、違う。握った事は、ある……。覚えてないけど、覚えてる。あの感触は、間違いなくよー君の手のひらだったっ!

 確信して、再度手を伸ばす。

 途端、その声のした方から光が差して、ようやく私は私の手を見つけながら、伸びてきた手に縋りつく。

 そうして、熱いほど熱を伴ったその指先に触れた刹那に────頭の中を幾多もの景色が蘇る。

 よー君、みくちゃん、がく君。それから、黒い影。……誰、貴方は、だれ?

 けれどそんな顔でさえ、直ぐに通り過ぎてまた別の景色がやってくる。

 それは廃ビルで。それはがく君の刺された道で。それは知らないはずの知っている過去で。それは楽しかったはずのショッピングセンターで。

 けどっ、けど違う! そんなの、私は知らないっ!

 何で、何でよー君がこっちを睨むの? 何でみくちゃんが襲ってくるのっ? 何でがく君が倒れてるの? 何で、そんなの、ないよ。そんなの、いやだよっ!

 やだ、やめてっ。殴っちゃ駄目……。蹴っちゃ嫌。撃たないで、斬らないで! もうやめてっ!!

 あぁあぁぁあぁ…………。嫌、赤い……アカイ、チガ。誰かが、轢かれて……。ナイフ、斬ってる。傷、右手首の、きず…………。

 いや、いやぁ、いやあっ!? よー君、やだよぉ、やめて……駄目、だめ、だめぇっ! 死んじゃやだぁっ!!

 起きてよ、目ぇ覚ましてよぉ……! ひとりに、しないでよぉ!!

 知らないはずの景色が、まるで実際に経験をした記憶のように鮮明に蘇る。

 何、これ……しらない、知らない、知らないっ! こんなのわたし、知らないっ!!

 けたたましく響くのは、何の音だろうか。目に痛いあの赤色は、何の色だろうか。私は今、どこにいるのだろうか……。

 光の消えた世界の中でただ一人立ち尽くす自分を覚えて、辺りを見回す。

 ここ、何処? ここ、何……?

 ……いや、一人は嫌っ。誰か、誰か、誰か────

 足裏の感触はないままに歩き出す。一歩進む毎に、辺りの温度がどんどん下がっていく。

 誰か、何でもいいから、何か、つながりを…………。

 そう欲して踏み出した足が、止まる。

 見れば向こうからやってくる影。それは血の色のような──真っ赤な車。

 ……ぁ…………いゃ……いやっ。こないで、来ないで!

 このままでは轢かれてしまう。

 そう心は思うのに、体は何かに操られたように動かない。

 嫌、嫌、嫌ぁ!?

 感情的に何かを振るって、声のでない喉に力を入れる。

 駄目、駄目、来ないでっ。誰か、だれか、助け────




「由緒ッ!!」




 そうして願った末に飛び込んできた、彼の声に。開いていたはずの瞳をもう一度開けば、視界に色が戻った。

 白い日差し、青い空、黒いコンクリート、赤い車。

 けれどそれは数瞬で、次の刹那には体中が転がる感覚。まるでボールの中で転がっているようだと覚えて、その最中に目にした────大好きな彼の顔。

 思わず零れたのは涙。

 あぁ、大丈夫だ。悪い夢は、終わったんだ…………。

 そうして縋るように彼の腕に抱かれながら、意識が遠のいていくのを感じた。

 ふと意識の途切れる寸前で未来ちゃんの言葉が蘇る。

 ────異能力者はよく夢にうなされる

 だとしたらこれは彼女の言っていた異能力に関係する何かなのだろうかと。

 ……また、夢を見るのかな。今度の夢は、どんな夢だろうか。楽しい夢だったら、いいなぁ…………。

 薄れ行く意識の中でそんな事を考えながら、近くに聞こえる彼の鼓動の音に安心する。

 大丈夫。よー君は、ここにいる。夢は、夢だ。

 だからあんな知らない景色たちは、ただの夢なのだ────

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