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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
紫電一閃の時空交錯
2/70

第一章

「────お母さんね、再婚しようと思うの」


 母親の作ったオムライスを頬張りながらキッチンに立つその声の主に視線を向ける。

 スプーンを銜えたままの姿に母親は小さく肩を揺らして笑うとその先の言葉を口にした。


「駄目かしら?」


 そんなこと聞かれても……。

 思わず視線が和室の方へ向かう。

 和室には仏壇が一つある。そこに飾られた遺影。若かりし頃の自分の母親の伴侶。俺からしてみれば、記憶にさえ残っていない父親の顔を思い出す。

 それが自分の父親だと言われても、俺が生まれる前に亡くなったその人物を想像だけで補ったとて理解できるわけもなく。

 唯そういうものなのだと理解したのは小学四年生の頃だっただろうか。


「……勿論ね、あの人の事を忘れたわけじゃあないのよ? ただいつまでもその(しがらみ)に囚われているばかりではいけないと思ってね。そろそろわたしらしく生きてみようかしらって」

「…………いいんじゃない? それは母さんの人生な訳だし。俺が何か言うことじゃないと思うけど」

「ふふっ、ありがとう……」


 別に何の感慨も湧いてこない。知らない人物の思い出を語られたからと言って、知らないのだからそれに対して何の言葉もでるわけがない。

 俺ももう17歳だ。

 古い世間一般で言われる青春時代だし、自分の事はある程度決められる。

 そもそも母子家庭で育ったのだ。周りの人より少しだけ大人びて見られるように、今までだって目立ったこともしてこなかった。

 勉強はそれなり、運動もそれなり。見た目は今年四十にしては随分と若く見える母親と、遺影と写真でしか知らない普通に格好いい父親の間に生まれたからか平凡かそれより少し上だろうか。それなりに楽しい学校生活を機械のようにこなしているつまらない人生だ。

 つまらない人間かもしれない。

 だからそう、母親の言う再婚に少しばかり興味と楽しみを見出していた。


「相手はどんな人?」 

「年上で、優しい方よ。娘さんが一人いるらしいの」

「俺より年上? 年下?」

「16歳って言ってたから上って事はないわね。一つ下か、同級か……」


 年頃の連れ子と再婚。母親のよく見ているドラマや俺が時々読む小説なんかでは色々な騒動が起こりつつあれやこれやが起こる面白い題材だ。……が、そんなことが起こるのは再婚相手の娘さんが何かの偶然で知り合いだったりとか言う仕組まれた設定の時だけだ。

 現実には殆どありえない話だし、もしそうであってもそんなことには決してならない。面倒臭い人間関係の渦は物語の中だけで十分だ。娯楽だからこそ楽しめるというもの。

 そんな風に冷めた視点からありえない未来を想像して小さく笑う。


「再婚ってもう決まってる話?」

(かなめ)がいいなら明日にでも顔合わせをしてみる? そのまま流れで四人暮らしとかっ」


 随分と楽しそうなのは気の所為か。

 まぁ母親の恋だ。青春であり人生だ。息子としては特に異論もない。


「……別に構わないよ。っと、ごちそうさま」

 

 静かな家。物音の少ない部屋。

 人間二人が暮らす一軒家にしては少し大きい家族用の敷地。

 どうしたって少し寂しくなるし活気も減る。

 けれどもし、この家が少しでも賑やかになるのだとしたら。今感じているような静かで落ち着いて、やっぱり退屈なこの景色が変わるのだとしたら……。

 何か面白いことが起こるかもしれないと穿った視点でまだ見ぬ未来に興味を抱く。

 俺はこれから先、人間らしくなれるだろうか。




 翌日。まだ日差しが天頂に昇りきらない朝。時刻は午前九時を回った頃。

 二階の自室。部屋の掃除を終え、換気中の部屋の中でベッドの上に転がり音楽を聞きながら本を読んでいると、煩いエンジン音を轟かせた引越し用のトラックが窓の外に停車する音を耳が捉える。

 どうやら聞いていた予定通りに到着したらしい。

 体を起こして開け放った窓から目の前の道路を見下ろせば既に母親が門のところまで出ていた。

 とりあえず挨拶はしておかなければ。

 ノートパソコンの音楽再生ソフトを停止し、ヘッドホンを机の横に引っ掛ける。それから本に栞を挟んで机の上に置くと静かな足取りで階段を下りる。

 母親と二人の環境で育ち、言う事を聞いて対外的な良い子の仮面で年を重ねた俺は、性格も温厚に、教育に余り口出しもせず早々怒る事のない母親のお陰で、物静かで騒がしい事が苦手な少しだけ大人びた子供に育った。

 近所の人からも評判はいいらしく、時折母親からそう言った話を聞かされる。聞かされたところで、だからどうしたと思うだけで意味もない他人の評価ではあるが。

 こんな俺はやはり冷めているのだろうか。人間味が薄いだろうか。

 もしそうなのだとしたらこんな俺を作り出した環境に文句を言ってくれ。俺は今の自分で満足している。

 一階におりてフローリングの床を玄関に向かって歩く。靴を引っ掛けて眩しい太陽の下に出れば、庭でギンモクセイの樹木が青々とした葉を風に揺らしていた。

 あの木は確か、亡くなった父親が母親の誕生日に贈ったプレゼントだったはずだ。今年でもう二十歳近くになるだろうか。この家で言えば俺の兄貴分だ。姉かもしれないが。

 今はまだ夏で、今年もこれから花を咲かせるのだろう。

 キンモクセイと違いそこまで強い匂いもなければ沢山花を咲かせることもない。白い花弁を幾つかつけるだけの落ち着いた樹木。花言葉は高潔や初恋だっただろうか。事ある毎に母親が語るので意味もなく覚えてしまった。

 高い背丈に温もりと穏やかさを感じつつ視線を門扉へ。

 そうしてそこにいた少女に、思わず見惚れてしまった。

 恐らく16歳にしては小さな体躯。身長は150前半といったところだろうか。そんな小さな体に不釣合いなほど鮮やかで綺麗な長い髪。まるで物語の中のキャラクターのようなツーサイドアップの赤い髪。

 こんな髪の色をした人間がいるのかと目を疑って、じっと見つめる。その視線がこちらを振り向いた彼女のそれと交わる。

 橙色の明るい色をした溌剌な双眸。その瞳と、精緻な人形のように整った顔立ちが笑顔に彩られる。

 これは現実かと。古典的に頬を抓ろうかと思い至ったところで母親の手のひらが後頭部を叩いた。


明日見未来(あすみみく)ちゃんよ。挨拶は?」

「……あ、えっと。要です。遠野(とおの)要。その……よろしく」

「よろしくね。未来(みらい)と書くから読み間違えないでね?」


 鈴の転がるような細く、けれどどこか一本芯の通った声。

 音楽のスコアのような綺麗な発音に、まるで漫画の世界だと錯覚して差し出された手を見つめる。


「それで、えっと、お兄ちゃん、でいいんだよね? 今年で16だから多分一つ下だと思うんだけど……」

「え、あっ、うん。よろしく、その…………」

「呼び捨てでいいよ。その方が呼びやすいでしょ?」

「……それじゃあ、未来」

「うんっ」


 白く細い手を取れば跳ねるような声と共に再び彼女が笑顔を向けてくる。

 握った手のひらが人肌と異性特有の柔らかさで握り返してきて知らず居心地の悪さを感じる。

 感じて、いつまで握っているのだと自分を叱咤して手を離す。すると彼女はくすりと悪戯に微笑んで弾んだ足取りで引越し業者のトラックの荷台へと歩いて行く。

 これは本当に現実かと。再三疑ってそれから深呼吸一つ。地味にふとももを抓ってやはり事実だと認識する。

 ……確かに変わる風景には望みを馳せた。けれどよもやそれが異国風の色彩を纏って現れるとは思ってもいなかった。と言うか赤って何だ。本当に地毛か?

 自問自答してその場に足を縫い付けられる。

 人間、幾ら理解力があってもその外側に対してはどうにも思考が追いつかないものだと。否、追いつかないのではなく硬直しているのか。どこかで現実だと認めたくないのかもしれない。

 とりあえずの疑問。あれは地毛なのか、それとも染めているのか。

 名前が日本風だし、もしかしたらどこかとのハーフかもしれない。となれば次に確認すべきは彼女の父親……我が母親の再婚相手だ。

 視線を走らせて情報を追う。そうして見つけた男性は、未来と親しげに話しているところから恐らく彼なのだと推測。その顔立ちを見て更に疑問を深める。

 どう見ても日本人。一応アジア系と言えば聞こえがいいが、流石にあの顔で西洋系と言うのは考え辛かった。

 そんな彼が箱を抱えてこちらにやってくる。


「この人が明日見透目(とうもく)さん。要にとっては新しいお父さんって事になるのかしらね」

「娘共々よろしく頼む」


 第一印象は硬派と言うか実直と言うか。

 大きな背丈と広い肩幅の所為か、武士や侍といった言葉が似合いそうな人物だ。

 髪の色は黒、短髪。初対面で失礼だが本当に彼女の父親なのかと遺伝子を疑いたくなってしまう。


「要です。こちらこそ、よろしくお願いします」

「余り堅苦しいのもなんだ、気軽に接してくれ給え」


 その語調が余計こちらの緊張を煽るのだけれども。

 とは言え恐らくその気は無いのだろうしそういう性格の人なのだろう。ならばこちらが早くに慣れればいいだけのことだ。

 増えた情報、得た景色をできるだけ自分流に咀嚼してどうにか納得する。

 うん、まるで異世界だ。

 他人と他人が知り合うのだからそこに壁があるのは当然で、それが視覚的な情報なら受ける印象はとても大きいのだろう。人の世界はどこかで繋がっているものではない。出会ってぶつかるから馴染むだけだ。

 ならばまるで物語の中にいきなり放り出されたように対処するだけだ。自分の常識で全てを語るな。相手の常識を受け入れろ。


「手伝えばいいんだよな?」

「そうね。わたしは中で作業するから要は荷物の運び入れ頼んでもいい?」

「もっと男手があった方がいい? 何なら(らく)辺りに声掛けてみるけど」

「迷惑にならない程度ならお願いしたいわね」

「元々遊ぶ予定にしてたしちょっとくらい無理言っても平気だって」


 頭が整理出来たら行動へ。視界を見渡して足りなさそうな色を補う策を打つ。

 取り出したるはスマホ。電話帳から見慣れた名前を呼び出してコールする。


「…………あ、楽? 急で悪いんだけど──」


 聞き慣れた声。親しみやすい口調。

 少し軽薄だけどノリのいい親友。観音楽(かんのんらく)

 日本人とドイツ人のハーフの癖に何故か英語が出来ない駄目なやつ。

 前にどうしてなのかと聞いたら日本在住だからと言われた。それで納得しろとでも?

 友との約束を前倒しにして時間を奪うと早速荷物の運搬に取り掛かる。

 と、その途中隣の家、その二階の窓から顔を覗かせる少女と目があった。


「なーにやってんのー?」

「引越しの手伝いっ」

「私もいいー?」

「怪我するなよ?」


 間延びした声に答えれば二階にいた足音が一階に転がり落ちて玄関を開けさせた。


「おっはよー君っ」

「俺の名前は『よー』じゃない、『かなめ』だ」

「よー君はよー君だよ」


 元気な挨拶はいつも通り。衣服のように身に纏った天真爛漫は柔らかい声に包まれて場の空気を和ませる。

 ロングウェーブの黒い髪。下がった目尻は温和に顔を作り、いつも笑顔を絶やさない彼女らしさを演出する。

 こちらを見つめるのは黒い瞳。若干青み掛かって見えるのは光の錯覚だろうか。何にせよ、純粋な日本人。その中でも特に天然記念物になり得る大和撫子。

 これこそが日常だとようやく景色の違和感を現実に縫いとめる。

 

「あの、この方は……」

「うわぁ~! 綺麗な髪! ねぇ、名前は? 名前はー?」

由緒(ゆお)。そんなに押して距離詰めるといつか嫌われるぞ?」

「何が?」


 忠告は意味を成さず、一足飛びに他人の距離を勝手に飛び越える。相変わらず自由奔放な幼馴染だ。

 手を握られて困惑する未来がこちらに救命信号を送ってくる。

 会って間もないというのに無駄に距離が縮まったものだ。


「幼馴染の去渡(さわたり)由緒だ。年は俺と同じ。見ての通り少し扱いを気をつけた方がいい子だ」

「何それ怖ーい」

「で、この子が明日見未来」

「よろしくお願いします」


 怖いのはこっちだっての。

 相変わらずよく分からん価値観を持ってるやつだ。

 黒髪と赤髪。傍から見るとまるで異世界を舞台にしたゲームの世界だと自分の居場所に自信をなくしつつ、我が幼馴染の事を異世界に置く。

 こいつはあれだ。多分俺と住む世界が違う。記憶にも今までまともに会話が成立した例がない。恐らく宇宙人か何かなのだろう。大和撫子だと思った過去を撤回するとしようか。


「じゃあ、えっと……みくちゃんで!」


 ちゃんがにゃんじゃなくてよかった。おそらく彼女のどこかに存在しているだろう良心が働いてくれたのだろうと信じておく。


「由緒、さん……?」

「さんいらないのにー」

「年上ですから」


 一応とつけないところに彼女の性格を見る。

 どうやら彼女は由緒と違い話が通じそうだ。見た目は異世界人だけど。


「でっ、でっ! その髪って本物?」

「えっと、はい。目もカラーコンタクトでは無いです。そういう体質みたいで」

「ほぃ~~~……」


 何で「ほぇ~」じゃないんだよ。それからどうやって発音したんだよ、今の言葉。どうでもいいが「ふぃ~」に近かった気がする。

 一体どこの時空に生きてるのやら。

 溜息を吐いて興味深々な由緒を引き剥がす。

 すると何かに不満を感じたらしい幼馴染はこちらを上目遣いで睨んできた。……多分睨んでいる、のだと思う。もういい、どうでもいい。こいつの言動は考えるだけ無駄だ。


「ほら、手伝うんだろ、運び入れ」

「そだった、そだった。……ぅぉしょっちっ! あら、軽かった?」


 だから何だよその掛け声。


「で、これ何処の家の引越し?」

「その二つの目はどうした……」


 そんなことだろうと思った。身構えておいて正解だった。


「目が綺麗だなんてそんな~……」

「引越しはうちだよ。今度母さんが再婚するから。未来は相手の方の娘さん」

結深(ゆみ)さん、再婚するんだ…………。おめでとっ」


 それまでの気の抜けるような会話が全て演技であったかのように真剣な表情で零す由緒。

 どっちが彼女の素なのか。17年付き合っている俺でも時々判断に困るが、少なくともそうしていつもとは違う笑みで笑う彼女も由緒の一部なのだろうと。

 因みに結深と言うのは俺の母親の名前だ。


「さてさてさてさて……それじゃあお姉さん頑張っちゃおうかなっ」

「ふふっ、その箱はあたしの部屋にお願いします」

「部屋どこー?」


 気付けばいつも通りの能天気な彼女へ。個人的には先程の落ち着いた由緒の方が話しやすくて助かるんだけれども……。

 もしかしてどこかの変身ヒーローのようにあの彼女でいられる時間が限られているのだろうか。だとするならば彼女は異世界人ではなく宇宙人と言う事になるのだが。

 どっちの彼女を発作として扱えばいいのか困りつつ、要もダンボールの箱を持つ。箱の上面に記された名前は透目。どうやらこれは新しい父親になるだろう人物のものらしい。とりあえずリビングへ運ぶとしよう。

 大変なのは箱を開封した後だろう。ならば今は出来る限り体力を温存するに限る。

 先程の由緒との会話で消費した分をこちらに回せばよかったと考えて後の祭りかと一人ごちる。

 要は自分から進んで運動はしない。どちらかといえばインドア派。要と比べて由緒と楽はどちらかと言えばアウトドア派だろうか? 勿論優しく言えば、だが。


「要ー。来たぞー」


 そんな風に脳裏を過ぎった親友が姿を見せる。

 青空の下で輝くウルフカットのブロンドの頭髪。瞳の色は異国の血を多分に引いた綺麗な青色。

 これぞ地球における異国風の容貌だと安心する。


「おはよう、楽。早速で悪いけどそっちのトラックの中にあるから」

「あいよー」


 ようやくまともに会話が出来る。

 安心感からまた一つ溜息を落として我が親友のありがたみを思う。


「……あの方は…………?」


 いつの間にか近くには未来が。彼女は楽の方を見て呟く。


「俺の親友の観音楽だよ。気のいいやつだからノリにさえ慣れればそう苦戦する事は無いんじゃないか?」

「障害物か何かなの……?」


 半眼で呻く姿は人間らしさ。

 そうしていれば未来も要達と同じ人類なのだと納得できる。やはり見た目の印象は見識を狂わせる。

 未来が荷物を取りに行くのと入れ違いに、今度は楽が近くに来て囁いて来る。


「何々、美少女じゃんよっ! どこで拉致って来たの」

「人聞きの悪い、楽じゃあるまいし」

「残念だけど要様の要望には応えられないかねぇ」

「何で応えるって選択肢が少しでもあるんだよ……」


 こいつも相変わらずその場その場で生きているような話し方をする。俺の周りにはもっとまともに会話できる御仁は居らんかね。


「今度家族になる未来だよ。扱いは妹」

「義妹ですかぁー」

「そういう言い方しなくていいから」

「なら扱いってのもどうよ」


 彼の欲しそうな情報だけを言葉にすると楽し気に言葉を跳ねさせる楽。彼の穿った見方には残念ながら共感できないのがとても嬉しい限りだ。

 思っていると、楽が未来の方へ挨拶をしに行く。

 興味が満たせたなら早く当初の目的に移って欲しいものだ。

 由緒に続いて何かに縛られるという事を知らない親友の姿に少しだけ羨ましくなりつつ荷物を運ぶ。

 そうして二人分の私物を運び終えると今度はその幾つかをリビングで開封していく。因みに後からいくつか大きな家具が来るそうだ。殆どは引越し業者がやってくれるのだろうが、要も手伝うことにはなるだろう。……忘れていたなんて事は無い。勿論だ。だから早く体力を回復せねば…………。

 由緒と楽も交えて賑やかに話しをしながら荷物を捌いていく。途中、トイレに行こうと廊下に出れば、和室を覗く未来の姿を見つけた。


「どうかした?」

「え、あ……。あの仏壇って」

「……あぁ、俺の父さんのだよ」

「…………線香立ててもいい?」

「もちろん」


 声に頷けば、未来は静かに和室に入って仏壇の前に座る。


「父さんは俺が生まれる前に死んだから、俺は直接その顔を見た事は無いけどね。事故死だって聞いてる」


 (りん)の鳴る音が静寂を割いて小さく響く。

 拝み終えた彼女はやがて徐に立ち上がると零す。


「格好いいね、お兄ちゃんのお父さん」

「見た目はね。流石に性格までは分からないけど」

「もし、会えるとしたら会ってみたい?」


 無理な話を。死んだ人間に会う方法など無い。


「一回会った事があるからどうだろうね……」

「え…………?」


 それは子供の頃の出来事。今でもあれが夢だったのか、それとも現実だったのかは分からない。


「昔、小さい頃この辺りの事をまだよく知らないときに迷子になった事があるんだ。何やって迷子になったかまでは覚えてないけど」

「……………………」

「その時に、死んだはずの父さんに会ったんだ。気がついたら大きな背中に背負われて、家の近くまで戻ってきてたんだけどな」


 不思議体験だと笑えばそれまで。きっと現実には近所の大人が助けてくれたのを、父親だと勘違いしたのだろうけれども。


「その背中と、それから少しだけ繋いだ手のひらの感触は、今でも覚えてる」


 手のひらを見つめて淡い記憶を思い返せば、あれは確かな感触だと今でも思い返せる。


「確かめる術は無いけどね……」

「お兄ちゃんが信じるなら、それは本当にあった事なんじゃないかな」


 笑って誤魔化すように告げれば、未来は至って真剣に言葉を返す。


「例え誰かに理解されなくても、そうだって信じてれば信じる人の中ではそれは本物だよ」

「……未来も何かそういう経験があるの?」

「うん。もしかしたら、だけど……お兄ちゃんとどこかで会ってたかも、なんてっ」

「もし会ってたら、きっと忘れないよ」

「それは忘れてる人の言葉だよ」


 こんな目立つ姿をした少女を忘れるはずがないと。

 何処か嬉しそうな未来の笑顔に、胸がざわつく感じを覚えながら和室を後にする。

 一度トイレに立ち寄ってリビングへ戻れば由緒と楽が意味のない言葉で意味の無い会話を繰り広げていた。


「──それはがく君の想像で…………あ、おかえり」

「何の話をしてたんだ?」

「いや、未来ちゃん可愛いよなって」

「あ、ありがとうございます……」


 こんな容姿をしてるのに褒められ慣れていないのか。それはそれで少し新鮮かもしれない。


「でだ、この後どうするよ」

「どうって……あぁ、うん。未来と由緒はこの後は?」

「私は暇だよ~?」

「箪笥とか運んだらその後は暇、なのかな?」

「あぁ、そうだな」


 透目に視線を向ける未来。頷いた彼に結深が楽しそうに呟く。


「それじゃあ外で遊んでいらっしゃいな。未来ちゃんにこの辺りの事も知ってもらいたいし」

「楽はそれでいいか?」

「もちっ。美姫二人とデートとは男冥利に尽きるねぇ!」


 上がったテンションに彼らしいと笑って予定を決める。

 家具の搬入が済んだら透目付き添いの下五人で街へ。どこへ遊びに行こうかと計画を立てる。

 そうして談笑しながら仕分けを終えて。昼食を食べて一休憩。五人で街へと繰り出す。

 並んで歩けばやはり目を引くのは未来だ。

 子供四人の中でも頭一つ小さく身長は150前半。すらりとした体躯を可愛いと楽が口にすれば余り乗り気では無い様子。小さな背丈や子供っぽい見た目にコンプレックスだろうか。

 見た目と言う意味ではやはりその髪の色や目の色に注目を集めて視線は彼女へ。珍しいものは仕方ない。

 次いで大きいのは由緒。160前半の一般的な身長。下がった目尻と緩やかに波打つ長い髪。そして学校でも時折耳にするその身体つきのよさ。

 世界を探せば同じ年齢でもっとスタイルのいい人は居るだろうが、親しみやすさで言えば彼女に分があるか。

 愛嬌もあるし活発。これでもてないという方がおかしい話だ。

 何故か彼氏は作らず、理由を聞けば面倒臭いと返る。色々損をしている気がする少し残念な幼馴染だ。

 どうでもいいがこの前誇らしげにDカップになったと要にVサインを向けてきた。その後その指が要の両目に差し向けられた。理不尽だ。

 要自身はまぁ平均的な方だろう。中肉中背の男子高校生。それなりに自分らしく謳歌しているといえばそれまでだ。

 そんな要の親友である楽。身長は180近い。ルックスもハーフのお陰で日本人離れ。勉強に難有りだが、彼なりに楽しいならそれでいいのだろう。他人の成績にまで口出しできるほど要は自分が賢いとは思わない。

 そんな面子に大人である透目を加えての一行が向かうのは街で一番大きいショッピングセンターだ。

 幾つもの店舗が軒を連ねる商業施設。要の家から徒歩で行ける距離にあるからか、よく同級生と鉢合わせするちょっとばかし面倒臭い場所だ。

 逆に他の娯楽が無いのかと言えば勿論否定するが、一度に色々な事が楽しめる場所と言えば筆頭はそのショッピングセンターだ。だから仕方ないといえばそれまで。

 要もよく学友と放課後に遊びに来る言わばたまり場。未来と一緒に暮らす以上、この近辺では知って置いて損は無い場所だ。

 何より要達が知っている。共通の認識と言うのは距離を詰める上でとても扱いやすいのだ。

 と、どうでもいい事を考えて辿り着いたショッピングセンター。

 人の行きかう雑踏の中をどこに行こうかと旅しながら見慣れた景色に自分らしさを取り戻す。

 やっぱり知っている場所と言うのは落ち着くものだ。自分がそこに居る事を実感できる。


「人すごいね……」

「手でも繋ぐ?」

「そんなに子供じゃないよ。……それにもし逸れてもすぐ見つけてくれるよね?」

「見つけるより先に目に付くからな」


 そんな景色に灯す異世界の匂い。彼女の髪の色を日常としてしまうのは何だか抵抗があるけれども、それもいつか慣れてしまうのだろうと思うと少しだけ寂しくなる。

 ただ、慣れるまではその違和感も楽しめるだろう。彼女自身もそう簡単に馴染む色を持っているわけでは無いだろうし。

 脳裏を過ぎる幾つかの疑問は、けれど今は押さえ込む。

 それは今するべき質問ではない。今は唯、この時間を楽しむだけだ。


「とりあえずゲーセンにでも行くか?」

「勝負だよ、がく君っ」

「返り討ちにしてくれるわ!」


 由緒と楽が人の山の中を先に行く。一体誰のための物見遊山だと思っているのだろうか。

 呆れて溜息一つ。くすりと笑った未来に小さく謝って足を出す。


「透目さんも、すみません。騒がしくて」

「いいや。賑やかなのは良い事だ。要君も、今日くらいは私に頼ってくれ」

「今日だけになりませんよ。家族になるんですから」


 彼の事を父親と言う納得はもう少しだけ掛かりそうだけれども。可能ならば早く父親がいるという生活に慣れたいものだと目標の一つにする。

 そうして、気付けば心が躍っている事に気付く。

 退屈なんてとんでもない。これまでの生活に足りなかった色と言ってしまえばそれまでだが、新しい感覚に興味以上の期待を抱くのは当たり前か。

 ようやく、冷めたナニカから開放されるかもしれないと。踏み出した一歩が新しい未来に繋がっている感覚を踏みしめる。


「ここって他に何があるの?」

「んーと、映画館とか? 一つ隣の棟にはカラオケとかボウリング場とかもあるよ。ゲーセンもそっちだな」

「隣?」

「そこの窓から見えるはず。今いるここが所謂商業系の棟。食品売り場とか洋服とか。で、向こうの棟が娯楽系の施設が入ってる。俺達の間ではは西棟って呼ばれてる」

「意外と大きいんだね」

「まぁここら一帯で多分一番大きい施設だからね。暇になったらここにくれば何か見つけられるんじゃないか?」


 弾む会話は当初の予定通り彼女の案内。

 先程二人でどこかへ行った協調性の無い奴らを窓から西棟との間に掛かる橋を爆走している他人として見かける。もう少し迷惑とか考えろよ。


「……俺達も行くとするか」

「うんっ」


 跳ねた語調に機嫌のよさを感じて由緒達の後を追う。

 先程窓から見えた橋に出れば、先程までの冷房とは違い、生暖かい外気が頬を撫でた。

 棟と棟の間に掛けられた橋。更に頭上には半透明の天井。構造上、風の通り道としてここはいつも温い風が吹き抜けている。


「あっついねー」

「夏だからな。熱中症には気をつけないと」

「後で何か食べたいね」


 他愛ない。有り触れた景色だ。隣の少女は相変わらず見た目異世界人だけど。

 ちょっとずれた景色に、何かが始まりそうな……けれど何も始まらないのだろう日常を噛み締める。

 そんな視界の中に鉄骨剥き出しの高い建造物を見つける。

 確かあれは金銭的事情で一時的に工事が打ち止めになった建物だったか。

 ニュースでやっていた記憶だが、確か何かの企業のビルになる予定だったはずだ。どうでもいい事だったのでその程度しか覚えていない。

 確か級友の誰かが廃ビルとか呼んでいた。別に廃れているわけじゃないだろうに。

 しかし、あの場所に建つと丁度この橋の辺りは日陰になるのではなかろうか。だとしたら少しばかり涼しくなって嬉しい限りだ。

 閑話休題。どうでもいい事を考えつつ西棟へ。

 途端、外気に晒された肌を効き過ぎではないかと思うほどの冷たい空気が刺す。毎度思うがこういう急激な温度変化は人体に影響はないのだろうかと。

 過ぎった疑問を口には出さず、少しだけ肌寒く感じる店内をゲーセンに向かって歩く。

 近くまでやってくれば煩いほどの音響が鼓膜を震わせる。相変わらず世界はどうにも極端だ。

 沢山のクレーンゲームやカードゲームの筐体。レースゲームの大きな箱もあれば、子供向けの短い走行距離の新幹線もある。

 そんな目に痛いほどの色彩の中で先を行った二人はどこにいるのかと探すと、リズムゲームの一角に目立つ金髪と長い黒髪を見つけた。

 液晶を上から下に流れる譜面に合わせて二人がステップを踏む。

 楽は男だし、運動は得意な方だ。必然、リズム感さえあればこの手のゲームで苦戦する事は無い。

 反面、由緒は女。加えて運動面も特技の柔道を除けばそこまで光るものがあるわけでもなく、どちらかと言えば苦手な部類だろう。

 そんな二人の点数は比較するだけ野暮と言うもの。ノーミスの楽に観衆の視線が集まる中、要は何故か一つずつ動きがずれている由緒の方へ。


「遅れてるぞー」

「うぇ? あっれー、おっかしいなー……」


 呟く彼女だがずれたリズムは戻る気配が無い。何でこれで俺より頭がいいんだろうか、こいつは。

 終わってみれば大差の結果。心地よい息を吐く楽に礼儀として非難の視線を送っておく。


「手加減したらどうだ?」

「挑んできたのはお嬢の方だ。挑まれたなら全力で相手をするのが礼儀だろ?」

「分かりきった戦力差を見せ付けて何が楽しいんだか。もう少し演出と言うものを学んだらどうだ?」

「演出ならしっかりしてるだろ? ほらっ、ノーミスだ」


 そういう意味じゃねぇよ。


「ふぃ~……疲れた~」

「飲みます?」

「これはこれは、ありがとね、みくちゃん」


 いつの間にか飲み物を買ってきていた未来がペットボトルを差し出す。

 由緒如きに、と思ったが普通はそういうものかと慣れ親しんだ関係に客観視の必要性を感じる。

 

「後何、お嬢って!」

「見た目だけはお嬢様っぽいだろ?」

「だけじゃないよっ。れっきとしたお嬢様だよ!」


 勿論一般家庭のお嬢様だ。どこかの令嬢と言う話ではない。

 まぁたしかに、楽の言うように黙っていればそう見えなくも無いだろうが……。口を開いた彼女を知っていれば普通そんな事は言わない訳で。

 そんな皮肉に気付かない辺り由緒なのだろう。


「で、未来の案内はどうしたよ。二人揃って丸投げしやがって」

「いやほら、家族だけでの方が──」

「んな事言ったら二人がここにいる事自体本末転倒だろうが」

「あ」


 馬鹿ここに極まれり。


「ったく……」

「楽しいほうがいいよ、ね?」

「未来がそれでいいならいいけどさ」


 笑顔でこちらを覗きこんでくる未来。仕草にツーサイドアップを止める可愛らしい髪留めが揺れる。


「その髪留め…………」

「え……? あぁ、これ?」

「よく似合ってるな」

「そうかな? ありがとう」


 気付いた事はとりあえず口にする。

 これまでの由緒との付き合いで嫌に染み付いた要の癖だ。

 何せ事ある毎に感想を尋ねてきて、剰えそうして女を褒めるのは男の義務とさえ言い放った幼馴染だ。せめて権利にして欲しい。

 そんな要の言葉に何処か恥ずかしそうに視線を逸らす未来。


「これにはちょっとした思い出があって……」

「誰かに貰ったもの?」

「……うん。またいつか、話してもいいかなって思ったらお兄ちゃんにも教えてあげる」

「ならそれまで待ってるとするか」


 一体どんな思い出だろうか。それはいつか聞ければいい彼女の秘密だ。家族なのだからきっとそのときは訪れる。

 これからどんな景色の変化があるのかと思うと少しだけ色の無い世界に期待が持てた。

 それからしばらくゲーセンで遊んで、小腹が空くと今度はフードコートへと向かう。

 何がいいかと話しながら辿り着けば、背中に声を掛けられた。


「あら、要ちゃん?」


 声に振り返れば見慣れた顔。そこに立っていたのは由緒の母親だった。


「どうも」

「お母さん買い物?」

「えぇ。あらら……? お友達?」

「もうお母さんっ、しっかりしてよ……。朝、結深さんが挨拶に来たでしょ?」

「そうだったかしら?」


 天真爛漫な由緒とは違い、何処かおっとりとした印象を抱く彼女の母親。流石に由緒の親だけあって顔はそっくり。恐らく由緒がもう少し落ち着いたら彼女みたいになるんじゃないかと想像する。

 要的にはそちらの方が気苦労も無くて大いに結構だ。もう少し見た目に合わせて大和撫子が如く振舞えばいいのに。


「はじめまして、でいいのよね。由緒の母親の去渡冬子(とうこ)です」


 礼儀正しく挨拶を交わして、その際に揺れた目立つ髪色にか冬子は目を見開く。それから彼女は楽の金髪を見やって、何処か楽しそうにくすくすと笑った。

 確かに視覚的にはとても賑やかだ。要だってここが異世界では無いかと何度も疑った。

 けれど半日も一緒にいて、会話をしていれば慣れる。流石にまだ少し他人感覚が抜けないために、ちょっとした接近は身構えるが、それでも彼女が親しげに兄と慕ってくれている分だけ家族らしくはなっている、と思いたい。

 どうにも再婚。連れ子同士だ。納得は出来ても距離感を一気につめるのは難しい。

 まず要の中で家の中に母親以外の異性が住むという感覚が掴めないのだ。

 とりあえずそこをどうにかするのが目下の課題。けれど数日も過ごせばきっと慣れるのだろう。

 変わる景色、非日常も、長く続けば当人にとっては日常へと変化する。


「俺の妹って事になるので、よろしくお願いします」

「可愛い娘さん。家の子と変えてくれない?」

「お母さんっ」


 彼女からしてみればちょっとした冗談なのだろうが、言葉を向けられた方はどう対応していいのか困ったものだ。


「よかったら少しお話でもどうでしょうか?」

「まぁほんと? それじゃあお言葉に甘えようかしらっ」


 透目の言葉に笑顔で答える冬子。

 大人たちでする話もあるのだろう。要達は一言告げて四人で席を確保する。


「楽は荷物番な?」

「なーんで俺だけ。あっ、俺いつもの」


 空いた席の番を楽に丸投げして列に並ぶ。

 雑談の結果小腹を埋めるのはクレープに決まった。

 要は一般的なイチゴとバナナにチョコレートの王道。未来はイチゴにホイップたっぷりのストロベリークレープ、由緒はチーズがメインのもの。楽の好みは知らん……と言えるほど短い付き合いなわけは無く、いつも通り抹茶のアイスをフルーツで彩ったものを注文する。

 楽の好みは極端と言うか、あんな身形で和風好きだ。いや、ハーフだからと言う反動なのかもしれない。

 時折理解しがたいチャレンジャー精神も見せる、一緒にいて飽きない奴である事は確かだ。

 代金を払い物を受け取ると楽の元へ戻って彼に渡す。

 席に着いて談笑と共にクレープを口へ。そんな中で、定番と言えば定番。由緒が口の傍にホイップをつけたりと言う一幕も交えつつどうでもいい会話を紡ぐ。


「で、この際だから色々回った方がいいだろ。……楽から何か提案は?」

「キーボードが見たい」

「どっちの。てか欲しいだけだろ、それ」

「楽器の。いや、今日は見るだけだって。流石に荷物になるし」


 言いつつクレープを食む楽。

 こんな身形で、性格もいい加減で、その上趣味が作曲と来たもんだ。

 この前も動画サイトに新作の音楽をアップロードしたとか話していたが生憎まだ見ていない。アップ前の視聴をさせてもらった覚えはあるが……と言うか見なくても再生数などは想像がつく。

 よくて五千。運よく当たれば一万ってところだ。定期的に更新しているから幾人か固定の視聴者はついているのだろう。

 それでも彼にとっては趣味で楽しいのだからいいとしよう。

 残念ながらその感覚は、目立った趣味を持たない要にとっては余り理解できない。趣味とは呼べないが好きなのは読書だろうか。


「みくちゃんのもちょっちちょーだい? あ~ん」

「えっと、はい……」

「…………ふむ、そういうルートもありか……」


 それから時々異次元の言葉を喋る。お願いだからそれをこっちに持ってこないでくれ。

 クレープを食べさせ合う未来と由緒の姿を何処か危ない視線で見つめる楽は自称のオタクだ。彼曰くクールジャパンはモえているらしい。寒いのか熱いのかどっちだ。

 そんな何だか色々を詰め込んだ友人が要の親友だ。何でこんな奴と仲良くなったのだろうか。要自身が一番不思議だ。

 楽の戯言を聞き流して、それから今後の予定を立てる。

 まずは楽の希望。それから由緒の提案で服を見に。これまた時間が掛かるのだろうとその前に書店に寄るのをどうにか挟む。

 暇な間は好きな事をして時間を潰すに限る。時間は有限で、無為な時間など存在させたくない。よく考えれば一日は二十四時間しか存在しないのだ。いつだって時間は足りない。人間は物語の中と違って不老不死では無いのだから。


「ほぃ~、ごちそうさま。ゴミ捨ててくるから俺に頂戴」


 最後まで味わっていたのは楽。彼が礼儀正しく食後の挨拶と共に満足気な言葉を零す。もしかして流行っているのだろうか、ほぃ~。

 どうでもいい事を考えながら楽の合流を待って透目と冬子の下へ。


「お父さん、あたしたちこれから色々回ってこようと思うんだけど……」

「ん、そうか……」

「それじゃあわたしはここら辺でお暇しましょうかしら」

「荷物大丈夫ですか?」

「車があるから」


 要の言葉に席を立った冬子は重そうな荷物を軽々と持ち上げて颯爽と去って行く。何というか、主婦は凄まじい。

 そんな風に消え行く彼女の背中を眺めていると、唐突にポケットのスマホが振動した。見れば母親からのメール。書かれた文面に一人納得して透目にスマホを差し出す。


「母さんからです。今から透目さんに帰って来て欲しいって」

「うむ……」


 母からの文面は簡単だ。引越しの事後処理だとか幾つかの書類を纏めたいらしく透目が必要らしい。

 由緒の母親もそうだがうちの親も少しばかり抜けている。もう少し考えてから物事を口にすればいいのに。それから、何で要の方にメールして来たのだろうか。透目に直接連絡すればいいのに。

 画面を見つめて唸った透目は、それから未来の方へ視線を向ける。


「…………大丈夫か?」

「皆いるし。出来るだけ早く帰るから」

「何かあったら俺から連絡入れます」


 透目にしてみれば未来は大事な一人娘。これからは家族と言うことにはなるが、恐らく男手一つで育ててきたのだろう大切な宝物だ。心配なのは当然だろう。

 けれどここは要も彼女の兄として胸を張る場面。少し頼りないかもしれないが、妹を守るのは兄の役目だ。


「分かった。未来の事をよろしく頼む」

「もちろんです」


 透目から託されてしっかりと頷く。

 彼の評価はそのまま要への信頼へ繋がる。良好な家族関係のためにも、彼の期待には応えたい。

 冬子に続いて去って行く彼を見送って、それから足を出す。


「……それじゃあ行こうか」

「まずは俺の希望からだな」


 歩き出した歩調は四人揃えて他愛ない会話と共に弾む。

 始まるのは楽の音楽観に関する一人語り。どうでもいいけど俺それ聞くのこれで三回目なんだけど……。

 そんな要の心中は露知らず、未来の前だからかいつもより盛られて話が進む。途中でそれぞれの好みの曲の種類などの話にもなりつつ目的地へ。

 調子に乗った楽が店頭にサンプルとして並べてあるキーボードで一曲披露して、たまたま近くを通り掛かった人たちから拍手を貰い僅かに商売を邪魔して。指摘すれば彼は宣伝だと胸を張ったためにそれ以上深く考える事をやめた。楽のそのどこから溢れて来るか分からない自信には一周回って尊敬さえ抱く。

 お調子者の親友の望みを叶えると今度は書店へ。前から気になっていたシリーズの短編集を一冊買い求め、いつの間にか姿を消した未来を探せば、何故か超能力とか催眠術といった胡散臭い区画で書物を漁っていた。


「何か面白い本でもあったか?」

「うーん、どうだろ……。お兄ちゃんはこういうの信じる?」

「超常現象とか? あんまり。宇宙人は広い目で見れば俺達もそうだからいるかもしれないとは思うけど。ただUFOは違うかな。あれは未来の空飛ぶタイムマシンだと考えてる」

「……なるほど」

「だからUFOに乗るのは未来人。そうなればそういう科学的な技術は応援したくなるかな」

「超能力とかは?」

「信じ難いかなぁ……。テレビとかの影響もあるだろうけど、あんまり納得してないかも。あったら便利かなとは思うよ? テレポーテーションとか念力とか」


 と、一通り価値観を語って疑問の向きを入れ替える。


「未来は?」

「……あるとかないとかじゃなくて、あったらどうなるのかなって考えるよ。……ちょっと子供っぽいかな?」

「いいや、別に夢を見る事まで否定しようとは思わないよ。それはその人なりの考えだからな。もちろん納得できない理由を並べられて力説されたらそれは違うんじゃないかって反論しそうだけど……。それならまだあって欲しいって根拠もなく信じてるほうが可愛いと思うかな」

「……やっぱり馬鹿にしてるでしょっ」

「俺は可愛いなって言ったんだよ。馬鹿だとは一言も言ってないっ」

「小さな馬鹿は愛嬌って言うよね?」

「愛嬌と可愛いは違うだろ」


 価値観の相違。そこに存在する探求の心に笑えば未来も小さく噴き出した。

 本を買うかと尋ねてみたが首を振って手に持ったそれを棚に戻す。どうやら眺めていただけらしい。

 それから店の外で由緒たちと合流する。どうでもいいが楽が漫画を二冊ほど買っていた。面白そうならまた今度借りるとしよう。

 要の目的が果たされれば最後に由緒の希望で服飾店へ。

 未来は今回案内される側に徹するらしい。要の周りで一番の新顔なのに要と一番波長が合うのは気のせいだろうか。

 思いつつ、辿り着いた先で要は店の外のベンチに座って先程買った短編集を広げる。

 由緒の事だ、きっと強引にでもこちらにその矛先を向けて巻き込むのだろうと想像しつつ、人の喧騒の中文字の世界に溺れていく。

 その隣で、楽が暇そうに高い天井を見上げて零す。


「要よぉー、未来ちゃん何か隠し事してるぞ?」

「ぅん? ……まぁ、そうだろうな。 秘密の一つや二つ誰にだってあるだろうさ」

「そうじゃなくてよ……。まぁいいや、悪かったな邪魔して」

「んー」


 一体楽は未来に何を感じたと言うのだろうか。少しだけ考えて、けれど直ぐにそんな疑問は薄れていく。何があったってそれは未来の秘密だ。要がどうこう言う問題ではない。

 それよりも手元の文字の羅列へ。平面の癖に、三次元的に幻想を広げる無限の世界。人の生み出したる宇宙よりも尚広い想像と理想の世界。

 都合のいい結果、頭を抱える展開、一喜一憂する登場人物の言動。

 そこにはそのキャラクター達が生きていて、もし彼らがこの世界のどこかに存在するのだとしたら、彼らにとってもそして要自信にとってもこの時間は平等で、共通の視界だ。

 読者が共感できない主人公は主人公足り得ない。

 よく本を読む要だから時々考える。だとしたら要自身は物語の主人公にはなれない存在だと。

 他人に共感を求めず、全て自己完結しようとする存在。人から少しずれた冷たい目線と、特に何が起こるでもない日常を謳歌する一個人。そんな読む者に苛立ちを与え共感を与えない者は、主人公にはなれないのだ。

 だっていつだって物語の主人公は確たる自分を持った存在なのだから。

 よくて脇役。だとしたら要の周りの主人公達は個性が強すぎて埋没してしまうのだろうと。

 どうでもいい感慨と共に、共感できない物語の主人公に自分を重ねる。

 要が本を読むのは人間らしくなりたいからだ。

 人とは少し違う価値観を持った要は、どうにも人の輪と言うものに入り辛い。だからどこかで温もりを……繋がりを欲して人間らしく振舞う事に何かを傾けている。

 人間失格。あれは確か太宰治の残した書物だったか。

 名前とちょっとした話は知っているが本格的に読んだ事は無い。読めば自分がその登場人物になってしまう気がして読めないのだ。

 誰だって嫌だろう、他人に踊らされて人生を狂わせるなんて。

 人らしくないとは思うが、死への恐怖は一人前だ。だからまだ、俺は人間をやめないでいられる。

 考えながら、共感できない主人公の語り部を何処か別の世界のように感じながら読み進めていると、不意にその視界に影が差した。

 何事かと顔を上げればそこに立っていたのは由緒。


「……またか」

「まただよっ」


 他人の評価など何になる。

 胸の内で悪態吐いて、それから本を閉じると立ち上がり彼女の後ろをついて歩く。

 いつもの、だ。

 事ある毎に感想を問うて来る彼女の期待。

 別に答えなくても構わないが後で陰湿に糾弾されるのはごめんだ。過去に一回、それで彼女に怒鳴り返したこともある。あの時は少し人間らしかっただろうか。

 その後彼女に投げられたのは苦い思い出だ。そんなことで特技の柔道を使ってくる辺り彼女も大概気が短い。因みに黒帯。

 客観視して自分に評価を下すと足を止めた由緒の隣に立つ。そうして目にした景色に、思わず胸が跳ねた。

 元のつくりがいい少女なのだ。その上燃えるような鮮やかな長髪に、異国風の雰囲気を纏う我が義妹。純白のワンピースだけと言うシンプルな佇まいの癖に阿呆らしいほど絵になるその存在感たるや。

 まるで異世界譚から抜け出してきた主人公の恋するメインヒロインでは無いかと錯覚する。


「……えっと、どう……かな? 似合う?」

「あ、うん。よく似合う。現実離れしてて夢かと思った」

「ふふっ、なにそれっ」


 笑う仕草に、肩に掛かった赤い髪の一房がするりと滑り落ちる。思わずその行く先を目で追って小さく息を落とす。

 もしこれが恋愛小説ならば、ここから始まる恋もあったのだろうが生憎現実で、彼女は妹だ。いきなり出来た身近な異性ではあるが変に意識するということは無い。

 それよりも彼女の存在感が異次元過ぎて、自分がそこにいるという現実に無駄な嫌悪感と忌避感を抱く。


「みくちゃんが綺麗なのは分かるけどさー、ちょっと見すぎ」

「え、あっ、ごめん!」

「うぅん、こっちこそ………………よかった」


 由緒の指摘に慌てて口を付いた言葉に、未来は恥ずかしそうに顔を逸らして答える。

 小さく零れた言葉にどういう意味かと疑問が湧いたところで後ろから顔を出した楽が囃し立てる。


「うほーっ、何それスゲェ……。服が服の意味を成してねぇ」

「どういう意味だよ」

「わっかんねぇかなぁ、この感覚」

「分かって堪るか」


 言わんとした事は分かるけれど。つまり未来の素材としての資質がすごすぎると言うことだろう。それには確かに同意だ。

 彼女の存在は現代日本においては規格外過ぎる。


「男として失格だろ、それ」

「楽は客として失格だろ」


 言い返してみるがそこに意味は無い。

 意味が無いからこそ日常なのだと。

 溜息一つ、それから未来に言葉を向ける。


「それ買う? 一応お金は預かってるから買えない事は無いけど」

「あー……うーん…………えー、どうしよう……」


 自分の姿を見下ろす未来。それから裾を摘んでひらりと振ると、その際に見えた白い足が眩しくて知らず視線を逸らしてしまった。


「みくちゃーん、そういうの男の前でしないほうがいいと思うよー? 誤解するのが出てくるから」

「ふぇ? …………あぁ、はい。でも別に、お兄ちゃんならいいです。お兄ちゃんですし」

「あーっもう、かわいいなぁ!」

「きゃぅ、ゆ、由緒さんっ、危ないですよ」

「悪いのはみくちーだよ!」

「えぇぇ~?」


 未来に抱きついて頬ずりをする由緒。そういうのは女子の特権か。

 じゃれ合う二人を見て、何故か隣で楽が拳を握っているのが見えたがとりあえずスルー。触らぬ神に祟りなしだ。


「服はー、とりあえずはいいかなぁ。またの機会にするよ」

「そっか。分かった。それじゃあ俺は外で待ってるから。終わったら声かけて」

「私のは見てくんないの?」

「見たってしょうがないだろ?」

「だよねー、だって似合うのは当然だし~」


 戯言を横に。踵を返して店の外へ向かえば、背中に罵倒が飛んできた。

 そもそもここは女性服の店だ。男が長居するのは精神衛生上よろしくない。

 抗議を無視して足早に外に出れば先程座っていたベンチが埋まっていて、仕方なく壁に寄りかかって本を読む。

 それからしばらくして由緒と未来が一緒に店から出てくる。

 由緒の手には紙袋が。気付くのと同時、彼女は我が物顔で手を差し出す。


「……何?」

「お金、買ってくれるんだよね?」

「俺は未来に言ったんだ。由緒の分は知らん」

「そうだよ!」

「何が……」

「少し早い誕生日プレゼントって事でっ!」

「誕生日?」


 由緒の突飛押しもない言葉に未来が首を傾げる。


「一週間後……正確には六日後だけど、由緒の誕生日なんだよ」

「ほぃ~…………」


 ブルータス、お前もか。


「ケチ~……」

「そっちはそっちで盛大に祝ってやるよ」

「やったーっ!」


 彼女も戯れだったのだろう。恐らく欲しかったのだろう言葉を要から引き出して上機嫌に歩き出す。

 隣に立って手を出せば女王様が如くその荷物を持たせてくれた。


「紳士だねぇ、要殿は」

「何が……。って違う、これは癖だ。いつもこいつが持たせるから」

「はいはいっと、そういう事にしときましょうかねー」

「格好いいよねー、こういうの。私は大好きだよ」

「大満足の間違いだろ」

「乙女の純情返してもらおうか?」

「どこに乙女が居るって?」

「この美少女が目に入らぬか!」

「え、あたしっ?」

「それは俺の妹だ」


 よくもまぁ次から次へとくだらない事を思いつくものだ。

 そんな感慨に、少しだけ楽しくなりつつどうでもいい話題を広げに広げる。

 気付けば輪の中に居た未来。笑顔で肩を揺らす彼女はやはり何処か別世界の人に見えるけれど、確かにそこに存在する少女なのだと納得する。

 そうして幾つかの荷物を手に、要達はショッピングセンターを後にする。

 外に出れば視界は綺麗な茜色。長く伸びた影が四つ並んでアスファルトの歩道を進む。

 夏の所為か温い風が車の排気ガスと混じって何とも言えない胸の詰まりを感じさせる景色。そんな中でも未来の存在感は変わらず。彼女の瞳と同じ、橙色に染まった陽光に照らされて、その横顔は朗らかに笑っていた。

 帰途も相変わらず雑談に花を咲かせる。

 途中で楽と分かれる。近くに住んでいるとは言え遠野家と去渡家のように隣同士ではない。別に彼とは幼馴染と言うわけでもないし。高校に入ってからできた気の会う友人程度だ。

 学校でもあの調子で騒ぐものだからいつも一緒に居るのは遠慮したいのだが、どうやら彼は要の事を気に入っている様子。知らず親友の席まで彼に奪われていた。図々しいにも程がある。

 と、先程輪を抜けた彼に心中でぼやいて要達も自分の家へ。

 そうしてしばらく歩を進めたところで着信音が響く。聞きなれない音だと思ったのも数瞬、気付けば由緒が自分の携帯を見つめていた。


「友達だ……」


 どうやらメールか何からしい。

 文面を確認し終えた幼馴染はそれから要の方に視線を向ける。


「彼氏に振られたらしいから行ってくる」

「おう。男の方に襲いに行くなよ?」

「それから服自慢してくる」

「悪い事は言わんからやめて置け」


 言いつつ、紙袋を手渡して見送る。

 服自慢するって……もうちょっと言い方あるだろうが。

 友達想いな幼馴染に呆れつつ未来と二人再び歩き出す。


「ぃやぁああああああぁああああああっ!?」


 そうして足を出した直後、耳に甲高い悲鳴を聞いた。直ぐにそれが先程別れた由緒の声だと気がついて踵を返す。

 声のした角を曲がればそこには理解しがたい光景が広がっていた。

 何故か道路に広がる赤い液体。その中心で倒れている楽。その傍で呆然と立ち尽くす由緒。その場に落ちた紙袋に赤黒い色が染み渡っていく光景…………。


「な、何……何で…………何、これ…………」


 震えた声は未来のもの。次の瞬間、由緒の体がふらりと揺れて糸の切れた人形のように崩れ落ちる。

 走り出して寸前で受け止めれば人の重さに膝を折った。

 そうして目の前で目にする凄惨な光景。


「……ぁ…………か、なめ……。はら、いてぇ……あちぃ…………よ…………」


 流れ出る血が水溜りのように円を描いて広がっていく。その中央で、蹲った楽が息も絶え絶えに横腹を押さえて掠れた声で呟く。そこには凶器になるようなものは見当たらない。

 さ、刺された? 楽が? 誰に?

 浮かぶ疑問は、けれど次の瞬間我に返った意識で衝動的な言葉に上書きされる。


「未来、救急車! 早くっ!!」

「え…………?」

「救急車! 病院に連絡して!」

「……う、うん…………!」


 言葉を吐き捨てながら頭は何故か冷静に回る。

 こういうとき人はパニックに陥るものだとよく聞くが、なぜか要は冷静で居られた。

 それは要自身が人間として欠けているからだろうか。それともこの光景が要が望んだ非日常だからだろうか。

 どちらでも構わない。落ち着いた思考とは裏腹に震える手で傷口を塞ぐ。

 とりあえず止血。圧迫止血で血の流出を抑えないと。

 手のひらにまとわりつく温い感覚に生理的な嫌悪感を覚えながら必死に呼びかける。


「楽っ、しっかりしろ! 聞こえるかっ? 聞こえたら返事しろ! 楽っ!!」


 意識を、血を────

 既に手のひらの感覚は思考の外。

 そうして救急車が来るまでの数分間。永遠にも感じられる時間の中、要はただひたすらに彼の名前を呼ぶ。

 死ぬな、楽!

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