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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
狡兎三窟の向こう側
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第三章

 混乱の未だ引かないショッピングセンターの中。未来(みく)と二人、繋がれた手の感触を頼りに互いを確認しながら歩を進める。

 引っ切り無しに続く館内放送は段々と冷静さを取り戻して、それを頼りにする客達もアナウンスがなされるたびに辺りをざわつかせる。

 顔見知りで肩を寄せ合って何事かを囁く姿や、親と逸れたのか大口を開けて泣き叫ぶ子供姿も見える。(かなめ)もそちら側だったなら少しは動揺したかもしれないが、異能力に時間移動……非日常たる異常体験を積み重ねてきたこの身はそれほどの事では揺らがない。

 未来と過ごした時間は体感で四日……もしかすると五日ほどだろうか。

 思えば雅人(まさと)の事故が起こる過去、その前日に寝てから今まで一睡もしていない事に気付く。

 そんなことを考えたからか、不意に足が重くなって何もないところで(つまづ)いた。あわせて、握っていた手のひらの向こう。少し先を歩いていた未来を後ろへと引っ張ってしまう。


「っきゃ、え……?」

「あ、ごめん……。ちょっと足がもつれて……」

「そう言えばずっと寝てないもんね。……一回戻って休憩しようか」

「時間は大丈夫なのか?」

「睡眠不足で足を引っ張られても困るよ。ここまで来たらお兄ちゃんにだってやる事やってもらうんだからっ」


 それは諦めだろうか。それともその先の覚悟だろうか。

 今要は耳が聞こえない。それは十二時間で元に戻る感覚不調。読唇コンタクトをつけているお陰で会話だけならどうにかできる。けれど依然として辺りの音は聞こえない。

 想像でしか語ることのできないこの景色に、けれど辺りの雑音に惑わされずに済むのは小さな幸運かもしれない。

 静寂だからこそ、自分の思考に専念できる。

 そんなきっと煩いほどの喧騒の中で未来は何も変わらずいつも通りに告げる。


「その代わりあまり寝る時間は取れないよ。まだやる事はあるから」

「……どれくらい?」

「……九時間かな?」

「普通に健康的だなっ」


 小さく笑ってようやく歩き出す。睡魔を自覚した所為か心成しか体も重く感じる。

 普通に動き回るだけならその程度の疲労なのだろうが、加えて《傷持ち》との衝突や父親である雅人の事故死の現場、そして由緒(ゆお)が轢かれそうになるという衝撃的な景色まで嫌に堪能したこの体だ。おまけに休む暇がないほど頭も使った。肉体以上に、精神が疲れている。

 それを認めてしまったが故の反動だ。ここらで一旦休息を挟まなければ幾ら一般的な男子高校生と言えど限界だ。

 一般的な男子高校生はこんな経験きっとしないのだろうが……。


「じゃあ取りあえず家に……隠れ家の方に戻ろうか」

「あぁ……」


 未来だって表には出さないが疲れているはずだ。雅人の件の傷だってまだ癒えていないだろうに。それでも健気に笑う真っ直ぐな姿勢に要も少しだけ元気を貰う。

 と、そうして前を見据えた足が、目の前に捉えた景色でとまった。

 その風景。雑多に揺れる人の影。その中に佇む、異様にして偉容な──黒尽くめ。

 色彩豊かな人の波の中で、確たる意志を持ってそこに立つ《傷持ち》の姿に、知らず足を引く。


「何でこんなときに……っ!」


 小さく呟けば視線になけなしの威勢がこもる。

 流石にここで戦うのはこちらが不利だと。構えつつ、それから異変に気付く。

 どうして、あいつは誰からも意識を向けられないんだ──?

 それはおかしな話だ。

 黒尽くめで、フルフェイスヘルメットで、機械音で。どうあってもスリーストライクで一発アウトなその見た目に、周りにいる人が誰も反応を見せない。

 まるでそれが当たり前と言うように……そこに《傷持ち》がいないように。

 瞳のない瞳がこちらを無言で見つめてくるその威圧感に冷や汗が垂れる。

 おかしい、おかしい、おかしいっ!

 何で誰もあいつに気付かないっ!?

 急速に競りあがってくる恐怖。抑えきれないほどの衝動が胸の内で鼓動を暴れさせる。

 その刹那に、《傷持ち》はこちらへ向けていた視線を僅かに傾がせた。

 まるで疑問を催促するように。子供のような仕草で首を傾けた黒尽くめは、それから何かに気付いたようにポケットから何かを取り出す。それは、手のひらサイズの四角い──スマートフォン。

 《傷持ち》が持つその現代型携帯電話機……幾度か液晶に指を滑らせる仕草を見せたその人物は、それからこれ見よがしと言う風に右手の黒い手袋を外す。

 そこに見える、生々しい傷。《傷持ち》と言う名前の由来の、右手首の甲の側に斜めに走った何かで切ったような傷跡。

 間違いない。あいつこそが《傷持ち》で、あの傷こそがその証だと。

 忌々しげにその手元を見つめて、そうして違和感に気付くのと同時、要の後ろポケットに入れたスマホが震えた。

 咄嗟の事に驚いて振り替えつつ取り出してロックを解除。一件入った新着メールの表示に焦燥感を掻き立てられながら開いてその文面に目を通す。

 差出人は────観音(かんのん)(らく)


「っ、何でお前がっ!?」


 楽のスマホを持ってるんだっ!

 そう次ごうとした言葉は、けれどそれより先に早くしろと言う風にフルフェイスを動かした《傷持ち》の仕草に飲み込まされた。

 恐らく読め、と言うことだろう。

 先ほど感じた違和感。その正体が、《傷持ち》の持つスマホケースの柄が、楽のそれに酷似──否、楽のそれと同じだった事に対するものだと確信しつつ、手元の文面へと目を滑らせていく。


 ────知っているぞ。その耳が聞こえない事を、知っている。


 最初に飛び込んできたのはそんな一文。真実を言い当てられて胸の内が跳ねる。

 何で知ってるんだ。そんな、絶対に勘ではどうにもならないはずの情報をっ。

 視界の端に《傷持ち》の足先を置きつつ続けて内容に目を落とす。


 ────しかしそれであってもお前を狙う事を辞める理由にはならない。偶然も必然も、歴史によって肯定されたまたとない機会の連続でしかない。だからせめて狙う者の誠意として断っておこう。呪うなら、その迂闊な判断力を嘆けばいい。


 そこまで読み終えた直後、まるでそのタイミングさえも知って、計っていたかのようにリノリウムの床を踏み切った《傷持ち》。

 視界の端に捉えていた爪先が動いた事に顔を上げれば、既に目の前には未来が構えて要を庇っていた。

 音のない世界の中で、こちらに迫ってきた《傷持ち》がその手に持った鈍色のナイフを振るう。

 対して未来はいつの間にか取り出した銀色の伸縮式警棒のようなそれで受け止め弾いた。

 僅かに散った火花。音のない所為か色まで薄く感じる景色の中で、ようやく目の前まで迫った《傷持ち》の存在に改めて気付き、『スタン(ガン)』を抜き放つ。

 知識通りに構えたハンドガン。撃った相手を眠らせる無力化制圧の未来道具。

 セイフティーを外し、サイトを覗き込んで照準からはみでるほどに近い《傷持ち》に向けてトリガーを絞る。

 微かな反動。手に残るその感触と共に、亜音速の弾丸が宙を掛けたその刹那に──当たり前の如く中空へ散った火花。

 見ればこちらに一瞥さえくれないまま、《傷持ち》はそのナイフで弾丸を弾いて見せてようだった。

 これまでも何度かあった超人的な行動。背後からの攻撃に振り返りもせず反応し、人の目では追いきれない速度の攻撃を難なく何度も往なし……。

 まるで全てを予知するように(ことごと)くの脅威を排除してきた《傷持ち》。

 数少ない与えた攻撃は未来の近接戦闘での投げ技と、要の『抑圧拳(ストッパー)』での一撃。

 これまでも幾度に渡って交錯してきた衝突で、たったそれだけしかなかった接触に、今回もまた呆れさえ通り越してそういうものだと納得する。

 《傷持ち》の超人的な反応は今から驚くにしては古すぎる。けれどそれ故に効果的に、確実にこちらの矛先を封じ込めている事に苛立ちを覚える。

 どうすれば攻撃が通る。どうすれば捕まえられる……。

 何度も夢想したその都合のいい未来は、けれど今になっても要の中には確固とした実を結んではいない。

 ただ漠然と、捕まえたいと言う思いだけが体を突き動かす。

 続け様に二発。何かの偶然でも当たりはしないかと放った攻撃は、けれどそんな希望を打ち砕くように当たり前の如く撃ち捨てられ、床に転がる。

 その単純なからくり……ブースターと言う超常的なリミッター解除能力に悪戦苦闘する。

 それにしたってこうまで攻撃を阻まれると嫌でも想像してしまう可能性がひとつ──

 もしかして、本当に《傷持ち》は要についての全てを知っているのではないだろうかと。

 今まではそれが《傷持ち》の、こちらを揺さぶるための出任せにして手管の一つだと思っていた。

 けれど認めてしまいたくなる。こちらの想像の上をさも当たり前のように通り過ぎていく御技に。不思議とも思わず振るわれるその刃に。

 実際に目の当たりにした現実が《傷持ち》の言葉を知らず裏打ちする。

 しかしそれは駄目なのだ。それを認めてしまえば、《傷持ち》を追う事を諦めてしまう。あいつの思う壺なのだ。

 駄目だ。諦めるな。認めるな。

 その言葉は、まやかしだ────

 神様に縋るように否定しながら引き金を引く。

 腕に伝わる衝撃は放つたびに音もなく体の中を突き抜ける。

 脳裏に響く空気の破裂音は、想像の中でいつしか実弾火薬のように大きく激しいものへと変わり。戦場と錯覚するほどに景色を曖昧に彩る。

 既に直ぐ傍を行き交う客の事は思考から排除されて。ただ目の前の仇敵に全てを注ぐ。

 もう見なくても分かるほどに決められた反応。四度目の銃弾弾きに、今度は未来が接近を合わせる。

 要の発砲に合わせて距離を取っていた未来の突撃。腕を振った《傷持ち》の隙を突くようにその手に持った伸縮式警棒のようなそれが突き出される。

 けれどそれさえも見越していたように、いつの間にか抜いた『スタン銃』がその左手に。

 スライドの側で子供の癇癪を窘めるように払い除け、そのまま銃口を未来へと向ける。

 それを見た未来は咄嗟にフリーだった左の手のひらで銃身を真下から突き上げた。

 綺麗に決まった掌底にずれた射線。刹那に放たれた弾丸は宙を駆け、採光のためにデザインされたアーチ型の天窓へと衝突した。

 助かったのはそれが原因でガラスの塊が落ちてこなかった事。もし何かが変な風に噛み合ってガラスの雨が降り注げば回りの景色が紅一色に染まってしまう…………。そうならなかった事だけは、本当に幸いだった。

 跳ねた鼓動の感覚に少しだけ注意を引かれて、それから目の前の《傷持ち》に視線を戻す。

 そうすれば《傷持ち》もまた、予想外だったと言う風に弾の当たった天窓を見上げていた。

 思わず動いたのは体。一足飛びに近づいた距離の中、突き出した拳はけれどこちらを見ずに後ろへと飛んだ動作で交わされた。

 隣で未来が自分の『スタン銃』を構えながら《傷持ち》に問い掛ける。


「貴方の目的は何っ!? 何のために過去改変なんてっ!」


 撃ったところで弾かれて弾を無駄にするだけ。そう考えてしまうから、銃口を向けるだけの威嚇に留まってしまう。

 そうして未来が撃てない事を見越してか、《傷持ち》は優雅にスマホを掲げその液晶を幾度かタップする。

 やがて震えたのは要のスマホ。新着メール通知を忌々しく見つめて開けば、そこには未来の問いに対する答えが綴られていた。


 ────親愛なる者のためだ。人を想う心に理由などない。


 それは、そうだろうが。だからと言って《傷持ち》の言に全てを引っ掻き回される要の身からしてみればいい迷惑だ。

 何より納得がいかない。何故要が狙われなくてはならないのだ。

 それでは、まるで────要の知っている誰かのために、《傷持ち》が過去改変をしようとしている風に聞こえるではないか。

 裏を返せば、その人物の幸福のために、要が障碍になると。そう言われたようにも聞こえる。

 そんなのは、ありえないと。

 幾ら人間離れした感性を持つ要でも、それを他人にぶつけて不幸にしようなどとは思わない。

 それこそ、今まで通り、《傷持ち》が要たちを揺さぶるための虚言だ。

 考えて睨むように視線を向ければ、再び手元のスマホが震える。

 見れば新たなメール。見ないという選択肢は既に捨てて直ぐに開く。


 ────未来を知らないお前には幸福を描けない。その身が不幸を招かないとどうして言える?


 俺が、誰かを不幸にする……?

 不意に過ぎった顔は、幼馴染の姿。

 身近な異性にして、《傷持ち》を追う理由にして、要の今の行動指針。

 もし彼女に、何か不幸があれば……。要は、それを変えたいと願ってしまうかもしれないと。

 そんな事を考えて立ち尽くす。

 音のない世界。視界の電子の文字さえも歪むほどに暗くなっていく景色。

 そんな事はないと。どこかで根拠もなく信じる景色が段々と色をなくしていく。やがてモノクロの想像は、写真のように固定されて、時間さえも凍結したまま破れて────


「っ……!?」


 まるで深遠を見つめるように嫌な想像をしかけたところで、肩を揺らされて我に返る。

 顔を上げればそこにはこちらを心配そうな顔で覗き込む未来の姿。


「……大丈夫? 一体何を言われたの?」

「ぇ……あ、いや。なんでもない……」


 思わず後ずさってスマホをポケットにしまう。そうして今更ながらに、《傷持ち》の姿が無い事に気がついた。


「《傷持ち》は……?」

「逃げられた。あいつ、やっぱりあたし達のことあたし達以上に知ってるよ。お兄ちゃんの様子が変だって言って、ちょっと目を離した隙に時間移動で…………」

「……そうか…………」


 知らず拳を握りこむ。

 取りあえずメールの内容は未来には見せられない。幾ら未来で起こる事はいえ、それは要の問題で、彼女を巻き込む話ではないはずだ。

 例え《傷持ち》に何と言われようと、それはただの妄言なのだと…………。

 根拠のない何かに縋って未来の事を必死に思い描く。

 どうあっても、由緒に危険を及ぼさせるわけにはいかない。ましてや、要自信が彼女を不幸にするなんて……。

 あってはならないことだと奥歯を噛み締める。


「くそっ……!」


 吐き捨てれば未来が優しく手を握ってきた。


「ちょっと休憩しよう……。色々ありすぎて混乱してるだけだから」

「……………………」


 また迷惑を掛けていると。けれど今更どうすればと、そんなことを考えているうちに彼女に連れられて近くに空いていた長いすに腰を下ろした。

 うな垂れる要を少し見つめた未来は、それから走ってどこかへ向かうとしばらくして飲み物を手に戻ってきた。

 差し出されたのは炭酸飲料と、果物の清涼飲料水。


「どっちがいい?」


 優しい笑顔でそう問い掛けて来る未来に、しばらく悩んで果物の方を受け取る。

 それから横に座った未来は、蓋を開けて口をつける。

 まるで待っているように。要に全てを任せてただ傍に居てくれる。

 両手で包む飲み物の冷たさが嫌に鮮明で、少し強く握って形を歪めれば、未来は一度だけ視線を送ってきた。

 こんな事をしている時間なんてないのに……。

 喧騒の中に埋もれる沈黙。要の耳には聞こえないはずの雑踏が、今だけは何故か目障りに景色を彩る。

 頭の中で渦巻く幾つもの疑問に。けれど考えたところで答えなど一つしかないのだと諦めを見出せばようやく溜息を吐く事ができた。


「……ごめん」

「…………ん、いいよ。あたしも、迷惑ならかけてるから」


 そうして零れた言葉に、未来は少しだけ笑って答える。

 そこに意味なんてない。ただ当人の気持ちを尊重するように、自分で自分を許せるように、彼女はその気持ちを代弁してくれる。


「迷惑なんてね、きっとその人が思ってるだけだよ。だからお兄ちゃんが自分を許せるなら、あたしは何も言う事なんてないけど。できることならあんまり悩まないで欲しいなって。誰かに相談すれば、気持ちは軽くなるはずだから」

「…………《傷持ち》の、目的が、俺に関係する誰かを間に挟んでるかもしれない」


 呟いて、それから順に吐露する。


「……想像でしかないのにな、色々辻褄が合うんだよ。俺たちの行く先々に現れて、まるでどうなるかを知っているように振舞って。(あまつさ)え俺の事を知ってるって……。普通そんなのありえないはずなのに、一つの可能性がそれを全部肯定する」


 ずっと視線を背けていた結論。そうであって欲しくないとどこかで望んでいた未来。


「あいつは……《傷持ち》は、未来の俺の、知っている人物だ。そこにはきっと、俺と、《傷持ち》と、もう一人、誰かが居る」


 全てを知っているのはそうして共に時間を過ごしてきたから。

 過去改変を企むのは、そのもう一人がそう願ったから。

 要と《傷持ち》の共通の知人にして、それほどまでに深く影響を及ぼせる誰か……。そんな人物は、そう多くない。


「その誰かのために、そいつは手にした異能力で、過去改変へ手を伸ばした……。望まれたその希望を、現実にしようとした」


 異能力を発現しない要にはそんな事が出来ないから。《傷持ち》がそれを代行してくれた。

 そこまで親身になって、間に居る誰かを思う心。要がそんな事を願ってしまうほど、大事な人物。

 そんなのは、もう、分かりきっている────


「未来の俺が望んだ、歴史改変。きっと俺が齎した不幸の、その犠牲になったのは────由緒だ」


 認めたくない。

 けれどもう、それ以外に、要には理由など見つけられない。


「俺がそれを引き寄せて、由緒を巻き込んで、それを認めたくなくて……。そんな俺に手を貸してくれたのが《傷持ち》で、」


 そいつはきっと、紛れもなく。


「楽なんだ」


 観音楽。要の友人にして、きっと事の全てを知っている────未来人。

 認めてしまえば、辻褄なんて幾らでも紡ぎ出せる。


「《傷持ち》として、未来の楽が、この時代にやってくる。その手に持つ『催眠暗示』で、この時代の俺たちに干渉する……。最初にやるのは、記憶の植え付けだ。楽がこの時代に馴染むように、彼の周囲の人物に、彼の記憶を植えつける」


 だからそんな想像をしたくなかった。

 楽とのこの思い出が、全て虚偽だなんて。

 けれどもう、そうでないと納得なんて出来ないから。


「……でもそれだと最初の『催眠暗示』が記憶の改竄なら、由緒さんの誘拐の時はどうするの? だってそれじゃあ、誘拐のために『催眠暗示』を掛けられない……」

「掛けなくていいんだよ。楽なんだから。由緒の記憶には、楽との偽の思い出がある。『催眠暗示』なんかに頼らなくても、由緒を油断させて誘拐するのは簡単な事だ」


 楽は過去に語った。由緒を誘拐したのは《傷持ち》だと。

 けれどそれは彼の主観で、幾らでも虚偽を混ぜる事のできる確証のない言葉だ。

 だから例え、楽本人が由緒を誘拐したのだとしても、それを隠し通す事は難しい事ではない。


「楽の異能力は、『催眠暗示』だ。けどそれだと時間移動はできない。だから楽はこの時代に居る由緒を誘拐したんだ。由緒に、楽の協力をさせるために」


 『音叉(レゾネーター)』を使って遠隔で由緒の異能力を受信し、移動先で『催眠暗示』を用いて要たちを襲う。単純にして最も効果的なやり方だ。


「その上で、楽は自分が真犯人候補にならないように、自演までして病院に自ら隔離される。病院で入院してれば、そう簡単に身動きは出来ない。だから犯人候補には、なり辛いから」


 何処まで用意が周到なのだろう。何処まで彼の計画の内なのだろう。

 全容を暴くに連れてその謀略の数々に賞賛さえ浮かぶ。


「……今俺たちを襲ってきてる《傷持ち》──楽は、自分に刺される前の楽だ。そうやって、まず先に《傷持ち》としてのやるべき事を全て終えて、自分を刺してアリバイを作る。俺たちが最初に襲われたときに、楽と《傷持ち》が重なって存在し、その可能性を否定したように見せる為に」


 そこまで全て計算ずくなのだ。

 何処でどういう風に刺されるかまでを予め計算して、そうなるように演じる。一体どれ程悩んで計画を立てれば、こんなに難解なトリックを思いつくのだろうか。奇術師よりも呆れるほど面倒臭い真犯人だ。


「じゃあ今頃楽さんは……」

「多分、もうこの時代には居ないだろうな」


 最後に楽に会ったのが由緒が誘拐されたと聞いたとき……未来がUSBを預かったときだ。

 それ以降、要たちは楽に会ってない。きっと会わせないように、彼は《傷持ち》として要たちを振り回し続けた。

 逆位相の作成に協力したのだって、彼にしてみれば友好的な証で、犯人ではないというアピールだったのだろう。


「……楽は、音楽に精通してる。だから逆位相だって直ぐに作れた。でもそんなの、当たり前だ……。だって音楽を使った『催眠暗示』の異能力を持ってるんだから。詳しくて当たり前なんだよ」


 そうやって全てをやり遂げて、彼は未来に戻って行った。

 だからこそ、その結果を想像できてしまうから、今この現状でさえも覆らないと理解する。


「未来が俺のところへやってきたときには、楽はもう殆どの仕込みを終えてたんだよ。そうやって俺達の前に姿を現した事で証明してるんだ。…………今こうして《傷持ち》として襲ってきてる楽の言動は、俺たちには止められなかった事だって」


 未来からやってきて、由緒を誘拐し、《傷持ち》として要たちを襲い、未来の自分を刺し、観音楽として要達の前へ現れ、過去の自分に刺され、病院で逆位相を作り、それから未来へ帰る。

 一連の流れはきっとそれで説明がつく。

 だからこそ、観音楽として現れた彼を知っている要には、その過去に成された《傷持ち》としての行為を、止められないと肯定している事になる。

 そして、更に言ってしまえば、絶望の結末だって既に決まっている。


「楽として現れたときには、《傷持ち》としてやるべき事……俺を手に入れる事は、全部終わってる。つまり──俺は最後には、楽の思い通りに掴まって…………歴史改変に、手を貸す事に────」

「待ってっ!」


 そうして滔々(とうとう)と推理を語ったところで未来から制止の声が入る。

 その強い瞳の力に、思わず次ぐ言葉を飲み込んで音のない彼女の言葉に耳を傾ける。


「必ずしもそうとは限らないっ。だってあたしたちはまだこうして捕まってない。つまりこの先《傷持ち》としての行動を全部跳ね除けて、その上で楽さんを追い詰めて未来にまで追い返したって可能性もあるんだよっ」

「でもそれだと、《傷持ち》がそのフルフェイスを取る理由がなくなる……。楽として俺達の前に現れる理由が────」

「《傷持ち》が楽さんだとは限らないよっ」


 叫ぶような否定に息を飲む。

 何でっ。だって《傷持ち》が『催眠暗示』を持っていないと、さっきまでみたいにここへ居る人たちに『催眠暗示』を掛けることなんて────


「《傷持ち》の『催眠暗示』は、音楽って言う媒介がある。つまり、そこまで計画的なら『催眠暗示』に込める暗示の内容も予め決められる。ならその音楽データを、CDやUSBみたいな記録媒体に書き込んで、《傷持ち》に持たせる事も可能だよっ。過去で起こる事だって、予め直接口頭で伝えることだってできるっ」


 それじゃあまるで──


「だから、《傷持ち》は──必ずしも楽さんだとは言い切れない。楽さんの『催眠暗示』で操られた、別人の可能性もあるっ!」


 断定するように言い切った未来の言葉に揺さぶられる。

 けれど、と反論しようとした言葉が、しかし(すんで)のところでその矛先を僅かに変えた。


「…………そう言えば、過去に行ったときも、『催眠暗示』を掛けたとは限らないのか……」


 それはどこかで思い込んでいた勘違い。

 雅人の死に纏わるあの過去での出来事で。よくよく考えれば、『催眠暗示』を使用しなくても過去干渉をすることは可能だ。

 もし雅人の死が『催眠暗示』に左右されない、その通りの歴史だったのだとしたら。……いや、未来人である未来が直接手を下せたのだからそうなのだ。歴史はそうある通りにしか流れない。

 つまり雅人の事故に、『催眠暗示』は関係ない…………? それを(あたか)も、『催眠暗示』で歴史を曲げたように見せかけただけ?

 ……確かに筋は通るし、今一度考えれば要たちは《傷持ち》が『催眠暗示』を行使するところを直接目で見たわけではないのだ。

 未来の言う可能性も、十分にありえる。


「もし《傷持ち》と楽さんが別人なら、《傷持ち》を退けつつ楽さんがあたし達の目の前に姿を現すことに何の矛盾もないよっ」

「そうか……。それにもし俺の言うように《傷持ち》と楽が同一人物なら、病院にいる時の楽の右手にはその切り傷があるはずだもんな」


 要の記憶の限りでは、楽にその傷はない。

 ならば楽=《傷持ち》と言う方程式は崩れるか?


「…………けど、だとしたら《傷持ち》の正体は誰なんだ? あんな傷を持つ人、早々いないだろっ」

「だから《傷持ち》なんだけどね……。確かに解決のためのキーポイントかもしれないけどそればっかりに引っ張られても分からない事に時間を割くだけだよ。だったら分かってる事から手を出した方がいい」


 未来の言葉に頷いて考え込む。

 《傷持ち》が誰なのか。それが分かれば事件は解決したも同然だ。しかしだとしても分からない事が一つある。


「……例えばの話、本当に楽が黒幕だったとして、だとしたらあいつを知ってる俺や由緒にはそれ以上『催眠暗示』は掛けられないだろ? 記憶の改竄にその異能力を使えば、それ以降『催眠暗示』の命令で操る事が出来なくなる。なら矛盾が一つある」

「矛盾?」

「ここへ来る前の由緒の行動だ」


 現状、要にとって最優先の懸案事項。それは由緒が事故に遭うというその歴史を変えることだ。

 要はまだ由緒が轢かれたと言う事実をこの目で確認していない。その寸前に、未来の『時空間移動(タイムトラベル)』でここに来たからだ。

 つまり要の主観では由緒の事故は確定していない歴史……知らない未来と同等だ。だからこそ変えられると意気込んでここに居る。そうできるとどこかで確信している。


「未来も言ったけど、あの時の由緒は普通じゃなかった。それこそ『催眠暗示』に掛かったみたいに。けどそれは出来ないだろ。記憶改竄に『催眠暗示』を使えば、あんな風に由緒を操る事は不可能だっ」


 例えそれが時限式に発動するものだとしても、『催眠暗示』は『催眠暗示』である事に変わりなく、そこには異能力としての制限が存在する。

 それは過去に未来の語った事実。『催眠暗示』は過去現在未来を含め、同じ人物には一度しか掛からない。

 つまり重ね掛けは不可能なのだ。それに一度の『催眠暗示』に込められる暗示は一つ。一度に二つ以上の命令は出来ない。


「でも実際に由緒はあんな風になってた……。それはつまり、何か抜け道があるって事にならないか?」

「抜け道……って言っても制限は覆せないよ」

「例えばその制限を一時的に無くすとか、そういう技術は?」

「ない。制限は、絶対だよ」


 言い切る未来に思考は沈む。

 ならばどうやって由緒にあんな事をさせた。

 『催眠暗示』は効かない。何よりあの時、《傷持ち》も『催眠暗示』持ちも居ない。遅延や遠隔だって二つ以上同時に掛ける事は不可能だ。

 だとしたら可能性は──二つ。


「なら楽が『催眠暗示』以外の異能力持ちって可能性か、『催眠暗示』持ちが二人潜んでいるか……。後者なら、《傷持ち》と楽で丁度二人だけど…………」

「異能力だって全員が発現するわけじゃないし種類も沢山ある。何より『催眠暗示』も強力な異能力で、そういうのは絶対数が少ないの。時空間移動系の異能力だってそうだよ。重なる事は、まずありえない」

「…………同じ時間には、だろ?」

「え…………?」


 可能性の想像が少しだけ色を持つ。


「《傷持ち》と楽。その二人が別々の時間軸から来た未来人で、居合わせて意気投合した可能性は、捨てきれない」


 まず前提として、《傷持ち》と楽が繋がっているという話すら怪しいのだ。偶然この時間軸に別の目的で居合わせただけの全く関係のない二人と言う可能性もある。

 何より要自身はできれば信じたくないのだ。その可能性があると言葉にしただけで、本当に楽が黒幕だなんて嫌なのだ。

 仮にと言う仮定の話。

 その上に想像を重ねたところで、根底を否定してしまえばそれは要にとって推理でも何でもない。ただの願望にして、机上の空論だ。


「けどそうだとしたらあたしにも納得できない事はあるよ」

「それは……?」

「この時空間事件について、あたしは一件の予知しか聞いてない。もし別人が起こすはずの時空間事件なら、そこには二つの予知が重なるはずなんだよ」

「ってことは今挙げた可能性はない話か」


 言葉にして、それから少しだけ安心した自分がいた。

 それならば《傷持ち》の後ろにいる『催眠暗示』持ちの黒幕が楽ではなくても説明がつく。もちろんそうなると幾つか考え直す事は必要だが……。


「それにそもそも、その《傷持ち》の後ろにいる人が『催眠暗示』の異能力を持ってるとも限らないしね」

「…………だな。因みにもしそうだとして、『催眠暗示』以外の異能力だとどんな可能性があるんだ?」

「そうだね…………。こうやって干渉できてる以上、間接的作用系異能力。その中でも人を操ったりできるものって言うと……少し技術はいるけど『接触感応(サイコメトリー)』とか。残留思念とかを読み取るものだけど、それを利用して他人の心理を操ったりとか」

「やっぱり記憶や精神に作用する異能力か……」

「あと……いや、うん…………」


 そうして言い淀んだ未来。その言葉の先が気になって尋ねる。


「あとは……?」

「…………『記憶操作(メモリーマネージ)』。お父さんの異能力でも似たような事はできるけど……幾つか難しい話もあるかな」


 少し前にも話題に出して、彼女に否定された可能性。

 記憶を覗き、弄る異能力。けれど透目のそれは大多数に対して効果の及ぶものではないし、連発できるものでもない。

 このショッピングセンターで起こしたような大規模な混乱は引き起こせそうにはないが……。

 そこまで考えて、ふととある可能性が脳裏を過ぎる。


「ここで起きたことと由緒の身に起きた事が同一犯によるものって言う根拠はないよな」

「……っ、待って! お父さんを疑ってるのっ?」

「可能性の話だ。俺だって認めたくないけどありえない話じゃないだろ」


 ここで起きたことは取りあえず横において、由緒の事へと論点を絞る。

 けれど直ぐに返った否定に、要の論は封殺された。


「でも制限があるんだよっ。お父さんの異能力は、時間移動能力保持者の記憶操作ができないっ。由緒さんの記憶は、覗くこともできない!」

「…………そうだったな。……悪い、言いすぎた」


 要だって焦ってはいるのだ。

 由緒を助けたい。けれどそこに関わっているだろう人為的な何かの根拠を突き止めなければそれを覆す事はできないのだから。

 その焦りが、突飛な考えを幾らでも思いつかせる。まるでそれは悪魔の囁きのように……。


「っ、駄目だ……。行き詰った……」


 そもそも難しい話なのだ。今持っているだけの情報で全てを暴こうなど。

 想像で語ったところでそれが事実である確証なんて何処にもない。それはただ、要個人の思惑を押し付けているだけだ。

 要は物語の中に出てくる探偵のように賢いわけではない。解けなくて当たり前と言えばそれまでだ。


「……考えるほどに分からなくなるな。真実なんて、きっと簡単な事のはずなのに」


 ガラス張りのアーチ型の天井を見上げて呟く。

 幾つか掴みかけた真実は、けれど曖昧なまま結実を見せず記憶の彼方へと揺れて消えていく。

 惜しいところまで来ているはずなのに、その最後のピースだけが手に入らない。考える傍らで、《傷持ち》の……その奥にある真実の動機に少しだけ同情する。

 その人物にとって歴史を変えると言うのは、そうするに足るだけの理由があるということだ。

 ここまで用意周到に要たちを振り回してでも叶えたい夢。歪めたい過去。

 その、ある種の尊さにも似た何かに、要が到達し得ないその小さな思いに、少しだけ寂しくなる。

 何処まで悲観して、どこまで可能性を追いかけて落胆すればそんな風に歴史改変にまで踏み切れるのだろうか。自分の身を賭してまで叶えたいと願えるのだろうか。

 やっぱりどこかで人間離れした要だからこそ、そんな人並み外れた思いの行き着く先に……歴史改変と言う大業に手を伸ばす事を、羨ましくさえ思う。

 人に共感されない、言わば法外の、存外の、埒外の理由で生きるその魂に。

 今もまだ未来を描けない要は同情して、尊敬する。

 理解をされないと言うのは爪弾きと言う事ではないのだ。それはただの──その人だけの生き様に過ぎない。

 理解されようなどと、そんな事は思ってなどいない。理解されるより前に、認めさせてしまえばいいのだから。

 野心といっても足りないほど傲慢で危険なその考えに、けれどそれを夢と言わずして何と言うのだろうと。

 心揺れる要の頭は、けれどやっぱりそれを最後に否定する。

 だって迷惑だから。未来ではどうなのかは分からないけれど、今の要にとって《傷持ち》の言動は有り触れた日常を期待の非日常に変えてくれる混乱の味をした効き過ぎの香辛料だ。

 由緒を巻き込んで、未来を振り回して。

 要の周りの大切な人たちに迷惑を掛けるその行為に、今ここにいる要は少なくとも迷惑を被っているから。

 知らない未来だからこそ、そうして胸を張れる。

 未来だ過去だなんて方便だ。要にしてみれば、今しかない。その今を侵食する魔の手に反旗を翻したところで、それは当たり前の感情だ。

 だから許さない。未来がどうなろうと……そこに要がどう関わっていようと知ったことではない。それはそうなった時に考えるべきものだ。

 今大切なものさえも守れずに、何が歴史改変だ。

 考えて少しだけ強く握り締めた手の中の飲み物。僅かに拉げた感触に、それから指に伝った結露の水滴へ少しだけ驚く。

 物に当たった所でどうなるわけでもない。要は今を生きるだけだと。

 そこにあるものを噛み締めるように飲み物の口をあけて貪るように飲み下す。一気に半分ほど体の中に流し込めば、少し温くなったその感触が喉を通り過ぎて胸の臆に蟠った。

 大丈夫。まだ俺は、ここにいる。

 重く冷たいその感覚に再認識して立ち上がる。


「時間使いすぎたな」

「……もう大丈夫?」

「考えるばっかりも駄目だろ? まずはできることからだ」


 言って、それから目的を思い出す。

 まずは由緒を轢こうとした車。あれは間違いなく由緒の母親のものだった。ならば運転しているのは恐らく冬子。

 彼女が『催眠暗示』に掛かっているかどうかと、掛かっているのならばそれを解除する。

 要の想像ではそれで由緒の事故は現実にはならないはずなのだ。

 後の問題は、この手の中の逆位相が効果を示すかどうかだが……その点については取りあえず問題なさそうだろう。

 なにせこのショッピングセンターに居た人たちは今もこうして日常を取り戻しつつある。未だ少し混乱が混じってはいるが、それも時期治まるはずだ。

 先ほどから煩いほど繰り返して館内放送も行われている。そろそろ一般市民を装って歩き出しても不思議には思われない頃だ。

 溜息一つ。それから重い腰を持ち上げて席を立つと残りの飲み物を全て体に流し込む。

 溺れそうなほどの流体が喉を通り過ぎていく感覚に思考を切り替える。


「……取りあえず家に戻るか」

「そうだね。まずは休憩しないと。あたしも色々限界だし……」


 呟く未来の横顔に《傷持ち》と出会う前に脳裏を過ぎった感慨を思い返す。

 彼女も、そして要も。雅人の事故死から一睡もしていないのだ。あんな精神的崖っぷちに追いやられて、その上に由緒の事故……《傷持ち》の干渉。考えればどれ程濃い時間だったのかと眩暈すら覚える。

 ずっと興奮状態だったお陰かまだもう少し眠気は我慢できるが、それでも日常のサイクルから考えれば徹夜ほどの行動量。気を抜けば寝落ちだって出来る自信がある。

 けれどそれらもどうにかやり過ごしてきた。由緒の事故の回避も、断片的だが方法論は見つかっている。

 そのちょっとした安心が、今だけは要の精神を少しだけ自由にさせる。


「……未来は、できることならこの時間にも余裕は作っておきたい?」

「ん、そうだね……。あればあるだけ動きやすくはなるけど、それもどうかなとは思う」

「どういうこと……?」


 隣を歩く未来。少し考え込むように零した言葉に疑問を返せば、彼女は何か覚悟を決めるように答えた。


「確かに《傷持ち》を追いかけてる以上空白の時間はあればあるだけ嬉しい。けどそれはね、裏を返せばあたしが確実な手を持ってないって事になる。不安だから、避難場所を作る……。空白の数だけ、《傷持ち》が遠のく事になる」

「それは…………」

「それに、お兄ちゃんを巻き込んでる。あたしにとっての空白って事は、お兄ちゃんの主観でも空白の時間、だよ。元々お兄ちゃんは狙われた側で、本来はこんなところにいるはずのない人。あたしがもっと確実に《傷持ち》を捕まえられる手立てを持っていれば、実現しなかったはずの景色だよ」


 確かにその通りだ。けれどその空白の分だけ、要は非日常にいると実感できる。未来の存在を、確かに認められる。


「現代人のお兄ちゃんは、普通に時を紡いで、時空間の干渉がなく過ごすべきなんだよ。それが当たり前なんだよっ。だから空白の時間の分だけ、お兄ちゃんは普通の時間に戻れなくなる。ありえない経験を、幾つもさせる……」


 それは彼女の、言わば後悔だろうか。懺悔だろうか。

 未来自身が不甲斐ないから、こうして要を巻き込んでいると。現代人のはずの要に、無理を強いていると。

 確かに彼女からしてみれば忌むべき事なのかもしれない。認め難い事なのかもしれない。

 けれど────


「けれど、そのお陰で、俺はこんな風に未来といられる。この現状を楽しんでる……って言うとまた怒られるかもしれないけど。偶然でも必然でも、感謝はしてる」


 それは紛れもない本心だ。

 僅かに……いや、多分に要個人の私欲や感情が入り乱れてはいるけれど。だからこそ本心に限りなく近い飾り気のない本音だ。


「それに──こうなってるって事は正しい歴史。そうなる運命だったって割り切れば、何も間違いじゃない」


 要が《傷持ち》に襲われ、未来に出会い、由緒を巻き込んで。異能力や未来の道具、未知の過去まで絡んで、けれどそれでも破綻しないこの世界は──要の経験した記憶と言う名の一人称の歴史は正しいことなのだ。

 もしどこかで、歴史における想定外の事が起きたのだとしたら、その時点で世界は歪んでしまっている。

 それがないという事はここまでの事が全て、正しい真実と言う事だ。

 そんなところまで考えて、それからふと思考が裏を返した。


「間違いじゃない……。けど、だとしたら少しだけ嫌な可能性が思いつく」

「何?」

「さっきまで俺たちを襲ってたここにいる人たちは『催眠暗示』に掛けられてた。それってつまり、このショッピングセンターで起きた事は歴史で肯定されてる事になる。つまり──その根源である『催眠暗示』は歴史によって肯定されてる」


 そうなるはずの歴史だからその通りに流れる。

 ならば大多数への『催眠暗示』を止められずそれを掛けられた上から解いた要達の行動の裏には、前提として『催眠暗示』が成功していないと成り立たない。

 つまりこのショッピングセンターで起きた『催眠暗示』は初めからそうなる予定の事実だったと言う事だ。

 けれど、ならば疑問が生まれる。


「『催眠暗示』は間接的作用系異能力、だったよな?」

「うん」

「で、歴史改変は間接的作用系異能力でしか起こせない」

「確実に起こすには、だね」

「……って言うと?」


 要の言葉に未来が答える。


「物理的作用系異能力は、歴史干渉には使えないけどそれは直接的ならって話。風が吹けば、とかバタフライエフェクト的に随分と婉曲的に間へ幾つもの緩衝材を挟めば物理的作用系異能力が原因で問題は起こるかもしれない。もちろん、そんなところまでいくともう計画とか計算とかじゃ説明はつかないと思うけどね」


 確かに幾つもの情報を用いて計算すれば、近似値や確率論では語れるかもしれない。けれどそうだと確定しないからこそ歴史であり未来だ。

 もし未来の言うように物理的作用系異能力で過去改変を起こそうと思うと、その起こすべき時空間にある全ての物事を計算しないといけない。そこまでして証拠を有耶無耶に歴史改変をしようとする人物が出てくる確率の方が、それを成功させるよりよっぽど低い気もするけれど。


「あ、話がずれた。で、えっと……」

「あぁ、うん。……まぁ大まかに括って、異能力の干渉でしか歴史は改変できないよな?」

「だね」

「となると、今回の『催眠暗示』は歴史で決まってる事なのに、世界はその干渉では壊れない……おかしくないか?」

「……えっと…………あー、うん……。多分それが解決される干渉だから、じゃないかな?」


 歴史で『催眠暗示』が肯定されているのなら、それが原因で歴史が歪むのではないか?

 そんな要の疑問は、けれど曖昧ながらも言葉を操った未来の言に否定された。


「『催眠暗示』で人を操る。あたしたちを襲わせる。けど最終的に、あたしたちはその『催眠暗示』を解いて影響下から開放したでしょ? 『催眠暗示』の干渉が歴史で許されてるなら、それが解決する事もまた正しい事。つまりあたしたちが身を守るためにした行動が、歴史の修正力みたいに働いたんだと思う」

「……そうなる歴史だったって事? 《傷持ち》の存在は歴史に排除されるはずの異物なのに?」

「異物って言うならあたしたちもそうだよ。未来人は列記とした異物。けど異能力は違うよ。しっかりとこの時代にも存在する。由緒さんがその証」

「つまり存在する事が正しい事象や概念の干渉で、結果的にそれが解決された上、大きな問題にならないならそれは歴史に許されるって事?」

「そうじゃないとそもそも、時空間事件なんて起きないよ」


 そう言われればそうか。

 異能力を使った人物に論の焦点はない。異能力と言う存在が肯定されているから、歴史はそれを異物として排除しない。

 だから異能力保持者がいて、時空間事件が起きて、未来がここにいる。


「異能力自体には人格や意思なんてない。ただの力だよ。そこに人の意思が介在するから悪意にも善意にもなり得る。だから異物とされるのは意思を持たない異能力じゃなくて、人間の方なんだよ」


 異能力なんて、それこそ子供の妄想のような力だ。

 空を自由に飛びたいとか、暗示のように他人を操るとか。確かにそれは道具や方法論で、それ以上でも以下でもない。

 道具に意思はなく、だからこそ罪もない。

 包丁で人を刺したところで、罰せられるのはその刺した人間で、包丁じゃない。

 異能力と言うのは、そんな身近にある……けれどどこか現実を超越した力の概念なのだろう。


「全部の原因は、《傷持ち》にある。《傷持ち》に宿った『催眠暗示』だって、宿りたくて宿ったわけじゃないだろうしね。問題はその力をどう使うか、だよ」

「…………俺たちからしてみれば《傷持ち》の言動は悪用で、《傷持ち》本人にとっては私欲にして善用か」

「世界にそれを判断するだけの意思があるとは、あたしも考えないけどね」


 言って自嘲する様に笑った彼女は、自分の手のひらを見つめた。


「この力だって、目に見えて正しい事だって言い張るつもりはあたしにもないよ」


 これまで幾つもの時空間事件を解決へ導いてきた時代を渡る異能力。その中で、彼女は幾度かその手に認め難い色を塗り重ねた。

 少し前だって、要の父親──雅人を、その手で突き飛ばした。

 それを正義などと、彼女は口が裂けても言えない。

 例え歴史に肯定された、正しい過去だとしても。それを再現しただけだと大義名分を振り翳すには、十分に人の道を外れすぎている。

 一体その体に、どれ程の枷と戒めを刻み縛り付けているのだろうか。

 その苦悩は、きっと要の狭量では抱えきれないほどだろう。こうして考えるだけ、彼女を責めている。


「……それでも、俺にとっては未来は眩しいくらい正しいさ」

「…………ありがと」

「嘘じゃないぞ?」

「分かってるよ、そんなこと。……そういう意味じゃないって」


 その感謝は、きっと要の柄にもない彼女を肯定する心に対するもの。

 飾った、そんな中身のない言葉は、けれど彼女が信じられるその場限りの拠り所になってくれればと。女の言い訳にしてもらえるならそこに男である以上の意味はない。

 男は女の理由で、女は男の意味。昔に由緒が言っていた言葉だ。

 その時は何を飾った事をと思ってはいたが、今更ながらにそんなものかと納得する。

 けれどまぁ、よくもそんな大言壮語が彼女の口からは次々出てくるものだと。その身に溢れんばかりの自信に、幼馴染として呆れる。


「だからお兄ちゃんは────」


 と、そうして未来は何と次ごうとしたのか。その先を捉える前にこちらへ顔を向けていた彼女が前から歩いてきた男性と前方不注意で肩をぶつけた。


「あ、すみま──ぇ……?」


 咄嗟に謝った未来。けれどそれとほぼ同時に、ゆっくりと伸びた男の腕が未来の肩を押して突き飛ばす。

 予想外の事に声を漏らした彼女は、尻餅をついた状態から見上げて驚いたような小さな声を漏らした。

 その景色に、思わず要も一瞬思考が遅れる。

 何故かそこにある────鈍色の刃。男の手で逆手に握られた果物ナイフ。

 それが、まるでカボチャへ突き立てられる様に徐に振り下ろされる。

 気付けば体が動いていて、未来へとナイフを振り下ろすその男へ向けて要は腕を伸ばしていた。

 自分の意思ではないようなその朧気な感覚が、そうして確かに男の手首を掴んでようやく実感を持つ。

 こいつ、未来を────


「っ、未来っ!」

「せいっ!」


 直ぐにその瞳へ意思を灯した未来が、男の手に握られたナイフだけを蹴り飛ばす。

 乾いた音を立てて床を滑る鈍色の刃。

 その音に、まるでデジャヴの予感を伴って辺りの視線が殺到した。

 けれど──まて、待ってくれっ! それはおかしいんだ! だって、こいつらの『催眠暗示』は、解けて──


「逃げるよっ!」


 引かれたのは腕。トラウマのように心を縛られてその場へ縫い付けられそうになった足は、その寸前で未来に引っ張られて動き出す。

 走る景色の中、確認のように振り返れば────そこには当然のように要たちを追いかけてくるゾンビのような集団が…………。


「何でっ!?」


 どうしてあいつらはまだ俺を追ってくるんだよっ!?

 背筋を駆け上がる悪寒がトラウマ染みて記憶に蘇る。


「だって『催眠暗示』は──」

「確かに消したっ。けど……っ! ごめんっ、今は走ってっ!」


 未来に引かれる腕の感触に、これは現実なのだと認め難い景色を睨んでようやく自分の足で走り出す。

 雑踏の中、人の合間をすり抜ける度に横から幾度か人の腕が伸びてくる。

 人の壁から生える腕。血色のいい肌色の五指は、けれどまるでお化け屋敷の壁に並ぶ意思のない腕のようにだらりと力なく下がったまま迫り来る。

 夏だからってこんな日の高いうちからホラー体験なんてしたくなかったと。

 本能的な恐怖に冷や汗さえ掻きながら人垣を抜ける。

 そうして転がり出たショッピングセンターの外。膝に手を突いて呼吸を整えていると、隣で未来が自動ドアに向けて『スタン銃』のトリガーを絞った。

 恐らく空間固定弾。とりあえずの処置で、二次災害が起きないための隔離だ。

 透明なガラスにぶつかって拳を打ち鳴らすその人々は、どこか焦点の定まっていない瞳で要たちを見つめながらこちらにやってこようとする。

 人が人を踏みつける。けれどそれを意に介さないという風に開かない扉に縋っては、後からやってきた人の波に更に押し潰されて。

 そんな地獄絵図を見ているのも嫌になり咄嗟に目を逸らすと未来と視線が合った。


「……行こう。彼らには悪いけど取りあえずあのままで」

「何で、追いかけてくるんだよ……。『催眠暗示』はちゃんと解いたのに…………」


 『催眠暗示』は、同じ人物には二度以上は掛からない。だから一度それを解いてしまえば『催眠暗示』に左右される事はなくなるはずなのだ。

 けれどさっきのは……あの虚ろな目と重心の定まらないような動きは、要の記憶にも新しい『催眠暗示』に掛かった者特有の仕草だ。


「……例えばさっきの逆位相の音楽が…………いや、そうだったらその前の『催眠暗示』が……」


 呟く未来。けれど頭を振って否定したのか、彼女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて俯く。


「…………ごめん、わかんない。『催眠暗示』持ちが二人いれば可能だけど、そんなのありえないし」

「考えるのは後にしよう。まずは休みたい……」

「ん、そうだね……」


 言ってショッピングセンターの方を一瞥した未来は、それから静かに歩き出す。

 向かう先は隠れ家たる畳敷きのあの部屋。

 眠気なんて、先ほどの一幕で吹き飛んでしまったけれど。それでも体に溜まった疲労だけは嫌にその存在を主張して足取り重く目的地へと向かわせる。きっと横になれば直ぐにでも睡魔に襲われて夢の世界へ旅立ててしまうだろう。

 それほどに濃い時間を送ってきたのだ。今更これ以上を考えたところで驚きもないだろうが、それでも先ほどの景色は予想外ではあった。

 どうやって《傷持ち》があの景色を実現したのかは定かではないけれど。少なくとも要達がどうにかしなければならない問題であるのは確かで。

 しかしやはり考えるには今までに頭を使いすぎたと。

 重い足取りで未来の隣を無心に歩く。


「……疲れた」

「そうだね」


 愚痴にもならない呟きは未来の同意と共に風に溶ける。

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